気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

「母さん」と

2005-07-17 12:51:10 | つれづれ
「母さん」と庭に呼ばれぬ青葉濃き頃はわたしも呼びたきものを

身を繋ぐ何のなければ夏穂草さやる素足の痒くてならぬ

あした、また 詩集に挟むエンピツの幻の青そらを裂きたり

触れるときいつも手探る把手なり子を蔵(しま)うドアわが出づるドア

(佐伯裕子 あした、また 河出書房新社)

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母さんと呼ばれるようになっても、なったからこそ、母さんである作者はそのお母さんを呼んで甘えたくなる。よくわかる心情。母と娘は牽制しあい、反発しあっても、最後はお互いを思うのだろう。(画像は下鴨神社 糺の森)

われに血を授けし母の命日の夜にひとり観る雷蔵シネマ
(近藤かすみ 題詠マラソン2004) 


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