「いつでも、どこでも、誰にでも、確かな情報や豊かな文化を全国津々浦々にあまねく伝えていく」 これは7月30日日本放送協会が発表した『受信料と公共放送についてご理解いただくために』の中にあった文章である。
私が妻と1993年ネパールを皮切りにセネガル、旧ユーゴスラビア、チュニジア、最後が2004年ロシアのサハリンまで海外で暮らした。この間、ネパールとセネガルではもっぱらラジオでNHKの国際放送を聴いて、テレビではCNNやBBCでしかニュースを観ることができなかった。旧ユーゴスラビアからNHKテレビの国際放送でニュースを観ることができた。中国や韓国はネパール時代から海外への自国語放送を無料で国策としてテレビ放送を流していた。NHKは衛星放送を始めたが、無料ではなく有料だった。N国党の党首が主張するスクランブル放送化になっていて、NHKテレビを受信できる専用チューナーを設置して期間限定のICカードを購入する必要があった。チュニジアにいた時、英国のロンドンでNHKの営業代理店まで手続きとチューナー購入すために行ったことがある。ロンドンにある日本の大手銀行の支店なみに横柄な態度に驚いた。
ネパールにいた時、ある日突然隣家の男性が訪ねてきた。彼の家から線をつなげば、私の家でもNHKやCNN、BBCなどの国際テレビ放送が手続きなしで観られると売り込みに来た。あまりに法外な値段だったので断った。彼は近所の外国人が住む家にタコ足配線をめぐらして稼いでいた。私たちが住んだ国々には、いわゆるまがいモノが堂々と売られていた。日本製品など良い餌食で自動車の部品など純正部品より偽物の方がはるかに数多く出回っていた。貧しさから必然的にそうならざるを得ない面があった。私が感心したのは、そのまがい物でちゃんと何度でも修理して純正の日本製品を使いこなしていたことだった。住んだどこの国でも市場や通りに出れば、物売りがテレビ放送受信用のIC-カードを正規のカードよりずっと安く売っていた。生活力というのかずる賢いのか。国家権力や法律より、民衆の経済へのあくなき欲求の方が先行していた。
私はNHKを支持する。なぜならNHKには、コマーシャルがないからである。民放テレビ局のコマーシャルには、うんざりしている。良い番組に限って、これでもかとしつこく何回にもわたってコマーシャルを繰り返す。その点、NHKはコマーシャルと無縁である。これは視聴者にとってありがたいことである。私はコマーシャルを観なくても済むというだけでNHKに受信料を払っても良いと思っている。
NHKテレビの番組も良いものが多い。ドキュメンタリーの『プラネットアース』はBBC やナショナルジオグラフィックとの共同制作だが、優れた作品である。『プラネットアース』のような作品を制作するには莫大な費用がかかる。気が遠くなるくらいの長時間、多くの危険が伴う撮影を経て製作される。受診料を払うことで、私もその番組制作を担っているという気になる。素晴らしい作品をコマーシャルで中断されるのは堪らない。
サッカーに打ち込んでいる孫たちが、来年の東京オリンピックのサッカー決勝戦のチケットが当たったと喜んでいる。私も出来ることならこの目でオリンピックを観たい。しかし今年のこの猛暑で体調を崩していて、外に出られずにいる。こんな体で来年オリンピックを観に行くことなど考えられない。妻と相談した。ならばテレビで観戦しようと。4K放送が始まった。来年はNHKのBS4K放送でオリンピックを中継すると聞いた。会場で観戦できなくてもBS4K放送で綺麗な画面で観ようと決めた。4Kテレビを購入した。購入する時、妻は店員と約束した。もし4Kが観られなかったら返品すると。店員は受け入れた。テレビが設置された。4Kが映らない。店に連絡した。集合住宅の共同アンテナを設置した会社も来た。テレビの製造会社からも技術員が来た。増幅器も試した。まったく映らない。店に返品を申し出た。断られた。
NHKの「いつでも、どこでも、誰にでも、確かな情報や豊かな文化を全国津々浦々にあまねく伝えていく」は、まだ4Kには適用されていないようだ。亡き父が言った。「お前は何でも他人より10年早まって失敗を繰り返す」