団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

鉄ちゃん青年

2010年11月11日 | Weblog

 買い物を終えて、駅の下りホームの4つドアのしるしを先頭に、私は4人目に並んで電車を待っていた。一番前は、女子高校生、二番目と三番目は70歳代の女性だった。そこへ年齢35歳から40歳くらいのずんぐりむっくりした男性が、オカッパの髪型が特徴の、やはり太めな30歳代と思われる女性の手をつないで、私の列の先頭に割り込んできた。割り込むというよりホームの黄色い線の線路側に陣取った。男性は、ベルトなしの青いジーンズをはいている。上は白のエンジ色の太めの横縞シャツである。リュックを背負っている。リュックの中身は、ほとんど何も入っていないとみる。入っているとしたら、たぶん空の弁当箱だろう。靴はひもの運動靴。女性は、何も持っていない。白いハーフコートに足首が出た黒いスラックスに黒い革のパンプス。男性は、リュックを肩から降ろし、女性に渡す。女性は、それを両手でかかげ持つ。女性は、男性に比べて消極的である。

 

 突然男性は、よく通るテノールのような声で、顔を列車が来る方に向け、ご丁寧に腕を上げ指で指し示しながら「本日もご利用いただきましてありがとうございます。今度の3番線の列車は、4時44分発普通伊東行きです。危ないですから黄色い線までお下がり下さい。この列車は3つドア15両です。ホームの東京よりには停まりません。グリーン車は足元の白い数字4番と5番でお待ち下さい。普通車は足元の数字一番から3番と6番から15番でお待ち下さい」と一気に言ってのける。私の前の女性が呆気に取られたように男性を凝視した。先頭の女子高校生と私は、またかというように知らん振りを決め込んでいた。この路線で有名な“鉄ちゃん青年”なのだ。2番目に並んでいた女性は、笑い出しそうになるのを必死で舌を噛んで我慢しているようだった。すると今度は、本物の構内放送で男性が言ったのとまったく同じことを繰り返した。私の前の女性は、その事実に驚嘆と賞賛の表情を表した。

 

 やがて電車が到着した。降りる客がいるにもかかわらず、男性は、女性の手を引き、強引に乗り込んだ。これで静かになると思ったのが私の大間違いだった。今回、男性は、電車の中央の席に座り、壊れたテープレコーダーのようにオペラ歌手のようによく通るテノールの声で「4号車5号車はグリーン車です。グリーン車御利用には普通乗車券の他にグリーン券が必要です」「次は○○です。お出口は左側です。電車とホームの間が広く開いているところがございます。お降りのお客様は足元にご注意下さい」としゃべり続ける。

 

 私の孫の一人が一時期この男性のように小田急線に乗ると車内放送を真似したものだ。ある時、電車に一緒に乗ると早速始めた。近くにいた年配の女性が「まあ坊や、車掌さんみたいね。よく覚えたわね」と言った。孫はますます張り切って続けて困ったことがある。しかしこの男性は、優に30歳は過ぎている。まさか私が男性に近づいていって、「凄いですね。よく覚えられましたね。声も素晴らしい!」とは言えない。男性は、私が降りる駅のひとつ前の駅で女性と一緒に降りた。急に静かになった車内に安堵の空気が満たされた。そうでなくても車内放送がうるさい、おせっかいすぎると評判はよろしくない。

 

 電車の中は社会の縮図である。今の町に住み着いて、5年が過ぎた。だんだんと地域や住民に、私が馴染んできたということととらえている。車窓から夕陽に映える太平洋がきれいに見渡せた。何を隠そう、私も口を閉じた“鉄ちゃん老人”である。

 


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