団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

スズメバチ

2010年10月06日 | Weblog
 私は蜂に刺された記憶がない。妻は私の知る限り、2回刺された。2回目に蜂に刺されると危険である。1回目に刺された時、人間の体の中で感作(生体を抗原に対して感じやすい状態にすること)が起こる。つまり1回目の蜂の一刺しは、2回目の一刺しが有効になるための準備である。妻が2回目、庭に干した洗濯物を取り入れる際に刺された時、右手が野球のキャッチャーミットのように腫れた。痛いと1週間以上苦しんで、仕事にも差し支えた。その時、私は蜂の怖さを十分に学んでいる。

 10月1日、買い物を終え、バス停から家まで川沿いの道を歩いていた。アスファルトの路上に大きなスズメバチを見つけた。(写真参照)弱っているようだったが、まだ生きていた。

 9月中旬、私は家の前の道路のアスファルト上に無数のスズメバチの死体があるのを発見した。あまりの数に驚いた。9月のスズメバチ大量死の再来かとあたりを見回した。他にスズメバチの姿はなかった。今年の猛暑は、人間だけでなく動物、昆虫、植物などにも大きな負担、害を与えたようだ。

 腰を屈めて観察した。驚いた。スズメバチの周りに微小な蟻がたくさんいた。スズメバチが死ぬのを待っている。いや、すでにスズメバチの体に取り付いている蟻もいる。スズメバチがあまりに大きくて、その光景は、ガリバーが横たわっているようだ。そのガリバーの周りで、小人たちが働くように蟻が忙しく動き回る。スズメバチを助けてやろうかと思った程、私はもがき暴れるスズメバチに感情移入していた。思い直した。助からないに違いない。これも自然の食物連鎖の一環である。スズメバチが時々羽を振動させる。

 スズメバチは蜂の中では、最強の蜂である。何かの原因で、力尽きて路上に落ちた。それを蟻に見つかった。偵察中の蟻は、仲間に伝達し、働き蟻が召集された。働き蟻の数は、増える一方である。スズメバチの羽の振動もだんだん弱くなっていく。スズメバチ独特な虎のような黄色と黒の縞模様が目立つ。黒と黄色は、メリハリのある組み合わせだ。自然界で目立つということは、よほど強いと自信があってのことだろう。スズメバチは、見れば見るほど強そうである。その強いスズメバチが死に直面している。それを知って、こんなにも小さな蟻が寄ってたかって巣に運ぼうとしている。益々小蟻の数が増えている。スズメバチ一匹で小蟻百匹分だろうか。

 スズメバチが元気にあたりを威嚇して飛びまわっていた頃、スズメバチと蟻は、お互い、いかなる方法でも相対することは有り得なかっただろう。断崖の地層のような層ごとに異なる超すに超えられぬ生活圏がある。双方、別世界にいた。その境界が取り払われ、スズメバチが蟻の食料として路上に横たわった。無数の蟻によってスズメバチは、解体されて蟻の巣に運ばれ、跡形もなく食べつくされることだろう。私はただ、蟻の食料としてのたんぱく質の固まりである命の自然な結末を、黙って見送ることにした。数分後スズメバチは、私の目の前で、遂に動かなくなった。待っていたように蟻たちの動きが早くなった。私は一つの命を看て取った。いつか来るであろう、私自身の行く末を考えた。

「長野県の飯綱高原でスズメバチに刺され、33人が救急車で病院へ」10月4日の新聞記事を見て、『山の恵み里の恵み』さんを気遣った。飯綱高原といえば、『山の恵み里の恵み』さんの裏庭である。ブログではこのところ頻繁に裏庭にキノコ採りで足を踏み入れている。いくら裏庭といえども、スズメバチは恐ろしい。しかし記事に『山の恵み里の恵み』さんの名前はなかった。『山の恵み里の恵み』さんは10月1日2日と立て続けに飯縄高原へ出かけていた。3日は行っていないことを祈る。サハリンのリンさんは、蜂も蚊をもまったく恐れていなかった。私が蚊に刺されて、あちこち赤く腫らせて掻きむしっていると「あなたは弱いですね。私は蜂でも蚊でも刺されても平気です。気持良いくらいです」と笑っていた。『山の恵み里の恵み』さんもリンさんも、山の中に入るとき、皮膚を極力出さないようにしている。リンさんは、偉そうなことを言ったが、実はきちんと防御していたのである。

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