ひろポンの“わたしにも作れますぅ” 

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アルファロメオ 33.2 “ペリスコーピカ”&ジャコモ・ルッソのこと。

2009-10-06 | ミニカーとスロットカー
今日のミニカーはM4の1/43ダイキャストモデル、アルファロメオ33/2 “フレロン”です。
フレロンというのはデビューウインを飾ったヒルクライムの名前です。
ペリスコーピカという呼び名のほうが有名ですね。

“潜望鏡”の名前のとおり、ニョキッとそびえたインダクションポッドが特徴。
このマシンに始まるアルファのティーポ33シリーズは、以後10年ちかく様々なタイプが
登場しスポーツカーレースに活躍しました。
ライバルのカレラ10やディーノに比べて、いまひとつ洗練されていないスタイリングですが
大きくカーブしたウインドといい、アルファらしい個性的なマシンです。



これは67年タルガフロリオ出場車。
ナンニ・ガリ/イグナチオ・ギュンティ組の192番は有名ですが
この200番は“Geki”/ニーノ・トダーロ組のマシンです。
ナンバーがちょっと太すぎるのが気になりますが、なかなか良い感じの
プロポーションで好きなアルファの1台です。



ところでGeki(ジェーキと呼ぶんでしょうか?)というニックネームのこのドライバー。
本名はジャコモ・ルッソといいます。
61年から64年に連続してイタリア国内FJとF3チャンピオンを獲得しました。
そして60年代半ばにはF1イタリアGPにもスポット参戦しています。
64はロブ・ウォーカーのブラバム、そして65、66年はチームロータスから出場し
66年は9位の結果を残しました。

1967年6月18日、南イタリアのナポリに近い古都カゼルタで開かれたイタリアF3レース。

ランスに似た三角形の高速市街地サーキットのレースの第1ヒートはブラバム BT18 のシルビオ・モーザが。ビレル ・フォードのエルネスト・ブランビラ(ビットリオの兄)が第2ヒートで優勝しました。

そして迎えた決勝レースの7周目、線路に沿った見通しの悪いコーナーで周回遅れのアンドレア・サルタリとスイス人ドライバー、ビート・フェールが接触。

どちらも怪我は無かったものの、そこに走って来たフランコ・フォレスティのマシンがオイルに乗ってクラッシュ。

2周後オフシャルもろくにいないので危険を察知したビート・フェールは後続車に知らせようとコースに飛び出したところを、運悪く走ってきた複数のマシンのうちの1台に撥ねられてしまいます。
撥ねたのはルッソのマトラと言われていますが確かではありません。
コントロールを失ったルッソは右側の電力会社の壁にクラッシュして投げ出され、マシンは真っ二つになって炎上。

そのあとから来た数台もクラッシュし、“Tiger”ことロマーノ・ペルドーミも残骸に衝突し、マシンに30分も閉じこめられてしまいました。

何が起こっているのか全く気がつかないままレースは続き、4周後にやっと赤旗が出てレース中断。
警備係が救急車を呼ぶため観客にコインを借りて電話をかけたものの、駆けつけた消防隊は救出するための道具がなかったためお手上げ。
なんだかんだでペルドーミのメカがピットから道具を運んできてやっとこさ救出。

不手際に不手際が重なり、フェール、Geki、ペルドーミと結果3人のドライバーが亡くなる惨事となってしまいました…。





イタリア人ドライバーとして知名度はいまひとつですが、この200番の33とともに“Geki”は忘れられないドライバーの一人です。











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2 コメント

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そうでしたか (ミゾロギ)
2009-10-06 22:08:17
どのクルマにもドラマとなる話があるのですね。
いい話を聞かせていただきました。
あの200番の33、とても気に入っています。33はこのタイプが野性的で好きなんです。
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カゼルタの惨事 (ひろポン)
2009-10-07 01:39:17
>ミゾロギさんこんにちは。
この話は1970年頃にAS誌で読んだ高斎正氏訳の
Michael Cooper-Evans著、Risk Life, Risk Limb(邦題“死線”)で初めて知りました。
モータースポーツの事故やレーサーについて書かれたドキュメンタリーで
おそまつな安全対策の典型として書かれたこの事故は
非常に印象に残っています。

私もこの33と68年ルマンのクーダ・ルンガは一番好きなマシンですよ。
ジャンクのDinkyのクーダルンガもそのうちレストアしようと思っています。
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