まわりで起こっていること

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妹と娘の名前を呼び間違える

2017年06月01日 | Weblog

この間、娘が帰郷中の出来事で。

娘に、なんの件だったか、呼びかけるのに、妹の名を呼んだ。

ということなんだけど。

どうも、自分の中で、似てるんだね、感情の動きが。

ボケの始まり、といえば、そんな解釈だって、成り立つけどね。

だって、認知症にしてもアルツハイマーにしても、通常と違うことを、言ったりしたり。

ってことだよね、早い話が。

なんだけど。

それはともかく、自分の中に、沸き起こる情動の結果としての、名前の呼びかけ。

みたいな観点からするとね、なかなかに、興味深くもあり。

その昔、と言っても、ずいぶんの昔の話、柳田國男に、「妹の力」だったか、そんな話があり。

兄と妹が結婚し、みたいなことだったかな。

近親での性的な営みが、近親相姦とかの言葉で、タブー化、禁忌だね、する前の。

そんな時代の話なんだろうけど、娘との、そんな話もあるにはあるよね、今でも。

社会が、今のように、整然と立て分けられる前には、ごく自然のこととして、そんなことも。

あったんだろうね、根拠、確信はないけどさ。

まだ、天皇が大きな国を治める前、小さな国がそこかしこに、群雄割拠してる頃には、一族での婚姻。

なんてのは、当たり前でもあっただろうし。

今でも、娘が結婚するときには、相手の男をぶん殴る、みたいな言説もあったりするし。

名残だね、きっと。

てな訳で、呼び間違いをしてしまうのです、長いね、自分を正当化するまでの話が。

そうだ、昨日は、残りの個人ミーティングがあって、その中で。

針穴写真、という話題が出てきて、まったく、人生はミラクルだ。

って感想を持ったんだけど。

目の前の御仁が、言い出し、70歳をすぎると、やりたいことをやり尽くしたい、という気になるそうで。

箱の内側を真っ黒に塗り、印画紙を挿入し、コンマ何ミリかの穴を開け、10秒から30秒、待つ。

ってわけだ。

すると、ミレーの「晩鐘」のような写真が出来上がる、って次第で。

8kだとか、クリアな、鮮明な競争の激しい、この時代において、あえて、境界のぼやけた写真、もいいね。

よく見かける、明治維新の前の、坂本龍馬や勝海舟が大勢の人たちと写り込んでいる、集合写真ね。

あんな感じかね、出来上がりは。

このところ、Facebookも含め、ネットサーフィンしていると、新しい、とか、今までとは違う、とか。

新機軸、みたいな感じかね、いろんな方が、いろんな言説を、上手に、あるいは、下手に、書いている。

マーケティング、とかの言葉を使う方に多いんだけどね、今のままではいけません、的な。

当方も、すっかり、その気になって、ああだこうだと画策もしたりしているんだけど、ふと。

立ち止まってみると、おいおい、ひょっとしたら、これすら、大きな舌べら、前世紀、いや。

もっともっと前の時代からの、寒冷前線のように、われわれの上に張り出している、大きな舌べらに巻き込まれようとしているんじゃないの。

みたいな感想が、やってくるのは否めず。

実際の真実、真価、真理は、そこにはないかもね、なんてね。

むしろ、何もしない、とか、何も考えない、とか、そんなところに、やってくるもの、かな、と。

坂本龍馬は、死ぬときには、ドブの中でも前のめりに、なんて、ポジティブシンキング病のハシリ、みたいな。

言葉を残している、というようなレジェンドになってもいるけど。

前だけが、存在するんじゃなく、ってことだ。

未来だけがいいんじゃなく、過去もひっくるめて、今があることに、感謝、というのか、ミラクルな、不思議な。

感懐を持とうよ、くらいの話かな。

なんて書きつつ、昨日の言説は、未来志向の瞑想法を試してます、ってんだから、なんともかんとも。

だけどね、いや、ことほど左様に、人間ってのは、自由にして闊達、ってわけだ。

 

 

コメント
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