まわりで起こっていること

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黒川温泉に劣らない巴川の朝。

2017年06月27日 | Weblog



黒川温泉、山みずき。

現地でアップしようと下書きになっていた写真。

朝の外湯の姿なんだけど。

かたや、巴川の朝。

 

今年の夏は、わがベランダは、きゅうり。

雨の雫が、国東半島だったか、高千穂だったか、で見た蓮の葉で輝く、宝石のような。

あれ、思い出す。

同行の女史、僕よりちょっと年上で、今年初めて株主配当が出せた、という方だけど。

子どもの頃、里芋の茎と葉をとり、七夕だったか、の時に、その水滴で、墨をすり、願いを書く。

すると叶う、と母親なのか、祖母なのかに、教えられた逸話と一緒に、あの瞬間がよみがえる。

上の写真の朝、あたりを、野鳥のさえずりを聴きながらそぞろ歩きをしている時、これ。

一月も長逗留したら、俺、梶井基次郎にも川端康成にもなれそうだな、という思いの沸いたことも。

思い出す。

今、机の上に、耶馬渓羅漢寺畧縁起(やばけいらかんじりゃくえんぎ)、と書かれた紙が一枚。

当時は645年、孝徳天皇の大化元年にインドより法道仙人が渡来され。

地形が釈迦牟尼仏の聖跡、耆闍崛山(ぎしゃくつさん)を彷彿させるところに感じ。

久しく、この洞中に留まられました。

と書いてある。

インドからですよ、645年、というから、1400年くらい前の話か。

どうもね、高千穂峡の神社群の創起が、800年前後と比べて、こちら、国東の縁起は、もう少し早いんだよね。

そりゃ、インドから、何が悲しくて流れ着いたのか、と言ったら、失礼かも、だけど。

海に近い方が、なにかと、便も良かったわけだ。

全部でいくつくらいの寺社仏閣を経巡ったのか、その一つ一つから、否も応もなく、長い年月に渡る思いの丈を。

意識するとしないに関わらず、カラダの隅々まで染み込ませてきたわけだから。

そりゃ、目に見えない、気づきもしない、さまざまなもの、あるわけだ。

もっとも、旅というハレの時空からでなくても、さもない、日常の所作、できごとからだって。

同じように、さまざまなもの、受信してもいるはずで。

そこんとこ、テストに出るところ、だな。

さて、骨ストレッチ、始めるとしますか。

コメント
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