感情と名付けられた、ほんとは、なんて表現すればいいのか。
深奥から湧き上がるもの、エネルギー、気、命、とかかな。
長の旅から帰還して、久々に母親と夕餉を囲み。
誰それは、どこにいるのか、このところ、見かけないけど、と心配げに、わが子どもたちの名を。
といういつものパターンですが。
事細かに説明しても、結局、心配している、という感情が主で、そこへ戻っていく。
その表側の、事実の羅列は、あんまり、意味もなく。
彼女の中では、沸き起こってくる感情の収束、つまり、落とし所へ向かい、ある波が流れている。
そんな絵柄ですか。
こうしたことは、別に、要介護度がいくつ、とか、年齢が、とかに関わらずに、どこにでもありそうな。
感じもしているんだけどね。
旅の間中、平均歩行数、15000歩くらいで、さすがに、ちょっと筋肉痛が残っている。
旅の名残、ってやつでもあるか。
昨日は、かなり広い範囲で地震があったよね。
地震列島と言われるくらいだから、それも、さもありなん、ではあるけれど。
実際の揺れを体感すると、気持ち、それこそ、揺れる。
その昔は、地震を止めんがために、従五位下とか、いろいろな位階を授け、なんてこと、あったようだけど。
今でいえば、地震警報の発令か。
今朝は、久々に、神様のお使いと会話し、朝も明るくなったので、お掃除も気持ちがいいだろうな。
そうそう、昨日は、朝から、公民館のお掃除に出かけたんだった。
隣組の女衆に混じってのお掃除は、身の置き所を探すのに苦労しながら、だったけど。
あれはあれで、面白いな。
そうして、清潔な公民館があるんだよね、日曜日にお掃除があると、月曜日が、デイサービスだから助かる。
と班長のような方がおっしゃっていた。
そうだ、そのあと、投票に行ったら、立会人で、PTAの時に知り合ったご近所さんがいらっしゃって。
久しぶり、というので、朝、犬の散歩されている時、車で走り過ぎていて、自分なりにはお会いしてるんです。
に、声かけてよ、と。
現職の知事の相手の方は、親しくしていた方、たしか、妹が仲人をしていただいたんじゃなかったかな。
立教で、長嶋監督と一緒に野球をやっていた、という方の姪っ子さんになるのか。
なんだけど、どうやら、現職勝利で終わったのかな。
そんな感じで、日常が流れていくんだけど、どうも、今回の、ハレとしての旅、という言い方もある。
そんな旅のあとだけど、ハレとケの界が、不分明になっているのが、印象的だ。
四日間の中で、もう、半分が終わっちゃったね、今日で終わりだね、みたいなコメントが。
飛び交ってもいたけど、僕の中では、終わっていない、というのか。
もちろん、始まりの時、あの、なんともいえない、独特な気分、遠足の前のような。
あるいは、未知への路への畏れ、怖れのようなものも、あったけれど。
なぜか、今回は、ハレとケが混じり合った気分でもあるのです。
昨日、半分くらい、整理が終わり、残りの半分を書き込み、そうなれば、一筆書きの。
旅のありさまがわかりやすくなるはずで。
日々の暮らしの中に、落とし込んでいけそうなんだよね。
そもそも、人生そのものが、旅でもあるし、旅に終わりはないのです、たぶん、きっと。
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