まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

旅の終わりは旅の始まり

2016年06月04日 | Weblog

というわけで、三日間の旅が終わり。

同行の仲間は、日常へ帰って行った。

というのが、一応、表面的な佇まいではあるんだけど。

そう、白山を巡り、若狭、小浜の旅から帰ってきました。

旅は、非日常で、旅からの帰還は、日常への回帰、みたいな。

のが、デフォっぽくもあるんだけど、実のところ、旅も日常、日常も非日常。

という事なんだよね。

日常の中に顔を出す裂け目、ハレの瞬間、非日常の瞬間。

旅の非日常の中に顔を出す日常。

早い話が、いつでも日常、いつでも非日常、ってことでね。

なんてことを言いつつ、やはり、いつもと違う空間、時間というものは、刺激的ではあり。

そうだな、何から話そうかな、という具合に。

頭の中なのか、心の中なのか、カラダ全身なのか、沸き立つものがある。

行き先を決めて、そこについて、あれやこれやと、どんなところなんだ、と知ろうと努め。

いざ、現地へ赴き、ああ、そいういうことか、これで旅も終わりか、と。

なんだけど、そこから、再び、旅のおさらいが始まり。

それは、次のステップへも続き、言ってみれば、一粒で三度美味しい、という。

グリコのキャラメルのさらに上を行く、そんな心持ちで。

いや、三度が四度になり、とどまるところを知らない、とも言えるか。

昨日の朝は、小浜湾にて、朝日を浴びながら、骨ストレッチをしていたんだった。

今朝も、屋上で浴びてきたけど、これね、なかなか、パワフルだと思う。

小浜の朝日の後、八百比丘尼さんと会ってきたわけだ。

西暦の650年、厳密には、657年だったか、斉明天皇の御代。

小浜湾に打ち上げられた人魚を食べた16歳の女性が、ずっと、その若さを保ち、800歳まで生きた。

その間、各地を経巡り、布教に勤め、最後、小浜に戻り、洞の中で入定した。

という伝承が残っているそうで、その、洞のある空印寺というお寺まで、ひとり、歩いてきた。

その前に佇み、800年に思いを馳せ、1400年前にチューニングしたら、そこに。

かの比丘尼が現れたような、そんな瞬間を味わったのでした。

その洞窟は、風化が始まっているようで、中には入れなかったのだけど。

そこに、確実に存在する、伝承の人物とお友達になったような、そんな時間を過ごし。

歴史と伝承、とでも比較できるか、書かれたものが歴史だとすると、その土地土地に密かに。

語り継がれた物語、伝承にも、なんとも言えない、哀切極まりない感懐が浮かぶのは。

そりゃ、当たり前でね、ものみな、科学の子、なんて時代ではあるけど。

という事で、もっと言えば、日常の中にある、書ききれない物語の数々に、さらに。

心は注がれる、ってわけだ。

今回の旅を一言で表すと、哀切、かな。

あるいは、哀切と復興?、とも言えるか。

今までの土日が、平日で、今の土日は、お正月みたい、という人出のお伊勢さんとは。

真逆の、とは言い過ぎかも、だけど、白山信仰かな。

つまり、昔は、大勢の人が列島各地からやってきたよね、なのに今は、というね。

わが事務所界隈、清水銀座も昔は、人々が蝟集し、なのに今は、というのと似ていなくもないけれど。

伊勢神宮一極集中になってしまったのも、明治の御維新で、廃仏毀釈がなされ、という引かれ者の小唄。

的な。

そんなメンタリティが、そこかしこから聞こえてきて、ということから、哀切、というワードにつながり。

しかし、復興、というのか、復活、というのか、新生、再生、生き直し、というのか。

そんなところに、繋がるのかどうなのか。

ということのヒントが、若狭神宮寺のご住職のお話の中に潜んでいた、んだけど。

これだけ書いても、わからないよね。

小浜湾から外海に向かうと、右手に蘇洞門(そとも)という風光明媚な景観があるんだけど、その左手には。

大島半島、その突端に、日常から隠されているようにそびえ立つ原子力発電所。

あの非日常性は、何かの皮肉のようだった。

その大島には、ニソの杜と呼ばれる、とても古い鎮守の、祖先を祀る原生地があるんだよね。

くだんの若狭神宮寺のご住職の、はめて・はめられ、という表現に、「歴史に翻弄された」地で、生きていくことの。

なんたるか、が、込められていて、さらに、世の常識、わが身の外側への、幸せの希求。

ではなく、内部へ、深く深く潜行し、わが身のなんたるかを感得することが、と続くんだけど。

と書きながら、これじゃ、伝わんないよね、という気分を持ちつつ、本日のブログ、終了します。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする