というわけで、三日間の旅が終わり。
同行の仲間は、日常へ帰って行った。
というのが、一応、表面的な佇まいではあるんだけど。
そう、白山を巡り、若狭、小浜の旅から帰ってきました。
旅は、非日常で、旅からの帰還は、日常への回帰、みたいな。
のが、デフォっぽくもあるんだけど、実のところ、旅も日常、日常も非日常。
という事なんだよね。
日常の中に顔を出す裂け目、ハレの瞬間、非日常の瞬間。
旅の非日常の中に顔を出す日常。
早い話が、いつでも日常、いつでも非日常、ってことでね。
なんてことを言いつつ、やはり、いつもと違う空間、時間というものは、刺激的ではあり。
そうだな、何から話そうかな、という具合に。
頭の中なのか、心の中なのか、カラダ全身なのか、沸き立つものがある。
行き先を決めて、そこについて、あれやこれやと、どんなところなんだ、と知ろうと努め。
いざ、現地へ赴き、ああ、そいういうことか、これで旅も終わりか、と。
なんだけど、そこから、再び、旅のおさらいが始まり。
それは、次のステップへも続き、言ってみれば、一粒で三度美味しい、という。
グリコのキャラメルのさらに上を行く、そんな心持ちで。
いや、三度が四度になり、とどまるところを知らない、とも言えるか。
昨日の朝は、小浜湾にて、朝日を浴びながら、骨ストレッチをしていたんだった。
今朝も、屋上で浴びてきたけど、これね、なかなか、パワフルだと思う。
小浜の朝日の後、八百比丘尼さんと会ってきたわけだ。
西暦の650年、厳密には、657年だったか、斉明天皇の御代。
小浜湾に打ち上げられた人魚を食べた16歳の女性が、ずっと、その若さを保ち、800歳まで生きた。
その間、各地を経巡り、布教に勤め、最後、小浜に戻り、洞の中で入定した。
という伝承が残っているそうで、その、洞のある空印寺というお寺まで、ひとり、歩いてきた。
その前に佇み、800年に思いを馳せ、1400年前にチューニングしたら、そこに。
かの比丘尼が現れたような、そんな瞬間を味わったのでした。
その洞窟は、風化が始まっているようで、中には入れなかったのだけど。
そこに、確実に存在する、伝承の人物とお友達になったような、そんな時間を過ごし。
歴史と伝承、とでも比較できるか、書かれたものが歴史だとすると、その土地土地に密かに。
語り継がれた物語、伝承にも、なんとも言えない、哀切極まりない感懐が浮かぶのは。
そりゃ、当たり前でね、ものみな、科学の子、なんて時代ではあるけど。
という事で、もっと言えば、日常の中にある、書ききれない物語の数々に、さらに。
心は注がれる、ってわけだ。
今回の旅を一言で表すと、哀切、かな。
あるいは、哀切と復興?、とも言えるか。
今までの土日が、平日で、今の土日は、お正月みたい、という人出のお伊勢さんとは。
真逆の、とは言い過ぎかも、だけど、白山信仰かな。
つまり、昔は、大勢の人が列島各地からやってきたよね、なのに今は、というね。
わが事務所界隈、清水銀座も昔は、人々が蝟集し、なのに今は、というのと似ていなくもないけれど。
伊勢神宮一極集中になってしまったのも、明治の御維新で、廃仏毀釈がなされ、という引かれ者の小唄。
的な。
そんなメンタリティが、そこかしこから聞こえてきて、ということから、哀切、というワードにつながり。
しかし、復興、というのか、復活、というのか、新生、再生、生き直し、というのか。
そんなところに、繋がるのかどうなのか。
ということのヒントが、若狭神宮寺のご住職のお話の中に潜んでいた、んだけど。
これだけ書いても、わからないよね。
小浜湾から外海に向かうと、右手に蘇洞門(そとも)という風光明媚な景観があるんだけど、その左手には。
大島半島、その突端に、日常から隠されているようにそびえ立つ原子力発電所。
あの非日常性は、何かの皮肉のようだった。
その大島には、ニソの杜と呼ばれる、とても古い鎮守の、祖先を祀る原生地があるんだよね。
くだんの若狭神宮寺のご住職の、はめて・はめられ、という表現に、「歴史に翻弄された」地で、生きていくことの。
なんたるか、が、込められていて、さらに、世の常識、わが身の外側への、幸せの希求。
ではなく、内部へ、深く深く潜行し、わが身のなんたるかを感得することが、と続くんだけど。
と書きながら、これじゃ、伝わんないよね、という気分を持ちつつ、本日のブログ、終了します。