まわりで起こっていること

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雨に流される巴川も素敵だ

2016年06月23日 | Weblog

ふと、表題に迷って、窓の外を眺める。

そこには、巴川が流れている。

川を表現するのに、流れている、なんとか川、ってのは、ベタな慣用句みたいなんだけど。

わが巴川は、この時間、雨でないと、流れていない、というね。

時には、満潮に棹さして、上流に流れていく、んだから。

その昔、祖母の話か、曽祖母の話か、瓦屋のなんとかさんが、船で瓦なのか、なんだったのか。

を、運んだ、という情景が浮かんでくる。

ほぼ、フラットに近い川だから、満潮を利用して瓦を取りに上流へ、干潮時には。

その荷を清水湊まで、みたいなこと、あったかも、だな。

小さな試み、創意工夫、より効率的に、という成功体験の集積として、もしかしたら。

原子力発電所にまで至るような、大きなものも出来上がり、というようなことも。

なんだか、妄想できちゃいそうだ。

ことほどさように、人間て奴は、進取の気性に富む生き物で、つまり、未知への旅をいつだって。

してきたわけで。

未知への旅に、大きいも小さいもなく。

そこかしこに散在する、生命の発露、とでもいいましょうか。

資本主義が隆盛、猖獗を極め、そろそろ、終焉も、と囁かれる時代にあっては、モノの。

創意工夫が、どうしても優先されがちの、そんな価値観が、むしろ、人々の間には蔓延しているようにも。

見えがちなんだけど、その実、モノに限らず、コトとか、あるいは、個々人の内面への旅も。

静かかも、だけど、始まってもいて。

まるで、どこぞの新興宗教のキャッチ、みたいな、インナーへの旅、もね。

モノもコトもココロも、実のところ、そう、変わらないものではあり、むしろ、ココロが先で。

コトやモノは、後出しじゃんけんみたいなものとも言えて。

そうだ、わが骨ストレッチも、インナーへの働きかけ、インナーマッスルを緩める、というウタイだからね。

世は、インナー時代、とでもいいましょうか。

未知への旅、ということでは、わが母親が、毎朝、9時には、お迎えが来て、デイサービスへ出かける。

通常は、一時間くらいかけての朝食なんだけど、妻が、8時40分頃、かくかくしかじか、と伝えると。

ちゃっちゃと、1分くらいで、食事を終わらせ、着替えもして、さて、まだ、来ないのかね、遅いね。

とくる、らしい。

この40分頃の告知、というのか、くだんの創意工夫の賜物で。

8時の告知だと、お迎えの女性の来るまでの1時間は、まだかね、まだかね、どうしたんだか、ああしたんだか。

のオンパレードで、ということらしく、微妙は告知時間の変遷は。

未知への旅の集積、とも言えて、たくさんの未知への旅による、解が、40分の告知、というわけだ。

なんてことは、そこかしこにあるんだろうね。

あえて、上記、原子力発電所という記号を出したのも、創意工夫の結果の良し悪しは。

いちいち、未知の旅では、問われない、という法則があって。

つまり、結果主導の出来事ではない、ってのが、未知への旅の、これまた、魅力でもあるんだよね。

結果を恐れて、身構えながら話す、なんて、ああ、臆病、なんだよね、って、吉田拓郎も歌っていた。

もちろん、未知への旅の道中に、さまざまな彩色もなされるんだけど、それはそれ、何色だね、なんてのは。

暇人、というのか、昔の貴族のような、あるいは、なんだろう、とにかく、チャレンジしていないココロ。

のなせる技でもあり、というデキで。

雨も上がりそうな気配もあり、いや、また、降ってきたな。

当分、わが巴川は、暮らしのエネルギーの、ネガもポジも共に、大海へと流し去ろうという風情だ。

さて、今日は、安全パトロール、濡れて参ろう、ですか。

 

 

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