庭を歩いていると。
ふと、隣におかあさんがいたんだよ。
というのは、わが母親です。
おかあさん、というのは、わが祖母の「おすえさん」になるわけだ。
たまに、母親が、祖母の気配がする、と言う。
たしかに、そこには、おすえさんがいたんだね。
んな馬鹿な、というのも一つだし。
ぼけたのね、というのも一つだし。
母親的には、まもってくれているんだね、となる。
ぼくが、とりたてて、親に冷淡、ということではないけれど。
昭和一桁世代って、おじおば会の車中で聞いていても。
親に対する思いは、深いものがあるんだね。
兄弟姉妹がそろうからそうなるのか、祖母祖父、曾祖母の話題になることが多いんだね。
もちろん、最上の敬意をもっての会話だけど。
そうそう、冒頭の祖母の気配ね。
あれは、ありだろうな。
リアルにそう感じたんだと思うしね。
この間、SNSの評論家なのか学者なのか、の方が、通常は、150人くらいが限度です。
みたいな話をしていた。
ぼくのFacebookのお友達が、ちょうど、そのくらいかな、少し少ないかな、くらいで。
といっても、最近、ほとんど、サイトに行かなくなっていますが。
それはともかく、「火水の伝え文」だったか、そういう本がありまして。
「日月神示」とか、そういう類いのやつなんだけど。
火というのは、どーんと地から天へ伸びていくイメージですね。
水というのは、たらーっと、地面をどこまでも流れ広がるイメージなんですが。
火と水のバランス、というのか、広がりと中心がね、うまい具合にバランスしてないと。
人間は、うすまったものを、追いかけ続ける、くらいの話です。
と言っても、わけわからないかも、ですが。
友達たくさんいます、と言っても、そこに、隠れた利害感情なんてのがあったりするとね。
てらいやらおそれやらの増幅に一役、かっちまうだけで、という絵柄でしょうか。
なんてことは、どうでもいいことですが、母親の母親の気配です。
今朝も、階下から聞こえてきますが、仏壇の前でね。
毎朝、ご先祖様にお経をあげているわけだ。
そりゃ、ご先祖様が、とても身近な存在になってきますね。
庭を歩いていて、母親の気配が、ってのも、うなづけます。
ふと、隣におかあさんがいたんだよ。
というのは、わが母親です。
おかあさん、というのは、わが祖母の「おすえさん」になるわけだ。
たまに、母親が、祖母の気配がする、と言う。
たしかに、そこには、おすえさんがいたんだね。
んな馬鹿な、というのも一つだし。
ぼけたのね、というのも一つだし。
母親的には、まもってくれているんだね、となる。
ぼくが、とりたてて、親に冷淡、ということではないけれど。
昭和一桁世代って、おじおば会の車中で聞いていても。
親に対する思いは、深いものがあるんだね。
兄弟姉妹がそろうからそうなるのか、祖母祖父、曾祖母の話題になることが多いんだね。
もちろん、最上の敬意をもっての会話だけど。
そうそう、冒頭の祖母の気配ね。
あれは、ありだろうな。
リアルにそう感じたんだと思うしね。
この間、SNSの評論家なのか学者なのか、の方が、通常は、150人くらいが限度です。
みたいな話をしていた。
ぼくのFacebookのお友達が、ちょうど、そのくらいかな、少し少ないかな、くらいで。
といっても、最近、ほとんど、サイトに行かなくなっていますが。
それはともかく、「火水の伝え文」だったか、そういう本がありまして。
「日月神示」とか、そういう類いのやつなんだけど。
火というのは、どーんと地から天へ伸びていくイメージですね。
水というのは、たらーっと、地面をどこまでも流れ広がるイメージなんですが。
火と水のバランス、というのか、広がりと中心がね、うまい具合にバランスしてないと。
人間は、うすまったものを、追いかけ続ける、くらいの話です。
と言っても、わけわからないかも、ですが。
友達たくさんいます、と言っても、そこに、隠れた利害感情なんてのがあったりするとね。
てらいやらおそれやらの増幅に一役、かっちまうだけで、という絵柄でしょうか。
なんてことは、どうでもいいことですが、母親の母親の気配です。
今朝も、階下から聞こえてきますが、仏壇の前でね。
毎朝、ご先祖様にお経をあげているわけだ。
そりゃ、ご先祖様が、とても身近な存在になってきますね。
庭を歩いていて、母親の気配が、ってのも、うなづけます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます