まわりで起こっていること

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母親の姿

2012年10月24日 | Weblog
庭を歩いていると。

ふと、隣におかあさんがいたんだよ。

というのは、わが母親です。

おかあさん、というのは、わが祖母の「おすえさん」になるわけだ。

たまに、母親が、祖母の気配がする、と言う。

たしかに、そこには、おすえさんがいたんだね。

んな馬鹿な、というのも一つだし。

ぼけたのね、というのも一つだし。

母親的には、まもってくれているんだね、となる。

ぼくが、とりたてて、親に冷淡、ということではないけれど。

昭和一桁世代って、おじおば会の車中で聞いていても。

親に対する思いは、深いものがあるんだね。

兄弟姉妹がそろうからそうなるのか、祖母祖父、曾祖母の話題になることが多いんだね。

もちろん、最上の敬意をもっての会話だけど。

そうそう、冒頭の祖母の気配ね。

あれは、ありだろうな。

リアルにそう感じたんだと思うしね。

この間、SNSの評論家なのか学者なのか、の方が、通常は、150人くらいが限度です。

みたいな話をしていた。

ぼくのFacebookのお友達が、ちょうど、そのくらいかな、少し少ないかな、くらいで。

といっても、最近、ほとんど、サイトに行かなくなっていますが。

それはともかく、「火水の伝え文」だったか、そういう本がありまして。

「日月神示」とか、そういう類いのやつなんだけど。

火というのは、どーんと地から天へ伸びていくイメージですね。

水というのは、たらーっと、地面をどこまでも流れ広がるイメージなんですが。

火と水のバランス、というのか、広がりと中心がね、うまい具合にバランスしてないと。

人間は、うすまったものを、追いかけ続ける、くらいの話です。

と言っても、わけわからないかも、ですが。

友達たくさんいます、と言っても、そこに、隠れた利害感情なんてのがあったりするとね。

てらいやらおそれやらの増幅に一役、かっちまうだけで、という絵柄でしょうか。

なんてことは、どうでもいいことですが、母親の母親の気配です。

今朝も、階下から聞こえてきますが、仏壇の前でね。

毎朝、ご先祖様にお経をあげているわけだ。

そりゃ、ご先祖様が、とても身近な存在になってきますね。

庭を歩いていて、母親の気配が、ってのも、うなづけます。

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