Apple ID恐るべし、だな。
かつ、Appleという会社のセキュリティーへの執念とでも言えるか。
ハッキング、盗難への対策だな。
なんだけど、当の本人は、なかなか厄介でもあり。
すべてが、例えば、iCloudで繋がっているので、ファイルの保管なんかも、一元管理できる。
なんて気分で、ウキウキしていたら、その大元のIDが損傷すると、僕個人はこの世に存在していないことになる。
さっきまで使っていたあれもこれも、おいおい、お前、どこのどいつだ、ってなもんだな。
勉強になりました、というか、勉強しつつある、って感じで。
iPadもiMacも、もう一度、購入証明書、ってのを用意して、はい、確かにあなたが購入したものですね。
という確認をとった後、旧のIDを消去、この世には存在しません、としてからの。
新のIDを作り直し、はい、新一年生として始めましょうね、ってわけだ。
ま、知らぬ間に、断捨離どころか、肝心要のものまで消滅し、って具合だよ。
ある意味、生き直し、なんて括りもできるかも。
どうせなら、Apple Watch生活もやめちまうか、とかね。
電車もバスもコンビニも、これ一つで、ピッピとスマートに、だったんだけど、はてさてどうなりますやら。
昨日は、ずっとiphoneの復旧にかかりきりで、疲れたな、久々に。
なにせ、AppleのIDに紐づいていたクレジットカードも使えなくなってるし、ね。
今朝も、日に新たに日々に新たにまた日に新たなり、と唱えながらの洗面をしたけれど、そんな感じか。
仕切り直し、もう一度、新たに、つまり、新生活、新一年生、だ。
どんな具合に近未来を描くかな。
さまざまな書類をすべて、iPadのgood noteというアプリに格納していたからね。
ディアスポラとかユダヤの放浪の民とか、そんな気分、わかるような気もするな。
どこでID、つまり、自己同一性を担保するのか、とね。
その大元、根っこのところでの不安感、焦燥感などなどを日常的に味わっている人士からしたら。
逆に、アイデンティティなんてのを考えもせず、気にもせずに、日々を暮らしてきた人々は、同じ人類?ってなもんで。
ここ、こうしたら、こうなっちゃいますよ、みたいな操作、操縦、操り、なんてのは、お茶のこさいさいなのかも。
それが金融系、統治系で行われているとしたら、ってなもんだな。
さて、そんなこんなの今日に出かけるとします。