まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

風邪をひいたのは瞑想したから

2012年11月29日 | Weblog
なんて書くと、瞑想が悪いみたいだけど。

何週間か前の、「39.8度の熱」ですが。

あれ、野口晴哉(のぐちはるちか)さんの「風邪の効用」のでんで。

からだをゆるめた、という意味では、よかったわけです。

瞑想は、ある意味、自分自身とからだの、言葉をつかわない会話でもあるし。

あるいは、意識だけになる、という意味では、からだとのわかれ、みたいなところもあって。

6月1日からはじまったのですが。

一番最初の気づきは、前にも書いたかもしれませんが、鏡の前の自分の顔です。

それまでは、鏡をみると、なんだか、照れくさいような違和感、あったのですが。

今は、違和感なしで、まんまの顔を見ている、という感じ。

これ、はじめは、なんてことないと思っていたんだけど。

けっこう、自分にとって、重要なことだな、と思い始めているのです。

照れ、とか、変な顔だな、とかの印象って、よくよく考えると、自分の裁定者がもう1人いるんだね。

検閲官というのか、ま、見張りですね。

自分を見張る自分、というのか。

それがやっかいなシロモノで。

その見張り番が、世間の声だったり、他人様の悪口や褒め言葉を聞いてくるわけだ。

その彼が、良い子を演じさせたり、聖人君子を気取ったり、そんなことを、煽り立てるんだね。

あるときには、わるぶったり、つよがったり、という。

いずれにしても、この世にもあの世にも、どこにも存在しない、妄想を、もやのようなものを。

常に、うしろのほうであやつりね。

ま、始末がわるいんだけど。

そんな見張り番が、あるときから、姿を消して。

ぼくはぼくになった、とでもいいましょうか。

これ、野口さんにならって言えば、「瞑想の効用」です。

夕べ、次男坊が、とうさん、あれ、どうだった?

と訊いてきたので。

マイケルハマーのシンセサイザーや智子さんの歌声、ボブの存在感など、少し、話したんだけど。

もうちょっと、まって、なかなか、言葉では伝わらないので。

と伝えると、やっぱり、体験しないとね、と言うから。

実は、12月の23日に、比叡山で、またあるから、そのとき、一緒に行くか。

となった。

世に言う、アセンションの時だね、例の、マヤの暦はそこで終わってます。

ってのが、冬至の日だから、12月21日?22日?くらいだよね。

ま、そんなわけなので、次男坊に伝えるためにも、自分の整理のためにも。

しばらく、このブログで、瞑想について、書こうかな。

という次第で、興味のない方は、どうか、スルーをしてくださいね。



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