午後四時に、初稿へ加筆をしてあります。
副題1、『いつも同じ話題だと、お考えの向きもあろうかと、存じます。それで、突然ですが、語りたい事ではなくて、読者の方の、耳目を引くだろう話題を、短く語ります』
総タイトルに書いたことは、珠洲市を襲った、局所的震度6の、大きな地震に連れて、海外へ、出かけまくっている閣僚たちへの天からの、叱責ではないかと、考えたり・・・・・まあ、ひとが住んでいない地域が多かったらしくて、亡くなった方が一人だとか? ・・・・・でも、震度としては、大きかった模様です。
でね。当然のごとく、関東大震災を思い出しました。
逗子に、有名な料亭、日陰茶屋があります。そこに、逗留をしていた(まさか料亭の、関係者の親戚だったというわけでもないでしょうが)、大杉栄と、伊藤野枝が、殺されました。しかし、高い価格の場所に長逗留をしていたのは、秘密にされているが、日蔭茶屋の、誰かの関係者だったかもしれません。経営者ではなくても、従業員でも、いいのです。そのころは、日蔭茶屋が、すいていて、誰でも、賑わいにいてほしいと、思っていたかもしれないし。
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副題2、『その事件に入る前に、葉山について、すこし、語らせてくださいませ』
葉山というのは、三浦半島の西側の海岸添いに、広がる街で、海べりの小さな平野から、すぐ丘になっていて、低層地としての丘が、住宅街になっています。丘だから海へ向かって段差が付く住宅街で、相模湾を見下ろす形となり、景色の良い街として、有名であり、天皇ご一家が、夏など、ご静養をなさる、御用邸もあります。
その上、有名人が住んでいる一帯としても有名です。有名人というか、富裕層と、言うべきか? ともかく、サラリーマンにしても、部課長以上であろうと、みなすそういう階層が住んでいる一帯で、かつ、サラリーマンではない自由業の人にとっては、葉山が、東京へは、時間がかかるとしても、横横(高速)に乗るか、逗子・始発の、電車(横須賀線や、湘南新宿ライン)のグリーン車で、東京へ出ればなんという事もないと言う事で、葉山に住んでいる人は、多いのです。噂で聞きましたが、ガレリアグラフィカのオーナー栗田玲子さんが葉山の住民だとか、古い人では、山口ほうしゅんが、有名で、邸宅跡はJRが、記念美術館としています。
浜辺では、ヨット係留地があるので、北原照久さんが、移り住んだと言う事が有名です。昔は、石原一族も住んでいたでしょう。今は、知りません。
それが、海岸べりの住宅街であろうと思いますが、より買いやすい住宅街として、丘の上に、イトーピアという住宅街があります。一般的な、住宅街より、1000万円ぐらい高いのでした。その金額ですが、50年以上前の金額ですから、今にしてみれば、2000万円を超える差だと、言えましょう。ただし最近の流行が、都心回帰なので、ここの中古物件が、いまだに、高いか、そうでもないかは、私は知りません。ここには、ブログに書くべきテーマが一杯あります。が、本日は、それには触れないでおきます。
逗子・葉山の解説に戻れば、イトーピアに似た形の住宅街が、丘の上(元山林)にいくつもできました。そちらからは、海は見えないのですが、ともかく、坪数が、大きいです。
その中で、ひと区画が、300坪ぐらいで(多分そうですよ。買ったわけではないので、詳細は知らないが)「塀を作ってはいけないと、言う決まりの在る住宅街が出来ました。日本のビバリーヒルズと言われて、小田和正が、住んでいる事、一時期松嶋菜々子一家が住んでいたことなどで、有名な披露山・住宅街があります。
ともかく、富裕層が住んでいる事で、実質的なブランド住宅街である、逗子・葉山には、やんごとなき、方の御邸宅も御用邸以外にもあったのです。それが、葉山の美術館になったのでした。
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副題3、『大杉栄と、伊藤野枝を殺したのは、甘粕大尉ではないと、言う噂を目にした。わざとコピペしなかったので、情報源は定かではない。今では、覚えていない。しかし、私は、それが、正しいと、思っている』
特に真実の実行者云々はさておいて、甘粕大尉は、その身分の高い方の身代わりだったとする説には、賛成です。
甘粕大尉が、大杉栄と、伊藤野枝を関東大震災の、騒動に、のっかって、殺したと仮定すると、満映理事長に、就任したのが、ありえない立場となります。
その席は、満鉄社員にとっては、満鉄総裁と、同等だったと、考えられていました。それは、映画を通じて、中国人を慰撫し、教育し、洗脳しようとする立場なので、日本における、特に戦後における映画会社よりも、数段高い位置に存在した、立場でした。
だけど、大杉栄が、思想犯だからと言っても、それを殺したという過去を、もつ人物=甘粕大尉===を映画という大勢の人が、集合して作る作品の関係者としての、他者が、敬うでしょうか?
満州映画理事長というのは、李香蘭(実名は、山口淑子)を、自由自在に動かした人です。そのためには、彼女に尊敬されないといけないでしょう。李香蘭(実名・山口淑子)の、自伝を読むと、非常におびえています。戦後、数十年を経てもおびえていました。「書く事が出来ない部分がいっぱいある」とも言っています。
何らかの形で、殺されることを、推察して、おびえていたのです。誰が、殺す? 戦後日本は平和国家の筈です。でも、国鉄総裁だって、暗殺されるのですよ。山口淑子がおびえたのも無理はないと思います。そのうえ、甘粕大尉が、ある人物の身代わりだったと、言う真実をもし、彼女が知っていたら、それが、戦後も伏せられていることを見て、とても、大きな恐怖を抱いたと思います。中国からくる刺客にも覚えたが、戦後の日本が、決して、自由な国ではないと、わかっていたから、おびえていたのでしょう。甘粕大尉に関する、真実を暴露する可能性があると、推察されたら、日本の、ある部分から狙われますからね。
甘粕大尉本人に戻ります。ご本人自身が、満映の中で、安心する心理状態だっただろうか? 甘粕大尉は、終戦とともに自決をしました。自分が、中国支配の道具としての、映画を、大量に作ったことの、中国人からの、報復を恐れたかもしれないが、『もう、ここで、いいのだ。私の人生も』と、本人が、思った可能性を私は感じています。
というのも、大杉栄殺しの、犯人役を引き受けると言う事が、人生の中で、非常に大きなことであり、それに、次ぐ、大きなこととしての、日本の敗戦と、戦犯として裁かれるはずの、自分のこれからを思ったときに、
『もう、いいのだ。この人生を、終わりにしよう。自分で』と、彼(甘粕大尉)が、考えた可能性を感じます。
とても頭の良い人だし、いろいろ、よく考えている人物だとも、思います。だから、自決をしたのでしょう。
で、私が思うに、誰か、甘粕大尉に、非常に近い人、・・・・・例えば、氏が大尉時代に、中尉とか、少尉とか言う立場だった人が、戦後、ふとという形で、他の人に真実を漏らしたのではないかと、思っています。
もし、甘粕大尉が、本当に大杉栄と伊藤野枝を殺したのだったら、彼ら、部下は随行して、同じ現場で、二人目の被害者である伊藤野枝を殺すのを手伝った可能性があるります。
しかし、事件は、甘粕大尉のみの、犯罪として裁かれている筈で、部下への責め苦は、無いはずです。それに、甘粕大尉が、当時、どこの部隊に所属をしていて、どういう経路を通って、葉山の日陰茶屋まで行ったかも、語られていません。
不思議なことです。戦後史の中で、これは、左翼が、追及してもいい話でしょうに、だれも、追及をしていないです。
で、結論を言いましょう。誰が、本当の殺害者かは、私も、その個人名を、言う気はないです。ただ、葉山に住んでいた、上流階級の人らしい・・・・・とだけ、言っておきましょう。または、葉山に住んでいなくても、葉山の地の利に、通じていた、人物であったことは確からしいのです。
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今、どうして、こういう古い話を持ち出したかと言うと、現在でも、警察の発表する事案には、嘘が一杯あり、そのことに怒っているからです。また、すぐ丸め込まれる、国民全般に対しても、怒っています。それらの嘘に気が付いている私は、戦後・・・・・そうだ。敗戦という大ごとを、経験して居ながらも、決して、・・・・・自由と、民主主義が、徹底されてはいない、この日本という国の、現在を思うからです。
戦後日本について、今、私が、どういう風に考えているかは、言わないで、置きます。余白と自分自身の自由を残しておきたいからです。
そのほかにも嘘がいっぱいあって、NHKが、報道する事、または、大手メディアが、報道することには、嘘がいっぱいあるので、この話を出した。
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