今日は少しずつ開示します。で、完成は明日以降になる見込みです。恐れ入ります。
副題1、『このシリーズの1と、2のまとめ』
この総タイトルをご覧になると、「ふん、花の話か 僕、園芸など、やっている暇がないので、興味がない」と、おっしゃる方があるやもしれずと、思います。しかし、ちがうんですよ。政治の話です。しかも、どうも、最大級の政治的課題かもしれないのです。
私の周辺に起きること、特に弾圧していって、殺してしまおうとされている仕組みは、すべて、秘密裡に行われ、なかなか、真相が見えてきません。それで、常に、ミステリーを解くという形になります。その、最初のとっかかりは、ちょっとした違和感です。
私の家の斜め後ろに、知る人ぞ知る、有名人【岸田淳平(ただし、これは、ペンネームであり、雪ノ下では、違う名前=本名で、暮らしている人物)の家があります。そこの奥様は、1980年代には、大変活発に動いていた人で、一日に山を三回降りて、三回上がってくると、言うほど活躍していたと、噂で、聞いています。山というのは、鶴岡八幡宮のすぐ西側の丘で、下からは、岸田邸で、130段ほど、石段を上がらないとたどり着けない家です。
それは、お子様が、三人いて、ふたり、または、三人で、すべての担任に対して受けが良くて、PTA活動をしていたので、そうなるのだろうと、私は、推察していました。年齢によって小学校と、中学校をまたにかけて、両方で、PTA役員をしていたと、推察しています。
1960年代から、その流れは、日本国内で、始まっていたのですが、子供が二人よりも、三人いる家の方が、富裕だと、言う感覚がありました。新興住宅街が、にょきにょきとできて、そういうところに新しく引っ越してきた人々は、そこで、新たに階級形成をするので、そこで、闘争が起きます。まず、富裕度での、比較が始まるので、お子さんが三人いる家は、一目を置かれていたものです。『ほかの家よりも、一段上だなあ』と、自他ともに認められていたでしょう。
わがご近所の安野智紗夫人という女性は、その種の階級闘争に勝つために、毎日午後、自宅前で、井戸端会議を開いていて、情報収集をしていました。その結果、我が家の土地が盗まれたのです。それもとっても恐ろしいことだが、ほとんど反省をしていません。
子供の数のことに戻ります。最近では、三人など、珍しくて、『一人でも生み育てる自信がないなあ。猫で、我慢をしておくか』などと、考えているお宅が多いように思います。それは、日本が、被・植民地国家として、この戦後、77年のうちに、どれほど、海外の超富豪たちに、富を吸い取られ、国民全体が、疲弊しきってしまった事実の証明に当たるので、私は、悲しいことだと思っています。
私は、猫は大好きですが、猫を飼うのは、子供の為と、言う風にしたいものだと、思っています。
岸田淳平家では、お子様も三人いるし、そのお子様は、海外留学をさせるし(短期ではない)奥様は、大活躍だし、で、やはり、人々が、注目をするので、奥様と同年齢の別の奥様が、みんなの代表としてでも、質問でもしたのでしょうね。その結果何かで、大ヒットを出して、30年以上前に、7000万円(今でいうと、3~5億ではないかなあ?)の一時金が入ったという、答えを岸田夫人から得たそうです。
そのお金を使って、岸田淳平家は、リフォームを始めました。そのリフォームは、私が引っ越してきてから、目の前で行われました。しかし、その家は、我が家から駅へ向かう道の反対側にあるので、私は、ほとんど関心がなくて、リフォームそのものも、その家の、古い外観も、全く覚えていないのですが、茶色い色のお宅だったのではないかしら。
この茶色というのが、2020年に、大きな大きな政治的意味を持つので、少し茶色にこだわらさせてくださいませ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題2、『今一戸建て住宅が集積している分譲地内を歩くと、白い家が多い。しかし、1950年代から、1960年代にかけて、建築された家は、ほとんどの外観が茶色かった』
この山には、私が、引っ越してきてから、まだ、リフォーム前の、茶色のお宅が、8軒はあったのです。茶色というのは、昔は、木の腐敗を防ぐために、水性の、ヨード系の、塗料(ステイン)というのを、塗ったので、茶色く見えるのでした。それは、粘度が薄いので、木の中にしみこんでいき、素早く乾きます。しかし、強烈なにおいを発します。
最近は、においを避けるためか、ステインを使いません。ステインは、仕上がりが、マット(艶消し)に仕上がります。そして劣化後の姿がきれいです。ペンキは劣化後が、汚いです。油が固化し、劣化した部分がバリバリと剥がれたりします。で、日本人は、あまり、ペンキを好みません。で、ステイン全盛の時代があったのです。
しかし、私が、この雪の下に2丁目の山に引っ越してきたころ、平地では、すでに、ラス張りという、砂礫を混ぜた壁を塗る形の、外壁が、防火性能も高いということで、一般的でした。私の北久里浜の家だって、1974年完成でしたが、外見は白いラス張りであり、日吉の実家も、1950年代のリフォームですでにベージュ色のラス張りでした。が、ここは、材料の運搬が大変なところなので、木製の壁にステイン塗装と、言う運ぶのに楽な素材の家が多かったのです。横羽目用の材木は主に杉で、軽かったのだと、思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題2、『この山には、公金が、全体で、数千万円規模で、私をいじめるために降りている。そのもっとも、目立つ形が、2020年の初夏から秋にかけて、この山の五軒が、ペンキ塗り直しをしたり、屋根の補修をしたりしたのだが、全部、半額は、鎌倉市のお金だったと思う。特に安野家の屋根修理は、全額が、公金だったと推察している。すでに、それは一回書いている。(あとで、リンク先を見つけたいのですが、有名な、殺人事件とは関係がない項目なので、見つけられません。お許しくださいませ)
その際に、花輪家だけは真っ白なペンキを使っているので、半額だけの援助で、残りの半額は、彼女が支払ったと推察している。なぜかというと、夫婦二人共、都庁・勤務だったので、公務員としての、義務違反をしたくないと、言う感じがあるだろうし、それを見越して、半額だけと、業者、または、伊藤玄二郎の代理人として、この山に九十をしている人間からの提案があったのではないかと、私は、考えている。
しかし、それ以外で、茶色のペンキを塗った、平木家と前田(長男宅、旧中谷家)の、二つは、全額公費だったと、推察している。で何件もの、鎌倉市負担となるので、鎌倉市(特に松尾崇市長は、音を挙げて、安い費用で、仕上げてほしいと、業者側に言ったので、業者は、余ったペンキ=業者の家で、余っていたか、それとも問屋とか、製造元でなどの販売元で、余っていたのかはわからないが、)を使ったと、推察している。焦げ茶色は古い時代のステインを思い出させて人気がないのだと、思う。で、安く手に入るので、焦げ茶色が、使われている。
ここらあたりは、前田清子さんと、その夫の祝一氏、または、今カチドキにお住まいだと聞いているご長男とか、明治大学の教授になったか、なる過程なのかの、お嬢さんについて、シリーズを起こす可能性があり、その際に丁寧に書こうと思っている。今は、岸田淳平ご夫妻に、こだわりたい。
なぜなら、ジンジャー(花生姜)を中心とした、植木類が突然、バッサリと、全部伐採をされたのは、大きな政治的課題だと、推察しているので、そちらに、筆を向かわせる、覚悟があり、前田家や、安野家は後回しとなる。
以上が、2020年に行われた、100%私的な部分への公金授与の、ケースです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
一方、法律用語で、欺罔 というものがあります。これは、本当の目的を隠して、嘘の目的を、被害者へ、向けて、加害者が、宣言するもので、鎌倉市の放送が良く聴こえるように、と言って、安野家の日当たりが良くなる様に、鶴岡八幡宮と鎌倉市が、協力して、大量の樹木を伐採してあげたのなど、そのもっとも興著な例です。。
最初は、安野家の日当たりをよくするために、鶴岡八幡宮様が行った工事で(何年だったか、覚えていない)が、次に私を寝かせないということが目的の朝七時からの大轟音を発生させた富沢家の高枝切りという、大伐採が2016年の、9月26日から、27日にかけてあり、その次に、2019年の10月13日に、我が家の東北のがけを崩していこうとする、我が家と、鶴岡八幡宮の、共有のタブしいの、大伐採が、白井さん音頭で、渡辺賢司、石井秀樹、山田某、など、若手大集合で始まり、
そこに平木伸明さんが、いたかどうかが大問題だ。以上明記した、四人は確実にその場にいた。彼らの労働への謝礼金が、伊藤玄二郎から、白井達雄さん経由で、出たかどうかがわからない。もちろん、公金から出るのだけれど、多分出ていない。
ゲームとして、人の家を壊していく仕組みなのだ。遊びとして、または、娯楽として、他人の家を壊していく仕組みである。残酷な精神であること、そして、恐ろしい事限りがない。(これは、我が家に何の御断りも予告もなかったので、本当にひどい話です)
その音頭取りが、
松田・平田設計事務所の、横浜支店長に、して、重役である、白井達雄さんだから、本当に驚く。こんな不道徳なことを自宅付近、10m以内でやっていて、一方で、一億円平均のマンションを、470戸以上売るのだ。おっそろしい。
白井達雄さんとは、西隣に住んでいて、東大卒で柔和な紳士ではあるが、さらに、恐ろしいことを、2020年四月にもやってきている。
声を大にして言いたい。今、横浜駅西口から、ペデストリアンデッキで、信号など無視して、3分から5分で、到達できる、タワーマンションが、鶴屋町にできている。
69平米で、一億四千万円平均だって、THE YOKOHANA FRONT TOWER。それを設計している人物だ。また、ララ横浜とか、ルネ北久里浜(売り出し時の名前は、そらヒルズ)も、設計したと、私は、推察している。ミューザ川崎とかシェラトンホテルも、松田平田設計事務所担当だ。
松田平田設計事務所は、5年前は、もっと、駅に近い、相鉄・岩崎学園ビル内にあった。8階だったと記憶している。ところがいつの間にか移転をしていた。それを、これまた、偶然のこととして見つけたのだった。2022年10月現在は、第四安田ビル、八階にある。まあ、鶴屋町の大タワーに近いところへ移動をしたというべきか? テナント料の安いところへ移動をしたというべきか、それとも、私を恐れて隠れたというべきか?
まあ、いずれにしても、私は、神様に愛でられているということです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題3、『岸田淳平邸の、南の庭が、丸裸になったのは、だれがやったのだ? それが、ふと問題になってきて、・・・・・そして、推察(ただし、熟考でもある)の結果、・・・・2019年の、10月13日と同等のことが起きたのではないか?と、・・・・・言う、結論に今は、到達をしている。・・・・・そうなると、大問題であるし、大政治的問題へと発展もするのだった』
私は、どこかで、自分の住所を公開しています。番地まで、公開をしています。そして、ご近所に岸田淳平邸があると、言えば、岸田淳平邸がどうていされてしまいます。
しかし、私の被害が莫大です。そして、法律とは、損をしている人間が、それを回復させるものだというのが根幹のはずですから、岸田淳平邸の南の庭が、丸裸になっている写真を公開します。なお、この文章に気が付いて、こちらを、ご訪問をなさっても、岸田という表札はないし、岸田淳平氏は、重病人だから、決してベルを押さないで、ください。
岸田淳平という、知る人ぞ知る、特異で、かつ柔軟で、かつ、個性的な作風の、画家(画像検索で、作品がたくさん出てきます)は、二報前で、語っているエピソードですが、画廊香月のオーナーが、「岸田淳平は、銀座では、この10年間、行方不明なのよ」といった原因ですが、
氏が、*1)、アトリエを保持していて、仕事の話は、全てアトリエでやっていたが、そのアトリエを処分した可能性がある。・・・・・しかし、10年前から、2021年前までは、確実に毎日、朝から、夕方まで、外出をしていた人なので、アトリエは、買ったものだったら、いまだにキープされているはずだ。
だから、アトリエに届く大量のダイレクトメール(美術関係のもの、岸田淳平を尊敬しているから届くもの)を処理するのが、おっくうになったので、返信を出さなくなり、それが、行方不明といわれる原因の一つだと、推察しています。
ともかく、銀座の画廊街に向けて、それは、言いたいのですが、岸田淳平は、行方不明ではありません。私が1984年に、引っ越してきてから、38年間、変わらず、この雪の下の谷戸に住んでいる人です。
しかし、癌で、胃を全適したそうで、それ以降何年たっているかは知りませんが、最近では、大変弱っている存在です。だから、この庭の草木一掃は、彼がやったわけではありません。しかし、こちら側に木戸がなくて、北側から、西を通って、大回りをしないとは入れません。ということは、持ち主の岸田淳平ご本人の許可を得ないとできないことです。
しかも、岸田淳平ご本人は、秘密主義の部分もある人ですから、ここが、これほど、丸裸になることを好むはずもないのです。ということは・・・・・となっていき、数々の謎が発生します。
しかし、この謎は、相当大きいので、今は、答えをさらさず、ほかの方面へ伸びていきたいと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題4、『岸田淳平邸が、リフォーム後、北側に余地を多くとり、南側へ拡幅をして、南側の庭を狭くしたのを、見て、私は内心で、ニヤニヤしてしまった。あの人は、賢い、この山の住民の性格と、生活様式をよく知っていると思って』
私が猫のことで、大迷惑行為を、石川和子さんから被ったには、さびちゃんという猫についてでした。
さびちゃんは写真を撮られるときに構えてしまうし、警戒するので、かわいさが表現されていませんが、本当に愛嬌たっぷりで、頭の良い猫でした。石川和子さんとは、大トラブルになったのも、この子が、頭の良さという意味で、特別な猫だったからです。彼女は、欲しがっていたし、自分の方を好きであると、勘違いしていたのでした。でも、ぎりぎりの選択として、猫自身が私を選んだので、彼女は、瞬間的にくるってしまったのです。そして景観を呼び、あそこの奥さんが生意気だから(どうしてですか、猫を返してもらいたいと訪問をしているだけですよ。単純に返してくれればいいのです。)、あそこの旦那に奥さんを叱ってもらう様に旦那に頼んでくださいと、依頼(いや、実際には命令をしたのでした。大勘違いもいいところで、伊藤玄二郎の特権をかさに着て、警官を自分の家来として使ったのです。
ところで、これは、彼女には何にも言いませんでしたが、前の猫、ちびちゃんも、彼女が当時買っていた、黒猫にいじめられていたのです。ちびちゃんは、6歳ぐらいの時に、北久里浜から、鎌倉へ連れてきた猫で、19歳まで、生きました。子供二人が、小学生の時にやってきて、社会人になってから、死にました。
子供二人が、本当に悲しみました。好きだったのですね。私は、一応画家なので、フェイスブック(メタ)を始める前までは、写真が嫌いでちびちゃんの写真がないのです。ここに置いているのは、ちびちゃんが、18歳を超えたころで、やせてきたころです。だけど、その前は、本当に静かで、上品で、美形な猫でした。愛嬌がいいというわけでもなくて、普通でしたが、オス猫に慕われました。北久里浜でも、鎌倉ででもです。去勢してあるのに、慕われて、毎日訪問を受けています。ちびちゃんはガラス越しにしばらく相手をするのですが、15分ぐらいたつと飽きてきて、どこかへ行ってしまうのでした。すると、オス猫は諦めて帰るのですが、必ず、次の日にも来るのです。
結婚してから買った猫はたった二匹です。今は長命なので、三匹目の猫は諦めて飼っていません。
しかし、子供を見ると親がわかると、よく言う様に、石川和子さんの黒猫(黄色い首輪をしていた)を見ると、石川和子さんがどれほどに、ふてぶてしい性格の人間だったかが、よくわかるのでした。安野智紗夫人より、人物は善人でしょう。だけど、一種のごろつきに近い生活態度でした。
で、岸田淳平さんが、大リフォームをした結果、南側の庭が狭くなり、かつ、南側の窓のガラスが、曇りガラスであるのを見て、
よくわかってるなああの人って、思っていたのです。岸田淳平家っていうのは崖部分がないのです。でも、指導部分はあるので、全体で、公募上は、60坪程度のお宅でしょう。建蔽率40%としても、総建坪、48坪の家が建てられます。そこまで、大きいとも思わないけれど、豪邸です。で窓用サッシなど、1980年代にはやった湾曲している、一間出窓です。そして、全体が真っ白です。あまり、汚れないタイプの白です。それで大変目立ちました。
この山で、自分が実質的に一番に成りたいと思っているのは安野夫人でしたが、心の中で、自分が一番ですよ、とおもっているひとは、一杯いて、岸田淳平夫人もその一人だったでしょう。しかし、それをカサに着て、ひどい疑いを電話で、私に仕掛けて来たので、大トラブルになり、それが原因で、彼女は癌に罹患をしたのです。
こういう風に書くと、私が悪人みたいですが、違います。彼女は後ほど、信頼すべき人に、「私は、町内会の、お当番だったから、川崎さんに電話をしてよって、皆んなから、たのまれたので、かけただけなのに。ーーーーそれで大恥をかかされたいから、悔しい・・・・とか、辛い・・・・・とか、言ったみたいです。
〜〜~~~~~~~~~~~~~
副題5、「ここで山間の煙という過去エッセイが登場するーーーつまり、私は、村八分が、典型的に現れた例として、冤罪を被ってしまったのだが、その、えん罪の晴らしかたが、あまりにも見事だった故に、結果として、一人、岸田淳平夫人が、大恥をかくことになってしまったのだった。現在の貨幣価値にして、三億円ぐらいを、たった一作品で稼ぐ程の、才能ある夫を持ち、この山で、実質的に一番であると自覚して居る彼女が、「自分が手もなく、川崎千恵子にひねり潰されてしまった。しかも正義は、彼女の方にある。自分は間違った疑いを彼女に掛けてしまったのだから。弁解のしようもない。辛い。つらい」と思ったのが癌にり患した、一つの原因でしょう。
どう言う間違いかと言うと、煤が布団に付着する程の煙が山の下から登って来た時期があるのでした。発生源は、山の下に存在する、瀟洒な数寄屋造りのお屋敷の庭でした。そのお屋敷には、川口順子元外務大臣の母君が住まわれて居たのですが、亡くなったので、売りに出されて、横浜北部に住む土建業者が買ったのです。大金持ちらしく、クレーンで、巨石を入れたり、いろいろ、手当をしていました。でも土建業です。使って居る連中が荒っぽいでしょう。でね、彼も、やっぱり、地金が出るのです。「品の良い別荘を買いました。すごく高かったのですよ。で、私たち一家は、これから、上流階級になるのです」と言うわけでは終わらなかったのでした。
最初は草ゴミを燃やして居たのですが、そのうち、プラスチック類を燃やすようになったのです。家を壊した廃材を燃やしたとは思いません。別にトラックで運び込むものを燃やして居たとも思いません。新しい建材とか新しい流しとかには、最近、プラスチックフィルムがかかって居たり、プラスチックテープで、束ねてあったりするのです。ベンツで運んできて、焼却炉を設置し、監督人を一人置いてウィークデイにもやすのでした。私自身、迷惑だなあと思いました。しかし、電話で、その雇人に向かって叱るなどとは思いません。思いもよりません。これは携帯などは発達して居なかった頃で、土建業の雇われ人・・(老人)・・が携帯を持って居るはずも無いです。そして、私は、その家の固定電話の番号を知りません。地境地主の一人ですが、上下で20m以上の、高低差があるので、土建業者の方は、山の上の住民など、歯牙にもひっかけていなかったのです。もし固定電話を鳴らしても、山の中腹に設定されている焼却炉のそばにいる、老人には、固定電話の呼び出し音が聞こえるはずもないのでした。
兎も角、私も困った事だとは思い、下に降りて行って状況を確かめてあり、従って、その煤が舞う日は、外には干物を出さないと言うじこぼうえいをしてはいました。しかし、兎も角のこととして、余程の事がない限り、事は起こさないのです。喧嘩はしないのです。
娘がお母さんがキレたら怖いと言った事があるのですが、私は、そもそも無礼と言うことを許さないし、その上、冤罪だから、さらに許さないです。この日は、その切れた日野と杖下。ところが、私は、岸田邸に、怒鳴り込んだりはしませんよ。そんな、野蛮なことは致しません。だから、怖いのです。まったくもって上品で静かな形で、戦います。だからこそ、相手のダメージは大きいのでした。
で、私は内心で、激怒しながら、しかし、岸田淳平夫人みたいに高飛車な物言いでは無くて、冷静にかつ静かに、「私は、やって居ません。すぐ見にきて下さい」と言いました。しかし、五分待っても、岸田淳平夫人はやって来ません。で、ここから先が・・・・あなたは、もし辞めなければ将来、必ず、東大教授になれますよ・・・・と言われていた能力を使い始める時間帯に入ります。
手書きでA4の紙に委細をまとめました。プラスチックは原料が石油だから、煤が出る事。なども入れてね。私は1999年までパソコンを使って居ませんでした。子供が、「親が、特に、母親が優秀であることを嫌がっていた」からです。だから手書きで、しかも、家庭用プリンターも使っていなかったので、コンビニに行って二十枚程コピーを取って来ました。
こう言うところは、一般主婦には思いもよらないところで、この頃から、我が家の西隣に夫婦揃って、東大卒であり、仕事の種類も超一流である白井さんカップルをここに転入をさせようと瀬島龍三(戦後CIAのトップ)は考えた模様です。白井さんならこの種の書類をパソコンで手際よく作ることができるから、白井さんを手ごまとして、自分たちの陣営内に、キープして置く限り、こっちが勝てるさと、思い込んで、彼ら夫妻を我が家の西隣に導入をしたのです。
ところが、さにあらずなのです。白井夫人は偏差値優等生かもしれないけれど、まったく、だめなのです。地頭がよくない。それに性格もよくない。で、ぼろぼろと、敵さんが考えていることがわかるので、あの二人は、実際には、何の役にも立っていないのです。あ、は、は。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題6、『ところで、私が、防衛のために、準備行動をしていた間、残酷無比で、無慈悲で、かつ、おっちょこちょいである、この山の主流派主婦軍団は、何をしていたのでしょうか?
実は、これから先に書くことは、このブログの世界では、初出です。しかし、何故、岸田淳平夫人が、癌に、り患をしてしまったかの、原因の一つであるので、書かせてくださいませ。
岸田夫人が大変乱暴な言葉と態度で、えん罪を決め付けたわけですが、一つには、大金を得た、おごりがあったと思いますね。夫を愛するのは、かまわないけれど、こういう都会のブランド街に住む限り、隣にモノすごい実力者が住んでいるかもしれないのですよ。必ず、態度は、対等にしておくべきなのです。
彼女は、千葉県のどこかの育ちではないかなあ。ご主人とは、公立中学、公立高校のどこかで、知り合って、相思相愛の間柄になったのです。彼女は一般的に言うと美形ではないです。ただし、岸田淳平の芸術的発想を喚起させた女性であり、すごい精神性を秘めている女性でしょう。しかし、それと、ご近所関係は、別物であり、自分や夫が、立派な人間であると自覚する限り、礼儀をわきまえないといけません。
でも、思いがけない方向に事態が、転換したので、岸田夫人は、もしかしたら、前田夫人には、「川崎さんは、やっていないんですって。見に来てくださいと言っていますよ」と、告げたと、推察してみましょう。または、びっくりして、どうしてよいかわからないで、いるうちに前田清子さんから、「あなた、どうしたの? 川崎さんちから、引き続いて、煙出ているわよ」と、叱られたと仮定します。それで、上と同じセリフが出たと、仮定します。
するとさすがの中学生いじめ軍団の、番長格の、前田清子さんも、ちょっと驚いたと思います。それで、急いで、「あなた、絶対に行っちゃあだめよ。行ったら、こっちが間違っていたことを認めないといけなくなるわ。川崎さんに、こっちが下だと、見くびられて、
頭を下げるのなど、まっぴらごめんだわ。だから、行っちゃあだめよ」と、命令をしたと思います。
これが第二のポイントです。彼女が癌をり患したポイントです。この山の住民は、ヒットラー統治下のドイツ国民と同じで、群集心理に巻き込まれています。自分一人の独自性など、発揮できません。
しかし、岸田淳平は、バカではない。そして、彼を生み出し、育てた妻もバカではない。だから、苦しむのです。
私が、彼女の癌発生の原因者だと、言うことに成っていると、思います。
しかし、違います。この山のたこつぼ的、群集心理的、バカ化力の影響力と、それに抵抗しようとする、力の葛藤が、彼女にストレスを生じさせたのです。
もう一つ、三つめがあります。岸田淳平は、文章も書く人です。
放課後読本 | 岸田淳平 著 | 目耕書房 | 1981.9 |
優良児的青春を殺虫する毒薬に関する狂気の考察 | 岸田淳平 著 | 立風書房 | 1972 |
犯罪的放浪 | 岸田淳平 著 | 立風書房 | 1972 |
すみません、ここで、寝かせてくださいませ。徹夜明けで、死にそうなので、
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます