銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

長嶋茂雄氏名誉都民となる。江角マキコ問題ー2

2014-10-01 10:13:34 | 政治
 本日も総タイトルを変更していく可能性があります。それは、書くことへ妨害を加えられてきた歴史の反映なので、お許しください。今は、3日の夜11時です。総タイトルをもとへもどします。それから、副題8以下を。一応ここへ残しますが、別賞へ、移動をさせます。そのあとの続きは、ここでは、加筆せず、別章で書きます。

副題1、『長嶋茂雄氏が、名誉都民に選出される』

 さて、2日早朝、五時に、NHKニュースを見ていたら、長嶋茂雄氏が名誉都民に選出されたことが、報道をされました。有名な人です。ただし、千葉県側から、名誉県民の称号はすでに出ているのではないかなあと、私は感じました。で、ちょっとした違和感を持ちました。ただ、立教大学では、大学学生寮に入り、その後、現在の川崎市、新丸子にあったであろう、巨人軍の寮に入り、結婚後は、東京都民となりますね。新居は、田園調布だったとか?

 奥様が、もと、東京オリンピックのコンパニオンだったという良家の子女ですから、田園調布が持っている不文律としての、地域性にもかなうわけです。ただ、その後、漫才師が、『田園調布に、家が建つ』と、言う決まり文句を大流行させました。それは、長嶋邸の建設を揶揄しているわけです。
 田園調布は、日本一の高級住宅街ですが、逗子で、英国のスチュワーデスを、殺して、洞窟に置いた、不思議な男・・・・・大阪の大金持が、慶応高校に入れるために、家政婦付きで、田園調布に一人住まいをさせた・・・・・の出現で、ずいぶんイメージを落としましたね。

 で、今は、最高級住宅街は上野毛あたりに移っているかもと、思うほどです。特に遺産相続後の、子孫は、気概のない人種も多く、『唐様で、売り家と書く三代目』という雰囲気もあるのではないかな? ただ、分割はしないという地域の決まりがあるそうですね。日吉あたりは、遺産相続の際に分割されるケースが多いです。で、町がごみごみしてきます。

 でそれ以降、50年は超す都民でしょうから、名誉都民に選出されても、おかしくはないです。千葉県民時代の三倍は都民であったわけですし。
ただ、普通ならもうちょっと、上等なスーツ(たとえば、ぴかぴかした絹のもの)ではないかあと、思うのに、そうではなかったので、あれは、例の話題のお嫁さんが用意したのかしら?、それとも、お嬢さんの方?なんて、考える私です。
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副題2、『賞が、政治的に利用をされるケースが、大変多いのだ。裏に働きかけがなかっただろうか?』

 長嶋茂雄氏には、今現在は、後遺症があります。だから、絹物のスーツなど、おズボンをはくのが無理なのだということもあるかもしれません。でもね、亜紀夫人が健在だったら、絶対に、新しい絹物スーツを作ったはずです。で、いいスーツをお召ではなかったのは、例のお嫁さんが、駄目なのか、それとも、お嬢様が駄目なのか、真相は私には、分かりませんが、もう一つ、突然に、この受賞が決まったので、準備する日数が足りなかったという可能性もあります。普段使いの洋服屋さんが、リハビリ生活に入った長嶋さん向きのお洋服を作るのが苦手で、あったりすると、急に一週間で、作ってもらうわけにもいきませんから。

 しかし、ここで、一つの推理を立てる私です。江角マキコさんがいじめ問題をブログにあげたのは、7月だったそうです。その時点では相手方の名前は、明らかにされていなかったのです。しかし、私はそれを見ていませんが、2チャンネル等で、人々がこの話題を、取り上げ始めたと推理します。そこには、当該小学校の名前やら相手方の名前が、出ていたと仮定をします。

 私は一度ちらっとですが、玉川学園の運動会(中学校だったか、小学校だったかは忘れているが)を見たことがあって、有名人がずらずらっと、父兄席にいたのを知っています。”せんだるか”さんて、すでにタレントになっているみたいですが、当時はまだ子供で、お父さんの”せんだみつお”さんが、控えめに後ろの席で見ていました。一番目立ったのは、五十嵐淳子・中村雅俊さん夫妻でした。中央に、スタジアム全体の視線を集めて、堂々と座っていました。しかし、今、どこをどう、検索しても、玉川学園と、江角マキコさんが結びつかないのです。しかも、ほかの小学校名も出てこない。これは、相当な手配が裏でなされていると、推察されます。

 ところが、今、2014年の10月2日になって、やっと2チャンネルの検索をこの問題において検索し始めた、私は、この件に関する痕跡さえ見つけることができないのです。で、ふと、これは、私のブログへの対抗措置であって、例の、私の文章に登場したテーマの証拠隠滅を図るという目的で、2チャンネルに対して要請があり、ひろゆき氏が、削除したのではないかということです。私の文章の、アップの日付は、30日になっていますが、それいかんにかかわらず、私が江角問題を取り上げたのは、まるまる、4日前です。その時点から、急に一切が削除され始めた?

 こういうケースに、気が付いたのは奥島孝康氏にまつわる情報の処理が、変化し続けていることです。特におお相撲の、野球とばく事件のころ、独立ガバナンスの委員長だったと覚えています。大々的にメディアで報道をされました。しかし、時が経つにつれて、どんどん、その分量が少なくなっています。こういう時は、その事案に大いなる裏があるのが明瞭です。
 しかし、4日前に、急に長嶋氏を、名誉都民に決めるわけもないでしょう。すると、8月末に、週刊文春が、『落書き事件について書こう』と、企画を立てた時点で、同時に、この名誉都民選出も決まったのではないかと、推察するのです。

 すると、それを働きかけたのは、だれか?となり、私が推察するところによると、例の弁護士ではないかとなります。長嶋家の裏にいるとされる大物弁護士のです。長嶋茂雄氏は、有名人だし、大衆的人気モノですから、メディアの中で、パンとサーカスの犠牲になることも多かったと思われます。特にこれは困ったという事案は、一茂さんと、同じくタレント活動をしている三女三奈さんとの間の確執が、報道をされたことです。今となっては、一茂夫人が原因だったかなあと思うのですが、父君の貴重な所有物を売り払っているという娘さん側からの抗議は、長嶋家全体にとって、ダメージが大きいので、そこに、亜紀子夫人等のルート、または、野球ファンの弁護士などで、紹介された弁護士が一回、乗り出していて、沈静化を図ったと仮定をすると、今回もそちらも加わって、挽回策を講じたと、推察され、
 その一策として、週刊文春に、例のいたずら書きの事案を流したとも考えられます。
 女性週刊誌に、反江角マキコ側のママたちの証言を載せるとかいうのもその一環だったかもしれません。

 しかも、もう一点、『う、これはおかしいですね』と、思うのは、江角マキコ問題をブラウザのニュースで見ていたころは、彼女はツィッターでつぶやいたと、報道をされていました。で、私は前報(後柱一)では、それに依拠して論を起こしております。ところが、本日はブログで、と改変されていました。これは、むろんのこと、私ね来の後付改変である可能性は強いです。ただし、江角さんのご主人も、テレビ界の人間だから、当然のごとく、了承をして、こういう改変がなされているとみなされます。
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副題3、『訪問回数を、2011年度中に、98万回から、36万回に激減され、それ以来ずっと、364000回で固定化されている私のブログ・・・・・それは、まったくのウソの数字で、本当は、248万回以上ですが!!!!!』

 私は、昔メルマガだけをやっていたのです。それが、また、最高に高度だったのですよ。今みたいに、個人名は入れず、しかも、3600字制限があったので、短くまとめていましたが、その方が読みやすくて、サービス精神も大きいものだったでしょう。で、読者層もハイレベルでした。そこで、ちら、ちらっと朝日新聞の批判と、原発のどうしようもなさを述べてはおります。で、その読者層の中の、友人によっては「ブログをやりなさい」と言う人も、いたし、「あなたは、ブログをやってはだめよ。それは、攻撃もある世界だから、あなたにはたえられないでしょう」という人もいました。

 しかし、2007年にパソコンがおかしくなり始めてから、『これは、何らかの防衛措置を取らねば』と考えて、2008年からブログをはじめました。で、最初は政治的な主張の含まれている文章は、メルマガの方で発表をして、ブログの方では、温和なエッセイを書いていたのです。しかし、どんどん攻撃がひどくなって、個人名を書いて、その悪辣さを提示しないと身を守れないという事態に入っていきました。すると、個人名を書いたものをメルマガという相手が固定されたところに送るのは、不都合があると言うことにもなってきます。それで、攻守が逆転して、ブログで、重いものを書き、メルマガで軽いものを書くということとなりました。
 ここで、大転機が訪れました。

 3.11が起こりました。すると、私の独壇場が展開します。リケ女です。そのうえ、今は画家になっている人間ですから、物事をイメージとしてとらえるのが得意です。で、原発とか、核燃料がどういうものかということを、次から次へと、当時は、1万字の制限があった中で書き始めました。今でも、古びていないし、ああいう易しい文体で、原発とか、核燃料の本質を書いている人はいないと思いますよ。非常に分かりやすく書きました。それで、読者数が格段に伸びました。しかも、偶然の機会にフェイスブックにも入り、最初は、友人拡大努力もしたのですが、入って、半年後には、自然に、友人が増える様になり、2012年の一月の末には、905人に達していました。

 しかし、と、同時に弾圧もものすごいことになり始めました。友人や知人がスパイ役に動員されました。このころから、携帯を利用して盗聴ができる様になっていたか、カバンなどにその装置を隠した人間が、私が友人と会食しているところやお茶しているところの、近くの席に配置される様になったと、見ています。また、未知の人にして、刑事が変装していると、私が推察している安藤てる子さんが、ファンを装って、近づいてきたのもこのころです。彼女は金銭的にも精神的にも大きく、かつ深いレベルで、窮状にあるというものですから、優しい人である私は、彼女を、自宅へ上げて、いろいろ接待したりして、一方で、はかられはかられ、弾圧用の種を拾われていたのです。まあ、引っ掻き回され、そして、フェイスブックを追い出されてしまいました。彼女のせいなのです。でも、それでも、許して、今年の、6月2日、ほぼ、2年強の間をおいて、デートをしてみたら、彼女が、私の拉致さえ、計画していることがわかり、かえって、よかったです。私は、究極のところで救われます。
 それ以外にも美術界、鎌倉びと、ご近所様などが、総動員をされて、いじめてくるわけですから、『これは何らかの自己補強が必要だとなって、ある日訪問回数が、98万回を超えていると、この世界で書いたのです。すると、突然に、グーグル検索で、364000階へと激減した数が、ひっつく様になりました。
 そのうえ、ニュースを利用して、いじめてくるでしょう。たとえば、中国艦船の、尖閣諸島周辺の出没です。で、それを説明するためには、安野家の次男が、1と、2ばかりの通信簿だということで、学校中で有名な坊ちゃんなのに、お母さんは、「国立大学の付属高校へ入学しました』と、わざと私に聞こえる様な芝居を打ちました。・・・・・ということを書かないといけなくなったわけです。

 最近のことですが、鎌倉にある実力派・画廊、ジーアースのオーナーは不美人で、それは、目が悪いせいだと、いう様な無残なことを書いているのも、その弾圧と関係があります。まだ、詳細を語っていませんが、その人(=若宮さん)についても将来長文を書かないといけません。
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副題4、『2014年、9月24日になぜ、中国首相は、日本経済界の代表と懇談をしたのか?』

 この急激なる和解という中国の変化が、どうして起きたかは、別章を立てて丁寧に語らないといけないのですが、第一義的な理由は、安野家を私より上に立てて、それで、私をイライラさせ、ノイローゼにさせてやろうとする敵さんたちの方針が、急に変わったからです。そういう方針を続けていると、私が、自らに課している、35%制限とか、45%制限を外すことが、やっとですが、分かったみたいです。相手に対する思いやりから、そういう方針をとっていたのですが、この2014年9月13日に行われた異常な設定の町内会とか、そのほか京橋で起きたことなどを勘案して、私は相当に、書く内容を深めてきています。
 ところで、中国の外交上の、変化という部分については、別の機会に、丁寧に語ります。

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副題5、『しかし、江角マキコさんに関してググるうちに、私は、痛し痒しの状況に陥った』

 実はググりにググるうちに、江角さんが、同級生のママたちに嫌われてしまった原因には、思い当たるところがありました。それで『おや、おや、これでは、私は長嶋一茂夫人側になりそうですね』となってきたからです。

 グーグル検索で出てくる数々の項目のうち、「江角さんは、ショムニで演じた女性像そのままで、ぱきぱき、モノを言うので、やがて浮き上がってきて、みんなが離反をした」と書いてあります。

 読者の皆様は、これが、性格だけの違いなんだと解釈なさいますか? 私は、『これは、そうではない。文明の違いだ』と、感じました。そして、・・・・・江角さんは、この小学校(たぶん玉川学園)に、子供を入れるべきでは、なかったのかもしれない。だけど、ここで、こういうトラブルに遭遇し、我慢を続けたことは、将来の役作りには役立つでしょう。でもね、お金があること、および、自分が成功をしたことが、ここで、裏目に出ていますね・・・・・とも、思い至るのでした。

 文明の違いとは、地方の県立高校を出た人と、東京圏の、私立高校を出た人では、全く感性が違う事をさします。それに思い至ったのは、昨日江角マキコという項目で、wikipedia を初めて開いて見て、彼女が地方出身だということを知ったからです。しかも県立大社高校の出身です。その学校は、多分、島根県では優秀な成績の子供が進学する高校であって、彼女は鶏口となるも牛後となるなかれの典型例として、自分の実力には、すこぶるつきの自信があり、当たるを幸いなぎ倒すという行動力を、これまでも、行使してきたのでしょう。特にバレーボールをやっていて、卒業後実業団に、誘われるのですから、そちらでも、優等生であって、だれに対しても、引けを取らないという気持ちは強いでしょうね。

 そのうえ、成育歴をさらしたのですが、それによると、『父君が早くなくなって貧乏だったので、体育大学へ進学できなかった』とあります。
しかし、その言いぐさは、「私は本来なら、4年生の大学を出るほど、優秀なのですよ。もしかしたら、後日、バレーボールのどこかの有名チームの監督になり、その後、日本代表の監督になる器だったかもしれないのです』という自慢をしたくて曝した、情報かもしれません。

 これでは、玉川学園の小学校に子供を入れているママたちとは合わないです。というのも小学校から、子供を私立に入れる人たちは、中流の上の階級です。経済的には、何の不自由も知らないで育ちあがった人たちです。柔らかい態度で他人と接触します。そして、考え方も甘いです。そこで、まず、合わないです。江角さんの、<大学へ入学できなかったという、一つの劣等感があるからこそ、頑張るのだ>という精神が、根本的に共鳴できません。

 そういうママたちのうち、80%は、東京圏の女子高育ちでしょう。地方育ちだったとしても、地方の名門私立女子高育ちのはずです。そういう人たちのうち、「慶応の幼稚舎に入れるための、激しい受験勉強は、我が子にとって、かわいそうです。子供のころは、ゆったりと育ててましょう」と、思う富裕層の二代目やら三代目が玉川学園を選びます。東京圏のサラリーマンの娘だった松嶋菜々子さんは、玉川学園ではなくて、もっと、限定された階級の人しか通わない東京女学館を選びました。松島さんのいまは、富裕層ですから、都心で、富裕層が集まっていて、旧女子高スタイルが色濃く残っている学園を選びました。

 玉川学園は、女子だけの学校ではなくて、男女共学だから、明るいし、自由度は高いのです。だが、ママたちが、女子高育ちだと、江角さんの行動は理解がされません。簡単に言うと、江角さんは、『失敗しましたね。周りを知らな過ぎた』と言えるのでした。いじめられたのは気の毒で、いじめた方を許せないけれど、大勢のママから、『いやだわ。あの人って』と思われたことが、いじめられる素地になっていると思われるからです。

 ママの中に、『江角さんが、うちの主人を誘惑しそうで嫌でした』という人がいました。江角さんとしては、自分はさっぱりした柄で売っているのだから、男の人に声をかけても、誤解をされるはずもない』と思っていたでしょう。わたくしも72歳になった今では、男の人に話しかけたとしても、それが、セクシュアルな関係に、直結するものでもないと、分かっていて、時には、さばけた会話を、男の人に持ち掛けることができますよ。

 でも、女子高育ちで、しかも良家のそだちだと、披露宴まで処女だったという様な、お嬢様育ちは多いのです。そうすると、そういう人は、自分が男性には、自由には、声をかけられないので、江角さんの態度を遠くからでも、見ていると、ただ、ただ、びっくりして、そして、不快でしょう。一方で、夫族は世慣れています。クラブで、女性たちとじゃれたり、会社内でも、若手女子社員をからかったりしているでしょう。

 江角さんは、一回離婚をしていますね。そうなると、最初の結婚の前、それから一回目と二回目の結婚の間に、男女のお付き合いの経験が豊富かもしれません。そのうえ芸能界でも、ショムニで「回りに突出して、強いのです」とか、「優れているのです」という役割を演じたわけですから、軽い軽い動作の一つとして、運動会に出席しているで、パパともに、話しかけていたかもしれないのです。しかも、テレビ業界以外の世界の人と付き合うのもお勉強に役立つしということで、積極的だったかもしれません。不純な思いはみじんもないのです。それとも、普段は超い忙しい身が、5時間程度、全く自由に行動できるわけですから、『単純に楽しいわー。今日は、急がないで良くて』ということで、余裕のレジャーとして、男性たちに話しかけたと、言うことかもしれないのです。
 また、これは、気の毒極まりないのですが、そのときすでに、ママたちから疎外されていて、一種の突破口として、パパともと仲良くなろうとしたのかしら。そうすると、そういう下心はすぐ見破られて、ますます、嫌われます。

 ともかく、一番大切なポイントは、その私立小学校の、件のクラスの、大多数のママたちが、少女時代を過ごしたであろう私立の女子高では、自分の力をストレートに出すことは、非常に嫌われます。おしゃれじゃあないしぐさとして、嫌われます。もし、わたくしが、仮に、同じ父兄懇談会の教室にいたら、長嶋一茂夫人と同じ様に、『うわあ、いやだ。いなかっぺ丸出しの価値観で』と思うでしょう。
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え、そうとう永らく尊敬をしてきたのだけれど、多大なメディア露出の裏に、高須クリニックの会長がいると、聞いて大幻滅をした』

 私は一般論として、地方の方が、子供がまっすぐ育つので、地方出身者が上京して、東京都民となり、元から居た人々と混合したからこそ、日本社会は、健全性を保ちえたと考えています。日本は今、被・植民地国家なので、アリと、あらゆる側面で、ストレートに生きるのが難しいのです。で、私が上にあげているさまな東京圏の女子高育ちに固有な控えめな態度というのの、ない、まっすぐな少女とか、女性とかは、得難いものだと思い尊敬をしているわけです。

処があるときに、『西原さんは高須さんと事実婚の関係にあり・・・・』とか、『西原さんが「私近々、高須さんに捨てられる」と言っている』とか、ネットの情報で知り大幻滅しました。というのも、彼女の多大な、メディア露出の陰に、高須さんの助言や、企画力があったと思うからです。そうなると高須さんが、ベッドで、『ねえ、君、僕は医者だから、どこまで行っても、くいっぱぐれはないよ。でも、君の仕事には、流行とか、人気とか、言う側面がある。だから、今、君に人気があるうちに稼いでおいた方がいい』とでも、ささやいて、その結果、お子さんの父である元・ご主人との関係をテレビドラマとか、映画化したのではないかと、思い至り、すっかり幻滅しました。彼女一人の力で、メディアを遊泳しているわけでもなかったのです。

 NHKのファミリーヒストリーという番組が、西原さんを主人公にしたことがあって、その時に、出席した彼女が、短めの巻きスカートから、太ももをあらわにした座り方をしたので、ぎょっとしたことを覚えているのです。が、それでも、その時はまだ、私は高須さんの存在を知りませんでした。だから、『かわいい顔をした人だ。そして、全体にムチムチした人だ。肉体的にも魅力のある人だ。好戦的だし、前向きだし、東京育ちでは、こういう女性はなかなか、生まれませんね』と、好意的に思っていたのに・・・・・と、本当にがっかりしたものです。
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副題7、『西原理恵子さんに比較をすると、すこぶる健康な感じを受ける、江角まきこさんだが・・・・・インターナショナルスクールへ行っても、駐在員夫人を経験したママともが居たら、楽ではないですよ』

 江角マキコさんの問題は学級という閉鎖社会での出来事をより広い社会へ曝して、それによってより広い社会の価値観に照らし合わせ、より広い世間では、自分に同情する人が多いので、自分も気分的に救われるし、・・・・・という計算が合ったかもしれません。無意識なものか、潜在意識の中のものかは知りませんが、女優、とくにヒット作を出した、自分なら、絶対に味方をしてくれる人はいるだろうと、思って、その愚痴を、書きは、しなかっただろうか?
 それは、瞬間的には成功したみたいに見えたでしょう。それに、作用反作用から言えば、正しいです。
しかし、その陰にスプレー缶によるいたずら書きがあった。これは、どうしようもない、我慢の足りなさを証明しています。

 これはまずいです。マネージャーがやったのでしょう。同情して。だけど、それを信じる人はいないでしょう。子育てって、ものすごい苦労を伴うものだし、芸能人特に、有名女優という立場と、ママであるということは、両立しがたい事なのです。だから、江角さんより、二世代昔の人は、産まないか、産んだら、隠すか、母であることを明かすが、全部やめて引退するかの、3つのうちの一つを選んだと思います。山田五十鈴の例とか、山口百恵のケースを参考にしてください。五十嵐淳子さんだって、子供が小さい頃は、仕事はやっていなかったでしょう?

 江角マキコさんも、実母が既に、島根県からは、上京していて、手伝ってくれていると思いますが、父兄会も何もかも、実母に任せておけば、よかったですね。仕事と母であることの両方を楽しもうとしたのがいけなかったのではないかな? つまり、欲張りだったのです。それを、見抜かれて、違う価値感と違う育ちをしてきた人たちに嫌われたのです。女優として成功をしているのだから、それを今のところは、追求して、母親業は家の中だけで、とどめておいた方がいいでしょう。

 インターナショナルスクールへの転校はあっと驚く処理でしたが、そこのママ友社会が理想的というわけでもないと思います。特に日本人ママの中に海外で、日本人学校がない様なところで、駐在員を経験してきた様な人が居たら、今回のいじめより、さらに激しいいじめを受ける可能性があります。

で、私が言いたいのは、江角さんが、女優としても母としても、両方を公開して、生きていくのなら、激しい苦痛とか、苦労はあるでしょうということです。それを、ほとんどの人は我慢をして耐えているのです。そして、それを乗り越えた時に、その人間は一皮むけたということになるわけです。

 自分が才能に恵まれた芸能界のエリートであると、自認をするのならなおさら、苦労を乗り越えて、立派な人格を養成しないといけないのです。それが子供を持った母というものであって、ツィッターかブログで、愚痴を言うのはいいのですよ。相手を征伐してやろうとか、制裁を与えてやろうということはできないのです。無論、相手方が、そうしてもいいというほど、いじめてきたというのもわかります。だけど、これもまた、子育て中、いろいろな人に訪れる試練だと思わないといけません。

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 しかし、この痛し痒しの問題に接しているうちに、『あれ、これって、今のわたくしにも当てはまる命題だぞ』と気が付いてきたのです。江角さんが、田舎のトップエリートとして、自分を隠せないというタイプ、そして、ストレートすぎるので、周りを唖然とさせてしまう姿というのは、
 私の当面の敵、ご近所集団の中で、一,二を争う攻撃者、前田夫人の姿と、かぶるのでした。似ているのです。すると、私は単純には、江角さんを応援できなくなります。
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副題8、『今住んでいるところは、40年前から主婦たちが、争いあう修羅場だった。しかし、そこの売り物のチラシが、どうして北久里浜の郵便受けにに入ったのだろう?』

 先ほど、2時間ぐらい単純極まりないPCゲーム、四川省をした後で、お風呂に入っているうちに、ユーリーカ(わかったぞ)と気が付いたことがあります。わたくしが前に住んでいたうちのポストに、今住んでいる谷戸ないの中古の売り家のチラシが何度も入ったのです。それは、1980年代で、あり、パソコンも携帯もない時代で、家の売買は、チラシが、有力な手段だった時代です。

 しかし、鎌倉雪ノ下と、横須賀市、北久里浜の間には、ほぼ、20キロの懸隔があり、かつ間に、20万戸ぐらいの家があるはずです。本格的に売るとなると、西側、藤沢市側にもチラシを入れるだろうし、北側戸塚区にも入れるでしょうね。となると、50万枚以上のチラシを入れないとなりません。当時で、2680万円だった物件に対して費用対効果があがるだろうか?

 もっと狭い範囲で、ばらまくのが普通なのだけれど、とくに我が家だけには、必ず、個々の売り物のチラシが入る様に手配をされていたのではないかと思い当たるのです。

 どういうことかというと、北久里浜の我が家の近所には、旧横須賀市の水道山があったのですが、それを瀬島隆三(元陸軍参謀)と、彼の親友、益山某(元海軍参謀)が、地籍変更届というのを利用して私物化したのです。もちろんただでです。これは、どう考えても悪事ですが、それを遂行するために、私の実印が必要で、それをお願いされたがゆえに、私はその事件の全貌を知ることとなりました。彼らは、私が実際よりもっと、バカだろうと、考えてその一通しかない書類を手渡したのですが、私は、彼らが考えているよりもはるかに頭脳レベルが高いので、たちまちにして悪事を見破ってしまったのです。

 それに困った益山夫人は、私を車でひき殺そうとしたのです。何度も言っている様に、私は、ぎりぎりの時には、武士の遺伝子が立ち上がり、必ず被害をこうむらないのです。で、その時も、50m先に留まっている益山夫人の、セドリックツードアハードトップを見た途端、変だ。危険だと悟って、全身が準備をしていたので、急発進をして、私をめがけて突っ込んできたときに、右側に横っ飛びに逃げたのです。もし、道路がまっすぐだったら、逃げきれなかったのですが、天がお味方してくださって、そこが、120度にくぼんでいたのでした。そのくぼみに逃げ込んだので、益山夫人は殺害をあきらめたのです。
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副題9、『私は、1980年、元海軍参謀夫人に、車でひき殺そうとされたのだけれど、その晩、夫の元海軍参謀自身が死んだのだった』

 彼女は戦時中都立大学の土木建築学科を出た人で、原節子に似ている聡明な女性です。彼女と夫の失敗はひとえに、私がどんな人間であるかを正しく知らず、見くびったことにあるでしょう。だけど、彼女もギリギリのところで、120度のくぼみに入っている私を殺したら過失だとは、言い逃れができないでしょう。それは、分かったみたいで、暗殺未遂で、逃げ去っていきました。

 益山夫人と、この山の、主婦たちとを比較をすると、さすがに、戦前生まれのエリート女性です。全然格が違います。私の唯一の音鳴りである小野寺夫人は、東大卒出し、実家はエリートサラリーマンであって、現代の勝ち組ですが、品格において益山夫人には劣ります。前田夫人他は、足元にも及びません。益山氏には先妻がいたのです。その人はお嬢さんを生んで、その方がまだ小さいうちに、米軍将校と駆け落ちして、アメリカへ行ってしまいました。それも不運でしたが、仕事上もパージを受け、不遇極まりなかった益山氏が、不動産業者を始めたので、土地開発の技術屋として、雇われた女性です。二人の間には、30歳もの年の差がありましたが、深い愛情で結ばれていました。益山氏は、この奥様を、本当に大切していて、それゆえに、もともと美貌の人だった、益山夫人は内面からの美しさに満ちていたのです。
 そんな人が突然に阿修羅のごとくに変化して、私を殺そうとするのですから、人間はわからないものです。でも、さらに驚いたのは、その晩、夫の益山氏が、急死したのです。
 それは、1980年の、10月11日か13日のどちらかです。

 私はよく神様のお話をします。そして、信仰の人だと告白をしています。それは、こういう様なあまりにもはっきりした ”みしるし”というのを、神様が目の前に展開をしてくださるからです。もちろん、科学的な方向でも考えてみます。奥様と旦那さんが、二人で、熟考をしたうえで、選んだ方策が、駄目だったので、絶望のあまり自殺をした。または、あれは、奥さんが旦那に無許可で、じぶん一人でやったのだった。しかし、私が電話をあっちこっちに、かけたので、夫は真相を知ることとなり、そこまで愛する奥さんを追いつめてしまった自分の判断ミスを責めているうちに、脳溢血や、心臓まひなどの、急性に襲われたと。

 これから後も続きます。明日、別章で、加筆をします。


なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、 2491346です。
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