副題1、映画の概観
『かくも長き不在』というフランス映画があります。これは、間接的な、かつ、非・饒舌な反戦映画です。寡黙とも言ってよい。イタリアに、同じく反戦映画ひまわりがあり、あちらは、カラーですが、こちらは白黒映画です。すでに、『風と共に去りぬ』ができて20年以上経っているのに、白黒映画で撮影をされていますが、又、それがいいのです。
フランスでは映画界最高のパルムドール賞を得ています。
この映画は見た人は全部、高い評価を与えています。熱烈な支持を得ています。脚本、監督、主演、音楽、それら、すべてが集まって、静かに悲痛にナチスの悪徳を、表現しています。
ところで筋や評価の詳しいことを知りたい方は、ネット検索をして下さい。2千字以上を使ってすべてを伝えている、とてもよい文章があります。
しかし、私は、本日は、コミュニケーションについて語りたいので、最も重要な部分を明かしてしまいます。
主役は、パリでカフェを経営している女性です。彼女には戦争から長く返らない夫が居ます。だから、カフェを経営して稼いでいるわけですが、カフェはそれなりに、庶民的なお客を集めてはやっています。
そろそろ、返らない夫をあきらめて、新しい恋人と新しい生活に入ろうかというころ、お店の前をみすぼらしい一人の男が通ります。
この二人を現代の日本の俳優で演じてもらうとしたら、菅野美穂と、田中祐二が似ているかなあ。しかし、二人を、10歳ぐらい年取らせて、しかも戦争の悲惨さを、表現させないといけません。だから、とても違うのですが、妻はともかく、きっちりしたしっかりした美女です。が、不思議な浮浪者は、ふんわりしていて幼児化していて居ます。できるのは大滝秀治か田中君でしょう。
脚本が非常に良くできていて、少しずつ、二人の結びつきが明らかにされるのですが、私は本日は映画そのものよりも人間のコミュニケーションの問題を取り上げたいので、ネタばれをしてしまいます。
実はその浮浪者は、いまだ帰還していない夫だったのです。
私は戦争による拷問だと記憶していたのですが、今、上に上げた数千字に及ぶ解説文を読むと、その脳の破壊は、拷問よりも悲惨なことに、ただ、単に面白さだけを追及した、動物実験に近い、ナチスによる手術で、なされてしまったのでした。
ケネディ家でも、言うことを聞かない、しつけ不能な娘さんにロボトミー手術を父が施してしまい、それが、家庭内に暗い影を落とすのですが、こちらの映画は、フィクションなのに、さらに辛い、悲しさを観客に味わわせるのです。セーヌの川岸に作られた掘っ立て小屋に住み、雑誌の中の人間を切り抜いている、浮浪者の夫とはどうしてもコミュニケーションが取れません。
そこを恐る恐る、しかし、ありとあらゆる手立てを尽くして、思い出してもらおうとする妻・・・・・本当に切なくて、かつ、美しい映画です。何が美しいかって、妻の心が美しいのです。そして、コミュニケーション不能になってしまった夫の方ですが、なんともいとしくていたわしいです。イケメンでも、細身でもなくて背も高くなく、お金も一切持っておらず、家も無く、妻もいなくて〔思い出さないので、再び、一緒に暮らそうとは言わないのです)、子供も無く、何も無いのに、神々しい。
ここで、言葉だけで説明するとまがまがしい映画のようですけれど、実際には、まったく、どぎつくないのです。
主演は、アリダ・ヴァリ〔第三の男〕で最後に毅然として、したいよる男〔善の側〕を無視して去る美女です。それがあのころより、10歳年取って、苦労をした後を残す庶民的なおばさんをやっています。でも、裏側を言うと、この夫婦役は二人とも、すごく頭の良い血筋の良い俳優さんです。脚本はマルグリット・デュラス
副題2、『ずっと、それを覚えていて、ふと、電車の中で思い出す』
私はそれを、鎌倉にある文芸映画専門の映画館で、リヴァイバル上映版を見ました。泣きぬれてしまいました。が、あまりにも印象が深いので、折に触れて思い出します。そんな思い出のひとつをここに書かせてください。
キーワードとして、上の映画が使われていますが、映画からはまったく離れます。
原題は、『会話の活発な男の人』という題で、今から10年も前に書いている文章です。
ある日、若い四人の女子大生が素晴らしい会話を交わしていました。今ごろ、お互いに信頼の限りを尽くした会話を傍耳を立てて聞くのも心地よく、心に残りましたが、その内容を採録すると長くなるので、それは飛ばして、ある、中年の人々の会話能力について、今日は話をさせてください。それが日本の中年にしては、ことさらに活発で、驚いたからです。
土曜日の午後三時ごろ、逗子駅に入ると、自然探索を終えたらしい、50人ぐらいの中年男女のグループが目に付きました。背中に、ナップザックをしょっていますが、足は、登山靴では有りません。彼らは間違ったホームで電車を待っていました。逗子駅には、ホームが三本しかないのですが、終点でもあるので、なかなか複雑な使い方もされていて、初めて来た人は大いに戸惑うのです。私はおせっかいですから、「跨線橋を渡って、別のホームに行かないと駄目ですよ」と教えてあげたので、皆さん、私と一緒に、移動をして、空いている電車に乗り込みました。
日差しも明るい午後で、自然探索で心を洗われたのか、どの人も、言っちゃあ悪いが年甲斐も無く、はしゃいでいます。
「黒磯(栃木県・・・・このころはまだ、湘南新宿ラインは、試行時期で、黒磯が終点だった・・・・)行きなんて言うと、全く訳わからないね。僕、おうちへ帰れるかなあ」と幼稚園児みたいに通路を挟んで、大声で、お互いに仲間内で対話をしています。 「僕、電車に乗った事は無いから、余計解らないよ」と同じ人が自動車ばかり使っている事を、ふ・い・て(誇示して)いながら、再び、「おうちへ帰れるかなあ」と言ったら、対岸のベンチ座席から、「おうちなんて無いじゃあないか」と大声が飛びました。
私は一瞬ひやっとして、顔色が変わってしまいました。確かに、パリやニューヨークですと、金持ちは車で移動をしているのでしょう。車の無い人間は、地下鉄で移動をしています。それでこの人が車を持っている事を誇示したのは、本当に幼稚な、プライドでは有ります。癇に障った人も有るでしょう。それに、まぜっかえした方は、結構車を持たない主義にプライドを持っている人かもしれません。しかし、私のような部外者にまで、聞こえるような大声で、「お前は、持ち家ではなく、借家に住んでいるではないか」と言うような事を言われて、気分を悪くしない人はいないでしょう。
しかし、言われた当人は、顔色も変えず、口調も変えず、更に、冗談を続けるのでした。私は、『このグループは、官舎か社宅の同僚なのかしら。それとも団地の町内会でごいっしょなのかしら。いずれにしても相当、レヴェルが高いな。良かった良かった。揉めないで』と内心ひとりで、思いました。そして、ちょうど、電車が鎌倉駅に入って来たので、立ち上がって彼らに背を向け、ドアの傍に立ちました。すると後ろから、例の格別おしゃべりな男性が、「うわ、さすが、鎌倉だ。降・り・る・人も・品・が・良・い・な・あ」と言ったのです。
私はそのとき、彼が、私に感謝をしてくれた事が解りました。私が彼の心の傷付き・・・・・つまり、ただ、無邪気にはしゃいでいたのを「家なんか無いではないか」とまるで、夢の無い現実に落として、彼を貶めてからかった人物の言葉に、普通なら傷つく筈ですから・・・・・を、心配して上げたのを、彼は、わかったのです。私の密かな同情心を彼は、理解して、それをこう言う冗談で、お礼を返してくれたのでした。
だって、私は非常にダサい人間で、別に品がよくも有りません。特に鎌倉近辺に出没する時は、全く、洋服にも気を配りません。銀座に行く時は、色使い程度は、気を使いますが、このごろは、画材を買うので、洋服は買っておらず、本当におしゃれとは、縁遠いのです。だから、人に褒めて貰う根拠も理由も無いのでした。時々、私がエッセイに取り上げる麗人たち、たとえば、オードリーまがいの凛とした美貌の、50代の女性などとは、まるで違いますので。
でも、私は「日本人も、ひ・ど・く・高・級・に・成・っ・た・な・あ」、とは思いました。ここら辺の心の機微は、まるで、フランス映画、「かくも長き不在」に出てくるような心の使い方でしたから。その事はとても嬉しかったのですよ。では、
2002年4月14日に書いたものを、2012年1月25日再録。
20120-1-25 雨宮舜〔川崎 千恵子)
『かくも長き不在』というフランス映画があります。これは、間接的な、かつ、非・饒舌な反戦映画です。寡黙とも言ってよい。イタリアに、同じく反戦映画ひまわりがあり、あちらは、カラーですが、こちらは白黒映画です。すでに、『風と共に去りぬ』ができて20年以上経っているのに、白黒映画で撮影をされていますが、又、それがいいのです。
フランスでは映画界最高のパルムドール賞を得ています。
この映画は見た人は全部、高い評価を与えています。熱烈な支持を得ています。脚本、監督、主演、音楽、それら、すべてが集まって、静かに悲痛にナチスの悪徳を、表現しています。
ところで筋や評価の詳しいことを知りたい方は、ネット検索をして下さい。2千字以上を使ってすべてを伝えている、とてもよい文章があります。
しかし、私は、本日は、コミュニケーションについて語りたいので、最も重要な部分を明かしてしまいます。
主役は、パリでカフェを経営している女性です。彼女には戦争から長く返らない夫が居ます。だから、カフェを経営して稼いでいるわけですが、カフェはそれなりに、庶民的なお客を集めてはやっています。
そろそろ、返らない夫をあきらめて、新しい恋人と新しい生活に入ろうかというころ、お店の前をみすぼらしい一人の男が通ります。
この二人を現代の日本の俳優で演じてもらうとしたら、菅野美穂と、田中祐二が似ているかなあ。しかし、二人を、10歳ぐらい年取らせて、しかも戦争の悲惨さを、表現させないといけません。だから、とても違うのですが、妻はともかく、きっちりしたしっかりした美女です。が、不思議な浮浪者は、ふんわりしていて幼児化していて居ます。できるのは大滝秀治か田中君でしょう。
脚本が非常に良くできていて、少しずつ、二人の結びつきが明らかにされるのですが、私は本日は映画そのものよりも人間のコミュニケーションの問題を取り上げたいので、ネタばれをしてしまいます。
実はその浮浪者は、いまだ帰還していない夫だったのです。
私は戦争による拷問だと記憶していたのですが、今、上に上げた数千字に及ぶ解説文を読むと、その脳の破壊は、拷問よりも悲惨なことに、ただ、単に面白さだけを追及した、動物実験に近い、ナチスによる手術で、なされてしまったのでした。
ケネディ家でも、言うことを聞かない、しつけ不能な娘さんにロボトミー手術を父が施してしまい、それが、家庭内に暗い影を落とすのですが、こちらの映画は、フィクションなのに、さらに辛い、悲しさを観客に味わわせるのです。セーヌの川岸に作られた掘っ立て小屋に住み、雑誌の中の人間を切り抜いている、浮浪者の夫とはどうしてもコミュニケーションが取れません。
そこを恐る恐る、しかし、ありとあらゆる手立てを尽くして、思い出してもらおうとする妻・・・・・本当に切なくて、かつ、美しい映画です。何が美しいかって、妻の心が美しいのです。そして、コミュニケーション不能になってしまった夫の方ですが、なんともいとしくていたわしいです。イケメンでも、細身でもなくて背も高くなく、お金も一切持っておらず、家も無く、妻もいなくて〔思い出さないので、再び、一緒に暮らそうとは言わないのです)、子供も無く、何も無いのに、神々しい。
ここで、言葉だけで説明するとまがまがしい映画のようですけれど、実際には、まったく、どぎつくないのです。
主演は、アリダ・ヴァリ〔第三の男〕で最後に毅然として、したいよる男〔善の側〕を無視して去る美女です。それがあのころより、10歳年取って、苦労をした後を残す庶民的なおばさんをやっています。でも、裏側を言うと、この夫婦役は二人とも、すごく頭の良い血筋の良い俳優さんです。脚本はマルグリット・デュラス
副題2、『ずっと、それを覚えていて、ふと、電車の中で思い出す』
私はそれを、鎌倉にある文芸映画専門の映画館で、リヴァイバル上映版を見ました。泣きぬれてしまいました。が、あまりにも印象が深いので、折に触れて思い出します。そんな思い出のひとつをここに書かせてください。
キーワードとして、上の映画が使われていますが、映画からはまったく離れます。
原題は、『会話の活発な男の人』という題で、今から10年も前に書いている文章です。
ある日、若い四人の女子大生が素晴らしい会話を交わしていました。今ごろ、お互いに信頼の限りを尽くした会話を傍耳を立てて聞くのも心地よく、心に残りましたが、その内容を採録すると長くなるので、それは飛ばして、ある、中年の人々の会話能力について、今日は話をさせてください。それが日本の中年にしては、ことさらに活発で、驚いたからです。
土曜日の午後三時ごろ、逗子駅に入ると、自然探索を終えたらしい、50人ぐらいの中年男女のグループが目に付きました。背中に、ナップザックをしょっていますが、足は、登山靴では有りません。彼らは間違ったホームで電車を待っていました。逗子駅には、ホームが三本しかないのですが、終点でもあるので、なかなか複雑な使い方もされていて、初めて来た人は大いに戸惑うのです。私はおせっかいですから、「跨線橋を渡って、別のホームに行かないと駄目ですよ」と教えてあげたので、皆さん、私と一緒に、移動をして、空いている電車に乗り込みました。
日差しも明るい午後で、自然探索で心を洗われたのか、どの人も、言っちゃあ悪いが年甲斐も無く、はしゃいでいます。
「黒磯(栃木県・・・・このころはまだ、湘南新宿ラインは、試行時期で、黒磯が終点だった・・・・)行きなんて言うと、全く訳わからないね。僕、おうちへ帰れるかなあ」と幼稚園児みたいに通路を挟んで、大声で、お互いに仲間内で対話をしています。 「僕、電車に乗った事は無いから、余計解らないよ」と同じ人が自動車ばかり使っている事を、ふ・い・て(誇示して)いながら、再び、「おうちへ帰れるかなあ」と言ったら、対岸のベンチ座席から、「おうちなんて無いじゃあないか」と大声が飛びました。
私は一瞬ひやっとして、顔色が変わってしまいました。確かに、パリやニューヨークですと、金持ちは車で移動をしているのでしょう。車の無い人間は、地下鉄で移動をしています。それでこの人が車を持っている事を誇示したのは、本当に幼稚な、プライドでは有ります。癇に障った人も有るでしょう。それに、まぜっかえした方は、結構車を持たない主義にプライドを持っている人かもしれません。しかし、私のような部外者にまで、聞こえるような大声で、「お前は、持ち家ではなく、借家に住んでいるではないか」と言うような事を言われて、気分を悪くしない人はいないでしょう。
しかし、言われた当人は、顔色も変えず、口調も変えず、更に、冗談を続けるのでした。私は、『このグループは、官舎か社宅の同僚なのかしら。それとも団地の町内会でごいっしょなのかしら。いずれにしても相当、レヴェルが高いな。良かった良かった。揉めないで』と内心ひとりで、思いました。そして、ちょうど、電車が鎌倉駅に入って来たので、立ち上がって彼らに背を向け、ドアの傍に立ちました。すると後ろから、例の格別おしゃべりな男性が、「うわ、さすが、鎌倉だ。降・り・る・人も・品・が・良・い・な・あ」と言ったのです。
私はそのとき、彼が、私に感謝をしてくれた事が解りました。私が彼の心の傷付き・・・・・つまり、ただ、無邪気にはしゃいでいたのを「家なんか無いではないか」とまるで、夢の無い現実に落として、彼を貶めてからかった人物の言葉に、普通なら傷つく筈ですから・・・・・を、心配して上げたのを、彼は、わかったのです。私の密かな同情心を彼は、理解して、それをこう言う冗談で、お礼を返してくれたのでした。
だって、私は非常にダサい人間で、別に品がよくも有りません。特に鎌倉近辺に出没する時は、全く、洋服にも気を配りません。銀座に行く時は、色使い程度は、気を使いますが、このごろは、画材を買うので、洋服は買っておらず、本当におしゃれとは、縁遠いのです。だから、人に褒めて貰う根拠も理由も無いのでした。時々、私がエッセイに取り上げる麗人たち、たとえば、オードリーまがいの凛とした美貌の、50代の女性などとは、まるで違いますので。
でも、私は「日本人も、ひ・ど・く・高・級・に・成・っ・た・な・あ」、とは思いました。ここら辺の心の機微は、まるで、フランス映画、「かくも長き不在」に出てくるような心の使い方でしたから。その事はとても嬉しかったのですよ。では、
2002年4月14日に書いたものを、2012年1月25日再録。
20120-1-25 雨宮舜〔川崎 千恵子)