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■ 年末の名曲

あとすこしで2024年。
年の暮れっぽいをリンクしてみました。
(既UP曲ばかりですみません。どれも好きなので・・・(笑))

■ LOVE BRACE - 華原朋美


シャ・ラ・ラ(サザンオールスターズ) - 桑田 佳祐 & 原 由子 -


■ Goodbye Yesterday - 今井美樹 Miki Imai from LIVE @ORCHARD HALL 2003 TOKYO + JP & ROMAJI SUB


まぁ、いろいろあった一年でした。
「お疲れさま」のひとことがぴったりの年だったかな。
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【 コラム 】 温泉施設のえらい順(笑) 【Renewal UP!】

ついでに前後の温泉記事も手を加えずにそのままアゲてみます。
近年、温泉施設の休廃業が相次ぎ、インバウンド向け高級宿が人気となって、もはやこういう区分けも無意味なのかもしれませんが、当時(2006年頃)の温泉マニアがどういう価値感で温泉をまわっていたのか、記録の意味でお読みくださいませ。

せっかくなので、該当すると思われる施設の入湯レポにリンクしてみました。
(すでに休廃業となった施設がかなりありますが、その旨の記載をしていない記事もあります。あしからず。)

それにしても全リスト (INDEX)、酷いですな、UP済の記事がぜんぜんリンクされてないじゃん。
筆者でさえ、過去記事になかなかたどりつけない・・・(笑)
そのうち更新します。

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2012/11/06 UP

 
 
【写真/左上から】四万温泉「積善館」(群馬) / 沢渡温泉「共同浴場」(群馬) / 喜連川温泉「道の駅きつれがわ」(栃木) / 横浜「若宮湯」(神奈川)

2006年7月にUPしたものです。
大勢は変わっていないかと思いますが、一部に変化があるので加筆のうえ再UPです。 

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いいお湯に自信をもって人を案内すると意外に反応が悪く、不本意にもスカ湯に連れていくと意外に喜ばれたりすることがあります。
好みのお湯は人それぞれと言われればそれまでですが、温泉好きと民間人(^^;)の好みの差はたしかにあると思います。

そこで、今回は温泉好きと民間人で温泉施設ごとにえらい順(笑)をだして遊んでみました。
なお、この内容は個人的独断と偏見にもとづくものなので、まちがってたらごめんなさい。(と、先に謝っておく・・・ ^^;; )

[記号のみかた]
A : 偉い!、グレート、好き、行きたい
B : なかなか、興味あり、けっこうよく行く
C : 認めず、近寄りたくもない、存在じたい知らない
↑ : 評価上昇中
→ : 評価安定
↓ : 評価下降中

■ 施設タイプ <温泉好きバージョン> / 〔民間人バージョン〕

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■ 共同浴場 < 特A→ > / 〔 B↑ 〕  
温泉道(笑)の保守本流。コアなマニアはジモ専大好き。このところのマスコミのあおりで民間人にも人気急上昇、一部でマナー悪化、地元住民との軋轢発生。観光客向けバリ循施設もあり要注意。
例 → 伊東温泉 「湯川第一浴場・子持湯」(静岡県伊東市)
例 → 草津温泉 「凪の湯」(群馬県草津町)

■ 仮設浴場 < 特A→ > / 〔 C→ 〕
温泉はむやみに手を掛けないのがいちばん。コンクリ浴槽に塩ビパイプから無造作に直引き源泉が叩き込まれていたりする。
無料か低料金。本施設になるとたいていお湯が悪くなる。
例 → 清河寺温泉 「いずみの湯」(さいたま市西区、現・さいたま清河寺温泉)
例 → 前橋荻窪温泉「會乃山温泉」(群馬県前橋市、現・あいのやまの湯)

■ 野湯 < A→ > / 〔 C↑ 〕
いわゆる”野湯派”では特A級。情報なさげでウラ情報けっこうある。有名になると決まって荒れる。
本格的なやつはシロートではとうてい到達できず、硫化水素が立ちこめてたりして命がけ。
※それなりに入ってはいますが、一切記事化しておりません。

■ ひなび系宿・湯治宿 < A→ > / 〔 B↑ 〕
いわゆる”ロケ派”では特A級。最近はマスコミでも人気、秘湯系はおばさまグループ主体にけっこう混む。
東北と九州が本場なのか? 湯治宿はお湯に定評のある宿が多い (当然か・・・ ^^;; )
例 → 塩原元湯温泉 「ゑびすや」(栃木県那須塩原市)
例 → 柴原温泉 「菅沼館」(埼玉県秩父市)

<その後>
温泉女子を中心に”プチ湯治”が人気に・・・。スローフードやフードマイルズをとり入れ時流に乗ったお宿も・・・。

■ 和風老舗旅館 < A~B→ > / 〔 B↑ 〕
”和ブーム”に乗って一気にブレーク。法師や四万、箱根の老舗などは若いカップルにおこもり占拠されてる。
自家源泉&しっかりした湯守さんがいたりするのでお湯はだいたい上質。ただし高いので数をこなす温泉マニアには敷居が高い。
観光庁様が”おもてなしの宿”などと称し、有識者や某大手代理店とタイアップしてクローズアップしたりするが、よほど日本旅行に慣れていないとコストパフォーマンスとれないかも・・・(笑)
例 → 堂ヶ島温泉 「対星館」(箱根町宮ノ下)
例 → 下賀茂温泉 「伊古奈」(静岡県南伊豆町)

■ デザイナーズ旅館 < B↓ > / 〔 A↑ 〕
いわゆる”お姉~ちゃん好み”の宿で、近年増殖中。伊豆高原あたりがメッカなのか?
以前は老舗が業態転換するケースがメインでお湯にもこだわる宿が多かったが、最近は粗製乱造気味で、湯量もないのに全室部屋付露天をつくったりする。(この傾向は2012年現在も進行中。)
料金高いし、たいてい日帰り不可なので温泉好きの関心は概して薄い。

■ ふつうの温泉旅館 < B→ > / 〔 B↓ 〕
いわゆるふつうの温泉宿。個性はうすいが、渋い浴槽に無造作に自家源泉をかけ流してたりするので、お宿によっては温泉好きに人気。料金リーズナブルなのも○。
とくに大型温泉地のかけ流し宿は再評価されている。日帰り入浴できるお宿が多く、温泉好きにはありがたい存在。
B&Bや素泊まり化がすすみ、温泉好きのベースキャンプ化も進行中?
例 → 折立温泉 「大鼻旅館」(新潟県魚沼市)
例 → 伊豆山温泉(走り湯) 「偕楽園」(静岡県熱海市)

外観は総じてショボく露天がなかったりするので、民間人のウケは悪い。デザイナーズ系にシフト中。
シフトかけられなかった施設の廃業が近年とくに目立つ。

■ 温泉銭湯 < A~B↑ > / 〔 C→ 〕
温泉湧出都市の財産。東京の黒湯、甲府のモール泉、熱海の食塩泉、諏訪の単純温泉など、地域を代表する泉質が安価で楽しめる。
外観や浴室に優れた意匠をもつものがあり、専門の”銭湯マニア”も存在する。
ただし、地元指数ゲキ高で共同浴場以上にマナーを問われることがあり、民間人にとっては敷居が高い。(というか、それ以前にみつけられない ^^; )
例 → 上諏訪温泉(湯小路源湯) 「大和温泉」(長野県諏訪市)
例 → 大江戸東山温泉(東京都目黒区)

■ 民間小型日帰り施設 < B→ > / 〔 C↑? 〕
経営者の見識や源泉の資質により名湯からスカまで玉石混交。
地元指数高いので民間人はあまり近寄らなかったが、最近はメジャーガイド類にも掲載されるようになり認知度UPか?
例 → フカサワ温泉(山梨県昭和町)
例 → 佐久山温泉 「きみのゆ」(栃木県大田原市)

■ ビジホの湯・健康ランド < B→ > / 〔 C→B→ 〕
なぜかB級施設が多く、とくに女性からは嫌われがち。でも、自家源泉ザコザコだったりするのでなかなかに捨てがたい。わりに空いてるのも○。
例 → 水戸武蔵温泉(仮称)(水戸健康ランド温泉) 「ホテル 水戸ラドン温泉」(茨城県水戸市)
例 → 黄金温泉 「黄金温泉健康センター」(山梨県甲府市)

<その後>
アパホテル、ドーミーインなどが温泉付ビジホ戦略を展開し、新しくて小綺麗な温泉ビジホが増加してイメージアップ。
自家源泉日帰り不可だったりするので温泉好きの宿泊ターゲットとして見逃せないが、首都圏に限っていうと総じて湯づかいはいまいち。

■ 温泉スパ銭 < B↑ > / 〔 A↑ 〕
チェーン展開で近年大増殖中。ほとんど金太郎飴的ハリボテ和風、総盛り込み幕の内浴場でファミリー系民間人の好物。
かけ流し槽をつくるのがトレンドだが、週末PMは大混雑順番待ちで酷いお湯になったりするので、温泉好きは平日夜か週末朝イチに行く。
多くは自家源泉で、最近は湯づかいが競合差別化のポイントとなっているので、かけ流し槽が増え温泉好きの評価上昇中とみられる。
例 → 熊谷天然温泉 「花湯スパリゾート」(埼玉県熊谷市)
例 → 京ヶ島天然温泉「湯都里」(群馬県高崎市)

例 → 二宮温泉 「みどりの湯 船橋・田喜野井店」(千葉県船橋市)
↑ この温泉マニアにはたまらないクセモノ湯だった、「みどりの湯 船橋・田喜野井店」が2021年10月31日をもって閉店していました。(→報道記事
温泉施設は「温泉スパ銭」といえども、商業系や住居系に比して決してコスパがいい業態ではありません。
外資も入って収益施設のコスパが厳しく問われる昨今、温泉施設の将来は明るいものではないのかもしれません。

■ 公共系宿泊施設 < C↑ > / 〔 A↓ 〕
一部に”公共の宿マニア”という熱烈ファンがいるが、最近は民間の優れ宿も料金が落ちてきているので人気はやや下降気味か? バリ循カルキ湯メインだが、さりげに自家源泉の施設が多く、湯づかいも見直されてきているので、一部の温泉好きで評価上昇中?。
例 → 磯部温泉 「かんぽの宿磯部」(群馬県安中市)

■ 団体様御用達箱形豪華歓楽温泉ホテル < C→B?→ > / 〔 B↓ / 大手グループ入りはA~B→〕
社員旅行でよくお世話になる。客離れが深刻。タラバ蟹食べ放題格安ツアーの舞台になったりする。でも、もともと力のある宿(=自家源泉何本も持ってたり、配湯量が多い)が多いので、お湯を大事にして立ち直ってほしい。
例 → 南房総(白浜)女来島温泉 「グランドホテル太陽」(千葉県南房総市)

<その後>
伊東園様やおおるりグループ様、大江戸温泉物語様など365円均一料金のみ放題食べ放題チェーンの買収の格好の対象となる。
伊東園様やおおるりグループ様は意外に湯づかいがよかったりするので、温泉好きの評価はやや上昇気味か?
(安いので湯めぐりのベースキャンプにつかわれたりする。)

大手グループ入りすると圧倒的なコストパフォーマンス&怒濤の営業力で集客を急回復させる例が多い。
大手グループ入りしていない一部の独立系お宿は、アジアを中心とした来日団体客をつかみ一息ついていたという見方もあるが、震災や領土問題などでふたたび予断を許さない状況か?
例 → 日光湯元温泉 「おおるり山荘」(栃木県日光市)

■ センター系日帰り施設 < C↑ > / 〔 B→ 〕
一部の温泉好きからは蛇蝎のごとくきらわれる。公共がらみなので、どうしても安全サイドで循環+塩素大量投入気味になる。
さりげに新規掘削の自家源泉が多く、最近はかけ流し槽を設置するケースも増えてきているので、評価はやや上昇気味か?。
例 → 喜連川温泉(4号源泉) 「道の駅きつれがわ」(栃木県さくら市)

<その後>
ばりばりカルキの施設はさすがに少なくなっているが、和風スパ銭に慣れた目からみるとやっぱり無機質。
設備更新時期を迎えている施設も多く過渡期か?


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【 2006年のヒット曲 】

■ I'll be there - 倖田來未


■ 粉雪 - レミオロメン


■ I believe - 絢香


まだまだメロやアレンジに魅力があったし、曲調にもバラエティ感があった。
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【 コラム 】 「五感+αで楽しむ」 第1回 〔 湯色 〕

お正月休みに温泉地に行かれる方も多いと思います。
このブログの本分は「温泉」なので(笑)、たまには温泉記事いれてみます。

とはいっても、11(16)年前の記事をそのままアゲただけです。
まぁ、こういうマニアックな楽しみ方もあるよ、ということで読み流してくださいまし。

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2012/11/07 UP

 

【 コラム 】 「五感+αで楽しむ」
2006年4月に「湯色」、2007年2月に「にごり湯(濁度)」をUPしたきり、筆者の怠慢により(笑)そのままになっていましたが、「湯色」でググると1位に出てきたり、ときおり「続編は??」と訊かれたりするので、5年ぶりに再開します。

時間がたっているので、最初からリニューアルしつつUPしていきます。
※事例としてあげた温泉には、現在、廃業または休業となっているものもあります。
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温泉の楽しみ方はいろいろありますが、よくいわれるのが”五感で楽しむ”というもの。
そこで、見る、味わう、嗅ぐ、触れる、聴くの五感と、これに浴感(温熱冷感や濃度感その他)を併せた6つの視点からみてみたいと思います。
このテーマは奥が深く、全国の名湯を入り倒してからでないと取り組めないよ~な気もしますが、いつになるかわからんので(笑)とりあえずいきます。(で、事例は入湯数の多い関東中心です。。。)

なお、「別冊宝島 本物の温泉ここが一番!」(この本、石川理夫氏編著の名著で、いまでも私の湯巡りのバイブル)の「温泉は五感全体で味わい楽しむ」というコラムでこのテーマを取りあげ情緒豊かな文章で解説されていました。
どうしても内容が似てしまいますが、なるべく泉質面と具体的な温泉の紹介にふみこんでまとめてみたいと思います。
ボリュームがでそうなので、連載でいきます。
(写真は月岡温泉(新潟)と月の湯温泉(静岡))
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【 コラム 】 「五感+αで楽しむ」の予定INDEX (UPは順不同になる可能性あり)

1.見る
1-1).湯色
1-2).にごり湯(濁度)
1-3).湯の花と析出
1-4).浴場と湯船

2.味わう
2-1).泉質・成分と味
2-2).飲泉

3.嗅ぐ
3-1).泉質・成分と湯の香
3-2).湯づかいと湯の香

4.触れる
4-1).湯ざわり
4-2).とろみとアワつき

5.聴く
5-1).湯屋の響き
5-2).ロケーション

6.浴感

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1.見る
これはいちばんわかりやすいので、最近は気の利いた温泉ガイドには載っています。
温泉の色味を構成する要素には、湯色、濁度、湯の花などがあります。順にみていきます。

1-1).湯色

a).白
ふつうは硫黄泉系でにごり湯。
みるからに効きそうな乳白色のにごり湯はすこぶる人気が高く、白骨、乳頭、那須湯本などがその代表格。
肌が透けないので混浴向きでもある。おもにイオウコロイドにより白濁するといわれ、新鮮な湯口のお湯は透明なことが多い。
で、「白濁はお湯がなまった証し」とされることもあるが、硫化水素型ではすぐに白濁するものもあるので一概にはいえないようだ。
ただ、薄めの単純硫黄泉の白濁はなまりによることが多いのであまり歓迎できない。
硫黄泉系でなくても、まれに気泡で一部白濁しているお湯があり、潤沢なアワつきが楽しめる。(フカサワカアナパリ(山梨)、清河寺仮設(埼玉)など。)

 
(写真は万座温泉(群馬)と白骨温泉(長野))

b).赤
おもに鉄分による。新鮮な鉄泉は緑がかった薄にごりだが、酸化するにつれ赤茶のにごり湯となって強烈な印象を与える。
(溶存態(Fe^2+) → 懸濁態(Fe^3+))
こうなると特有のサビ臭やギシギシとした湯ざわりも出て、湯慣れない人にはかなり抵抗のあるお湯になる。
よく洗い流さないと下着まで赤茶に染まってしまうので要注意。
天狗(長野)、伊香保(群馬)、小赤沢(新潟)などが代表格。関西では有馬の金泉が有名。
また、千手(新潟)やすみよし(山梨)など、透明なモール泉系で赤味を帯びるものもある。

  
(写真は天狗温泉(長野)と鹿島セントラル温泉(茨城))

c).褐色~茶~黄(透明系)
有機質を含むモール泉に多い。甲府あたりのモール泉には黄金色透明の非常に美しい湯色をしたものがある。
国母山城(山梨)など。新潟妻有エリアにもこの手のお湯が多い。
茶色のにごり湯を除鉄濾過すると黄色透明になることがあるが、概していまいち。

  
(写真は山城温泉(山梨)とじょんのび温泉(新潟))

d).褐色~茶~黄(にごり湯系)
鉄分が多い化石海水系や土類含みの重炭酸土類泉や食塩泉などで、除鉄をしていない場合にふつうにみられる。
このへんの色味はかなりと微妙で、お湯の状態や光線の加減ですぐに変化する。
ふつうは鉄分が多いとにごりもつよまる。たくさんあるので代表例は省略。

  
(写真は伊香保温泉(群馬)と湯ノ網温泉(茨城))

e).灰色
これはわりに珍しい。硫黄まじりの濃いめの塩類泉などでみることがある。
泉質と湯づかいにめぐまれてはじめて出る湯色なのでおすすめ。「灰色のお湯にハズれなし」の格言が成り立つかも・・・。
奈良田(山梨)、いわき湯本(福島)、塩原福渡(栃木)などが代表格か?。

  
(写真は光源の里温泉(山梨)と水神の湯(長野))

f).緑(翠)色
pH高めの硫黄泉は鮮度がいいと綺麗なエメラルドグリーン(翠色)となり、絶品のイオウ臭とあいまって極上湯となる。
鮮度が落ちてくるとバスクリーン的な緑黄色となるが、これは湯中の藻類のクロロフィルによるものらしい。
月岡咲花(新潟)、熊の湯野沢戸倉上山田上諏訪温泉(湯小路)(長野)などが代表格。
硫化水素泉系白濁湯が緑色を帯びることもあり、芦乃湯(神奈川)、蔵王(山形)などでみられる。
鮮度の高い鉄泉系も緑がかった薄にごりとなり、総社(群馬)、「アクアリゾート清里 天女の湯」(山梨)、前橋ゆ~ゆの絶好調時など、貝汁味臭とともに鮮度感を楽しめる。

  
(写真は屋敷温泉(長野)と潮来水原温泉(茨城))

g).青~水色
関東ではすくない。メタけい酸を多く含むイオウ泉系でみられるといわれ、pH低めの硫化水素泉系白濁湯が青みを帯びて青磁色のにごり湯となることがある。
また、重炭酸土類泉系の極上湯でもみられることがあり、「青色のお湯にハズれなし」の格言も成り立つか?。
阿蘇垂玉の露天は見たこともない群青色がかったささにごりのすばらしい湯色をしていた。浅間隠鳩ノ湯鹿沢万座(群馬)、那須高雄塩原塩の湯(栃木)、奥飛騨温泉郷(岐阜)など。
別府鉄輪「神和苑」の鮮やかな青湯は有名。

 
(写真は垂玉温泉(熊本)と奥飛騨福地温泉(岐阜))

h).黒
黒湯が代表。黒湯はにごっているように見えるが、コーラ色透明の湯色が重なっているので濁度じたいは低い。
もともと赤~茶系が濃くなったものなので、麦茶色 → ワインレッド → チャコール → 黒系のラインが多く、グレー → 黒と変化するものはすくない。
松の湯(神奈川)、養老(千葉)、(埼玉)、小川(茨城)などが漆黒。
イオウ系では”墨湯”といわれる個性的な黒色がでることがあり、塩原元湯「大出館」の「墨の湯」は有名。
おそらく浮遊物の硫化による黒変が原因かと思われるが詳細不明。

 
(写真は新宿十二社温泉(東京)と塩原元湯(栃木))

i).無色
無色透明のお湯は温泉らしくないと嫌う向きもあるが、なかなかどうして名湯も多い。
とくに純度の高い硫酸塩泉系のお湯は澄み切って湯船の底がよくみえる。湯中に沈めた指先が屈折率の加減か青白く発光するのも趣がある。
硫酸塩泉系の代表格は湯宿・猿ヶ京(群馬)、大網(栃木)など。

  
(写真は川治温泉(栃木)と宮城野温泉(神奈川))

※ 湯色のバリエーションについては、コラム「湯色七変化」をご覧ください。

【 コラム 】 「五感+αで楽しむ」 第2回 〔 にごり湯(濁度) 〕
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■ 奥多摩新四国八十八ヶ所霊場の御朱印

 

埼玉県から奥多摩にかけて、知られざる弘法大師霊場があります。
奥多摩新四国八十八ヶ所霊場です。

この霊場は先日、数年がかりでついに結願しました。
筆者はこれまでいくつかの弘法大師霊場(八十八ヶ所)を結願していますが、圧倒的に難易度が高かったのがこの霊場です。

というのは、この霊場は寺院札所もあるものの在家や路傍、はたまた山中の札所もあり、そもそも札所を見つけることすら困難なケースがあるからです。

以前、1978年初版・1985年改訂版のガイドブック「新四国奥多摩霊場八十八札所」(武蔵野郷土史刊行会)は発刊されていますが、おそらくすでに廃刊。
(近々入手予定です。)


現在購入可能な正規のガイドはおそらくなく、札所情報はもっぱら「東大和と寺院散策」様(→こちら)に頼らせていただきました。
おそらくこちらのWebがなかったら結願はできていなかったと思います。
ありがとうございました。

今年は弘法大師ご生誕1250年の記念の年です。
四国には行けなかったので、せめて巡拝中の弘法大師霊場を結願したいと思い、東国新四国八十八ヶ所霊場や多摩百八ヶ所霊場を結願するとすでに夏を過ぎていました。

■ 新四国東国八十八ヶ所霊場の御朱印-1
■ 多摩新四国八十八ヶ所霊場/多摩百八ヶ所霊場の御朱印

残る難物は奥多摩新四国八十八ヶ所霊場ですが、この時点で未だ20以上の札所を残していました。
その多くは最難所とみられる奥多摩・日原エリアにあり、いくつかは札所に到達できるかどうかさえわかりませんでした。

おそるおそる回り始めてみると、意外に場所はわかりやすく御朱印もいただけることがわかり、こうなるともはや虚仮の一念、一気に奥多摩・日原エリアを攻めて結願に漕ぎ着けました。

奥多摩新四国八十八ヶ所霊場をはじめて知ったのはたしか2016年の初秋。
武蔵野三十三観音霊場を回っていたときに、見慣れぬ弘法大師のお像をみかけました。
それは弘法大師像と仏像がひとつの台座に安置され、小さな堂宇に収められたものでした。
台座に札番が彫り込んであるので山内八十八ヶ所かとも思いましたが、そうではなさそうです。

 
【写真 上(左)】 第59番・塩船観音寺の札所
【写真 下(右)】 第59番・塩船観音寺の札所御朱印

早速Webで検索してみるとこれが奥多摩新四国八十八ヶ所霊場の札所本尊で、初番(第1番)発願所の羽村市の小山家で専用納経帳を頒布されていることがわかりました。

2016年11月、小山家にて専用納経帳を入手して発願。
そもそも初番発願所が民家ということからも、前途の多難さが予想されました。
結願は2023年12月なので、途中新型コロナ禍があったとはいえ発願から結願まで実に7年の歳月を要したことになります。

 
【写真 上(左)】 第1番・(羽村)小山家の札所
【写真 下(右)】 第1番札所の御朱印

 
【写真 上(左)】 長岡開山所内の第88番札所
【写真 下(右)】 第88番札所の御朱印

 
【写真 上(左)】 番外札所・奥多摩修行大師(長岡開山所)
【写真 下(右)】 奥多摩修行大師の御朱印


奥多摩新四国八十八ヶ所霊場は八十八の札番札所と1つの奥の院、4つの番外札所の計93の札所からなります。→ 札所リスト(「東大和と寺院散策」様)
93札所のうち、御朱印を拝受できたのは92(授与率98.9%)と予想以上の授与率でした。
(巡拝中に札所の変更があったり、ひとつの札所御朱印をふたつの納経所で拝受したりで、実際はさらに拝受しています。)

 
【写真 上(左)】 旧 第29番・(羽村)加藤家の札所
【写真 下(右)】 同 御朱印

 
【写真 上(左)】 現 第29番・東福寺(所沢)の札所
【写真 下(右)】 同 御朱印

 
【写真 上(左)】 第45番・天覧山の能仁寺拝受の御朱印
【写真 下(右)】 第45番・天覧山の長岡開山所拝受の御朱印

御朱印帳への揮毫はほとんど期待できないので、専用納経帳の入手は必須かと思われます。
専用納経帳に直接捺印いただく必要があり、後日郵送戦略が通用しないこともこの霊場の難易度を高めています。
また、印判自捺しの札所も少なくなく、備え付けの朱肉がへたっている場合もあるので、朱肉持参が確実です。

塩船観音寺(青梅)、金乗院(所沢)、能仁寺(飯能)などのメジャー寺院内の札所もありますが、奥多摩霊場の御朱印は完全な裏メニューで当然授与案内などはなくこちらからの申告、しかも現在は専用納経帳でなければいただけないかもしれません。

■ 汎用御朱印帳に授与いただいた稀少な例(第66番・金仙寺(所沢))
(ただし、御朱印尊格は御本尊となっています。他札所でも御本尊+札所印のパターンとなるのでは?)
 
【写真 上(左)】 汎用御朱印帳
【写真 下(右)】 専用納経帳

第30番札所は日原鍾乳洞内の舟底岩付近にあり、御朱印は日原鍾乳洞入洞受付でいただけますが(というか印判をお借りして自分で納経帳に捺す)、日原鍾乳洞で正規の弘法大師霊場の御朱印をいただけるとは、ほとんど知られていないのでは。


■ 第30番・日原鍾乳洞内舟底岩付近 弘法大師学問所の御朱印



■ 行程図(当初)


■ 札所一覧(当初)

札所エリアは所沢の市街地から日原鍾乳洞まで広域にわたるので車での巡拝の効率がいいですが、とくに奥多摩辺の札所は狭い路地奥やパーキングのないところもあります。
札所はみつかっても御朱印授与所が民家だったりするので、車巡拝はかなりの運転テク(というか狭い山道への慣れ)と嗅覚が必要かと思われます。(ETCはおろか、グーグルマップでも検索できないところがある。)

とくに奥多摩辺はコインパーキングがないうえに道が狭隘なので、不用意に駐車すると一発で無余地駐車となります。
さきに納経所に車を停めさせていただき、そこから札所に向かったケースもいくつかありました。

農作業の方に道を尋ねたのもたびたびで、札所の場所をお尋ねした他宗のお寺さまにご厚意で停めさせていただいたことさえありました。
ただし、この霊場は一時期多くの巡拝者を集めていたらしく、かなりの方が札所や納経所についてご存じでした。

整備されていない急峻な山道の上に御座される札所石佛もあり、ほとんど命がけのアプローチもありました。
(筆者はなんとしても間近で巡拝&札所の写真を撮りたかったので全札所に強行突入しましたが、一部札所については本当にキケンなので麓からの遙拝もやむなしかと思います。)

↓ 最難関と思われる第81番・大徳院(奥多摩町棚沢)
 
【写真 上(左)】 ハシゴを登ってのアプローチ
【写真 下(右)】 険しい山中にある札所

  
【写真 上(左)】 札所標
【写真 下(右)】 第81番・大徳院の御朱印


このような苦闘つづきの巡拝だけに、結願の達成感もまた一入でした。

「東大和と寺院散策」様「特に在家など寺院以外の所では不在等が多々あるので、朱印帳持参での遍路は、事前準備と時間と根気が必要である。それは、ある面首都圏にあるのに秘境の札所とも言えようか。」とありますが、これは決して誇張ではなく、結願(&御朱印コプリート)にはほとんど執念にちかい根気が必要かと思われます。

霊場概要については、「東大和と寺院散策」様Wikipedia等に記載されていますが、概略は以下のとおり。


■ 手引き


■ 案内図

奥多摩新四国霊場八十八ヶ所は、昭和9年(1934年)5月に弘法大師御遠忌千百五十年を記念して、瑞穂町長岡在住の武田弥兵衛氏が開創した弘法大師霊場といいます。

札所エリアは東京都下で東大和市、羽村町(市)、福生市、瑞穂町、八王子市、秋川市(あきる野市)、青梅市、奥多摩町。
埼玉県で所沢市、狭山市、入間市、飯能市となります。

主に東京善心講という大師講の人々に支えられ、全盛期とされる昭和40~50年代には巡拝バスが仕立てられるほど賑わったといいます。

霊場名は公式資料や現地石碑類でも表記ゆれがあります。
具体的には、奥多摩霊場八十八札所、奥多摩新四国八十八ヶ霊場、奥多摩霊場新四国八十八札所、奥多摩新四国八十八ヶ所霊場などですが、本記事では奥多摩新四国八十八ヶ所霊場に統一します。

札所本尊は開創者の武田弥兵衛氏が自費を投じて造立された、弘法大師像と仏像がセットで台座に御座す尊像で、ほとんどが本堂ではなく小ぶりな堂宇(大師堂)に奉安されています。
札所寺院でこの堂宇をみつけると、なぜか無性にうれしくなります。

この霊場については青梅市小曽木の岩蔵温泉「儘多屋(ままだや)」のWeb(2018年2月17日付)に貴重な情報が載せられていますので、引用させていただきます。

引用はじめ ------------------------- 
この札所巡りは、昭和九年頃に創設されたもので、その範囲は奥多摩・青梅・羽村・福生・瑞穂・あきる野・八王子・東大和・入間・所沢・狭山…広範囲にわたります。
しかしながら、この札所巡りは、かなりマニアック。
これをコンプリートするのは、かなりの難関であり、上級者向けだと思われます。
なぜならば、札所には現在無住職のお寺や個人のお宅が含まれているからです。(もちろん、名だたる寺院も名前を連ねています。)

聞いた話ですと、これを主宰している事務局ももう存在していないとか…。
まさに、幻の御朱印巡り。
昭和四十年、五十年代は盛んであったこの札所巡りは、現在では知る人ぞ知る存在になっております。最近は御朱印ブームといいますが、この札所巡りはブームの影響をまったく受けておりません。

儘多屋も札所なので、御朱印を持っているのですが、札所巡りで訪ねてくる方は、年間4~5名様くらいです。
専用の御朱印帳(納経帳)があれば、そちらに印を押させていただきます。
ただ、当館に関しましては平日不定休ですので、必ず事前にお電話にてご確認をお願いいたします。
専用の御朱印帳ですが、私は先日、塩船観音寺さんで購入いたしました。まだ数冊残っているとのことです。
この幻の御朱印巡り、是非挑戦してみてはいかがでしょうか?
これを完成させたら、かなりの強者です。

引用おわり -------------------------

この記事によると、
・2018年2月時点で巡拝者は年間で4~5名で、御朱印ブームの影響をまったく受けていない。
・昭和四十年、五十年代は盛んであったこの札所巡りは、知る人ぞ知る存在になっている。
・2018年2月時点で塩船観音寺には数冊の専用納経帳の在庫があった。
ことなどがわかります。

筆者が直近で確認したある札所の参拝記帳にはおおむね月に1名程度の記帳があったので、2018年よりは増えているのかもしれません。
筆者の感覚でも2016年に回り始めたときよりも、2023年の方がすんなりと御朱印を受けられた気がします。

また、結願所の長岡開山所でお聞きしたところでは、御朱印拝受希望者は新型コロナ禍のさなかでは年間2~3名、最近はやや増えていて年間10名程度とのことでした。

増えたといっても年間10名程度ですから、「知る人ぞ知る弘法大師霊場」といっても過言ではないでしょう。


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それでは第1番から順にご紹介していきます。
まずは札所概要と御朱印のみで、後日写真やコメントを入れていきます。
なお、納経所については「東大和と寺院散策」様をご覧ください。

専用納経帳は初版(白)と復刻版(水色)の2種あり、初版(白)は昭和48年、開創者の武田弥兵衛氏の米寿の祝を記念して自費製作されたものとのこと。
筆者は第1番札所で入手しましたが、そのときはすでに残りわずか。
もはや入手困難かと思いましたが、結願所の長岡開山所には若干の在庫がありそうです。
(ただし、こちらはお勤めでお忙しいとのことで、すぐの入手は難しいかと・・・。)

復刻版(水色)は第41番札所・龍圓寺様が平成21年11月の大師堂落慶に合わせ、檀家さんから寄進されたものとのことで、こちらは龍圓寺様で入手できる可能性があります。

 
【写真 上(左)】 専用納経帳(初版)
【写真 下(右)】 同 奥付

 
【写真 上(左)】 専用納経帳(復刻版)
【写真 下(右)】 札番対照表

また、「東大和と寺院散策」様にて専用納経帳のPDF版を公開されているので、こちらを印刷して使うのもいいかもしれません。

また、専用納経帳は札番順ではないので、札所の頁を探すのがやっかいです。
「東大和と寺院散策」様で公開されている札番対照表(PDF)は優れもので、すぐに頁検索できるので活用させていただきました。
本当になにからなにまで至れり尽くせりで、頭が下がります。

 
【写真 上(左)】 拝受前(第1番)
【写真 下(右)】 拝受後(第1番)


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第1番 (羽村) 小山家
東京都羽村市五ノ神4-15
小山家隣地堂宇内
御本尊:釈迦如来・弘法大師
札所本尊:釈迦如来・弘法大師

第2番 長岡開山所
東京都瑞穂町長岡1-58-21
開山所建屋内
御本尊:阿弥陀如来・弘法大師
札所本尊:阿弥陀如来・弘法大師

第3番 寶珠山 地蔵院
東京都青梅市畑中2-583-1
臨済宗建長寺派
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:釈迦如来・弘法大師
他札所:多摩(青梅)七福神(布袋尊)

第4番 (友田大日寺) 加藤家
東京都青梅市友田1-1009
加藤家邸内堂宇内
御本尊:大日如来・弘法大師
札所本尊:大日如来・弘法大師

第5番 宮寺山 無量壽寺 西勝院
埼玉県入間市宮寺489
山内堂宇内
真言宗豊山派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:地蔵菩薩・弘法大師
他札所:武玉八十八ヶ所霊場第32番、狭山三十七薬師霊場第10番

第6番 (友田乃木庵) 島田家
東京都青梅市友田1-1006
島田家邸内堂宇内
御本尊:薬師如来・弘法大師
札所本尊:薬師如来・弘法大師

第7番 東久山 地蔵院 宝光寺
埼玉県飯能市上畑219
本堂左手地蔵堂内
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:阿弥陀如来・弘法大師

第8番 友田山 花蔵院
東京都青梅市友田4-204
山内堂宇内
真言宗豊山派
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:千手観世音菩薩・弘法大師
他札所:多摩新四国八十八ヶ所霊場第52番、 武玉八十八ヶ所霊場第18番

第9番 鳳林山 長光寺
埼玉県飯能市下直竹1056
山内慰霊堂内
曹洞宗
御本尊:釈迦如来
札所本尊:寝釈迦像・弘法大師

第10番 寂光山 長寿院 浄心寺
埼玉県飯能市矢颪222
山内覆屋内
曹洞宗
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:千手観世音菩薩・弘法大師
他札所:武蔵野三十三観音霊場第23番、高麗板東三十三観音霊場第9番、武蔵野七福神(毘沙門天)

第11番 (岩藏温泉) 儘多屋
東京都青梅市小曽木5-3140
道の反対側池そばの堂宇
御本尊:薬師如来・弘法大師
札所本尊:薬師如来・弘法大師

第12番 日原籠岩
東京都奥多摩町日原
籠岩61番石仏のそば
御本尊:虚空蔵菩薩・弘法大師
札所本尊:虚空蔵菩薩・弘法大師

第13番 梅林山 天澤院
東京都青梅市梅郷4-586-1
本堂横堂宇内
曹洞宗
御本尊:釈迦如来
札所本尊:十一面観世音菩薩・弘法大師

第14番 吉岡家
東京都瑞穂町長岡1
東善院そばの堂宇内
御本尊:弥勒菩薩・弘法大師
札所本尊:弥勒菩薩・弘法大師

第15番 萬貴山 常福寺
東京都青梅市富岡3-1107
山内堂宇内
曹洞宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来・弘法大師
他札所:関東九十一薬師霊場第8番

第16番 金軸山 無量院 金蔵寺
埼玉県飯能市大河原538
山内堂宇内
真言宗智山派
御本尊:千手観世音菩薩
札所本尊:千手観世音菩薩・弘法大師

第17番 横尾山 大徳院
東京都青梅市御岳本町252
山内堂宇内
真言宗醍醐派
御本尊:薬師如来
札所本尊:七佛薬師如来・弘法大師

第18番 摩尼珠山 金剛院 福昌寺
東京都青梅市小曽木3-1186
山内堂宇内
真言宗系単立
御本尊:大日如来
札所本尊:薬師如来・弘法大師

第19番 槙尾山 慈恩寺
東京都青梅市御岳町350
本堂向かって左手裏。濡佛
御本尊:
札所本尊:地蔵菩薩・弘法大師

第20番 高水山 龍學寺 常福院
東京都青梅市成木7-1192
山内堂宇内
真言宗豊山派
御本尊:不動明王
札所本尊:地蔵菩薩・弘法大師
他札所:多摩新四国八十八ヶ所霊場第49番

第21番 慧日山 観音院 圓通寺
東京都八王子市高月町1158
山内堂宇内
天台宗
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:虚空蔵菩薩・弘法大師
他札所:関東百八地蔵尊霊場第103番

第22番 福昌山 心月院
東京都青梅市御岳1-132
山内堂宇内
御本尊:薬師如来・弘法大師
札所本尊:薬師如来・弘法大師

第23番 菩提山 仏國寺 密厳院
埼玉県所沢市山口2045
山内堂宇内
真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来・弘法大師
他札所:武玉八十八ヶ所霊場第40番、狭山三十七薬師霊場第19番

第24番 遊石山 観音院 新光寺
埼玉県所沢市宮本町1-7-3
山内。濡佛
真言宗豊山派
御本尊:聖観世音菩薩
札所本尊:虚空蔵菩薩・弘法大師
他札所:武蔵野三十三観音霊場第10番、狭山三十三観音霊場第8番

第25番 (海蔵院跡) 小曽木一丁目会館脇
東京都青梅市南小曽木1
会館脇堂宇内
御本尊:地蔵菩薩・弘法大師
札所本尊:地蔵菩薩・弘法大師

第26番 (御岳山) 原島家
東京都青梅市御岳65
原島荘入口左側
御本尊:薬師如来・弘法大師
札所本尊:薬師如来・弘法大師

第27番 金華山 長泉院
東京都青梅市二俣尾4-1066
山内堂宇内
曹洞宗
御本尊:
札所本尊:十一面観世音菩薩・弘法大師

第28番 常寂山 蓮華院 智観寺
埼玉県飯能市中山520
山内堂宇内
真言宗豊山派
御本尊:不動明王
札所本尊:大日如来・弘法大師
他札所:高麗板東三十三観音霊場第1番

(旧)第29番 (羽村山禅林寺) 加藤家
東京都羽村市羽東1-4-13
御本尊:千手観世音菩薩・弘法大師
札所本尊:千手観世音菩薩・弘法大師

(新)第29番 成田山 観音院 東福寺
埼玉県所沢市本郷764
山内堂宇内(羽村から移転)
真言宗豊山派
御本尊:不動明王
札所本尊:千手観世音菩薩・弘法大師

第30番 日原鍾乳洞内舟底岩付近 弘法大師学問所
東京都奥多摩町日原鍾乳洞内
舟底岩付近弘法大師学問所
御本尊:阿弥陀如来・弘法大師
札所本尊:阿弥陀如来・弘法大師

第31番 (御岳山) 原島家
東京都青梅市御岳65
原島荘入口左側
本尊:文殊菩薩・弘法大師
札所本尊:文殊菩薩・弘法大師

第32番 岸高山 福寿院 歓喜寺
埼玉県飯能市岩渕658甲
山内堂宇内
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:十一面観世音菩薩・弘法大師
他札所:武州八十八霊場第82番

第33番 醫王山 宗禅寺
東京都羽村市川崎2-8
山内薬師堂内
臨済宗建長寺派
御本尊:釈迦牟尼仏
札所本尊:薬師如来・弘法大師

第34番 持田家
東京都青梅市梅郷4-650
邸内山側堂宇内
御本尊:薬師如来・弘法大師
札所本尊:薬師如来・弘法大師

第35番 豊岡温故公園
埼玉県入間市豊岡1-7
公園内堂宇内
御本尊:薬師如来・弘法大師
札所本尊:薬師如来・弘法大師

第36番 宝塔山 吉祥寺 多聞院
埼玉県所沢市中冨1501
山内堂宇内
真言宗豊山派
御本尊:大日如来
札所本尊:不動明王・弘法大師

第37番 福壽山 慈勝寺
東京都あきる野市草花1811
山内堂宇内
臨済宗建長寺派
御本尊:正観世音菩薩
札所本尊:五佛尊・弘法大師
他札所:秋川三十四所霊場第17番

第38番 成木山 愛染院 安楽寺
東京都青梅市成木1-583
山内堂宇内
真言宗単立
御本尊:不動明王
札所本尊:千手観世音菩薩・弘法大師
他札所:多摩新四国八十八ヶ所霊場第45番

第39番 金慶山 仙僧院 長福寺
東京都奥多摩町丹三郎233
山内堂宇内
真言宗豊山派
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:薬師如来・弘法大師

第40番 (御岳上) 北島家
東京都青梅市御岳2-451
道沿い堂宇内
御本尊:薬師如来・弘法大師
札所本尊:薬師如来・弘法大師

第41番 龍岳山 歓喜院 龍圓寺
埼玉県入間市新久717
山内堂宇内
真言宗智山派
御本尊:虚空蔵菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩・弘法大師
他札所:武蔵野三十三観音霊場第20番、武州八十八霊場第75番

第42番 星見山 無量壽院 清照寺
埼玉県所沢市上山口439
山内堂宇内
真言宗豊山派
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来・弘法大師

第43番 大柳山 月輪院 東光寺
東京都青梅市天ヶ瀬町1203
山内堂宇内
真言宗豊山派
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:千手観世音菩薩・弘法大師
他札所:多摩新四国八十八ヶ所霊場第48番

第44番 高竹山 光明院 明光寺
埼玉県狭山市根岸2-5-1
山内堂宇内
真言宗智山派
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩・弘法大師
他札所:武州八十八霊場第77番

第45番 天覧山 岩屋寺
埼玉県飯能市天覧山
(現)能仁寺不動堂
御本尊:不動明王・弘法大師
札所本尊:不動明王・弘法大師

第46番 法栄山 遍照院 東光寺
埼玉県入間市小谷田1437
山内
真言宗豊山派
御本尊:不動明王
札所本尊:薬師如来・弘法大師

第47番 稲荷山 寳玉院
埼玉県所沢市三ヶ島3-1167
山内堂宇内
真言宗豊山派
御本尊:不動明王?
札所本尊:阿弥陀如来・弘法大師

第48番 三ツ井戸大師
埼玉県所沢市西所沢1-26
堂宇内
御本尊:弘法大師・十一面観世音菩薩
札所本尊:弘法大師・十一面観世音菩薩

第49番 愛宕山 明王院 即清寺
東京都青梅市柚木町1-4-1
参道堂宇内
真言宗豊山派
御本尊:不空羂索明王
札所本尊:釈迦如来・弘法大師
他札所:多摩新四国八十八ヶ所霊場第51番、武玉八十八ヶ所霊場第9番、関東八十八箇所霊場第71番

第49番(奥の院) 愛宕山 明王院 即清寺奥の院
東京都青梅市柚木町1-4-1
即清寺裏山堂宇内
真言宗豊山派
御本尊:不空羂索明王
札所本尊:弘法大師

第50番 北田山 長寿院 寳泉寺
埼玉県所沢市北岩岡130
山内堂宇内
真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来・弘法大師

第51番 金峰山 石倉院
東京都青梅市小曽木5-3063
山内堂宇内
曹洞宗
御本尊:
札所本尊:薬師如来・弘法大師

第52番 吾庵山 金乗院 放光寺
埼玉県所沢市上山口2203
本堂前参道濡佛
真言宗豊山派
御本尊:千手観世音菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩・弘法大師
他札所:武蔵野三十三観音霊場第13番、狭山三十三観音霊場第1番、武蔵野七福神(布袋尊)、武玉八十八ヶ所霊場第39番、狭山三十七薬師霊場第22番

第53番 王禅山 釋迦院 佛眼寺
埼玉県所沢市久米2445
山内地蔵堂内
真言宗豊山派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:阿弥陀如来・弘法大師
他札所:所沢七福神(福禄寿)、狭山三十七薬師霊場第26番

第54番 青梅山 無量寿院 金剛寺
東京都青梅市天ヶ瀬1032
山内堂宇内
真言宗豊山派
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王・弘法大師
他札所:多摩新四国八十八ヶ所霊場第47番、武玉八十八ヶ所霊場第20番、東国花の寺百ヶ寺霊場東京第11番

第55番 清流山 無量院 清泰寺
埼玉県飯能市中居214-1
山内堂宇内
真言宗智山派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:大通智勝仏・弘法大師

第56番 宥峰山 清泰寺
埼玉県入間市宮寺609
山内覆屋内
真言宗豊山派
御本尊:不動明王
札所本尊:地蔵菩薩・弘法大師

第57番 梅松山 圓泉寺
埼玉県飯能市平松376
山内堂宇内
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:阿弥陀如来・弘法大師
他札所:武蔵野三十三観音霊場第25番、高麗板東三十三観音霊場第3番、武蔵野七福神(福禄寿)

第58番 光明山 正覚院 圓照寺
埼玉県入間市野田158
山内堂宇内
真言宗智山派
御本尊:阿弥陀三尊
札所本尊:千手観世音菩薩・弘法大師
他札所:武蔵野三十三観音霊場第22番、高麗板東三十三観音霊場第11番、関東八十八箇所第73番、武州八十八霊場第80番、武蔵野七福神(弁財天)

第59番 大悲山 塩船観音寺
東京都青梅市塩船194
山内堂宇内
真言宗醍醐派
御本尊:十一面千手千眼観世音菩薩
札所本尊:薬師如来・弘法大師
他札所:武玉八十八ヶ所霊場第22番、多摩百八ヶ所霊場第102番、東国花の寺百ヶ寺霊場東京第12番、関東八十八箇所第72番

第60番 能満山 廣幢院 大光寺
埼玉県飯能市川寺48
山内堂宇内
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来・弘法大師
他札所:武州路十二支霊場(丑)

第61番 日原籠岩
東京都奥多摩町日原
籠岩付近濡佛
御本尊:大日如来・弘法大師
札所本尊:大日如来・弘法大師

第62番 浄悦山 涼光院 長久寺
埼玉県入間市宮寺2324
山内濡佛
真言宗豊山派
御本尊:薬師如来
札所本尊:十一面観世音菩薩・弘法大師
他札所:武玉八十八ヶ所霊場第31番、狭山三十七薬師霊場第9番

第63番 岩井堂観音
埼玉県飯能市岩渕岩淵746-1
山内堂宇内
御本尊:観世音菩薩
札所本尊:毘沙門天・弘法大師

第64番 般若山 長寿院 観音寺
埼玉県飯能市山手町5-17
山内
真言宗智山派
御本尊:如意輪観世音菩薩
札所本尊:阿弥陀如来・弘法大師
他札所:武蔵野三十三観音霊場第24番、高麗板東三十三観音霊場第10番、武蔵野七福神(寿老人)、武州八十八霊場第85番

第65番 吾庵山 金乗院 放光寺
埼玉県所沢市上山口2203
本堂前参道濡佛
真言宗豊山派
御本尊:千手観世音菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩・弘法大師
他札所:武蔵野三十三観音霊場第13番、狭山三十三観音霊場第1番、武蔵野七福神(布袋尊)、武玉八十八ヶ所霊場第39番、狭山三十七薬師霊場第22番

第66番 別所山 西光院 金仙寺
埼玉県所沢市堀之内343
山内堂宇内
真言宗豊山派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:千手観世音菩薩・弘法大師
他札所:武玉八十八ヶ所霊場第34番

第67番 吾庵山 金乗院 放光寺
埼玉県所沢市上山口2203
本堂前参道濡佛
真言宗豊山派
御本尊:千手観世音菩薩
札所本尊:薬師如来・弘法大師
他札所:武蔵野三十三観音霊場第13番、狭山三十三観音霊場第1番、武蔵野七福神(布袋尊)、武玉八十八ヶ所霊場第39番、狭山三十七薬師霊場第22番

第68番 野老山 実蔵院
埼玉県所沢市元町20-15
山内濡佛
真言宗豊山派
御本尊:大日如来
札所本尊:阿弥陀如来・弘法大師
他札所:武蔵野三十三観音霊場第9番

第69番 諏訪山 萬齢院 髙正寺
埼玉県入間市仏子1511
山内山手濡佛
曹洞宗
御本尊:虚空蔵菩薩
札所本尊:聖観世音菩薩・弘法大師
他札所:武蔵野三十三観音霊場第21番

第70番 龍光山 能満院 梅岩寺
東京都青梅市仲町235
山内堂宇内
真言宗豊山派
御本尊:虚空蔵菩薩
札所本尊:馬頭観世音菩薩・弘法大師
他札所:多摩新四国八十八ヶ所霊場第46番

第71番 太平山 雲慶院
東京都青梅市沢井2-828
山内覆屋内
曹洞宗
御本尊:釈迦如来
札所本尊:千手観世音菩薩・弘法大師

第72番 上洗山 無量寺 普門院
埼玉県所沢市上新井189
山内堂宇内
真言宗豊山派
御本尊:不動明王
札所本尊:大日如来・弘法大師
他札所:武蔵野三十三観音霊場第11番、狭山三十三観音霊場第7番

第73番 辰爾山 勝楽寺 佛蔵院
埼玉県所沢市山口1119
山内堂宇内
真言宗豊山派
御本尊:釈迦如来
札所本尊:釈迦如来・弘法大師
他札所:狭山三十三観音霊場第2番、武玉八十八ヶ所霊場第35番、狭山三十七薬師霊場第21番

第74番 世音山 妙智寺 蓮花院
埼玉県入間市春日町2-9-1
山内堂宇内
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:薬師如来・弘法大師
他札所:武蔵野三十三観音霊場第18番、武州八十八霊場第76番

第75番 朝日山 平等院
埼玉県飯能市美杉台5-16-3
本堂両脇
真言宗善通寺派
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来・弘法大師

第76番 世音山 妙智寺 蓮花院
埼玉県入間市春日町2-9-1
山内堂宇内
真言宗智山派
御本尊:不動明王
札所本尊:薬師如来・弘法大師
他札所:武蔵野三十三観音霊場第18番、武州八十八霊場第76番

第77番 吾庵山 金乗院 放光寺
埼玉県所沢市上山口2203
本堂前参道濡佛
真言宗豊山派
御本尊:千手観世音菩薩
札所本尊:薬師如来・弘法大師
他札所:武蔵野三十三観音霊場第13番、狭山三十三観音霊場第1番、武蔵野七福神(布袋尊)、武玉八十八ヶ所霊場第39番、狭山三十七薬師霊場第22番

第78番 白部山 医王寺 慶性院
東京都東大和市芋窪6-1353
山内覆屋内
真言宗豊山派
御本尊:不動明王
札所本尊:阿弥陀如来・弘法大師
他札所:多摩新四国八十八ヶ所霊場第41番、武玉八十八ヶ所霊場第36番、狭山三十七薬師霊場第36番

第79番 吾庵山 金乗院 放光寺
埼玉県所沢市上山口2203
本堂前参道濡佛
真言宗豊山派
御本尊:千手観世音菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩・弘法大師
他札所:武蔵野三十三観音霊場第13番、狭山三十三観音霊場第1番、武蔵野七福神(布袋尊)、武玉八十八ヶ所霊場第39番、狭山三十七薬師霊場第22番

第80番 (鳩ノ巣) 清水家
東京都奥多摩町棚沢747
清水工務店向かいの山中腹堂宇内
御本尊:十一面千手観世音菩薩・弘法大師
札所本尊:十一面千手観世音菩薩・弘法大師

第81番 (白丸) 大徳院
東京都奥多摩町棚沢661
小林燃料店裏山堂宇内
御本尊:千手観世音菩薩・弘法大師
札所本尊:千手観世音菩薩・弘法大師

第82番 大沢家
東京都奥多摩町白丸319
渓山窯敷地内堂宇内
御本尊:千手千眼観世音菩薩・弘法大師
札所本尊:千手千眼観世音菩薩・弘法大師

第83番 瑠璃山 周慶院
東京都奥多摩町氷川1513
庫裏手前池上の堂宇内
曹洞宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:聖観世音菩薩・弘法大師

第84番 (木村家) 弁天峡
東京都奥多摩町氷川
井登屋商店向かいの堂宇内
御本尊:十一面千手観世音菩薩・弘法大師
札所本尊:十一面千手観世音菩薩・弘法大師

第85番 小林家
東京都奥多摩町氷川1236
慈眼寺裏山の堂宇内
御本尊:聖観世音菩薩・弘法大師
札所本尊:聖観世音菩薩・弘法大師

第86番 葦桁山 永昌院
東京都福生市福生1791
山内堂宇内
真言宗醍醐寺派
御本尊:不動明王
札所本尊:十一面観世音菩薩・弘法大師

第87番 長岡開山所
東京都瑞穂町長岡1-58-21
長岡開山所堂宇内
御本尊:聖観世音菩薩・弘法大師
札所本尊:聖観世音菩薩・弘法大師

第88番 長岡開山所
東京都瑞穂町長岡1-58-21
長岡開山所堂宇内
御本尊:薬師如来・弘法大師
札所本尊:薬師如来・弘法大師

番外 玉應山 福生院
東京都福生市熊川716
山内濡佛
臨済宗建長寺派
御本尊:
札所本尊:鯖大師

番外 十夜橋霊場
東京都青梅市長淵1-793付近
旧鳶巣橋際堂宇内
御本尊:弥勒菩薩・弘法大師
札所本尊:弥勒菩薩・弘法大師

番外 奥多摩修行大師
東京都瑞穂町長岡1-58-21
長岡開山所堂宇内
御本尊:修行大師
札所本尊:修行大師

番外 一本杉霊場
東京都瑞穂町長岡1-58-21
(現)長岡開山所堂宇内
御本尊:大師御手植一本杉
札所本尊:大師御手植一本杉
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■ 鎌倉のお正月限定御朱印 & 霊場御朱印の最新状況

お正月に鎌倉に初詣に行かれる方も多いのでは。
そこで、今回は鎌倉でお正月に限定的にいただける御朱印と、知る人ぞ知る御朱印、そして鎌倉関連の霊場の最新状況についてまとめてみました。

【市内の交通状況】
鎌倉市内は下記期間に大規模な車両乗り入れ規制がかけられます。
・大晦日12/31の23:00~元旦1/1の17:00
・1/2、1/3の9:00~17:00

よって、正月三が日の鎌倉への車でのアクセスは原則できません。
鉄道でのアクセスをおすすめしますが、どうしても車で行きたい場合は、東京方面からだとおそらく逗子駅前のコインパーキング(数はかなりある)に停めて、横須賀線で逗子から鎌倉まで1駅乗ってのアクセスとなります。
交通規制情報(鎌倉観光公式ガイド) 

【お正月限定の御朱印、知る人ぞ知る御朱印】
お正月限定の御朱印は下記1.2のふたつが有名です。
(他にもあるかも。また、御朱印図柄や印判が変わるなどのケースはたくさんあるようです。)


1.(西御門(にしみかど)/大蔵)白旗神社
鎌倉市西御門2ー1
御祭神:源頼朝公

原則正月三が日のみの書置授与です。授与所は拝殿向かって右手前の授与所。
たしか15時くらいまでだったと思うので、早めの参拝をおすすめします。
(なお、令和6年正月の授与についてはWebで確認できていません。)

源頼朝公の墳墓堂「法華堂」ともふかい関わりをもち、頼朝公を御祭神とする歴史の香り高い神社で、「勝運の神様」として知られています。
関連記事「鎌倉市の御朱印-5 (A.朝夷奈口)」

 
【写真 上(左)】 社頭(正月)
【写真 下(右)】 御朱印


2.(鶴岡八幡宮末社)白旗神社
神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1
御祭神:源頼朝公・源実朝公

公式Web(PDF)によると、令和6年正月も授与される模様です。

「数量限定三社一組正月特別朱印」は鶴岡八幡宮・旗上辨戝天社・白旗神社の3社の御朱印がセットになったもので、白旗神社の御朱印は正月限定となります。
正月三が日の授与と思われ、公式Webには「※数に限りがございます。」とあり、授与の可否はそのときの授与状況によりますので、2日、3日の参拝で拝受できるかはわかりません。
また、1日あたりの授与数が決まっている可能性もあるので、元旦のなるべく早い時間の参拝をおすすめします。

境内東側に御鎮座。
源頼朝公・実朝公をお祀りし、学業成就・勝負運の御神徳あらたかとされます。

 
【写真 上(左)】 拝殿
【写真 下(右)】 御朱印


3.由比若宮(元八幡)
鎌倉観光公式ガイド
鎌倉市材木座1-7
御祭神:応神天皇・比売神・神功皇后

こちらは正月限定授与ではありませんが、ご不在が多く授与日がかなり限られている模様なのでご紹介します。
(なお、令和6年正月の授与についてはWebで確認できていませんが、可能性は高いのでは。)

康平六年(1063年)、源頼義公が前九年の役で奥州を鎮定され京に帰る帰途、鎌倉に立ち寄られこの地に源氏の守り神である京の石清水八幡宮の御祭神を勧請されて創祀と伝わります。
後に源頼朝公が現在の鶴岡八幡宮の地(小林郷北山)に社殿を遷してからは、「元八幡」とも呼ばれるようになりました。
鶴岡八幡宮境内には、由比若宮(元八幡)遥拝所があります。

 
【写真 上(左)】 由比若宮遙拝所(鶴岡八幡宮境内)
【写真 下(右)】 由比若宮の拝殿


■ 御朱印

関連記事「■「鎌倉殿の13人」と御朱印-1」


4.甘縄神明宮
鎌倉市長谷1-12-1
御祭神:天照大御神

こちらは正月限定ではありませんが、御朱印については意外に知られていないようなので御紹介します。
長谷の観光地近くに御鎮座ですが、やや奥まっているので参拝者は少なく御朱印もいただけそうな感じがありません。
しかし、参拝後、大町の八雲神社にて申告すると御朱印を授与いただけます。

和銅三年(710年)行基菩薩の草創、染谷太郎太夫時忠の創建と伝わり、鎌倉最古のお社ともいわれます。
永保元年(1081年)源義家公が社殿を再建、以降も源頼朝公、政子の方、源実朝公などの崇敬が篤かったと伝わります。
また、源頼義公が相模守として下向の折に当宮に祈願し、八幡太郎義家公が生まれたとも伝えられ、源氏とつよい所縁をもちます。

社殿がある場所は有力御家人・安達盛長の屋敷跡とされています。

 
【写真 上(左)】 甘縄神明宮
【写真 下(右)】 御朱印

関連記事「■「鎌倉殿の13人」と御朱印-1」


5.(浄明寺)熊野神社
鎌倉市浄明寺3-8-55
御祭神:天宇須女命、伊弉諾命、伊弉册命

浄妙寺の西北に御鎮座の熊野神社。
森閑とした山中に御鎮座で、御朱印もいただけそうな感じがありません。
しかし、こちらも参拝後、大町の八雲神社にて申告すると御朱印を授与いただけます。

朝比奈切通しそばにも熊野神社がありますがこちらは横浜市金沢区の所在で、当社とは別のお社です。

境内由来書などになると、応永年間(1394-1427年)および永正年間(1504-1520年)に社殿を再建したと伝えられ、明治6年、国より正式に浄明寺地区の鎮守として公認されています。

 
【写真 上(左)】 (浄明寺)熊野神社
【写真 下(右)】 御朱印

関連記事「■ 鎌倉市の御朱印-3 (A.朝夷奈口)」


6.巌窟堂 岩谷不動尊
鎌倉市雪ノ下2-2-21
宗派不明
御本尊:不動明王

こちらは鎌倉の御朱印ガイドなどにもなかなか載っていない知る人ぞ知る御朱印で、正月限定ではありません。
ただし、雪ノ下の不動茶屋の営業日・営業時間内にしかいただけません。(正月の営業予定については不明。)

弘法大師の御作と伝わる由緒正しいお不動様で、頼朝公が伊豆の日金山から勧請した日金地蔵尊(日金山松源寺)のとなりにあったという歴史の香り高いところです。

 
【写真 上(左)】 参道
【写真 下(右)】 御朱印

関連記事「■ 鎌倉市の御朱印-5 (A.朝夷奈口)」


7.禅居院
鎌倉市山ノ内1534
臨済宗建長寺派
御本尊:聖観世音菩薩

建長寺の塔頭寺院で原則一般拝観不可ですが、令和5年5月15日より鎌倉十三佛霊場第8番札所となられ、鎌倉十三佛の巡拝者のみ限定で入山でき御朱印も拝受できるようになりました。
ただし、鎌倉十三佛霊場事務局ではオリジナル(専用)御朱印帳での集印を推奨されている模様で、汎用御朱印帳のみで入山が認められるかは不明です。
なお、入山に当たっては決まり事がありますのでご留意ください。

建長寺22世で鎌倉五山の浄智寺、円覚寺、京都五山の建仁寺、また五山の上位とされる南禅寺の住職を勅命により歴任された清拙正澄(大鑑禅師)の塔所寺院です。

 
【写真 上(左)】 禅居院
【写真 下(右)】 御朱印


8.多宝谷山 妙傳寺
鎌倉市扇ガ谷2-21-3
日蓮宗

御首題授与についてはながらく不明でしたが、先日拝受できました。
原則無住のようですが、定期的に御住職がこられるので、タイミングが合えば御首題を拝受できます。
ただし、御首題帳の用意がベターかと。
(正月の授与については不明です。→ 参考Web

承応元年(1652年)、水戸藩主徳川頼房公が祈願所として現在の東京都文京区白山に創建した寺院が前身。
昭和20年(1945年)の東京大空襲で伽藍を焼失し、昭和49年(1974年)現在地へ移転した、鎌倉では比較的あたらしい寺院です。
なお、この地は弘長二年(1262年)忍性が開山した泉ヶ谷多宝寺の跡ともいわれます。

 
【写真 上(左)】 妙傳寺
【写真 下(右)】 御首題


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■ 鎌倉関連の霊場御朱印の最新情報について

鎌倉にはいくつかの霊場があります。
そのうち、とくに御朱印関係の最新情報(令和5年12月初旬時点)をご紹介してみます。

1.鎌倉五山
こちらは霊場ではありませんが、とりあげてみます。
「五山」とは、南宋の寧宗のころにインドの五精舎十塔所にならって創設された寺格制度で、鎌倉にある五つの禅宗の寺院、建長寺、圓覚寺、壽福寺、浄智寺、浄妙寺をいいます。

「鎌倉五山」は鎌倉観光公式ガイドWebでも紹介され、「鎌倉の御朱印入門コース」とする御朱印ガイドもあります。
しかし、現時点(令和5年12月時点)で、この「鎌倉五山」の御朱印が揃わない可能性があります。

その理由は、第三位の壽福寺の御朱印を拝受できない可能性があるからです。
壽福寺の御朱印については、従前から拝受難易度の高さで知られていました。
ただし、「鎌倉五山」(御本尊)の御朱印については、比較的すんなりとお出しいただけた記憶があります。

ある時期から御朱印の授与自体を休止されているという情報があるものの、書置ながら拝受できるというWeb情報(リンク不可)もあり、実際、Web上でも新型コロナ禍以降の書置御朱印がいくつかUPされています。

 
【写真 上(左)】 壽福寺参道
【写真 下(右)】 御朱印休止中の掲示

しかし、先日(令和5年12月初旬)の参拝時には「御朱印休止中」の掲示が出ており御朱印は授与されていませんでした。

どうにも腑に落ちなかったので、鎌倉市観光協会に電話で尋ねてみました。
・壽福寺の御朱印は目下原則授与休止中となっているようだが、たまに授与所前で書置のものが授与されている場合があると聞く。
・複数の霊場札所を兼ねられているので、巡拝者の方から複数の問合せをいただいている。
・観光協会からも何度かお寺様に問合せしているが、電話がほとんど通じず状況がわからずに苦慮している。
・札所について、鎌倉十三佛については本年(令和5年)5月15日より第4番札所が壽福寺から報国寺に変更となっているが、他の霊場の札所変更の動きについては聞いていない。
・札所変更については関連の寺院様等でお決めになることなので、観光協会から働きかけることはできない。

回答された方の物腰ははなはだ恐縮モードで、それ以上問い詰めることもできず(笑)、お礼を述べて電話を切りました。

このやりとりは当山の山門前でしたのですが、その間にも「御朱印休止中」の掲示をみて、残念そうに引き返す方がおられました。
(まぁ、ふつうの人は(笑)観光協会まで電話して状況確認まではしないと思う。)

じっさい、鎌倉観光公式ガイドWebにも「しばらくの間、御朱印はお休みいたします​※お電話によるお問い合わせはご遠慮ください」との記載があります。
現況からすると、このようにしか書き様がないかと思います。


【写真 上(左)】 第一位 建長寺の御朱印
【写真 下(右)】 第一位 建長寺の扁額


【写真 上(左)】 第二位 圓覚寺の御朱印
【写真 下(右)】 第三位 壽福寺の御朱印


【写真 上(左)】 第四位 浄智寺の御朱印
【写真 下(右)】 第五位 浄妙寺の御朱印


2.鎌倉三十三観音霊場
鎌倉の名刹が参画される観音霊場で、新型コロナ禍では授与休止の札所もありましたが、現況、書置御朱印であればほとんど授与されている模様です。
ただし、こちらでも第24番札所の壽福寺が上記の状況でネックとなります。

 
【写真 上(左)】 鎌倉三十三観音霊場第24番・壽福寺の御朱印
【写真 下(右)】 同 第33番・結願の御朱印(円覚寺佛日庵)

結願については事情をお話しすれば結願所で結願印をいただけるかもしれませんが、現況、御朱印コンプリートは難しいかもしれません。


3.鎌倉二十四地蔵霊場
鎌倉の名刹が参画される地蔵霊場で、新型コロナ禍では授与休止の札所もありましたが、現況、書置御朱印であればほとんど授与されている模様です。
ただし、こちらでも第18番札所の壽福寺が上記の状況でネックとなります。

 
【写真 上(左)】 鎌倉二十四地蔵霊場第18番・壽福寺の御朱印
【写真 下(右)】 同 第24番・結願の御朱印(安養院)

こちらも観音霊場と同様で、御朱印コンプリートは難しいかもしれません。


4.鎌倉十三佛霊場
最近、霊場活動を活発化されている鎌倉の十三佛霊場で、令和5年5月15日より札所が以下のように変更となっています。
第4番札所(普賢菩薩) 壽福寺 → 報国寺
第8番札所(観世音菩薩) 報国寺 → 禅居院
現時点ではすべての札所で御朱印拝受できるので、御朱印コンプリート可能です。

 
【写真 上(左)】 鎌倉十三佛霊場旧第4番・壽福寺の御朱印
【写真 下(右)】 同 第13番・結願寺の御朱印(星井寺)


5.相州二十一ヶ所霊場
知る人ぞ知る?、鎌倉の弘法大師霊場です。
もともと御朱印難易度が高い霊場ですが、メジャー寺院の札所では申告すれば(御朱印見本にはほぼ掲載されていない)おおむね拝受できます。
ただし、こちらでも第7番札所の壽福寺が上記の状況でネックとなります。

「書置あり」のWeb情報(リンク不可)でも、こちらの御朱印は授与されていないとの由。
また、第20番札所の感応院(藤沢市大鋸)もご不在気味で、郵送対応も不可なので、この霊場の御朱印コンプリートは現況かなり困難かもしれません。

 
【写真 上(左)】 相州二十一ヶ所霊場第7番・壽福寺の御朱印
【写真 下(右)】】 同 第21番・結願寺の御朱印(荘厳寺)


6.東国花の寺百ヶ寺霊場
「鎌倉」のエリアカテゴリーを置いているほど鎌倉の札所が多い霊場です。
令和3年5月17日に東慶寺(鎌倉第10番/通番99番)が退会となっており、現況この霊場の御朱印はいただけません。(鎌倉第10番は現在欠番。)

また、令和4年7月末時点の公式リーフレットでは鎌倉第6番(英勝寺)は「欠番」となっていますが、先日(令和5年12月初旬)参拝時には御朱印を拝受でき、公式Webでも鎌倉第6番は英勝寺となっています。


■ 令和4年7月末時点の公式リーフレット


■ 東慶寺(鎌倉旧第10番/通番旧99番)の御朱印

 
【写真 上(左)】 鎌倉第6番・英勝寺の御朱印
【写真 下(右)】 鎌倉の部結願第11番・圓覚寺の御朱印


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なお、鎌倉の霊場(札所)は発願印の授与に厳格で、まっさらの御朱印の1頁目か、専用納経帳を購入しない限り授与いただけません。

 
【写真 上(左)】 鎌倉三十三観音霊場 発願の御朱印(杉本寺)
【写真 下(右)】 鎌倉二十四地蔵霊場 発願の御朱印(宝戒寺)

 
【写真 上(左)】 相州二十一ヶ所霊場 発願の御朱印(宝戒寺)
【写真 下(右)】 鎌倉十三佛霊場 発願の御朱印(明王院)


【関連記事】
鎌倉市の御朱印-1 (導入編&全記事のリスト)



【 BGM 】
■ ヴィヴァルディ: 「四季」より冬


■ Ave Maria - 志方あきこ w / 葉加瀬太郎


■ 冬景色 - はいだしょうこ
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■ 名曲のもとに名歌詞あり! ~ 心に刺さる名歌詞? ~

TBSの「この歌詞が刺さった!グッとフレーズ」、またかよ? と思いつつチラ視してみました。

しょーもな(笑)
最後はネタ切れか、ドラマの名セリフ連打してた。

もっととりあげる曲、あるだろーに。
ということで、リニューアルUPしてみます。
(リンク切れも残してあります。)

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2023/06/24 UP

またまたTVで「歌詞が刺さる」的な特集やってた。
あまりにも玉石混淆すぎてさしたるコメントはありません(笑)

応援ソングやお日記ソングばっかし。
小学校の卒業文集みたく、思い入れたっぷりに語ってくれるのもわかりやすくていいのかもしらんけど・・・。

やっぱりユーミンの歌詞の凄さが際立っていた。
特集してたのは「DESTINY」。
安いサンダルを履いてた再会が、けっして結ばれないDESTINYを悟らせるという キレッキレのストーリー感。

■ ガールフレンズ -Girlfriends- - 松任谷由実(1983年) 
歌詞


こういう歌詞つくらせたら、この頃のユーミンは天下一品だった。
ふつうの女の子を、物語の主役に仕立て上げてしまうマジック&躍動感。
ベースのカウンターメロがキモのこの曲調の中途で、サックスソロ挟んでもまったく違和感がない。
いま聴き直してびっくり。

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2022/08/13 UP

昨日放送のTBS「この歌詞が刺さった!グッとフレーズ」、さきほど録画したやつを視てみました。

正直いって、筆者は音楽を洋楽メインで聴き込んできたので、歌詞から曲に入ったことはほとんどありません。

でも、最近の若い世代はむしろ歌詞から入るらしい。
ex.曲が好きな理由1位 → 歌詞が心に刺さるから・・・

だから親しみやすい応援ソングやお日記ソングが流行っているのかもしれず。

以前J-POPの歌詞について書いた記事があるので、再構成してリニューアルUPしました。


あらためて1980年代のいわゆるシティ・ポップを聴くと、語感のふかいワードを散りばめていく歌詞が目立つ。
だから、聴き手が情景や情感をイメージするパターンが多く、いきなり「歌詞が刺さる」という感じではなかった。

■ 雨のウェンズデイ - 大滝詠一
歌詞 


■ FUTARI - 山下達郎
歌詞


■ Crescent Aventure - 角松敏生
歌詞


~ Baby 一人旅だと 薬指のリングをたどり ドラマの終わりを 知ってたことに Lady 気づいてた ~

■ Long Island Beach - 杏里 ANRI
歌詞


~ 急いで寒くなるの 夕暮れは 結んだT-shirtほどく ~

■ Never Ending Summer IV ~ Prolog - 杉山清貴
歌詞


~ でも君は1人きり 旅人のふりをする 重そうな荷物には 小さな背中 ~

これ、作詞、秋元 康氏なのよね~。林 哲司氏の流麗なメロディーに完璧にはまってる。

■ シャ・ラ・ラ - サザンオールスターズ
歌詞


~ 例えば言葉が 無くても心は 不思議な期待など もてるこのごろ ~

桑田さんの出だしの裏メロ入り込みが渋すぎ。わざとか・・・?
日本が幸せだった時代の空気感。

■ ハートビート - 佐野元春 (ライブ 1983年)
歌詞


~ 誰もいない街路に 朝の光こぼれて 「でも、まだ4時半だぜ」 と小さなカサノバ ~

時代を超えるぶっちぎりの名テイク。


*************
「歌詞は本来抽象なものだから・・・」(by マキタスポーツ氏)
抽象だからイメージが広がる。

1980年代前後にはこのように、抽象なことばなのに、目の前に情景が浮かんでくるような曲がたくさん生み出された。
だからCMにも使いやすかったのかもしれぬ。

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■ 微笑みがえし - キャンディーズ
歌詞 


キャンディーズの活動期間内ラスト・シングルで作詞は阿木燿子。
シングル曲のタイトルを随所に散りばめながらこの含蓄ある仕上がりとは、さすがにプロの技。
それにしても絶妙なハモりだわ。

■ 生まれ来る子供たちのために - オフコース
歌詞


1979年にこの歌詞とは・・・。

■ COPY #1 - Plastics


高校の頃、教室でかかりまくってた(笑)
1980年でこの内容は、さすがに早すぎでは・・・。

■ ずっとそばに - 松任谷由実
歌詞


~ ふりそそぐ8月の雨 私を はだしで笑わせてくれたかわりに ~

ユーミンのかくれた名曲(1983年『REINCARNATION』)。ことばの選び方がキレすぎ。音もだけど・・・。

■ 恋に落ちて -falling love-(covered)
歌詞


~ 両手で頬を 押さえても 途方に暮れる 夜が嫌い ~

バブル期のトレンディ・ドラマを象徴する名曲。

■ 空に近い週末 - 今井美樹
歌詞


~ どれくらい 疲れてたか いまわかる 日陽し 素肌につもる ~

作詞:戸沢暢美、作曲:柿原朱美という、初~中期の今井美樹を支えた名チームの名曲。

■ 最後のニュース - 井上陽水
歌詞


1989年10月、バブル崩壊直前に筑紫哲也さんのオファーでつくられたといわれる名曲。
筑紫さんには、この先日本が向かう時代が見えていたのかも・・・。

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■ あなたに会えてよかった - 小泉今日子(Covered)
歌詞


小泉今日子作詞の名曲。詞だけでなくコード進行も凄い。

■ 二人の夏 - ZARD(Covered by IZUMIRT)
歌詞


~ どうかずっと 変わらずにいて 大好きだった 笑顔だけは ~

ZARDのかくれた名曲。

■ 渡良瀬橋 - 森高千里
歌詞


~ 広い空と遠くの山々 二人で歩いた街 夕日がきれいな街 ~

作詞 : 森高千里。この味は森高千里しか出せなと思う。

■ RAINY DAY - 今井美樹
歌詞


もう一曲今井美樹。
名歌詞ぞろいの今井美樹のなかでも、とくに風景がひろがる1曲。
作詞:今井美樹。

■ The Days I Spent with You - 今井美樹
歌詞


~ 春の息吹も 夏の陽射しも 秋の木立も 冬の星座も
あなたのそばで生きていたから 気づいた ~


さらにもう一曲今井美樹。
歌詞と楽曲が粒揃った神曲。

今井美樹の名バラード25曲!

■ アジアの純真 - PUFFY
歌詞


1996年の奇跡。作詞・作曲:井上陽水、奥田民生。

■ 東京は夜の七時 - PIZZICATO FIVE
歌詞


渋谷系はあざとさが鼻について個人的にはいまいちだったけど、この曲は好きだった。
野宮真貴のフェミニンなボーカルがいいやね。

■ Over and Over - Every Little Thing
歌詞


~ 想い出も誇れるように しがない世の中でも ~

単なるラブソングじゃないと思う。
もっと売れてもよかった名曲

■ Way to Love ~最後の恋~ - SoulJa / feat.唐沢美帆
歌詞


セツナ系の代表曲のひとつ。Rapが後ざさえする名歌詞。

■ 孤独な生きもの - KOKIA
歌詞


~ 恐怖や孤独は私を支え続けた ずっと ずっと ずっと ~
~ 人はみんな 寂しい時 優しくなれる そんな生きもの ~

KOKIAならではの女神系歌詞と世界観。
KOKIAの名バラード12曲

■ ここにあること - 桜ほたる/桜菜(歌ってみた)
歌詞


ボカロの名曲で独特の世界観。
難符割&難音階、転調だらけでアウトロの超ハイトーンに向かう難曲。
曲の長さや歌いやすさに囚われることなく、ストーリー展開できるボカロならでは。

■ For our days - 川田まみ(I've)
歌詞


アニソン&ゲーム系から1曲。
歌詞:川田まみ。絶妙なビブラート&ヒーカップをもっていたのに引退は残念。

■ I Will Be There with You - 杏里
歌詞


~ 未来 開いてく 勇気を 笑顔でつないでゆく あなたへと ~

杏里のボーカルは歌詞がはっきりしていて説得力がある。
杏里の名バラード20曲!

■ 横顔~わたしの知らない桜~ - 藤田麻衣子
歌詞


~ 雲間から やさしく照らす 陽射しの中で二人
決して 指先は 離れることはなかった ~


■ 見えない月
歌詞


「泣き歌の藤田麻衣子」。抜群の作・編曲の才とドラマティックな作詞力。

■ Because - LGYankees Feat.中村舞子
歌詞


~ あなたに伝えたい想いは 声にならない言葉は 形を変えて 零れ落ちる涙 ~

病み曲だけど、歌詞と中村舞子のボーカルが綺麗すぎる。
中村舞子の名バラード20曲

■ This Love - Angela Aki(アンジェラ・アキ)
歌詞


~ 約束と言う 私達のコンパスだけでは この恋は方角を見失うの ~

3:38~
約束と言う 私達のコンパスだけでは
この恋は(Faug F#m7 D#m7-5) 方角を見失うの
↑ オーギュメント&ハーフディミニッシュの威力
名コードに乗った名フレーズ。

■ Mirai 未来 - Kalafina
歌詞


~ そんな寂しい心じゃ 大事なものも失くしてしまうよ
少し優しい未来を信じていいんだと かなしみを暖めてあげたい ~


至宝のハーモニー。
梶浦由記さんの名曲と名歌詞が支えた、いまとなっては伝説の名ユニット。
伝説のユニットkalafina

■ ヒカリヘ - miwa
歌詞


~ 悲しみの生まれた場所たどって その傷やさしく触れて癒せたなら ~

曲調も歌詞もスケール感抜群。
4つ打ちだけどあふれる情感。miwaって才能あると思う。

-----------------------------------
まぁ、↓こういうのは、サウンドも含めて1980年代ではおそらくつくれなかったから、当然進化している部分もあると思う。

■【脳漿炸裂ガール】96猫Ver


↑Adoの先駆的存在かと・・・。

■ Palette 歌ってみた(花たん)


並はずれた歌唱力がないと歌いこなせないボカロならではの難曲。


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お日記ソング、応援ソング、はたまた衒いだらけの自己満ソングがあふれかった2015年以降のJ-POP。
でも、ここ数年、J-POPの歌詞が変わってきたのか? と感じる曲も増えてきた。
チャートにのるかはわからんが、どこかのタイミングで名曲がかため打ちされる予感。

■ 栞 - 天野月 feat.YURiCa / 花たん
歌詞


~ 上手に咲けなくて 塞ぎ込んでしまった わたしを運び出して ~

花たんのハイトーンと相性抜群の名曲。

■ Pretender - Official髭男dism
歌詞


楽曲構成もキレまくり。

■ One Reason - milet
歌詞


巻き戻して、取り戻すものっていったい何?

■ 未来永劫 - 神はサイコロを振らない
歌詞


衒いがなくキレのある正統派Rock。歌詞もうまく乗っている。

■ YOASOBI「群青」 from 初有観客ライブ『NICE TO MEET YOU』2021.12.04@日本武道館
歌詞


~ 好きなものを好きだと言う 怖くて仕方ないけど ~

↑ いまはこういう空気感??
just the two of us進行にどはまりの歌詞。文句なしの名曲。

■ 遥海 -『answer』 Live Ver. (HARUMI LIVE 2021”FOCUS”)
歌詞


~ 痛みは薄れても 決して消えやしない
それでも人はきっと 希望を捨てやしない
不器用なまま 歩いていくの ~


ひさびさに刺さった、名歌詞に乗る名唱。

-------------------------
先日、NHKで梶浦由記さん特集やってましたね。

■ Parade - FictionJunction
歌詞


サウンドの質が高ければ、歌詞に意味がなくても名曲をものせる。
こういう矜持があればこそ、↑ こんな含蓄ある歌詞が生み出せるんだと思う。
こういう時代に「祝祭の歌声 空に届け」とは・・・。
深すぎる。

■ Everlasting song - FictionJunction


0:00~2:38、梶浦語。
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■ 伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-0(導入編)

お正月に伊豆方面に行かれる方もいると思いますので、アゲてみます。

なお、現在、札所0番の愛鷹山 三明寺(さんみょうじ)様(沼津市大岡4051)が実質的な事務局対応(専用納経帳の頒布など)をされていますので、発願にトライされる方はまずはこちらの参拝をおすすめします。
→ 詳細はこちら

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2022/02/13に記事は一応完結していますが、札所の追加・変更があったのでリニューアルUPします。


伊豆八十八ヶ所霊場は、江戸時代開創と伝わる伊豆全域に広がる弘法大師霊場です。
ながらく巡拝者は途絶えていたものとみられますが、昭和50年に伊豆霊場振興会が設立され復興が始まりました。

初番発願所は伊豆の国市四日町の長徳寺(以前は伊豆市田沢の嶺松院)、八十八番結願所は修禅寺および修禅寺奥の院。
全行程は460㎞で札所は伊豆半島全域に及びますが、とくに南伊豆町に多く立地しています。

この霊場の巡拝ガイドブック『伊豆八十八ヶ所霊場 こころの旅』(監修:伊豆霊場振興会)を参考に、歴史をたどってみます。

伊豆八十八ヶ所霊場は、江戸時代から明治初期にかけて多くの巡拝者を迎えたとみられる歴史ある霊場です。
伊豆には弘法大師の逸話が多く伝わります。
弘法大師が唐に渡られる前後14年の間に訪れた「桂山の山寺」は修禅寺であったともいわれ、この地で弘法大師霊場が隆盛する素地は、往古からすでにあったとみることができます。

結願所の修禅寺(福地山修禅萬安禅寺)は、大同二年(807年)弘法大師による開創と伝わり、その後約470年間は真言宗寺院として栄えました。
鎌倉時代、中国から蘭渓道隆禅師が入山して臨済宗に改宗。
さらに室町時代の応永九年(1489年)には、韮山城主北条早雲が遠州から隆渓繁紹禅師を招いて曹洞宗に改宗しています。

修禅寺の影響が強いとみられるこの霊場では、当初真言宗で、のちに禅宗に改めた寺院が多くあります。
禅宗メインでありながら御本尊は多彩で、札所によっては密寺の雰囲気を色濃く残していることも、この霊場の個性であり魅力であるかと思います。

昭和に入って霊場は衰退し無住の札所も増えましたが、昭和40年代頃、伊豆在住の田上東平氏が第28番札所「大江院」に霊場の納経帳が残されていることを知り、昭和50年に伊豆霊場振興会を設立されて霊場の復興が始まりました。

田上氏は第6番札所「金剛寺」でも明治22年の日付の木版を発見、平成に入って第21番「龍澤寺」で天保十五年(1844年)と彫られた巡拝祈念碑がみつかり、少なくとも江戸時代には巡拝されていたという裏付けがなされました。

温泉地や観光地にある札所も多く、公式WebもUPされ、このところの御朱印ブームもあって近年、巡拝者が増えている模様。

~ 江戸時代より巡礼されていた伊豆八十八ヶ所霊場 長い沈黙から 今、まさに蘇る ~
(巡拝ガイド表紙より)

さらに2021年6月、伊豆八十八ヶ所霊場を熱海を起点として回る「熱海御朱印物語」が企画され、詳細なガイドが紹介されています。

「神社仏閣に参拝した証に頂くのが『御朱印』で、お遍路の様に、お経を納める事で頂くのが『納経印』と言います。御朱印という姿形は一緒でも意味は違います。まずは気軽に『御朱印』を集めながら、伊豆半島を楽しんでみませんか。」(同Webより)という趣意で、「御朱印」を納経や読経から切り離し、参加者を広げようという試みは賛否両論あるのかもしれませんが、時代に見合ったかたちなのかもしれません。(→ リリース紹介の記事

巡拝はマイカー利用が楽ですが、伊豆半島全域をカバーしている東海バスで、公共交通機関を利用した巡拝コースが設定されています。
〔 東海バスのパンフ掲載地図 〕
※ 一部現況と異なる内容があります。


〔 札所一覧 〕
※ 一部現況と異なる内容あり。追って修正します。



2020年秋、数年がかりで結願しましたので、拝受した御朱印をご紹介します。
この霊場はほぼ2巡しており、専用納経帳のほか、ほとんどの札所で書入・印判の御朱印をいただいていますので両方ご紹介します。

伊豆八十八ヶ所霊場の専用納経帳は、デフォルトで揮毫の札所本尊、山号寺号などの揮毫が印刷されており、これに主印(三寶印、御寶印)と札所印、寺院印などの捺印をいただいて完成します。
ご不在の場合でも堂内に印が備えてあればセルフで捺印し、完成することができます。

霊場振興会では専用納経帳での巡拝を推奨されている模様で(詳細は→こちら)、専用納経帳巡拝の場合、印があるところは自分で捺せ、ご不在の場合、条件によっては後日授与対応していただけるので、御朱印をコンプリートされたい向きには専用納経帳がおすすめです。

筆者は専用納経帳を松崎で入手し、修善寺でも入手できる可能性がありますが、確実に入手するには通販での購入をおすすめします。(詳細は→こちら)、


【写真 上(左)】 霊場ガイド-1
【写真 下(右)】 霊場ガイド-2


【写真 上(左)】 専用納経帳
【写真 下(右)】 専用納経帳


【写真 上(左)】 パンフ類
【写真 下(右)】 チラシ

また、伊豆には伊豆横道(よこどお)三十三観音霊場という観音霊場もあります。
こちらは、伊豆に流されていた源頼朝公が源氏再興を決意し、その成就を祈りつつ「三十三観音」を巡ったのが始まりと伝わる古い霊場です。
いくつかの札所は伊豆八十八ヶ所と重複していますので、こちらについても御朱印をご紹介します。
また、札所で拝受したその他の御朱印についても併せてご紹介していきます。

せっかくなので、伊豆半島の霊場・札所について、その概要をみてみます。

【伊豆半島と霊場・札所】
伊豆半島は人口密度が高く、寺院も多かったためか複数の霊場が開創されています。
口伊豆(三島・沼津)方面では駿河一国観音霊場(駿河三十三観音)が現役。
古い霊場では御厨観音横道札所、駿豆両国横道三十三観音霊場、また、静岡梅花観音霊場、駿河一国百地蔵尊霊場などの札所も点在し、一部札所で御朱印を授与されています。
中伊豆には伊豆中道三十三観音霊場、中伊豆観音札所、伊豆長岡温泉七福神、伊豆天城七福神などの札所があり、こちらも一部ですが御朱印が授与されています。

西・南・東伊豆では、現役霊場として伊豆横道三十三観音霊場、円覚寺百観音霊場、伊豆国(下田南伊豆)七福神、稲取八ヶ寺めぐり、伊東温泉七福神などがあり、多くの札所で御朱印が授与されています。
とくに稲取や松崎エリアは御朱印にちなんだ観光振興に積極的で、御朱印関連イベントがしばしば企画されている模様。

〔稲取・松崎の御朱印企画のパンフ〕


現況不明の霊場に、熱海三弘法大師霊場、伊豆二十一ヶ所霊場、熱海六観音霊場、伊豆伊東六阿弥陀霊場などがあり、熱海三弘法大師霊場と熱海六観音霊場の札所はだいたい伊豆八十八ヶ所と重複していますが、伊豆二十一ヶ所霊場と伊豆伊東六阿弥陀霊場は伊東市内の地域霊場的な性格で、伊豆八十八ヶ所との札所重複は少なくなっています。

伊豆は日蓮宗・法華宗寺院も多く、多くの寺院で御首題あるいは御朱印を授与されています。

伊豆は、御朱印授与神社は比較的少ないエリアですが、それでも↑のとおり授与寺院多数で目移りします。
とくに南伊豆は東京方面からの交通の便がよくないので、せっかく来たのだからと、ついつい無理をしがちです。
しかし、伊豆八十八ヶ所霊場の巡拝じたいがかなりハードなので、他札所御朱印も一気にゲットとなるとおそらく時間切れ再訪という状況に陥ります(笑)

伊豆八十八ヶ所霊場の札所はしみじみと落ち着いたいいお寺さまが多いので、ここは欲張らずに八十八ヶ所に的を絞って回るのがベターかもしれません。

無住のお寺も多くなかなか手ごわいですが、伊豆の温泉めぐりと併せ、数年がかりでじっくり回っていくのも面白いかと思います。
なお、温泉レポをUPしているお湯については、適宜リンクを貼るかたちでこちらもご案内していきます。(休業中・廃業の施設を含みます。ご注意願います。)

ボリュームがあるので、時間をかけて連載でUPしていきます。

伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-1
第0番 愛鷹山 三明寺(沼津市大岡)
(旧)第1番 観富山 嶺松院(伊豆市田沢)
第1番 瑞応山 長徳寺(伊豆の国市四日町)
第2番 天城山 弘道寺(伊豆市湯ケ島)
第3番 妙高山 最勝院(伊豆市宮上)
第4番 泉首山 城富院(伊豆市城)
第5番 吉原山 玉洞院(伊豆市牧之郷)
第6番 大澤山 金剛寺(伊豆市大沢)
第7番 東嶽山 泉龍寺(伊豆市堀切)
第8番 養加山 益山寺(伊豆市堀切)
第9番 引摂山 澄楽寺(伊豆の国市三福)

伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-2
第10番 長谷山 蔵春院(伊豆の国市田京)
第11番 天與山 長源寺(伊豆の国市中)
第12番 湯谷山 薬王林 長温寺(伊豆の国市古奈)
第13番 巨徳山 北條寺(伊豆の国市南江間)
第14番 龍泉山 慈光院(伊豆の国市韮山多田)
第15番 華頂峰 高岩院(伊豆の国市奈古谷)
第16番 金寶山 興聖寺(函南町塚本)
第17番 明王山 泉福寺(三島市長伏)
第18番 龍泰山 宗徳院(三島市松本)
第19番 君澤山 連馨寺(三島市広小路町)
第20番 福翁山 養徳寺(函南町平井)
第21番 圓通山 龍澤寺(三島市沢地)
第22番 龍泉山 宗福寺(三島市塚原新田)

伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-3
第23番 日金山 東光寺(熱海市伊豆山)
第24番 走湯山 般若院(熱海市伊豆山)
第25番 護国山 興禅寺(熱海市桜木町)
第26番 根越山 長谷寺(熱海市網代)
第27番 稲荷山 東林寺(伊東市馬場町)
第28番 伊雄山 大江院(伊東市八幡野)

伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-4
第29番 大川山 龍豊院(東伊豆町大川)
第30番 金澤山 自性院(東伊豆町奈良本)
第31番 来宮山 東泉院(東伊豆町白田)
第32番 稲取山 善應院(東伊豆町稲取)
第33番 見海山 来迎院 正定寺(東伊豆町稲取)
別格旧第31番 宝林山 称念寺(河津町浜)
第34番 千手山 三養院(河津町川津筏場)
(旧)第35番 鳳儀山 栖足寺(河津町谷津)

伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-5
第35番 天城山 慈眼院(河津町梨本)
第36番 長運山 乗安寺(河津町谷津)
第37番 玉田山 地福院(河津町縄地)
第38番 興國山 禅福寺(下田市白浜)
第39番 西向山 観音寺(下田市須崎)
第40番 瑞龍山 玉泉寺(下田市柿崎)
第41番 富巖山 天気院 海善寺(下田市一丁目)

伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-6
第42番 大浦山 長楽寺(下田市三丁目)
第43番 乳峰山 大安寺(下田市四丁目)
第44番 湯谷山 廣台寺(下田市蓮台寺)
第45番 三壺山 向陽院(下田市河内)
第46番 砥石山 米山寺(下田市箕作)
第47番 保月山 龍門院(下田市相玉)
第48番 婆娑羅山 報本寺(下田市加増野)

伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-7
第49番 神護山 太梅寺(下田市横川)
第50番 古松山 玄通寺(南伊豆町一條)
第51番 青谷山 龍雲寺(南伊豆町青市)
第52番 少林山 曹洞院(下田市大賀茂)
第53番 佛谷山 寶徳院(下田市吉佐美)
第54番 浦岳山 長谷寺(下田市田牛)
第55番 飯盛山 修福寺(南伊豆町湊)
第56番 養珠山 正善寺(南伊豆町手石)
第57番 東海山 青龍寺(南伊豆町手石)

伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-8
第58番 稲荷山 正眼寺(南伊豆町石廊崎)
(石室神社)(南伊豆町石廊崎)
第59番 瑞雲山 海蔵寺(南伊豆町入間)
第60番 龍燈山 善福寺(南伊豆町妻良)
第61番 臥龍山 法泉寺(南伊豆町妻良)

伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-9
第62番 石屏山 法伝寺(南伊豆町二條)
第63番 五峰山 保春寺(南伊豆町加納)
第64番 金嶽山 慈雲寺(南伊豆町下賀茂)
第65番 田村山 最福寺(南伊豆町上賀茂)
第66番 波次磯山 岩殿寺(南伊豆町岩殿)
第67番 太梅山 安楽寺(南伊豆町上小野)
第68番 廬岳山 東林寺(南伊豆町下小野)
第69番 塔峰山 常石寺(南伊豆町蛇石)
第70番 医王山 金泉寺(南伊豆町子浦)
第71番 翁生山 普照寺(南伊豆町伊浜)

伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-10
第72番 黒崎山 禅宗院(松崎町石部)
第73番 霊鷲山 常在寺(松崎町岩科南側)
第74番 嵯峨山 永禅寺(松崎町岩科北側)
第75番 岩科山 天然寺(松崎町岩科北側)
第76番 清水山 浄泉寺(松崎町松崎)
第77番 文覚山 圓通寺(松崎町宮内)
第78番 祥雲山 禅海寺(松崎町江奈)
第79番 曹源山 建久寺(松崎町建久寺)

伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-11
第80番 萬法山 帰一寺(松崎町船田)
第81番 富貴野山 宝蔵院(松崎町門野)
第82番 照嶺山 東福寺(西伊豆町中)
第83番 照嶺山 東福寺(西伊豆町中)
第84番 正島山 法眼寺(西伊豆町仁科)
第85番 満行山 航浦院(沼津市西浦江梨)

伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印-12
(旧)第85番 授寶山 大聖寺(西伊豆町安良里)
第86番 吉祥山 安楽寺(伊豆市土肥)
第87番 専修山 大行寺(沼津市戸田)
第88番 奥の院 正覚院(伊豆市修善寺)
第88番 福地山 修禅寺(修禅萬安禅寺)(伊豆市修善寺)



【 BGM 】
■ by your side - Wise feat. Nishino Kana


■ Waiting For Love feat.Noa - 中村舞子


■ SWEET MEMORIES 松田 聖子
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■ 10曲のクリスマス・ソング

もうすぐクリスマスというのに、街の装いがぜんぜんらしくないですね。
もう、そんな余裕もなくなってしまったのかな。

でも、寒波きて寒さだけはクリスマスらしくなってきたので、個人的に好みの曲をアゲてみました。
例によって女性ボーカルオンリーで、「クリスマスっぽい」曲を含みます。

01.ClariS『サイレント・イヴ』リリック Music Video (Illustration: きさらぎゆり)


02.冬のロンドED「白い輪舞曲(詩月カオリ)」


03.地上に降りるまでの夜 - 今井美樹


04.SoulJa - SoulJa / Way to Love~最後の恋~feat.唐沢美帆


05.Musunde Hiraku - kalafina Live FOWT Special Final (Sub Esp/Eng/Romanji)


06.Suara 「舞い落ちる雪のように」 | WHITE ALBUM | エンディング


07.【ロッヂで待つクリスマス】松任谷由実/歌おうfavorite songs 171


08.荒牧陽子ガイドボーカル集 BoA(メリクリ)


09.「Over and Over」MUSIC VIDEO / Every Little Thing


10.Kumada Konoha(熊田このは) :You Raise Me Up (Full)




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■ CM JR東海 X'mas Express 深津絵里 1988年

CMだと、やっぱりこれかな。
セリフも大道具もワンコロもなんもない。それでも伝わるクリスマス感。
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■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-19

Vol.-18からのつづきです。
※文中の『ルートガイド』は『江戸御府内八十八ヶ所札所めぐりルートガイド』(メイツ出版刊)を指します。


■ 第55番 瑠璃光山 薬王寺 長久院
(ちょうきゅういん)
台東区谷中6-2-16
真言宗豊山派
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
司元別当:
他札所:江戸八十八ヶ所霊場第55番、弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場第8番、弘法大師二十一ヶ寺第19番、閻魔三拾遺第4番、江戸・東京四十四閻魔参り第12番

第55番は谷中の長久院です。

第55番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場ともに長久院で、第55番札所は開創当初から谷中の長久院であったとみられます。

下記史料、山内掲示、『ルートガイド』などから縁起・沿革を追ってみます。

長久院は、慶長十六年(1611年)幕府より賜地を得て宥意上人が神田北寺町に開山、慶安十一年(1658年)幕府による寺地召上げを受け、代地として賜った谷中の現在地へ移転したといいます。

『下谷区史 〔本編〕』によると、神田北寺町での賜地および創建、谷中への移転の事由や時期は多寶院(第49番)、自性院(第53番)と同様とみられます。

江戸期の長久院は、本堂に御本尊の金剛界大日如来、弘法大師、興教大師、不動尊、愛染明王、薬師如来、歓喜天三躰、地蔵尊を奉安し、御府内霊場としての要件を満たしていたとみられます。

本堂とは別に閻魔法王石像(台石とも六尺)を奉安。
こちらは閻魔三拾遺第4番、江戸・東京四十四閻魔参り第12番の札所となっており、御府内でも著名な閻魔様であったことがわかります。

こちらの閻魔法王石像は右左にそれぞれ司命、司録像を配し「六十六部造立石造閻魔王坐像及び両脇侍像」として台東区登載文化財に指定されています。
なお、閻魔法王(大王)王冥界の王で、司命は閻魔王の判決を言い渡し、司録は判決内容を記録する従者であるとされます。

台座銘文に六十六部聖の光誉円心が享保十一年(1726年)に造立とあります。
六十六部聖とは、生前の罪障を滅し、死後の往生に近づくために法華経を六十六部写経し、全国の六十六箇所の霊場に一部ずつ奉納して回る聖のことをいいます。

六十六部聖は巡拝先に奉納経石塔を建立することが多いですが、石仏を奉納する例もみられます。
石仏は地蔵菩薩が多く、閻魔王像は極めて稀であるとされ、この稀少さもあって区登載文化財に指定されている模様です。

『寺社書上』には「飯縄不動安置」とあり、飯縄修験の流れが入っていた可能性があります。
同じく『寺社書上』にある「稲荷社」は、鎮守神かもしれません。

長久院は「弘法大師二十一ヶ寺」第19番の札所でもあります。
この霊場は、「弘法大師二十一ヶ寺御詠歌所附版木」が伝える弘法大師霊場で、この附版木は寛政二年(1790年)の開版ですからかなり古い来歴をもちます。

これとは別に「弘法大師 御府内二十一ヶ所」という霊場もあります。
「ニッポンの霊場」様によると、この霊場は元禄(1688年)から宝暦(1751年)の間に開創とされる古い霊場で、宝暦五年(1755年)頃の開創とされる御府内霊場より古い可能性があります。

二十一ヶ所霊場は、八十八ヶ所霊場のミニ版として開創され八十八ヶ所と札所が重複するケースもみられますが、「弘法大師二十一ヶ寺」「弘法大師 御府内二十一ヶ所」ともに御府内霊場(八十八ヶ所)との札所重複は多くありません。
「弘法大師二十一ヶ寺」はお大師さまのご縁日二十一日に因んでの開創なので合点がいきますが、「弘法大師 御府内二十一ヶ所」についてはナゾが残ります。

「弘法大師二十一ヶ寺」はなにかのWeb資料から札所情報を入手しましたが、いま検索してもヒットしません。ご参考までにリストします。

【弘法大師二十一ヶ寺】
1番 萬昌山 金剛幢院 圓満寺
 真言宗御室派 文京区湯島1-6-2
2番 宝塔山 多寶院
 真言宗豊山派 台東区谷中6-2-35
3番 五剣山 普門寺 大乗院
 真言宗智山派 台東区元浅草4-5-16
4番 清光院 台東区下谷(廃寺)
5番 恵日山 延命寺 地蔵院
 真言宗智山派 台東区元浅草1-15-8
6番 阿遮山 円満寺 不動院
 真言宗智山派 台東区寿2-5-2
7番 峯松山 遮那院 仙蔵寺
 真言宗智山派 台東区寿2-8-15
8番 高野山 金剛閣 大徳院
 高野山真言宗 墨田区両国2-7-13
9番 青林山 最勝寺 龍福院
 真言宗智山派 台東区元浅草3-17-2
10番 本覚山 宝光寺 自性院
 新義真言宗 台東区谷中6-2-8
11番 摩尼山 隆全寺 吉祥院
 真言宗智山派 台東区元浅草2-1-14
12番 神勝山 成就院
 真言宗智山派 台東区元浅草4-8-12
13番 広幡山 観蔵院
 真言宗智山派 台東区元浅草3-18-5
14番 望月山 般若寺 正福院
 真言宗智山派 台東区元浅草4-7-21
15番 仏到山 無量寿院 西光寺
 新義真言宗 台東区谷中6-2-20
16番 鶴亭山 隆全寺 威光院
 真言宗智山派 台東区寿2-6-8
17番 十善山 蓮花寺 密蔵院
 真言宗御室派 中野区沼袋2-33-4(移転)
18番 象頭山 観音寺 本智院
 真言宗智山派 北区滝野川1-58-2
19番 瑠璃光山 薬王寺 長久院
 真言宗豊山派 台東区谷中6-2-16
20番 玉龍山 弘憲寺 延命院
 真言宗智山派 台東区元浅草4-5-2
21番 宝林山 大悲心院 霊雲寺
 真言宗霊雲寺派 文京区湯島2-21-6

このうち、「御府内八十八ヶ所」「弘法大師二十一ヶ寺」「弘法大師 御府内二十一ヶ所」の3つの霊場すべての札所となっているのは、霊雲寺(第28番/湯島)、多寶院(第49番/谷中)、自性院(第53番/谷中)、長久院(第55番/谷中)の4箇寺しかなく、札所重複が少ないことを示しています。

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【史料】
『御府内八十八ケ所道しるべ 人』(国立国会図書館)
五十五番
谷中寺町
瑠璃光山 薬王寺 長久院
本所弥勒寺末 新義
本尊:阿弥陀如来 弘法大師 興教大師

『寺社書上 [110] 谷中寺社書上 弐』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考P.97』
谷中不唱小名
新義真言宗 本所弥勒寺末
瑠璃光山薬師寺長久院
慶長十六年(1611年)二月、神田北寺町ニ●寺地拝領仕 其後慶安元年(1648年)右地所御用地ニ相成 同年十一月廿一日当所ニ●代地拝領仕候
開山宥意 寛永四年(1627年)正月三日寂
本堂
 本尊金剛 大日如来木像
 弘法大師 興教大師 不動尊
 愛染明王木坐像 薬師如来木坐像 歓喜天三躰金佛厨子入 地蔵尊木立像
宝篋印塔
閻魔法王石像、臺石共六尺
稲荷社
飯縄不動安置

『下谷区史 〔本編〕』(国立国会図書館)
長久院(谷中上三崎町一七番地)
本所彌勒寺末、瑠璃光山薬師寺と号す。本尊大日如来。当寺も亦多寶院、自性院等と同じく慶長十六年(1611年)二月、幕府より神田北寺町に地を給うて開創せられ、慶安元年(1648年)現地に移ったのである。開山は僧宥意。(寛永四年(1627年)一月三日寂)
境内に飯綱不動、石像閻魔等を安置する。



「長久院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)


原典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』根岸谷中辺絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊.国立国会図書館DC(保護期間満了)
※『江戸切絵図』では「長久寺」となっています。

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最寄りはJR「日暮里」駅で徒歩約10分。
東京メトロ千代田線「根津」駅からも歩けます。

三崎坂から南下して瑞輪寺よこを通り一乗寺に向かう路地沿いには、いくつかの寺院があってそのひとつ。
谷中寺町のほぼ中心部です。


【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 閉門時の山門

路地から少し引き込み、左右に築地塀と植栽をめぐらした山門の構えはなかなか風格があります。

山門は切妻屋根桟瓦葺の薬医門ないし高麗門で、見上げに院号扁額を掲げています。


【写真 上(左)】 山門の扁額
【写真 下(右)】 山内

山門をくぐると左手に智拳印を結ばれる金剛界大日如来像。


【写真 上(左)】 大日如来像
【写真 下(右)】 本堂と大師堂

参道正面が庫裡で、その右手に本堂、さらにその右手前に直角に向きを変えて大師堂。
本堂は寄棟造桟瓦葺流れ向拝、水引虹梁両端に雲形の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に繋ぎ虹梁、中備に本蟇股。
端正に整ったいい本堂です。


【写真 上(左)】 本堂向拝
【写真 下(右)】 閻魔様

本堂向かって右の堂前には、閻魔様、司命、司録が御座しています。
そばには「『笑いえんま』とよばれています。」という木板も掲げられていました。


【写真 上(左)】 大師堂
【写真 下(右)】 大師堂の扁額

大師堂は屋根に宝珠をおいた宝形造で流れ向拝。
向拝まわりの柱や虹梁はいずれも直線で、きっちりまとまった印象です。

御朱印は本堂向かって左の庫裡にて拝受しました。
なお、こちらは16:00閉門なので、時間に余裕をもった参拝をおすすめします。


〔 御府内霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に「本尊大日如来」「弘法大師」「興教大師」の揮毫と金剛界大日如来のお種子「バン」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右に「第五十五番」の札所印。左に院号の揮毫と寺院印が捺されています


■ 第56番 宝珠山 地蔵院 與楽寺
(よらくじ)
北区田端1-25-1
真言宗豊山派
御本尊:地蔵菩薩
札所本尊:地蔵菩薩
司元別当:
他札所:江戸八十八ヶ所霊場第56番、豊島八十八ヶ所第56番、武州江戸六阿弥陀霊場第4番、大東京百観音霊場第82番、上野王子駒込辺三十三観音霊場第21番、九品仏霊場第3番(上品下生)、豊島六地蔵霊場第1番、滝野川寺院めぐり第1番
※本記事は「■ 武州江戸六阿弥陀詣の御朱印」および「■ 滝野川寺院めぐり-1」から転載・追記したものです。

第56番は田端の與楽寺です。

第56番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場ともに與楽寺で、第56番札所は開創当初から田端の與楽寺であったとみられます。

北区観光ホームページ、下記史料、山内掲示、『ルートガイド』などから縁起・沿革を追ってみます。

與楽寺は弘法大師の建立とも伝わる密寺で、慶安元年(1648年)に寺領二十石の御朱印状を拝領、京都仁和寺の関東末寺の取締役寺を務められ末寺20余を擁したとされる名刹です。
『滝野川寺院めぐり案内』には康歴三年(1381年)銘の石塔の存在が記され、開創は相当に古そうです。

弘法大師の御作とも伝わる御本尊の地蔵菩薩は「賊除け地蔵尊」と呼ばれ、つぎの逸話が伝わります。
昔、ある晩、盗賊が與楽寺に押し入ろうとした時、どこからともなく多数の僧侶が出てきて盗賊の侵入を防ぎ、遂にこれを追い返してしまいました。
翌朝、御本尊の地蔵菩薩の足に泥がついているのが発見され、地蔵菩薩が僧侶に姿を変えられて盗賊を追い出したのだと信じられるようになりました。

これより御本尊の地蔵菩薩は、賊除地蔵尊と称されるようになりました。
これが與楽寺の賊除け地蔵伝説です。

與楽寺は武州江戸六阿弥陀霊場第4番札所でもあります。
武州江戸六阿弥陀霊場(江戸六阿弥陀)は、行基菩薩が一夜の内に一本の木から刻み上げた六体の阿弥陀仏と、余り木で刻した阿弥陀仏、残り木(末木)で刻した聖観世音菩薩を巡拝する八箇寺からなる阿弥陀霊場で、女人成仏の阿弥陀仏として崇められ、江戸中期から大正時代にかけて、とくに春秋の彼岸の頃に女性を中心として盛んに巡拝されたといわれます。
開創年代については諸説あり錯綜していますが、札所は確定しています。

第1番目 三縁山 無量壽院 西福寺
 北区豊島2-14-1 真言宗豊山派
第2番目 宮城山 円明院 恵明寺(旧小台村延命院)
 足立区江北2-4-3 真言宗系単立
第3番目 佛寶山 西光院 無量寺
 北区西ケ原1-34-8 真言宗豊山派
第4番目 宝珠山 地蔵院 與楽寺
 北区田端1-25-1 真言宗豊山派
第5番目 福増山 常楽院
 調布市西つつじヶ丘4-9-1(旧下谷(上野)広小路) 天台宗
第6番目 西帰山 常光寺
 江東区亀戸4-48-3 曹洞宗
木余の弥陀 龍燈山 貞香院 性翁寺
 足立区扇2-19-3 浄土宗
木残(末木)の観音 補陀山 昌林寺
 北区西ケ原3-12-6 曹洞宗

※武州江戸六阿弥陀霊場についてはこちらをご覧ください。

境内には密教の思想を表した南北朝時代の四面に仏を浮彫りにした南北朝時代の石の仏塔(四面四仏石塔屋)や、江戸時代の巡拝塔、廻国供養塔などがあります。

近在有数の名刹ゆえ、複数の霊場の札所を兼ねられますが、とくに御府内霊場と武州江戸六阿弥陀の参拝者が多いのでは。

また、こちらは滝野川寺院めぐり第1番発願寺でもあります。
こちらのご住職は滝野川寺院めぐり開創当時の滝野川仏教会の会長で、そのことから札所1番発願寺を務められているものと思われます。
→滝野川寺院めぐりについては、こちらをご覧ください。

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【史料】
『御府内八十八ケ所道しるべ 人』(国立国会図書館)
五十六番
田ばた村
宝珠山 地蔵院 与楽寺
京都仁和寺宮 壇林所 新義
本尊:延命地蔵菩薩 不動明王 弘法大師
御朱印弐拾石 拾八ヶ寺本地

『新編武蔵風土記稿』(国立国会図書館)
新義真言宗京都仁和寺末 寶珠山地蔵院ト号ス 慶安元年八月二十四日寺領二十石ノ御朱印を賜フ 本尊地蔵ハ弘法大師ノ作ナリ 昔当寺へ或夜賊押入シ時 イツク●ナク数多ノ僧出テ賊ヲ防キ遂ニ追退タリ 翌朝本尊ノ足泥ニ汚レアリシカハ 是ヨリ賊除ノ地蔵ト号スト傳フ 開山ヲ秀榮ト云
鐘樓 寶暦元年鑄造ノ鐘ヲカク
阿彌陀堂 本尊ハ行基ノ作ニテ六阿彌陀ノ第四番ナリ
九品佛堂 是モ近郷九品阿彌陀佛ノ内第三番ナリト云
稲荷社



「与楽寺」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)

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最寄りはJR「田端」駅で徒歩約4分。

田端駅は北口こそそれなりに賑やかですが、南口は降り立ったそばからまったくの住宅街で、山手線の駅前とはとても思えないのどかな空気がただよっています。
ここから南に与楽寺坂を下っていくと、左手に與楽寺が見えてきます。


【絵図】 江戸時代後期の田端村(北区教育委員会の與楽寺前説明板より/出典『江戸名所図絵』)

この坂のそばにはかつて芥川龍之介など文人の居宅があり、いまでも落ち着いたたたずまいを見せています。
芥川龍之介は、あたりの風景を「田端はどこへ入っても黄白い木の葉ばかりだ。夜とほると秋の匂がする」と描写しています。

 
【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 修行大師像と札所標

豊島郡有数の名刹の歴史を語るように、ゆったりとした間口を構えます。
山門は平成29年(2017年)建立で、切妻造本瓦葺の立派な四脚門。
山門左手には修行大師像と、御府内霊場第五十六番、六阿弥陀第四番の両札所標、それに上野王子駒込辺三十三観音霊場の札所標「西國廿一番 丹波國阿のう寺写」があります。


【写真 上(左)】 参道
【写真 下(右)】 霊堂

参道を進むと左手に霊堂。宝形造唐破風向拝の少し変わった雰囲気のお堂です。
その先には鐘楼。さらに進んだ右手にも宝形造のお堂があって、伽藍は整っています。
境内はよく整備され、名刹特有の荘厳な空気がただよっています。


【写真 上(左)】 鐘楼
【写真 下(右)】 右手のお堂と客殿


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 斜めからの本堂

参道正面に本堂。
入母屋造本瓦葺流れ向拝。降り棟、隅棟、稚児棟をきっちり備える堂々たる仏殿です。
水引虹梁両端に雲形木鼻、頭貫上に出三ツ斗、身舎側に海老虹梁と雲形の手挟を伸ばし、中備に板蟇股を置いています。
正面桟唐戸の上に「與楽寺」の扁額。
向拝両脇の花頭窓と身舎欄間の菱格子が、引き締まった印象を与えます。


【写真 上(左)】 本堂向拝
【写真 下(右)】 本堂向拝見上げ

本堂に御座す御本尊の地蔵菩薩は弘法大師の御作と伝わり、盗賊の侵入を追い返された「賊除地蔵」としても知られる秘仏です。

本堂右手が客殿。切妻造桟瓦葺唐破風付きの整った意匠は、本瓦葺の本堂とバランスのよい対比を見せています。

本堂右手脇にも上野王子駒込辺三十三観音霊場の札所標がありますが、こちらは「西國弐拾九番」となっています。
第29番は東覚寺で、標中に「是」「道」の文字があるので、札所導標かもしれません。


【写真 上(左)】 客殿
【写真 下(右)】 阿弥陀堂

本堂向かって右手が阿弥陀堂で、こちらは武州江戸六阿弥陀第4番目の札所です。
「江戸六阿弥陀」と「滝野川寺院めぐり」とは複数の札所(第1番與楽寺、第9番無量寺、第10番昌林寺)が重複しています。

入母屋造桟瓦葺流れ向拝。水引虹梁両端に木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に板蟇股。
正面板戸の上に「六阿弥陀 第四番」の扁額。
シンプルな虹梁と両脇の連子が効いて、シャープな印象の向拝です。
札所本尊の阿弥陀如来は行基作と伝わります。


【写真 上(左)】 阿弥陀堂の扁額
【写真 下(右)】 本堂と阿弥陀堂のあいだのナゾのお堂

阿弥陀堂の右手、本堂とのあいだにもうひとつ宝形造のナゾのお堂がありますが詳細不明。
お堂の手前に観音様の線刻碑があるので、観音堂かもしれません。

御朱印は本堂向かって右手の客殿で拝受します。ここは5回以上参拝していますが、いずれも揮毫御朱印をいただけました。

〔 御府内霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に「本尊 地蔵菩薩」「弘法大師」の揮毫と三寶印(蓮華座+宝珠)。
右に「第五十六番」の札所印。左に寺号の揮毫と寺院印が捺されています。

 
【写真 上(左)】 豊島八十八ヶ所霊場の御朱印
【写真 下(右)】 江戸六阿弥陀第4番目の御朱印


■ 滝野川寺院めぐりの御朱印


■ 第57番 天瑞山 観福寺 明王院
(みょうおういん)
台東区谷中5-4-2
真言宗豊山派
御本尊:阿弥陀如来
札所本尊:阿弥陀如来
司元別当:
他札所:江戸八十八ヶ所霊場第57番、弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場第5番

第57番は谷中の明王院です。

第57番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場ともに明王院で、第57番札所は開創当初から谷中の明王院であったとみられます。

下記史料、山内掲示、『ルートガイド』などから縁起・沿革を追ってみます。

明王院は、慶長十六年(1611年)二月、御水尾天皇の勅願により、幕府より神田北寺(小寺)町に寺地を給せられ、僧辨圓が創建。慶安元年(1648年)同所が幕府用地となつたため谷中に移ったといいます。
『下谷区史 〔本編〕』によると、神田北寺町での幕府からの賜地、谷中への移転の事由や時期は多寶院(第49番)、自性院(第53番)、長久院(第55番)と同様とみられますが、『ルートガイド』には慶安元年(1648年)に一旦谷中清水坂に遷ったあと、万治三年(1660年)に現地に移転とあります。

本堂には御本尊阿弥陀如来を奉安。
境内聖天堂には大聖歓喜天尊と本地十一面観世音菩薩、不動堂には不動尊、大師堂には弘法大師像を安置と伝わり、御府内霊場としての要件を満たしていたとみられます。

『寺社書上』にある「稲荷社」は、鎮守神かもしれません。


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【史料】
『御府内八十八ケ所道しるべ 人』(国立国会図書館)
五十七番
谷中三●●町
天瑞山 観福寺 明王院
本所弥勒寺末 新義
本尊:阿弥陀如来 弘法大師 興教大師

『寺社書上 [111] 谷中寺社書上 三』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考P.101』
谷中不唱小名
新義真言宗 本所彌勒寺末
天瑞山歓福寺明王院
権現様御代慶長十六年(1611年) 開山辨圓法印代 於神田小寺町ニ拝領仕候
大猷院様御代慶安元年(1648年)中、右之寺地御用地ニ付被召上、谷中●代地拝領仕候
開山 辨圓法印 寛永五十月四日遷化
中興開基 朝誉法印、宝永三年(1706年)遷化
本堂
 本尊 阿弥陀佛 丈一尺七寸立像
聖天宮 尊像金佛秘尊 本地十一面観音立像
不動堂 不動尊丈五寸座像
稲荷社 神躯幣束

『下谷区史 〔本編〕』(国立国会図書館)
明王院(谷中初音町一丁目二三番地)
本所彌勒寺末、天瑞山觀福寺と号す。本尊三尊彌陀如来。
当寺も慶長十六年(1611年)二月、幕府より神田北寺町に於て寺地を給せられ、僧辨圓の建立する所で、慶安元年(1648年)同所は幕府用地となつたため現地に移つた。
境内聖天堂には大聖歓喜天像を安置し、大師堂には弘法大師像を安置する。



「明王院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)


原典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』根岸谷中辺絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊.国立国会図書館DC(保護期間満了)

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最寄りは東京メトロ千代田線「千駄木」で徒歩約5分。
JR「日暮里」駅からも歩けます。

千駄木から谷中霊園へ向かう三崎坂をほぼ登り切ったところに道に面してあります。
このあたりも谷中寺町のほぼ中心部に当たります。


【写真 上(左)】 山内入口
【写真 下(右)】 院号標

山内入口の門柱は院号標を兼ねています。
参道左手に六地蔵、正面に大師堂がみえます。
大師堂前を斜め左に折れると、その正面が本堂です。

山内は手入れが行き届いてきもちがいいです。

大師堂右手前には、椅子式の牀座に坐される真如親王様の弘法大師像が刻まれた見事な宝篋印塔(納経塔?)があります。


【写真 上(左)】 六地蔵
【写真 下(右)】 宝篋印塔

当山は明治17年(1884年)の火災で堂宇を焼失し、本堂は昭和46年(1971年)、大師堂は平成7年(1995年)に再建されています。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 天水鉢


【写真 上(左)】 本堂向拝
【写真 下(右)】 本堂扁額

本堂は宝形造桟瓦葺流れ向拝で、屋根には火焔宝珠を置いています。
近代建築で向拝まわりはコンクリ造ですが、小壁に菱格子、向拝左右に花頭窓を置き引き締まった意匠です。
向拝見上げには山号扁額を掲げています。


【写真 上(左)】 大師堂(手前)と本堂(奥)
【写真 下(右)】 大師堂


大師堂は宝形造本瓦葺で向拝柱はなく、屋根には宝珠を置いています。
大師堂前から拝むと、本堂の桟瓦と大師堂の本瓦、本堂の火焔宝珠と大師堂の宝珠が呼応して、見応えのある意匠となっています。


【写真 上(左)】 大師堂扁額
【写真 下(右)】 注意書き

山内には納経ないし読経を促す掲示があり、勤行式を貸し出しいただけます。
「大師堂のお大師さま、本堂の阿弥陀如来両方にお参り下さい。」とあるので、やはり御府内霊場(というか弘法大師霊場)の正式参拝はお大師さまと御本尊(ないし札所本尊)への参拝ということになるのでしょう。

御朱印は本堂向かって左手前の庫裡にて拝受しました。


〔 御府内霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に阿弥陀如来のお種子「キリーク」「本尊阿弥陀如来」「弘法大師」「興教大師」の揮毫と「キリーク」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右に「第五十七番」の札所印。左に院号の揮毫と寺院印が捺されています。


■ 第58番 七星山 息災寺 光徳院
(こうとくいん)
公式Web

中野区上高田5-18-3
真言宗豊山派
御本尊:千手観世音菩薩
札所本尊:千手観世音菩薩
司元別当:
他札所:江戸八十八ヶ所霊場第58番、山の手三十三観音霊場第22番、大東京百観音霊場第65番

第58番は中野・上高田の光徳院です。

第58番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場ともに光徳院で、第58番札所は開創当初から光徳院であったとみられます。

公式Web、下記史料、山内掲示、『ルートガイド』などから縁起・沿革を追ってみます。

光徳院の創建年代等は不詳ながら、開山の亮珍和尚が寛永十八年(1641年)寂なのでそれ以前の創建とみられます。

開創は二番町(半蔵門)の地で、慶長十一年(1606年)、江戸城構築(拡張)の際に二番町(半蔵門)から市ヶ谷田町へ、寛永十二年(1635年)市ヶ谷柳町へ移転したともいいます。
さらに牛込柳町に遷った後、明治43年に中野・上高田の当地に移転しました。

なお、中野・上高田は御府内から移転した寺院で一種の寺町を形成しています。

寺宝の千手観世音菩薩は高さ三尺三寸の木像で、「子育観音」と呼ばれます。
第六〇代醍醐天皇の御代延喜元年(901年)に右大臣菅原道真公が筑紫・大宰府に左遷のみぎり、自刻され供養礼拝された尊像と伝わります。

久しく筑紫の千手坊に御座しましたが、縁あって中野宝仙寺の十四世秀雄法印に預けられ、秀雄法印が中野宝仙寺より光徳院に転住された際にこの尊像を守護され山内に一宇を建立、安置したとの由。
秀雄法印(寛永十九年(1642年)寂)は当山の中興とされています。

本堂に御本尊大日如来、弘法大師木座像、理源大師木座像を奉安。
観音堂には、菅原道真公自刻と伝わる千手観世音菩薩木立像が奉安され、『寺社書上』には「山ノ手廿二番 江戸五拾八番」とあります。
「山ノ手廿二番」は、山の手三十三観音霊場第22番を示すとみられます。
「江戸五拾八番」は、おそらく江戸八十八ヶ所霊場第58番を示し、「江戸八十八ヶ所霊場=御府内霊場」であった可能性を示唆しています。

観音堂には、菅原道真公との所縁をあらわす菅家像木立像も奉安。
地蔵堂堂宇本尊の地蔵尊石佛は「塩地蔵」と呼ばれていたようです。
鎮守社ともみられる稲荷社は、「妙見天満愛宕金毘羅相殿」とあります。

平成7年落成の五重塔は木造瓦葺きで、全国から仏塔愛好家が参拝に訪れるそうです。


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【史料】
『御府内八十八ケ所道しるべ 天』(国立国会図書館)
五十八番
市ヶ谷柳町
七星山 息災寺 光德院
音羽町護國寺末 新義
本尊:千手観世音菩薩 不動明王 弘法大師

『寺社書上 [111] 谷中寺社書上 三』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考P.46』
市ヶ谷柳町
新義真言宗 大塚護國寺宗
七星山息災寺光德院
起立慶長十一年(1606年)以前弐番丁住居仕候御用地ニ付市ヶ谷田町に替地 寛永十二年(1635年)御堀御普請ニ付当地拝領仕候 
開山 亮珍 寛永十八年(1641年)寂
中興 秀雄 寛永十九年(1642年)寂
本堂
 本尊 大日如来木座像
 弘法大師木座像 理源大師木座像
観音堂
 千手観音木立像 山ノ手廿二番 江戸五拾八番 以下尊像御縁起
 菅家像木立像 馬頭観音唐銅座像 脇立六観音木立像 不動明王木立像
閻魔堂
 閻魔王木座像三尺三寸
 前立千手観音木立像
 西國三拾三ヶ所観音木立像
 十王
稲荷社 妙見天満愛宕金毘羅相殿
地蔵堂 地蔵尊石佛 塩地蔵と唱



「光德院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)


原典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』市ヶ谷牛込絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊. 国立国会図書館DC(保護期間満了)

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最寄りは西武新宿線「新井薬師前」駅で徒歩約10分。
哲学堂公園の南にあり、周辺は妙正寺川沿いに公園や緑道がつづく緑ゆたかなところです。


【写真 上(左)】 院号標
【写真 下(右)】 石標

住宅街のなかにかなり広い山内を構えています。、
山内入口に院号標と御府内霊場札所標。そのよこには「天満宮御直作 千手観世音菩薩」の石標も建っています。


【写真 上(左)】 札所標
【写真 下(右)】 山門と五重塔


山門は常閉のようで、切妻屋根本瓦葺。
山内側からの写真を撮り忘れたので断言できませんが、おそらく四脚門で、水引虹梁両端に見返り獅子の木鼻を備えて風格があります。


【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 五重塔

伽藍配置をよく覚えていないのですが、五重塔、観音堂、本堂があります。
五重塔は均整のとれた意匠で、住宅街のなかにこのような立派な五重塔が聳え立つさまはある意味驚きがあります。


【写真 上(左)】 観音堂
【写真 下(右)】 観音堂扁額

観音堂は桟瓦葺の方形造とも思いますが、降り棟、稚児棟の意匠が複雑で断言できません。
向拝柱を構え、向拝見上げに「観音堂」の扁額を掲げています。

向拝柱掲出の古い札所板は「本尊千手観世音菩薩 ●●●(霊場名解読不能)第二十八番」と読めます。
こちらは山の手三十三観音霊場第22番の札所ですが、第28番札所に定められた別の観音霊場があったのかもしれません。


【写真 上(左)】 観音堂札所板
【写真 下(右)】 本堂

本堂はおそらく入母屋造銅板葺の妻入りで、妻部の千鳥破風の下に向拝を附設しています。
水引虹梁両端に獅子・貘の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に板蟇股と両脇に二連の斗栱、その上に二軒の垂木という風格ある構えです。
向拝見上げには「大日閣」の扁額を掲げています。



【写真 上(左)】 本堂向拝
【写真 下(右)】 本堂扁額

御朱印は庫裡にて拝受しました。


〔 御府内霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に千手観世音菩薩のお種子「キリーク」「千手観世音」「弘法大師」の揮毫と「キリーク」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右に「御府内第五十八番」の札所印とその下に五重塔の印。
左に院号の揮毫と寺院印が捺されています。

以下、つづきます。
(→ ■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-20


■ 札所リスト・目次など
■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-1



【 BGM 】
■ Just Be Yourself - 杏里


■ ヒカリヘ - miwa
far on the water - Kalafina

■ Sayonara Solitia - Yuki Kajiura
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■ 富金原佑菜ちゃんのナイステイク

急で申し訳ないですが、富金原佑菜ちゃんのLIVE情報です。
今回、配信があります。(アーカイブ:2023/12/29まで)
先ほど、配信チケ購入しました。



■ 命 - 富金原佑菜(Live version)/


@yunafukinbara 明日はライブです! 銀座miiyacafeにてお待ちしてます✨ 由薫さんヴァスカル家のとかから好#由薫#星月夜 #星降る夜に ♬ オリジナル楽曲 - 富金原佑菜ふきんばらゆうな



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2023/10/10 UP

■ Kyrie(アイナ・ジ・エンド)- キリエ・憐れみの讃歌 [Official Music Video](映画『キリエのうた』主題歌)


曲を聴いた瞬間にアーティストの姿が浮かんでくることが希にあります。
↑ を聴いたとたんに、富金原佑菜ちゃんの歌声が浮かんだ。

思いっきりエモーショナルに、声の束をぶつけて歌ってほしい。
そんなことを考えさせるポテンシャルをもった歌い手だと思う。

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2023/08/21 UP

全国各地でLIVE連打中。
表現の幅がどんどん広がってる感・・。

@yunafukinbara #君の知らない物語 #化物語#物語シリーズ #supercell#アニメ#アニソン#anime ♬ オリジナル楽曲 - 富金原佑菜ふきんばらゆうな

↑ 強くて複雑な声質を活かしてこなしたこういう「君の知らない物語」って、聴いたことないような気がする。
フルで聴いてみたい。

■「君の知らない物語」名カバー


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2023/06/12 UP

■ OH MY LITTLE GIRL - 富金原佑菜 Music Video

表現の幅が広がって、新境地の歌い方してるかな?
この曲だったら、佑菜ちゃんのどの歌い方してもハマると思うので、迷ったかも。

■ 富金原佑菜「OH MY LITTLE GIRL (尾崎豊)」2017/12/09 なんば駅前 路上ライブ



個人的には佑菜ちゃんの「破綻してもそれはそれでOK的」な気っ風のいい(誰も真似のできない)歌いまわしが好きなので、機会があったらこういうテイクも聴いてみたい。↓

■ 富金原佑菜×三阪咲「Y (C&K)」2018/09/17 あべのAステージ


■ 富金原佑菜「流星群 (鬼束ちひろ)」2018/09/17 あべのAステージ

こんなエモーショナルな歌いまわし、なかなかできないと思う。
破綻するかしないか、ぎりぎりのところで出てくる”富金原オリジナル”。
こいつはたまらん。

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2023-04-30 UP

2023/04/29のセトリです。

01.見えないボク
02.九月と霞
03.I Wanna Be You
04.嘘つき
05.命
06.モノクロ

■ 九月と霞 - 富金原佑菜

↑ オリジナル。
切ないメロディラインをうまく歌いこなしていた。

■ Flaver of Life/宇多田ヒカル Covered by 富金原佑菜

↑ こういう難曲歌ったら天下一品。
複雑な成分をもつ歌声が、難曲でエモーショナルに活きる。

リズムのつかみ抜群に巧いから、リズム入りのバージョンも歌ってほしい(オケでもいいので・・・)


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2023/04/28

下記のとおり、明日(4/29)代官山でLIVEがあります。
配信もありますので、購入しました。

4月29日(土・夜)代官山NOMAD
NOMAD presents
耳に残るは君の音vol.11

配信スタート18:30
配信¥2000

open 18:00 start 18:30
前売 ¥2800 当日 ¥3300(drink別)

出演:増田桜美 / 蒲田めい / 優花 / 富金原佑菜

配信購入は→こちら(ツイキャス)




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2023/04/08 UP

4/9(日)下北沢でワンマンライブがあります。
キーボード弾き語りのライブのようです。

日曜は仕事なので残念ながら行けませんが、興味ある方はどうぞお運びくださいませ。



@yunafukinbara この曲の歌詞好きすぎる!ぜひ和訳を見ながら聞いて欲しいです!!#loveyourself #ジャスティンビーバー #justinbieber #ラブユアセルフ #洋楽#歌ってみた #弾き語り#大学生#04 ♬ オリジナル楽曲 - 富金原佑菜ふきんばらゆうな



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2023-02-05 UP

昨日のLIVEのアーカイブ、視てみました。
※埋め込み動画は過去のLIVEです。

1.lonely girl(オリジナル?/ギター)

2.1時間前まで彼氏だった君(オリジナル/ギター)


3.群青(オリジナル/オケ)
(パフォーマート・オブ・ミュージック主催イベント 2019.12.30 @江坂MUZE)


4.Go ahead(オリジナル/オケ)

5.モノクロ(オリジナル/オケ)


佑菜ちゃんの声の強さからすると、やっぱりオケの方が歌声が映えるような気がする。
(ベストはフルバンド)

声のバリエーションが増えてて、どれをメインにかますか迷っている感じも・・・。
まぁ、これは贅沢な悩みか(笑)

個人的にはモノクロかベストだったかな。

でも、著作権の問題あるのかもしれないけど、やっぱり ↓ 流星群、聴きたかった。

■ 富金原佑菜「流星群 (鬼束ちひろ)」2018/09/17 あべのAステージ

こんなエモーショナルな歌いまわし、なかなかできないと思う。
破綻するかしないか、ぎりぎりのところで出てくる”富金原オリジナル”。これはたまらん。


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2023-02-03 UP

明日、赤坂でLIVEです。
行けないので、配信TICKET購入しました。

2/4 (土)
navey floor AKASAKA
【#ガルスピ vol.8】
出演:naco / 有羽【Glace】/ 富金原佑菜
●OPEN/START 11:30/ 11:45
終演後物販

●会場TICKET ¥3,500 (D別)
https://tiget.net/events/223755

●配信TICKET ¥2,000 (アーカイブ1週間)
https://twitcasting.tv/c:bluemy0108/shopcart/209401

今後のライブ日程は→こちら
ほんとに精力的に活動してます。

■ Flaver of Life/宇多田ヒカル Covered by 富金原佑菜

↑ 複雑な成分をもつ歌声が、難曲でエモーショナルに活きる。


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2023-01-21 UP

明日午後、下北沢でワンマンライブです。
たぶんソールドアウトしてると思うが。

明日は東京にいないので行けず、配信もなさそうなので視れないですが、
このところ精力的に活動してるので、きっといいLIVEになると思います。


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2022/12/13 UP

アーカイブ、聴いてみました。
佑菜ちゃんは全7曲。
曲名不明な曲があるので、セトリは上げません。

6曲がギターの弾き語り、1曲(Go ahead)がオケ。
声のバラエティ感と深みはピカ一だったと思う。

けっこうアグレッシブな歌いまわしが多いので、キーボードの弾き語りも面白いかも ↓
■ 春風/富金原佑菜


・Riju
声がよく響いていた。
ハイトーンがいちばん綺麗だったのはこの子かも・・・。

Riju / anemone【Official Music Video】


・とっこのんか(大阪)
ギターの音色がなかなかでは? エモーショナルな歌いまわしだった。

・mae
京都のシンガー。パフォーマンスに一番安定感があったのはこの子かも。

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2022/12/09 UP

本日、富金原佑菜ちゃんのLIVEです。

12月9日(金) 下北沢Laguna
OPEN 18:30 START 19:00
出演:mae/Riju/とっこのんか(大阪)/富金原佑菜

所用で行けないので、配信視聴チケ購入しました。
詳細は→ こちら


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2022/12/01 UP
このところ、さらに精力的に活動している模様です。

今後の予定を4つほど。

1.12月5日(月) 代官山NOMAD
出演:aro/咲耶/mame/富金原佑菜/and more
配信視聴チケあり
→ 詳細はこちら

2.12月9日(金) 下北沢Laguna
出演:mae/Riju/とっこのんか(大阪)/富金原佑菜
配信視聴チケあり
→ 詳細はこちら

3.12月29日(木) 江坂ミューズホール(大阪府吹田市)  
出演:富金原佑菜/下尾礼子(ツーマンLIVE)
配信視聴チケ不明
→ 詳細はこちら

4.1月22日(日) 下北沢ニュー風知空知
出演:富金原佑菜(ワンマンLIVE)
配信視聴チケ不明
→ 詳細はこちら


■ 富金原佑菜 - ドイツの想い出 ~群青(オリジナル曲)~

作詞・作曲能力を感じるオリジナル曲。

■ カタオモイ/Aimer(Covered)

歌ってる表情がとてもいい。
歌って伝えることが本当に大好きなんだと思う。


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2022/07/06 UP

7月10日(日)
代官山NOMADにて、富金原佑菜ちゃん出演のLIVEがあります。
NOMAD presents
木漏れ日揺れるあの窓辺でvol.7
出演:富金原佑菜 / 山本紗江 / 長澤明日香 / and more

open 12:00  start 12:30
前売 ¥2,800 当日 ¥3,300 (drink ¥600別途)

配信は¥2,000で、出演者が動画UPした場合は14日間再視聴できます。

詳細は→こちら

当日は会場に行けないので、配信チケをゲットしました。


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2022/06/11 UP

■ enemy (Acoustic Cover) - 富金原佑菜 Music Video


繊細な感情の込め方が、さらに巧くなっている感じがする。
余裕感が増して、すでにオトナな歌い方できると思う。
生ドラムス含むフルバンドをバックに、グルーヴ系アップテンポの曲を歌い切ってほしい。


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2022/04/29 UP

大学生になって東京にきてるんだよね。たしか。
このところ、精力的に活動してる。
歌声にさらに大人びたフェミニンな色気がくわわって、まだまだ伸びていく予感。

■ Overload - 富金原佑菜 Music Video

アニソンのこなしもばっちり。

■ Go ahead - 富金原佑菜 Music Video

作曲能力が高いのも佑菜ちゃんの強み。

New ALUBUM『mirror』

新譜のCD買ったの、熊田このはちゃんの1stCD以来だわ・・・(笑)

■ Step (MASHIN HERO WATARU OP) 【GUEST: YUNA FUKINBARA (富金原佑菜)】ANIME SONGS PARTY! SESSION#04

↑ 優れた声質が際立つSESSION。

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2022/03/22 UP

富金原佑菜 「境界戦機」イメージアルバム『mirror』  2022年4月13日リリース!

■ Trailer


もちろん予約しましたよ。
詳細は → こちら

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2021/12/04 UP

10月から始まったテレビ東京系のテレビアニメEDのボーカルに抜擢されています。(→ 関連記事

■ You're my perfect mirror - 富金原佑菜

作詞・作曲・編曲はeijun。
けっこうな難曲だけど、難曲キラーの佑菜ちゃん、この程度なら全然問題なしかと・・・。
いつになく、透明感あるハイトーンを繰り出していると思う。
これをきっかけに活動の場が広がるといいね。

ボカロ系(YOASOBI系)のこんな曲↓だって、(たぶん)楽勝でこなしてるもんね。
やっぱり音に対する感性が抜群だわ。
■ さくらの夜 - ねじ式 feat.富金原佑菜


■ 流星群 - 富金原佑菜 2018/09/17 あべのAステージ

やっぱり名演! 久しぶりに聴き入った。
こういうスケールの大きい曲を、キレ味するどく歌いあげられる才能。そうはいないと思う。


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2021/09/25 UP

■ me me she/RADWIMPS【高3が歌ってみた】

清楚なルックスと、エモーショナルで芯の強い歌いまわしのギャップが「ならでは」の魅力になるかも・・・。

■ 打上花火( / DAOKO X 米津玄師) - 富金原佑菜&熊田このは
2019/04/29 花の彩りコンサート / 溝ノ口劇場

伝説のLIVE、聴きなおしてみました。

2人とも圧倒的なオリジナリティ。
ユニゾンパート、ふたりとも倍音もってると思うので、声の響きがすごい。数人のコーラスみたい。
全曲ユニゾンで歌っても全パート聴き分けできる自信あり(笑)

やっぱりカラバトU-18世代の実力は図抜けていると思う。

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2021/08/16 UP

聴いてみました。
4人ともハイレベル。キャラも立っていた。

こういう状況だから、ほとんどギター1本の弾き語りだった。
でも4人とも、バンド・サウンドと対峙できるレベル。

はやくコロナ禍が収束して、バンド競演のライブができるようになるといいですね。
バンドとの掛け合いは、やっぱりライブの醍醐味だから。

■ 富金原佑菜「lonely girl」2019/12/30 The Band Night Vol.3 ESAKA MUSE


ピアノで弾き語りしたこの曲 ↓ よかった。そしてもう1曲の新曲も。
■ 命 / 富金原佑菜

ピアノ、ギターが弾けて、作詞・作曲・アレンジができるって、やっぱり強いと思う。
かなりいい曲つくるし。

声にますます深みが増しているような気がする。
アグレッシブだけど、包容力を兼ね備えている声。「声の束」をつくり出せるたぐいまれな才能。

〔原曲〕
■ milet - inside you / THE HOME TAKE

東京五輪閉会式で歌った人。ソニー・ミュージックアーティスツ所属。

〔富金原佑菜カバー/高2歌ってみた〕
■ inside you(milet)

声の成分が多彩だし響きが強い。やっぱりきっと倍音もってる。
細かな音符や休符を散りばめたような粒立ちとキレ。
そして、わき上がってくるエモーション。

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本日 18:00~ LIVEがあります。
ツイキャスでも視られます。(2,100 円、視聴期限: 2021年8月30日(月) 23:59 まで)
 
2021/08/16
NaturalWoman SP @南堀江knave
出演: 天野花・富金原佑菜・二段優希・植城微香
各者35分ステージとなります。
※詳細は→こちら

■ 月光/鬼束ちひろ

この曲、ぜったい合ってると思ってたけど、やっぱりそうだった。


その後、 21:30-22:00に堀優衣ちゃんのプチプチライブがあります。

8/16 (月) 21:30-22:00
堀優衣プチプチライブ(YouTube) ※アーカイブはありません。
http://youtu.be/BkiWek__Tvo
※詳細は→こちら

今晩は「歌の女神」三昧!

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2021/06/19 UP

■ One Last Time - Ariana Grande

やっぱり洋楽のこなし巧い。
並みの才能じゃ、なかなかここまでのスケール感は出せないと思う。

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2021/04/24 UP

■ 夜永唄/神はサイコロを振らない[高3]

スケールアップしてる。
佑菜ちゃん、こういうエモーショナルな難曲、ハマると凄い。

■ 神はサイコロを振らない - 「未来永劫」【Official Music Video】

神サイ、なぜか洋楽の誰かを思い起こしたけど(Rushかな?)、やっぱり違う。
個人的に ↑ こういう変則リズム、好きなんですけど・・・。
メロ進行もオリジナリティあって、いいと思う。
どこかのタイミングで大きくブレイクするかも・・・。

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2021/02/28 UP
2/26に名古屋でツーマンライブ、やったみたい。

佑菜ちゃんの声の強さが実感できる動画3点 ↓

■【音楽チャンプ Presents「愛は勝つ」】歴代の最強歌うま7人がリモートリレー!!

完璧な「カノン進行」曲(笑)で、歌いまわしの違いがよく出る。
みな巧いけど、なかでも佑菜ちゃんの声の力感が際立っていると思う。

■【音楽チャンプ Presents「点描の唄」】歌うま女子高生コンビが「遠隔ハモリ」に挑戦!!(富金原佑菜&上田桃夏)

声のバランスの件は、音量というより声質によるところが大きいと思う。
佑菜ちゃんの声はオリジナリティにあふれた力感の強いものなので、デュエットはなかなかたいへんだと思う。
上田桃夏ちゃん、情感を込められそうな声質で、音域も広い。がんばれ!

■【富金原佑菜 & 熊田このは 泣き出しそうだよ / あいみょん】

伝説の2019/4/29 「花の彩りコンサート」@溝ノ口劇場 w/ 熊田このはちゃん。
アップビート系のグルーヴ曲で、リズムのこなしがむずかしい難曲。
ふたりともゆったりとしたからだの揺らし。
リズム感に優れた歌い手って、こういうリズムのとりかたするよね。リズムに合わせるでもなく、踊るでもなく・・・。

このはちゃんのつやっつやの美声に、密度の濃い深みある声色をぶつけて四つに組んで譲らず。
このはちゃん、佑菜ちゃんに触発されたのかな(笑)。かなり強い声だしてると思う。

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2020/11/29 UP

■ Hello/Adele

洋楽のなかでも難曲だと思うけど、安定感があってニュアンスも出てる好演!
曲幅が広がって、まだまだ伸びそうな予感ばりばり。

カブトムシ/aiko【高2歌ってみた】

これもナイステイク。
こういう自由に歌い崩せる曲、向いていると思う。

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2020/11/13 UP

LINE LIVEでLIVEやってるよ! (20:00~)↓
告知(ツイッター)

オケなしのショートテイクだけだったけど、やっぱり声じたいに魅力があると思う。
1/17(日)大坂でライブ開催予定です。
ツイ告知

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2020/11/12 UP

「これから毎週金曜日の20時から配信しようと思います!」とのこと。
ツイッター
このところ活動ペースが上がってきている感じかな?
楽しみ。

宿命/official髭男dism(cover富金原佑菜[高2])


〔 関連記事 〕
黄金の世代? なう
佐久間彩加ちゃん、鈴木杏奈ちゃん、富金原佑菜ちゃん、熊田このはちゃん、原藤由衣ちゃん、堀 優衣ちゃん

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2020/10/16 UP

富金原佑菜ちゃんの最新の「流星群」↓、UPされました。
(YouTube Liveもやってます。)

■ 流星群/鬼束ちひろ【cover by富金原佑菜】

得意曲をすごく丁寧に歌っているナイステイク。

■ 富金原佑菜「流星群 (鬼束ちひろ)」2018/09/17 あべのAステージ

個人的にはリズムへの乗りがよく、エモーショナル感炸裂の ↑ のテイクもいいと思う。

それにしても、この声の強さはいったい何事?
太い低音出せるのも大きな武器だと思う。
感情の乗せ方が巧いし、たぶんスケールの大きい曲ほど真価が発揮されるシンガー。
それと、勝負師的な舞台度胸があるような感じがする。

■ 富金原佑菜「三日月 (絢香)」2019/04/14 テラスウォーク一宮 2部

難曲、「三日月」を、ほとんどオリジナル曲にしてる(笑)

■ 富金原佑菜「群青」2019/12/30 The Band Night Vol.3 ESAKA MUSE

オリジナル曲の「群青」。作詞作曲の才能もあると思う。
複雑な成分を束にしてぶつけてくるような声質は、聴き応え十分。

■ 富金原佑菜 & 熊田このは 打上花火 DAOKO X 米津玄師 2019/04/29花の彩りコンサート / 溝ノ口劇場

伝説の2019/4/29 「花の彩りコンサート」@溝ノ口劇場 w/ 熊田このはちゃん。
熊田このはちゃんとの貴重なコラボLIVE。すごく面白いLIVEだった。
声質も唱法も対照的だけど、それだけに聴きどころがたくさん!
ユニゾンでもおのおのの声がしっかりと魅力を帯びてきこえるのが凄い。これがオリジナリティ。
スーパーソブラノ、熊田このはちゃんとハイトーンで一歩も引かずにユニゾンバトルを展開(笑)
こういう、アクロバティックなテイクを繰り出せるのが、佑菜ちゃんの魅力のひとつだと思う。

それにしても、この世代、ほんとうにレベル高いわ。

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〔 以前の関連記事 〕
2020/08/03 UP

富金原佑菜ちゃんの無観客ライブやってるよ!

8月3日(月)20時から

こちら

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パフォーマンスも音響も映像も安定していて、いい動画LIVEでした。
アンコール含めて60分間のLIVE。
アカウント管理が悪くてコメントも投げ銭もできんかった。すんません。
次回はぜひ!

ラスト曲

富金原佑菜「群青」2019/12/30 The Band Night Vol.3 ESAKA MUSE


アンコール曲

富金原佑菜「モノクロ」2018/07/14 DreamCube


→この記事でも書いたけど、声の成分が複雑でなかなかいないタイプ。それと声量のキャパシティ。(ぜったいお腹で支えてる)
すでに自分の世界もっているので曲がはまれば大化けするかも?
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■ LIVEに耐えられる力量 (2023 FNS歌謡祭)

■ 2023 FNS歌謡祭 第2弾、さきほど録画したやつ視てみました。
ほとんどが早送りだったけど・・・(笑)

曲毎の楽曲のでき&アーティストの力量の差がありすぎた。
「LIVEに耐えられる力量」ってぜったいあるとつくづく思う。

そのなかで、さすがの力量、もっと聴きたいと思ったのはGACKTとASKA。
声のオリジナル感と存在感がハンパじゃない。
たぶんブラインドで他人の曲歌っても、GACKTとASKAならばすぐにそれとわかる。

■ GACKT LAST SONGS 2021 feat. K(for JLODlive2)


■ [LIVE] SAY YES / CHAGE and ASKA / CONCERT MOVIE GUYS


サウンドクリエイトの実力からするとmiletか。

■ milet「One Reason」MUSIC VIDEO (映画「鹿の王 ユナと約束の旅」主題歌)

ただ、この人の変化自在なコード展開&変拍子についていける人は意外と多くないのかもしれぬ。

■ 羊文学 - more than words (Official Music Video) [TVアニメ『呪術廻戦』「渋谷事変」エンディングテーマ]

羊文学も才能あると思う。
ただ、思想性が強すぎてこういう場では浮いてしまう感じも・・・。

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女優や俳優引っ張り出してきて、たいして上手くもない歌むりくり歌わせるなら、もっと出て然るべき人はたくさんいると思う。

たとえば、

■ WANDS 「YURA YURA」 MV


■ 遥海 -『answer』 Live Ver. (HARUMI LIVE 2021”FOCUS”)


あと、FictionJunctionとか・・・。
■ 梶浦由記「Yuki Kajiura LIVE vol.#16 ~Sing a Song Tour~『overtune〜Beginning』」


こいういうレベルだと、さすがにつぎの人が気の毒か・・・(笑)


若手だと、↓ とか・・・。
■ カラバト黄金の世代の名テイク ~ 日本の歌姫たち ~

■ 11/25(木)21:00〜フジTV【千鳥クセスゴ】出演💄『HALO』加藤礼愛(カトレア.Kato Leia.12yrs) BEYONCE cover



アーティストの力量そのものが劣化しているワケではなく、メジャーにプロモートされるテイクのレベル(=プロデューサーやプロモーターの能力)が低下しているのでは?
よい音楽を見抜く(育てる)力量がないから、うわべの話題性やトレンドだけで勝負しようとする・・・。

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こういう状況で、2024年2月7日(水)リリースのこの曲 ↓が、どのようなアクションをみせるか興味シンシン。

■ アンジェラ・アキ「この世界のあちこちに」 Teaser


■ October 15: This Love (English Subs)

圧倒的な力量に支えられたアンジェラ・アキの名LIVE。
このスケール感あふれる音像を支えるにはコンサートホールが必要。TVスタジオじゃ無理。
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■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-18

Vol.-17からのつづきです。
※文中の『ルートガイド』は『江戸御府内八十八ヶ所札所めぐりルートガイド』(メイツ出版刊)を指します。


■ 第53番 本覚山 寶光寺 自性院
(じしょういん)
公式Web

台東区谷中6-2-8
新義真言宗
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
司元別当:
他札所:江戸八十八ヶ所霊場第53番、弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場第10番、弘法大師二十一ヶ寺第10番

第53番は「谷中愛染堂」とも呼ばれる谷中の自性院です。

第53番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場ともに自性院で、第53番札所は開創当初から谷中の自性院であったとみられます。

公式Web、下記史料、山内掲示、『ルートガイド』などから縁起・沿革を追ってみます。

自性院は、慶長十六年(1611年)、道意上人により江戸神田北寺町(現・千代田区神田錦町)に開創、慶安元年(1648年)幕府用地となったため、谷中の現在地を賜り移転と伝わります。

中興開山は第9世貫海上人。
元文年間(1736-1741年)上人が境内の楠を切り彫刻された像高1メートルの像内には、上人が高野山参詣のとき奥之院路上で拾われた小さな愛染明王が納められているといいます。(公式Webによると、「近年修理をしたところ像内より胎内仏を確認」とのこと。)

当山は愛染堂安置の愛染明王像で知られ、文化文政の頃(1804-1830年)になると、その名は近在まで広がり「愛染寺」と呼ばれて親しまれたそうです。

愛染明王はとくに縁結び、家庭円満のご利益で信仰されます。
昭和12年(1937年)1月から翌年5月にかけ「婦人倶楽部」に連載された、文豪・川口松太郎の『愛染かつら』は、当山奉安の愛染明王の縁結びのご利益と本堂前のかつらの古木をモチーフとして書かれた作品といいます。(作品中では「永法寺」として描かれる。)

主人公ふたりは当山の愛染堂前のかつらの木に手をふれ、愛染明王に愛を誓約しました。恋人同士がこうして誓うと、将来かならず結ばれるという筋書きで、「愛染かつら」は昭和13年(1938年)松竹映画として、上原謙と田中絹代が共演して大ヒットとなりました。

また、映画の主題歌『旅の夜風』(昭和13年)を歌った霧島 昇と松原 操(ミス・コロムビア)が共演をきっかけに結ばれるというエピソードもあいまって、当山の愛染明王への参詣者は急増したといいます。

いまは谷中の奥まった一画で、御府内霊場巡拝者を迎える静かな寺院となっています。

当山は「弘法大師二十一ヶ寺」第10番の札所でもあります。
この霊場は、「弘法大師二十一ヶ寺御詠歌所附版木」が伝える弘法大師霊場で、この附版木は寛政二年(1790年)の開版ですからかなり古い来歴をもちます。

これとは別に「弘法大師 御府内二十一ヶ所」という霊場もあります。
「ニッポンの霊場」様によると、この霊場は元禄(1688年)から宝暦(1751年)の間に開創とされる古い霊場で、宝暦五年(1755年)頃の開創とされる御府内霊場より古い可能性があります。

二十一ヶ所霊場は、八十八ヶ所霊場のミニ版として開創され八十八ヶ所と札所が重複するケースもみられますが、「弘法大師二十一ヶ寺」「弘法大師 御府内二十一ヶ所」ともに御府内霊場(八十八ヶ所)との札所重複は多くありません。
「弘法大師二十一ヶ寺」はお大師さまのご縁日二十一日に因んでの開創なので合点がいきますが、「弘法大師 御府内二十一ヶ所」についてはナゾが残ります。

「弘法大師二十一ヶ寺」はなにかのWeb資料から札所情報を入手しましたが、いま検索してもヒットしません。ご参考までにリストします。

【弘法大師二十一ヶ寺】
1番  萬昌山 金剛幢院 圓満寺 真言宗御室派 文京区湯島1-6-2
2番  宝塔山 多寶院 真言宗豊山派 台東区谷中6-2-35
3番  五剣山 普門寺 大乗院 真言宗智山派 台東区元浅草4-5-16
4番  清光院 台東区下谷(廃寺)
5番  恵日山 延命寺 地蔵院 真言宗智山派 台東区元浅草1-15-8
6番  阿遮山 円満寺 不動院 真言宗智山派 台東区寿2-5-2
7番  峯松山 遮那院 仙蔵寺 真言宗智山派 台東区寿2-8-15
8番  高野山 金剛閣 大徳院 高野山真言宗 墨田区両国2-7-13
9番  青林山 最勝寺 龍福院 真言宗智山派 台東区元浅草3-17-2
10番 本覚山 宝光寺 自性院 新義真言宗 台東区谷中6-2-8
11番 摩尼山 隆全寺 吉祥院 真言宗智山派 台東区元浅草2-1-14
12番 神勝山 成就院 真言宗智山派 台東区元浅草4-8-12
13番 広幡山 観蔵院 真言宗智山派 台東区元浅草3-18-5
14番 望月山 般若寺 正福院 真言宗智山派 台東区元浅草4-7-21
15番 仏到山 無量寿院 西光寺 新義真言宗 台東区谷中6-2-20
16番 鶴亭山 隆全寺 威光院 真言宗智山派 台東区寿2-6-8
17番 十善山 蓮花寺 密蔵院 真言宗御室派 中野区沼袋2-33-4(移転)
18番 象頭山 観音寺 本智院 真言宗智山派 北区滝野川1-58-2
19番 瑠璃光山 薬王寺 長久院 真言宗豊山派 台東区谷中6-2-16
20番 玉龍山 弘憲寺 延命院 真言宗智山派 台東区元浅草4-5-2
21番 宝林山 大悲心院 霊雲寺 真言宗霊雲寺派 文京区湯島2-21-6

このうち、「御府内八十八ヶ所」「弘法大師二十一ヶ寺」「弘法大師 御府内二十一ヶ所」の3つの霊場すべての札所となっているのは、霊雲寺(第28番/湯島)、多寶院(第49番/谷中)、自性院(第53番/谷中)、長久院(第55番/谷中)の4箇寺しかなく、札所重複が少ないことを示しています。

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【史料】
『御府内八十八ケ所道しるべ 人』(国立国会図書館)
五十三番
谷中寺町
本覺山 寶光寺 自性院
本所弥勒寺末 新義
本尊:大日如来 弘法大師 興教大師

『寺社書上 [110] 谷中寺社書上 弐』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考P.99』
本所彌勒寺末
谷中不唱小名
本覺山寶光寺自性院
新義真言宗
本所弥勒寺末 谷中不唱小名
慶長十六年(1611年)二月 神田北寺町ニ而拝領仕候処 其後慶安元年(1648年) 御用地ニ奉差上、於当所代地拝領仕候
開山 道意上人
本堂
 本尊 金胎両部大日如来木像坐像 弘法大師木像 興教大師木像 不動尊木像 薬師如来木立像
宝篋印塔
地蔵堂 地蔵尊石像
中興開山 貫海上人
愛染堂 境内にあり 貫海上人の建立
愛染堂ハ今本堂と●●り 昔ハ別に本堂ありしと云

『下谷区史 〔本編〕』(国立国会図書館)
自性院(谷中上三崎南町六番地)
本所彌勒寺末、本覺山寶光寺と号す。本尊金剛界大日如来、胎蔵界大日如来。慶長十六年(1611年)二月、幕府より神田北寺町に地を給うて開創せられ、慶安元年(1648年)現地に移ったのである。開山は僧道意。慶安元年(1648年)同所幕府の用地となり、現地に替地を給せられて移転した。



「自性院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋国立国会図書館DC(保護期間満了)


「自證寺(自性院)」/原典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』根岸谷中辺絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊.国立国会図書館DC(保護期間満了)
※『江戸切絵図』では「自證寺」と記されています。

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最寄りはJR「日暮里」駅で徒歩約7分。
東京メトロ千代田線「根津」駅からも歩けます。


【写真 上(左)】 山内入口
【写真 下(右)】 愛染明王安置碑

谷中六丁目のこのあたりは、ゆったりした区画の寺町で、落ち着いて参拝ができます。
路地に面した山内入口には愛染明王安置碑と『愛染かつらゆかりの地』の説明板。
左右の門柱は、それぞれ山号・寺号標と院号標となっています。


【写真 上(左)】 山号・寺号標
【写真 下(右)】 院号標

よく整備された山内。本堂前の大木が桂の木かどうかはうかつにも確認し忘れました。
参道が本堂前で右に折れる曲がり参道で、曲がった正面が本堂。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 向拝

入母屋造本瓦葺流れ向拝、水引虹梁両端に雲形の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に繋ぎ虹梁、中備に本蟇股を備えた端正な本堂です。

向拝硝子格子扉のうえに「愛染寺」の扁額。
通称が扁額となるのはめずらしいと思います。


【写真 上(左)】 扁額
【写真 下(右)】 慈母観世音菩薩

御朱印は本堂向かって左手の庫裡で拝受しましたが、現況は専用納経帳のみへの授与かもしれません。(直近の状況は未確認)
また、こちらは16:00に閉門となるので、時間に余裕をもった参拝をおすすめします。


〔 御府内霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に「本尊大日如来」「弘法大師」「興教大師」の揮毫と金剛界大日如来のお種子「バン」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右に「第五十三番」の札所印。左に院号の揮毫と寺院印が捺されています。


■ 第54番 東豊山 浄瀧院 新長谷寺
(しんはせでら)
豊島区高田2-12-39
真言宗豊山派
御本尊:不動明王
札所本尊:不動明王
他札所:
〔新長谷寺〕
江戸八十八ヶ所霊場第54番、江戸五色不動(目白不動尊)、関東三十六不動霊場第14番、東京三十三観音霊場第23番、近世江戸三十三観音霊場[1] 第16番
〔金乗院〕
江戸八十八ヶ所霊場第38番、江戸三十三観音札所第14番、山の手三十三観音霊場第9番、近世江戸三十三観音霊場[1] 第14番
司元別当:此花咲耶姫社など
授与所:庫裡

第38番札所の金乗院は、第54番札所の目白不動堂(東豊山 浄滝院 新長谷寺)を合寺したので、現在、金乗院が第38番、第54番のふたつの札所の御朱印を授与されています。
第38番札所金乗院の記事で第54番札所目白不動堂(東豊山 浄滝院 新長谷寺)もとりあげたため、第54番ではこの記事を再掲します。
(なお、本記事は「江戸五色不動の御朱印 ~ 江戸の不動尊霊場 ~ 3.目白不動尊」から転載・追記したものです。)

第38番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場ともに金乗院なので、御府内霊場開創時から一貫して下高田砂り場の金乗院であったとみられます。

下記史料、寺伝・縁起書、山内掲示、『ルートガイド』および『関東三十六不動霊場ガイドブック』などから縁起・沿革を追ってみます。

金乗院は天正年間(1573-1592年)、開山永順が御本尊の聖観世音菩薩を勧請して観音堂を建立したのが草創といいます。
当初は蓮花山 金乗院と号し中野寶仙寺の末寺でしたが、のちに神霊山 金乗院 慈眼寺と号を改め、音羽護国寺の末寺となりました。

御本尊は正観世音菩薩(伝・眦首羯摩作、運慶の作とも)。
山内に荒神を合殿する観音堂、御嶽社、辨天社、三峯社などを置き、江戸時代には旧砂利場村の此花咲耶姫社をはじめ社地三、四ヶ所の別当でしたが、昭和20年4月の戦災で本堂などの伽藍、水戸光圀公揮毫とされる此花咲耶姫の額などの宝物を焼失しました。

戦災で全焼した関口駒井町の新長谷寺(目白不動尊)を合併し、新長谷寺の札所も金乗院に移動しています。

明治初期の神仏分離を乗り切ったふたつの札所のうち一方が戦災で全焼して、一方に合寺されたという比較的めずらしい例です。

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第54番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場ともに新長谷寺(目白不動尊)なので、御府内霊場開創時から一貫して関口駒井町の新長谷寺(目白不動尊)であったとみられます。

下記史料、寺伝・縁起書、山内掲示、『ルートガイド』および『関東三十六不動霊場ガイドブック』などから縁起・沿革を追ってみます。

目白不動堂(東豊山 浄滝院 新長谷寺)は、元和四年(1618年)大和長谷寺代世小池坊秀算が中興し、関口駒井町(現・文京区関口、金乗院から東に約1㎞)にありました。

『江戸切絵図(小日向絵図)』をみると、江戸川橋から目白台にのぼる目白坂沿い北側に永泉寺、養国寺、八幡宮(正八幡神社)と並び、その南側神田川寄りに目白不動尊があったことがわかります。

目白不動堂奉安の不動尊は高さ八寸、「断臂不動明王」といい、弘法大師の御作と伝わります。

縁起によると、弘法大師が唐より御帰朝の後、出羽羽黒山に参籠されたとき大日如来が現れてたちまち不動明王のお姿に変じました。
大師に告げるには「此の地は諸仏内証秘密の浄土なれば、有為の穢火をきらえり、故に凡夫登山する事かたし、今汝に無漏の浄火をあたうべし」と。
不動尊は利剣をもってみずから左の御臂を切られると、霊火が盛んに燃え出でて仏身に満ちあふれました。
大師はこの御影を二体謹刻され、一体は出羽国の荒沢に安置され、もう一体は大師みずから護持されたと伝わります。

後年、野州足利の沙門某が大師護持の不動尊を奉持していましたが、武蔵国関口の松村氏が霊夢を得て足利よりお遷しし、領主の渡辺岩見守より関口台の一画に土地の寄進を受けて一宇を建立したのが本寺の濫觴(らんしょう/はじまりのこと)とされます。

元和四年(1618年)、大和長谷寺小池坊秀算僧正が中興、徳川2代将軍秀忠公の命により堂塔伽藍を建立。
大和長谷寺から御本尊と同木同作の十一面観世音菩薩像を御遷ししてその直末となり、東叡山 浄滝院 新長谷寺と号しました。

寛永年間(1624-1644年)、3代将軍家光公は当山の断臂不動明王に「目白」の号を贈り、江戸守護の江戸五色不動(青・黄・赤・白・黒)のひとつとして、また、江戸三不動の代一位として名を高め、人々の篤い信仰を受けました。
ことに護身、厄除け眼病治癒の不動尊として霊験あらたかとされます。

元禄年間(1688-1704年)には、5代将軍綱吉公とその母桂昌院が深く帰依してさらに伽藍を整え、寺容は壮麗を極めたと伝わります。

境内は堰口の流れを見下ろす高台の景勝地で、付近には茶肆、割烹などの店が出て、ことに月雪景の名所であったようです。
その佳景は、『東京名所四十八景 関口目しろ不動』 (慶應義塾大学メディアセンターDC)からも偲ぶことができます。

昭和20年5月の戦災で焼失したため金乗院に合併、御本尊の目白不動明王像は関口から金乗院に遷られました。

ふたつの名刹が合併した金乗院は今日も複数のメジャー霊場の札所であり、多くの参拝客を集めています。
また、当寺住職の小野塚幾澄大僧正は、平成20年から平成24年まで真言宗豊山派管長・長谷寺化主に就任されています。

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【史料】
【金乗院関連】
『御府内八十八ケ所道しるべ 人』(国立国会図書館)
三十八番
砂り場
神霊山 金乗院
中野村宝仙寺末 新義
本尊:千手観音 興教大師 弘法大師

『新編武蔵風土記稿 巻之12 豊島郡之4』(国立国会図書館)
(下高田村)金乗院
新義真言宗多磨郡中野村寶仙寺末、神靈山観音院ト號ス 本尊正観音長一寸八分眦首羯摩作 開山永順文禄三年(1594念)六月四日寂 御嶽社 辨天社 三峯社 観音堂/荒神ヲ合殿トス 観音ハ木ノ立像長三尺運慶ノ作ト云


「金乗院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)


「宿坂関旧址 金乗院 観音堂」/原典:斎藤長秋 編 ほか『江戸名所図会』十二,博文館,1893.12.国立国会図書館DC(保護期間満了)


出典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』音羽絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊.国立国会図書館DC(保護期間満了)

【新長谷寺関連】
『御府内八十八ケ所道しるべ 人』(国立国会図書館)
五十四番
関口駒井町
東豊山 海瀧院 新長谷寺
紀州初瀬小池坊末 新義
本尊:十一面観世音菩薩 本社目白不動明王 弘法大師

『江戸名所図会. 十二』(国立国会図書館)
目白不動堂 同所東の方にありて堰口の涯に臨む真言宗にして東豊山新長谷寺と号す
長谷小池坊の宿寺とす
本尊不動明王の霊像は長八寸弘法大師の作 総門の額東豊山の三大字ハ南岳悦山の筆
縁起云弘法大師唐より帰朝の後 羽州湯殿山に参籠ありし時 大日如来忽然と不動明王の姿に変現し滝の下に現ハれ●● 大師に告て云く此地ハ諸佛内證秘密の浄土なれハ有為の穢土をきらえり 故に凡夫登山することかたし 今汝に無漏の上火をあたふべしと宣ひ持ちし●●●の利劍をもって左の御臂を切●●ハ、霊火盛に燃出でて佛身に充てり 依て大使面前に出現の像二躯を模刻し一躰ハ同國荒澤に安置し 一躰ハ大師自ら護持なしたまふ
その後野州足利に住せる沙門某之を感得し●奉持せしに一年 霊感あるを以て此地の住人松村氏某に●かりつひに一宇を開きて此本尊を移し安置なし奉ると
当寺元和四年和州長谷小池坊秀算僧正中興ありし頃 大将軍台徳公の厳命により堂塔坊舎御建立あり
また和州長谷寺の本尊と同木同作の十一面観世音の像をうつし新長谷寺と改む
大将軍大猷公目白の号を賜ひ 元禄の始にハ桂昌一位尼公御帰依浅からす諸堂修理を加へたまひ丈余●地蔵尊等を安置なさしめられたり
此地麓●●堰口の流を帯ひ 水流そうそうとして日夜不絶 早稲田の村落高田の森林を望む風光の地なり 境内貸食亭多く何れも涯に臨めり

また、『寺社書上(御府内備考). [61] 関口寺社書上』(国立国会図書館)および『御府内寺社書上P.134』
新義真言宗
和州長谷小池坊末
目白不動尊別当
東豊山 新長谷寺 海瀧院
本堂
 本尊不動尊 弘法大師御作 秘佛
 開帳佛不動 木立像
 前立不動 木座像 四大明王ニ童附各立像
不動堂本殿 桂昌院御建立別堂
 地蔵尊木立像
 不動木立像 良弁僧都作
 聖徳大師木立像
 七曜佛木立像 運慶作
 庚申佛木立像
 疱瘡神木立像
 愛染明王木像
 大日如来木像 聖徳太子作
 毘沙門木像
 弁財天木像 竹生嶋写し
観音堂
 本尊十一面木立像 行基菩薩作 開山秀算僧正勧請
 前立観音木立像
 与森天神木座像
 興教大師木像
 弘法大師木像 伊豫國延命寺写しニテ五十四番札所
 開山秀算僧正木像
 子安地蔵尊金立像
 如意輪観音木像
 弥陀木座像
 聖天金像
末社
 稲荷社、秋葉社、人丸社
唐金地蔵尊 濡佛

『東京名所図会』(国立国会図書館)
目白不動堂は同所東の方にあり堰口の涯に臨む真言宗にして東豊山新長谷寺と號す 本尊不動明王は弘法大師の作なり 当寺は元和年間(1615-1624年)和州長谷の小池坊秀算僧正中興ありしより将軍家の厳命にて堂塔伽藍建立あり 後ち桂昌院尼公諸堂に修理を加えられ頗る荘厳を極めたり 境内眺望佳絶にして茶肆割烹店等多し 冬月雪景最も宜しと云ふ


「新長谷寺」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋. 国立国会図書館DC(保護期間満了)


「目白不動堂」/原典:斎藤長秋 編 ほか『江戸名所図会』十二,博文館,1893.12.国立国会図書館DC(保護期間満了)


出典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』小日向絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊. 国立国会図書館DC(保護期間満了)

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最寄りはメトロ・都電荒川線「雑司ヶ谷」駅か都電荒川線「学習院下」駅ですが、道行きの風情は「雑司ヶ谷」駅ルートの方があると思うので、こちらをご紹介。

メトロ・都電荒川線「雑司ヶ谷」駅3番出口から、目白通りを渡って宿坂通りに入ります。
目白通りは目白台の台地上を走り、ここから南側、神田川にかけては下り勾配となります。
宿坂(しゅくざか)もかなりの急坂ですが、この一本西側の「のぞき坂」は別名を「胸突(むなつき)坂」といい、「東京一急な坂」として知られています。

『江戸名所図会. 十二』(国会図書館DC)には以下のとおり「宿坂」と「金乗院」が記されています。
「宿坂関之旧跡 同北の方金乗院といへる密寺の寺前を四谷町の方へ上る坂口をいふ 同じ寺の裏門の辺にさらちの平地あり(中略)昔の奥州街道●●其頃関門のありて跡ありといへり」

現地掲示によると、この辺りは中世に「宿坂の宿」と呼ばれた関所があり、「立丁場」と呼ばれた金乗院裏門辺の平地が関所跡との伝承があります。
宿坂は「江戸時代には竹木が生い茂り、昼なお暗く、くらやみ坂と呼ばれ、狐や狸が出て通行人を化かしたという話」が伝わっているそうです。


【写真 上(左)】 宿坂
【写真 下(右)】 山門

宿坂をほぼ下りきった右手が金乗院の山門です。
二軒の垂木を備えた銅板葺のどっしりとした二脚門で、「神霊山」の山号扁額を掲げています。
右の門柱には、関東三十六不動霊場、左には江戸三十三観音札所の札所板。


【写真 上(左)】 関東三十六不動霊場の札所板
【写真 下(右)】 江戸三十三観音札所の札所板

約200年前の建立ですが昭和20年4月の戦災で屋根を焼失、昭和63年に檀徒の寄進により復元されています。


【写真 上(左)】 山門扁額
【写真 下(右)】 山門前の不動尊

山門周辺に御府内霊場第38番および第54番の札所標、「目白」と刻まれた台座の上に石造坐像のお不動さま、江戸八十八ヶ所霊場第38番の札所標、「東豊山 新長谷寺」の寺号標などが建ち並び、当寺の歴史を物語っています。


【写真 上(左)】 御府内霊場第38番の札所標
【写真 下(右)】 御府内霊場第54番の札所標


【写真 上(左)】 江戸八十八ヶ所の札所標
【写真 下(右)】 山の手三十三観音霊場の札所標

「江戸第拾六番 山之手第九番 本尊十一面観世音」の札所柱もありました。
「山之手第九番」は山の手三十三観音霊場第9番(新長谷寺)と思われますが、「江戸第拾六番」については霊場不明です。


【写真 上(左)】 金乗院の寺号標
【写真 下(右)】 新長谷寺の寺号標

石敷のすっきりとした境内。
山門正面が庫裡(納経所)、その左手に本堂、山門右手の高みが目白不動尊の不動堂です。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 本堂と不動堂

御府内霊場第38番、江戸三十三観音札所第14番は本堂、御府内霊場第54番、関東三十六不動霊場第14番は不動堂のお参りとなります。(御府内霊場は修行大師像も参拝)
(「本堂に『断臂不動明王』を安置」とする資料もありますが、『関東三十六不動霊場ガイドブック』には不動堂が参拝堂とあり、不動堂への参道に「目白不動尊参道」の案内掲示、不動堂の扁額も「目白不動堂」です。)

ちなみに御府内霊場のうち、一寺二札所、ふたつの御朱印をいただけるのはこちらのみです。


【写真 上(左)】 本堂(斜めから)
【写真 下(右)】 本堂向拝露天

本堂は昭和46年再建、平成15年の改修。
木造ではありませんが、入母屋造本瓦葺流れ向拝。
大棟、降り棟ともにやや細身ですが、隅棟、稚児棟まわりの鳥衾・熨斗瓦、掛瓦などのつくりが精緻で、屋根の照りもほどよく風格ある堂宇です。
水引虹梁に禅宗様の木鼻、中備えに蟇股、向拝正面は格子戸、その上に「神霊山」の扁額を掲げています。
御本尊は眦首羯摩作と伝わる高さ7㎝の聖観世音菩薩。金剛仏で秘仏です。


【写真 上(左)】 本堂扁額
【写真 下(右)】 修行大師像

本堂向かって左に端正な修行大師像が御座。
金乗院は江戸五色不動唯一の真言宗寺院で、江戸五色不動巡拝中に修行大師像のお参りができるのはこちらだけです。

本堂向かって右には「倶梨伽羅不動庚申」。
不動明王の法形である倶梨(利)伽羅剣と「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が彫られた石像で、寛文六年(1660年)の建立です。
「人間を罪過から守る青面金剛の化身、三猿は天の神に人間の犯す罪を伝えない様子をあらわしている。」という現地掲示があります。


【写真 上(左)】 倶利伽羅不動庚申
【写真 下(右)】 不動堂参道

その横に宝塔。その後ろには立像の金仏(地蔵尊)。
その右横が墓地への参道で、その奥には慶安の変(由井正雪の乱、慶安四年7月(1651年))の首謀者の一人、丸橋忠弥の墓所があります。

さらに右手の山門寄りの高みのお堂が、目白不動尊の不動堂です。
確信はないですが、おそらく入母屋造銅板葺妻入り、妻側に付向拝の構成かと思われます。
棟部に経の巻獅子口、猪の目懸魚が見えます。


【写真 上(左)】 不動堂
【写真 下(右)】 不動堂向拝

水引虹梁部は向拝幕が張られているのでよくわかりませんが、身舎正面上部に「目白不動尊」の扁額。
格子戸越しに目白不動尊のおすがたが拝せます。
こちらの不動尊は御前立かと思われます。
整った面差しで、右手に剣、左臂に火焔を抱かれ、大盤石の上に御座される立像です。


【写真 上(左)】 不動堂扁額
【写真 下(右)】 鐔塚

境内にはこの他、寛政十二年(1800年)に建立の刀剣の供養塔、鐔塚(つばづか)などの見どころがあります。

なお、江戸名所図会で宿坂のかなり上方に描かれている観音堂(運慶作の観音像が奉られていたと伝わる)の現況については不明です。

御朱印は境内寺務所にて快く授与いただけます。
こちらは江戸五色不動のほか、御府内霊場(2札所)、江戸三十三観音札所、関東三十六不動霊場の札所も兼ねられ、いずれも御朱印を授与されています。

札所無申告の場合、目白不動尊、聖観世音菩薩いずれの御朱印になるかは不明ですが、おそらく先方からお尋ねになるのかと思います。


〔御府内霊場第54番(新長谷寺)の御朱印〕

【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に「目白不動明王」「弘法大師」の揮毫と聖観世音菩薩のお種子「サ」の御寶印(蓮華座+宝珠)。
右上に「弘法大師御府内霊場第三十八 五十四番」の札所印。左下に寺号院号の揮毫と寺院印が捺されています。

〔江戸五色不動尊の御朱印〕

・御朱印尊格:目白不動明王 関東三十六不動尊霊場第14番印判 師子光童子の印判 直書(筆書)
※ 関東三十六不動霊場の御朱印が授与されている模様です。

〔関東三十六不動尊霊場第14番の御朱印/専用納経帳〕

・御朱印尊格:目白不動明王 関東三十六不動尊霊場第14番印判 師子光童子の印判 筆書

〔江戸三十三観音札所第14番の御朱印〕

・御朱印尊格:聖観世音菩薩 江戸三十三観音札所第14番印判 目白不動尊の印判 直書(筆書)


〔 御府内霊場第38番(金乗院)の御朱印 〕


【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に「聖観世音菩薩」「弘法大師」の揮毫と聖観世音菩薩のお種子「サ」の御寶印(蓮華座+宝珠)。
右上に「弘法大師御府内霊場第三十八 五十四番」の札所印。左下に山号院号の揮毫と寺院印が捺されています。


以下、つづきます。
(→ ■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-19


■ 札所リスト・目次など
■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-1



【 BGM 】
■ 私達を信じていて - CINDY


■ Airport - 今井優子


■ far on the water - Kalafina
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■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-17

Vol.-16からのつづきです。
※文中の『ルートガイド』は『江戸御府内八十八ヶ所札所めぐりルートガイド』(メイツ出版刊)を指します。


■ 第50番 高野山 金剛閣 大徳院
(だいとくいん)
墨田区両国2-7-13
高野山真言宗
御本尊:薬師如来
札所本尊:薬師如来
司元別当:
他札所:江戸八十八ヶ所霊場第46番、弘法大師二十一ヶ寺第8番、坂東写東都三十三観音霊場第7番、大東京百観音霊場33番

※院号は川家(徳川家の正式表記)からとったとすると、「大院」が正式名と思われますがここでは通称の「大院」を使います。

第50番は両国の大徳院です。
第46番弥勒寺の記事でも書きましたが、第50番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場では本所立川の弥勒寺(現御府内霊場・第46番札所)となっています。
よって、江戸時代に第46番札所の大徳院と第50番札所の弥勒寺とが入れ替わった可能性があります。
その経緯は不明ですが、大徳院は御府内霊場開創時からの札所であったとみられます。

下記史料、現地掲示、『ルートガイド』などから縁起・沿革を追ってみます。

大徳院は高野山金剛峯寺の江戸宿寺(宿寺居屋敷/江戸の拠点)で、寛永年間(1624-1644年)に拝領した神田紺屋町の屋敷地にありましたが、寛文六年(1666年)替地により本所猿江に移転、貞享元年(1684年)南本所元町(本所一ツ目)の現在地に二万廿坪余を拝領し移転したといいます。

神田紺屋町での建立 or 貞享元年(1684年)現在地に移転時の住職は本山中興の宥雅法印とされます。

江戸時代、高野山内の組織は学侶方・行人方・聖方の「高野三方(三派)」から成り立っていました。
聖方の頭寺院は蓮華(花)院(光徳院とも)で、弘法大師が悪魔降伏のため軍荼利明王の秘法を修し、結界を結ばれた草庵が草創とされます。

文禄三年(1594年)家康公が秀吉公に随従して高野山に参り蓮華院に止宿した際、家康公から大徳院の院号が与えられたといいます。
以降、徳川家との親交を深め、寛永年間(1624-1644年)大徳院の後山に東照宮(家康公)、台徳院殿(秀忠公)の御霊屋(徳川家霊台)が建立され、徳川家菩提所となりました。

「高野山霊宝館」公式Webには「徳川家霊台とは、徳川家康と秀忠をまつる東照宮をいいます。この場所は本来、聖派の代表寺院である大徳院の境内だったのですが、大徳院自体は明治になって他の寺院と合併して現存しませんので、霊台だけが残りました。大徳院は、代々徳川家との関係が深い寺院で、後に家康によって、それまで蓮華院と呼んでいたのを、『大徳院』と改められたともいわれています。造営に着工したのは寛永10年(1633)頃で、同16年には、正式に将軍家光より認可され、同20年に竣工」とあります。

「ぐるりん関西」には、蓮華(花)院の沿革や徳川家との関係が載っていますので抜粋引用します。

-------------------------(引用はじめ)
・蓮花院は、和歌山県高野山の小田原谷にある真言宗の準別格本山
・寺伝によると、弘法大師が悪魔降伏のため軍荼利明王の秘法を修し、結界を結んだ時の草庵が寺の起こりとされる。
・古くは聖方に属し、五之室谷の徳川家霊台の前に位置し、室町時代には光徳院、江戸時代は大徳院と号した。
・徳川将軍家の菩提寺として、歴代宗家の位牌と家康、秀忠の尊像が祀られている。
・水戸光圀の位牌や家康の念持仏といわれる薬師瑠璃光如来を奉安。

〔徳川家との関係〕
・永享十一年(1439年) 当院主が相模の藤沢寺(現・清浄光寺)に止宿し、家康公の祖先松平太郎左衛門親氏入道徳阿弥と師檀関係を結ぶ
・天文四年(1535年) 家康公の祖父松平清康公の遺骨が当院に納められ光徳院と改号
・文禄三年(1594年) 家康公が豊臣秀吉公に随従して高野山に参り、光徳院に止宿した際、家康公から大徳院の院号が与えられる
・寛永年間(1624-1644年) 大徳院の後山に東照宮(家康)、台徳院殿(秀忠)の御霊屋(徳川家霊台)が建立され、徳川家菩提所となる
・奥の院の松平秀康及び同母霊屋、徳川秀忠夫人崇源院供養塔は当院が管理している
-------------------------(引用おわり)

御府内霊場札所のなかでもとくに徳川将軍家とのかかわりが深い寺院で、『御府内八十八ケ所道しるべ』には「東照宮御本地」「寅の神」という記載があります。

江戸時代は高野山大徳院の江戸在番所(出張所)として宗務伝達所兼高野山諸末寺(聖方)総觸頭の地位にあり、江戸の弘法大師信仰あるいは「高野聖」(高野山を本拠とした遊行者)の活動の中心にあったともいいますが、明治18年にその機能を長寿寺(現・高野山東京別院)に移し現在に至っています。

御本尊の薬師瑠璃光如来は「本所一つ目寅薬師」と称され、とくに眼病治癒に霊験あらたかとされ信仰を集めています。
日光山輪王寺の公式Webによると、東照大権現の本地仏は薬師如来で、日光東照宮の本地堂(薬師堂)には薬師如来が奉安されています。

また、家康公は寅年、寅の日、寅の刻生まれともいわれ、家康公とゆかりのふかい寺院として、御本尊=寅薬師如来は自然に受け入れられたと思われます。

『御府内八十八ケ所道しるべ』に憚りなく「東照宮御本地」と書かれているので、おそらく公認されていたのでは。
このあたりは高野山の徳川家霊台を護持される、(高野山)大徳院の威光があったのかも。

 
【写真 上(左)】 日光東照宮本地堂の御朱印
【写真 下(右)】 上野・パゴダ大仏殿の薬師如来の御朱印

なお、上野の東照宮境内にもしっかり本地堂(薬師堂)はありましたが、明治初期の神仏分離令により御本尊の薬師三尊は寛永寺に移管され、現在は「パゴダ大仏殿」内に奉安されています。
あるいは天台宗(比叡山)系の御本地(=東照宮本地堂)、真言宗(高野山)系の御本地(=大徳院)という色分けが意図的になされていたのかもしれません。

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【史料】
『御府内八十八ケ所道しるべ 地』(国立国会図書館)
五十番
本所一ッ目元町南
東照宮御本地 大德院
どくれい(独礼)せ● 古義
本尊:薬師如来 寅の神 弘法大師

『寺社書上 [88] 本所寺社書上 壱』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考P.18』
御尊牌所
南本所 本所一ツ目
高野山金剛峯寺 大徳院宿寺
高野山聖方法国末寺 御尊牌所ニ候
古義真言宗高野山聖方諸国本寺惣触頭ニ候

●●年月不知
神田紺屋町辺● 宿寺居屋敷拝領仕●立
右●其所を諸人薬師堂前と呼び●●町の名となり
右之薬師(尊)像は弘法大師の作
寛文六年(1666年)右屋敷替地仰付 本所猿江に●●ひて寺地拝領仕
神田より猿江に引移り
貞享元年(1684年)南本所元町(本所一ツ目)にて●●の寺地二万廿坪余拝領仕候

開山 弘法大師
中興 宥雅法印 俗姓不知 寛文十四年(1673年?)寂
俗姓波多野●● ●永二年高野山●●●蓮花院(大徳院と御号)
任●●●寺代奉所

本堂
 本尊 薬師如来座像 弘法大師作
 脇立 日光菩薩立像 月光菩薩立像 十二神将立像
●雲院様(家光公とも)七回御忌御追福之● 竹千代君様(4代将軍家綱公)絵巻当御寄附(略)
有候薬師如来之尊像一体●●当院に奉納 是を寅薬師と称し御本地佛と崇敬して永く御武運長久を祈
台徳院様(2代将軍徳川秀忠公)御代、寛永年中(1624-1644年)、高野山より江戸神田の宿寺に右の尊像を移
 弘法大師座像
 同前佛座像
 不動明王立像
社壇
 稲荷立像
 天満宮座像
 高野四社明神繪像
 辨財天座像 弘法大師作
寺寶
 太政官符 嵯峨天皇より弘法大師●高野山を賜ふ御公御手判●
 般若心経 弘法大師御真筆
 大威徳明王像 弘法大師作
 香合之内 愛染明王像一体 虚空蔵菩薩像一体 作人同前


「大德院」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』地,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)


出典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』本所絵図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊.国立国会図書館DC(保護期間満了)

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最寄りはJR総武線「両国」駅で徒歩約5分。
都営大江戸線「両国」駅からも歩けます。

下町らしい低平な土地。オフィスと住宅の混在地にあります。
第23番、日本橋の薬研堀不動院とは隅田川を挟んで相対する立地で、すぐ北隣りは回向院です。



【写真 上(左)】 外観
【写真 下(右)】 札所標

平成25年に完成した地上5階地下1階建のビルで、一般的には「両国陵苑」のほうが通りがいいかもしれません。


【写真 上(左)】 延命地蔵尊
【写真 下(右)】 エントランス

エントランス前に延命地蔵菩薩が御座し、ビル前に札所碑、エントランスに唐破風を配しているので、近代的なビルながら寺院とすぐにわかります。

1階総合受付で参拝&御朱印の受付。
上層階の本堂のお参りもできますが、1階の弘法大師坐像も御府内霊場の拝所となっています。


【写真 上(左)】 1階弘法大師坐像横の札所札
【写真 下(右)】 1階弘法大師坐像

中段に弘法大師座像。
背後の壁面には智拳印を結ばれた金剛界大日如来の画像が掲げられています。

完璧なビル内参拝で、都会の霊場・御府内霊場らしい札所といえましょう。

御朱印は1階総合受付にて拝受しました。
いくつかの霊場札所を兼務されていますが、現況、御朱印を授与されているのは御府内霊場のみの模様です。

〔 御府内霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に薬師如来のお種子「バイ」「薬師如来」「弘法大師」の揮毫と「バイ」の御寶印(蓮華座+宝珠)。
右に「第五十番」の札所印。左に院号の揮毫と寺院印が捺されています。
専用集印帳の御朱印には「寅薬師」の揮毫もありました。


■ 第51番 玉龍山 弘憲寺 延命院
(えんめいいん)
台東区元浅草4-5-2
真言宗智山派
御本尊:大日如来
札所本尊:大日如来
司元別当:
他札所:荒川辺八十八ヶ所霊場第82番、弘法大師二十一ヶ寺第20番、弁財天百社参り第67番、江戸三十三ヶ所弁財天霊場第6番、奥の細道関東路三十三所霊場第3番

第51番は元浅草の延命院です。
御府内霊場には「延命院」を号する札所寺院がふたつ(第5番金剛山 延命院(南麻布)、第51番玉龍山 延命院(元浅草))ありますが、第5番の延命院を「麻布延命院」と呼んで区別しているようです。

第51番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場ともに浅草鳥越の長樂寺となっています。
よって、第51番札所は明治以降に浅草鳥越の長樂寺から元浅草の延命院に変更されたとみられます。

まずは鳥越の長樂寺について、下記史料などから縁起・沿革を追ってみます。

長樂寺は鳥越に御鎮座の鳥越大明神(現・鳥越神社)の別当でした。
まずは、主に鳥越神社の境内掲示類から縁起・来歴を追ってみます。

鳥越大明神は白雉二年(651年)村人が日本武尊の遺徳を偲び、白鳥明神として鳥越山(白鳥山)に祀ったのが創祀と伝わる古社です。
往年のこの地は「鳥越(白鳥)の山」と呼ばれた小高い丘で、日本武尊が東夷御征伐の折に暫く御駐在された地といいます。
相殿の天児屋根命(あめのこやねのみこと)は、中臣(藤原)氏の祖神として祀られ、奈良時代に藤原氏が国司として武蔵に赴任した際、この地にお祀りされたといいます。

永承(1046-1053年)の頃、八幡太郎義家公の奥州征伐の折、この地で渡河に難儀しましたが、白い鳥に浅瀬を教えられて無事軍勢を進めることができました。
義家公はこれを白鳥大明神の御加護と称え、鳥越山(白鳥山)のお社を参拝され「鳥越大明神」の号を奉じられて、これより「鳥越」の地名が起こったとされます。

社地はすこぶる広く、三味線堀(姫が池)に熱田明神、森田町に第六天神(榊神社)が末社として御鎮座され「鳥越三所明神」と称していました。

徳川幕府による旗元・大名屋敷・御蔵地整備のため、鳥越山はとり崩されて埋め立てに使われました。
この際、熱田神社は三谷(現・今戸)へ、榊神社は堀田原(現・蔵前)へと御遷座され、鳥越大明神も御遷座を迫られましたが、第二代神主鏑木胤正の請願が容れられて元地に残られました。

別当・長樂寺は『寺社書上』によると、開山の法印の遷化が寛永二十年(1643年)なので、3代将軍家光公の治世(1623-1651年)までには創建とみられます。

鳥越山轉輪院長樂寺と号し、山号は本社から、院号は兼帯していた京都嵯峨轉輪院永院室から号したものとみられます。

本社・鳥越大明神の御本地馬頭観音、御本尊として不動明王を奉安していました。
弘法大師御像も奉安していたため、御府内霊場札所の要件はきっちり満たしていたとみられます。

鳥越大明神の神職鏑木氏は桓武平氏常将流と伝わり、鳥越神社の社紋として月星紋・九曜紋(千葉氏の紋)が使われているようです。
また、長樂寺に星供養曼荼羅が奉安されていたことからも、妙見信仰の千葉氏との関係がうかがわれます。

鳥越大明神と別当・長樂寺は源氏の棟梁・八幡太郎義家公、桓武平氏の代表姓・千葉氏いずれともゆかりをもつ、複雑な来歴をもたれているのかもしれません。

明治初期の神仏分離で別当の長樂寺は廃寺となり、以降は鳥越神社と号して郷社に列せられました。


【写真 上(左)】 鳥越神社
【写真 下(右)】 鳥越神社の御朱印

なお、相殿の東照宮の前身は、寛永十一年(1634年)、蔵前(南元町)の松平西福寺そばに江戸城の鬼門除けとして3代将軍家光公が祀られた松平神社(御祭神:徳川家康公)で、大正14年に鳥越神社の相殿に御遷座されました。


■ 松平西福寺(蔵前)

例大祭・鳥越祭は都内随一の重さを誇る「千貫神輿」の渡御と、夜に行われる荘厳な宮入で「鳥越の夜祭り」として広く知られています。

つぎに元浅草の延命院について、下記史料、現地掲示、『ルートガイド』などから縁起・沿革を追ってみます。

延命院は当初谷野(矢ノ蔵)に創建されたという新義真言宗寺院です。
東日本橋の矢之庫稲荷神社の由緒書には「当地に隣接する東日本橋1丁目あたりが谷野と呼ばれていた頃、幕府が米蔵を建て谷野蔵・矢之倉と称されていました。」とあるので、現在の東日本橋一丁目あたりとみられます。

『寺社書上』では開闢年代知不としながらも、奉安佛・水晶辨財天の縁起書に開山義観法師が文安年間(1444-1449年)に夢告を受け、武蔵国矢の蔵(倉)に一寺を建立して安置とあるので、その頃の創建とみられます。

現在の御本尊は大日如来ですが、寺院の草創は水晶辨財天の奉安によるものとあるので、当初の御本尊は辨財天だったのかもしれません。

当初は延寿院と号しましたが、元和年中(1615-1624年)頃、典薬頭延寿院道三と同号となったため、台徳尊公(徳川秀忠公)の上意により延命院と改めたといいます。

江戸時代は大塚の護持院末でありました。
『寺社書上』には「弘法大師 八十八所写第八十弐(?)番」とありますが、これは御府内霊場ではなく、おそらく荒川辺八十八ヶ所霊場を指すとみられます。

荒川辺八十八ヶ所霊場は天保九年(1838年)以前の開創とされる弘法大師霊場で、根岸・世尊寺から打ち始め、荒川、日暮里、尾久、船堀、豊島、江北、本木、千住、綾瀬、亀有、墨田、向島、亀戸、元浅草と回って根岸・千手院で結願となります。

札所リスト(「ニッポンの霊場」様)

当山は第82番札所で、『寺社書上』の記載と符合します。
 
本堂に御座の御本尊大日如来、弘法大師御像が荒川辺霊場の拝所であったとみられます。
別に弘法大師の御作と伝わる水晶辨財天を奉安していました。
水晶辨財天は天長五年(828年)、弘法大師が琵琶湖の竹生島に参籠された折、二体の辨財天尊像を製作され、一体は竹生島の御本尊とし、一体はこの霊像と伝わります。

文安年間(1444-1449年)、讃岐國におられた開山義観法師の夢中にこの尊像があらわれ、お告げを受けた義観法師が東国へ下って武蔵国矢の蔵(倉)に一寺を建立してこの尊像を安置したのが当山草創とも伝わります。

竹生島辨財天は江ノ島・宮島と並ぶ「日本三弁才天」のひとつで、こちらの辨財天と同作の尊像とあれば、江戸庶民の信仰を集めたことは想像に難くありません。
実際、当山の水晶辨財天は弁財天百社参り第67番、江戸三十三ヶ所弁財天霊場第6番の札所となっていました。

当山の水晶辨財天は関東大震災、東京大空襲の災禍により消失し、現存はしていないとのこと。(出典:Wikipedia

なお、弘法大師御作、義觀上人ゆかりとされる辨財天は鶴見の一至山 安養寺にも奉安され、こちらは鶴見七福神の一尊となっています。
(→ 安養寺公式Web

明暦三年(1657年)火災(おそらく明暦の大火)に遭い、浅草新寺町(現・元浅草)に移転といいます。

鳥越神社は明治期に郷社に列格したほどの名社で、その別当・長樂寺が神仏分離で廃されたのは避けられない流れだったのかもしれません。

長樂寺は高野山金剛三昧院末の古義真言宗、延命院は大塚護持院末の新義真言宗で、宗派からすると御府内霊場札所(第51番)の承継はやや不自然な感じもします。

しかし第45番観蔵院と同様、荒川辺八十八ヶ所霊場の札所(第82番)で、あるいは弘法大師霊場札所寺院ということで定められたのかも。
荒川辺八十八ヶ所霊場は豊島八十八ヶ所霊場、荒綾八十八ヶ所霊場との札所重複は少なくないですが、御府内霊場との重複は亀戸東覚寺(第73番)、成増青蓮寺(第19番)、観蔵院(第45番)と延命院(当山)の4つしかありません。
しかし、下町の弘法大師霊場のうち蔵前・浅草辺に札所をもつのは荒川辺八十八ヶ所霊場だけなので、浅草鳥越に近い元浅草の札所から選ばれたのかもしれません。

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【史料】
【長樂寺関連】
『御府内八十八ケ所道しるべ 地』(国立国会図書館)
五十一番
浅草鳥越明神 門前町あり
鳥越山 轉輪院 長樂寺
高野山金剛三昧院末 古義
本尊:不動明王 本社鳥越明神 弘法大師

『寺社書上 [73] 浅草寺社書上 甲一』(国立国会図書館)
別当・長樂寺についてはこちらから記載されていますが、あまりに豪快な筆致につき解読不能が多いです。
抜粋引用します。

鳥越大明神 御本地馬頭観音
本尊 不動明王
弘法大師厨子入
金毘羅大権現
星供養曼荼羅厨子入
正観音像厨子入
●佛不動明王
●佛十一面観音厨子入
十三佛尊像厨子入
●大師像厨子入
聖天堂●●
 聖天厨子入
 銅佛十一面●殿入

別当 長樂寺
古義真言宗 本寺●●高野山金剛三昧院末
山号 鳥越山 ●●院
開山 法印(不明) 遷化之年月寛永廿年(1643年)四月十三日
中興開山 法印良長 遷化之年月●和二年

『江戸名所図会 7巻 [16]』(国立国会図書館)
鳥越明神社
元鳥越町にあり此辺の産土神とす 祭神日本武尊 相殿天児屋根命なり 昔ハ第六天神 熱田明神を合わせて鳥越三所明神と号けし● 正保二年(1645年)此地公用の為に召上られ 三谷に●く替地を給ひけり 小社の地にかりを残さる その頃より熱田ハ三谷の地へうつし第六天ハ●田町へうつせりといへり
当社ハ最古跡なれとも 舊記等散失して勧請の年暦来由等詳ならすといへり 

【延命院関連】
『寺社書上 [80] 浅草寺社書上 甲五』(国立国会図書館)および『御府内寺社備考P.59』
浅草新寺町
新義真言宗 大塚護持院末 
玉龍山弘憲寺延命院
開闢年代知不●●
開山 義観法師 遷化ノ年月相不知申候

本堂
 本尊 大日如来木坐像
 弘法大師 八十八所写第八十弐(?)番

水晶●辨財天 弘法大師之作
聖天 但厨子入
地蔵尊石立像
稲荷社

拙寺往矢(?)野倉浜町ニ有(略)延寿院与申候処
元和年中(1615-1624年)頃典薬頭延寿院道三与同号ニ付 台徳尊公(徳川秀忠公)上意ヲ以延命ニ改
開山義観法師 生国讃岐差田村 遷化ノ年月相不知申候

水晶●辨財天縁起云 天長五年(828年)弘法大師江州竹生島に来●し 二体の尊像を製作し給ひ 一体ハ竹生島の本尊とし、一体ハ●●此霊像なり
文安年間(1444-1449年)讃岐國●●山●●●当院の開山義観法師の夢中●像●して(略)武蔵国矢の蔵(倉)●町に一寺建立して安置せり
明暦三年(1657年)火災に●●て今の浅草新寺町に移●ると云ふ



「長樂寺」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』地,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)


出典:景山致恭,戸松昌訓,井山能知//編『〔江戸切絵図〕』浅草御蔵前辺図,尾張屋清七,嘉永2-文久2(1849-1862)刊.国立国会図書館DC(保護期間満了)

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最寄りはメトロ銀座線「稲荷町」駅で徒歩約5分。
メトロ銀座線「田原町」駅からも歩けます。

住宅とオフィスビルが混在する立地。
元浅草から寿にかけては都内有数の寺院の密集地で、需要があるためか仏具・仏壇店が目立ちます。

都道463号浅草通り「松が谷一丁目」交差点から左右衛門橋通りを南に入ってひとつ目の信号を左(東)に入ったところです。

この界隈は田の字の区画で南参道の寺院はさほど多くはありませんが、延命院は完全な南参道南向きで、ビルの谷間ながらどことなく明るい雰囲気があります。


【写真 上(左)】 山内入口
【写真 下(右)】 院号札



【写真 上(左)】 札所標
【写真 下(右)】 参道

門柱に院号札、門柱手前には御府内霊場の札所標。
参道右手には赤地の御寶号幟を献ぜられた修行大師像が御座され、弘法大師御忌供養碑もあって御府内霊場札所の趣きゆたかです。
参道左寄り正面に本堂、その向かって左には延命地蔵尊。


【写真 上(左)】 修行大師像
【写真 下(右)】 延命地蔵尊


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 向拝

本堂は入母屋造桟瓦葺流れ向拝、水引虹梁両端に雲形の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に直線の繋ぎ虹梁、中備に板蟇股。

向拝硝子格子戸で扁額はなく、賽銭箱には丸に揚羽紋。

通りから引き込んでいるので、落ち着いて参拝ができます。
御朱印は本堂向かって右手の庫裡にて拝受しました。

辨財天についてお伺いしたところ、戦災に遭って失われ、代佛も御座されていないとの由。
また、御朱印は御府内霊場のみで、荒川辺八十八ヶ所霊場第82番などの御朱印は授与されていないとのことでした。


〔 御府内霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に金剛界大日如来のお種子「バン」「大日如来」「弘法大師」の揮毫と「バン」の御寶印(蓮華座+宝珠)。
右に「第五十一番」の札所印。左に院号の揮毫と寺院印が捺されています。


■ 第52番 慈雲山 蓮華院 観音寺
(かんのんじ)
新宿区西早稲田1-7-1
真言宗豊山派
御本尊:十一面観世音菩薩
札所本尊:十一面観世音菩薩
司元別当:
他札所:江戸八十八ヶ所霊場第52番、豊島八十八ヶ所霊場第52番、山の手三十三観音霊場第14番、近世江戸三十三観音霊場第15番

第52番は早稲田の観音寺です。
御府内霊場には「観音寺」を号する札所寺院が3つ(第42番蓮葉山 観音寺(谷中)、第52番慈雲山 観音寺(早稲田)、第85番大悲山 観音寺(高田馬場))あり、前2者をそれぞれ谷中観音寺、早稲田観音寺と呼んで区別されます。

第52番札所は『御府内八十八ケ所道しるべ』江戸八十八ヶ所霊場ともに観音寺で、第52番札所は開創当初から早稲田の観音寺であったとみられます。

この寺院については史料がほとんど見当たらないので、『ルートガイド』をメインに縁起・沿革を追ってみます。

観音寺は寛文十三年(1673年)開山・賢栄和尚による創建といい、住民の発願により菩薩寺として建立とも伝わります。

御本尊の十一面観世音菩薩は智證大師円珍(814-891年)の御作といわれています。
円珍は入唐八家(最澄、空海、常暁、円行、円仁、恵運、円珍、宗叡)の一人で、讃岐国に豪族佐伯氏の一門として生誕され、弘法大師空海の甥(もしくは姪の息子)とも伝わります。

15歳で比叡山に登られ12年間の籠山行ののち、承和十二年(845年)には大峯、葛城、熊野諸山を巡礼し、修験道の発展にも寄与されたといいます。
仁寿三年(853年)入唐。天台山国清寺で求法され、斉衡二年(855年)には長安にて真言密教をも伝授されたといいます。

天安二年(858年)帰国。貞観十年(868年)比叡山延暦寺第5代座主となりました。
すでに貞観元年(859年)には大津の園城寺(三井寺)の長吏に補任。
園城寺は伝法灌頂の道場として隆盛し、寺門派(天台寺門宗)の拠点となりました。

円(法華経)、密(密教)、修験を極められ、天台宗の教義を広げられた傑僧として知られ、円珍を宗祖とする寺門派(天台寺門宗)はのちに円・密・禅・戒・修験の五法門をもって教義としています。

当山の縁起沿革については、寺伝類を焼失しているため詳細不明です。
よって、住民発願の真言密寺に寺門派(天台寺門宗)宗祖御作の御本尊が奉安された経緯についてもよくわかりません。

『ルートガイド』には「八十七番札所護国寺の隠居寺であったり、無住時代があったといわれています。」とあります。

護国寺の創建は天和元年(1681年)。当山創建は寛文十三年(1673年)で護国寺よりも早いですが、護国寺創建後に隠居寺となったのかもしれません。

御府内霊場の開創は宝暦五年(1755年)頃と伝わるので護国寺・当山創建の後になります。
観音寺は「護国寺の隠居寺」の流れから御府内霊場札所に定められたのではないでしょうか。

江戸期に複数の霊場札所に定められているので、相当の参詣者を集めたとみられますが、その様子は史料ではほとんど確認できませんでした。

貴重な史料である『御府内八十八ケ所道しるべ』の「本尊:十一面観世音菩薩 本社歓喜天宮」の記述が気になります。

歓喜天(大聖歓喜天)は強大なお力をもたれるとされる天部の尊格で、十一面観世音菩薩によって仏教の守護神となられたとされることから、十一面観世音菩薩とあわせて奉安されることが多く、ほとんどが秘佛です。
歓喜天の修法(聖天供(歓喜天供))は密教の奥義に属するとされるので、ここでは深くふれませんが、歓喜天(大聖歓喜天)を奉安する寺院の多くは霊験あらたかな祈願寺として知られ人々の信仰を集めています。

当山は早稲田大学の至近にあり、本堂も元早稲田大学の教授が設計されています。

早稲田大学周辺には寺院が多く、天台宗の宝泉寺は早稲田大学合格祈願寺として知られ、御朱印も授与されています。

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【史料】
『御府内八十八ケ所道しるべ 人』(国立国会図書館)
五十二番
下戸塚村
慈雲山 蓮華院 観音寺
牛込南蔵院末 新義
本尊:十一面観世音菩薩 本社歓喜天宮 弘法大師


「観音寺」/原典:大和屋孝助 等編『御府内八十八ケ所道しるべ』人,大和屋孝助等,慶1序-明2跋.国立国会図書館DC(保護期間満了)

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最寄りはメトロ東西線「早稲田」駅で徒歩約10分。
都電荒川線「早稲田」駅からも歩けます。


【写真 上(左)】 山内入口
【写真 下(右)】 寺号標

ほとんど早稲田大学の構内といえる立地にあり、あたりは学生であふれています。
本堂は斬新な近代建築で、手前の寺号標がなければとても寺院とは思えません。


【写真 上(左)】 札所標
【写真 下(右)】 山内

山内入口に寺号標。側面には御府内霊場札所の旨が刻まれています。
その横には古色を帯びた御府内霊場の札所標。
参道右手には恵比寿さまと大黒さまが仲良く並んで御座されています。


【写真 上(左)】 恵比寿尊・大黒尊
【写真 下(右)】 庚申塔

その先右手に御座する舟形光背の地蔵尊石像は珍しい地蔵菩薩像を主尊とする庚申塔(寛文四年(1664年)の銘)で、新宿区の有形民族文化財に指定されています。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 向拝


【写真 上(左)】 向拝前のお砂踏み場
【写真 下(右)】 扁額

2階建の本堂は建築家・石山修武氏による設計。
石山氏は「伊豆の長八美術館」(1985年)、日本建築学会賞受賞の「リアス・アーク美術館」(1995年)などの設計で知られ、平成26年まで早稲田大学の教授として教鞭をとられていました。
当本堂の竣工は平成8年(1996年)で30年近く経っていますが、いまでも斬新性を失っていません。

筆者は近代建築についてまったくのトーシロなので、詳細は→こちら(「建築とアートを巡る」様)をご覧くださいませ。

御朱印は本堂向かって右手に回り込んだ事務所にて拝受しました。


〔 御府内霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 専用集印帳
【写真 下(右)】 汎用御朱印帳

中央に「十一面観世音菩薩」「弘法大師」の揮毫と十一面観世音菩薩のお種子「キャ」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
右に「第五十二番」の札所印。左に寺号の揮毫と寺院印が捺されています。


■ 豊島八十八ヶ所霊場の御朱印

以下、つづきます。
(→ ■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-18


■ 札所リスト・目次など
■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-1



【 BGM 】
■ 愛の季節 - アンジェラ・アキ


■ サイレント・イヴ - ClariS(Covered)


■ ebb and flow - LaLa(Covered)
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■ 熊田このはちゃんのディズニー曲

先ほどフジテレビで放送していた【2023FNS歌謡祭/ディズニー創立100周年企画】。
『塔の上のラプンツェル』より「輝く未来」を水樹奈々&宮野真守でデュオしていた。
実力派だけにさすがの出来映えだった。

動画
まとめ

でもって、熊田このはちゃん & 西岡龍生君のナイステイクを思い出した。
やっぱりこちらもなかなか素晴らしいでき。
このはちゃんのとびっきりの美声を、聴いてみてください。

■ 熊田このは & 西岡龍生「輝く未来(塔の上のラプンツェル)」
2018/11/03 熊田このはバースデーライブ at 溝ノ口劇場



↓ こちらもどーぞ。

■ "A Whole New World" by 熊田このは(with 二木蒼生)
1/12/2020 at The Mizonokuchi Theater in Kawasaki/JAPAN.

このはちゃんの声の艶が凄かった。蒼生ちゃんも深みのある中低音を繰り出して大健闘。
このはちゃんのハイトーンの透明感と艶、オリジナルのRegina Belleを凌いでいると思う。
2:06~、ぜったい1/fゆらぎ出てるし・・・。


いかん、止まらなくなった(笑)
あと1曲だけ・・・。

デュオといえばこういうのもあったわな(ディズニー曲じゃないけど) ↓

■ 熊田このは&鈴木隆生 - Time to Say Goodbye
2017/08/05 リーフベルコンサート at 道の駅 那須与一の郷

このはちゃんの艶&透明感あふれるハイトーンは、こういう曲で真価を発揮していた。

■ 熊田このはちゃんのセトリ(&出演記録)-Vol.2


このはちゃん、スローなバラード歌うことが多かったけど、じつは抜群のリズム感もってるし、バンドサウンドへの乗り方も巧い。
いつの日か、このはバージョンで聴いてみたい神曲 ↓

■ The Days I Spent With You - 今井美樹  (Dream Tour Final At Budokan 2004 / LIVE)
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■ 初期サザンの音像

初期サザンの曲を聴く

■ 初期サザンとメガサザン(サザンオールスターズ、名曲の変遷)から抜粋アレンジしてみました。

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スージー鈴木&ダイノジ大谷対談、いいとこついてます。↓

■ 【桑田佳祐】後期サザンは「メガサザン」!?まだまだ続くダイノジ大谷とスージー鈴木『桑田佳祐論』!後編【ダイノジ中学校】


↑ キモのコメント。(4:12~)
・「学生の洋楽好きなバンドのサザンオールスターズが終わったのが『KAMAKURA』」。
・「メガサザン」は「国民を相手にしてスタンドアリーナ(の世界)」。
「初期サザン」だけが別のにおいを発している。

役割分担がはっきりしていない ”不完全さ” や ”隙” がある意味魅力だったのかも・・・。

↑ 「いきなり出てくるんすよ・・・」
っつうのはおそらくこういう曲を云っているのだと思う。↓

■ TSUNAMI

コード
全フレーズ 「桑田節」。だれるところのない名曲。
2000年にして、この曲調で大ヒットするとは予想だにしなかった。
※ この曲の扱いに賛否あるけど、「TSUNAMI」は「津波」ではなくたぶん「あふれる想い」をあらわしている。 


そして初期サザンで改めて凄いと思うのは、リズムセクションもさることながら、キーボード(原さん)とギター(大森さん)の存在感。

とくに、原さんのキーボード、聴けば聴くほど凄いわ。
クラシカルな音色と力感あふれる鍵盤リフ。
そしてキレッキレのカウンターメロ。
サザンのメロディアスなサウンドは、おそらく原さんの存在なくしてつくれなかった。

JournryにおけるJonathan Cain、Pablo CruiseにおけるCory Leriosのポジショニング。
日本のポップシーンで、ここまで存在感を出せるキーボードプレイヤーはほんとうに希だと思う。

■ Journey - Faithfully(1983年)


■ Pablo Cruise - Family Man(1978年)


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■ Oh! クラウディア (『NUDE MAN』(1982年))

コード
いつまでも この胸に(Bm F#aug Bm/A)
オーギュメント→オンコード
メロディが際立つサザン屈指の名バラッド。

■ 旅姿六人衆 (『綺麗』(1983年))

コード
ベースはF G Em Am(4536)の王道進行ながら、
ステキな今宵を分け合えりゃ Dm A# C (261)の切り返し(斬新)感がハンパじゃない。
伝説の1998 スーパーライブ in 渚園

神テイクすぎるにもほどがある!
いい音楽を生み出すのに、これ以上なにが要るというのか?

■ 海 (『人気者で行こう』(1984年))

コード
イントロのフレーズ。リバーブの効いたドラムス。複雑なカウンター・メロディ。
むせぶSaxophone、そして桑田さんの色気ただようスキャット。
文句なしの名曲!
1984年の時点で、こんなものすごいメジャー・セブンス曲かましてくるとは、やっぱりハンパな才能じゃないわ。

■ 夕陽に別れを告げて 〜 メリーゴーランド (『KAMAKURA』(1985年))

コード
個人的にはサザン屈指の名曲。
そして「TSUNAMI」の原曲ではないかと思っている・・・。
原さんのキーボードワークの凄さが伝わってくる名テイク。

観客のノリがアップビート(裏拍)でヨコノリ。

誤解をおそれずに言うと、「メガサザン」は初聴でもつぎの音が読めるけど、「初期サザン」はまったく読めない。
それだけコード進行やメロ構成が複雑なんだと思う。
そしてセブンス曲(=洋楽のつくり)が多い。

でも、国民的なヒットを生み出すには、どうしても「メガサザン」に舵を切る必要があった。
多くの日本人は、根っこにヨナ抜き音階(ペンタトニック)やダウンビートが入っているので、コンスタントに洋楽を意識する局面がないと、どうしてもセブンス(四和音)やアップビートから遠ざかっていく。
洋楽が減速した1990年代以降は、だからよけいに楽曲のわかりやすさが求められたと思う。


■『ロックの子』/桑田佳祐氏著(昭和62年(1987年)初版)

から引用させていただきます。(萩原健太氏との対談形式)

「そういう意識で来てるじゃない、ずっと。学生のころから。渋谷で友だちに会えばどこそこの輸入盤屋より・・・・ディスクなんとかよりもシスコのほうがいいもん売ってるとか、やっぱ向こうの、こう、ジェフ・ベックの海賊盤ほしいとか」
「ね。そういうふうにやってきたわけじゃない、俺たち。どれだけ向こうのディテールにくいこめるか、と」
「ディテールね」
「そういうことでしょ」
「うん」
「そういうバンドだと思うんだ、だから、俺たちも」
「宿命的に」
「そう。宿命的にね。うん」



この時代、宿命的に先を走る良質な洋楽があったから、この環境が「シティ・ポップ」を生み出す大きな契機になったのだと思う。
それに「シティ・ポップ」は、音の ”ディテール” にこだわらないと創り出せないから・・・。

この ”ディテール” にこだわったテイクの代表格が、「初期サザン」の曲たちだったのでは?
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