関東周辺の温泉入湯レポや御朱印情報をご紹介しています。対象エリアは、関東、甲信越、東海、南東北。
関東温泉紀行 / 関東御朱印紀行
■ 女性ヴォーカルの名テイク15曲+5曲
これは持論なんですが、優れた女性ヴォーカルのテイクは一種の聖性を帯びていて、これを繰り出されると男性ヴォーカルはどうにも太刀打ちできなくなる。
音楽格言に、「10人の優れた男性ヴォーカルが束になってかかっても、才能ある1人の女性ヴォーカルの前には到底敵わない」というのがあるが、こういうことを暗示しているのかもしれない。
そして、この「聖性を帯びた女性ヴォーカル」がもっともよく聴けるのが、いまの日本だと思う。(これも持論)
などということをつらつら考えながら、邦楽女性ヴォーカルの名テイクを思いつくままに並べてみました。
既出が多いけど、好きなので・・・。
01.吉澤嘉代子 - 泣き虫ジュゴン
02.志方あきこ - Ave Maria(w / 葉加瀬太郎)
03.tayori(feat. 倚水) - 雪解け(From 1st Live "春を待つ" 追加公演)
04.KOKIA - 孤独な生きもの(OTO NO TABI BITO #20)
05.遊佐未森 - 潮見表
06.西野カナ - 君って
07.Sachi Tainaka - 最高の片想い(Live 2007 Concert)
08.今井美樹 - 瞳がほほえむから(2006 Live)
09.華原朋美 - LOVE BRACE(2015/07/19 NHKホール)
10.松田聖子 - CANARY
11.薬師丸ひろ子 - 時代
12.Yuna Ito - Endless Story
13.FictionJunction - Parade(from HIGHWAY STAR PARTY 2023)
Joelle × YURIKO KAIDA × KEIKO × KAORI
14.Kalafina - Mirai
Hikaru × Keiko × Wakana
15.FictionJunction - Everlasting Song(Yuki Kajiura LIVE vol.#4 (2009.07.12 東京JCBホール)
WAKANA × YURIKO KAIDA × KEIKO × KAORI
---------------------------------
歌ってみた系の名テイク5曲追加しました。
01.Hanonさん×Kotohaさん - さよならメモリーズ
02.Cereusさん - おはよう、僕の歌姫 -Happy End Ver.-
03.桜ほたるさん - ここにあること
04.Esさん - 静息
05.めありーさん - どうかしてるわ
音楽格言に、「10人の優れた男性ヴォーカルが束になってかかっても、才能ある1人の女性ヴォーカルの前には到底敵わない」というのがあるが、こういうことを暗示しているのかもしれない。
そして、この「聖性を帯びた女性ヴォーカル」がもっともよく聴けるのが、いまの日本だと思う。(これも持論)
などということをつらつら考えながら、邦楽女性ヴォーカルの名テイクを思いつくままに並べてみました。
既出が多いけど、好きなので・・・。
01.吉澤嘉代子 - 泣き虫ジュゴン
02.志方あきこ - Ave Maria(w / 葉加瀬太郎)
03.tayori(feat. 倚水) - 雪解け(From 1st Live "春を待つ" 追加公演)
04.KOKIA - 孤独な生きもの(OTO NO TABI BITO #20)
05.遊佐未森 - 潮見表
06.西野カナ - 君って
07.Sachi Tainaka - 最高の片想い(Live 2007 Concert)
08.今井美樹 - 瞳がほほえむから(2006 Live)
09.華原朋美 - LOVE BRACE(2015/07/19 NHKホール)
10.松田聖子 - CANARY
11.薬師丸ひろ子 - 時代
12.Yuna Ito - Endless Story
13.FictionJunction - Parade(from HIGHWAY STAR PARTY 2023)
Joelle × YURIKO KAIDA × KEIKO × KAORI
14.Kalafina - Mirai
Hikaru × Keiko × Wakana
15.FictionJunction - Everlasting Song(Yuki Kajiura LIVE vol.#4 (2009.07.12 東京JCBホール)
WAKANA × YURIKO KAIDA × KEIKO × KAORI
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歌ってみた系の名テイク5曲追加しました。
01.Hanonさん×Kotohaさん - さよならメモリーズ
02.Cereusさん - おはよう、僕の歌姫 -Happy End Ver.-
03.桜ほたるさん - ここにあること
04.Esさん - 静息
05.めありーさん - どうかしてるわ
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■ ありえない対応(goo blog)
goo blogからはてなブログへの引っ越しで、自己記事内リンクが移転先ブログに反映されないので、goo blogに問い合わせしました。
その回答は以下のとおりです。
---------------------------------
せっかくお問い合わせいただいたにも関わらず大変申し訳ございませんが、
gooでは記事リンクの移行方法を提供しておりません。
移行データにて引っ越しができますのは、
・記事
・画像(一部サービスのみ)
・コメント(一部サービスのみ)
となっております。
通常のウェブサイトのリンクは
遷移先が閉鎖しない限りブラウザにてアクセスが可能ですので、
移行先でもそのままご利用いただくことが可能です。
一方、goo blogの記事リンクでは、遷移先がgoo blogとなりますので
移行先で押下するとgoo blog内の該当記事へ遷移いたします。
そのため、2025年11月18日に予定のサービス終了後は
goo blogのウェブサイトは閉鎖され、
記事リンクそのものが無効となります。
解決方法としましては、
該当する記事リンクを「はてなブログ」内の記事リンクに
手動にて置き換えていただくほかありません。
お客さまには大変お手数をおかけしますが、
ご了承いただきますようお願い申し上げます。
---------------------------------
↑ ということは、ブログ内の自己記事リンクをすべて手動で貼り直せってことか???
なんぼなんでもこれはありえない。
ブロガーの方は、インデックス(ポータル)記事からそれぞれの記事に飛ばしている人もたくさんいるかと。
それを全部手動で貼り直せって、いったいどういう了見なんだか。
やっぱりNTT、やることがえげつなさすぎる。
膨大なリンクを貼り直す気力はとてもないので、本年11月のgoo blog閉鎖後は、移転後のはてなブログで、おそらくインデックス記事から各記事へのリンクや記事から関連記事へのリンクはできなくなるかと思います。
有料ブログなのに企業の都合で突然勝手に閉鎖して、この仕打ちかよ。
長らくgoo blogを使ってきたことが、悔やまれてなりません。
---------------------------------
goo blogには過去20年以上もの貴重な記事の蓄積がありますが、今回引っ越しをあきらめて消えてしまう記事や、読みにくくなってしまうブログがたくさんでるかと思います。
こういう無責任きわまる対応しかできないなら、NTTはblog事業からもっと早くに撤退すべきだった。
まぁ、なにをいっても詮ないことですが、NTTの責任は重いと思います。
その回答は以下のとおりです。
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せっかくお問い合わせいただいたにも関わらず大変申し訳ございませんが、
gooでは記事リンクの移行方法を提供しておりません。
移行データにて引っ越しができますのは、
・記事
・画像(一部サービスのみ)
・コメント(一部サービスのみ)
となっております。
通常のウェブサイトのリンクは
遷移先が閉鎖しない限りブラウザにてアクセスが可能ですので、
移行先でもそのままご利用いただくことが可能です。
一方、goo blogの記事リンクでは、遷移先がgoo blogとなりますので
移行先で押下するとgoo blog内の該当記事へ遷移いたします。
そのため、2025年11月18日に予定のサービス終了後は
goo blogのウェブサイトは閉鎖され、
記事リンクそのものが無効となります。
解決方法としましては、
該当する記事リンクを「はてなブログ」内の記事リンクに
手動にて置き換えていただくほかありません。
お客さまには大変お手数をおかけしますが、
ご了承いただきますようお願い申し上げます。
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↑ ということは、ブログ内の自己記事リンクをすべて手動で貼り直せってことか???
なんぼなんでもこれはありえない。
ブロガーの方は、インデックス(ポータル)記事からそれぞれの記事に飛ばしている人もたくさんいるかと。
それを全部手動で貼り直せって、いったいどういう了見なんだか。
やっぱりNTT、やることがえげつなさすぎる。
膨大なリンクを貼り直す気力はとてもないので、本年11月のgoo blog閉鎖後は、移転後のはてなブログで、おそらくインデックス記事から各記事へのリンクや記事から関連記事へのリンクはできなくなるかと思います。
有料ブログなのに企業の都合で突然勝手に閉鎖して、この仕打ちかよ。
長らくgoo blogを使ってきたことが、悔やまれてなりません。
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goo blogには過去20年以上もの貴重な記事の蓄積がありますが、今回引っ越しをあきらめて消えてしまう記事や、読みにくくなってしまうブログがたくさんでるかと思います。
こういう無責任きわまる対応しかできないなら、NTTはblog事業からもっと早くに撤退すべきだった。
まぁ、なにをいっても詮ないことですが、NTTの責任は重いと思います。
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■ 音楽生成AIソフト、おそるべし!
■ 君がいる、それがすべて - Kotora
↑ これって、ヴォーカルもAIなのか?
往年の名手 ↓ に通じるエモーショナルを感じる。
もうここ数年で、POPSをめぐる景色が変わってしまうかも・・・。
■ I feel Coke - 佐藤竹善
■ Summer Emotions - 角松敏生
■ alone - 杉山清貴
↑ これって、ヴォーカルもAIなのか?
往年の名手 ↓ に通じるエモーショナルを感じる。
もうここ数年で、POPSをめぐる景色が変わってしまうかも・・・。
■ I feel Coke - 佐藤竹善
■ Summer Emotions - 角松敏生
■ alone - 杉山清貴
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■ 井の頭辨財天御開帳
4/12(土)と13(日)は12年に一度の井の頭辨財天御開帳です。
本日(4/12)、お参りしてきました。
明静山 円光院 大盛寺 井の頭辨天堂
東京都三鷹市井の頭4-26-1
天台宗
堂宇本尊:辨財天
札所:武蔵野吉祥七福神(辨財天)
井の頭辨財天は、天慶年間(938-946年)に経基流清和源氏の初代・源経基公が、伝教大師が延暦八年(789年)造立と伝わる辨財天女像をこの地に安置したのが創始といいます。
建久八年(1197年)に源頼朝公が東国の平安を祈願して宮社を建立、正慶二年(1333年)には新田義貞公が鎌倉北条氏と対陣の際、戦勝祈願をなしたとも伝わります。
徳川家康公は江戸の上水道の整備を行ない、その水源として選ばれたのが井の頭池で、その上水路が神田上水でした。
清和源氏初代・源経基公ゆかりの寺院ということもあってか、家康公も自らこの地を参詣したといい、慶長十一年(1606年)には家康公が井の頭池の水でお茶をたて、その時使われた茶臼は今も辨天堂に伝わるといいます。
三代将軍家光公の尊崇も篤く、家光公は辨天堂を再建したと伝わります。
寛永六年(1629年)、家光公が訪れた際、「井の頭」と命名し、池のほとりのこぶしの木に小刀で「井の頭」と刻んだといいます。
「神田の水で産湯を使い…」というのは、江戸っ子の啖呵の決まり文句ですが、この「神田の水」は「神田浄水」を指し、その水源が井の頭です。
いわば井の頭は江戸っ子の生命線ともいえる大切な地で、江戸町民は井の頭の辨財天を盛んに詣でたといいます。
道程は甲州街道から高井戸、久我山を経由するもので、各所に道標が残っています。
井の頭池は以前湧水口が7箇所あったことから「七井の池」とも称され、その名は七井不動尊や七井橋に残されています。
---------------------------------
→ 井の頭恩賜公園の案内図
アクセスは「吉祥寺」駅ないし井の頭線「井の頭公園」駅です。

【写真 上(左)】 「井の頭公園」駅
【写真 下(右)】 ひょうたん橋からの井の頭池

【写真 上(左)】 黒門
【写真 下(右)】 黒門脇の道標

【写真 上(左)】 大盛寺
【写真 下(右)】 大盛寺から辨天堂への参道

【写真 上(左)】 お茶の水
【写真 下(右)】 弁天橋から辨天堂
1時間程度の待ちは覚悟していきましたが、タイミングがよかったのか15分程度で参拝できました。

【写真 上(左)】 ポスター
【写真 下(右)】 参道-1
井の頭辨財天は、井の頭池の西南側の「弁天池」と呼ばれる一角に浮かぶ小島の辨天堂に御座し、石橋(太鼓橋)を渡っての参拝となります。

【写真 上(左)】 参道-2
【写真 下(右)】 本堂-1

【写真 上(左)】 幟
【写真 下(右)】 本堂-2

【写真 上(左)】 本堂-3
【写真 下(右)】 堂前
堂前には真新しい回向柱が建立され、山内は赤い幟で囲まれてさすがに華々しい装いです。
現在の本堂は昭和初期に再建されたもので、辨天堂はおそらく入母屋造銅板葺妻入りで、向拝上に大掛かりな千鳥破風と軒唐破風を連ねています。
朱塗りの華やかな堂宇が新緑に映えていました。

【写真 上(左)】 回向柱
【写真 下(右)】 扁額
辨天堂向かって右から塗香をいただいて入堂し、堂内中央の辨天様にお参りし、左手から退出する一方通行です。
辨天様は八臂で刀や弓矢、矛などの持物をもたれ、美しくお優しい面差しです。
辨財天は仏教の守護神である天部の一尊で、ヒンドゥー教の女神である”サラスヴァティー”が仏教にとり込まれた尊格とされます。
サラスヴァティーのもともとの性格は「水の女神」で、辨財天が江戸の大切な水源である井の頭に祀られていたのは、素直にうなづけるものがあります。
辨財天を祀る寺院は、明治の廃仏毀釈時に本地垂迹論で示された宗像三女神、ないし市杵嶋姫命(いちきしまひめ)を御祭神とする神社に改められた例も多いですが、井の頭辨財天は変わることなく辨財天として祀られていまに至ります。
辨天堂向かって左手には、宇賀神様も御座されています。

【写真 上(左)】 宇賀神様
【写真 下(右)】 銭洗い辨財天

【写真 上(左)】 七井不動尊
【写真 下(右)】 太鼓橋
御朱印は書置の御開帳特別御朱印の授与で、授与所ではとくに待ち時間はありませんでした。
井の頭辨財堂は、天台宗 明静山 円光院 大盛寺の辨天堂です。
大盛寺の御朱印は辨天堂のものが授与され、御本尊の薬師如来の御朱印は授与されておりません。

【写真 上(左)】 御開帳御朱印
【写真 下(右)】 以前にいただいた御朱印
【 BGM 】
■ キミトセカイ - 【佳仙ver.】
■ 静息 / ver.Es
■ Erato - 志方あきこ
本日(4/12)、お参りしてきました。
明静山 円光院 大盛寺 井の頭辨天堂
東京都三鷹市井の頭4-26-1
天台宗
堂宇本尊:辨財天
札所:武蔵野吉祥七福神(辨財天)
井の頭辨財天は、天慶年間(938-946年)に経基流清和源氏の初代・源経基公が、伝教大師が延暦八年(789年)造立と伝わる辨財天女像をこの地に安置したのが創始といいます。
建久八年(1197年)に源頼朝公が東国の平安を祈願して宮社を建立、正慶二年(1333年)には新田義貞公が鎌倉北条氏と対陣の際、戦勝祈願をなしたとも伝わります。
徳川家康公は江戸の上水道の整備を行ない、その水源として選ばれたのが井の頭池で、その上水路が神田上水でした。
清和源氏初代・源経基公ゆかりの寺院ということもあってか、家康公も自らこの地を参詣したといい、慶長十一年(1606年)には家康公が井の頭池の水でお茶をたて、その時使われた茶臼は今も辨天堂に伝わるといいます。
三代将軍家光公の尊崇も篤く、家光公は辨天堂を再建したと伝わります。
寛永六年(1629年)、家光公が訪れた際、「井の頭」と命名し、池のほとりのこぶしの木に小刀で「井の頭」と刻んだといいます。
「神田の水で産湯を使い…」というのは、江戸っ子の啖呵の決まり文句ですが、この「神田の水」は「神田浄水」を指し、その水源が井の頭です。
いわば井の頭は江戸っ子の生命線ともいえる大切な地で、江戸町民は井の頭の辨財天を盛んに詣でたといいます。
道程は甲州街道から高井戸、久我山を経由するもので、各所に道標が残っています。
井の頭池は以前湧水口が7箇所あったことから「七井の池」とも称され、その名は七井不動尊や七井橋に残されています。
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→ 井の頭恩賜公園の案内図
アクセスは「吉祥寺」駅ないし井の頭線「井の頭公園」駅です。


【写真 上(左)】 「井の頭公園」駅
【写真 下(右)】 ひょうたん橋からの井の頭池


【写真 上(左)】 黒門
【写真 下(右)】 黒門脇の道標


【写真 上(左)】 大盛寺
【写真 下(右)】 大盛寺から辨天堂への参道


【写真 上(左)】 お茶の水
【写真 下(右)】 弁天橋から辨天堂
1時間程度の待ちは覚悟していきましたが、タイミングがよかったのか15分程度で参拝できました。


【写真 上(左)】 ポスター
【写真 下(右)】 参道-1
井の頭辨財天は、井の頭池の西南側の「弁天池」と呼ばれる一角に浮かぶ小島の辨天堂に御座し、石橋(太鼓橋)を渡っての参拝となります。


【写真 上(左)】 参道-2
【写真 下(右)】 本堂-1


【写真 上(左)】 幟
【写真 下(右)】 本堂-2


【写真 上(左)】 本堂-3
【写真 下(右)】 堂前
堂前には真新しい回向柱が建立され、山内は赤い幟で囲まれてさすがに華々しい装いです。
現在の本堂は昭和初期に再建されたもので、辨天堂はおそらく入母屋造銅板葺妻入りで、向拝上に大掛かりな千鳥破風と軒唐破風を連ねています。
朱塗りの華やかな堂宇が新緑に映えていました。


【写真 上(左)】 回向柱
【写真 下(右)】 扁額
辨天堂向かって右から塗香をいただいて入堂し、堂内中央の辨天様にお参りし、左手から退出する一方通行です。
辨天様は八臂で刀や弓矢、矛などの持物をもたれ、美しくお優しい面差しです。
辨財天は仏教の守護神である天部の一尊で、ヒンドゥー教の女神である”サラスヴァティー”が仏教にとり込まれた尊格とされます。
サラスヴァティーのもともとの性格は「水の女神」で、辨財天が江戸の大切な水源である井の頭に祀られていたのは、素直にうなづけるものがあります。
辨財天を祀る寺院は、明治の廃仏毀釈時に本地垂迹論で示された宗像三女神、ないし市杵嶋姫命(いちきしまひめ)を御祭神とする神社に改められた例も多いですが、井の頭辨財天は変わることなく辨財天として祀られていまに至ります。
辨天堂向かって左手には、宇賀神様も御座されています。


【写真 上(左)】 宇賀神様
【写真 下(右)】 銭洗い辨財天


【写真 上(左)】 七井不動尊
【写真 下(右)】 太鼓橋
御朱印は書置の御開帳特別御朱印の授与で、授与所ではとくに待ち時間はありませんでした。
井の頭辨財堂は、天台宗 明静山 円光院 大盛寺の辨天堂です。
大盛寺の御朱印は辨天堂のものが授与され、御本尊の薬師如来の御朱印は授与されておりません。


【写真 上(左)】 御開帳御朱印
【写真 下(右)】 以前にいただいた御朱印
【 BGM 】
■ キミトセカイ - 【佳仙ver.】
■ 静息 / ver.Es
■ Erato - 志方あきこ
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■ 幻の弘法大師霊場 ~ 新四国猿島霊場(猿島大師)~
今回、猿島阪東観音霊場をまわっていて気になったことがあります。
それは複数の札所でみかけたお大師さま(弘法大師)のお堂です。
最初に意識したのは、第9番久昌院の山内に貼り出されていたかつての札所資料(おそらく印施)です。
そこには、四十番台、五十番台、六十番台の札番の札所が掲載されていました。
これはどう考えても、弘法大師八十八ヶ所霊場です。
久昌院にも大師堂はありましたが、そちらには札番掲示はなく、釈然としないものが残りました。
そこからいくつかの札所で「新四国八十八ヶ所」の札所標と大師堂を目にしました。
ある寺院では「猿島八ヶ所」という札所標もあり、ナゾは深まります。
筆者は下総国の弘法大師八十八ヶ所霊場(送り大師)はかなり把握していると思っていました。

下総エリアの送り大師のひとつ、「利根運河大師」のガイドブック
しかし、猿島エリアの弘法大師霊場については、こちらのWeb資料(利根川下流域の新四国巡礼・PDF)以外に事前情報はなく、札所リストもまったく不明でした。
あるいは「猿島大師」かとも思いましたが、「猿島 八十八ヶ所」「猿島大師」でググってみても情報はほとんどヒットしません。
しかし、かろうじてひとつの書籍がヒットしました。
それが、「下総国の新四国猿島八十八ヶ所霊場」です。
国立国会図書館には収蔵されていますが、Web公開はされていません。
こういう場合は地元図書館に当たるのが近道なので、猿島図書館に問い合わせしてみると、ありました。ビンゴです。
こうなるともう止まりません(笑)。
猿島阪東の巡拝もそこそこに、猿島図書館に行きついに情報をゲットしました。
---------------------------------
同書によると、この霊場の名は新四国猿島霊場で、猿島大師、猿島八ヶ所とも呼ばれるとの由。
下総国葛飾郡関宿(野)と同国猿島郡(境、古、坂)をエリアとします。
同書には、新四国猿島霊場は宝暦八年(1758年)、栗山村の名主の家に生まれた隆泰比丘による開創とあります。
猿島阪東観音霊場の開創は正德五年(1715年)なので、猿島阪東観音霊場につづいて弘法大師霊場が開かれたことになります。
安政年間(1855-1860年)からすでに衰退していたとみられるこの霊場は、明治の廃仏毀釈でも札所を減らしたといいます。
しかし明治四十年、生子万蔵院大俊を中心に再興され、順路手引などを印施。
手引類は、猿島阪東観音霊場と併せて巡拝できるように構成されていたともいいます。

第9番久昌院の山内に貼出の印施、下が猿島阪東、上が猿島新四国
しかし戦時中に衰退し、復活したのは昭和26年。
春に巡拝され、地域の風物詩となっていたこの大師講も、昭和42年の巡拝を最後に講は解散されたといいます。
この当時の札所数は65と伝わります。
と、同書のおかげでここまで辿れました。
しかし、昭和42年以降、講による巡拝もガイド類の印施もなく、Web情報さえほとんどなく、まさに「幻の弘法大師霊場」といってもいいのではないでしょうか。
同書には貴重な札所リストが載っています。
なんとか、猿島阪東観音霊場との重複札所がわかるかたちでエクセルにまとめてみました。




今回御開帳の猿島阪東観音霊場札所38のうち、じつに31(81.6%)が新四国猿島霊場の札所を兼務され、猿島阪東の巡拝は、新四国猿島霊場をまわることにもなっていることがわかります。
大師堂もよく残っているし、観音さまだけでなく、お大師さまも詣でてみてはいかがでしょうか。
【 BGM 】
■ どうかしてるわ - めありー×yukkedoluce
■ 栞 - 天野月 feat.YURiCa/花たん
■ ヒカリヘ - miwa
それは複数の札所でみかけたお大師さま(弘法大師)のお堂です。
最初に意識したのは、第9番久昌院の山内に貼り出されていたかつての札所資料(おそらく印施)です。
そこには、四十番台、五十番台、六十番台の札番の札所が掲載されていました。
これはどう考えても、弘法大師八十八ヶ所霊場です。
久昌院にも大師堂はありましたが、そちらには札番掲示はなく、釈然としないものが残りました。
そこからいくつかの札所で「新四国八十八ヶ所」の札所標と大師堂を目にしました。
ある寺院では「猿島八ヶ所」という札所標もあり、ナゾは深まります。
筆者は下総国の弘法大師八十八ヶ所霊場(送り大師)はかなり把握していると思っていました。

下総エリアの送り大師のひとつ、「利根運河大師」のガイドブック
しかし、猿島エリアの弘法大師霊場については、こちらのWeb資料(利根川下流域の新四国巡礼・PDF)以外に事前情報はなく、札所リストもまったく不明でした。
あるいは「猿島大師」かとも思いましたが、「猿島 八十八ヶ所」「猿島大師」でググってみても情報はほとんどヒットしません。
しかし、かろうじてひとつの書籍がヒットしました。
それが、「下総国の新四国猿島八十八ヶ所霊場」です。
国立国会図書館には収蔵されていますが、Web公開はされていません。
こういう場合は地元図書館に当たるのが近道なので、猿島図書館に問い合わせしてみると、ありました。ビンゴです。
こうなるともう止まりません(笑)。
猿島阪東の巡拝もそこそこに、猿島図書館に行きついに情報をゲットしました。
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同書によると、この霊場の名は新四国猿島霊場で、猿島大師、猿島八ヶ所とも呼ばれるとの由。
下総国葛飾郡関宿(野)と同国猿島郡(境、古、坂)をエリアとします。
同書には、新四国猿島霊場は宝暦八年(1758年)、栗山村の名主の家に生まれた隆泰比丘による開創とあります。
猿島阪東観音霊場の開創は正德五年(1715年)なので、猿島阪東観音霊場につづいて弘法大師霊場が開かれたことになります。
安政年間(1855-1860年)からすでに衰退していたとみられるこの霊場は、明治の廃仏毀釈でも札所を減らしたといいます。
しかし明治四十年、生子万蔵院大俊を中心に再興され、順路手引などを印施。
手引類は、猿島阪東観音霊場と併せて巡拝できるように構成されていたともいいます。

第9番久昌院の山内に貼出の印施、下が猿島阪東、上が猿島新四国
しかし戦時中に衰退し、復活したのは昭和26年。
春に巡拝され、地域の風物詩となっていたこの大師講も、昭和42年の巡拝を最後に講は解散されたといいます。
この当時の札所数は65と伝わります。
と、同書のおかげでここまで辿れました。
しかし、昭和42年以降、講による巡拝もガイド類の印施もなく、Web情報さえほとんどなく、まさに「幻の弘法大師霊場」といってもいいのではないでしょうか。
同書には貴重な札所リストが載っています。
なんとか、猿島阪東観音霊場との重複札所がわかるかたちでエクセルにまとめてみました。




今回御開帳の猿島阪東観音霊場札所38のうち、じつに31(81.6%)が新四国猿島霊場の札所を兼務され、猿島阪東の巡拝は、新四国猿島霊場をまわることにもなっていることがわかります。
大師堂もよく残っているし、観音さまだけでなく、お大師さまも詣でてみてはいかがでしょうか。
【 BGM 】
■ どうかしてるわ - めありー×yukkedoluce
■ 栞 - 天野月 feat.YURiCa/花たん
■ ヒカリヘ - miwa
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■ 小石川の花まつり ~ 天上天下唯我独尊 ~
本日4月8日は灌仏会(花まつり)でした。
お釈迦さまのお生まれになった4月8日に、その誕生を祝う行事です。
本堂前に御座された誕生仏に甘茶をかけて供養します。
本日、午後から小石川の寺院をいくつかまわってみました。
いくつかの寺院で誕生仏がお出ましでしたが、人影はまばらでした。
この世知辛い世の中、お釈迦さまの誕生を祝う余裕をもった人々もだんだんと減ってしまったのかもしれません。
それでも今年は予想外の桜の開花遅れ。
桜と誕生仏という貴重な景色が楽しめました。

【写真 上(左)】 伝通院の桜
【写真 下(右)】 月参堂善光寺の桜と六地蔵

【写真 上(左)】 ポスター
【写真 下(右)】 同

【写真 上(左)】 花まつりの説明(月参堂善光寺)
【写真 下(右)】 甘茶のふるまい(同)

【写真 上(左)】 月参堂善光寺
【写真 下(右)】 月参堂善光寺の誕生仏


【写真 上(左)】 伝通院
【写真 下(右)】 伝通院の誕生仏

【写真 上(左)】 伝通院の御朱印(御名号)
【写真 下(右)】 伝通院の御朱印(観音霊場)
※御朱印は以前いただいたものです。

葵の御紋の御朱印帳は紙質がいいです。

【写真 上(左)】 真珠院
【写真 下(右)】 真珠院の誕生仏

■ 【ライブ映像】吉澤嘉代子「泣き虫ジュゴン」
お釈迦さまのお生まれになった4月8日に、その誕生を祝う行事です。
本堂前に御座された誕生仏に甘茶をかけて供養します。
本日、午後から小石川の寺院をいくつかまわってみました。
いくつかの寺院で誕生仏がお出ましでしたが、人影はまばらでした。
この世知辛い世の中、お釈迦さまの誕生を祝う余裕をもった人々もだんだんと減ってしまったのかもしれません。
それでも今年は予想外の桜の開花遅れ。
桜と誕生仏という貴重な景色が楽しめました。


【写真 上(左)】 伝通院の桜
【写真 下(右)】 月参堂善光寺の桜と六地蔵


【写真 上(左)】 ポスター
【写真 下(右)】 同


【写真 上(左)】 花まつりの説明(月参堂善光寺)
【写真 下(右)】 甘茶のふるまい(同)


【写真 上(左)】 月参堂善光寺
【写真 下(右)】 月参堂善光寺の誕生仏



【写真 上(左)】 伝通院
【写真 下(右)】 伝通院の誕生仏


【写真 上(左)】 伝通院の御朱印(御名号)
【写真 下(右)】 伝通院の御朱印(観音霊場)
※御朱印は以前いただいたものです。

葵の御紋の御朱印帳は紙質がいいです。


【写真 上(左)】 真珠院
【写真 下(右)】 真珠院の誕生仏

■ 【ライブ映像】吉澤嘉代子「泣き虫ジュゴン」
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■ 福壽山 普光明寺 千体地蔵尊御開帳(33年に一度)
最終日に参拝してきました。
屋台や囃子連も出てかなりの賑わいでした。
とりあえず写真のみです。


【写真 上(左)】 ポスター
【写真 下(右)】 案内サイン

【写真 上(左)】 屋台
【写真 下(右)】 山門

【写真 上(左)】 大和田囃子保存会
【写真 下(右)】 南永井囃子連

【写真 上(左)】 中門
【写真 下(右)】 幟

【写真 上(左)】 地蔵堂-1
【写真 下(右)】 地蔵堂-2

【写真 上(左)】 堂前-1
【写真 下(右)】 堂前-2

【写真 上(左)】 大護摩供奉修-1
【写真 下(右)】 大護摩供奉修-2

【写真 上(左)】 地蔵堂の御詠歌板と扁額
【写真 下(右)】 御詠歌板

【写真 上(左)】 横から地蔵堂と本堂
【写真 下(右)】 御開帳お守り

【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 本堂扁額
御朱印は書置。2種の授与でした。


これで、和光、朝霞、志木、新座4市でいただける御朱印・御首題はほぼ拝受したかと思います。
近日このようなフォーマットでご紹介したいと思います。
**********
普光明寺が元別当を司っていた、(大和田)氷川神社も参拝しました。
御朱印は以前に宮司様宅で拝受したものです。
【写真 上(左)】 (大和田)氷川神社
【写真 下(右)】 (大和田)氷川神社の御朱印
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2025-04-05 UP
埼玉県新座市の名刹、福壽山 普光明寺の千躰地蔵尊の33年に一度の御開帳が現在催行中です。
日程は4/4、5、6の3日間で明日(4/6(日))が最終日です。
情報→ 新座市Web
こちらは以前参拝したことがありますが、御朱印は不授与とのことで、今回いただける御朱印は33年に一度のものかもしれません。
なお、御開帳時は駐車場はなく、公共交通機関の利用となります。
■ 福壽山普光明寺 千体地蔵尊御開帳 境内の賑わい
屋台や囃子連も出てかなりの賑わいでした。
とりあえず写真のみです。



【写真 上(左)】 ポスター
【写真 下(右)】 案内サイン


【写真 上(左)】 屋台
【写真 下(右)】 山門


【写真 上(左)】 大和田囃子保存会
【写真 下(右)】 南永井囃子連


【写真 上(左)】 中門
【写真 下(右)】 幟


【写真 上(左)】 地蔵堂-1
【写真 下(右)】 地蔵堂-2


【写真 上(左)】 堂前-1
【写真 下(右)】 堂前-2


【写真 上(左)】 大護摩供奉修-1
【写真 下(右)】 大護摩供奉修-2


【写真 上(左)】 地蔵堂の御詠歌板と扁額
【写真 下(右)】 御詠歌板


【写真 上(左)】 横から地蔵堂と本堂
【写真 下(右)】 御開帳お守り


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 本堂扁額
御朱印は書置。2種の授与でした。




これで、和光、朝霞、志木、新座4市でいただける御朱印・御首題はほぼ拝受したかと思います。
近日このようなフォーマットでご紹介したいと思います。
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普光明寺が元別当を司っていた、(大和田)氷川神社も参拝しました。
御朱印は以前に宮司様宅で拝受したものです。


【写真 上(左)】 (大和田)氷川神社
【写真 下(右)】 (大和田)氷川神社の御朱印
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2025-04-05 UP
埼玉県新座市の名刹、福壽山 普光明寺の千躰地蔵尊の33年に一度の御開帳が現在催行中です。
日程は4/4、5、6の3日間で明日(4/6(日))が最終日です。
情報→ 新座市Web
こちらは以前参拝したことがありますが、御朱印は不授与とのことで、今回いただける御朱印は33年に一度のものかもしれません。
なお、御開帳時は駐車場はなく、公共交通機関の利用となります。
■ 福壽山普光明寺 千体地蔵尊御開帳 境内の賑わい
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