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■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-1A(導入編)

■ 2023/02/15 UP
今年(令和五年)は弘法大師御誕生1250年の記念の年です。
金剛峯寺の公式Web
そこで、御府内八十八ヶ所霊場の御朱印のご紹介をはじめることにしました。

■ 2024/02/28 UP
ようやく(一応)完成しました。
この記事を書いている途中で『御府内八十八ケ所道しるべ』の存在に気づいたため、途中から構成が変わっております。
ひとまずはこれで完結としますが、後日前半の構成を整えていきたいと思います。

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□ 札所リスト



□ 記事へのリンク

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-1B
第1番
高野山東京別院(港区高輪)
第2番
金峰山 東福寺(中野区江古田)
第3番
金剛山 多聞院(世田谷区北烏)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-2
第4番
永峯山 高福院(品川区上大崎)
第5番
金剛山 延命院(港区南麻布)
第6番
五大山 不動院(港区六本木)
第7番
源秀山 室泉寺(渋谷区東)
第8番
海岳山 長遠寺(大田区南馬込)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-3
第9番
古碧山 龍厳寺(渋谷区神宮前)
第10番
観谷山 聖輪寺(渋谷区千駄ヶ谷)
第11番
光明山 荘厳寺(渋谷区本町)
第12番
明王山 宝仙寺(中野区中央)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-4
第13番-1
三田高野山 龍生院(弘法寺)(港区三田)
第13番-2
和光山 大龍寺(北区田端)
第14番
白鷺山 福蔵院(中野区白鷺)
第15番
瑠璃光山 南蔵院(練馬区中村)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-5
第16番
亀頂山 三寶寺(練馬区石神井台)
第17番
東高野山 長命寺(練馬区高野台)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-6
第18番
獨鈷山 愛染院(新宿区若葉)
第19番-1
瑠璃山 青蓮寺(板橋区成増)
第19番-2
陽岳山 圓乗院(大田区南馬込)
第20番
身代山 鏡照院(港区西新橋)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-7
第21番
寶珠山 東福院(新宿区若葉)
第22番
天谷山 南蔵院(新宿区箪笥町)
第23番
川崎大師東京別院 薬研堀不動院(中央区東日本橋)
第24番
高天山 最勝寺(新宿区上落合)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-8
第25番
六所山 長楽寺(日野市程久保)
第26番
海賞山 来福寺(品川区東大井)
第27番
瑠璃山 正光院(港区元麻布)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-9
第28番
宝林山 霊雲寺(文京区湯島)
第29番
大鏡山 南蔵院(豊島区高田)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-10
第30番
光松山 放生寺(新宿区西早稲田)
第31番
照林山 多聞院(新宿区弁天町)
第32番
萬昌山 圓満寺(文京区湯島)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-11
第33番
醫王山 眞性寺(豊島区巣鴨)
第34番
薬王山 三念寺(文京区本郷)
第35番
金剛寶山 根生院(豊島区高田)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-12
第36番
瑠璃山 薬王院(新宿区下落合)
第37番
瑠璃光山 萬徳院(江東区永代)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-13
第38番
神霊山 金乗院(豊島区高田)
第39番
金鶏山 真成院(新宿区若葉)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-14
第40番
福聚山 普門院(江東区亀戸)
第41番
十善山 密蔵院(中野区沼袋)
第42番
蓮葉山 観音寺(台東区谷中)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-15
第43番
神勝山 成就院(台東区元浅草)
第44番
金剛山 顕性寺(新宿区須賀町)
第45番
廣幡山 観蔵院(台東区元浅草)
第46番
萬徳山 弥勒寺(墨田区立川)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-16
第47番
平塚山 城官寺(北区上中里)
第48番
瑠璃光山 禅定院(中野区沼袋)
第49番
寶塔山 多寶院(台東区谷中)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-17
第50番
高野山 大徳院(墨田区両国)
第51番
玉龍山 延命院(台東区元浅草)
第52番
慈雲山 観音寺(新宿区西早稲田)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-18
第53番
本覚山 自性院(台東区谷中)
第54番
東豊山 新長谷寺(豊島区高田)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-19
第55番
瑠璃光山 長久院(台東区谷中)
第56番
宝珠山 與楽寺(北区田端)
第57番
天瑞山 明王院(台東区谷中)
第58番
七星山 光徳院(中野区上高田)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-20
第59番
佛寶山 無量寺(北区西ヶ原)
第60番
摩尼山 吉祥院(台東区元浅草)
第61番
望月山 正福院(台東区元浅草)
第62番
鶴亭山 威光院(台東区寿)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-21
第63番
初音山 観智院(台東区谷中)
第64番
長谷山 加納院(台東区谷中)
第65番
明王山 大聖院(港区三田)
第66番
白龍山 東覚寺(北区田端)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-22
第67番
摩尼珠山 真福寺(港区愛宕)
第68番
大栄山 永代寺(江東区富岡)
第69番
龍臥山 宝生院(港区三田)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-23
第70番
照光山 禅定院(練馬区石神井町)
第71番
新井山 梅照院(中野区新井)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-24
第72番
阿遮山 不動院(台東区寿)
第73番
法号山 東覚寺(江東区亀戸)
第74番
賢臺山 法乗院(江東区深川)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-25
第75番
智劔山 威徳寺(港区赤坂)
第76番
蓮華山 金剛院(豊島区長崎)
第77番
高嶋山 佛乗院(神奈川県秦野市蓑毛)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-26
第78番
摩尼山 成就院(台東区東上野)
第79番
清水山 専教院(文京区小日向)
第80番
太元山 長延寺(港区三田)
第81番
医王山 光蔵院(港区赤坂)
第82番
青林山 龍福院(台東区元浅草)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-27
第83番
放光山 蓮乗院(新宿区若葉)
第84番
五大山 明王院(港区三田)
第85番
大悲山 観音寺(新宿区高田馬場)
第86番
金剛山 常泉院(文京区春日)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-28
第87番
神齢山 護国寺(文京区大塚)

御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-29
第88番
遍照山 文殊院(杉並区和泉)


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御府内八十八ヶ(箇)所とは、東京都内にある弘法大師ゆかりの寺院を巡拝する弘法大師霊場です。(以下、「御府内霊場」と記します。)

「御府内」とは「江戸町奉行が支配の対象とする江戸(の範囲内)」ないし「寺社勧化場として許可された江戸(の範囲内)」といわれ、時代によって変化したといいます。
東京都公文書館のWeb資料には以下のとおりあります。

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文政元年(1818)8月に、目付牧助右衛門から「御府内外境筋之儀」についての伺いが出されました。
この伺いを契機に、評定所で入念な評議が行われました。このときの答申にもとづき、同年12月に老中阿部正精から「書面伺之趣、別紙絵図朱引ノ内ヲ御府内ト相心得候様」と、幕府の正式見解が示されたのです。

その朱引で示された御府内の範囲とは、およそ次のようになります。
 東…中川限り
 西…神田上水限り
 南…南品川町を含む目黒川辺
 北…荒川・石神井川下流限り
この朱引図には、朱線と同時に黒線(墨引)が引かれており、この墨引で示された範囲が、町奉行所支配の範囲を表しています。朱引と墨引を見比べると、例外的に目黒付近で墨引が朱引の外側に突出していることを除けば、ほぼ朱引の範囲内に墨引が含まれる形になっていることが見てとれます。

以来、江戸の範囲といえば、この朱引の範囲と解釈されるようになったのです。
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このようにきわめて明快に説明されています。
つまり、江戸御府内=江戸朱引図内ということです。


■ 江戸朱引図東京都公文書館Web公開資料

たとえば 江戸朱引図(東京都公文書館)をみると田畑村はしっかり朱引図内に収まっており、田端は御府内に位置することがわかります。


■ 朱引きと田畑村の位置関係東京都公文書館Web公開資料を筆者にて加工)

以上のとおり、文政元年(1818年)頃の「御府内」の範囲は、東は亀戸・小名木村辺、西は角筈村・代々木辺、南は上大崎村・南品川町辺、北は上尾久・下板橋村辺の内側と定められています。

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『全国霊場大事典』(六月書房)によると、御府内霊場の開創は宝暦年間(1751年~)頃とされています。
同書によると、信州・浅間山真楽寺の憲浄僧正と千葉県松戸の諦信によって四国八十八ヶ所霊場が写されたものとされ、四国霊場の札所の土(お砂)を各札所の拝前におき、こちらを踏んで巡拝すれば四国霊場巡拝と同様のご利益が得られるとされる点は、全国各地の弘法大師(新四国)霊場と同様です。

『全国霊場巡拝事典』(大法輪閣)では、宝暦五年(1755年)刊の『大進夜話』に「江戸にも此頃は信州浅間山の上人本願にて、四国の八十八箇所を移して立札など見えたり」とあり、文化十三年(1816年)の札所案内には「宝暦五乙亥三月下総葛飾松戸宿諦信の子、出家して信州浅間山真楽寺の住になりぬ。両人本願して江戸に霊場をうつす」とあることを紹介しています。

さらに文政五年(1822年)刊の十返舎一九著『諸国道中金の草鞋』にも「宝暦の頃下総の國松戸宿の諦信●子●預して東都に八十八ヶ所の霊場を●●といへり。」との記載があり、宝暦年間、憲浄僧正と松戸の諦信による開創説でおおむね定まっているようです。



【写真 上(左)】 十返舎一九『諸国道中金の草鞋』二十一篇「東都大師巡八十八箇所」(文政五年(1822年))
【写真 下(右)】 同
十返舎一九 著 ほか『諸国道中金の草鞋』21,嵩山堂,〔 〕. 国立国会図書館DC より転載。

このことは「公訴発願 信州浅間真楽寺上人 巡行願主 下総国 諦信」と刻まれた札所碑が第42番観音寺にあり、他の札所にも同様の石碑が残ることからも裏付けられるとされています。(『全国霊場巡拝事典』)


【写真 上(左)】 第42番観音寺の御府内霊場札所碑
【写真 下(右)】 「公訴発願 信州浅間真楽寺上人 巡行願主 下総國 諦信」とあります

なお、同書によると、これとは別に正等和尚(1703-1774年)という人が開創という説もあるようです。



『御府内八十八ヶ所 弘法大師二十一ヶ寺 版木』(台東区教育委員会刊)には、「第十七番札所長命寺には「宝暦三癸酉三月廿一日」銘の御府内八十八ヶ所標石が現存する。(略)この銘文を信じる限り宝暦三年(1753年)三月までに開設されていたことになる。」
同書では第17番長命寺の標石と宝暦五年(1755年)刊の『大進夜話』を根拠とし、「ここでは、宝暦二年(1752年)頃『浅間山真楽寺住職』の開設とし、不明な点は後考に俟つこととしたい。」とあります。


【写真 上(左)】 第17番長命寺の御府内八十八ヶ所標石-1
【写真 下(右)】 同-2

また、同書には「本版木第二六丁によれば『廿三里十三丁五間』、約九二キロの行程で、御府内在住の健脚であれば三~四日で巡ったものと思われる。」とあります。


十返舎一九『諸国道中金の草鞋』二十一篇「東都大師巡八十八箇所」(文政五年(1822年))
十返舎一九 著 ほか『諸国道中金の草鞋』21,嵩山堂,〔 〕. 国立国会図書館DC より転載。

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御府内霊場の前身ともいわれる霊場に江戸八十八ヶ所霊場があります。
初番は高輪の正覚院、第88番結願は御府内霊場と同様文殊院で、御府内霊場と重複する札所が多いですが、微妙に異なる札番構成で廃寺も含みます。
→ 札所リストはこちら(『ニッポンの霊場』様)


【写真 上(左)】 第38番金乗院の御府内霊場札所碑
【写真 下(右)】 同 江戸八十八ヶ所霊場第38番の札所碑

御府内霊場第2番はもともとは新宿・余丁町の二尊院で、のちに江古田・東福寺に遷ったともされますが、江戸八十八ヶ所霊場第2番は二尊院となっています。
また、江戸八十八ヶ所の札所は御府内霊場に比べて御府内の札所が多くなっているので、あるいは御府内霊場の前身の可能性もあるのかもしれません。

廃寺・移動となった札番の変遷をこまかく追っていけばなにか見えてくるものがあるのかも知れませんが、なにぶん江戸八十八ヶ所霊場は記録がすくなく、それもむずかしいかもしれません。

現在、寺院移転により御府内霊場の2つの札所は都区外に移転していますが、それ以外は東京都区内の所在で、まさに「東京のお遍路」ということができます。


■ 第56番 宝珠山 地蔵院 與楽寺(北区田端)

『江戸名所図会』十五(国会図書館DC(保護期間満了資料)より転載)

■ 第59番 佛寶山 西光院 無量寺(北区西ヶ原)

『江戸名所図会』十五(国会図書館DC(保護期間満了資料)より転載)

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現在、霊場会の活動があるかは不明ですが、すべての札所で御朱印を授与され、発願(第1番)の高野山東京別院では専用の集印帳を頒布されています。
この集印帳は白地ですが差し替え方式もとれるため、現在はこの専用集印帳の使用が奨励されている模様です。

また、筆者は専用集印帳以外では御朱印を授与しないという掲示をされている札所も確認しています。(現況は不明)

多くの札所では汎用御朱印帳でも快く授与いただけますが、御朱印コンプリートを目指す向きは専用集印帳使用がベターかと思います。

札所一覧は→こちら(ニッポンの霊場様)、札所位置図については→こちら(第76番蓮華山金剛院様公式Web)に掲載があります。

筆者にて札番重複札所がふたつ(第13番、第19番)あることは確認しており、いずれも御朱印を拝受できます。
掛所、番外、特別札所はないので、コンプリートは90箇寺(札所)ということになります。

順路は、札番がエリアを越えて飛んでいるので順打ち、逆打ちともに効率が悪くなります。
発願(第1番)の高野山東京別院(港区高輪)、結願(第88番)の遍照山 文殊院(杉並区和泉)はおさえるとしても、その他の札所はアクセスを考えてランダムに回ってもいいかもしれません。

駐車場がない札所や狭い路地奥の札所もありますので、車での巡拝はおすすめしません。
多くの札所は鉄道駅から徒歩圏内で、東京メトロ駅利用も多いので「東京メトロ24時間券」が威力を発揮します。

日本橋、六本木、赤坂、四ッ谷など都心のお寺をはじめ、谷根千、高田、沼袋や烏山など都内有数の寺町も外さずに回る、エリア的にも変化に富んだ巡礼が味わえます。
ただし、荒綾霊場、南葛霊場、荒川辺霊場などがある下町エリアの札所は少なくなっており、どちらかというと都心~山の手寄りの霊場といえます。

宗派は禅宗1箇寺をのぞきすべて真言宗で、多くは新義真言宗(智山派、豊山派など)。
新義真言宗寺院が多い東京らしい弘法大師霊場といえましょう。

御朱印は多くが御寶印(札所本尊のお種子)で、札所本尊、弘法大師、興教大師が揮毫され、札所印も捺される華々しいものです。

 
【写真 上(左)】 霊場ガイド(メイツ出版)(以下『札所めぐり』)
【写真 下(右)】 専用集印帳

専用集印帳は大判で紙質がよく筆の走りもよいようで、いただいた御朱印はどれも見応えがあります。
和綴じ様式なので参拝の順序にかかわらず、札番順に綴じ込むことができるのは大きな利点です。
なお、お納めは以前は300円でしたが、現在は500円に改定されているかもしれません。(札所によりまちまちのようです。)

都内の札所メインですが、御朱印対応時間は9:00~16:00が多く夕刻には件数を稼げません。
札所での拝所は札所本尊(多くは本堂の御本尊)と弘法大師尊像ないし大師堂の二箇所となり、各寺見どころも多いので、じっくりと時間をかけて回る霊場かと思います。

また、他の霊場との兼任札所も複数ありますが、御府内霊場については1参拝ひとつの拝受がベターかもしれません。
とくに豊島八十八箇所の御朱印と併せてお願いすることは、実質的な弘法大師霊場の掛け持ち巡拝となるので個人的には避けた方がベターかと思います。

【 いわゆる「難所」について 】
八十八もの札所を数える弘法大師霊場では、いわゆる「難所」といわれる札所がでてきます。
「難所」にはいくつかのパターンがあるかと思います。

1.物理的にアクセスしにくい札所
エリア外に離れている札所。この霊場でも東京都日野市、神奈川県秦野市の札所があり、半日~1日がかりの巡拝となります。

2.ご不在気味の札所
ご多忙でご不在が多く、書置御朱印もご用意されていない札所があります。
とくに御府内霊場の場合、小規模な寺院札所も多く書置御朱印をご用意されていてもどなたもいらっしゃらない(ベルを押しても応答がない)という局面がかなりあります。
ご不在の場合、出直し参拝となるので、この場合は事前に電話で確認のうえお伺いした方がいいかもしれません。

3.いわゆる「塩対応」の札所
御府内八十八ヶ所は人気の御朱印スポットに立地する札所も多く、一時期御朱印拝受希望者が殺到したことがありました。
本堂にお参りもせず、いきなり御朱印所に向かう人も少なくなく、勤行が前提となる弘法大師霊場の札所として「御朱印ブーム」に疑問を抱かれたお寺様も少なくないのでは。

こういった経緯を受けてか、拝受希望者に納経や読経を促されたり、状況によっては参拝方法についてご指導をなされるお寺様もあるかと思います。
霊場札所としては自然なご対応だとは思いますが、慣れない人には「敷居が高い」「塩対応」などと感じられてしまうことはあるかもしれません。

そういう意味からすると、ある程度霊場巡拝に慣れた方向けの霊場ともいえ、メジャー寺院が多い「江戸三十三観音霊場」などで巡拝経験を積んだうえでトライするのがベターかもしれません。

筆者は二巡+αし、専用集印帳と汎用御朱印帳にいただいておりますので、両方ご紹介します。
ただし上記のとおり、現在汎用御朱印帳での拝受がむずかしい札所もあるかもしれません。


以前UPした「伊豆八十八ヶ所霊場の御朱印」と同様、フルバージョンで時間をかけてUPしていきます。


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2023-05-14 UP

続編を書き進めたいのですが、御府内についてまとめた『御府内風土記』は明治5年に火災で焼失。
御府内の寺社の由緒・沿革は、『新編武蔵風土記稿』を使える都下や下町よりもたどりにくくなっています。

目下、『御府内風土記』の編纂史料『寺社書上』と格闘中です。
しばらくお待ちくださいませ。

それにしても、江戸の先人の記稿(というか記録全般)に対する執念はものすごいものがあります。
何百年でも残そうという気迫が感じられます。
これを自宅のPCで閲覧できるとは、すごい時代になったものです。

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2023/05/26 UP

御府内霊場の記録を当たっていたところ『御府内八十八ケ所道しるべ』という文献にたどり着きました。
これは、御府内霊場の札所ガイドのような内容で、しかも、国立国会図書館によりWeb公開されています。

御府内八十八ケ所道しるべ 天( 国立国会図書館DC)
御府内八十八ケ所道しるべ 地( 国立国会図書館DC)
御府内八十八ケ所道しるべ 人( 国立国会図書館DC)

Wikipediaによると、神仏分離は「明治新政府により出された神仏判然令(慶応4年3月13日から明治元年10月18日までに出された、太政官布告・神祇官事務局達・太政官達など一連の通達[2]の総称)に基づき、全国的に公的に行われたものを指す。」とあります。
これを受けた廃寺の動きは明治初期に目立ったとみられています。

一方、『御府内八十八ケ所道しるべ』は慶応元年(1865年)序、明治二年(1869年)跋で、後半は神仏分離のさなかに編纂されたとみられます。

御府内霊場の札所は江戸期を通じて比較的変動が少なく安定しているのですが、この神仏分離の時期に複数の札所の異動がみられます。
『御府内八十八ケ所道しるべ』は神仏分離前の慶応元年序なので、神仏分離を受けて廃寺となった札所が記載された、たいへん貴重な記録となっています。

御府内に真言宗寺院はさほど多くなく、ほとんどの寺院が札所となっています。
天下の御府内の弘法大師霊場のご開創となれば、多くの真言宗寺院が諸手を挙げて参画したのかもしれません。

『御府内八十八ケ所道しるべ』によって明治初期時点での札所が確定できるので、憶測が少なくなると思います。
これまで書いた記事は当面そのままとし、今後の記事は『御府内八十八ケ所道しるべ』を参照したいと思います。
(『御府内寺社備考』(御府内備考第147巻)もゲットしたので、こちらもあわせて参照します。)

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『御府内八十八ケ所道しるべ』『寺社書上』と江戸八十八ヶ所霊場のデータを一覧形式にしたリストをつくってみました。

『寺社書上』は120巻もあって、88の札所をその中から探し出さなければならないので悪戦苦闘でした。
たとえば、第31番の牛込多聞院の記事はこんな感じです。(33巻34頁)
これで史料原典に直リンクする体制はできたのですが、果たして毛筆の達筆すぎる原文が読解できるかどうか・・・(笑)



このリストから、
・江戸八十八ヶ所霊場は、御府内霊場の前身または異称であった可能性がある。
・江戸時代の御府内霊場では神社が札所(内の拝所)として定められていた可能性がある。
・江戸時代は比較的札所は安定し、明治初期の神仏分離の流れを受けて複数の札所が異動した。
・明治以降の寺院の郊外移転の動きを受けて、札所も郊外に移動したケースがある。
・中野、幡ヶ谷、石神井、谷原など府外立地でも当初から御府内霊場札所となっていた寺院がある。
などが推定されます。

ともあれ、記事UPを再開します。


Vol.-1Bへつづきます。



【 BGM 】
■ 夢の大地 - Kalafina


■ 桜 - 中村舞子


■ 栞 - 天野月 feat.YURiCa/花たん
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