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■ 下賀茂温泉 「伊古奈」 【閉館】

新型コロナ感染拡大により不要不急の外出自粛が要請されていることもあり、閉館・廃業した施設をメインにレポしています。

この施設は2013年頃に閉館した模様です。



下賀茂温泉 「伊古奈」
住 所 :静岡県賀茂郡南伊豆町下賀茂422
電 話 :閉館
時 間 :日帰り入浴不可?(食事付プランのみ?)
料 金 :同上

静岡県南伊豆町下賀茂温泉。
東日本有数の泉温と豊富な湧出量をもつこの温泉地には、かつて「伊古奈」という自家源泉の老舗旅館がありました。

Web情報(観光経済新聞Web)によると、この旅館を経営していた伊古奈観光開発は2008年1月28日、静岡地裁へ民事再生法の適用を申請、その後も営業を継続していましたが、Web情報などによると、2013年頃に閉館となった模様です。

これは2008年12月に宿泊したときのレポで、記録の意味でUPします。

下賀茂温泉の開湯伝承について、「銀の湯会館」前に説明書きがありましたので引用します。
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下賀茂温泉は永禄年間(1558-1570年)に発見され、450年の伝統を持つ由緒ある温泉です。
昔々、足にケガをした一羽のトビが、毎日、青野川に舞い降り、水を浴びに来て、その後、元気になりました。不思議に思った村人が、その場所に行ってみると温泉が湧いていました。これがいわゆる「トビ伝説」で、以来「トビの湯」として村人に親しまれたといわれています。
------------(引用おわり)

Web上で『伊豆下賀茂温泉のケースヒストリー(過去の事例の歴史的検討)』/角 清愛氏(以下*1)、『下賀茂温泉の地熱構造』/鮫島輝彦氏・岩橋徹氏/静岡大学地学研究報告(1970年5月)(以下*2)という貴重な文献がみつかりましたので、上記や手持ちガイド類を参考にまとめてみます。

-------------------------------------( 「 」は *1、” ”は *2より引用 )
下賀茂の金嶽山 慈雲寺の開創縁起には「永禄年間(1558-1569年)に土地の住民が河原の砂礫のなかに湯舟を作り、自然に湧出する温泉に浸かっていた」(下賀茂温泉 新南伊豆風土記)とあるそうです。

慈雲寺は、天保十五年(1844年)以前の開創とされる伊豆八十八ヶ所霊場の第64番札所で、その御詠歌は
『わきかえる 湯つぼの中に影すみて 金のみ嶽に月もとうとき』。
やはり温泉と関係がふかいようです。


【写真 上(左)】 慈雲寺の山門
【写真 下(右)】 慈雲寺の本堂


【写真 上(左)】 慈雲寺の御朱印(伊豆八十八ヶ所霊場第64番)
【写真 下(右)】 慈雲寺の御朱印(伊豆横道三十三観音霊場第27番)

*1に記載の『南中村温泉台帳』(大正10年)には貞享元年(1684年)竣工の源泉も記されていますが、許可年がおおむね大正8年となっていることから、角氏は「竣工が許可より古くなっているものがすなわち、台帳作成時の既存源泉であるとみなしてよい」とされ、その数は22とされています。

『南中村温泉台帳』はすこぶる貴重なデータなので、*1より抜粋引用させていただきます。

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S-1 海軍湯 湯之本708、709-1 深度2.43m 竣工年不明
S-2 湯の本湯 湯之本698-2 深度1.22m 慶応1.8(1865)竣工
S-3 東湯 直田中545、深度2.88m 明治14竣工
S-4 正湯湯 正湯85-2 深度2.06m 明治30.4竣工
S-5 紀伊国屋湯 湯之本702-2 深度1.76m 明治2竣工
S-6 坂の湯 湯之本744-2 深度3.79m 明治17.5竣工
S-8 湯端 下賀茂679-2 深度1.46m 明治18竣工
S-9 遠見一号 下賀茂457-2 深度3.38m 明治8.3竣工
S-11 岳の湯 原374-6 深度49.28m 大正11.12竣工
S-12 第二宝湯 原342-2 深度56.36m 大正9.12竣工
S-13 瑞豊園二号 湯之本708-2 深度3.0m 大正10.5竣工
S-14 瑞豊園一号 湯之本707-1-1 深度2.43m 大正10.5竣工
S-16 瑞豊園三号 直田中540 深度3.33m 大正8.5竣工
S-17 正湯 正湯85-3-2 深度3.35m 大正9.6竣工
S-18 倉の湯 直田中542 深度1.52m 大正11.2竣工
S-20 宮の湯(日詰) 日詰200 深度1.68m 明治7.9竣工
S-21 元湯 遠見435-2 深度29.39m 大正9.8.10竣工
S-22 大湯(九条) 九条159-4 深度5.15m 大正7.4竣工
S-23 宮の湯(小島) 小島84-2 深度4.55m 大正11.3.5竣工
S-24 河原湯 直田中544 深度0.91m 文久2.3(1862)竣工
S-25 大湯(湯之本) 湯之本744 深度0.91m 嘉永5.3(1852)竣工
S-26 大元湯 遠見436 深度0.91m 明治10.8竣工
K-3 加納湯 河原369-2 深度不明 貞享1.3.3(1684)竣工
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〔参考写真〕
河原湯(静岡県立中央図書館デジタルライブラリー)
下賀茂温泉の噴湯(静岡県立中央図書館デジタルライブラリー)
海軍病院泉源付近(静岡県立中央図書館デジタルライブラリー)

角氏は「4源泉はすでに江戸時代に竣工している。河原湯、大湯(湯之本)、加納湯および湯之(の)本湯がそれであるが、前3者は共同浴場であるから」と記され、明治7年竣工の宮の湯(日詰)共同浴場の写真を例示されています。
また、「明治14年竣工の東湯は幸田露伴が好んで来遊」と記されています。
(→ 幸田露伴の碑
~ 風さむく 松にはふけど湯のやまの かひには梅の はやさきにけり ~
幸田露伴

江戸時代、江戸から南伊豆方面へのメインルートは物資が海路、人流は陸路で、旅人は主に下田路(下田街道)を使いました。

三島大社を起点に韮山、大仁、修善寺、湯ヶ島を抜け、天城峠を越えて梨本、さらに小鍋峠を越えて箕作、河内から下田に入ったと伝わります。
この間、長岡、古奈、修善寺、湯ヶ島などの名だたる湯場がありますから、湯治目的ではるばる下賀茂まで足を伸ばす浴客はほとんどいなかったと考えられ、下賀茂温泉は地元住民の共同湯がメインであったとみられます。

大正2年3月に実施された泉源調査には「加納共同湯(71.0℃)、日詰共同湯(79.0℃)、下賀茂共同湯(77.0℃)、正湯温泉(63.0℃)、紀伊国屋湯(73.0℃)および”慈雲寺前”(100℃)の6源泉が記帳され、この頃からすでに、堂々たる高温源泉の湯場であったことがわかります。
また、「旅館5軒、浴客4,030人(大正2年)」と記録されています。

*2には、”往時は、青野川とその支流である南野川の合流点付近の沖積層から自然湧出があり、これを利用する『三条温泉』が栄えた。大正時代から深井戸が西方に堀さくされ、昭和のはじめ頃からは温泉街の中心が西方に移り、近年になって温泉水位が低下したため自然湧泉を利用する浴場はすべて枯渇して使えなくなってしまった。”という記載があります。

下賀茂温泉の泉源開発は、「大正9年(1920年)8月の岩崎吉太郎氏による慈雲寺下の元湯の機械掘削の成功から始まり、昭和16年までには計53の井戸が完成」「元湯は深度29m、エアリフトポンプ汲上げ」とのこと。
この時期の泉源開発は、おもに温室農業用、あるいは製塩用であったとみられています。
(→メロン栽培場の写真(静岡県立中央図書館デジタルライブラリー))

なお、下賀茂ではいまでも源泉を引く温室をみることができます。


【写真 上(左)】 温泉使用の温室
【写真 下(右)】 温室用の源泉表示


【写真 上(左)】 「伊古奈」の名物、特製メロン・ブランデー(館内掲示より)
【写真 下(右)】 下賀茂の泉源

昭和34年から新井掘削がふたたび盛んとなりましたが、角氏は「この第2のブームは、第1のブームが農業需要と関連したのとは異なり、明らかに浴用需要に関係がある。箱根温泉でみられた交通の発達→浴客増加→新源泉開発というパターンが下賀茂にも現われ始めた」と記されています。
-------------------------------------(主引用部 おわり)

伊豆急行線の伊東~伊豆急下田間開業は昭和36年(1961年)なので、下田駅を玄関口とする下賀茂温泉では、これを見越して施設整備が進んだことは容易に想像されます。

現在の泉源の状況ですが、静岡県の『温泉実態調査報告書』(平成31年2月1日現在)によると、南伊豆町の「下賀茂・加納・湊・手石・下流」の総泉源数は106。
うち掘削自噴(利用)は14、掘削自噴(不利用)は5、機械揚湯(利用)は40、機械揚湯(不利用)は36、枯渇2、埋没9で、利用泉源は計54となっています。

泉源は下賀茂集落を中心に東側の日野、西側の加納にかけて、青野川・南野川沿いに東西方向に分布しています。

総湧出・揚湯量は3,782.1L/min。うち自噴利用湧出量計は1,511.1L/min、機械揚湯量計は2,271.0L/min、平均湧出・揚湯量は90.05L/min、平均温度は83.72℃となっています。
平均温度は熱川・北川の92.58℃、片瀬の91.69℃、白田の89.90℃、峰・田中・沢田・逆川の87.55℃には及びませんが、それでも県内屈指の高温泉の温泉地であることがわかります。
東日本ではめずらしい沸騰泉があることでも知られ、資料*2によると青野川と一色川の合流点西方には130℃という超高温の地熱帯があるそうです。


【写真 上(左)】 下賀茂の泉源
【写真 下(右)】 盛大な析出

なお、個別の泉源については「伊豆半島の地熱温泉水理の研究(その1) 下賀茂温泉地域の地熱構造の地球科学的解釈」/野田徹朗氏・阿部喜久男氏(工業技術院地質研究所)/温泉化学(昭和60年4月30日受理)のP.14以下に詳細な一覧表(昭和42年3月採水)が記載されています。

この表によると、泉温100℃で沸騰泉かそれに近い泉源は、K-3加納共同湯、K-4権現第2湯、K-7入山温泉、K-8栄湯、K-13大学湯、K-15埼玉1号、S-41高島鉱泉2号、S-56銀ノ湯の計8泉源を確認できます。
8つの泉源のTSM(蒸発残留物)はいずれも15000mg/Lを超え、高濃度の超高温泉のメッカであることを裏付けています。

〔参考写真〕
往年の下賀茂温泉-1(静岡県立中央図書館デジタルライブラリー)
往年の下賀茂温泉-2(静岡県立中央図書館デジタルライブラリー)

下賀茂温泉はこれまで「伊古奈」「ホテル河内屋」「湯の花足湯」しか入湯していませんが、入手データもあわせて挙げてみます。

■ 南楽 九条湯(下賀茂35号)
Na・Ca-Cl温泉 71.4℃ 182.4L/min pH7.8 総計8.820g/kg

■ 伊古奈 高島鉱泉2号(下賀茂41号)
Na・Ca-Cl温泉 92.4℃、120L/min動力、pH8.1、総計11.34g/kg

■ 銀の湯会館 銀ノ湯(下賀茂56号)
Na・Ca-Cl温泉 99.6℃ 106L/min pH8.3 総計17.49g/kg

■ ホテル河内屋 河内屋湯(下賀茂53号)
Na・Ca-Cl温泉 81.1℃ 91.6L/min pH7.5 総計9.553g/kg

■ 道の駅 湯の花足湯
権現2号(加納4号)、栄湯(加納8号)、日の出湯(加納9号)、玉川湯(加納11号)、埼玉1号(加納15号)、埼玉2号(加納16号)、内藤1号(加納25号)以上7泉の混合泉
Na・Ca-Cl温泉 77.8℃ 総計12.05g/kg

■ かぎや 自家(スペック不明)


【写真 上(左)】 銀の湯会館
【写真 下(右)】 道の駅 湯の花足湯

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下賀茂温泉は温泉街の趣きはうすいものの、南伊豆らしい明るい景色のなかをゆったり流れる青野川沿いに、落ち着いたたたずまいをみせています。


【写真 上(左)】 青野川
【写真 下(右)】 「伊古奈」からの排湯?

青野川と二条川は下賀茂の「銀の湯会館」前で合流し、青野川となって弓ヶ浜に注ぎます。
熱帯植物園下流の「石廊館」から「南楽」にかけての500mほどの青野川沿いに、下賀茂温泉の主だった旅館が集中します。
左岸には「石廊館」と「南楽」、右岸には「伊古奈」と「河内屋」。

「伊古奈」は道の駅「湯の花」のちょうど対岸あたりにありました。
「伊古奈」のすぐ東隣は下賀茂温泉とゆかりのふかい慈雲寺ですから、一等地にあったことがわかります。

伊古奈の経営主体、伊古奈観光開発の設立は昭和12年(1937年)なので、終戦前にはすでに営業を開始していたものとみられます。


【写真 上(左)】 サイン-1
【写真 下(右)】 サイン-2

〔参考写真〕
伊古奈の絵葉書-1(外袋)(静岡県立中央図書館デジタルライブラリー)
伊古奈の絵葉書-2(全景)(静岡県立中央図書館デジタルライブラリー)
伊古奈の絵葉書-3(大浴場)(静岡県立中央図書館デジタルライブラリー)

手元にあるJTB「全国温泉案内」(1992年刊)の下賀茂温泉の宿一覧には、
 ・ホテル伊古奈 料金200~450
 ・南楽 料金250~450
とあり、料金下限が2万円台の宿はこの2軒だけなので、往年は下賀茂温泉屈指の高級宿であったことがわかります。
当然のことながら政府登録国際観光旅館(登録252号)、JTB協定旅館でした。

また、新潮文庫の「全国名湯100選」(1984年刊)の下賀茂温泉の頁でも代表宿として「ホテル伊古奈」がとりあげられているので、やはり下賀茂温泉を代表する宿であったとみられます。
屋号については往年は「伊古奈」「ホテル伊古奈」、閉館前はホテルを外して「伊古奈」と称していました。


【写真 上(左)】 エントランス
【写真 下(右)】 全景(館内掲示より)

木の門柱のおくに鉄平石のアプローチを構え、通路まわりに築山を配してさすがに老舗旅館らしい風格を備えています。
門柱前のサインには「伊古奈 都殿」。「都殿」は食事処なので、宴会・飲食のみで受け入れしていた可能性があります。


【写真 上(左)】 庭園案内
【写真 下(右)】 かけながしの湯宿「伊古奈」

敷地は約2万坪。敷地内に周遊遊歩道をもち一周391m。
八十種にもおよぶ椿の名所で、つつじや紅葉のうつくしさにも定評があったようです。

敷地内に「古代屯倉(みやけ)の跡について」という案内板がありました。
「伊古奈」の由来にも関係する興味深い内容なので、全文引用します。

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 当ホテル伊古奈の敷地は、古くから「ミヤケド」(三宅殿、都殿又は屯倉処)と呼ばれ古代、大和王朝の屯倉跡と見られています。屯倉創設の年代は欽明天皇のころといわれますから、六世紀中頃のことだったのでしょう。
 下賀茂温泉といえば、いまはのんびりした田園風景が、そのたたずまいのすべてですが屯倉創設のころは南伊豆枢要の地として、一切の祭政を掌握していたのです。
 といいますのも、この一帯が古代の製鉄地帯であったからです。
ヤマトタケルという天皇系の豪族が、東征の兵を進める以前に、下賀茂を中心とする南伊豆には、まずオオヤマズミ系のアタ族がはいり、ついでコトシロヌシ系のカモ族がやってきました。
 そして国譲り伝説で知られるコトシロヌシは、この南伊豆でも天皇の軍兵に恭順を示しその功績により一族の神階を高めていきました。当「ミヤケド」を中心に、ホテル前を流れる青野川の上流二.三百メートルの地域は製鉄遺跡を含む一大集落のあったところで、第二日詰遺跡と呼ばれていますが、残念ながら河川改修のため、遺跡保存は不可能となりました。
 また下流に鎮座する加畑賀茂神社はコトシロヌシを祀り、そこから青野川河口にかけての十二艘、手石、湊地区などから古代の製鉄を物語る鉄滓(カナクソ)が発見されています。加畑賀茂神社より、屯倉が青野川上流に設けられたのは、天皇家が南伊豆を征服した最高の豪族とされたからでしょう。
 ちなみに当ホテル伊古奈はコトシロヌシの后神、伊古奈媛(白浜神社祭神)から名付けられました。イコナヒメはカモ族を率いて北進し、埼玉秩父方面にまで産鉄開発の手を伸ばしたと見られています。
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白浜(濱)神社は正式名を伊古奈比咩命神社といい、公式Webによると、御祭神は伊古奈比咩命、三嶋大明神、見目、若宮、剣の御子の5柱です。

当社の御由緒には「三嶋大明神は、その昔遥か南方より黒潮に乗り、この伊豆に到着されました。(中略)伊豆の南に定住していた賀茂族の姫神(伊古奈比咩命)様を后として迎え、白浜という所に宮を造り住まわれました。」とあります。

また、御祭神の説明には以下のとおりあります。
「主神 伊古奈比咩命(いこなひめのみこと) 女性神 三嶋大明神の最愛の后神で縁結びと子育ての神様です。」
「相殿 三嶋大明神 男性神 事代主命(ことしろぬしのみこと)であると言われています。大国主命の御子神様にあたり、大国主命を大国(だいこく)さんを呼ぶのに対して、事代主命は恵比寿さんと呼ばれています。商業と漁業の神様です。」 

御鎮座は六代孝安天皇元年(約2400年前)と伝わり、『日本後紀 巻下(六国史.巻6)』(国立国会図書館DC)の淳和天皇天長九年(832年)5月22日の條に「伊豆國言上、三島神、伊古奈比咩神、二前預名神」とあります。

公式Webには「御土御門天皇文亀元年(1501年)には、三島神、伊古奈比咩神共、正一位という高い位を受けています。そして延喜式には三島神社、伊古奈比咩命神社が、二社共この白浜に鎮座していた事が書かれていて、その社格は三島神社が官幣大社、伊古奈比咩命神社が国幣大社となっています。」とあります。

以上より、白濱神社(伊古奈比咩命神社)が伊豆有数の古い歴史をもち、高い社格をもたれることがわかります。


【写真 上(左)】 白濱神社(伊古奈比咩命神社)
【写真 下(右)】 白濱神社(伊古奈比咩命神社)の御朱印


客室42室、230名収容の和風旅館です。
高低差のある敷地内に施設が点在し、そのあいだを回廊で結ぶ特徴あるつくり。
客室から浴場までは回廊経由で階段もかなりあるので、バリアフリーではありません。


【写真 上(左)】 玄関へのアプローチ(館内掲示より)
【写真 下(右)】 玄関


【写真 上(左)】 回廊-1
【写真 下(右)】 回廊-2

本館1階・2階、別館と、別にプレミアム客室棟の「椿殿」があります。
この日は別館の「志野」に泊まりました。


【写真 上(左)】 ロビー
【写真 下(右)】 館内廊下


【写真 上(左)】 複雑な館内
【写真 下(右)】 休憩スペース

客室は純和風で、さほど広くはないものの老舗旅館ならではの落ちついた風情。
食事は部屋食ではなく、広間での提供でした。
なお、食事については写真が残っておらずメモもありませんが、和風懐石で味や内容は標準的だったかと思います。(逸品だったり、NGの場合はたいていメモに残すので・・・。)


【写真 上(左)】 客室
【写真 下(右)】 回廊と泉源

夕食前に庭園の散策に出てみました。
主庭を回廊で囲むようなつくりで、主庭に泉源とふたつの湯畑があります。


【写真 上(左)】 上方からの泉源
【写真 下(右)】 泉源付近


【写真 上(左)】 温泉櫓
【写真 下(右)】 泉源

湯畑の説明書きには、銅パイプを仕込み冷水を通水している湯畑に90℃の源泉を注ぎ、加水なしで湯温を下げていること、熱交換で温度の上がった水を浴場のシャワーに有効利用していることなどが記されています。


【写真 上(左)】 第一湯畑
【写真 下(右)】 第二湯畑

館内掲示によると泉温は92℃。浴場の湯口は70~80℃とあるので、この湯畑や送湯途中で減温されているのだと思います。


【写真 上(左)】 湯畑のしくみ
【写真 下(右)】 温泉の案内

湯畑の上には木板がわたされ、なかは見えません。
源泉とその上に温泉櫓。源泉付近からは湯気があがり、自家源泉宿の趣きゆたか。
源泉は高島鉱泉2号〔下賀茂41号〕(旧第二高島温泉)。昭和33年4月2日の分析書では、泉温摂氏100度の超高温泉となっています。


■ 泉温摂氏100度を示す昭和33年4月2日の温泉分析書



【写真 上(左)】 泉源と温泉ふかし
【写真 下(右)】 温泉ふかし

泉源からよこの温泉ふかし(木の枡)に源泉が引かれ、そこで卵や野菜などをふかしています。ふかしたものは食事に出されていたかもしれません。
また、泉源から回廊に設けられた足湯?にお湯が引かれ、回廊をわたる風に吹かれながら足湯を楽しむことができます。(じつはこの足湯のお湯は確認しておらず、ひょっとして卵茹で場だったかもしれません。)



【写真 上(左)】 ふかし湯(館内掲示より)
【写真 下(右)】 足湯?

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浴場は本館1階の大浴場と別棟の露天「銀河の湯」の2ヶ所あり、これとは別に「椿殿」専用の貸切露天「花車」「源氏車」、露天付きの客室もあるようですが、これらは入浴していません。
大浴場は一晩中入浴可(深夜1時に男女交替)、「銀河の湯」は23時までです。


【写真 上(左)】 花車(館内掲示より)
【写真 下(右)】 源氏車(館内掲示より)


【写真 上(左)】 部屋付きの露天(館内掲示より)
【写真 下(右)】 大浴場入口

本館1階の大浴場は、ロビー寄りが「嵯峨」で旧婦人風呂、おくが「山科」で旧殿方風呂。宿泊したときは男女交替制で、それぞれ内湯と露天がありました。

夜は男湯が「山科」でした。
この日はなぜか明るいうちに撮影していないので、いい写真が残っていないのですが、館内掲示していた写真があるので、それとメモを見ながら書き起こしてみます。

脱衣所は、木棚に籐かごの温泉旅館お約束仕様。
内湯はそこそこの広さで、いささか天井が低い感じがしますが、広い窓の向こうに露天と石庭がのぞめるので閉塞感はありません。
カラン14、シャワー、シャンプー、ドライヤーあり。


【写真 上(左)】 「山科」(館内掲示より)
【写真 下(右)】 「山科」内湯のオーバーフロー

内湯の浴槽は石縁石敷で数十人はいけそうなもの。
向かって右手の窓よりに黒みかげ石?の湯口があり、さわれないほどの高温源泉を注いでいます。
槽内注排湯はおそらくなく、向かって左手手前にオーバーフロー。
湯温は湯口まわりはかなり熱く、離れるにつれてぬるくなるので、掲示どおりのかけ流しかと思います。


【写真 上(左)】 「山科」内湯の湯口
【写真 下(右)】 「山科」露天の湯口

露天は岩組み石敷でこちらもかなりの広さがあります。屋根や東屋はありません。
岩のところどころは黄土色に色づき、石灰華らしい析出を出しています。
向かって右の木樋の湯口から熱湯を投入し、左手おくの排湯口から上面排湯。
こちらも槽内注排湯はみあたらず、湯温分布も内湯と同様なのでかけ流しとみました。


【写真 上(左)】 「嵯峨」の脱衣所
【写真 下(右)】 「嵯峨」の内湯(館内掲示より)

朝は「嵯峨」が男湯となります。
旧婦人風呂で、「山科」より全体にやや小ぶりな感じがします。
カラン6、シャワー、シャンプー、ドライヤーあり。

浴槽の構成は「山科」とほぼ同様ですが、内湯は赤みかげ石造で湯口も赤みかげ石です。


【写真 上(左)】 「嵯峨」の内湯-1
【写真 下(右)】 「嵯峨」の内湯-2


【写真 上(左)】 「嵯峨」の洗い場
【写真 下(右)】 「嵯峨」の内湯湯口

露天は、「山科」よりも岩組みが低く外光が入るので、こちらの方が明るい感じがします。
岩組み伊豆石敷きで、石組みの湯口から高温源泉を投入し、ほぼ同量を上面排湯するかけ流し仕様です。


【写真 上(左)】 「嵯峨」の露天(館内掲示より)
【写真 下(右)】 「嵯峨」の露天-1


【写真 上(左)】 「嵯峨」の露天-2
【写真 下(右)】 「嵯峨」の露天-3


【写真 上(左)】 「嵯峨」の露天の湯口
【写真 下(右)】 「嵯峨」の露天の排湯

本館2階おくに庭園大野天風呂「銀河の湯」があります。
こちらは男女固定制で、手前本館寄りが男湯、おくが女湯です。


【写真 上(左)】 アプローチ
【写真 下(右)】 「銀河の湯」入口


【写真 上(左)】 「銀河の湯」男湯(館内掲示より)
【写真 下(右)】 「銀河の湯」女湯(館内掲示より)

切妻造の風流な浴舎で、入ってすぐの脱衣場は木棚に籐かご。
暖簾をくぐるとすぐに鉄平石造の露天の内床です。
振り返ると「温泉蒸風呂」の扉がありますが、閉鎖中でした。


【写真 上(左)】 「銀河の湯」脱衣所
【写真 下(右)】 「銀河の湯」暖簾


【写真 上(左)】 「銀河の湯」浴舎
【写真 下(右)】 温泉蒸し風呂

「銀河の湯」露天は、豪壮な石組み伊豆石敷きで15人以上は優にいけます。
石組みを配した築山はそのまま裏山につづき、野趣あふれるたたずまい。
このあたりは、さすがに老舗宿の風格を感じます。


【写真 上(左)】 「銀河の湯」-1
【写真 下(右)】 「銀河の湯」-2


【写真 上(左)】 「銀河の湯」-3
【写真 下(右)】 「銀河の湯」-4

全体にやや浅めなのは残念ですが、その分お湯の冷めが速く、回転がよくなるのはメリットか。

踏み込み部分のみ屋根が掛かっていますが、ほとんどは露天です。
カラン2、シャワー、シャンプー、ドライヤーあり。


【写真 上(左)】 「銀河の湯」湯口まわり
【写真 下(右)】 「銀河の湯」湯口

山側の石組みの湯口からかなりの量の熱湯を注ぎ込み、浴舎側の排湯口からほぼ同量を上面排湯。
槽内注排湯はおそらくなく、湯口まわりはかなり熱く、離れるにつれてぬるくなるので、かけ流しかと思います。
場所により温度幅がかなりあるので、好みの湯温で湯あみを楽しむことができます。

客室にも内風呂がついていました。
なぜか写真がないのですが、メモには「蛇口は全開で25L/minほど、湯温安定後はゲキ熱でやむなく加水。お湯のイメージは銀河の湯湯口と同様。」とありました。


【写真 上(左)】 「嵯峨」の内湯湯口
【写真 下(右)】 「嵯峨」の内湯の湯色

お湯のイメージは、どの浴槽も大差ありません。
ただし、鮮度感は銀河の湯と大浴場露天で高く、大浴場内湯はやや鮮度感がよわい感じもありました。


【写真 上(左)】 「嵯峨」の露天の析出
【写真 下(右)】 「銀河の湯」の湯色と析出

ほぼ無色透明で浮遊物はほとんどなし。
かなり強い塩味と苦味。土類系析出つきの高張泉ながら、不思議なことに湯の香はほとんど感じません。
アルカリ性起源と思われるツルすべに土類系のギシギシと明瞭なとろみを帯びた複雑な湯ざわりで、浴後は肌がつるつるになります。

高張性の土類まじりの強鹹味食塩泉。しかも相当量の硫酸塩も含みながら、やさしい浴感でほてりもよわく、しかも浴後は湯づかれせずおだやかにぬくもる上質なお湯です。
濃度や成分構成が似ている伊豆山温泉とはイメージがまったく異なり、「温泉は入ってみないとわからない。」という原点にあらためて引き戻されました。

このような、歴史も風情も備えた老舗旅館がその幕を閉じてしまったのはとても残念なことです。
Web情報(観光経済新聞Web)では、伊古奈観光開発の経営破綻の背景として「同社は1937年設立。数寄屋造りの純和風を特色とした伊豆半島屈指の老舗高級旅館『伊古奈』を経営し、バブル期の1986年に約10億円を投じて改装オープン。営業拡大を図ったが、その後の不況と群発地震などの自然災害から集客数が減少傾向をたどり経営が急速に悪化。業績の回復が見込めない中、抜本的再建策が必要と判断、今回の措置に至った。」と報じています。

バブル崩壊前夜の約10億円の投資もきびしいですが、『平成26年版 新 南伊豆のすがた』/静岡県賀茂地域政策局 (管内:下田市、東伊豆町、河津町、南伊豆町、松崎町、西伊豆町)の「宿泊客数と入湯客数の推移」をみると、南伊豆方面の宿泊客数は平成3年(1991年)をピークに平成23年(2011年)までの20年間、一貫して下落していたことがわかります。


※『平成26年版 新 南伊豆のすがた/宿泊客数と入湯客数の推移』/静岡県賀茂地域政策局
※ いちばん上の折れ線が宿泊客数(管内:下田市、東伊豆町、河津町、南伊豆町、松崎町、西伊豆町)です。

「伊古奈」の経営破綻は2008年、閉館は2013年頃とみられるので、この宿泊客の長期低落の影響も大きいと思われます。

↑ の統計では2011年~2015年の宿泊客数は横バイに転じているものの、その後の消費税増税、新型コロナ禍などマイナス要因が重くのしかかり、予断を許さない状況とみられます。
伊豆八十八ヶ所霊場復興などの追い風要因もあるので、なんとかこの苦境を乗り切ってにぎわいを取り戻してほしいものです。

〔伊豆八十八ヶ所霊場〕
江戸時代開創と伝わる伊豆全域に広がる弘法大師霊場。
ながらく巡拝者は途絶えていたものとみられますが、昭和50年に伊豆霊場振興会が設立され、復興が始まりました。
公式WebもUPされ、このところの御朱印ブームもあって近年、巡拝者が増えている模様です。

初番発願所は伊豆市田沢の嶺松院、八十八番結願所は修善寺および修善寺奥の院。
全行程は460㎞で札所は伊豆半島全域に及びますが、とくに南伊豆町に多く立地しています。
下賀茂温泉の金嶽山 慈雲寺は第64番、下賀茂温泉そばの加納地区にある五峰山 保春寺は第63番の札所となります。

伊豆八十八ヶ所霊場は結願していますので、いくつか御朱印をご紹介します。
無住のお寺も多くなかなか手ごわいですが、伊豆の温泉めぐりと併せじっくり回っていくのも面白いかと思います。


【写真 上(左)】 発願所 嶺松院の御朱印
【写真 下(右)】 結願所 修善寺の御朱印


【写真 上(左)】 結願所 修善寺の御朱印
【写真 下(右)】 下賀茂、加納の保春寺の御朱印


〔 源泉名:高島鉱泉2号(下賀茂41号) 〕 <H14.3.19分析>
Na・Ca-塩化物温泉 92.4℃、pH=8.1、120L/min動力、成分総計=11.34g/kg
Na^+=2712mg/kg (60.91mval%)、Ca^2+=1381 (35.57)、Mg^2+=8.7
Cl^-=6719 (98.52)、、Br^-=12.5、SO_4^2-=106.3 (1.15)、HCO_3^-=29.3
陽イオン計=4340 (197.3mval)、陰イオン計=6867 (192.4mval)、メタけい酸=120.2、メタほう酸=4.7、遊離炭酸=3.6

〔 源泉名:第二高島温泉 〕 <S33.4.2分析>
食塩泉(緩和性高張高温泉) 100℃、pH=8.2、540L/min動力無、成分総計=14191mg/kg
Na^+=4521mg/kg (82.15mval%)、Ca^2+=695.2 (14.49)、Mg^2+=23.54、Fe^2+=0.12
Cl^-=8355 (98.40)、、Br^-=4.495、SO_4^2-=155.5 (1.35)、HCO_3^-=30.22
陽イオン計=5478 (239.43mval)、陰イオン計=8545 (239.43mval)、メタけい酸=167.9

※温泉利用掲示(館内掲示より抜粋)
当館の湯船は加水をしております。
理由と致しましては、源泉温度が92℃と非常に高い為清掃終了後に湯船を溜める際加水を行い適温に保っております。
加水の割合は季節により異なりますが40%~60%になります。
湯船が十二分に溜まった後は、70℃~80℃の源泉のみで温度調節しております。
量は適温を保つ量だけとなっております。循環及び加熱は一切致しておりません。


〔 2021/08/31UP (2008/12入湯)) 〕
※ このレポは2008/12入湯時のものです。

【 BGM 】
■ 夢の途中(LIVE) - KOKIA
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7曲の「You Raise Me Up」(熊田このは)【期間限定UP】

お蔵入りしていた記事ですが、期間限定でUPします。
ぜひぜひ聴きくらべてみてください。


アイルランドのNew Age系UNIT「Secret Garden」が2002年にリリースした名曲。
その後数々のカバーによりスタンダード・ナンバー化する。
このはちゃんのカバーが何度きいても素晴らしいので、ワールドワイドで聴き比べてみました。
よく知らないArtistもいますが、それぞれ数十万~数百万のYouTubeアクセスがあるので、それなりにメジャーなのかと思います。

アレンジしがいのある曲で、それだけに歌い回しのセンスが問われるところかと。

01.Elena House(US)


02.Selena Gómez(US)


03.Helene Fischer(Germany)


04.SoHyang(Korea)


05.Yianna Stavrou(Australia?)


06.Lisa Kelly (Celtic Woman/Ireland)

これまでは、この人のがベストだと思ってたけど、↓を聴くとわからん。

07.熊田このは(2017/01/08 Beautiful Girls Vol.7)

このときわずか14歳で、おそらく2回目のライブハウス出演では?
このキャリアでここに並べるのは酷かとも思うが、
いやいやどうして、高音の美しさと空に舞い上がるような透明感&高揚感は、けっして負けてないと思うよ。
というか、ここまで共鳴を効かせて艶やかなハイトーンを創り出せる歌い手はほんとうに希だと思う。
特集
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■ 江戸五色不動の御朱印 ~ 江戸の不動尊霊場 ~ 4.目黄不動尊(最勝寺)

※ 現在、新型コロナウイルス感染拡大を受け、外出自粛が要請されています。また、寺社様によっては御朱印授与を休止されている可能性があります。ご留意願います。

こちらからつづく


■ 牛宝山 明王院 最勝寺〔目黄不動尊 / 江戸五色不動〕
江戸川区平井1-25-32(墨田区東駒形から移転)
天台宗
御本尊:釈迦如来・不動明王(目黄不動尊)
札所:江戸五色不動(目黄不動尊)、関東三十六不動霊場第19番、隅田川二十一ヵ所霊場第7番、新葛西三十三観音霊場第23番


「中郷 最勝寺 神明宮 太子堂 / 江戸名所図会7巻[18]」
国立国会図書館DCより利用規約にもとづき転載。)

天台宗東京教区Web江戸川区史(第三巻)江戸川区の文化財1集同5集、および『関東三十六不動霊場ガイドブック』などを参考に由緒、変遷などをまとめてみます。

〔最勝寺の縁起と変遷〕
最勝寺の縁起変遷は牛島の牛御前社や本所表町の東栄寺ともかかわる複雑なもので、長くなりますが適宜、寄り道をしてみます。

貞観二年(860年)、慈覚大師円仁が東国巡錫のみぎり隅田河畔の向島で釈迦如来と大日如来を手ずから刻まれ、これを本尊として一寺を建立したのが草創とされます。
慈覚大師は草創時に、郷土の守護として須佐之男命を勧請して牛御前社(現・牛嶋神社)に祀り、御本尊の大日如来を牛御前社の本地仏とされたといいます。

慈覚大師の高弟・良本阿闍梨は、元慶元年(877年)に寺構を整えて開山となり、「牛宝山」
と号しました。
江戸時代になってから本所表町(現・墨田区東駒形)に移転。
維新にいたるまで牛御前社(現・牛嶋神社)の別当をつとめたとされます。

本所表町(東駒形)の本寺には浅草寺参詣の人々が多く立ち寄ったほか、将軍家の鷹狩りの際にはしばしば立ち寄られて「仮の御殿」が置かれ「御殿山」と称されたといいます。

明治初年の神仏分離地に廃寺となった末寺の明王山 東栄寺から御本尊の目黄不動尊と二童子が遷られました。

大正2年(1913年)、隅田川の駒形橋架橋にともなう区画整理により現在地に移転、以降も江戸五色不動の「目黄不動尊」として信仰を集めます。

〔目黄不動尊の縁起と変遷〕
天台宗東京教区Webには以下のとおりあります。
「この不動明王像(目黄不動尊像)は、天平年間(729-766年)に良弁僧都(東大寺初代別当)が東国巡錫の折りに隅田川のほとりで不動明王を感得され、自らその御姿をきざまれたものであり、同時に一宇の堂舎を建立された。」

この由緒ある不動尊像は、最勝寺の末寺で本所表町にあった東栄寺の御本尊として奉られ、ことに将軍家光公の崇拝篤かったとされます。
家光公の治世、江戸府内に五色不動の霊場が設けられましたが、この時に「目黄不動」と称され、江戸の町を守護する不動尊として広く信仰されました。

明治の神仏分離により東栄寺は廃寺となり、本尊の不動明王像は本寺である駒形の最勝寺に遷座され、これより当寺は「明王院」と号します。
大正2年(1913年)、最勝寺の移転とともに「目黄不動尊」は駒形から現在地に移転し今日に至ります。

『関東三十六不動霊場ガイドブック』には「徳川氏の入府により、この良弁僧正御作の不動尊は、将軍家の信仰するところとなった。殊に三代将軍家光公の崇拝は篤く、仏教の大意に基づいて府内に五色不動(江戸五色不動)の霊場をもうけ、方位によって配置し、江戸城と江戸に入る街道の守護を祈願した。この時に本像が『目黄不動』と名付けられ、家光によって江戸の鬼門除けを祈願された。また『目黄』とは五色不動の中の中心的な意を持つ由緒あるものである。」とあります。

******************
〔日本最古の不動明王について〕
ここで気になったのは、「目黄不動」が天平年間(729-766年)、良弁僧都による謹刻という点です。

こちら(京都じっくり観光)のサイトによると、木造五大明王像(教王護国寺(東寺)講堂安置)は承和六年(839年)完成で日本最古の不動明王像とされています。

しかし『不動明王』(渡辺照宏著/朝日選書)には「高野山南院の不動尊の木彫立像(浪切不動尊)は、寺伝によると、弘法大師が長安にあるとき、恵果阿闍梨から木材を与えられて自分で彫刻して、阿闍梨に開眼加持をしてもらった。」とあります。

弘法大師の長安入りは804年の12月、806年3月に長安を立たれているので、この浪切不動尊の造立は、遅くとも806年ということになり、東寺講堂の不動尊(839年)よりも早いことになります。( → 高野山南院の資料

Wikipediaによると、不動明王が説かれている大毘盧遮那成仏神変加持経(大日経)の成立は7世紀、漢訳は724年とされています。

『不動明王』(渡辺照宏著/朝日選書)によると、『不空羂索神変真言経』第九巻に「北面、西より第一は不動使者なり。左手に羂索を執り、右手に剣を持ち結跏趺坐す。」と記されているそうです。
『不空羂索神変真言経』は菩提流志の漢訳経が伝わっており、菩提流支(ぼだいるし)は、北インド出身の訳経僧で没年は527年とされます。

良弁僧都の生年は689-774年なので、上記より晩年にはすでに不動明王に関連する不空羂索神変真言経や大日経の漢訳は成されていることになります。

良弁僧都は天平勝宝4年(751年)、華厳宗大本山東大寺の初代別当となられていますが、その時点での華厳宗と不動明王を結びつける史料がみつかりません。

弘法大師空海は、弘仁元年(810年)に東大寺の別当に就任され、山内に真言院を建立されたと伝わります。
また、毘盧遮那仏(大仏)の前で毎朝あげられるお経は「理趣経」で、弘法大師空海の影響を伝えるものとして広く知られています。

ただし、良弁僧都の没年は774年、弘法大師空海の生年も774年なので、良弁僧都が弘法大師将来の純密系の不動明王を感得されたということは考えにくいです。
ただし、日本にはそれ以前に雑密が入ってきており、その流れのなかで不動明王が将来されていた可能性はあるのかもしれません。(参考 → 『純密と雑密』(三崎良周氏))

『関東三十六不動霊場ガイドブック』によると、天平年間(729-766年)、良弁僧都が東国を巡錫した折、隅田川のほとりの大樹のもとで休んでいると、夢に不動明王があらわれ「わが姿を三体刻み、一体をここに安置せよ」との霊告を得たためみずから御影を刻まれ御本尊とされました。

また、相模国の大山不動はこの内の一体であり、当寺の不動尊像と同木同作とあります。
もう一体は大山不動とゆかりが深く、良弁作の不動尊を御本尊とする埼玉・越谷の真大山 大聖寺の大相模不動尊なのかもしれません。

■ 大山不動尊(雨降山 大山寺)/神奈川県伊勢原市 真言宗大覚寺派
「晩年に大山に登られ、石像の不動明王を感得、謹刻。大山寺第三世は弘法大師が入られる。」(『関東三十六不動霊場ガイドブック』)

■ 大相模不動尊(真大山 大聖寺)/埼玉県越谷市 真言宗豊山派
「(西方村)不動堂 縁起ノ畧ニ往古良辨僧正相州大山開闢ノ時面ノアタリ 不動ノ霊容ヲ拝シ 其尊像ヲ刻マントテ 先其木ノ根本ヲモテ一刀三禮シ一像を彫刻シ 是ヲ大山根本不動ト名付ク」(『新編武蔵風土記稿 巻之205 埼玉群郡之7』(国会図書館DC)


【写真 上(左)】 大山不動尊(雨降山 大山寺)の御朱印
【写真 下(右)】 大相模不動尊(真大山 大聖寺)の御朱印(酉年御開帳)

上記のほか、関東三十六不動霊場の札所に限っても、良弁僧都御作と伝わる不動明王は第15番の中野不動尊(明王山 聖無動院 寶仙寺)、第22番浅草寿不動尊(阿遮山 円満寺 不動院)、第23番橋場不動尊(砂尾山 橋場寺)にみられます。

第17番等々力不動尊(瀧轟山 明王院 満願寺別院)は役小角(634-701年伝)御作、第10番の田無山 総持寺の不動尊は行基菩薩(668-749年)御作と伝わるので、最古の不動尊を辿るのは容易いことではないと思います。

******************
廃寺となった本所表町の東栄寺について、『寺社書上(御府内備考). [92] 本所寺社書上 五』(国会図書館DC)に以下の記載があります。
「本尊不動尊 丈四尺岩座四尺 作人不知 火焔八尺●寸」「二童子 作不知 丈●尺九寸」「御腹●●不動尊 丈二寸五● 座火焔●六寸 良辨僧正之作 但シ厨子入」
御本尊の不動尊は”作人不知”ですが、別尊の不動尊は”良辨僧正之作”となっています。

今となっては詳細は不明ですが、”良辨僧正之作”の「別尊の不動尊」が目黄不動尊なのかもしれません。

明治23年(1890年)刊の東京名所図会(国会図書館DC)には以下の記載があります。
「同所表町に在り天台宗にして東叡山に属す 本尊不動明王は良弁僧都の作なり 当寺往古は牛御前の別当寺にして貞観年間慈覚大師の草創良本阿闍梨開山たり 寛永年間将軍家屡々此邊に遊猟せられしを以て当寺に仮殿●を営構せしと云へり 今尚ほ御殿跡と称する所ありとぞ」
明治23年時点において、良弁僧都作の不動明王(目黄不動尊)が御本尊として御座されていたことがわかります。

ただし、天保五-七年(1834-1836年)版の『江戸名所図会 7巻18』(国会図書館DC)に以下の記載があります。
「牛寶山 最勝寺 明王院と号す 同●表町にあり天台宗にして東叡山に属す 本尊不動明王の像ハ良辨僧都の作なり 当寺ハ牛御前の別当寺にして貞観二年庚辰慈覚大師草創良本阿闍梨開山なり 寛永年間 大樹 此辺御遊猟の頃屢(しばしば)当寺へ入御あらせられしより其頃ハ假の御殿抔(など)営構なり●れたりとせり 今も御殿あとと称する地に山王権現を勧清す」

天保五-七年の時点ですでに「明王院」を号し、「良辨僧都作の不動明王」を御本尊としていたという記述は、他の資料と符合せずナゾが残ります。(ただし「明王院」は本所移転時に号したという説もあり。)

******************
最勝寺がかつて牛島の牛御前社(現在の牛嶋神社)の別当であったことは、複数の史料から裏付けられます。

天保五-七年(1834-1836年)版の『江戸名所図会 7巻18』(国会図書館DC)に以下の記載があります。
「牛島神明宮 同●に並ぶ相伝ふ貞観年間の鎮座なりと別当を神宮寺と称して最勝寺より兼帯す 江戸名所記云 安徳帝の壽永年間本所の郷民夢をえて 伊勢大神宮虚空よりけり大光明の内に微妙の御声にて●●土安穏天人常充満と云 法義経壽量品の文を唱へ●いられ伊勢の大神宮なりとの●●ふところ夢覚なり●中の人民●に僧(中略)伊勢の御神を勧清し」


【写真 上(左)】 牛嶋神社
【写真 下(右)】 牛嶋神社の御朱印

新編武蔵風土記稿 巻之21 葛飾郡之2(国会図書館DC)には以下の記述があります。

「牛御前社 本所及牛嶋ノ鎮守ナリ 北本所表町最勝寺持 祭神素盞嗚尊ハ束帯坐像ノ画幅ナリ 王子権現ヲ相殿トス 本地大日ハ慈覚大師ノ作縁起アリ信シカタキ●多シ 其畧ニ、貞観二年慈覚大師当國弘通ノ時行暮テ傍ノ草庵ニ入シニ位冠セシ老翁アリ 云國土惱乱アラハワレ首ニ牛頭ヲ戴キ悪魔降伏ノ形相ヲ現シ國家を守護セントス 故ニ我形を写シテ汝ニ与ヘン我タメニ一宇ヲ造立セヨトテ去レリ コレ当社ノ神体ニテ老翁ハ神素盞嗚尊ノ権化ナリ 牛頭ヲ戴テ守護シ賜ハントノ誓ニマカセテ牛御前ト号シ 弟子良本ヲ留メテコノ像ヲ守ラシメ 本地大日ノ像ヲ作リ釋迦ノ石佛ヲ彫刻シテコレヲ留メ 大師ハ登山セリ 良本コレヨリ明王院ト号シ 牛御前ヲ渇仰シ 法華千部ヲ読誦シテ大師ノ残セル石佛ノ釋迦ヲ供養佛トス 其後人皇五十七代陽成院ノ御宇 清和天皇第七ノ皇子故有テ当國ニ遷され、元慶元年九月十五日当所ニ於テ薨セラレシヲ、良本崇ヒ社傍ニ葬シ参ラセ其霊ヲ相殿ニ祀レリ 今ノ王子権現是ナリ 治承四年源頼朝諸軍ヲ引率シ下総國ニ至ル時ニ 隅田川洪水陸地ニ漲リ渡ルヘキ便ナカリシニ 千葉介常胤当社ニ祈誓シ船筏ヲ設ケ大軍恙ナク渡リシカバ 頼朝感シテ明ル養和元年再ヒ社領ヲ寄附セシヨリ、代々國主領主ヨリモ神領ヲ附セラル 天文七年六月廿八日後奈良院牛御前ト勅号ヲ賜ヒ次第ニ氏子繁栄セリ 北條家ヨリモ神領免除ノ文書及神寶ヲ寄ス其目後ニ出ス 又建長年中浅草川ヨリ牛鬼ノ如キ異形ノモノ飛出シ 嶼中ヲ走セメクリ当社ニ飛入忽然トシテ行方ヲ知ラス 時ニ社壇ニ一ツノ玉ヲ落セリ 今社寶牛玉是ナリナト記シタレド 奮キコトナレハ慥(タシカ)ナラサルコト多シ」

内容がやや錯綜していますが、牛御前社と最勝寺は、慈覚大師ゆかりの寺社として草創時からふかいつながりをもっていたことが伺われます。

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最寄りはJR総武線「平井」駅南口から徒歩約16分(1.3㎞)です。
地図上では近くみえますが、意外に距離があります。
住所は江戸川区平井1丁目、荒川の流れにもほど近いところです。

すぐそばにある嘉桂山 成就寺も本所からの移転で、こちらも天台宗で慈覚大師ゆかりの寺院です。新葛西三十三観音霊場初番、大東京百観音霊場第96番の札所で、御本尊、阿弥陀如来の御朱印を拝受できました。


【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 寺号標-1

三間一戸の八脚門から屋根をとり、門柱を加えたような変わった山門(仁王門)で、両脇間には仁王尊が御座します。
本所にあった頃は三重建築の仁王門があり、朱塗りの色が美しく「赤門寺」と称されたそうです。

山門左手の寺号標には「南無妙法蓮華経 南無釋迦牟尼仏 南無阿弥陀仏」が併記されていますが、この様式の石碑はあまりみたことがありません。


【写真 上(左)】 寺号標-2
【写真 下(右)】 山内

広がりのある山内。正面に本堂、その右手に客殿と庫裡、その手前右手に不動堂、さらにその手前右に地蔵観音堂と最勝稲荷社。わかりやすく整った伽藍配置です。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 本堂向拝

本堂は入母屋像本瓦葺流れ向拝の堂々たるつくり。さすがに名刹です。
水引虹梁に木鼻、斗栱、蟇股、海老虹梁を備え、正面桟唐戸の上に「牛寶山」の扁額を掲げています。
本堂にはおそらく御本尊の慈覚大師作の釈迦如来が御座します。


【写真 上(左)】 本堂扁額
【写真 下(右)】 客殿

本堂右手の客殿も破風屋根を構える風格あるつくり。


【写真 上(左)】 客殿と不動堂
【写真 下(右)】 不動堂


【写真 上(左)】 斜めからの不動堂
【写真 下(右)】 側面からの不動堂

不動堂は楼閣様式ですが、不勉強につき正確なつくりはわかりません。
向拝には水引虹梁に木鼻、斗栱、蟇股、海老虹梁を備え、正面桟唐戸の上に「不動尊」の扁額を掲げています。
全体に本堂よりも複雑な意匠です。


【写真 上(左)】 不動堂向拝
【写真 下(右)】 不動堂向拝上部


【写真 上(左)】 不動堂扁額
【写真 下(右)】 不動堂賽銭箱の意匠

不動堂には良弁僧都作とされる不動明王(目黄不動尊)が御座され、こちらも御本尊の位置づけにあるようです。
この目黄不動尊像は、都内では高幡不動尊に次ぐほどの大きな像(像高127㎝)で、「木造不動明王坐像」として江戸川区の登録有形文化財(彫刻)に指定されています。

迦楼羅炎の勢いすさまじく、右手に剣、左手に羂索を掲げられ盤石のうえに御座され、二童子を従えています。



【写真 上(左)】 目黄不動明王の石標
【写真 下(右)】 関東三十六不動霊場札所標と本堂

慈覚大師作とされ、牛御前社の本地仏であった大日如来像は、不動堂に安置されているようです。


【写真 上(左)】 地蔵観音堂
【写真 下(右)】 最勝稲荷社

最勝稲荷社は牛御前社より御遷座と伝わり、家屋守護に霊験あらたかとのことです。
墓地には鳥亭焉馬(戯作者)、富田木歩(俳人)、柔道家徳三宝夫妻の墓があります。

御朱印は庫裡にて拝受できます。
関東三十六不動霊場の札所でもあり、手慣れたご対応です。
なお、隅田川二十一ヵ所霊場第7番、新葛西三十三観音霊場第23番の御朱印は授与されていない模様です。

〔江戸五色不動尊の御朱印〕

・御朱印尊格:目黄不動尊 江戸五色不動の印判 直書(筆書)

〔関東三十六不動霊場第19番の御朱印〕

【写真 上(左)】 専用納経帳(直書)
【写真 下(右)】 御朱印帳(直書)
・御朱印尊格:目黄不動尊 関東三十六不動霊場第19番印判 法挟護童子の印判


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これで、現行の江戸五色不動のご紹介はとりあえず完結です。
関連して、以下のお不動さまについてもつづきで書きたいと思いますが、しばらく時間をおきます。

7.古碧山 龍巌寺 / 目黄不動尊
渋谷区神宮前2-3-8(墨田区東駒形から移転)
臨済宗南禅寺派 御本尊:釈迦如来

8.五大山 不動院 / 目黄不動尊
港区六本木3-15-4
高野山真言宗 御本尊:不動明王

9.石神井不動尊(亀頂山 密乗院 三寶寺)
練馬区石神井台1-15-6
真言宗智山派 御本尊:不動明王
関東三十六不動霊場第11番

10.志村不動尊(寶勝山 蓮光寺 南蔵院)
板橋区蓮沼町48-8
真言宗智山派 御本尊:十一面観世音菩薩、不動明王
関東三十六不動霊場第12番

11.中野不動尊(明王山 聖無動院 寶仙寺)
中野区中央2-33-3
真言宗豊山派 御本尊:不動明王(五大明王)
関東三十六不動霊場第15番

12.等々力不動尊(瀧轟山 明王院 満願寺別院)
世田谷区等々力1-22-47
真言宗智山派 御本尊:不動明王
関東三十六不動霊場第17番

13.深川不動尊/深川不動堂(成田山 新勝寺 東京別院)
江東区富岡1-17-13
真言宗智山派 御本尊:不動明王
関東三十六不動霊場第20番

14.薬研堀不動尊/薬研堀不動院(川崎大師 東京別院)
中央区東日本橋2-6-8
真言宗智山派 御本尊:不動明王
関東三十六不動霊場第21番

15.浅草寿不動尊(阿遮山 円満寺 不動院)
台東区寿2-5-2
真言宗智山派 御本尊:不動明王
関東三十六不動霊場第22番

16.橋場不動尊(砂尾山 橋場寺)
台東区橋場2-14-19
天台宗 御本尊:不動明王 
関東三十六不動霊場第23番

17.飛不動尊(龍光山 三高寺 正寶院)
台東区竜泉3-11-11
天台宗寺門系 御本尊:不動明王
関東三十六不動霊場第24番

18.皿沼不動尊(皿沼山 永昌院)
足立区皿沼1-4-2
天台宗寺門系 御本尊:不動明王
関東三十六不動霊場第25番

19.西新井大師不動明王(五智山 遍照院 總持寺)
足立区西新井1-15-1
真言宗豊山派 御本尊:弘法大師・十一面観世音菩薩
関東三十六不動霊場第26番


■ 江戸五色不動の御朱印 ~ 江戸の不動尊霊場 ~ 1.概要・目青不動尊
■ 江戸五色不動の御朱印 ~ 江戸の不動尊霊場 ~ 2.目黒不動尊
■ 江戸五色不動の御朱印 ~ 江戸の不動尊霊場 ~ 3.目白不動尊、4.目赤不動尊、5.目黄不動尊(永久寺)
■ 江戸五色不動の御朱印 ~ 江戸の不動尊霊場 ~ 6.目黄不動尊(最勝寺)
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■ 江戸五色不動の御朱印 ~ 江戸の不動尊霊場 ~ 3.目白不動尊、4.目赤不動尊、5.目黄不動尊(永久寺)

※ 現在、新型コロナウイルス感染拡大を受け、外出自粛が要請されています。また、寺社様によっては御朱印授与を休止されている可能性があります。ご留意願います。


こちらからつづく

■ 神霊山 慈眼寺 金乗院〔目白不動尊 / 江戸五色不動〕
豊島区高田2-12-39(新長谷寺(現・文京区関口)から移転)
真言宗豊山派
御本尊:聖観世音菩薩・断臂不動明王(目白不動尊)
元司別当:此花咲耶姫社など
札所:江戸五色不動(目白不動尊)、関東三十六不動霊場第14番、御府内八十八箇所第38番(金乗院)、同 第54番(新長谷寺)、江戸三十三観音札所第14番、山の手三十三観音霊場第9番、近世江戸三十三観音霊場第14番、江戸八十八ヶ所霊場第38番(金乗院)、東京三十三観音霊場第23番(新長谷寺)


「目白不動堂 / 江戸名所図会. 十二」
国立国会図書館DCより利用規約にもとづき転載。)


「宿坂関旧址 金乗院 観音堂 / 江戸名所図会. 十二」
国立国会図書館DCより利用規約にもとづき転載。)

寺伝・縁起書、および『関東三十六不動霊場ガイドブック』によると、金乗院は天正年間(1573-1592年)、開山永順が本尊の聖観世音菩薩を勧請して観音堂を築いたのが草創とされます。
当初は蓮花山 金乗院と号し中野寶仙寺の末寺でしたが、のちに神霊山 金乗院 慈眼寺と号を改め、音羽護国寺の末寺となりました。

『新編武蔵風土記稿 巻之12 豊島郡之4』(国会図書館DC)には以下のとおりあります。
「金乗院 新義真言宗多磨郡中野村寶仙寺末、神靈山観音院ト號ス 本尊正観音長一寸八分眦首羯摩作 開山永順文禄三年六月四日寂 御嶽社 辨天社 三峯社 観音堂/荒神ヲ合殿トス 観音ハ木ノ立像長三尺運慶ノ作ト云」

江戸時代には旧砂利場村の此花咲耶姫社をはじめ社地三、四ヶ所の別当でしたが、昭和20年4月の戦災で本堂などの伽藍、水戸光圀公揮毫とされる此花咲耶姫の額などの宝物を焼失しました。

戦災で全焼した関口駒井町の新長谷寺(目白不動尊)を合併し、新長谷寺の札所も金乗院に移動しています。

目白不動堂(東豊山 浄滝院 新長谷寺)は、元和四年(1618年)大和長谷寺代世小池坊秀算が中興し、関口駒井町(現・文京区関口、金乗院から東に約1㎞)にありました。

『江戸名所図会. 十二』(国会図書館DC)には以下のとおりあります。
「目白不動堂 同所東の方にありて堰口の涯に臨む真言宗にして東豊山新長谷寺と号す
 長谷小池坊の宿寺とす 本尊不動明王の霊像は長八寸弘法大師の作 総門の額東豊山の三大字ハ南岳悦山の筆 縁起云弘法大師唐より帰朝の後 羽州湯殿山に参籠ありし時 大日如来忽然と不動明王の姿に変現し滝の下に現ハれ●● 大師に告て云く此地ハ諸佛内證秘密の浄土なれハ有為の穢土をきらえり 故に凡夫登山することかたし 今汝に無漏の上火をあたふべしと宣ひ持ちし●●●の利劍をもって左の御臂を切●●ハ、霊火盛に燃出でて佛身に充てり 依て大使面前に出現の像二躯を模刻し一躰ハ同國荒澤に安置し 一躰
ハ大師自ら護持なしたまふ その後野州足利に住せる沙門某之を感得し●奉持せしに一年 霊感あるを以て此地の住人松村氏某に●かりつひに一宇を開きて此本尊を移し安置なし奉ると 当寺元和四年和州長谷小池坊秀算僧正中興ありし頃 大将軍台徳公の厳命により堂塔坊舎御建立あり また和州長谷寺の本尊と同木同作の十一面観世音の像をうつし新長谷寺と改む 大将軍大猷公目白の号を賜ひ 元禄の始にハ桂昌一位尼公御帰依浅からす諸堂修理を加へたまひ丈余●地蔵尊等を安置なさしめられたり 此地麓●●堰口の流を帯ひ
水流そうそうとして日夜不絶 早稲田の村落高田の森林を望む風光の地なり 境内貸食亭多く何れも涯に臨めり」

また、『寺社書上(御府内備考). [61] 関口寺社書上』(国会図書館DC)には「目白不動尊起立書 新長谷寺浄瀧院 本尊不動尊 弘法大師御作秘佛 開帳佛不動 前立不動」(縁起も記されていますが略)とあります。

『東京名所図会』(国会図書館DC)にも以下の記載があります。
「目白不動堂は同所東の方にあり堰口の涯に臨む真言宗にして東豊山新長谷寺と號す 本尊不動明王は弘法大師の作なり 当寺は元和年間和州長谷の小池坊秀算僧正中興ありしより将軍家の厳命にて堂塔伽藍建立あり 後ち桂昌院尼公諸堂に修理を加えられ頗る荘厳を極めたり 境内眺望佳絶にして茶肆割烹店等多し 冬月雪景最も宜しと云ふ」

目白不動堂奉安のお不動さまは高さ八寸、「断臂不動明王」といい、弘法大師の御作と伝わります。

縁起によると、弘法大師が唐より御帰朝の後、出羽羽黒山に参籠されたとき大日如来が現れてたちまち不動明王のお姿に変じました。
大師に告げるには「此の地は諸仏内証秘密の浄土なれば、有為の穢火をきらえり、故に凡夫登山する事かたし、今汝に無漏の浄火をあたうべし」と。
不動尊は利剣をもってみずから左の御臂を切られると、霊火が盛んに燃え出でて仏身に満ちあふれました。
大師はこの御影を二体謹刻され、一体は出羽国の荒沢に安置され、もう一体は大師みずから護持されたと伝わります。

後年、野州足利の沙門某が大師護持の不動尊を奉持していましたが、武蔵国関口の松村氏が霊夢を得て足利よりお遷しし、領主の渡辺岩見守より関口台の一画に土地の寄進を受けて一宇を建立したのが本寺の濫觴(らんしょう/はじまりのこと)とされます。

元和四年(1618年)、大和長谷寺小池坊秀算僧正が中興、二代将軍秀忠公の命により堂塔伽藍を建立。
大和長谷寺から御本尊と同木同作の十一面観世音菩薩像を御遷ししてその直末となり、東叡山 浄滝院 新長谷寺と号しました。

寛永年間(1624-1644年)、三代将軍家光公は当山の断臂不動明王に「目白」の号を贈り、江戸守護の江戸五色不動(青・黄・赤・白・黒)のひとつとして、また、江戸三不動の代一位として名を高め、人々の篤い信仰を受けました。
ことに護身、厄除け眼病治癒の不動尊として霊験あらたかとされます。

元禄年間(1688-1704年)には、五代将軍綱吉公とその母桂昌院が深く帰依してさらに伽藍を整え、寺容は壮麗を極めたと伝わります。

境内は堰口の流れを見下ろす高台の景勝地で、付近には茶肆、割烹などの店が出て、ことに月雪景の名所であったようです。
その佳景は、『東京名所四十八景 関口目しろ不動』 (慶應義塾大学メディアセンターDC)からも偲ぶことができます。

昭和20年5月の戦災で焼失したため金乗院に合併、御本尊の目白不動明王像は金乗院に遷られました。

ふたつの名刹が合併した金乗院は今日も複数のメジャー霊場の札所であり、多くの参拝客を集めています。
また、当寺住職の小野塚幾澄大僧正は、平成20年から平成24年まで真言宗豊山派管長・長谷寺化主に就任されています。

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最寄りはメトロ・都電荒川線「雑司ヶ谷」駅か都電荒川線「学習院下」駅ですが、道行きの風情は「雑司ヶ谷」駅ルートの方があると思うので、こちらをご紹介。

メトロ・都電荒川線「雑司ヶ谷」駅3番出口から、目白通りを渡って宿坂通りに入ります。
目白通りは目白台の台地上を走り、ここから南側、神田川にかけては下り勾配となります。
宿坂(しゅくざか)もかなりの急坂ですが、この一本西側の「のぞき坂」は別名を「胸突(むなつき)坂」といい、「東京一急な坂」として知られています。

『江戸名所図会. 十二』(国会図書館DC)には以下のとおり「宿坂」と「金乗院」が記されています。
「宿坂関之旧跡 同北の方金乗院といへる密寺の寺前を四谷町の方へ上る坂口をいふ 同じ寺の裏門の辺にさらちの平地あり(中略)昔の奥州街道●●其頃関門のありて跡ありといへり」

現地掲示によると、この辺りは中世に「宿坂の宿」と呼ばれた関所があり、「立丁場」と呼ばれた金乗院裏門辺の平地が関所跡との伝承があります。
宿坂は「江戸時代には竹木が生い茂り、昼なお暗く、くらやみ坂と呼ばれ、狐や狸が出て通行人を化かしたという話」が伝わっているそうです。


【写真 上(左)】 宿坂
【写真 下(右)】 山門

宿坂をほぼ下りきった右手が金乗院の山門です。
二軒の垂木を備えた銅板葺のどっしりとした二脚門で、「神霊山」の山号扁額を掲げています。
右の門柱には、関東三十六不動霊場、左には江戸三十三観音札所の札所板。


【写真 上(左)】 関東三十六不動霊場の札所板
【写真 下(右)】 江戸三十三観音札所の札所板

約200年前の建立ですが昭和20年4月の戦災で屋根を焼失、昭和63年に檀徒の寄進により復元されています。


【写真 上(左)】 山門扁額
【写真 下(右)】 山門前の不動尊

山門周辺に御府内霊場第三十八番および五十四番の札所標、「目白」と刻まれた台座の上に石造坐像のお不動さま、江戸八十八ヶ所霊場第38番の札所標、「東豊山 新長谷寺」の寺号標などが建ち並び、当寺の歴史を物語っています。


【写真 上(左)】 御府内霊場第三十八番の札所標
【写真 下(右)】 御府内霊場第五十四番の札所標


【写真 上(左)】 江戸八十八ヶ所の札所標
【写真 下(右)】 山の手三十三観音霊場の札所標

「江戸第拾六番 山之手第九番 本尊十一面観世音」の札所柱もありました。
「山之手第九番」は山の手三十三観音霊場第9番(新長谷寺)と思われますが、「江戸第拾六番」については霊場不明です。


【写真 上(左)】 金乗院の寺号標
【写真 下(右)】 新長谷寺の寺号標

石敷のすっきりとした境内。
山門正面が庫裡(納経所)、その左手に本堂、山門右手の高みが目白不動尊の不動堂です。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 本堂と不動堂

御府内霊場第38番、江戸三十三観音札所第14番は本堂、御府内霊場第54番、関東三十六不動霊場第14番は不動堂のお参りとなります。(御府内霊場は修行大師像も参拝)
(「本堂に『断臂不動明王』を安置」とする資料もありますが、『関東三十六不動霊場ガイドブック』には不動堂が参拝堂とあり、不動堂への参道に「目白不動尊参道」の案内掲示、不動堂の扁額も「目白不動堂」です。)

ちなみに御府内霊場88ヶ所のうち、一寺二札所、ふたつの御朱印をいただけるのはこちらのみです。


【写真 上(左)】 本堂(斜めから)
【写真 下(右)】 本堂向拝露天

本堂は昭和46年(1971年)の再建、平成15年(2003年)の改修。
木造ではありませんが、入母屋造本瓦葺流れ向拝。
大棟、降り棟ともにやや細身ですが、隅棟、稚児棟まわりの鳥衾・熨斗瓦、掛瓦などのつくりが精緻で、屋根の照りもほどよく、風格ある堂宇です。
水引虹梁に禅宗様の木鼻、中備えに蟇股、向拝正面は格子戸、その上に「神霊山」の扁額を掲げています。
御本尊は眦首羯摩作と伝わる高さ7㎝の聖観世音菩薩。金剛仏で秘仏です。


【写真 上(左)】 本堂扁額
【写真 下(右)】 修行大師像

本堂向かって左に端正な修行大師像が御座。
金乗院は江戸五色不動唯一の真言宗寺院で、江戸五色不動巡拝中に修行大師像のお参りができるのはこちらだけです。

本堂向かって右には「倶梨伽羅不動庚申」。
不動明王の法形である倶梨(利)伽羅剣と「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が彫られた石像で、寛文六年(1660年)の建立です。
「人間を罪過から守る青面金剛の化身、三猿は天の神に人間の犯す罪を伝えない様子をあらわしている。」という現地掲示があります。


【写真 上(左)】 倶利伽羅不動庚申
【写真 下(右)】 不動堂参道

その横に宝塔。その後ろには立像の金仏(地蔵尊)。
その右横が墓地への参道で、その奥には慶安の変(由井正雪の乱、慶安四年7月(1651年))の首謀者の一人、丸橋忠弥の墓所があります。

さらに右手の山門寄りの高みのお堂が、目白不動尊の不動堂です。
確信はないですが、おそらく入母屋造銅板葺妻入り、妻側に付向拝の構成かと思われます。
棟部に経の巻獅子口、猪の目懸魚が見えます。


【写真 上(左)】 不動堂
【写真 下(右)】 不動堂向拝

水引虹梁部は向拝幕が張られているのでよくわかりませんが、身舎正面上部に「目白不動尊」の扁額。
格子戸越しに目白不動尊のおすがたが拝せます。
こちらの不動尊は御前立かと思われます。
整った面差しで、右手に剣、左臂に火焔を抱かれ、大盤石の上に御座される立像です。


【写真 上(左)】 不動堂扁額
【写真 下(右)】 鐔塚

境内にはこの他、寛政十二年(1800年)に建立の刀剣の供養塔、鐔塚(つばづか)などの見どころがあります。

なお、江戸名所図会で宿坂のかなり上方に描かれている観音堂(運慶作の観音像が奉られていたと伝わる)の現況については不明です。

御朱印は境内寺務所にて快く授与いただけます。
こちらは江戸五色不動のほか、御府内霊場(2札所)、江戸三十三観音札所、関東三十六不動霊場の札所も兼ねられ、いずれも御朱印を授与されています。

札所無申告の場合、目白不動尊、聖観世音菩薩いずれの御朱印になるかは不明ですが、おそらく先方からお尋ねになるのかと思います。

〔江戸五色不動尊の御朱印〕

・御朱印尊格:目白不動明王 関東三十六不動尊霊場第14番印判 師子光童子の印判 直書(筆書)
※ 関東三十六不動霊場の御朱印が授与されている模様です。

〔関東三十六不動尊霊場第14番の御朱印/専用納経帳〕

・御朱印尊格:目白不動明王 関東三十六不動尊霊場第14番印判 師子光童子の印判 筆書

〔御府内八十八箇所第38番(金乗院)の御朱印/御朱印帳〕

【写真 上(左)】 専用納経帳(直書)
【写真 下(右)】 御朱印帳(直書)
・御朱印尊格:聖観世音菩薩・弘法大師 御府内八十八箇所第38番・54番印判 三十八番の揮毫

〔御府内八十八箇所第54番(新長谷寺)の御朱印/御朱印帳〕

【写真 上(左)】 専用納経帳(直書)
【写真 下(右)】 御朱印帳(直書)
・御朱印尊格:目白不動明王・弘法大師 御府内八十八箇所第38番・54番印判 五十四番の揮毫

〔江戸三十三観音札所第14番の御朱印〕

・御朱印尊格:聖観世音菩薩 江戸三十三観音札所第14番印判 目白不動尊の印判 直書(筆書)


■ 大聖山 東朝院 南谷寺〔目赤不動尊 / 江戸五色不動〕
文京区本駒込1-20-20
天台宗
御本尊:不動明王(目赤不動尊)
札所:江戸五色不動(目赤不動尊)、関東三十六不動霊場第13番

納経時にいただいた縁起書、境内掲示などから縁起を辿ってみます。

元和年間(1615年頃)、比叡山南谷に万行律師という不動尊への尊信篤い名僧がおり修行を重ねておられました。
ある夜、童子が夢枕に立ち「万行多年不動尊を尊信する事深切なり、伊賀の国の赤目山来たれ不動明王の霊験あらん」と告げて飛び去りました。

律師は童子のお告げに従ってすぐさま伊賀の赤目山に登り、絶頂の磐石に端座して不動真言を称え、印を結んで不動明王の御来迎を待ち奉りました。
三日三夜がたつと、虚空に声が響いてなにかが投げ入れられました。
拾い上げて見れば一寸二分の黄金の不動明王の尊像で、律師は礼拝恭敬して山をくだり比叡山南谷の庵室にこの尊像を安置しました。

暫くのち、律師は衆生済度を発念され不動尊像を護持して関東に向かい、下駒込の動坂(堂坂)の地に縁を得て、堂を建立して尊像を安置しました。
この不動尊に参詣祈願をなす者に奇瑞少なからず、衆生はこの地を「不動坂」と称えて群参したといいます。

寛永五年(1628年)、将軍家光公が鷹狩りの途中、不動尊の由来を聞き及んだところ、府内五不動の因縁を以って”赤目”を”目赤”と称える様にとの沙汰があり、以後目赤不動尊と称したとされます。

その後改めて上意があり、浅嘉町藤堂家屋敷跡(現在地)を拝領して堂宇を建立し、大聖山 東朝院と号して天台宗羽黒派に属しました。
このとき故有って、智證大師御作の不動明王の霊像を受得して御前立に安置、黄金の御本尊は後の厨子に秘仏として奉安したとされます。(御前立本尊の胎内に奉安とも)

万行大僧都が寂したのちも、目赤不動尊の御利益は著しく、参詣者は絶えず、天明八年(1788年)には東叡山寛永寺の直末となりました。その際、初代万行大僧都の遺徳を偲んで大聖山 南谷寺と号されました。

『江戸名所図会 巻之五』(国会図書館DC)に以下の記載があります。
「駒込淺香町にあり。伊州赤目山の住職萬行和尚回國の時供奉せし不動の尊像、屡(しばしば)霊験あるに仍て、其威霊を恐れ、別に今の像を彫刻して、彼像を腹籠とす。則ち赤目不動と號し、此所に一宇を建立せり。始めハ千駄木に草堂をむすびて安置ありしを、寛永の頃、大樹御放鷹の砌、今の所に地を賜ふ。千駄木に動坂の号あるは、不動坂の略語にて、草堂のありし旧地なり。後年終に目黒、目白に對して、目赤と改むるとぞ。」

また、『東京名所図会(国会図書館DC)』には以下の記載があります。
「大観音の西北淺嘉町大聖山南谷寺にあり 本尊不動尊ハ伊賀國赤目山の住職萬行和尚回國の時供奉らし尊像屢(しばしば)霊験あるにより別に今の像を腹籠となせり 依て赤目不動と呼びしを後ち目黒目白に對して目赤と改めしとぞ 始めハ千駄木にありしを寛永年間此地に移さると云ふ 千駄木に動坂と云へる所あるハ其旧地にして不動坂の略語なりと云ふ」

動坂にあったと伝わる南谷寺の旧地については → こちらで推測されています。

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最寄りはメトロ南北線「本駒込」駅。2番出口から本郷通りを渡って徒歩2分弱、通りに面しているので、すぐにわかります。
この辺りは寺院が多く、寺町の趣。メジャー霊場の札所も多くあります。


【写真 上(左)】 柱門
【写真 下(右)】 寺号板


【写真 上(左)】 右の門柱
【写真 下(右)】 左の門柱

道沿いのみかげ石の門柱、右に青文字で「大聖山 南谷寺」、左に「目赤不動尊」で字色のコントラストが効いています。


【写真 上(左)】 境内
【写真 下(右)】 初夏の本堂

伽藍配置は正面に本堂、右手に庫裡。その手前、参道右手にすこしく奥まって不動堂。
著名なお不動様や観音様を擁する寺院によくみられるかたちです。
緑が多く、落ち着いた転生の境内。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 斜めからの本堂

本堂は寄棟造本瓦葺で大棟両端に鴟尾を置き、やや起(むく)り気味の屋根です。
向拝柱はなく、正面桟唐戸で上部は連子、下部は入子板。その上に中央に蟇股、見上げに「大聖山」の扁額。
向拝左右に格子戸、菱格子欄間、連子窓、軒下には斗栱を連ね、趣きのある寺院建築です。
垂木は一軒。軒丸瓦に阿弥陀如来の種子「キリーク」、軒平瓦に花紋様など細やかな意匠。


【写真 上(左)】 軒瓦
【写真 下(右)】 本堂向拝

本堂には阿弥陀如来が御座します。
『関東三十六不動霊場ガイドブック』によると、当寺の御本尊は「黄金不動明王」とあります。
天台宗では著名な尊格を独立の堂宇(不動堂、観音堂など)に奉り、本堂に阿弥陀如来を奉る例がかなりあり、当寺もその例かもしれません。
そのような場合、阿弥陀如来の御朱印は非授与の場合が多いのですが、当寺も非授与のようです。


【写真 上(左)】 本堂扁額
【写真 下(右)】 六地蔵


【写真 上(左)】 六地蔵と不動堂
【写真 下(右)】 大日如来と不動堂

不動堂まわりに進むと、手前に六地蔵。
その先で本堂参道から不動堂参道を右に分け、左手に手水鉢と恵比寿像、右手に「目赤不動尊」の石標や石碑、智拳印を結ばれる金剛界大日如来像と並びます。
恵比寿像と大日如来像は、江戸時代中期頃の作風とされています。
江戸五色不動の6寺院が記された石標もありました。


【写真 上(左)】 大日如来
【写真 下(右)】 手水鉢と恵比寿様


【写真 上(左)】 目赤不動尊の石標
【写真 下(右)】 目赤不動尊の石碑


【写真 上(左)】 江戸五色不動の石碑
【写真 下(右)】 不動堂参道

その先が不動堂。
桟瓦葺の宝形造で頂に火焔宝珠、そこから隅棟、稚児棟を降ろしています。
棟には精緻な熨斗瓦、雁振瓦、鳥衾、鬼瓦を備え、全体に整った印象があります。


【写真 上(左)】 不動堂
【写真 下(右)】 不動堂の棟

身舎まわりに縁をまわして向拝は格子戸。その上の小壁に「目赤不動尊」の扁額と、左右にふたつの奉納額が掲げられています。
その上、二軒の垂木、軒平瓦、桟瓦、火焔宝珠と重なり、重厚感のある向拝。

 
【写真 上(左)】 斜めからの不動堂
【写真 下(右)】 不動堂向拝


【写真 上(左)】 右奉納額
【写真 下(右)】 左奉納額

向拝の格子戸があいており、お不動様のおすがたが拝めます。
御内陣の目赤不動尊は、真紅の迦楼羅炎を背負われ、右手に劍、左手に羂索をもたれて盤石に御座す、力感あふれるおすがたです。


【写真 上(左)】 不動堂扁額
【写真 下(右)】 関東三十六不動霊場札所板

関東三十六不動霊場の札所でもあり、御朱印は授与所にて快く授与いただけます。
繊細な筆致の御朱印です。

〔江戸五色不動尊の御朱印〕

・御朱印尊格:目赤不動尊 江戸五色不動の印判 直書(筆書)

〔関東三十六不動霊場第13番の御朱印〕

【写真 上(左)】 専用納経帳(直書)
【写真 下(右)】 御朱印帳(直書)
・御朱印尊格:目赤不動尊 関東三十六不動尊霊場第13番印判 伊醯羅童子の印判


■ 養光山 金碑院 永久寺〔目黄不動尊 / 江戸五色不動〕
台東区三ノ輪2-14-5
天台宗
御本尊:阿弥陀如来
札所:江戸五色不動(目黄不動尊)、東都北部三十三観音霊場第17番

天台宗東京教区Webによると草創は14世紀南北朝騒乱の頃、当時は真言宗で唯識院と号していたようです。
その後、白岩寺、大乗坊、蓮台寺と改号を重ね、宗派も真言宗から禅宗そして日蓮宗と変遷したようです。

下記の『寺社書上(御府内備考)』によると、道安和尚が堂宇を整えて禅宗白岩寺とし、四谷本源寺の弟子月窓が堂宇を修理し大乗坊 蓮台寺と号して日蓮宗となりました。
月窓の父の所縁により、将軍の命を受け月窓は日光御門主本照院宮の弟子となり、圭海(大僧都圭海法印)と称し、宗派を天台宗に改めて養光山 永久寺と号したとあります。

その後東叡山 浄円院と号を改めていたところ、寛文年間(1661-1673年)、幕臣の檀家山野嘉右衛門(号.藤原の永久)が諸堂を再建し、号の二字を以て永久寺と改めて中興の祖とされます。(永久寺改号のくだりが錯綜していて、詳細不明)

寛永年間(1624-1643年)の中ごろ、五街道の整備にともない街道の道中安全祈願が幕府より命じられ、上野寛永寺の天海大僧正の発願によって江戸府内の由緒ある古刹が五色不動として五街道沿いに定められたと伝わります。
その際、日光街道沿いの古刹、永久寺が目黄不動尊として定められたといいます。

『寺社書上(御府内備考). [118] 下谷寺社書上.四』(国会図書館DC)には以下の記載があります。
「往古真言宗ニテ号唯識院 道安和尚悉ク殿堂ヲ再造シテ禅閣トナシ白岩寺と改ム 亦衰微セシヲ四谷本源寺弟子月窓修理シテ大乗坊蓮台寺ト唱ヒ為ニ日蓮宗トナル 月窓父ハ七澤作左衛門清宗入道シテ(中略) 爰ニ蒙台命日光御門主本照院宮之御弟子トナリ 圭海ト名ス 天台宗ニ改メ養光山永久寺と号シ 其ノ後東叡山浄円院トナル 御朱印二百石御寄附アリ今ノ律院是ナリ 又同山内養寿院ト成ル ココニ当寺檀越山野加右衛門永久トイフ者(中略)当寺佛閣諸堂ヲ悉ク建立シ門前地等ヲ寄附シ(中略)実名永久之二字ヲ以永久寺ト号ス(中略)改称圭海法印 抑大僧都圭海法印者 大樹家綱公御母堂宝樹院殿同腹御実弟ニテ男女兄弟八人也 羽州羽黒山執行別当を兼帯シ 終ニ京都愛宕山長床坊住職シテ天台顕密ノ僧ト云々」

当寺の目黄不動尊の縁起がよくわからないのですが、境内掲示にあるとおり「寛永年間の中頃、三代将軍家光が天海大僧正の具申により、(五色不動として)江戸府内の名ある不動尊を指定」というところによるのではないでしょうか。

当寺を天台宗に改めた圭海法印は将軍家ともかかわりをもつ相応の身分と考えられ、天台宗東京教区Webによると、宝物として慈覚大師御作の不動明王像、智證大師御真筆の不動尊一幅が記載されているので、目黄不動尊に指定される寺格・由緒は有していたものと考えられます。
なお、境内掲示には「不動尊信仰は、密教がさかんになった平安時代初期の頃から広まり、不動尊を身体ないしは目の色で描きわけることは、平安時代すでに存在したという。」という興味ぶかい記述があります。

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メトロ日比谷線「三ノ輪」駅3番出口至近です。
都営荒川線の終点「三ノ輪橋」駅からも近いので、1日結願ではない場合、目白不動尊から「学習院下」駅で乗車し、52分の都電の旅を楽しむという手もあります。これだけ乗って運賃170円は安いです。


【写真 上(左)】 門
【写真 下(右)】 寺号標

交通量の多い明治通り沿いにあります。
山門、通用門ともに閉扉され、ガードが堅い印象ですが、たしか右手の通用門が開いたかと思います。

アール・ヌーヴォー的なやわらかな曲線を用いた本堂。その下に桟瓦の屋根(本堂向拝の屋根?)が走る様は、意匠的になかなかインパクトがあります。

天台宗東京教区Webによると、御本尊は阿弥陀如来。宝物として運慶作の阿弥陀如来像が記載されているので、御本尊は運慶作かもしれません。
また、宝物として慈覚大師御作の不動明王像が記載されているので、目黄不動尊は慈覚大師の御作かもしれません。
智證大師御真筆の不動尊一幅も宝物とされています。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 本堂(手前)と不動堂(左奥)


【写真 上(左)】 目黄不動尊の石碑
【写真 下(右)】 不動堂

本堂向かって左手に不動堂。
こちらも意匠的に特徴があり。造りはよくわかりませんが銅板葺で、向拝柱を備えています。
不動堂左前に「目黄不動尊」の石碑。
格子戸越しに御内陣が拝せます。
目黄不動尊はご内陣中央に御座。
朱の迦楼羅炎を背負われ、右手に劍、左手に羂索をもたれる黒色の引き締まった立像です。


【写真 上(左)】 不動堂扁額
【写真 下(右)】 板碑

本堂前には板碑二体ありましたが、こちらは宝物の南北朝期の板碑二体かもしれません。

御朱印は庫裡にて拝受できますが、Web情報によるとご不在の場合も。書置対応もされているようですが、事前確認がベターかもしれません。

〔江戸五色不動尊の御朱印〕

・御朱印尊格:目黄不動 「江戸五色不動」の印判 直書(筆書)

(つづく) → こちら

■ 江戸五色不動の御朱印 ~ 江戸の不動尊霊場 ~ 1.概要・目青不動尊
■ 江戸五色不動の御朱印 ~ 江戸の不動尊霊場 ~ 2.目黒不動尊
■ 江戸五色不動の御朱印 ~ 江戸の不動尊霊場 ~ 3.目白不動尊、4.目赤不動尊、5.目黄不動尊(永久寺)
■ 江戸五色不動の御朱印 ~ 江戸の不動尊霊場 ~ 6.目黄不動尊(最勝寺)
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■ 伝え方(マダニ症候群とコロナデルタ株)

マダニ(重症熱性血小板減少症候群 (SFTS))、こわいですね~。
東日本にも広がってきているようなので気をつけましょう。

■ マダニ対策、今できること(国立感染症研究所)→ こちら
↑ この資料、けっこうわかりやすいです。

国立感染症研究所、新型コロナでもエビデンスにもとづいたけっこういい資料出してるのに、(これとか、これとか)
メディアの伝え方があまりに下手すぎるから、
そのまま受信できる ↑ マダニ資料のようなものがほしい。

とくに「新型コロナウイルス(デルタ株)から身を守る方法」


懸念される変異株( VOCs )に対するワクチン有効性について(P.10)
ガンマ株(ブラジル)について
発症、感染に対する有効性 → 「明らかになっていない」
感染、発祥、重症化に対する評価 → 「全項目『不明』」
↑ こわすぎる

ウイルス(SARS-CoV-2)の新規変異株について


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「少しでも体調が悪い場合、軽い症状でも早めの受診、積極的な検査、適切な療養に繋げることが必要」
↑ 言うは易し、行うは難し
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Ride On Time カバー特集(ザ・カセットテープ・ミュージック)

個人的には「シティ・ポップ」の文脈で、五輪開会式でかけてほしかった曲のひとつ。
「ザ・カセットテープ・ミュージック」でカバーの特集してたので、ちょっと書いてみました。
〔 〕内はマキタスポーツ氏によるネーミングです。

〔原曲〕山下 達郎Vers.
■ Ride On Time (ver Album) - Tatsuro Yamashita 山下 達郎 - sub EN - Full Album

達郎の名曲は達郎のヴォーカルと完璧に一体化してるので、カバーはむずかしい、と思うでしょ。
でも、

〔無思想カバー〕May J. Vers.
■ May J. / RIDE ON TIME

May J. って声質いいし、テクもあるのになぜかなんとなく迫ってくるものがよわい気がする。
でも、よくこの難曲にトライしたと思う。
予想以上の仕上がりでびっくり。(May J.だと思わなかった。一瞬、杏里かと思った。)
達郎の濃密な作家性&思想性から、曲だけを切り離して届けてくれる存在と。
「Cover Eats」とは、マキタスポーツ氏、巧すぎる表現。

〔多様性カバー〕UNCHAIN Vers.
■ UNCHAIN - RIDE ON TIME

原曲の思想性をBAND SOUNDというかたちで再解釈、の意思が感じられるという。
大箱じゃなくて、LIVE HOUSE向けの仕様にしたもの、といっていたが、たしかにそんな感じがする。
メジャーじゃないけど、なかなかいいです。Charを思い起こした。

〔乗っ取り型カバー〕松崎しげる Vers.
■ RIDE ON TIME 松崎しげる
視聴
このテイクは凄い。
完全に松崎しげるのものにしている。
「達郎さんよりRide Onしてる」(マキタスポーツ氏)って、ほんとにそうかもしれぬ。
実力あるわ、この人。

それにしても、マキタスポーツ氏&スージー鈴木氏の感性&蘊蓄&音楽への愛情度おそるべし!
個人的には、五輪の音楽仕切ってほしかったわ。まじで。
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■ 東京五輪のセレモニーソング ~ 日本の歌うま女子の底力 ~(本編)

字数オーバーしたので、つづきをつくりました。

2021/08/09 UP

いや~、出てくる出てくる、閉会式関連のネットニュース、そしてコメント。
あきらかに提灯記事とみられるニュースも、すぐにNGコメントで埋め尽くされるという異常事態。

↓ こういうのがニュースになるって、どこかに救いを求めたくなるってことか。
【閉会式】日本国旗「ハートマーク」に写りSNS沸く「世界に愛を届ける感じ」「なんか平和を感じる」(スポーツ報知8/8(日) 20:45配信)

コメントで気になったのは、「世界に対して恥ずかしい。」「日本に自信がもてなくなった。」「日本の凋落を実感。」などという、この国に対する落胆の声。
五輪って国の威信を高めたり、国民としての誇りを高揚する場でもあったりするわけでしょう。(目的ではなく、結果として。フランスの映像なんて、まさにそういう感じだった。)
そんな場で、国民の自信失わせてどうする。

これを挽回する最後のチャンスが、じつはひとつだけ残されています。
パラリンピックです。

開催できるかわからんけど、開催できたとしても会場にたくさんの人間入れて長々とセレモニーはおそらく無理だと思う。
中止になったとしても、「パラリンピックへの日本からのメッセージ」というかたちで、ワールドワイドな場を設けることは可能だと思う。
だから、いずれにしても映像編集がメインになると思う。

となれば出演交渉も、リハもいらない。(著作権の問題はあるが)
これまで日本が蓄積してきた数々の名コンテンツを、それこそ「日本の職人芸」で編集かければいいんじゃね?

問題はコンテンツのチョイスだが、SNSで広く希望コンテンツ募ってつぶやいてもらい、人脈も思惑もなしに多い順に採用してったらいいんじゃないかと。

あまりにも時間がないが、それこそ日本の誇りをかけて、乾坤一擲の大勝負をかけてもいい状況かと。

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■ となりのトトロ (主題歌) さとのうた Totoro Theme


■ By Your Side - Wise feat Kana Nishino


■ 今好きになる。(HoneyWorks) ver かぴ(歌ってみた)


■ Dreaming Sheep - 中恵光城


■ Saikou no Kataomoi (最高の片想い) - SachiTainaka


↑ こんなキャラやクリップやパフォーマンス生み出せるのは日本だけだよ きっと。
勝負かけどころは、たぶんオペラやミュージカルじゃない。

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2021/08/08 UP(閉会式後)

閉会式。
ちょっと言葉がみつかりません・・・。

ど-してスカなんだ? ここはジャマイカじゃなくて日本だが。
宝塚の君が代はま-わかるとしても、前半のパフォのばらばら感と内輪ウケ感がハンパなかった。
「東京の日曜日の(いつもの)公園」って、んなもん世界の人々見たかないかと・・・。

誰かと思ったらmiletか・・・。
まぁ、人気あるみたいだし、ソニーミュージック系だからね(笑)
でも、この人の声に「愛の賛歌」は合っていないと思う。声が前に出ていなかった。
それにどうして「愛の賛歌」? シャンソンじゃん。
ことあとでフランスは自己PRかけるんだから、そこまで忖度しなくてもいいのでは。
んで、またまた評価の定まった「第九」か・・・。

坂本九さんの「SUKIYAKI」、曲としては悪くないけど、「いまだにこれしかないんか??」と思われる可能性大。
「SUKIYAKI」の全米ヒットは1963年。ここから日本でどれだけの名曲が生まれたことか。真面目に考えてほしい。

DJの切り口はあるのかもしれないが、この場ではもっと発信すべきものがあったような気がする。
「紅蓮華」、歌わないのか・・・、いろいろ小出しにすればいいってもんじゃないと思うが。
「東京は夜の七時」、この曲、イントロのナレーションからワンパケで完結してるんだから、アレンジかけちゃダメでしょ。

パフォーマーたちに罪はないし、それぞれにベストを尽くしたんだろうとは思うけど、それ、ここでやるか? ってのが多かった。
それに、とくにサブカル系はたいてい路上や小箱の会場で真価を発揮するもの。
それを、このワールドワイドの超大箱の場で成果出せって、期待する方がはなから間違ってる。

ほんとに、演出陣のセンス疑うわ。
発想が安易かつ凡庸すぎ。
(というか、いろいろ大人の事情が多すぎ身動きとれなくなって、投げちゃった?)
それに、??がつくパフォーマーの経歴みると、たいてい外国生まれだったり、海外のコンテストで受賞してる。
そこまで日本の文化に自信がないってことか?

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どうせスカでラテンやるなら、いっそのこと待望の声が高かった ↓ これやった方がよかったんじゃないの。理屈ぬきに楽しいし。
【公式】松平健「マツケンサンバⅡ」 MV

「多様性と調和」って連呼するなら、↑ こそ、そうなのでは?(笑)

空中五輪マークと和太鼓と(盆)踊りと東京音頭は悪くなかった。
とくに東京音頭の りお?ちゃんの綺麗なハイトーン、透明感あってよく通っていた。
(この子、カラバトに出てなかったっけ?)

(盆)踊り、アイヌと沖縄は「日本のなかの多様性」を示す意図かな?
秋田の「西馬音内の盆踊り」、岐阜の「郡上踊り」は「日本三大盆踊り」からのチョイスだと思うけど、「阿波踊り」が入っていなかったのは疑問。
テンポのある「阿波踊り」が一番外国人受けすると思うが・・・。

それと、踊りの映像が俯瞰的すぎていまいち迫力がなかった。
もっといい映像いくらもあると思うが、急いでかき集めたのかな?(笑)

いろいろテンコ盛りするんだったら、↓ この動画流した方が良かったんじゃね?
■ Bienvenido a Japón-YOKOSO! JAPAN-ようこそ日本


さきほど、メールでやりとりしたデザイン系の仕事してる知人からも、こんな感想が・・・。
「それにコスチュームがひどい。今回はメダル贈呈式の居酒屋服に象徴されるように全てが低レベルです。死者への追悼がなんで、あの彩度の高い服?? 逆に締めは地味過ぎて哀しすぎる。大竹しのぶの演技力も逆に作用した感じ。コシノジュンコ氏等世界的デザイナーも泣いているでしょう。」
演出や音楽だけでなく、コスチュームもダメダメってことか・・・。

*************
「コロナ禍のもとの東京五輪」は世界の共通認識なんだから、いっそのことお膝元の深川不動尊(成田不動尊)のお不動さまにスタジアムまで出開帳いただいて、コロナ鎮護を祈願するとか・・・。
(「ここ東京の地は、五色の目の色をもつ五体のお不動さまに守護されているという伝承があります。」というコメントを交えて。→ ■ 江戸五色不動の御朱印 ~ 江戸の不動尊霊場 ~、五色不動は青、黄、黒、赤、白、五輪マークは青、黄、黒、赤、緑で、こんなところからも話題が広がるかも。)

■ 成田山 東京別院 深川不動堂 お護摩修行 (深川不動尊公式Webより)

じっさいには宗教上の問題があるのでむずかしいとは思うけど、深川不動尊のお護摩、かなりのインパクトがあります。(ほら貝+太鼓四連)

*************
一番の見せどころ、ラストのメインは「星めぐりの歌」。
歌詞はさすがにうつくしいし、曲としても悪くないが、この場で演じる曲なのかな?
これから苛烈なコロナ禍との対峙に向かう日本国民のためにも、もう少し高揚感や明るさのある曲のほうがよかったのでは?

たとえば、(やっぱり)こんな曲 ↓
■ 夏の終わりのハーモニー - 井上陽水&安全地帯



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いまさらいっても詮ないけど、↑ や、さきほどUPした↓ の曲、どれか1曲でもフルで演奏したら、場の雰囲気も評価も変わっていたと思う。

だって、これほどのレベルの若いオーディエンス、いるんだよこの国には、たくさん・・・。 ↓
五輪のセレモニー、彼ら、彼女たちの落胆は大きいんじゃないかな・・・。
■ We are - ONE OK ROCK

↑ 唐突だけど、このLIVEビデオで流した方がインパクトあったのでは?

↓ ” 音楽の力 ”だと思う。
【18祭】ONE OK ROCK 『We are』| 18Fes | NHK

「閉会式の内容に酷評」を報じるニュースへのコメント。
「20代ですがパリ五輪の映像と閉会式のクオリティーの差に悔しさを感じました。自分たちの世代が努力して今の日本を変えていかないとと思わせてくれただけ開催した意義はあったと思います。」
こんな状況をつくりだした上の世代として、本当に申し訳ない。
この国にはすばらしい感性もっている若い世代、たくさんいるから、どうか頑張ってほしい。


五輪とはぜんぜん関係ないけど、
J-POPのレベルの高さをむりやり知らしめるとか(笑) ↓
【絶対女王・新妻聖子🎤「白日」歌唱動画】関ジャニ∞のTheモーツァルト音楽王No.1決定戦


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それにしても、フランス空軍のトリコロール、圧巻すぎた。
それと国歌のアレンジメント。
カメラアングルも映像の質も抜群で、さすがに芸術の国だと思う。

でも、そんなフランスの人たちが愛してやまないのが、日本の文化なんだけどね。

■ 祈りにも似た美しい世界 - KOKIA Live in Paris 2007

↑ のライブに来てたパリの人たち、今日の閉会式視て、どう思ったんだろう。

コロナ除けの花火。
日頃、東京ってふつうに ↓ こんな凄いパフォーマンス繰り広げてるのに、
どうして五輪のセレモニーでできない??

■ ワンオクをBGMに盛り上がるフィナーレ!2019神宮外苑花火大会【日刊スポーツ】

「日本では古来から疫病除けに花火を打ち上げてきました。世界中のみなさまもコロナ収束を願って一緒にご覧ください」って、時節柄けっこう説得力あるかと。
それに、コロナ禍で困っている花火師さんたちの支援にもなるし、世界に向けて「繊細で美しい日本の花火」をプロモートできる絶好の機会じゃないの。

↑ こんなことしたら、観客殺到して密になる的なコメントあるかもしれないけど、
来る人間はなにやっても来るし(ニュース)、事前告知しないでこの時間(4分弱)だけなら、花火見物だけに来る人はすくないと思う。
スタジアムの花火(防火上の制約でたぶん大したことできない、それに欧州製らしい)と神宮外苑(尺玉はむりとしても、国産で↑ のようにテクニカルで繊細なやつ)の2ヶ所で花火の競演したら、かなり面白いことになったのでは?
それに、↑ こういうふうに、BGMでワンオク流したら一石二鳥だったと思う。

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デイリースポーツ8/8(日) 21:51配信
■ 閉会式 酷評続く 途中退場する選手も続出 SNSでは「つまんない」急上昇
さすがに今回は腹に据えかねたって感じのコメント満載。しかもどんどん増えてる。
「学芸会」っていうワードがやたらに目立つ。
コメントの「もう本当にやめて…」って、ほんと情けなくて涙でてきた。

別のコメントに「(おそらく日本の魅力をよく知っている外国人が)期待外れだったそうな。こんなはずは無い、いろいろ何かあったんだろうと同情された。」とありましたが、たしかに日本好き、日本通の外国人は等しくこんな感想を抱いたのではないか。
でも、日本に理解のある外国人はそう思ってくれるかもしれないが、圧倒的大多数の世界の人々はほとんど日本に対して関心も理解もないからね。
「ふ~ん、日本はこの程度か・・・」と思われて即終わり、ジャンジャンですよ。

だから、五輪は特別なのです。
ふだん、日本になんの関心ももっていない人々に、日本のコンテンツをほとんど強制的に発信できる唯一無二のチャンスだから。
でも、それだけにしくじると恐い。諸刃の剣。

こんなんだったら、結果論かもしれないけど、式典のコンテンツ内容国民の人気投票で決めた方がよかったかも・・・。
税金使ってるんだし、これだったら評判悪くてもあきらめつくかと・・・。(意外に受けると思う。冗談抜きで、業界人より一般人の評価の方が的を得ていること多々あり。)


日本に発信するものがなにもなければ、「やっぱりフランスすげー」でおわるところかもしれないけど、世界に発信できる優れもの、あり余るほど持っているこの国なのに・・・。

どうか、これを奇貨として、優れたものが正当に評価され、きちんと発信されていく、まっとうな社会になっていきますように・・・。

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2021/08/08 UP(閉会式前)

ついに閉会です。
この厳しい状況で、どういう閉会式ができるかわからんけど。
開会式でMISIAが示したとおり、やっぱり音楽の力は大きいと思う。

開会式では、ロクに日本の曲も歌手も歌わせてもらえなかったんだから、
閉会式くらいドメスティックに決めてもバチはあたらんと思う。
あっ、それと、異文化(ルーツの異なる芸術)を安易に組み合わせても、たいていハレーション起こすだけで「多様性の表現」にはならんからね。開会式でわかったと思うけど・・・(笑)

本当のところ、
よけいな演出もアレンジもなく、
腕ききのミュージシャンと観客が加わって生み出すシンプルなステージが、いちばん人の心を打つのでは?
(今回、”観客”はムリだが・・・。)

■ Credens Justitiam - Yuki Kajiura(FictionJunction)


■ 渡良瀬橋 - 森高千里


■ 夢の途中 - KOKIA


■ Goodbye Yesterday - 今井美樹


■ Endless Story - Yuna Ito


■ 時代 - 薬師丸ひろ子


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2021/07/31 UP

↓ 1990~2000年代の別記事書いてて、思いつくまま芋づる式に引っ張ってきたメジャー系の名曲たちです。
こういうメロディに満ちあふれた曲をチャート上位に押し上げてきた国。そして歌い継いでいる国。

■ アジアの純真 - PUFFY


■ Aitai - 加藤ミリヤ


■ Over and Over - Every Little Thing


■ SEASONS - 浜崎あゆみ


■ 君って - 西野カナ


■ Can You Celebrate? - Namie Amuro 安室奈美恵

J-POP史上屈指の神曲。
作者も歌い手もいまは一線を退いてしまった。

10曲の「CAN YOU CELEBRATE?」

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2021/07/29 UP

7/27(火) 21:12配信 Tokyofm plus(→ こちら
見出し:東京五輪、国立競技場に山下達郎、大貫妙子ら「シティ・ポップ」が鳴り響く!?
「開会式が始まる前と終わってからしばらくの間、会場内にBGMが流れていたんですけど、大貫妙子さんの『都会』や、山下達郎さんの曲とか、いわゆる邦楽のシティ・ポップが流れていたんです。」

まじか?
やっぱり似たようなこと考えてるスタッフもいるんだと・・・。
それに、ときどきスタジアム(アスリートの休憩時間など)でけっこういい音楽流れてる。
画面にクレジット流せばいいのに・・・。

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2021/07/26 UP

開会式で、海外も含め評価の高かったプログラムは、
・MISIAの君が代
・ドローンの空中エンブレム~地球
・入場バックのアニメソング
・人間ピクトグラム(一部でかなりの高評価)
あたりか・・・。

MISIAはいつもより、透明感のあるハイトーン繰り出してたと思う。
ドローンの空中エンブレム~地球は、シンプルに綺麗。

やっぱり求められているのは、問題提起よりもシンプルな美しさとか鮮やかさ、そして日本らしい繊細さのような気がする。
イメージからすると、こういう感じか? ↓

■ 心の糸 - 池田綾子 -Flower PS3 game-

映像に動きがあって綺麗。曲調も繊細。

■ ひらひら ひらら - ClariS

日本の国花は菊と桜とされています。
イラストもビジョンで世界に発信したいレベル!

↓ こういう曲は、ワールドワイドでみても貴重なので、閉会式とはいわないが、もっと発信してもいいと思う。
歌の女神が舞い降りた国 / 美メロ&ハイトーン&透明感の癒し曲50曲

復興五輪なら、この曲1曲だけで伝わるかも。 ↓
どうしようもない無力感と、つながって復興に向かう気持ちのうごき。
■ SUPER MOON - 藤田麻衣子


コロナに立ち向かうストーリー感訴求するなら、奇を衒わずにこういった切り口かも? ↓
民間企業のPVだから、これは使えないが・・・。
■ JAL 企業PV 「I Will Be There with You ~日本語版~」 All for sky


↓ スタジアムの空き時間にBGMでひたすら流しつづけるとか(笑)。やっぱりこれも使えないけど。
■【作業用BGM】JAL搭乗音楽 I Will Be There with You 1時間半耐久 JAPAN AIRLINERS Boarding music 1.5 hours loop


「イマジン」使わなくても、世界に訴えられる曲たくさんあると思うけどね。
この国には。

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2021/07/24 UP

開会式。
MISIAはさすがの安定感。
アレンジは賛否両論あると思うけど。

映像映えしたドローンの空中エンブレム~地球がかなり盛り上げてくれたけど、続くここぞのタイミングでイマジンかぁ・・・。
しかも日本人の歌唱なし。
んでもって、クイーンに点火前はボレロ!?

世界的・歴史的に評価の定まったものしか起用できない???って、
まさかプロ中のプロのディレクターの音楽観(というか文化観)が、じつは確立していないのではという肌寒い疑惑(笑)

世界的に評価の定まった曲を評価の定まった方々が歌うのは ”多様性” ではありません。
これまで、ずーと書いてきましたが、いまの日本は世界でも希な優れたコンテンツもってるんだから、
これを最高のかたちで世界に発信することこそが ”多様性” では?

音楽の小間切れ感がハンパなかった。
↓ 名手が集って名曲歌ってさえ、やっぱりひとりひとりのオリジナル曲の深みには及ばない。話題性はあるけど・・・。
■ We Are The World  アーティスト名&歌詞付 日本語訳付


伝統芸能にしても、わけのわからん演出は控えて、
「お勧めの演目をベストのメンバーでお願いします。」って一切任せちゃえば、
意気に感じる日本の才能たちは、最高のパフォーマンスを提供してくれると思う。


ほかにも思うところはいろいろあったけど、詮ないことなのでコメントはやめときます。

閉会式まではまだ時間がある。(開催できれば、だけど)
短くてもいいから、日本の文化や誇りをしっかり発信して、今回の愚を辱いでほしい。


〔しつこく、また書きます(笑)〕
いまのこの国って、音楽に限らずすばらしいものたくさんもっているのに、
ぜんぜん発掘できてなかったり、余計な手を加えておかしくしたり・・・。
いいものは、シンプルにそのまま発信するほうが伝わると思うが・・・。(オーバープロデュース不要)

■ Pray - 今井美樹


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2021/07/23 UP

2021年07月23日 10時44分 スポーツ報知配信 → 記事
見出し 「MISIA、東京五輪開会式で君が代歌う」

東京五輪のセレモニー関係でひさびさの(というか初めての?)納得のニュース。
不祥事で痛手を負った、日本のPOP音楽界の反撃ののろしとなるか。

アイノカタチ - MISIA feat.HIDE GReeeeN (from 平成武道館 LIFE IS GOING ON AND ON Live Ver.)


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2021/07/22 UP

こんどは ”解任” だそうです。
でも、予定通り実施とのこと。

根源は "人脈" なのか?

それにしても、どれもあまりに問題がデリケートすぎる。
経済界(スポンサー)だって、もはや距離を置くしかない展開か?

日本は古来「言霊(ことだま)」の国で、「言挙げ」にはすこぶる慎重なはずなのに。
よりによって世紀の局面で、「言葉」によってここまで追い込まれるとは・・・。

覆水盆に返らず。
ここまで失墜した日本のイメージを、どこでどうやって挽回できるのか。
イメージすら湧きません。

ある有力広告代理店さんの調査です。
(→ リンクはこちら(PDF)/H24.7.4ニュース・リリース
今回のコロナと五輪の一連の不祥事で、日本や日本人のもっている強みや魅力が封じ込められ、毀損されてしまったことがわかる。

コロナも五輪も、どうかこの国にとってよい方向に収まりますように。
ただただ祈ることしかできません。

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2021/07/19 UP

辞任だそうです。
どうしても開会式やるなら、音楽は生じゃなくてビジョンでYouTube流したら?
これだったらアーティストの準備も感染リスクもゼロだし・・・。

個人的には、梶浦さんなんだよね。やっぱり。
梶浦サウンド総ざらい!(&「炎」-homura)

■ Everlasting Song - FictionJunction

YouTube Vers.
梶浦語も話題性あり?

振り付けて踊ってるんじゃなくて、おのおの勝手気ままな(?)自然なステージング。
でも、コーラスは一分の隙もないアジャストぶり。

〔 Solo Parts 〕
0:27~ / 3:47~ 貝田由里子
0:56~ / 4:15~ KAORI (織田かおり)
2:50~ / 6:26~ KEIKO (窪田啓子)
3:17~ / 6:57~ WAKANA (大滝若菜)
※5:44~ めずらしくユニゾン。強力すぎ。

ヴォーカルやキーボード(梶浦さん)だけじゃないよ。
ギターもドラムスもベースもバイオリンも、粒ぞろいの実力!

■ 夢の大地 - Kalafina

解散してしまった伝説のユニット。
梶浦さんならではの壮大感。

でもって、いきなりのシティ・ポップ。夏まっさかりだしね。コロナ禍だけど。
世界がどう反応するか・・・。
■ Sparkle - Tatsuro Yamashita


そして、ワンオクかな・・・。
■ TakaMC「親父に向けて作った曲です」 Nobody's Home - ONE OK ROCK

~ 僕らに出来ることは アルバムを作って ライブをすることだけです それ以外に出来ません ~

■ Wasted Nights - ONE OK ROCK [Official Video from "EYE OF THE STORM" JAPAN TOUR]

ワンオクのLIVEって、オーディエンスのレベル高くてリアクション抜群。
こんな素晴らしい曲つくれて、演れて、こんなライブパフォーマンス展開できる国って、そうそうないと思う。
takaのヴォーカルだけじゃなくてこの超絶アンサンブル。聴く人が聴けばわかる。

↓ これでとどめか・・・。
■ 時代 - 薬師丸ひろ子


音楽の神様がおわす国、日本。

**********
海外も含めて大炎上中。
内容が酷すぎるからね。

これは辞任不可避かもしれぬ。
で、どうするの?

結局グダグダの大崩れ。
重い十字架を背負ってしまった日本の音楽界。
挽回するには相当なパフォーマンスが必要だと思う。

**********
もう、演出なんていらないんじゃね?
日本のすぐれた才能たちが、淡々と自らのパフォーマンスを演じるだけでいいのでは。
余計な演出するよりも、インパクトあるかも・・・。
(すんません。開閉会式をついつい全世界向けのLIVE会場(てかプロモーション・タイム)にしちゃいました。って(笑))
**********
↑ 本当はいまこそこういう状況なんだと思うが、時間がなさすぎるし、敢えて火中に飛び込むアーティストがいるかどうか・・・。
歓迎会やってるんだから、主催者サイドには開会式中止の択はないと思うし・・・。

☆東京2020オリンピックの開会式でパフォーマンスしてほしい歌手/テーマ曲を歌ってほしい歌手(アンケート)
2019年11月Vers.
2017年7月Vers.
2016年3月Vers.
2013年9月Vers.
調査によってかなりバラつきあるけど、おおむねこんなところなのか・・・。
2010年以降、J-POPは「応援ソング」一色に染め上げられてきたから、応援ソング候補はいくらもあると思う(内容は別として)

■ カイト

メロ綺麗だし変拍子も渋くきまってるし、スケール大きいし。これはいいと思う。
ただし、歌い手の技量に思いっきり振られる曲なので、誰が歌うか・・・。

ピアノはハラミちゃんとか・・・
倖田來未との名競演

なんにしても、時間がなさすぎる。

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2021/07/18 UP

パワハラ、ルッキズムときて、今度はいじめかよ・・・。
もう、いい加減にしてほしい。

あっそ~、渋谷系だったの。そ~なの・・・。
渋谷系って、なんだか括り切れなかったし、ビジュアルだったし、いまもイメージ悪くないから使いやすかったのかもね。
オルタナとかサブカルとかインディとかのキャッチでたたみかけられたら、まぁふつうの人は反論できんからなぁ。

個人的には英国系のネオアコもどきにしか聴こえんかったけど・・・。
それにオリジナリティを否定するアーティストは信用できない。

↓ どうせやるなら、このくらいのインパクトがほしかった(笑)
「オリジナリティななななぁ~い」とかいいながらオリジナリティ感満載。
■ Plastics - COPY #1


だったら(渋谷系聴くなら)、本家聴く方がいいじゃんって・・・。
(この系統の曲、ほとんどこのブログでとり上げないけど、実はけっこう聴いていた)
■ Everything But The Girl - Missing (Official Music Video)


■ The Style Council - You're The Best Thing (Official Video)


■ Aztec Camera - Oblivious (Official Video) (REMASTERED)


エオアコとか、アンビエントとか、なんか音楽以外のファクター(ビジュアルとか思想性とか)で売っていくあざとさがあって、個人的にはあまり好きじゃなかったけど。
それと、とりあえずこれ流しとけば、てか、この系統のアーティスト好きとかいっとけばセンスいいと思われた安直さがね、ちょっとね・・・(笑)

でも、↓ これはけっこう好きだった。
■ PIZZICATO FIVE / 東京は夜の七時


なんにしても、このタイミングだし、(開会式やるとしたら)もはやこの布陣で突っ走るしかないのか・・・。

↓ にいろいろとあげさせていただいた優れもののアーティストたち、いまとなっては五輪と距離を置いて正解だったかも・・・。

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2021/07/14 UP

この感染者の急増ペースじゃ、どうなるかわからんけど・・・。

「東京五輪開会式まであと9日…式典コンセプトをやっと公表」(報道/スポーツ報知 7/14(水) 18:21配信)
↑の報道によると、「共通コンセプトを『Moving Forward』と定め、『スポーツの力で世界中をつなげ、未来に向かって希望を生み出す場にしていきたい。前を向いて生きるエネルギーを、一人ひとりに届ける時間にしたい』と込められた意図を説明。また23日の五輪開会式は『United by Emotion』、閉会式は『Worlds we share』と決まった。」とのことです。

なんだかよくわからんですけど・・・。
まぁ、セレモニーのコンセプトなんて大抵 ”あってなきが如し” だからね(笑)
(ここは日本なんだから日本語でつくったれ・・・と思うが、個人的には。小粋な意訳なんていくらでもできるだろーに。)

それにしても、9日前に発表って。ホントに大丈夫?
(この状況じゃ、決まってても発表できなかったのかも・・・)

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2021/07/08 UP

東京五輪の1都3県の首都圏会場が全て無観客となることが決まりました。
報道記事
セレモニーもかな?

いま、「東京五輪 セレモニーソング」でググるとこの記事が1位、「東京五輪 セレモニー」でも上位にいます。
この記事、正直たいしたアクセス数じゃないけど、それでもこの順位ってことは、
「東京五輪のセレモニー」自体、Web的にはさして注目されていないということ?

以前、↓ こう書きましたが、

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もう、演出なんていらないんじゃね?
日本のすぐれた才能たちが、淡々と自らのパフォーマンスを演じるだけでいいのでは。
余計な演出するよりも、インパクトあるかも・・・。
(すんません。開閉会式をついつい全世界向けのLIVE会場(てかプロモーション・タイム)にしちゃいました。って(笑))
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どだい無理なおはなしだとは思うけど、こうなっては本当にそんな感じがしています。
多くの犠牲を払い、多額の税金つぎ込んでいるんだから、せめてセレモニーくらいは日本のコンテンツのアピールに徹してもばちは当たらないと思う。

「スポーツの力」が偉大だとしたら、「音楽の力」「芸能の力」もまた大きなものがあるから。
■ "Audizione a Cremona" | Gabriel's Oboe - Ennio Morricone | by Lena Yokoyama(横山令奈さん) | PRO CREMONA

2020/4/16。パンデミックのさなかのイタリア北西部、ロンバルディア州の病院の屋上で、現場の人々を勇気づけた日本人アーティスト。

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ワールドワイドでは絶滅の危機に瀕している”女神系ヒーリング曲”&”メロ系ハイトーン曲”。
日本にはまだまだ健在。一周まわって世界の聴衆にジャストミートかも・・・。 ↓(再掲あり)

■ Ave Maria - 志方あきこ w/ 葉加瀬太郎  


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2021/07/11 UP

さきほどTVKでふたたび最新のビルボード(全米)視てみました。
やっぱり、どの曲も同じにきこえた(笑)。↓ この曲以外は・・・。
【和訳】Bruno Mars, Anderson .Paak, Silk Sonic - Leave the Door Open【公式】


70年代を彷彿とさせるヴィンテージ・ソウルを踏襲か、やっぱり。
それでもこういう曲が全米1位とって、ロングヒットになってるってことは、こういう楽曲にもまだそれなりのニーズはあるということか・・・。
2021年のビルボードチャートで'70年代マナーのSOUL聴けるとは、感慨無量すぎる。

それにしてもこのレベルの高さ・・・。
Bruno Marsの声質がセクシーすぎる。
ギャラリーのおねえたまたちも格好よすぎだし。
やっぱり本場が30年振りに本気出すと(笑)、こういうことになるのか・・・。

ひさびさに驚きの1曲でした。

ps.
思わず往年の名曲、聴きたくなってしもた。
■ Switch - Love Over And Over Again (Remix Audio Original)


どうせならSilk Sonic、↓ こういうどグルーヴ曲もやってくれんかな。さりげにうけるかも。
リズムセクションがたいへんだけど(笑)
■ Luther Vandross - Never Too Much Live


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2021/06/19 UP

東京五輪のセレモニーには、もう興味を失ってしまったけど、
この前TVで超ひさびさに最新のビルボード(全米)視た感想を交えて・・・。

正直、どの曲も同じにきこえた(笑)
リズムのサンプリングとコード進行が同じようなパターン&単調なので・・・。

Olivia Rodrigoがわりと往年の洋楽的なサウンド創ってるけど、この程度なら日本のカラバトU-18世代でも対抗できるのでは?

■ [和訳MV] Olivia Rodrigo - drivers license / オリヴィア・ロドリゴ - ドライバーズ・ライセンス [公式]│📺7月期新ドラマ『イタイケに恋して』主題歌

・サビメロが誰かの曲(styx?)にすごく似てる感じがするけど思い出せない。

〔 日本の歌姫が歌った洋楽 〕
■ One Last Time - Ariana Grande(富金原佑菜ちゃんのカバー)

多彩な声色とケレン味のない歌いまわしは、洋楽でも充分に発揮されている。

💄カトレア(加藤礼愛) 小4『Never Enough』ローレン・オルレッド🚃

歌の力でざわつく人々を黙らせる・・・の図。
1:56~ 波に乗った。ここから人々が静かになっていくのがわかる。

■ 三阪咲「If I Ain't Got You (Alicia Keys)」2018/12/28 The BAND NIGHT Vol.2 ESAKA MUSE

声に雰囲気があって、強弱のコントロール&声のまわし方が抜群で、とくにR&Bでいい味出してます。

↑ 高校生以下のアマチュアでもこのレベルだもんね・・・

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BTSが何度か全米1位とってるけど、この手の曲なら米国でも世界中どこでも(言い過ぎか・・・(笑) )つくれると思う。

■ BTS (방탄소년단) 'Butter' Official MV


それに出だしのリズムパターン、↓ に似てね?
■ Queen - Another One Bites the Dust (Official Video)
 

でも、↓ こういう曲って、もはや日本でしか(というかペンタの呪縛から抜け出した日本のアーティストしか)つくれないのでは?
あーたらこーたら文句つけてますが、それでもいまのJ-POPの状況は、まだまともなのかもしれぬ。
歌うま女子だけじゃなく、グループ(ユニット)も絶好のチャンス到来かも。

■ 未来永劫 - 神はサイコロを振らない


■ I LOVE... - Official髭男dism


■ Clock Strikes 35xxxv Japan Tour 2015 - ONE OK ROCK


個人的には踊らなくてもいいから、こういうふうに ↑ しっかり楽器演奏してほしい(笑)

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2021/03/18 UP

あらあら、またかいな。
今度はルッキズムだって、情けなや・・・。
(関係者のグループLINEの内容が、このタイミングで公になることも不思議だが。)

〔報道/日刊スポーツ 3/18(木) 0:51配信〕
「開幕が4カ月後に迫る中、式典演出のトップが交代する異常事態に開閉会式担当者は『開閉会式は大変なことになる』と青ざめた。」
実務方や事務方の方々、ほんとうに大変だと思う。
こうなったら「日本の恥」をこれ以上世界にさらさないように、ただただ祈るだけ。

もう、演出なんていらないんじゃね?
日本のすぐれた才能たちが、淡々と自らのパフォーマンスを演じるだけでいいのでは。
余計な演出するよりも、インパクトあるかも・・・。

■ 本当の音 - KOKIA


2021/03/13 UP

コロナ感染者数リバウンドしそうだし、ほんとうに開催するかどうかわからないけど、海外からの観客入れないならよけいに音楽の役割が高まるのでは?

礼愛ちゃんの驚愕のJSフェイクとか・・・。
■ 加藤礼愛 (11)(小5) / Jupiter (Little Glee Monster)

4:28~ のアドリブ(フェイク)、小5の女の子のパフォーマンスとはとても思えず・・・。

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2020/01/07UP
【見出し】パワハラで式典演出担当者が辞任 五輪開閉会式、電通社内で処分(共同通信 1/7(火) 19:00配信)

あ~、あたまクラクラしてきた。
やっぱりというか、情けないというか・・・。

ほんと式典の音楽どうなるんだろう??
Web上では日本のPOP MUSICの質の高さや魅力が広まりつつあるというに、紅白はあのていたらくだったし。
たのむから、オリンピックで音楽レベルの低さを世界にさらけだすようなことだけはやめてほしい。
(地道に良質な活動してるアーティストも、それを支える音楽好きも、それじゃあまりに哀しすぎる。)

〔開会式〕
■ Everlasting Song - FictionJunction

YouTube Vers.

■ Wasted Nights - ONE OK ROCK


〔閉会式〕
■ 果てなく続くストーリー - MISIA


■ 夏の終わりのハーモニー - 井上陽水&玉置浩二(安全地帯)


↑これでいいんじゃね?(笑)
MISIAの「果てなく続くストーリー」、2002ソルトレイク冬期五輪のNHKテーマソングだったけど、も1回!

コロナ禍のなかの五輪だとしたら、こういう歌とか ↓
■ 時代 - 薬師丸ひろ子


あと、パートパートで、↓こういった実力派のパフォーマンス散りばめられたら、式典の質は一気に高まると思う。
(いまの日本のPOP MUSICのレベルはこれだけのものがあるのに、世界にアピールできる絶好の機会をミスミス逃す?)

■ 茜色の約束 - 森 恵

突き抜けた歌唱力!

■ グッドバイ - サカナクション

グループ系だと、楽曲やLIVEの面白さからしてサカナクションもありかもしれないが、彼らは日本人ならではのびみょ~な機微が魅力のような感じもあるので、むずかしいところか・・・?

■ I LOVE... - Official髭男dism

↑ ヒゲダンはメジャー・セブンスの裏拍系なので、こっちの方が入りやすいかもしれぬ。

■ SPARKLE - 山下達郎

いきなり、Webで注目度上昇中の”シティ・ポップ”に振るのもインパクト大かと・・・。
(KOKIAとの鮮烈なコントラスト。こんなの繰り出せる国ってそうそうないよ。)

■ ノーサイド - 松任谷由実

大御所ユーミンの名曲も・・・。

■ I CAN'T EVER CHANGE YOUR LOVE FOR ME - 角松敏生・杏里

こういう「大人な曲」も・・・。
ふたりの余裕あふれるヴォーカルの掛け合いもだけど、バックの面々のつくり出す質感が凄い。
アンサンブルの大切さを実感する一曲。

■ 潮見表 - 遊佐未森

「場」をつくり出してしまう力なら、この人かな。
演奏陣のレベルの高さもハンパじゃない。
いるんだよね、この国には、こういう才能が・・・。

■ Butterfly(バタフライ) - 木村カエラ(カバー)

コード

イントロはカノン進行(15634145)で、そのまま予定調和でいくかと思いきや、やにわに転調してヴォーカル・イン、そしてすぐにサビ。
あとは転調まじりのドミナントモーションの渦だが、バロック系の音階(?)と安定感あるクリシェが効いて破綻しそうでしない。
転調は、0:10(F→E♭/イントロ→サビ)、0:51(E♭→B/サビ→Aメロ・Bメロ)、1:44(B→E♭/Aメロ・Bメロ→サビ)、2:09(E♭→B/サビ→Aメロ・Bメロ)、2:44(B→E♭/Aメロ・Bメロ→サビ)の少なくとも5回はあると思う。
でもって、出だしのF調には結局一度も戻ってこない(笑)

それと、Bメロの1:32~「太陽は沈み」、2:32「たったひとつだけ」の(G#m) C# F# Bmaj7 / (6)2 5 1 、ダブルドミナント使用説あり。
(この節、BがトニックなのでBトニックのドミナントがF(ダイアトニックの5番目)、さらにFのドミナントがC(同)。でもってC# F# Bmaj7は2 5 1進行。) 

あと、
・(今日は)今(Gm)まで(C#dim)の(C7)
・夜は眠(D#7)り(E)朝を待つ(A♭/B♭)
・青(A6)い(E)空(F#m7)を(Esus4)舞(E)う
のコード進行は、dim、オンコード、シックスス、sus4の威力を実感するところ。

1970~80年代は、こういうメジャー・セブンス絡みのオンコードやsus4なんぞは、米国が圧倒的にトップを走っていたけど、いまじゃメジャー・セブンスの代表ジャンルが日本の”シティ・ポップ”だもんね・・・。
こういう職人芸的な曲づくりも、日本がトップレベルでは?(アニソンやボカロ曲にけっこうこの手の展開あり)

■ NEVER ENOUGH - 新妻聖子

ワールド・ワイドのスタンダードナンバーだって、この仕上がりだもんね。

黄金の世代(カラバトU-18世代)、たとえば、佐久間彩加ちゃん、鈴木杏奈ちゃん、熊田このはちゃん、三阪咲ちゃん、富金原佑菜ちゃんあたりでユニット組んでソロとりあう楽曲かましたら、なにせ全員高校生だけに、決定的なダメ押しになるかも・・・。

まぁ、いまの業界の現状じゃ、妄想でしかあり得ないけど・・・。

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追加です。

日本だからね。やっぱりアニメ系はほしいところか・・・。
■ プラネテス - 黒石ひとみ(Hitomi)


そうなると、ゲーム系やボカロ系もいきたいところ(笑)
■ Pure Love,True Love - 中恵 光城


日本を代表する才能として、本来この人は欠かせないと思うが。日本での活動無期限停止中だから・・・。
でも、こういう才能を呼び戻せるのがオリンピックの場だとも思うが。
■ This Love - アンジェラ・アキ


切りがないので、もうやめます(笑)

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2019/08/22UP
東京オリパラ開幕まで1年を切った。
セレモニーについてはプロジェクトチームが組まれ、これとは別に、サザンの桑田さんが『東京オリンピック民放共同企画「一緒にやろう2020」』の応援ソングを担当することが決定している。

でも、これだけのチャンス。業界やプロだけに任せておくのはもったいない。
というか、もう1年を切っているのにプレの動きが鈍すぎるのでは?

■ 日本と西洋の音楽の違い PART 1:音符の数、メロディーのリズムと英語が使われる理由!Japan and Western music differences(音楽 ミスチル 米津玄師 j-pop)

う~ん、そこな! 
日本ではふつうに聴かれているヒット曲も、外から聴くと違和感か・・・。

たしかに現況、海外で人気が高いのは、KOKIAやKalafina(FictionJunction)など、フェミニンで符割りが自然な(ゆったりとした)アーティストのように思う。
そういわれると、梶浦由記さんは、音節を減らすために「梶浦語」をつかっているようにも思える。
(ただしアニソン系は音節の多さや滑舌が驚きをもって聴かれている可能性があるし、Perfumeはいかにも日本的なテクノ&ダンス&演出がアピールしているような気がする。)

■ 孤独な生きもの - KOKIA

海外で人気の高いKOKIA。(こういうアーティストって、世界的にもかなり少ないと思う。)

■ アレルヤ - Kalafina


■ Erato - 志方あきこ


J-POPのメロディのすばらしさや、アニソンをはじめとする透明感あふれるハイトーンボーカルに対する海外の評価は、ここにきてますます高まってきていると思うし、あくまでも個人的感想だが、癒し系ハイトーン曲のレベルの高さは、アイルランドと並んで世界屈指だと思う。

おそらくセレモニー系は「和様モード全開路線」で走ると思うが、アマチュアをふくめたいまの日本の音楽の底力や魅力は、それだけではとてもアピールしきれない。

1970~80年代のシティポップ、小室サウンド、宇多田サウンド、セツナ系、アニソン、ボカロ・・・。
幾多の変遷を経て、いまや世界でも稀なバラエティと質のストックを備えているこの国。(楽曲も歌い手も)
発信のしかた次第では世界中をあっといわせる可能性大だが、このチャンスをみすみす逃す?

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2019/08/24
そのままずばりの動画が見つかったのでリンクしてみます。

■ 東京オリンピック開会式で演奏するアーティストをチェックして見た!!!(Tokyo Olympics 2020 五輪 Opening Ceremony)


作者のリアクションが微妙で面白い(笑)
要は、日本国内での人気に拘らず、ワールドワイドレベルで実力のあるやつらをたくさん出せ!(日本にはいっぱいいるんだから)、ということだと思う。

異論ありませぬ。その通りだと思います。

海外のアンケート?(7:53~)で、ONE OK ROCKが1位になっているのも、そういう視点からだと思う。
Takaのボーカルのスケールの大きさはたぶん天性のもの。インストの技量もばっちり。
■ Wasted Nights - ONE OK ROCK


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本題に戻ります。
黄金の世代?(←みてね!)でも書いたが、名曲とカラオケに鍛えられた、とくに13~20歳くらいの女子の歌唱力のレベルは、世界的にみてもおそらく屈指のものでは?
全国各地で「ご当地48」が生まれたのは、おそらくそんな背景もあるかと思うが、現況、彼女らが「歌のうまさ」で語られる場面はけっして多くない。
外からみたら、いまの日本はもはや「音楽の女神たちが棲む国」かもしれないのに・・・。
↑これ、誇張でもなんでもなく、30年ほども世界中のハイトーン女性ボーカルを聴きあさったうえでの感想です。

■ Everlasting Song - FictionJunction

符割りが自然で、アルト~ソプラノまでの4人それぞれがソロをとれ、コーラスパートも秀逸。そして、高揚感ある曲調。

↑こんな曲が、オリンピックに向かって(応援ソングとして)各地の「歌うま女子4人組」で歌われるようになれば・・・。
たとえば、よけいなプロモかけずにオリパラ2ヶ月くらい前に予選~決勝とし、優勝したら開会式で歌える! とか。
これ、全国各地で盛り上がると思うし、海外からの注目も集まるのでは?
(審査員の選定がむずかしいと思うが、一部、機械採点もありかも・・・。)

でも、五輪絡みでは”大人の事情”があまりに多すぎて、音頭とれる人いないだろうな・・・。

いまのこの国って、音楽に限らずすばらしいものたくさんもっているのに、
ぜんぜん発掘できてなかったり、余計な手を加えておかしくしたり・・・。
いいものは、シンプルにそのまま発信するほうが伝わると思うが・・・。(オーバープロデュース不要)
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