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■ 滝野川寺院めぐり-1(第1番~第6番)

■ 完成版です。3編に分けて再構成しました。

※新型コロナウイルス感染症の感染拡大が収まる気配をみせません。一部で不要不急の外出自粛要請が出されていますし、寺社様が御朱印授与を休止される可能性もあります。
この霊場や札所に興味をもたれた方も、まずは遙拝にとどめ、感染拡大が収束してからじっくりと巡拝されてはいかがでしょうか。




「根岸古寺めぐり」の面白さに味をしめて(笑)、つぎに狙ったのが「滝野川寺院めぐり」で、2017年12月に結願しています。

平成5年7月1日開創の比較的新しい霊場なので、札所配置が整っていて容易に順打ちができます。しかも範囲が広くないので徒歩で巡拝できるのも魅力です。
ただし、一般的な認知度はほとんどなく、ある札所のお寺さんによると「滝野川寺院めぐりの御朱印を求められたのは数年ぶり」とのことでした。

宗派横断的な滝野川仏教会が開創された霊場で宗派は多彩なため、一冊の御朱印帳でまとめて集印していくとすこぶるバラエティに富んだ内容となります。

第1番 宝珠山 地蔵院 與楽寺
 真言宗豊山派 北区田端1-25-1
第2番 白龍山 寿命院 東覚寺
 真言宗豊山派 北区田端2-7-3
第3番 寿徳山 萬栄寺
 真宗大谷派 北区田端5-7-7
第4番 教風山 普光院 大久寺
 法華宗陣門流 北区田端3-21-1
第5番 薬王山 遍照寺 光明院
 真言宗豊山派 北区田端3-25-5
第6番 和光山 興源院 大龍寺
 真言宗霊雲寺派 北区田端4-18-4
第7番 光明山 照徳院 円勝寺
 浄土宗 北区中里町3-1-1
第8番 平塚山 安楽院 城官寺
 真言宗豊山派 北区上中里1-42-8
第9番 仏宝山 西光院 無量寺
 真言宗豊山派 北区西ヶ原1-34-8
第10番 補陀山 補陀楽寿院 昌林寺
 曹洞宗 北区西ケ原3-12-6
第11番 明王山 大聖寺 不動院
 真言宗豊山派 北区西ヶ原3-23-2
第12番 現徳山 妙見寺
 日蓮宗 北区西ヶ原2-9-5
第13番 北龍山 法音寺
 真宗大谷派 北区栄町14-9
第14番 思惟山 浄業三昧寺 正受院
 浄土宗 北区滝野川2-49-5
第15番 瀧河山 松橋院 金剛寺
 真言宗豊山派 北区滝野川3-88-17
第16番 南照山 観音院 寿徳寺
 真言宗豊山派 北区滝野川4-22-1

今回は気合いを入れて、御朱印帳は順打ちで集印してみました。
この方法がよかったのか、札所印が残っていない札所さんでも札番の揮毫をいただくなど、度々ご配慮をいただきました。


第5番光明院の御朱印と第4番大久寺の御首題

16の札所の多くは豊島八十八ヶ所などの現役霊場と重複しているので、ご住職がいらっしゃれば御朱印の拝受はさほどむずかしくはありません。ただ、豊島八十八ヶ所の札所じたいがご不在率が高いので、集印のための出直し参拝は必須かと思います。

日蓮宗と法華宗陣門流の札所がありますが、いずれも快く御首題を授与いただけました。
真宗大谷派の札所がふたつ。うちひとつは「御朱印を出されていない。」とのことでしたが、御朱印帳に参拝記念となるようなものを授与いただけました。
この真宗大谷派の札所は例外対応をいただいたかもしれず、ひょっとすると集印は15に留まる可能性もありますが、当初は2~3箇寺はいただけないものと覚悟していたので、予想以上の拝受数となりました。
札所印が16寺のうち13寺でいただけたのも想定外の収穫(?)で、あまり使われていないためか、印影はどれも綺麗です。

ガイドブックとして、滝野川仏教会が平成5年7月に発行された「滝野川寺院めぐり案内」があります。
いくつかの札所で在庫をご確認いただきましたが、いずれも在庫はなく、北区立滝野川図書館でお借りしてコピーをとりました。

このガイドによると、「『滝野川寺院めぐり』は、滝野川仏教会の会員寺院を、宗派にとらわれることなく巡拝するコースです。」「高齢化がすすむなか、心のゆとりを求める方々が増えています。豊島八十八カ所巡りや江戸六阿弥陀詣りなど、昔からすでに設けられている寺院めぐりをする方は、むしろ増加しています。今回の『滝野川寺院めぐり』は、全国に地域仏教会が沢山あるなかで、組織を巡拝コースに置きかえて、社会と寺院とのコミュニケーションを深めようとする初めての試みであると自負しております。」とあります。
たしかに、平成5年の時点で地域仏教会主導の霊場開創は、先駆的な動きだと思います。

札所は北区内を流れる石神井川に沿って、またいくつかは武蔵野台地の北縁に立地します。
このあたりの石神井川の流れは変化に富み、武蔵野台地にあがっても緑の多い住宅街がつづく風光明媚なところです。
江戸期から桜の名所として名を馳せた飛鳥山もエリア内に含みます。
札所もしっとり落ち着いたお寺さんが多く、ご不在出直し参拝も苦にならない感じがします。(おのおの駅から近いのも心理的に楽。)

これから、発願寺から16番の結願寺まで連載パターンで順繰りにご案内していきたいと思います。

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滝野川寺院めぐりの札所の多くは、昭和22年(1947年)3月15日 、旧 東京35区が22区に再編されたことに伴い北区に統合され消滅した旧 滝野川区域に立地します。
「滝野川」は、石神井川の別称で、このあたりの石神井川の流れが「滝の様に勢いよく」流れていたことに由来するといわれます。
当時の面影は、音無親水公園音無さくら緑地で偲ぶことができます。

音無さくら緑地の案内看板にはつぎのように書かれています。
「石神井川は大部分が台地上を流れているため、ゆるやかな流れの区間が多いのですが、板橋区加賀から下流になると渓谷状となり、水流もかなり急になります。そのため、昔はこの一帯の石神井川は滝野川とその名を変えて呼ばれ、飛鳥山のあたりでは、この地を愛した徳川吉宗のふるさとにちなみ、音無川とさらに名を変えて呼ばれていました。ごうごうと音をたて、流れる川を音無川と呼んだところに、この地と将軍吉宗との深い関係が読み取れます。」

また、このあたりには、王子七滝(王子の七瀑)という名勝がありました。
不動の滝(正受院境内)、稲荷の滝(王子稲荷社の別当寺金輪寺境内)、名主の滝(現 名主の滝公園内)、弁天の滝(金剛寺内松橋弁天境内)、権現の滝(王子神社の別当寺金輪寺内の王子権現境内)などで、いくつかは、滝野川寺院めぐりの札所境内にありました。

江戸期から、王子飛鳥山は桜の名所、滝野川は紅葉の名所として知られ、神社仏閣参詣と併せ日帰りで楽しめる行楽地として親しまれていました。
「吉宗は『春は花、秋は紅葉』の例えにならい、飛鳥山に桜を植えさせる一方で、石神井川の両岸に紅葉を植えさせました。文化文政の頃には、滝野川の紅葉は江戸中に知られ、江戸名所図絵にも『楓樹の名所として其の名遠近に高し』と述べられています。」(音無さくら緑地の案内看板より)

その様子は、錦絵で楽しむ江戸の名所/国立国会図書館Webなどの資料でも情緒ゆたかにあらわされています。


【上(左)】 『飛鳥山』/広重(東都三十六景)(国立国会図書館ウェブサイトから転載)
【下(右)】 『飛鳥山はな見』/広重(広重画帖)(国立国会図書館ウェブサイトから転載)


【上(左)】 『滝野川紅葉』/広重(東都三十六景)(国立国会図書館ウェブサイトから転載)
【下(右)】 『王子滝の川』/広重(東都名所)(国立国会図書館ウェブサイトから転載)

滝野川寺院めぐりは、JR田端駅からはじまります。
田端駅は北口こそそれなりに賑やかですが、南口は降り立ったそばからまったくの住宅街で、山手線の駅前とはとても思えないのどかな空気がただよっています。
ここから南に与楽寺坂を下っていくと、左手に與楽寺が見えてきます。


【絵図】 江戸時代後期の田端村(北区教育委員会の與楽寺前説明板より/出典『江戸名所図絵』)

この坂のそばにはかつて芥川龍之介など文人の居宅があり、いまでも落ち着いたたたずまいを見せています。
芥川龍之介は、あたりの風景を「田端はどこへ入っても黄白い木の葉ばかりだ。夜とほると秋の匂がする」と描写しています。

第1番
宝珠山 地蔵院 與楽寺


北区田端1-25-1
真言宗豊山派
御本尊:地蔵菩薩
朱印尊格:地蔵菩薩
御府内八十八箇所第56番、豊島八十八ヶ所第56番、武州江戸六阿弥陀霊場第4番、大東京百観音霊場第82番、上野王子駒込辺三十三観音霊場第21番、江戸八十八ヶ所霊場第56番、九品仏霊場第3番(上品下生)、豊島六地蔵霊場第1番

 
【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 修行大師像と札所標

発願の第1番は、真言宗豊山派の與楽寺です。

弘法大師の建立とも伝わり、慶安元年(1648年)に寺領20石の御朱印状を拝領、京都仁和寺の関東末寺の取締役寺を務められ末寺20余を擁したとされる名刹です。
『滝野川寺院めぐり案内』には康歴三年(1381年)銘の石塔の存在が記され、寺歴は相当に古そうです。

『新編武蔵風土記稿』(豊島郡之10、国会図書館DCコマ番号21/114)には以下の記述があります。
「新義真言宗京都仁和寺末 寶珠山地蔵院ト号ス 慶安元年八月二十四日寺領二十石ノ御朱印を賜フ 本尊地蔵ハ弘法大師ノ作ナリ 昔當寺へ或夜賊押入シ時 イツク●ナク数多ノ僧出テ賊ヲ防キ遂ニ追退タリ、翌朝本尊ノ足泥ニ汚レアリシカハ、是ヨリ賊除ノ地蔵ト号スト伝フ 開山ヲ秀榮ト云」「鐘樓 寶暦元年鑄造ノ鐘ヲカク」「阿彌陀堂 本尊ハ行基ノ作ニテ六阿彌陀ノ第四番ナリ」「九品佛堂 是モ近郷九品阿彌陀佛ノ内第三番ナリト云」

複数の霊場の札所を兼ねておられ、とくに御府内八十八箇所と武州江戸六阿弥陀で参拝される方が多いのでは。

こちらのご住職は滝野川寺院めぐり開創当時の滝野川仏教会の会長で、そのことから札所1番発願寺を務められているものと思われます。

豊島郡有数の名刹の歴史を語るように、ゆったりとした間口を構えます。
山門は平成29年(2017年)建立で、切妻造本瓦葺の立派な四脚門。
山門左手には修行大師像と、御府内霊場第五十六番、六阿弥陀第四番の両札所標、それに上野王子駒込辺三十三観音霊場の札所標「西國廿一番 丹波國阿のう寺写」があります。


【写真 上(左)】 参道
【写真 下(右)】 霊堂

参道を進むと左手に霊堂。宝形造唐破風向拝の少し変わった雰囲気のお堂です。
その先には鐘楼。さらに進んだ右手にも宝形造のお堂があって、伽藍は整っています。
境内はよく整備され、名刹特有の荘厳な空気がただよっています。


【写真 上(左)】 鐘楼
【写真 下(右)】 右手のお堂と客殿


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 斜めからの本堂

参道正面に本堂。
入母屋造本瓦葺流れ向拝。降り棟、隅棟、稚児棟をきっちり備える堂々たる仏殿です。
水引虹梁両端に雲形木鼻、頭貫上に出三ツ斗、身舎側に海老虹梁と雲形の手挟を伸ばし、中備に板蟇股を置いています。
正面桟唐戸の上に「與楽寺」の扁額。
向拝両脇の花頭窓と身舎欄間の菱格子が、引き締まった印象を与えます。


【写真 上(左)】 本堂向拝
【写真 下(右)】 本堂向拝見上げ

本堂に御座す御本尊の地蔵菩薩は弘法大師の御作と伝わり、盗賊の侵入を追い返された「賊除地蔵」としても知られる秘仏です。

本堂右手が客殿。切妻造桟瓦葺唐破風付きの整った意匠は、本瓦葺の本堂とバランスのよい対比を見せています。

本堂右手脇にも上野王子駒込辺三十三観音霊場の札所標がありますが、こちらは「西國弐拾九番」となっています。
第29番は東覚寺で、標中に「是」「道」の文字があるので、札所導標かもしれません。


【写真 上(左)】 客殿
【写真 下(右)】 阿弥陀堂

本堂向かって右手が阿弥陀堂で、こちらは武州江戸六阿弥陀第4番の札所です。
武州江戸六阿弥陀霊場は、行基菩薩が一夜の内に一本の木から刻み上げた六体の阿弥陀仏と、余り木・末木で刻した阿弥陀仏と聖観世音菩薩を巡拝する八箇寺からなる阿弥陀霊場で、江戸期には女人成仏の阿弥陀仏としてあがめられ、とくに春秋の彼岸に盛んに巡拝されていたようです。(武州江戸六阿弥陀については、第10番昌林寺の記事をご参照ください。)
なお、「滝野川寺院めぐり」とは複数の札所(第1番與楽寺、第9番無量寺、第10番昌林寺)が重複しています。

入母屋造桟瓦葺流れ向拝。水引虹梁両端に木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に板蟇股。
正面板戸の上に「六阿弥陀 第四番」の扁額。
シンプルな虹梁と両脇の連子が効いて、シャープな印象の向拝です。
札所本尊の阿弥陀如来は行基作と伝わります。


【写真 上(左)】 阿弥陀堂の扁額
【写真 下(右)】 本堂と阿弥陀堂のあいだのナゾのお堂

阿弥陀堂の右手、本堂とのあいだにもうひとつ宝形造のナゾのお堂がありますが詳細不明。
お堂の手前に観音様の線刻碑があるので、観音堂かもしれません。

御朱印は本堂向かって右手の客殿で拝受します。ここは5回以上参拝していますが、いずれも揮毫御朱印をいただけました。


【上(左)】 滝野川寺院めぐり第1番の御朱印
【下(右)】 御府内八十八箇所第56番の御朱印


【上(左)】 豊島八十八ヶ所第56番の御朱印
【下(右)】 武州江戸六阿弥陀霊場第4番の御朱印

御朱印は、中央に「本尊 地蔵菩薩」の揮毫と三寶印の捺印、右に「弘法大師」の揮毫。
左下に寺号と寺院印、右上に「滝野川寺院めぐり 第1番」の札所印。
尊格構成は御府内霊場や豊島霊場など、弘法大師霊場と同様です。

こちらに限らず、滝野川寺院めぐりの御朱印は弘法大師霊場の構成に近く、御朱印尊格は御本尊となる例が多いようです。

なお、武州江戸六阿弥陀霊場の御朱印は、中央上部に阿弥陀如来の種子(キリーク)、右に聖観世音菩薩の種子(サ)、左に勢至菩薩の種子(サク)が揮毫された阿弥陀三尊様式で、この霊場の御朱印で複数みられるものです。


第2番
白龍山 寿命院 東覚寺


北区田端2-7-3
真言宗豊山派
御本尊:不動明王
朱印尊格:不動明王
御府内八十八箇所第66番、豊島八十八ヶ所第66番、江戸・東京四十四閻魔参り第35番、谷中七福神(福禄寿)、上野王子駒込辺三十三観音霊場第29番、江戸八十八ヶ所霊場第66番、九品仏霊場第2番(上品中生)、閻魔三拾遺第5番

第2番は、真言宗豊山派の東覚寺です。

第1番與楽寺からほどなく東覚寺に到着です。
複数の霊場札所を兼ね、「赤紙仁王尊」でも知られる寺院です。
『新編武蔵風土記稿』(豊島郡之10、国会図書館DCコマ番号21/114)には以下の記述があります。
「與楽寺末白龍山壽命院ト号ス 寺領七石の御朱印ヲ附セラル 本尊不動ハ弘法大師の作ナリ」

延徳三年(1491年)源雅和尚が神田筋違橋(現在の万世橋付近)に創建。その後根岸御印田を経て、慶長の初め(1600年頃)にこの地に移転したと伝わります。


【写真 上(左)】 赤紙仁王尊と明王堂
【写真 下(右)】 奉納された草鞋

区画整理が進んだ広々とした街区に、赤紙を貼られた赤紙仁王尊の出現はインパクトがあります。
この赤紙仁王尊(区の指定文化財)は寛永十八年(1641年)の背銘があり、当時江戸市中に流行していた疫病を鎮めるため宋海上人が願主建立されたもので、赤紙を自分の患部と同じところに貼って願をかけると霊験ありと信じられ、いまもたくさんの赤紙が貼られています。


【絵図】 慶応2年頃の石像金剛力士像の様子(北区教育委員会の現地説明板より/出典『御府内八十八ヶ所道しるべ』/国立国会図書館提供)

ときどき赤紙を剥がすそうですが、剥がす前のタイミングだと石造の仁王尊は赤紙に貼り尽くされほとんどお姿が見えません。
病が治癒すると草履を供えるとされ、仁王尊の脇にはたくさんの草履が奉納されています。

この赤紙仁王尊は門前の明王堂(護摩堂)参道に御座しますが、もともとは当寺が別当を務めた田端八幡神社の参道に安置されていたと伝わります。


【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 本堂

山門は新しいですが本瓦葺、二軒の平行垂木を備えた立派なものでおそらく薬医門。
正面本堂左手前の修行大師像と金色の金剛界大日如来坐像、向拝欄干には御本尊不動明王の御真言とお大師様の御寶号が掲げられ、保守本流の真言宗寺院の空気感。


【写真 上(左)】 修行大師像
【写真 下(右)】 向拝

本堂は入母屋造銅板葺流れ向拝。
水引虹梁両端に雲形の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に海老虹梁、中備に板蟇股。
正面桟唐戸の上に「白龍山」の扁額を掲げています。


【写真 上(左)】 向拝見上げ
【写真 下(右)】 札所標

本堂左手客殿前には金色の阿弥陀如来坐像、その奥に「九品佛第二番 阿弥陀如来」と西國廿九番(上野王子駒込辺三十三観音霊場、札所本尊馬頭観世音菩薩)の札所標が並びます。
九品佛霊場は江戸時代開創の古い霊場で発願は巣鴨の真性寺、結願は板橋の智清寺。東覚寺は第2番で上品中生の阿弥陀如来です。
両霊場ともに御朱印の有無をお伺いしましたが、いずれもお出しになられていないとのことでした。


【写真 上(左)】 鼓翼(はばたき)平和観音像
【写真 下(右)】 馬頭観世音

庫裡に回り込む手前に、鼓翼(はばたき)平和観音像と馬頭観世音菩薩が御座します。
馬頭観世音菩薩は三面八臂の坐像で、髻に馬頭をいだかれた憤怒相です。
馬頭観世音菩薩は観世音菩薩にはめずらしい憤怒尊で、「馬頭明王」と呼ばれることもあります。
この立派な馬頭観世音菩薩は、上野王子駒込辺三十三観音霊場の札所本尊なのかもしれません。

本堂裏には回遊式の庭園があり、庭内に諸仏が安置されています。
- むらすずめ さわくち声も もも声も つるの林の つるの一声 -
太田蜀山人 / 雀塚の石塔

こちらは江戸・東京四十四閻魔参り第35番の札所で、御縁日に参拝したところ閻魔大王の御朱印は授与されていないとのことで、御本尊の御朱印をいただきました。
閻魔大王は奪衣婆とともに、本堂内に御座されているそうです。

また、歴史ある谷中七福神の福禄寿尊天をお祀りされます。
この福禄寿尊天は、もとは通称「六角山」にあった六角堂(西行庵)に西行法師坐像とともに祀られていたもので、明治に入って当寺に遷座されました。
毎年正月には本堂で御開帳されています。

御朱印は、向かって左裏手の寺務所で拝受します。
こちらも御府内霊場や谷中七福神などメジャー霊場の札所となっているので、揮毫いただけることが多そう。


【上(左)】 滝野川寺院めぐり第2番の御朱印
【下(右)】 御府内八十八箇所第66番の御朱印


【上(左)】 豊島八十八ヶ所第66番の御朱印
【下(右)】 閻魔様の御縁日に拝受した御本尊の御朱印

御朱印は、中央に「本尊 不動明王」の揮毫と種子「カーン/カン」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)、右に「弘法大師」の揮毫。
左下に寺号と寺院印、「滝野川寺院めぐり 第2番」の札所印はお持ちでないとのことでしたが、ご厚意で揮毫の札番をいただけました。ありがとうございました。
尊格構成は、札所印をのぞいて御府内霊場や豊島霊場などの弘法大師霊場と同様です。

なお、東覚寺が別当を務めていた田端八幡神社(北区田端2-7-2、お隣り)でも御朱印を授与されています。


【写真 上(左)】 田端八幡神社拝殿
【下(右)】 田端八幡神社の御朱印


第3番
寿徳山 萬榮寺


北区田端5-7-7
真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
朱印尊格:不可思議光如来


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 寺号標

第3番は、真宗大谷派の萬榮寺です。

この霊場は第3番、第4番に至って一気にマニアック度(?)が高まりますが、これは宗派によるところが大きいと思います。
第3番は真宗大谷派、第4番は法華宗陣門流で、いずれも霊場札所としての例は多くはありません。とくに真宗大谷派、法華宗陣門流とつづく霊場はほとんど例がないのでは。
宗派を超えた、地域仏教界開創の霊場ならではの札所展開といえましょう。

真宗は教義的に御朱印を授与されない寺院が多く(名刹で参拝記念的なスタンプはけっこう出されている)、この宗派の檀家寺に御朱印授与のお願いをすることはいつもは避けますが、霊場札所となると話は別です。
三浦二十八不動尊霊場、三浦二十一ヶ所薬師霊場、行徳・浦安三十三観音霊場、甲斐百八霊場などで真宗寺院が札所となっている例があり、実際、これまでに御朱印を拝受しています。

萬榮寺は、新潟県西蒲原郡中之口村六分の円明寺他4箇寺の東京在住の壇信徒をまとめるために設立された真宗大谷派萬榮教会が前身の、真宗大谷派の寺院です。

こじんまりとした境内。
本堂は近代建築で様式はよくわかりませんが、葡萄茶色の柱と梁が印象的な二層の建物で、上層の屋根妻部には鬼板と猪ノ目懸魚を備えています。

御本尊の阿弥陀如来立像は寄木造で、衣部に金箔、48本の光背を備えられ、江戸時代後期の作といわれています。

御朱印授与は、ベルを鳴らしてのお願いとなります。
こちらは以前お伺いしたときはご不在、今回もお取り込み中のようでしたが快く授与をいただけました。


● 滝野川寺院めぐり第3番の御朱印

御朱印は中央に「南無不可思議光如来」の揮毫と印(内容不明)、右下に寺号の揮毫と寺院印、右上に「滝野川寺院めぐり 第三番寺」の札所印。
真宗の「正信偈」に「南無不可思議光」とあり、「不可思議光」は阿弥陀仏の「智慧」をあらわすそうですから、尊格としては阿弥陀(無量光)如来で、真宗ならではの御朱印(?)のようにも思えます。


第4番
教風山 普光院 大久寺


北区田端3-21-1
法華宗陣門流
朱印尊格:御首題

第4番は、法華宗陣門流の大久寺です。

日蓮聖人を開祖(宗祖・高祖)とし、妙法蓮華経を依拠教典とする宗旨(広義の法華宗)には多くの流れ(門流)があり、その差異を理解するのは甚だ困難ですが、大きくは「所依の妙法蓮華経を構成する二十八品前半の『迹門』、後半の『本門』の関係解釈」、「釈迦をもって本仏とするか、日蓮聖人をもって本仏とするか」により分流しているようです。
前者で「一致派」と「勝劣派」に分かれ、法華宗陣門流は「勝劣派」の、日陣門流(本成寺派)の流れになるものとみられます。

((広義の)法華宗は総じて教義解釈に厳格で、これにより細かく門流が分かれているので、素人が表面的に理解するのは不可能かと思います。)
「勝劣派」には原則御首題を授与されない門流もあるようですが、法華宗陣門流と法華宗本門流は比較的授与例が多いように思われます。

文禄元年(1592年)大久保相模守忠世が一族の菩提を弔うため、越後の名僧・日英上人を招聘、開祖として小田原に創建され、寛永七年(1630年)江戸下谷車坂に移転の後、明治三十六年(1903年)に当地に移転したとされます。
大久保家との所縁がふかく、「おおくぼでら」とも呼ばれているようです。
伊勢亀山藩石川家に養子となっていた忠隣の二男忠総の流れで、石川家の菩提寺でもあります。
また、大正三年(1914年)に田端の上台寺を合併しています。


【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 本堂

さほど広くはないものの、緑が多く手入れの行き届いた境内。
正面に昭和34年(1959年)建立の本堂。入母屋造桟瓦葺流れ向拝。
大棟、降り棟、隅棟、稚児棟、掛瓦のバランスがよく、整った印象の建物です。


【写真 上(左)】 向拝
【写真 下(右)】 向拝見上げ

水引虹梁両端に禅宗様の雲形木鼻、頭貫上に出三ツ斗、身舎側に海老虹梁、中備に板蟇股。
正面桟唐戸の上に「教風山」の扁額。向拝両脇に花頭窓、小壁の欄間に菱格子と、向拝まわりもきっちり整った印象です。


【写真 上(左)】 本堂扁額
【写真 下(右)】 境内

境内には、昔日参拝者を集めた日蓮聖人の伊豆法難の際の「腰掛石」がいまも残ります。

こちらは以前にも御首題をいただいておりますが、そのときも今回もたいへん丁重なご対応をいただきました。
ただし、札所の場合も尊格は御首題なので、ご住職ご不在時は出直し参拝になろうかと思われます。

 
【上(左)】 滝野川寺院めぐり第4番の御首題
【下(右)】 御首題

御首題は、中央にお題目と印(内容不明)、右下に寺号の揮毫と宗派+寺院の印。
右下に「滝野川寺院めぐり 第四番寺」の札所印が捺されています。
こちらは以前にも御首題を拝受していますが、そのときは御首題をお願いしたので札所印の捺印はありません。


第5番
薬王山 遍照寺 光明院


北区田端3-25-5
真言宗豊山派
御本尊:大日如来
朱印尊格:胎蔵大日如来
豊島八十八ヶ所霊場第9番、上野王子駒込辺三十三観音霊場第20番

第5番は、霊場札所の保守本流、真言宗豊山派の光明院です。

『新編武蔵風土記稿』(豊島郡之10、国会図書館DCコマ番号21/114)に以下の記述があります。
「同宗西ヶ原村無量寺末薬王山遍照寺ト号ス本尊大日 薬師堂 聖徳太子ノ作ノ薬師ヲ置ク立像長一尺五寸 観音堂」

天正十九年(1591年)の検地水帳に白髭神社の別当として「光明院」の名があり、創建はそれ以前と推定されますが詳細は不明。
寺伝は寛文四年(1664年)、朝海法印による再建を伝えます。
古くは医王山、白髭山の山号を号し無量寺の末寺でした。


【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 寺号板

閑静な住宅街にあるこのお寺さんは光明院幼稚園を併設されていて、平日昼間の境内は園児たちが元気に遊びまわり、当然のことながら門扉は固く閉ざされています。

1回目、豊島霊場の参拝でお伺いしたときは時間が遅く、園児や親御さんもおおむね帰宅して落ち着いていましたが、2回目、滝野川霊場の参拝時はちょうど帰宅時で境内は園児と母親達で大盛況。ここに男性1人で踏み込むのは相当気合い?が要りそうですが、このときは連れ同伴だったので大手を振っての?参拝です。
(じつはこの日、2人併せて平日休をとり、昼過ぎに東京国立博物館の運慶展に赴いたのですが、あまりの大混雑に嫌気がさし、一旦滝野川霊場の参拝に回り、少しく空いてきた夕刻から突入したのでした。)

参道は幼稚園側にありますが、高麗門の格子戸は閉まっていて入れません。
本堂側に回り込むと開き戸(幼稚園出入口)があり、門脇のインターフォンから参拝の許可をいただきます。

いずれも通用門そばに先生がおられたので、お声掛けすると快く本堂(庫裡)にご案内いただけました。(3回目は、たしかインターフォンを鳴らしたかと思います。)
3度ともご住職、大黒さんにお会いできましたが、温厚で上品なお人柄のように感じられました。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 左手からの本堂


【写真 上(左)】 向拝
【写真 下(右)】 向拝見上げ

昭和50年(1975年)再建の本堂はコンクリ造で寄棟造銅板葺流れ向拝。
コンクリ造のためか向拝柱はなし。細部の意匠が効いていて、コンクリ造のお堂にありがちな無機質感はありません。
ただし、かなり離れたところに柵があり賽銭箱もないので、お参りはいささかしにくいです。


【写真 上(左)】 本堂扁額
【写真 下(右)】 境内の西國第20番を示す札所碑

1回目、豊島霊場のときはスムーズに御朱印を拝受できましたが(最近、豊島霊場の巡拝者が増えている模様)、2回目に滝野川寺院めぐりの御朱印を申告すると、いささか驚かれたご様子でした。
やはり、滝野川寺院めぐりの参拝者はすこぶる少ないそうです。

3回目、上野王子駒込辺三十三観音霊場に至っては、大黒さんは??モードでしたが、「西國20番」と言い直すと合点がいかれたらしく、無事、ご住職から御朱印を拝受できました。
本堂手前の観音様(札所碑あり)が札所本尊ではないか、との由でした。

上野王子駒込辺三十三観音霊場じたいが正式名称ではなく(東都歳時記に「上野より王子駒込辺西国の写三十三所観音参」とある)、御朱印授与の札所も少ないですが、北区のある札所寺院様によると、最近、この霊場で申告されるケースが増えている感じがする、との由。
御府内、豊島などのメジャー霊場には参画されていない寺院も複数含まれているので、復活があるとうれしいです。(廃寺が複数ありますが・・・)
↑の札所印や、谷中の長安寺(第22番)で本堂扁額横に「西國三十三ヶ所寫」の札所板が掲げられていることなどから、「西國三十三ヶ所寫(観音)参り」とされていた可能性があります。

また、府内七薬師霊場第2番札所との情報がありますが、この霊場じたい調べがついておらず、現在のところ詳細不明です。(東都七仏薬師とは異なるようです。)


● 滝野川寺院めぐり第5番の御朱印

中央に「大日如来」の揮毫と胎蔵大日如来の種子「ア」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
左下に院号の揮毫と寺院印、右下に「滝野川寺院めぐり 第五番寺」の札所印が捺されています。
御朱印の構成は、札所印をのぞいて豊島霊場と同様です。


【上(左)】 豊島八十八ヶ所霊場第9番の御朱印
【下(右)】 上野王子駒込辺三十三観音(西國写)霊場第20番の御朱印


第6番
和光山 興源院 大龍寺


北区田端4-18-4
真言宗霊雲寺派
御本尊:両部大日如来
朱印尊格:胎蔵大日如来
豊島八十八ヶ所霊場第21番、弘法大師 御府内二十一ヶ所霊場第17番、御府内八十八箇所第13番(不詳)

第6番は、真言律宗の流れを汲むとされる真言宗霊雲寺派の大龍寺です。

『新編武蔵風土記稿』(豊島郡之10、国会図書館DCコマ番号21/114)に以下の記述があります。
「眞言律宗湯嶋靈雲寺末 和光山興源院ト号ス 古ハ不動院浄仙寺ト号セシニ、天明ノ頃僧観鏡光顕中興シテ今ノ如ク改ム 本尊大日ヲ置 八幡社 村ノ鎮守トス 稲荷社」

創建は慶長年間(1596-1615年)。
当初は新義真言宗で不動院 浄仙寺と号していましたが、安永年間(1772-1780年)に湯嶋靈雲寺の観鏡光顕律師が中興し、現寺号に改称しているようです。
俳人の正岡子規をはじめ、横山作次郎(柔道)、板谷波山(陶芸家)などの墓所としても知られています。


【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 墓所を示す境外の石碑

こちらは原則月曜はお休み(閉門)なので要注意です。
山門は三間三戸の八脚門ですが、脇戸にも屋根を置き、様式はよくわかりません。
主門上部に「和光山」の扁額。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 右手からの本堂露天

本堂は二層で、入母屋造本瓦葺様銅板葺で流れ向拝、階段を昇った上層に向拝を置いています。
すっきりとした境内に堂々たる伽藍。このあたりは、霊雲寺派総本山の霊雲寺にどことなく似通っています。


【写真 上(左)】 向拝見上げ
【写真 下(右)】 本堂扁額

水引虹梁両端に草文様の木鼻、頭貫上に斗栱、身舎側に彩色の海老虹梁と手挟、中備に葵紋付き彩色の板蟇股。
正面に「大龍寺」の扁額と、これを挟むように小壁に彩色の蟇股がふたつ。
身舎出隅の斗栱にも彩色が施され、二軒の平行垂木もよく整って華やかな印象の本堂です。

このところ巡拝者が増えているとみられる豊島八十八ヶ所霊場の札所なので、御朱印は手慣れた対応です。
滝野川寺院めぐりの御朱印についても、特段驚かれた風はありませんでした。

こちらはWeb上で、「弘法大師第13番」の札所印(揮毫)の御朱印がみつかります。
一瞬「御府内二十一ヶ所霊場」のことかと思いましたが、こちらは第17番。
Web上で調べてみると、どうやら御府内八十八箇所第13番の札所らしいのです。

近年メジャー霊場化している御府内八十八箇所は、番外等の札所はありませんが、第19番が2つあること(板橋の青蓮寺と南馬込の圓乗院)は知っており、いずれも御朱印は拝受していました。

しかし、第13番についてはノーマーク。Web検索でも確たる情報は出てきません。
通常、第13番は三田の龍生院がリストされています。
御府内第13番は、もともと霊岸島にあった圓覚寺で、龍生院に引き継がれたとされていて、大龍寺との関連は不詳です。
御府内八十八箇所は結願したつもりでしたが、知ってしまった以上は、参拝し御朱印を拝受したいところ。

仔細がおありになるかもしれないので、御府内霊場についての詮索めいた質問は控えました。
淡々と「御府内霊場第13番」の御朱印をお願いし、淡々とお受けいただき、淡々と拝受しました。
なお、真言宗霊雲寺派総本山の霊雲寺は、御府内八十八箇所の第28番の札所となっています。
真言宗霊雲寺派は東都を拠点とする宗派で、その霊雲寺派が江戸の弘法大師霊場である御府内八十八箇所の一画を占めているのは、頷けるものがあります。


【上(左)】 滝野川寺院めぐり第6番の御朱印
【下(右)】 豊島八十八ヶ所霊場第21番の御朱印

中央に「本尊 大日如来」の揮毫と胎蔵大日如来の種子「ア」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
左下に寺号の揮毫と寺院印、右下に「滝野川寺院めぐり 第六番寺」の札所印が捺されています。
御朱印の構成は、札所印と種子「ア」の様式が豊島霊場とは異なります。


【上(左)】 御府内八十八箇所第13番の御朱印(専用納経帳)
【下(右)】 御府内八十八箇所第13番の御朱印(御朱印帳)

(第7番へつづく)

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滝野川寺院めぐり-1(第1番~第6番)
滝野川寺院めぐり-2(第7番~第11番)
滝野川寺院めぐり-3(第12番~第16番)

【 BGM 】
■ I Will Be There with You ~日本語版~ - 杏里


■ 空に近い週末 - 今井美樹
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