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台風

2019-10-13 09:48UP

今回被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
また、一日も早い復旧をお祈り申し上げます。
救援・救護に当たられている方々には頭が下がります。
くれぐれも安全に気をつけて作業にお当たりください。

おそらく955hPa程度で西伊豆に上陸し、町田、埼玉西南部、つくば市付近を通過、首都圏の人口密集地が台風の進路右側(東側)に入る最悪のコース。(→進路データ
上陸時945hPa以下の勢力だったら、首都圏が壊滅していた可能性さえある。

台風は、雨雲を列状に伸ばすレインバンドという雨域をもつが、今回はそれとは違って巨大で活発な雲域を北側(進行方向サイド)に伴っていた。
まるで、前面にひとつ前衛の台風を伴っているかのようだった。
南アルプス、箱根、丹沢、奥多摩、秩父、西上州、安蘇、茨城などの南東斜面に台風からの南西風がぶつかり、総雨量500mm~1,000mm超にも及ぶ広範囲の豪雨となった。

山間豪雨型の台風でもあったので、支流を集める大河川の氾濫、堤防決壊が相次いだ。
千曲川の源流は奥秩父や西上州。台風の進路から外れていたエリアでも、上流が豪雨に見舞われればこういう事態になってしまう。
被災エリアがあまりに広すぎて全容がつかめていないが、被害はさらに広がる可能性がある。

メディアは台風が来てから「数十年に一度」を連発してたが、やっぱり遅すぎでしょ。(↓に書いたとおり。)
だって、ふつうに数日前から予想できたから・・・。

都市開発が進み、以前は人が住んでいなかった低地や海沿いも住宅地になっているのだから、人的な被災リスクはむしろ高まっている。
国土強靱化(ナショナル・レジリエンス)を早急に進めなければならないと思うし、その財源としてMMT(現代貨幣理論)議論も活発化するかもしれぬ。


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2019-10-12 08:30UP

えらいことになりました。
進路予想図によると、本日18時には石廊崎の西南西 約30kmで945hPa(最大瞬間風速60m/s)、0時には上陸して960hPa(最大瞬間風速55m/s)だから(予想データ)、
945hPaか若干弱まった程度(最大瞬間風速55~60m/s)での上陸を示している。
だから先日の台風15号より強い勢力での上陸が予想されているということ。

問題は進路。
↑によると、1.駿河湾コース、2.相模湾コース、3.東京湾コース、4.房総半島上陸コース の4パターンが考えられるが、どれをとるかによって被害(と被災エリア)が大きく異なると思う。
前回15号は3.東京湾コースだったが、西側の伊豆半島・三浦半島より、東側の房総半島のほうがはるかに被害が多かった。
↓に書いたとおり、台風の東側(右側)は風が強くなる傾向があるため。(「危険半円」という言葉もある。)
1~4で、それぞれ台風の東側(右側)に入るエリアがちがうので、これにより被害(と被災エリア)が大きく異なるということです。

被害については、仮に945hPaで上陸した場合、関東では空前絶後なので想像がつきません。
逐一メディアでご確認をお願いします。

メディアでは、「昭和33年の狩野川台風に類似」と報じられているが、神奈川県東部に上陸したときの中心気圧は960hPa。
945hPaでの上陸となると、勢力はそれよりかなり強い。
だから、暴風や高潮の被害は狩野川台風より深刻化する可能性もあるのでは?
(雨台風ということもある(大雨への警戒喚起)が、関東にこれほどの強い台風は来たことがないので、関東上陸の強い台風として引き合いに出されているのかも。大雨・暴風・高潮の3点セットということでは、むしろ伊勢湾台風(930mbで上陸、昭和34年)に状況が近いのでは・・・?)

なお、雨雲の降雨の状況はこちら(雨雲レーダー)で確認できます。

被害が最小限で留まるよう、ただただ祈るのみです。


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2019-10-11 09:28UP

台風19号、西寄り進路を保ったまま。このままいくと首都圏直撃の最悪コースか?
台風もそうだが、今回、北東の高気圧の罪が重い。

今朝のワイドショー関係、「史上最強クラス」とか、「10mの高潮」とか、「高層ビルでは風速100m」とか、一気にヒートアップ。なにこれ・・・。

仮に940hPaで上陸したとすると、1951年からで史上10位(ランキング)、ただし、それ以前に911.6hPaの室戸台風、916.1hPaの枕崎台風などがある。
ただし、これらはすべて西日本、東日本では統計上からも「史上最強クラス」となるので表現がむずかしいところだが、昨日から940hPaは予想されてたし統計データだって調べればすぐわかるので、専門知識はなくとも「(東日本では)史上最強クラス」という予想は打てたはず。

今回、どういう被害が出て、どういう初動がとられるかはわからないが、事前のマスコミ報道の内容は問われるかもしれない。

現時点で、東寄り・房総沖に逃げるコースは紙一重で残っている。
なんとか、このコースとなることを祈るのみです。


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2019-10-11 02:32UP

台風19号、こいつはやばい。
おととい(10/9)、一旦東向きに転向しかかったかに見えたが、その後進路を西寄りに戻しやがった。
おそらく、北東にいる高気圧が頭をおさえているためだと思うが(天気図)、こうなると、東寄り・房総沖に逃げるコースはもはや望み薄か?
しかも現時点の中心気圧920hPaって、本当にやめてほしい。

さきほど(10/10夜)のいくつかのニュース、「今年最強クラス」ってなんぼなんでも表現よわすぎでしょ。
すくなくとも「ここ数十年来で最大級」くらいの表現でもいいくらいのブツでは?
それに「台風15号と同程度の暴風」って、進路や勢力の変化にもよるけど、予想データからすると「台風15号以上の暴風となるおそれ」では?
TV局には気象予報士もたくさんいるだろうに、もっと表現に気をつかってほしい。
(今回、気象庁や日本気象協会は早い段階から、「めったにない大雨や暴風」というかなり強い表現を使っていた。このニュアンスがどれだけ世間に伝わっているか・・・。)

衛星画像の雲がみたこともない異様な立体感をもっている。
これって、もの凄く発達した積乱雲では?
これがかかったらおそらくハンパじゃない豪雨になると思うし、雲域の広さからしてこれが長くつづく。
大潮と重なるし、直撃されたら高潮あぶないと思う。

どこかで2度目の転向を図り、高気圧を押し込んで(考えにくいけど)、房総沖に逃げるコースとなることをただただ祈るのみです。

絢香 - 手をつなごう



【台風15号 2019-09-08~09】
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2019-09-22UP

今回被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
また、一日も早い復旧をお祈り申し上げます。

いまさらながら初動の判断や対応が問題になっている。
千葉市の風速データは、Web上で確認できる限り1966年からだが↓
過去の風速データ
今回の最大瞬間風速57.5メートルがいかに並外れた数値であったかが、統計からもみてとれる。
1966年からのダントツ最大値なので、少なくとも53年に一度の大暴風(おそらくもっと稀だと思う)であることが確定している。
かつて経験したことのない、あるいは想定していないレベルの暴風だったので「被害の予想がつかない」ということはたしかにあったのだと思う。
風速は地形の影響を受けやすいし、台風の風は「息をする」(瞬間的にもの凄く強くなる)ので、局地的な最大瞬間風速は60メートルを超えていたのでは?
また、これまでの最大瞬間風速はだいたい西寄りの風で記録しているが、今回は不意打ちともいえる南東風で、これも被害を大きくした可能性がある。
夏~秋にかけての最大瞬間風速はたいてい台風接近時に記録されるから、今回の台風が滅多にないコースを辿ったことがこの点からもわかる。

大地震は定期的にはこないけど、台風は毎年何個も来る。
だから、地震災害にくらべて軽くみられがち、ということはあるのかもしれない。
前例となってしまうので、激甚災害指定についても慎重にならざるを得ないのかも。
でも、今回のは少なくとも53年に1度の災害。この認識がもっと必要だったかも・・・。

当初、高圧送電線鉄塔の倒壊がメディアで大きくとりあげられた。
これが停電の主要因であれば、迂回ルートの活用によりもっと早くに復旧していたと思う。
東電の当初復旧予想もこの視点からだったような感じがする。

でも、かなり早いタイミングで、多数の電柱の倒壊と、まだら模様の停電地域も報じられていた。
だから、専門家であれば「やっかいなのは高圧線鉄塔の倒壊ではなく、多数の倒木や電柱の倒壊。そして個別対応が必要なこの復旧には相当な時間が必要。」という予想は容易についた筈。
ただ、現地に行ってみないと具体的な対応策が立てられないので、「いつまでに復旧」という見通し立てはすごく難しかったのだと思う。

だから、やっぱり誰が悪いとか、責任はどこにあるとか、そういうはなしではないのでは・・・。想定外だったから。
知事あたりが即時緊急対応要請をする、という手はたしかにあったと思うが、発生当初はこの状況が把握できていなかったのでは。メディアだって初動の報道は遅れていたような・・・。
市町村から情報が上がって来ないなら、とりあえず県から人員を派遣すべきだった、という意見もあるがこれは結果論かと。後からならなんとでも言える。
地元を知悉しているのは市町村だし、個別対応だらけの今回の様なケースは、県職員が入っても動きようがなかったのでは?
実際、早くから各地の電力会社から支援部隊が駆けつけていたが、個別の現場情報が入らないので木更津でウェイティングしていた。
いまさら犯人さがしをしてもしょうがないし、それよりは、”50年に一度”レベルの激甚災害が起きた場合の今後の対応指針をきっちり定める方が前向きだと思う。

日本近海の海水温は年々上がっているという見方があるのだから、今後台風の破壊力はますます激甚化するおそれがある。
高気圧のあいだを割って北上、なんていう反則ルートも今後は増えていくのでは?(ふつう、台風は高気圧の縁を回り込んで進むとされている。)

60メートル近い暴風によって、実際にどういうことが起こり、どういう被害がもたらされたのか・・・。
そして本当に必要だったのは何か?
多くの被害と犠牲を伴って得られたファクターを教訓に、速やかに国土強靱化を図っていくのが現実的な手立てなのだろうと思う。

ps.
雨雲レーダーを見ると、現時点で台風17号は熊本の西の沖合にいることがわかる。
すでに目は崩れているけど、それでもはっきりとみてとれる。
やっぱり現況把握には有効なツールだと思う。

Web上の気象情報(とくに台風情報)が官民入り乱れて、どれが最新情報かわかりにくくなっている。
運営者サイドの様々な思惑もあるのだろうけど、わかりやすく一元化(ポータル情報化)した方がいいような気も・・・。


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2019-09-09 23:24:32UP

中心気圧が965hPaから955hPaに再発達って、これはえらいことになると思った。
そして、中心は相模湾から東京湾へ・・・。
台風は陸地が嫌いなので、相模湾から三浦半島を乗っ越して東京湾に入ったのだと思う。

なんで「相模湾上陸は首都圏にとって最悪コース」かというと、横浜・川崎や東京都区部などの人口密集地が台風の東側(進路右側)に入ってしまうから。
(北半球では台風の東側は、台風そのものの風と台風を押し進める力が合わさって、とくに風が強くなります。)

これが東京湾コースを進むと、もっとも危険なエリアは東京湾の東に位置する千葉、ということになる。
そして午前4時28分。千葉市中央区の最大瞬間風速57.5メートル・・・。
最初、この情報をきいたとき、なにかの間違いだと思った。それほどのもの凄い風速。

建物の耐風性能は風荷重、あるいは風圧力であらわされるが、このベースとなるのが基準風速
関東周辺では基準風速(最大風速=10分間の平均風速ベース)は、概ね30メートル台に設定されている。
最大瞬間風速は最大風速の1.5~3倍ほどになるともいわれているので、今回の57.5メートルとの単純比較はできないが、
それでも「想定外の暴風」であった可能性がきわめて高い。
報道でみる限り、千葉市中央区より市原市や君津市の被害が大きそうなので、この両市では局所的に60メートルちかい最大瞬間風速となっていたのかもしれぬ。

今回、外の状況と雨雲レーダーを夜通し見比べていた。
台風の目(中心)が三浦半島を通って東京湾に入っていく様が、10分遅れで克明にあらわされていた。
リアルタイムな状況把握という点では、これがベストツールでは? (ゲリラ豪雨のときなど、よく使います。)

そして二次災害。

交通パニック。週はじめの月曜だから「どうしても出なくてはいけないイベント」が多かったはずだし、これも混乱に拍車をかけたと思う。
JRは始発から8時までの計画運休を発表していたが、こんな規格外の暴風を喰らった以上、8時復旧はとうてい無理筋だと思う。
でも、利用者としてはそれを信じるしかないし・・・、という・・・。
それに「状況により自己判断で」とかいわれたら、石にかじりついてもとにかく出社、つうのがふつうの日本人だから・・・。
誰が悪いとか、責任はどこにあるとか、そういうはなしではないと思う。

大規模停電。
これも、誰が悪いとかどうとかではないと思う。すべてが想定外だから・・・。
一刻もはやい復旧を祈るしかないです。

それと、この気温で無空調だと、すぐさま過酷な状況となるので、停電地域の方はくれぐれも熱中症にご注意を。

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20年ほども昔だけど、気象予報士の学科試験合格したことあるので(実技は力尽きたけど)、
ついつい思いつくままに書いてしまいました。


2019-09-08 19:07:14UP

台風15号(FAXAI)、大騒ぎになってますが、
本日朝の段階で、すでに予報円全域が陸地にかかっていた。
それでもニュースや天気予報では、「関東に接近する見込み」とかぬるい表現を使っていた。
朝の進路予想図からすると「関東付近に上陸する可能性が極めて高い」あるいは「首都圏直撃の可能性大」の表現が妥当だったのでは??

相模湾上陸は首都圏にとって最悪コースの筈。(滅多にない)
中心気圧965hPa、最大瞬間風速60m予想ならば、もっと激しく警告してもよかった感じも・・・。

いずれにしても、大きな被害がでないことを祈ります。

小さなてのひら
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■ utsuboの音楽遍歴-5(最終回) (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)

寝不足だけど(笑)、一気にいきます。

1996年春。大学卒業、そして就職。
バブルに向かい景気は昇り調子だったが、新入社員ということもあってしばらくは音楽から距離を置く状況がつづいた。

'80年代中盤以降、洋楽シーンは、ハウス・ミュージック(house music)、トランス(Trance)、ガラージュ(Garage)、ジャングル(Jungle)、ドラムンベース(Drum 'n' Bass)、2ステップ(2 Step Garage)など、ブレイクビーツ系とみられるジャンルがめまぐるしく輩出し、Pop Music/Black Musicといった既成の区分で捉え切れないものになっていた。

仕事にも慣れ、ひと心地ついた頃いくつかかじってみたが、どうもしっくりくるものがなかった。
「もう、洋楽チャートを追っていても面白くない・・・。」 それが偽りのない実感だった。
もともと音楽の聴き方が「流行を追う、最新のものを追う」というものではなかったので、シーンを離れることになんら抵抗はなかった。

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註:ブレイクビーツ系ジャンルが音楽的によくないとか、価値が低いとか、そういう意味ではありません。これだけ広く深く浸透したのはそれだけの理由があるはず・・・。
ただ、わたしは個人的に入り込んでいけなかったということです。
洋楽・邦楽ともにこの系統は深く聴いていないので語る資格はないですが、たとえば、女性Voをfeat.してセツナ系佳曲を繰り出している、WISE、CLIFF EDGE、童子-Tなど、たぶんブレイクビーツの洗礼を受けなければこういう曲はつくれなかったと思う。(Rapのなかで女性Voの活かし方を知っている。)
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1988~90年にかけて、しばらく音沙汰のなかったAORやFusion系の大御所があいついで新譜をリリース。いずれもそれなりのレベルだったが、残念ながら往年の勢いは感じられなかったし、リバイバルブールも長くはつづかなかった。
以降、1995年くらいまで、洋楽ジャンルではBCMやSmooth Jazzなど、いわゆるAC(アダルトコンテンポラリー)とよばれるジャンルに逃げ込んでいた。
DAT(デジタルで録音できるテープ)をゲットしていたので、レンタル店まわりはつづき、これまでに聴き逃した旧譜やAC系の新譜をダビングしまくっていた。


■ Bobby Caldwell 「Heart Of Mine」 (1988)/ '80年代後期AORリバイバルの例


■ Russ Freeman & The Rippingtons 「True Companion」 (1994)/ AC(Smooth Jazz)の例-1


■ Tim Heintz 「Together At Last」 (1989)/ AC(Smooth Jazz)の例-2

そんななか、興味を惹かれたのが1988年にALBUM『Watermark』で日本デビューしたEnyaだった。
Progre/Euro系の流れで、彼女が一時参加していたグループ”Clannad”のLPは何枚かもっていたが、このSoloアルバムはさらにメロディアスでヴォーカルが主役となるものだった。

そういえば、Kate Bushをはじめプログレバンド”Renaissance”/”ILLUSION”のリードヴォーカルAnnie HaslamにMike Oldfieldの作品に参加していたMaggie Reilly、そしてMike Oldfieldの妹Sally Oldfieldなどが好きだったので、もともとEnyaを好む素地があったのだと思う。


■ Mike Oldfield(feat.Maggie Reilly) 「Five Miles Out」 (1982)


■ Illusion(Annie Haslam) 「Face of Yesterday」 (1977)


■ Enya & Clannad 「An tÚll」 (1981)


■ Enya 「Caribbean Blue」 (1991)

彼女らは共通して、US系の女性Artistにはない清楚なヒーリング感をもっていた。
そして調べてみるとアイルランド・ケルト系のArtistが似たような雰囲気の作品を発表していることを知る。
オフィス帰りによくのぞいたレンタルCD店「神保町Janis」でこの系統のCDが充実しているのをいいことに、片っ端から聴きまくった。


■ Celtic Woman 「A New Journey - You Raise Me Up」

AltanCapercaillieMary BlackLunasaMaire BrennanLoreena McKennittMeavThe Corrs ・・・。
とくに、澄み切ったハイトーンのMichelle TumesMeav、Melanie Rossなどはよく聴いたし、新譜もほとんど買った。


■ Méav Ní Mhaolchatha 「I Wish My Love was a Red Red Rose」 (1998)


■ Sissel Kyrkjebø 「You'll Never Walk Alone」 (2002)


■ Melanie Ross 「Hodie Cristus Natus Est + Angels Of Ordinary Times」 (2002)

1996年、Sarah Brightman&Andrea Bocelliによる「Time To Say Goodbye」が大ヒット。いささか情感過多な感じがしないでもなかったが、クラシックのエッセンスをとりいれた流麗なメロディはインパクトがあった。


■ Sarah Brightman&Andrea Bocelli 「Time To Say Goodbye」 (1996)

クラシックとポピュラーミュージックをクロスオーバーしたこの手の音楽は以降「Classcal Crossover(クラシカル・クロスオーバー)」と呼ばれ世界的に人気を集め、Sarah BrightmanのほかCharlotte ChurchHayley Westenraなどがメジャー入りを果たした。
邦楽では本田美奈子が'90年代からミュージカルに進出し2003年にClasscal Crossover的なALBUMをリリース。同年末には平原綾香がホルスト(G. Holst)の組曲「惑星」の印象的なメロディを原曲とした「Jupiter」をブレークさせる。
2006年秋川雅史「千の風になって」の大ブレークにより日本でのClasscal Crossover人気は決定的なものとなった。

ケルト系Artistもよくクラシックをとり入れていたので、ケルト系とClasscal Crossoverは自分のなかで違和感なく混ざり合った。
それらはのちに「ヒーリング・ミュージック」と称されるものだった。
(2007年に「ヒーリング・ミュージック」についておかきこしてたので(忘れてた ^^ )、一応、リンクしときます。)

音楽情報ゲットの方法も大きく変わった。
非メインストリームのACやヒーリング系の情報はマスメディアではあまり得られず、'80年代から読んでいた月刊誌「ADLIB」に頼ることとなった。「ADLIB」情報をもとに中古盤屋やレンタル店でソフトをゲットするという状況が2000年頃までつづいたと思う。
2000年に入りWebの常時接続を導入。従量課金を気にせず思う存分Web閲覧できるこの環境は画期的で、これを境にわたしの音楽情報ツールは一気にPCに移行した。
こうしたこともあっていつしか「ADLIB」は買わなくなったが、2010年4月にこの雑誌は休刊に入っている。

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ここでハナシを邦楽に戻す。
大学までのわたしは間違いなく洋楽志向だったと思う。
むろん、達郎、サザン、Yuming、角松敏生、佐野元春、杏里などビッグネームはふつうに聴いていたし、さりげに松田聖子(とくに初期のLP)なんぞも好きだった。
でも、もっている音楽ソフトを見渡すとほとんどが洋楽・・・。
私的に「洋楽が面白くなくなった」1985年頃から、ぼちぼち腰を据えて邦楽を聴くようになったような気がする。
そして、そのほとんどが女性Artistだった・・・。


■ 今井美樹 「空に近い週末」 (1989)

1986年春に初シングルをOn Sale、翌年早くも「野性の風」のヒットを放ち音楽活動を軌道に乗せた今井美樹。綺麗なハイトーンヴォイスと流れるような旋律は、メロディに飢えていた耳に染み渡るようだった。
以降、今井美樹は相当聴き込み、LIVEにもたびたび行った。


■ 渡辺美里 「Teenage Walk」 (1986)

1986年にリリースされた渡辺美里の「My Revolution」&「Teenage Walk」(ともに小室哲哉の作曲。)のメロディは斬新だった。
小室氏が後にあれほどのビッグネームになるとは当時は想像もしなかったが、「なんでこんなにフックのあるメロディがつくれるのか・・・?」と不思議に感じたことを覚えている。
1989年、PRINCESS PRINCESSの「Diamonds」「世界でいちばん熱い夏」がブレーク。ブライトにはじける曲調は、Pop-Musicの楽しさを呼び覚ましてくれた。


■ PRINCESS PRINCESS 「世界でいちばん熱い夏」 (1989)

これまではプログレハード、AORやブラコンをメインに聴いていたこともあって、どちらかというと男性ヴォーカルが多かったが、このあたりから女性ヴォーカルに傾倒していくことになる。
これは洋楽もそうなのだが、男性Artistがどちらかというとhip hopやブレイクビーツなどリズム主体の作風に振れていたのに対し、女性Artistはメロディアスな曲を多くリリースしていたことが大きいと思う。
(ex.小室哲哉が絡んだ女性Artistはよく聴いていたが、TM NETWORKはあまり聴いていない・・・。)

考えてみると、男性ヴォーカルにしてからがJon AndesonDavid PackMichael McDonaldSteve PerryJason ScheffPeter Ceteraなどが好みだったので、もともとハイトーン・ヴォイス好きだったのだと思う。
AC系はいまでも聴いているが、そんなこんなで1996年頃からはヒーリング系の比重が一気に高まってきた。(ま~、ACもヒーリング的要素は多分にあるが・・・。)

ここからは別記事→「黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)」と内容が重複するので、よろしればそちらも・・・。

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そして1993年頃から小室哲哉の活動がメジャー的にブレーク。
わたしは「ハイトーンJ-POP(女神系歌姫)」の種は小室哲哉がまいたと思っているので、年表風にまとめてみた。
(なお、ハイトーンでメロディアスな曲調をもつ女性J-POPを「ハイトーンJ-POP」、それらにかかわる女性Artist達を「女神系歌姫」と勝手に銘打ち(~~)、以降、このブログでキーワードとしてつかっていきます。)

<小室系>
1993年 trf「寒い夜だから…」
1994年 篠原涼子「恋しさと せつなさと 心強さと」、trf「BOY MEETS GIRL」
1995年 華原朋美・安室奈美恵プロデュース
1996年 globe「DEPARTURES」、安室奈美恵「Don't wanna cry」、華原朋美「I'm proud」
1997年 安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」、華原朋美「Hate tell a lie」
1998年頃からPOP色をよわめ、実験色をつよめる。その理由はいろいろ憶測されているのでここでは触れないが、これに替わるような絶妙のタイミングで”非小室系”といわれる才能がつぎつきと開花しはじめる。


■ 華原朋美 「I'm proud」 (1996)

<非小室系>
1998年 MISIAデビュー、宇多田ヒカルデビュー、浜崎あゆみデビュー
1999年 倉木麻衣デビュー、小柳ゆきデビュー
2000年 鬼束ちひろデビュー・「月光」、倖田來未デビュー、水樹奈々デビュー、浜崎あゆみ「SEASONS」、倉木麻衣ブレーク
2001年 夏川りみブレーク・「涙そうそう」
2002年 浜崎あゆみ「Voyage」
2003年 平原綾香デビュー・「Jupiter」
2004年 加藤ミリヤデビュー、倖田來未ブレーク
2005年 水樹奈々、オリコンで声優単独名義の当時の最高位(2位)獲得
2006年 綾香正式デビュー・「三日月」、mihimaru GTブレーク、藤田麻衣子デビュー、タイナカ彩智デビュー・「最高の片想い」、竹仲絵里「サヨナラ サヨナラ」、西野カナSMEレコーズと契約締結


■ 絢香 「三日月」 (2006)


■ 竹仲絵里 「サヨナラ サヨナラ」 (2006)

小室哲哉がPOP系楽曲で生彩を失いはじめた1998年にMISIA・宇多田ヒカル・浜崎あゆみなどがあいついでデビュー。
次いで倉木麻衣・小柳ゆき・鬼束ちひろ・倖田來未・水樹奈々デビューなどがデビューしてブレークを重ねる。
2003年には平原綾香がクラシカル・クロスオーバー的にデビュー&ブレークし、翌2004年には加藤ミリヤがデビューと、ほとんど切れ目がない。
2005年には水樹奈々がブレークし、声優系シンガーが注目を浴びる。
特筆すべきは2006年で、内容は↑のとおりだが、ハイトーンJ-POP(女神系歌姫)が一気に芽を吹いた感じで「女神系歌姫元年」ということができるかもしれない。


■ 西野カナ ft. 菅原紗由理 「もっとキミに贈る歌....」・・・ 超絶Re-mix!

彼女たちの曲はメロディを重視し、ハイトーンが伸びる綺麗な声質と、しっかりとしたテクニックを備えていた。
「ひょっとして1990年代後半にアイルランドで起きたのと同じようなことが、J-POPでも起きているのではないか。そしていずれJ-POPのレベルはアイルランド(ケルティック・ウーマン)を凌ぐのでは・・・?」と思いはじめたのが2003年頃。

そのひとつの根拠は楽曲のレベルがとても高くなってきたことだ。
J-POPは、サビメロだけでもたせる水増し的楽曲が目立った時期もあった。
ところが、とくに小室ブーム以降、曲じたいの魅力の高いものが増えてきた。
これみよがしのサビメロではなく、微妙にフックのあるメロを紡いでいくというような繊細かつテクニカルな曲が増えてきた。(ブレイクビーツ系の影響もあると思う。)
こういう曲をこなすには歌唱力が必要だが、そういう才能が輩出したこともその背景にあると思う。


■ 藤田麻衣子 「見えない月」 (2008) ※卓越した作曲&アレンジメント力。

個人的にはABBAを出し、その後もThe Cardigans、ACE OF BASEなどの人気グループを輩出して、日本でも人気のあるSwedish Pop(スウェーデンのPOP)よりはるかに魅力を感じる。(ちなみにスウェーデンは世界屈指のPOPミュージック輸出国。)
「アイルランド(ケルティック・ウーマン)を凌ぐ」という背景には、これらはわりにクラッシックやスタンダードをモチーフにしたものが多かったのに対し、J-POPはオリジナル曲の比率が高いということがある。

■ 荒牧陽子 「Only love(LIVE)」

(超絶的なテクニックで名を馳せる「ものまねシンガー」、荒牧陽子(マキタソ)だって、2008年の時点で、こんなオリジナル曲の名テイクを残している。)

とくに2007年以降「初音ミク」(歌声合成DTMないしVOCALOID(ボカロ)系キャラクター)を媒体として多くの楽曲が創作され、なかには非常にレベルの高いものもあり、これがJ-POP(ないし、アニソン系)のサウンドクリエイターの層の厚さを築いたことは確かだと思う。
ボカロは、イメージそのままにハイトーンやビブラートなどを駆使した曲がつくれるとされ、その意味では(人が)歌うのはむずかしいが、歌いこなせればきわめてクォリティの高い楽曲となる可能性を秘めている。
この切り口からもやはり高い歌唱力をもつ女性Voが求められ、実際につぎつぎと育ってきているのだと思う。

そのわかりやすい例が”歌い手”。
彼女らは、「歌ってみた」という切り口から、おもにボカロ系の難曲を優れた声質と高いテクで歌いこなし、従来からの音楽好きをもうならせている。
そして2014年現在、ボカロや歌い手を抜きにしては日本の音楽シーンを語れない状況となっている。

【例・心做し】
オリジナル・VOCALOID(ボカロ)/GUMI


歌い手/花たん ※ 曲の魅力をきわめて高い歌唱力で見事に表現している。


日本のアニメは各国で高い評価を得ているが、それはストーリー展開やキャラクタ-設定の巧みさ、緻密なグラフィック技術とともにアニソンの果たす役割も大きいのではないか・・・。
また、アニソンはその性格上、ストーリー性や情緒感をもつものが多く、それがリスナーの感情に訴えやすいということもあると思う。(日本独自の繊細な風土や思想などをモチーフにするものも増えてきた。)
さりげにゲーム系の楽曲もレベルが高いのもポイント。


■ 園崎詩音(雪野五月) 「you / thanks (ひぐらしのなく頃に)」 / ゲーム・アニメ系のストーリー性高い曲の例

併行して、J-POPでも「セツナ系」といわれるフォーマット(というか曲調)が人気を集めている。
これはメロディや歌詞が「せつなさ」を感じさせるもので、やはりリスナーのパーソナルな感情に訴えかけるものだ。
「セツナ系」は西野カナ、加藤ミリヤ、JUJU、中村舞子などの「女神系歌姫」が代表格とされ、hip hop/Rap系ユニットとのコラボ(ふつうfeat.とされる)による名曲が多いのも特徴で、中村舞子のように自身のメジャーデビューよりも先にfeat.曲で人気を集める例もすくなくない。

「セツナ系」については別記事→「セツナ曲(唐突ですが・・・)」と内容が重複するので、よろしればそちらも・・・。


■ Because... feat. 中村舞子 LGYankees (2008) / feat.型「セツナ系」の代表曲


■ SPICY CHOCOLATE - あなたと明日も feat. ハジ→ & 宇野実彩子 (AAA) (Vocal Ver.)
(こういう曲は、バブル崩壊以前にはたぶんぜったいつくれなかった。「失われた20年(30年)」がPOPシーンにも大きな影響を与えているのだと思う。)

こうしてみると、J-POPでは「繊細な情緒感」がすこぶる高くなってきていると思うが、これはかつての「四畳半フォーク」や演歌などの「マイナーコードを多用してしっとりと歌い上げる」というものより、むしろメジャー系コードやRap、ブレイクビーツなどをつかいつつこれを醸成していくものが目立つ。 (淡々と流れながらも泣ける・・・ ^^)
「メジャー系コードやブレイクビーツをつかいつつ、繊細な情感を出していく」というのはできそうでなかなかできないので、ここでもJ-POPのレベルの高さがうかがわれるのでは・・・。

このような流れを受けて、わたしの軸足は次第にケルト系からハイトーンJ-POP(女神系歌姫)に移っていった。


■ 志方あきこ 「西風の贈り物」 (2005) ※クラシックや民族音楽の要素も。


■ Sachi Tainaka 「Saikou no Kataomoi (最高の片想い)」 - Live 2007 Concert ※フラジオレット!

ヒットしていたメジャーArtistはマスメディアでも聴けたし、レンタルCDでもゲットできた。
ただ、同系の非メジャーArtistなどを本格的に聴きはじめたのは、YouTubeで視聴できる曲が増えてきた2006年後半あたりからではないか。
わたしのはじめての音楽記事カキコ(2007/03)はたしかYouTubeに触発されて書いたのでたぶん間違いないと思う。

2008/06にはAOR系の名曲紹介をYouTubeブログ埋め込みで紹介しているので、この頃にはWeb音楽環境はいまとさして変わらない状況にあったと思う。(アップロード曲は格段に増えているが・・・)
いずれにしてもYouTube、Dailymotion、ニコ動などで縦横無尽にWeb検索できるようになったことが大きい。

1980年代後半~、Enyaを意識したかどうかわからないが、プログレ系に透明感高い美声Artistたちがいた。
ベースがプログレというか、かなりマニアックな作風なので、なかなか聴きやすい曲を歌ってくれないのだが、きまぐれのように提供してくれるヒーリング曲は抜群だった。
ただし、2000年以前ではWeb検索の完成度が低かったので、「知らないと聴けない」状況だった。
レンタルや中古でも入手しにくいジャンルだったので、同系Artistをリアルタイムでしっかり抑えていた自信はない。


■ 遊佐未森 「ロカ」(Ruby Grapefruits Version) (1997)


■ 上野洋子(協和発酵 焼酎「かのか」CM・・・たぶん2003年頃?)
※この手のArtistはなかなかメジャーシーンに出てきにくいのだが、たとえば協和発酵 焼酎「かのか」CMで、その癒しヴォイスが大きな反響を呼んだ上野洋子(ZABADAKの結成メンバー)など、巧くプロモートすればブレークできる環境は整っていたのだと思う。
この曲、さんざ探したのだがどうやらリリースされておらず、世理奈のバージョン(2005)のみみつかります。

遊佐未森、上野洋子ともにクリエイター集団との係わりが強く、彼らからその「美声」を買われていた感じがある。
そしてのちに誕生する、I'VE(KOTOKO、詩月カオリ、川田まみ、MELLなどが在籍)、HoneyWorks(ハニワ)、supercellなどのクリエイター集団や菅野よう子、梶浦由記などのクリエイターが「女神系歌姫」を育んだことは間違いないと思う。


■ KOTOKO(I'VE) 「Imaginary Affair(こなたよりかなたまでOP)」


■ 川田まみ(I'VE) 「For our days(そして明日の世界より) LIVE」


■ くゆり 「君の知らない物語」(supercell)


■ 梶浦由記(&FictionJunction) 「Everlasting Song LIVE」

↑でも書いたが、ゲーム系やアニメ系などは、Web検索環境がないとほとんどアプローチ不可だと思う。
「レコチョク」でも限定配信曲がかなりあるので、やはりWeb動画の存在が大きくなる。
とくに「セツナ系」はレコチョクから火がつくことが多かった。(Web動画で視聴できるものがかなりある。)
Web動画検索は同系の雰囲気をもつ楽曲を関連検索でがしがし引っぱってくるので、無名Artistをプロモートする効果も高い。
そして「ニコニコ動画」にアクセスすれば、ハイレベルな”歌い手”たちのテイクがずらりと並ぶ。


■ 桜ほたる(sana) 「ここにあること」


■ みにゅ 「SterCrew」

2006年以後、「女神系歌姫」系は声優系Artistや”歌い手”を巻き込んで質・量ともに充実の一途をたどり、いまや本場アイルランドを凌ぐのではないか、という点は↑や「女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)」にも書いたとおりだ。

そして、ここ数年で一挙に輩出したカラバトU-18の逸材たち・・・。
彼女たちは、また一段ちがう歌唱力をもっているように思う。
なぜ、そうなったのかは黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)をみてね。(あくまでも個人的憶測ですが・・・)
ひとことでいうと、彼女たちはおそらくこれまで書いてきたファクターのすべてを身につけている。
それに、オリジナル曲に縛られず、時代の流行にかかわらず、好きな曲を自分なりの解釈で歌い上げている点も見逃せないポイントかと・・・。

と、まぁ、これでようやっと「カラバトU-18黄金世代説」に話がつながりました・・・(笑)
ながながと書き連ねてきたけど、やっぱりこれは「必然」。
そして彼女たちはきっとかけがえのない日本の宝物になっていくのだと思う。
楽しみ。楽しみ。


■ 三阪咲 × 富金原佑菜 「Y / C&K」


■ 佐久間彩加 「三日月」


■ 熊田このは 「明日への手紙」


■ utsuboの音楽遍歴-1 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
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■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)

1983年から1984年にかけて起こった洋楽シーンの変容は、わたしにとって大きな転機となりました。
ここではその状況について書いてみます。

〔 失速 / AORの巻 〕
百花繚乱の様相をみせていた'82年の洋楽シーン。
だが、このころからAORシーンの変質がびみょ~に気になりだしていた。
ディールを得ていたAORに他ジャンルからの参入があいつぎ、MORやカントリーシーンからもAORライクなアルバムがつぎつぎと送り出された。
Jesse Colin Young『The Perfect Stranger』('82)、Lee Greenwood、『Somebody's Gonna Love You』('83)、Larry Lee(Ozark Mountain Daredevils)『ロンリー・フリーウェイ(Marooned)』('82)などがその好例だ。


■ Larry Lee 「Don't Talk」 (1982)

彼らは個性も実力もあるので、なかなかのアルバムに仕上がっているが、「そいつは違うんでないかい?」と感じたのが、ベタでMORチックな新人が”AORの新星”とかタイトルされ売り出されてきたことだ。
リズムやアレンジが複雑なAORでは歌の巧さが高度に要求されるが、そこまでの実力も経験もない新人がつぎつぎと参入してきた。

ところで、当時洋楽(AOR)好きのあいだで常識となっていたのが「クレジット買い」だ。
これはなじみのないアルバムを、裏ジャケに載っているバック(スタジオ)ミュージシャンの顔ぶれ(=credit)を確認して買うというもので、当時のAORシーンでバック(スタジオ)ミュージシャン達がいかに重要なポジションを占めていたかがわかる。

これら経験豊富な一連のバックミュージシャンのセッションは抜群に安定していて、MORだろうがカントリーだろうが持ち前のワザとセンスで洒落たAORに仕立ててしまう。
なので、上にあげたAORへのシフトは、「AOR系バック(スタジオ)ミュージシャンの起用」でほぼ9割方達成されるといっても過言ではない。


■ 名うてのスタジオミュージシャンがサポートしたBoz Scaggs1976年のLIVE

裏返していうと、生半可なボーカルだと完璧にバックに喰われてしまう。
じっさい、AOR後期('82年~)にはバック一流、ボーカル三流という、だれが主役だかわからないアルバムがいくつも出された(あえて例はあげぬが・・・(笑))。
後年、AORが批判の矢面に立たされたときの常套句に「ワンパターン」「没個性」「誰が歌ってもおなじ」というのがあるが、少なくとも後期AORについては、わたしは反論できない・・・。
(余談になるが、邦楽、とくにアイドル系でこれら米国スタジオミュージシャンをレコーディングに起用した例は意外に多い。)

初期のAORは違った。
もともとAORの醍醐味は、Rock、R&B、Jazz、Ethnoなどが渾然一体に混じり合うところにあり、当然、アーティストはおのおのアイデンティティをもっていた。
たとえば、Boz ScaggsBobby Caldwellはブラックミュージックの影響を受けていたし、Michael FranksBen SidranはJazzやBossa Novaのエッセンスをもっていた。J.D.SoutherPhotogloには古きよきR&Rの香りがあった。


■ J.D.Souther 「You're Only Lonely」 (1979)


■ Michael Franks 「One Bad Habit」 (1980)

なので、AORというのはもともと分類ジャンルではなく、「ポピュラーミュージックのさまざまな要素を盛り込んだソフトでメローなイメージをもつ、アダルト向けの音楽」を意味したと思う。
この手の音楽が初期に「ソフト&メロー」や「クロスオーバー」と呼ばれたのがそのことを如実に物語っているし、現在、米国でこの流れを汲むフォーマットは、分類ジャンルをつけず単にアダルト・コンテンポラリー(Adult Contemporary/AC)と呼ばれている。


■ Homi & Jarvis 「It Didn't Work Out That Way」 (1983)
↑いろいろな要素がほどよくバランスして、テクニカルだけどさらっと流せる曲も多かった。

AORがそのマーケット性を拡大したときに、”AOR”でイメージされる楽曲のパターンができあがり、それを得意とするミュージシャンがAORというジャンルフォーマットをつくりあげた。(たとえば、「After The Love Is Gone」/Airplay、Michael McDonaldの一連の楽曲など)これらは音楽的にはすこぶる質の高いものだが、あまりに氾濫するとどうしても没個性になっていく。


■ Michael McDonald 「That's Why」 (1982)

これと並行して、プロデューサーの地位上昇が進んだ。
もともとAOR界にはTommy LiPumaJay Graydon、Randy Goodrum、James Strondなど著名なプロデューサーがいたが、彼らはどちらかというと、ミュージシャン達のよき指揮者役であったような気がする。
これに対して、'83年頃からはプロデューサーが強力なイニシアティブをとり、アルバムコンセプトから果てはマメジメントに至るまで関与するようになっていく。このような体制のもと、楽曲はサビメロで固められ一分の隙もないアレンジが施された。
楽曲としての完成度はたしかに高いが、なんとなく音に隙間がなく、厚化粧で息が詰まるような曲が増えていった。

初期のAORでは、リズムセクションがグルーヴをキープし、そのうえでVoやリード楽器(Key,g,saxなど)が伸びやかに泳ぐというパターンの曲が多かったが、このころからきっちりとプロデュース、というかむしろオーバープロデュース気味の作品が増えてきた。
これはバックミュージシャンが多忙すぎて、セッションを楽しむ余裕をなくしたことも大きいと思っているが、いずれにしてもこの時点で「アーティスト&ミュージシャンの時代」から「プロデューサーの時代」への変化が起こった意味は大きく、これと歩調を合わせるようにしてAORシーンは急速に失速していく。

〔 パラダイム・チェンジ / ブラックミュージックの巻 〕
Rapの先駆とされる、The Sugarhill Gangの登場は1979年。
それでも1982年頃まではブラックミュージックのメインストリームは、なおセルフコンテインド・グループ(Selfcontained Group)にあった(と思う)。
これはいわゆる自給自足バンドで、一般にはボーカル・コーラス、リード楽器からリズムセクションまで、すべてグループ内で補う大型ファンクバンドをさす。EW&FAtlantic StarrSkyyDazz BandLakeside、One Wayなどがその代表例だ。


■ Skyy 「Show Me The Way」 (1983)

リズムセクションが叩き出すグルーヴのうえでダイナミックなコーラスやファルセットを展開、Up~Balladeまで多彩な名曲を提供する彼らはディスコの花形だった。
しかし、大人数ゆえ、その維持にはコストがかかる。おりしも景気の下降局面にあった米国で、その状況は次第にきびしいものとなっていく。


■ B B.&Q.Band 「(I Could Never Say) It's Over」 (1982)

異論はあると思うが、勢力を拡大しつつあったhip hop/Rap系が一般的な意味で大ブレークしたのは1983年Herbie Hancockの『Future Shock』に収録された"Rock It"だと思う。
大胆なスクラッチが導入されたこの曲は、たしかに異様なインパクトがあった。
低コストで斬新な音を産み出せるこれらの流れは、またたく間にブラックシーンに浸透していった。


■ Herbie Hancock 「Rock It」 (1983)

その勢いはパラダイム・チェンジといえるほどすさまじく、すでに1984年の時点でリズムをデジタルサンプリングしていない新譜を探すのがむずかしいほどだった。
経済的に苦境を迎えていたSelfcontained Groupはつぎつぎと瓦解し、ボーカルはソロとして独立。残ったメンバーはRap系小ユニットやバラードグループとして余命を保つことになる。

このなかでは、バラードに活路を見いだした連中が気を吐いた。
彼らはニュー・クラシック・ソウル(New Classic Soul)などと呼ばれ、甘甘ながらなかなかに聴かせる作品を残している。


■ Atlantic Starr 「Secret Lovers」 (1985)/ New Classic Soulの例

'80年代後半まではいわゆるレディ・ソウルも好調だった。Whitney Houstonのデビューは1983年だし、Anita BakerNatalie Coleも80年代中期以降にいいアルバムを残しているので、AORほどの強烈な失速感はない。


■ Whitney Houston 「All At Once」


■ Natalie Cole 「Miss You Like Crazy」 (1989)/ '80年代後期のLady Soulの例


■ Genobia Jeter 「Take A Look」 (1986) こんな曲も・・・。

それでもわたしのなかでのブラックミュージックは、やはりSelfcontained Group。
彼らは”レア・グルーヴ(Rare Groove)”(広義です(笑))とジャンルされ、のちに腐るほどカバー、サンプリングされることになる。

〔 ボーダーライン / ポップミュージックの巻 〕
1983~85年までのおもなヒット曲をみると、
Every Breath You Take(The Police)、Billy Jean・Beat It・Thriller(Michael Jackson)、Maneater・Out Of Touch(Hall & Oates)、Let's Dance(David Bowie)、When Doves Cry(Prince)、Against All Odds(Phil Collins)、Jump(Van Halen)、Hello(Lionel Richie)、Girls Just Want To Have Fun(Cyndi Lauper)、Careless Whisper(Wham!)、Like A Virgin(Madonna)、We Are The World(USA For Africa)など、ビッグネームたちの錚々たる代表曲が並んでいるようにみえる。
たしかに、Michael Jacksonの『Thriller』のビデオクリップは圧倒的なインパクトがあった。でも、曲的にはひとつ前のALBUMの「Don't Stop 'Til You Get Enough」、「Rock With You」などの方がしっくりときていた。
Hall & Oatesにしても「Maneater」よりも「Wait for Me」「Kiss on My List」などが、Princeにしても「When Doves Cry」より「Little Red Corvette」の方が曲としての魅力を感じた。


■ Hall & Oates 「Maneater」 (1983)


■ Hall & Oates 「Wait For Me」 (1979)

先日、同世代の友人たちと飲んだときに、こんなハナシが出た。
それはいま振り返ると、H&Oにせよ、Journeyにせよ、世間で大ブレークしたときにはすでにピークを過ぎていたのではないか? ということだ。
そして、この大ブレークする直前にこの世代にとって面白い音楽とそうでなくなってしまった音楽のボーダーラインがあるというのだ。(「14番目の月」説)

例えば、H&Oの『Private Eyes』('81)と『H2O』('82、ブレークは'83)。前者は全米5位だが、後者は全米1位で彼ら最大のヒットとなった。
でも『H2O』を聴いたとき、「なにか違う」という違和感を感じたことはたしかで、大ヒットした"Maneater"もたいした曲には思えなかったわけだ。
Journeyにしても、データ的には『Escape』('81)のほうが売れているが、日本での反響は『Frontiers』('83)のほうが大きかったような気がする。
そして『Frontiers』をきいたときも『H2O』とおなじ違和感を覚えた。
Michael Jacksonもそうで、少なくとも仲間うちでは、歴史的メガヒットとなった『Thriller』('83)より前作『Off The Wall』('79)の評価が高い。


■ Journey 「Still They Ride」 (1981) / ALBUM『Escape』収録

このとき感じた違和感が何だったかは断言できないけれど、厚化粧で妙な圧迫感があり、心底から音に浸れない心地わるさがあったように思う。
そして、その原因はやはりオーバープロデュース、いいかえれば、楽曲が”作品”から”商品”へと変化しはじめたことが大きいような気がする。


■ Michael McDonald 「Our Love」 (1985)
個人的には「AORの時代」の終焉を告げたと思っている名曲。

音楽をめぐる環境もこのころ大きな変貌を遂げていた。
MTVが一躍人気を集め、若者向けの飲食店などでもふつうに流されていた。
楽曲のよしあしより、ビデオクリップのできに話題が集中し、「ビデオクリップのでき(=MTVでの見映え)が悪いと、曲がよくてももはやヒットしない。」などと揶揄されたりした。

一方、1982年秋に発売が開始されたCDは、またたく間に市場シェアを上げ、1986年にははやくも販売枚数ベースでLPを追い抜いた。
CDはたしかに手軽で便利だが、はじめてその音を聞いたとき感じたいいようのない違和感はいまでも忘れられない。
妙な閉塞感があり、スネアやハイハットの音がすこ~んときれいに抜けないのだ。
「これはひょっとして音楽のつくり方や質じたいが変わっていくのでは?」という漠たる予感があった。
そして、事態はその予感をはるかに超えるスピードで進行した。

この頃Rapはますます勢力を拡大し、「hip hop(いまで言う”Old School”)」といわれる一大ムーブメントを形成しつつあった。
おりしもRock Steady Crewなどにより紹介されたブレイクダンス(breakin')が日本でも広まり、1983年_On SaleのHerbie Hancockは「Rock it」でGrandmixer DSTのスクラッチをとり入れ一世を風靡したのは↑に書いたとおり。

このような動きは当然のことながらRock/Pop Marketにも大きな影響を与え、次第にストリート感やアグレッシブな雰囲気が求められるようになっていった。
メロディ・ハーモニー・リズムがバランスよく構成されていたそれまでの楽曲にくらべ、リズム(というかピッチ)が極端に重視されるようになった。
これは端的にいうと、「メロディの時代」から「リズム(ピッチ)の時代」への転換だったのではないか・・・。

いま振り返ると、ポピュラーミュージックをめぐるこのような環境の変化が重なって、(すくなくともわたしにとっては)「新譜を聴くのがあまり面白くない時代」に入っていったのではないかと思う。
(さらにもう1回つづきます。)
■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)


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■ utsuboの音楽遍歴-1 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
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■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)

ディスコシーンも盛り上がりを見せていた。
その頃のディスコにはお立ち台もブレークダンスもパラパラも名刺配り(爆)もなかった。
多くはUp~Mid系でgrooveの効いた軽めのソウル(このころから”ブラコン”と呼ばれる)とチークタイムに流されるスローバラードでゆったりと構成されていた。
生バンドが入ることもあり、音楽的にはかなり贅沢だったと思う。
「ネペンタ」「マジック」「ラ・スカーラ」などがよくいったところで、とくに「マジック」は選曲がいいのと曲のつなぎが巧いので気に入りだった。


■ Shalamar 「A Night To Remember」 (1980)

ブラックミュージックに本腰入れて入れ込みはじめたのがこのあたり。
当然、好みはディスコに影響され、ShalamarLakesideWhispersなどソーラーやモータウンなどフィリーサウンドの流れのもの。イタリアの洗練されたテイストが入ったChange、B.B.& Q.BandHigh Fashionなども好きだった。
D-TrainSylvesterなどリズム・コンシャスな一群もよく聴いた。


■ High Fashion 「Feeling Lucky Lately」 (1982)


■ D Train 「Music」 (1983)

並行してAOR寄りのブラコンも気に入りだった。
Vocal色をつよめたGeorge BensonLuther VandrossPeabo Bryson、Quincy Jones一派のJames Ingramなど。Lady Soul系ではRandy CrawfordPatti AustinAngela Bofillなどよく聴いた。


■ George Benson 「Late at Night」 (1983)

UKものも堅調で「第2次ブリティッシュ・インベイジョン(British Invasion)」などといわれていた。

その一端を担ったのはJazzやLatinのエッセンスをとり込んだ「ファンカラティーナ」(Modern RomanceLevel42shakatakCentral LineABCHaircut 100など)で、ディスコでもよくかかっていた。(ここらへんになるとキリがなくなるので改めて書きます(笑))


■ Central Line 「Walking Into Sunshine」 (1981)


■ Shakatak 「Night Birds Live」(この頃流行っていたチョッパーベースばりばり ^^)


■ The WARRIORS 「Destination」 (1982)

付属校だったので、受験もなく、だらだらと大学になだれ込んだ。(笑)(このとき'82年)
時代の空気は田中康夫の「なんとなく、クリスタル」そのままで、渋谷や六本木をなぜかサーフボードを積んだ車が走り回っていた。(笑)
そういえば、「なんとなく、クリスタル」のサントラ、ほとんどAORで固められてたもんな。
A面ラストにはAORの定番といわれたこんな名曲も。↓

■ Boz Scaggs 「We re all alone」 (1976)
この曲、米国より日本で人気あったといわれているけど、いま聴き直すとやっぱりそんな感じがする。

Marty BalinゃBertie Higginsもそうだけど、結構ベタなメロ曲もAORに括られていた気がする。
だから、やっぱり「AOR」は日本のジャンルで、米国の「AC」(Adult contemporary)とはニュアンスがちがうと思う。(どーでもいいことだけど・・・)
これまた、どーでもいいことだけど、「なんクリ」のサントラ、この手の曲が多いと思う。
「ぼくだけの東京ドライブ」(たまらなく、アーべイン)を読むと、田中康夫氏は「AC」系に造詣が深く、あえて日本での受け狙いで選曲を図った感じがする。
この狙いは的中し、1982~1983年にかけて日本ではAORが一大ブームとなったが、これはあとから考えると”諸刃の剣”だったかも知れず、定型化したAORは時を経ずして凋落を迎えることとなる。(次回以降に書きます。)


■MARTY BALIN 「Hearts」 (1981)

サーファーブームと平行して、カフェバーブームが巻き起こっていた。
自由が丘にいい店が多く、「Songs」「Temptation」など、渋い選曲で名を馳せていた。
カフェバーで流されていた多くがAORやFUSION系であったため、これらは”ナンパ音楽”と揶揄されることになるが、これはあとの話。

当時は洋楽シーンに勢いがあり、全米や全英のヒットチャートが日本の洋楽チャートとニアリーにリンクしていた。
'81年に始まった人気番組「ベストヒットUSA」。オープニング・チューンの"サーフ・サイド・フリーウェイ(Don't Worry Baby)"(V.T's)と小林克也の軽快なDJが時代の雰囲気を象徴していた。


■ V.T's 「Don't Worry Baby」 (1979)

LIVEもよく行った。
とくにJonathan Cainが加わり全盛期を迎えていたJourneyの「ESCAPEツアー」(日本武道館)はすごかった。
年間200日以上もツアーしているという実力はダテじゃなく、パワーと安定感にあふれていた。ハイトーンでひたすら歌いつづけるSteve PerryのVocalは驚異的だった。
赤坂のライブハウス(だったか?)で演ったModern Romanceの小粋なステージもよかった。
この頃、名盤『Avalon』を送り出したRoxy Musicが来日したが、期末試験の前日(一夜漬け^^;)で泣く泣く断念したのは今となっても悔やまれる。(その後、Roxy Musicは解散した。)


■ Journey 「Don't Stop Believin' (Live In Tokyo 1983)」

ディスコではPOP系がディールをもちはじめ、Boys Town Gang 「Can't Take My Eyes Off You(邦題:君の瞳に恋してる)」に代表される「ハイエナジー」(のちにユーロビートに移行したといわれるが、本質は違うと思う)も人気を集めていた。
Duran DuranCulture ClubSpandau BalletThe Human Leagueなど、UKのビジュアル系「ニューロマンティック」勢も人気が高かった。


■ Boys Town Gang 「Can't take my eyes off you(邦題:君の瞳に恋してる)/Extended Version」 (1982)

興味ある方はこちらもどーぞ。

ここで整理すると、この時期メインに聴いていたのは、
1.AOR&FUSION
2.BCM(ブラック・コンテンポラリー)
3.American Progre Hard(のちに「産業ロック」といわれる)
4.EURO ROCK
5.邦楽メジャー系(達郎、Yuming、SAS、杏里、佐野元春、角松敏生など)

いま振り返ると、個人的にはこの時点('82年)で洋楽シーンはある意味ほぼ絶頂に達していたのでは? と思う。 (あくまでも「ある意味で」ですが・・・ ^^; )
(おすすめの曲をいくつかこちらにあげといたので、よろしければどぞ。)

これについては、機会を改めて書いてみたいと思います。
(まだつづきます。)
■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)


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■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
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■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)

1977~'78年、高校受験の傍で聴いていた(^^)のは、洋楽よりもむしろ邦楽だった。
このころは自分用のレコードプレーヤーやラジカセをゲットしていたので、自由に音楽を聴ける環境にあった。
また、FMでも音楽番組がさかんに組まれていた。

洋楽ではBostonTotoQueenなど、今でいうプログレハードがメインで、Doobie BrothersEaglesなど、ウェストコースト系は正直あまり聴いていなかった。(さすがに「Hotel California」(1976、日本でのヒットは1977)はリアルタイムで聴いているが・・・。)
なのでBos Scaggs希代の名盤『Silk Degrees』('76)はタッチの差でリリース時にリアルタイムで聴いていないかも・・・(泣)。


■ Boston 「More Than A Feeling (邦題:宇宙の彼方へ)」 (1976)


■ The Eagles 「Hotel California」 (1976)


■ Toto 「Georgy Porgy」 (1978)

この当時、「ニューミュージック」の一部のアーティストは、メジャー系コードと弾むリズムをもった、洋楽ライクで洗練されたサウンドを紡ぎ出していた。
重ったるい”主張”や”生きざま”が入らないライトな歌詞もよかった。
SAS、山下達郎、大瀧詠一、財津和夫(チューリップ)、小田和正(オフコース)など、その後ビックネームとなる才能がひしめいていた。『YUMING BRAND』(1976)あたりの荒井由美のメロディなど、天才的なきらめきがあった。
その頃、以前からもっていたフォークギターに加え、エレキギターをgetした私は「ギターで1発決める日(笑)」を夢見ていた。


■ Char 「Shinin' You Shinin' Day」 (1976)


■ 荒井由実 「ベルベット・イースター」 (1973)


■ チューリップ 「サボテンの花」 (1975)


■ 矢野顕子 with YMO 「また会おね」 (1979)
スゲー面子!

※ '80年代に入ってからのシティ・ポップはこちらに載っけてるので聴いてね。

この頃には、レコードをカセットテープにダビングして聴くというかたちがすでに一般化していた。
いちいちレコードに針を落とさずに、好きな曲を手軽に何回でも聴けるという音楽環境の変化は画期的だった。
また、1979年にはSONYの「ウォークマン」が発売。
いつでもどこでも好きな音楽を楽しめるというこのアイテムは、音楽とのつきあい方を決定的に変えた。

そして、音楽環境の一大転機、高校入学を迎える。(1979年)
その私立の男子校は幾人かの有名なアーティストを出していて、音楽レベルの高さはハンパじゃなかった。
同級生には、すでに原宿あたりのライブハウスに出演している猛者さえいたから、そのレベルは推して知るべしだ。
あまりのレベルの差に愕然とした私は、「ギターで1発決める夢」をあっさり放棄した。(笑)

当時、演られていたのは、渡辺香津美やデビュー直後のSquareCasiopeaなどのFUSION系(当時は「クロスオーバー」と呼ばれていた)、"いとしのエリー"がブレークしたSASなど・・・、一部の好き者は結成直後のYMOに手を染めていたりして邦楽メインだった。
だが、洋楽好きもごろごろいて、情報収集にはこと欠かなかった。


■ Kalapana 「Naturally」 (1975)

本格的に洋楽にのめり込んだのはこの頃だ。
大きな影響を受けたのがBos ScaggsKalapanaChicだった。
BozはそのころすでにスターダムとなっていたBilly Joelとは明らかにちがう質感をもっていたし、Kalapanaのサラサラと乾いたサウンドは理屈抜きに心地よかった。
グルーヴ感あふれるリズムに洗練されたメロが乗るChicもカッコよかった。


■ Bos Scaggs 「Lowdown」 (1976)


■ Chic 「Good Times」 (1979)

あと、よく聴いたのはPablo Cruise。
San Francisco出身でWest Coast系ベースながらCory Leriosの妙にクラシカルなPianoが効いて面白いサウンドをつくりだしていた。
(伝説のサーフィン映画『フリーライド』のテーマ曲「Zero to Sixty in Five」を手がけ、代表的なサーフロック(Surf Rock‎)バンドとしても名を残している。)


■ Pablo Cruise 「Family Man」 (1978)
4thALBUM『Worlds Away』(1978)収録曲。プロデュースはあのBill Schnee!

怒濤のごとく周辺Artistアーティストを聴きあさり、初期AORにはきもち乗り遅れたものの、この時点でシーン(当時は「ソフト&メロー」と総称されていた)に完璧にシンクロした。
わたしは、洋楽のピークは1979~1983年の5年間だと思っているので(洋楽1983年ピーク説)、1979年初頭の時点でのシンクロ(しかもかなりマニアックなかたちでの)は、いま振り返っても絶妙なタイミングだったと思っている。

一方、低迷期に入りしばらく遠ざかっていたプログレだが、1979年発売されたキングレコードの「ユーロピアンロックコレクション」に啓発され、その後、イタリアやフランスあたりのグループを手当たり次第に聴きまくることになる。
ただし、メインに聴いていたのはのちにシンフォニック・ロック(Symphonic Rock)と呼ばれるメロディを重視したもので、前衛色のつよいカンタベリー系(Canterbury Rock)などはあまり聴いていない。

なお、Progre/Euro Rockは70年代を通じて世界的なムーブメントとなっていて、各地の民俗音楽と結びついて多彩な展開をみせていた。
わたしの民俗音楽とのかかわりは、Progre/Euro Rockか、その後民俗音楽とのコラボ色を強めた一部FUSION系からのアプローチで、正直、正統派ではないと思うし、はっきりいって造詣もふかくない。


■ Locanda Delle Fate (Italy) 「Forse Le Lucciole Non Si Amano Piu」 (1977)


■ Machiavel (Belgium) 「The Fifth Season」 (1978)

プログレとはいえないかもしれないけど、これは衝撃的だった ↓

■ Kate Bush 「Wuthering Heights」 (1978)

'80年代初頭のピークに向けて昇り調子だったAmerican Progre Hard(のちに「産業ロック」と呼ばれるJourneyREO Speed WagonKansasELOForeignerRushなど)もよく聴いた。


■ REO Speedwagon 「Keep On Loving You」 (1980)


■ Kansas 「Crossfire」 (1982)


■ Rush (Canada) 「Freewill」 (Exit Stage Left/1981)

'70年代後半、急速に勢力を拡大していたパンクやテクノはそれなりに聴いていたが、なぜかあまり深入りしなかった。
そのころからタテのりや無機質なシンセサウンドは肌に合わなかったのかもしれない。

↓こんなのがクラスで流行ってた。そんな高校です(笑)

■ Plastics 「COPY」 (1979)
いまのコピペ時代を先読みした驚異の内容!

ただし'80年代中盤にかけて、UK系”New Wave”のなかでSynth-Popと呼ばれたメロディアスな一群(OMDSimple MindsUltravoxDepeche Mode、Blancmange、China Crisisなど)はよく聴いていた。)


■ OMD(Orchestral Manoeuvres in the Dark) 「Joan Of Arc」 (1981)


■ China Crisis 「Wishful Thinking」 (1983)


■ New Order 「Your Silent Face」 (1983)
※New Orderもこういう曲をリリースしていた1983年。

そのころ頭痛のタネだったのが軍資金だ。
当時、LPは2,500円だったから、そうやすやすと買えるシロモノでなく、バイト代はたちまちレコードに消し飛んだ。
なので、メジャー系アーティストはほとんどFMでエアーチェック(FMでOn Airされた曲をテープに録音することをこう呼んでいた)し、FMで流れない非メジャー系は中古盤屋で探していた。(中古盤屋廻りの習癖はいまにつづいている。)

1980年、レンタルレコード店が出現。
たった250円でLPが借りられるこの店は救世主だった。
業界の先陣を切った「黎紅堂」の初期の店が自宅そばにできたので、ひたすら借りまくった。
この業態は急速に広まり、いくつもの店をつかいわけていた。
とくに、マニアックな品揃えだった池袋のJanis、下北沢のレコファン(今はメジャー中古ソフトチェーンだが、当時は下北沢の狭い店でレンタルもやっていた)には飽きもせずよく通った。

渋谷に輸入盤ショップの草分けタワーレコードができたのも、たしか1980年ごろと記憶している。東急ハンズのはす向かいにあったその旧店は外人客も多く、独特の雰囲気があった。
まわりにはシスコや数軒の中古レコード店があって、洋楽好きの聖地と化していた。
(さらにつづく)
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)


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■ utsuboの音楽遍歴-1 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
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■ utsuboの音楽遍歴-1 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)

自分自身のことなのに。
いまだに信じられない。
そして想像だにしていなかった。
中学~高校時代からプログレ、ブラコン、AC(アダルト・コンテンポラリー)の世界にどっぶり浸かった人間が、この歳で(笑)、中学~高校生の女の子の歌声に抗うすべもなく、音楽観さえも変えられてしまうとは・・・。

とくに意識したわけでも、まして努力などしたわけもなく、自然にそうなっていた。
だとすると、これは必然?

2013年に音楽ブログ(現在更新休止中)に書いた記事。
このときは「カラバトU-18」の認識は皆無だったけど、いま読み返してみると、なんとなくその「必然」を匂わせる内容になってる。
ちと長くなりますが、当時の文脈を残しつつ、若干手を加えてこのブログにUPしてみます。(歳がバレますが・・・(笑))

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わたしは温泉●鹿ですが、10,000枚以上のソフトをもち、月に数度は中古レコード屋を覗かないと禁断症状がでるという音楽キ●ガイでもあります(笑)
なので、音楽について書きたいことはいろいろありますが、別ブログを立ち上げるのもめんど~なので、とりあえずこのブログに叩きいれます。
音楽に興味のない方は一気にとばしてくださいやし。

まずは、私の音楽のバックボーンを書きます。
(極私的内容じゃが、ブログなので許してね・・・ ^^;; )

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わたしが生まれたのはBeatlesが全米チャートで1~5位を独占し、S&GやYardbirdsがデビューした東京オリンピックの年。
さすがにAnimalsや初期Beatlesは記憶にないものの、母親や7歳年上の姉貴がS&G好きで、幼いころからALBUM「明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)」('69)を聴いていた記憶がうっすらとある。


■ S&G 「Bridge Over Troubled Water (邦題:明日に架ける橋)」 (1969) 

Beatlesの「Let It Be」も子供ごころに好きだった。(このとき6歳/小1)


■ Beatles 「Let It Be」 (1970)

この7歳年上の姉貴の部屋は私の部屋のすぐとなり。
彼女は音楽的にかなり早熟だったらしく(そうとう早い時期から自分用のレコードプレーヤーをもっていたと思う。)、いたいけな子供(わたし)のうえを、来る日も来る日もロックの嵐が情け容赦もなく吹き荒れた・・・(笑)
いま振り返ってみると、この原体験がわたしの音楽的志向を決定づけたと思う。

姉貴の趣味はかなりとクセもので、Rolling StonesLed ZeppelinやT.Rexに始まり、フレンチPOPのMichel Polnareffから全盛期を迎えつつあったプログレ系のYESPink FloydEL&Pにまで及んでいた。


■ Michel Polnareff 「Love Me Please Love Me (邦題:愛の願い)」 (1971)

とくにYESにはハマっていたようで、『こわれもの(Fragile)』('71)や『危機(Close To The Edge)』('72)をLPごとなかば強制的に聴き込まされていた(^^;)
小3の児童がおよそ小学生らしくもない、あの『危機』を刷り込まれていたワケで、転調、変拍子、シンコペが好きという音楽的好みは全盛期のYESの影響によるところが大きいと思う。


■ YES 「Close To The Edge (邦題:危機)」 (1972) (長いです・・・(笑))


■ Rolling Stones 「Angie (邦題:悲しみのアンジー) 」 (1973)


■ Led Zeppelin 「Achilles Last Stand (邦題:アキレス最後の戦い) 」 (1976)

そうするうちに姉貴の好みはディスコ(当時は「ディスコティック」と呼ばれた)に移り、またまたなんの免疫もないままにVan McCoy 「The Hustle」、K.C.&The Sunshine Band、Stylisticsなど、ブラックミュージックの洗礼を浴びた。(このとき11歳/小6)
このようにハードロック/プログレ → ソウルディスコと、かなり偏った音楽環境にあったのがわたしの小学生時代です(笑)
(もちろん、フィンガー5などを教室で踊っていた記憶はあるが・・・笑)


■ フィンガー5 「個人授業」 (1973)
しかし、いま聴いてみると異様に完成度高いわ、このグループ。


■ VAN McCOY 「The Hustle」 (1975)


■ KC & THE SUNSHINE BAND 「Shake Your Booty」 (1976)

小学校高学年~中学前半にかけては、別に熱中していたこともあり、たしか中1くらいまでパーソナルなレコードプレーヤーをもっていなかったこともあって、↑の異様な音楽体験(笑)の他に音楽を聴き込んだという記憶はほとんどなく、ごくふつうにラジオやTVの歌番を聴くくらいだったと思う。

註:
70年代中盤ではまだステレオラジカセは一般的ではなかったと思う。
だからしっかり音楽を聴き込むにはレコードプレーヤーが必要だったのだが、これが高かった。それにレコード盤じたいも高く、しかもカセットテープに録音することができなかったので、キズつけ針トビなどふつうにあって、いまから考えるとえらくやっかいなメディアだった。
家にはオープンリールのレコーダーやカセットデッキもあったが、たしか英語教材などのツールで、これで音楽を本格的に聴いていたという記憶はない。

それでもFENはよく聴いていたので、曲目はわからないながら洋楽は耳に馴染んでいた。
むろん、Carly Simonの「うつろな愛(You're So Vain)」、Roberta Flackの「やさしく歌って(Killing Me Softly with His Song)」、Carpentersの一連のヒットチューンなど、日本でヒットした洋楽もふつうに聴いていた。


■ Carly Simon 「You're So Vain (邦題:うつろな愛) 」 (1972)

邦楽では、マイナーコードやアルペジオを多用するいわゆる”四畳半フォーク”はどうにも肌に合わず、むしろ沢田研二やキャンディーズのほうが好きだった。


■ キャンディーズ 「春一番」 (1976)

【高画質】ジュリー

■ 沢田 研二 「LOVE (抱きしめたい)」 (1978)

このころは演歌の名曲が輩出していてけっこうよく聴いていた。(というか、TVやラジオでふつうによくかかっていた。)
石川さゆりはとくに好きだった。たぶん、ハイトーンヴォイス好きの素地はこのころからあったのだと思う・・・。


■ 石川さゆり 「津軽海峡・冬景色」 (1977)

家にクラシックのLPがけっこうあったので、これもよく聴いた。
クラシックはその後もつかず離れず聴いていて、好きなのは、J.S.バッハ、シベリウス、スメタナあたり。
(まだまだつづく/5回を予定)
■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)


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■ utsuboの音楽遍歴-1 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
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1983年洋楽ピーク説

2019/09/22UP
すんません。サザンが入っていなかったので追加です。31曲(ハンパ)です。
さらに切りのよい30曲としました。完成版です。

2019/09/01UP
22曲ではハンパなので、3曲加えて25曲としました。とりあえず完成です。

2019/08/09UP
7曲追加しました。とりあえず完成です。

2019/08/08UP
3曲追加しました。20曲までいく予定です。

2019/08/05UP
邦楽2曲追加しました。

2019/08/03UP
前々から勝手に唱えている自説です(笑)
このところ、洋楽を聴き返す機会が増えて、ますます確信に。
じつはこの時期、邦楽にも名曲がたくさん!

ということで1979年~1983年の5年間くらいで、当時のリアルな雰囲気が伝わる曲をランダムに入れていきます。
まずは思いつくまま10曲。

01.Steel Breeze - You Don't Want Me Anymore (1982)

米カリフォルニア州サクラメント出身の6人組。
いわゆる”一発屋”で終わったが、スマッシュヒットしたこの曲は、当時のWest Coast Rockのエッセンスが詰まっていると思う。
ちなみに彼らの1st ALBUM「Steel Breeze」の邦題は、「カリフォルニア・ブリーズ」(笑)

02.Hall & Oates - Kiss on My List (1980)

この時代に一世を風靡したユニット。
Blue-Eyed Soulの代表格とされるが、根っこはもっととんがっていたと思う。
「Private Eyes」や「Maneater」が代表曲とされるが、個人的にはこの曲や「Wait for Me」の方がソフィスティケートされていて好き。

03.松田聖子 P・R・E・S・E・N・T 2006-2007 Count Down Live (1982)

1982年リリースのALBUM「Pineapple」のA-1曲。
曲調が歌謡曲じゃない。(作詞:松本隆/作曲:来生たかお/編曲:大村雅朗)
この頃の松田聖子のALBUMは全曲通しで聴ける完成度があった。

04.Lee Ritenour/Eric Tagg - Cross My Heart (1982)

Vocalを大きく取り入れたALBUM「RIT2」収録曲。
洗練された楽曲が詰まったこのALBUMはコアなファンからの不評も買ったが、これも時代の流れか・・・。
Dave Grusin、Harvey Mason、Nathan Eastなど一流ミュージシャンの演奏の安定感が半端なく、これに伸びのあるハイトーンのEric TaggのVocalが乗る展開。
演っていて気持ちよかっただろうな(笑)

05.Michael Jackson - Don’t Stop 'Til You Get Enough (Official Video) (1979)

Michael Jacksonだって、全盛期は1979年リリースの「Off The Wall」~1982年リリースの「Thriller/スリラー)だと思う。
個人的にはとくに「Off The Wall」が好き。
これは「Off The Wall」の1曲目で、軽めのパーカッション&ギターリフとマイケルのファルセットが効いてキレキレのでき。

06.Shalamar - You can count on me(1983)

ダンスクラシックス的なイメージのあるグループだが、Slow曲にもいい作品がある。
シャープで透明感のあるデュエット。
数年のちにシーン化した甘甘の”Quiet Storm”系とは、あきらかに質感がことなっている。

07.角松敏生 - Crescent aventure (1982)

1982年リリースの名盤「WEEKEND FLY TO THE SUN」収録のミディアムチューン。
米国の一流ミュージシャンがサポートしているだけあって、抜群のグルーヴ感。

08.Nielsen Pearson - Hasty Heart(1982)

1983年リリースの3rd ALBUM「Blind Luck」から。
疾走感あふれるメロディ、キメの多いリズムにハイトーンボーカル。当時の典型的なAOR。
Lenny Castro(Per/ds)、Vinnie Colaiuta(ds)、Carlos Vega(ds)、Neil Stubenhaus(b)、Robbie Buchanan(Key)、Jai Winding(key)、Victor Feldman(key)、Michael Landau(g)って、
一発で”クレジット買い”じゃん(笑)
2:07~のギターソロは、おそらくSteve Lukatherだと思う。

09.skyy - Let's Celebrate (1981)

当時のブラコンの主流だったself-contained Groupのひとつ。
SALSOULから1981年にリリースの「Skyy Line」収録の軽めのUP~Midナンバー。
groovyなリズムのうえで漂う重複ギターリフがやたらに心地よいが、こういう曲調はあと数年で姿を消すことになる。
ジャケ写真が時代の雰囲気を物語っている。

10.Jon and Vangelis - BESIDE (1981)

YesのVocalist、Jon Andersonとギリシャのシンセサイザー奏者Vangelis Papathanassíouのコラボ第2作「The Friends of Mr. Cairo」(1981年)からのスケール感あふれる名曲。
2人の天才が相対したシナジー効果がいかんなく発揮されている。
じつはこの時代、プログレ(シンフォニック・ロック)シーンでも、The Moody Blues「Long Distance Voyager」(1981年)、Barclay James Harvest「Turn Of The Tide」(1981年)、The Alan Parsons Project「Eye in the Sky」 (1982年)などのメロディーにあふれた名盤が生み出されている。

しかし、↑の8-10と続けて聴いてみると、この時代の洋楽シーンがいかにバラエティに富んでいたかがよくわかる。

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11.久保田早紀 - 異邦人(1979-1980)

リリースは1979年だが、ブレークは1980年。久保田早紀の最初にして最大のヒット曲。
声質に張りがあり、ビブラートのかかりも絶妙。なによりロングトーン盛り込んでいるのに、ブレスをまったく感じさせないところが凄い。
作曲能力、歌唱力、そして類いまれな美貌。天は三物以上を与えた。
天狗になってもおかしくないところだが、数々の謙虚なコメントを残し、1984年には芸能界から身を引いてしまった伝説のArtist。

12.Tatsuro Yamashita - Sparkle(1982)

いきなりの抜けまくったカッティング・ギター。
リズムアクセントのチョッパーベース。
こういう空気感は、あの時代ならではかも・・・。
とくにイントロのカッティング・ギター、達郎のメインギター、テレキャス買いこんで挑む好き者多数?
でも、あふれる「絶対に再現できない」「永遠に練習中」などの声。


「シンプルだけどお洒落ですよね~」って、ほんとそう思う。
すげ~、スペクトル分析までしてるよ(笑)

13.OMD(Orchestral Manoeuvres in the Dark) - Joan Of Arc(1981)

1970年代後半から1980年代前半にかけて英国でシーン化したフォーマット、Electropop(エレクトロ・ポップ)。
質感は無機質ながら叙情的なメロをもつ名曲がいくつか生み出されている。
これは、訳すと「暗闇で演奏するオーケストラ団」という訳のわからないネーミングのユニットが生み出した佳曲。
収録ALBUM「Architecture & Morality」はメロディにあふれた名盤。

14.Shakatak - Live in Japan 1984 - Night Birds(1982)

1980年代前半の英国ではElectropopと並行してfunka latina(ファンカ・ラティーナ)というムーブメントが勃興していた。
ロック、ラテン、ファンク、ジャズなどの要素を散りばめたダンサブルで洗練された曲調が時代とシンクロしていた。
これは人気バンドだったShakatakの2nd ALBUM「Night Birds」収録の代表曲。
わたくし、このLIVE行きましたわ(笑)

15.竹内まりや - Plastic Love(1984)

時代はちと下るけど、やっぱりこの曲は80年代前半の雰囲気をよく伝えていると思う。
1984年リリースの『VARIETY』収録。
弾みまくるリズム、メジャーなメロディに竹内まりやの深みある声色が映えて海外でも人気の高い曲。

16.Roxy Music - True To Life(1982)

やっぱり外せないRoxy Music。
希代の傑作となったラストアルバム「Avalon」(1982年)からの1曲。
Bryan Ferryのダンディなボーカルとうねりを帯びたリズムが時代を象徴していた。
伝説となった最後の来日公演(1983年2月)、期末試験前日(一夜漬け(笑))にぶち当たり、泣く泣く見送ったのがいまでも悔やまれる。

17.Step by Step - J.D Souther & Karla Bonoff(1986)

これも1986年と時代が下るけど、ロブ・ロウとデミ・ムーア共演の「About Last Night...(邦題:きのうの夜は…)」(wikipediaへリンク)のサントラ曲。
当時のサントラはALBUM通して聴ける作品も多かった。
そしてデュエットにも多くの名曲が・・・。→AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のデュエット

18.サザンオールスターズ - 夕陽に別れを告げて~メリーゴーランド~(1985) (cover)

いろいろ考えたけど、個人的に思い入れのあるこれかな?
1985年リリースの「kamakura」から。地味だけど前期サザンのエッセンスを詰め込んだような佳曲。
やっぱりこの時代はサザンなしには決して語れない。

19.Boys Town Gang - Can't Take My Eyes Off You【Extended Version】(1982)

邦題「君の瞳に恋してる」。Hi-NRG(ハイエナジー)ユニットBoys Town Gangが、1967年リリースのFrankie Valliの名曲をHi-NRG化してカバーしたもの。
ディスコ曲だけに、やはりExtended Versionの出来が出色。
ストリングスのメロどりが抜群で、この曲の主役はボーカルというよりむしろストリングスやブラスでは?
Hi-NRGはのちに日本で人気を集めるEUROBEATに似ているが全然別もの。(ただしEUROBEATの定義は、日本、米国、欧州でそれぞれ異なるとされている。)
ともに表拍コンシャスな4つ打ちながら、Hi-NRGはメジャーコードで、リズム慣れした人は裏拍もとれて広がりのある曲調。
ジュリアナ東京などでメインとなっていたEUROBEATは日本人好み(というか日本人でも踊りやすい)の4つ打ちにベタなマイナーコードが乗るもので、むしろ高BPMな盆踊り的。(言い過ぎか・・・笑)

EUROBEAT以前の当時のディスコは、groovyな裏拍系のブラコンやファンカ・ラティーナに、4つ打ち系のユーロ・ディスコやHi-NRGが入り交じり、リズム的にも変化に富んでいた。

20.松任谷由実 - ずっとそばに (1983)

1983年リリースの「REINCARNATION」収録曲。
淡々としたメロディだけど捨て音が一切ない。Yumingの天才的な作曲能力を感じさせる曲。
リズムセクションがさりげにいい仕事しているのもこの時代らしい。
この年、Yumingはオリジナルアルバムを2枚リリースしている。
1979年から1983年の5年間で、なんと9枚リリース。ぜんぶオリジナルで、しかも名曲揃い!
そんな時代だった。

21.Sneaker - Before You [Loose in the World] (1982)

LAで結成されたAOR系グループ。
1981年リリースの1st ALBUM「Sneaker」から「More Than Just The Two Of Us」のスマッシュヒットを放ち、その名を高めた。
これは1982年リリースの2nd ALBUM 「Loose In The World」からの佳曲。
Steely Danを敬愛し、グループ名はSteely Danの人気曲「Bad Sneakers」からとったとされる彼らだが、曲調はむしろThe Beach Boys、KalapanaやPablo Cruiseなどのサーフロックに近い。

22.中原めいこ - Cloudyな午後 (1984)

1984年リリースの「ロートスの果実」からで、リズムの響きはすでに80年代中盤の感じがあるけど、曲調は80年代前半そのもの。
当時はさらっと聴き流してたイメージがあるが、甘さを帯びた独特なボーカルはいま聴き直してみるとけっこう染みる。

23.矢沢永吉 - YES MY LOVE(1982)

いま聴いても大人の色気ぷんぷん。そして余裕のボーカル。
1982年2月リリース。コカ・コーラのイメージ・ソングに起用され、巷でよくかかっていた。
のちにスタンダードとなるナンバーが、新譜としてCMでばりばり流されていた時代。

24.L.T.D. - For You(1982)

この時代のブラックミュージック(ソウル(soul)あるいはブラコン(black contemporary/BCM)と呼ばれていた)はディスコのイメージが強いけど、気合い入った泣きのバラードも多くつくられていた。
これはL.T.D.が1982年にリリースした『For You』のタイトル曲で、NEW BIRTHで鳴らしたLeslie Wilsonの骨太ながらしなやかなボーカルワークがいかんなく発揮されている。
この他にもOne Way(Al Hudson) - You´re So Very Special(1982年)Tavares - Words And Music(1983年)FOUR TOPS - BACK WHERE I BELONG(1983年)などおすすめ品多数。
このあたり、実は専門なのでマニアックになりすぎてすんません(笑)

25.Donald Fagen - Maxine(1982)

Steely Danの主力メンバーDonald Fagen。
Steely Danは1980年の「Gaucho」を最後に活動休止に入るが、Donald Fagenは1982年に1st ALBUM「The Nightfly」をリリース。
圧倒的な完成度を備えたこのALBUMは、のちにAORを代表する名盤として評価を確定することとなる。
今聴き返しても、この洒落っ気は色あせていない。

26.Steve Perry/Journey "Still They Ride" Live and Studio versions (1981)

Steve PerryなくしてJourneyなし。バラードにも名曲多数。
全盛時には年300日以上もツアーしていたという、LIVEの安定感はハンパじゃない。

追加↓
Journey - Don't Stop Believin' (from Live in Houston)

伝説の「The Escape Tour」(1981)
「産業Rock」だ、何だかじゃいわれてもいいものはいい!
いまのプロモーションどっぶりのポピュラー音楽とくらべたら、かわいいもんだわ・・・。
そういえば、わたくし、このLIVE(The Escape Tour、1982/4/16、武道館)も行きましたわ・・(笑) ドギモ抜かれた。

27.Anri [Heaven Beach] - Heaven Beach(1982)

あまりに懐かしすぎる名曲。いろいろな想い出が詰まっていて感慨なくして聴けぬ。
3:14~のストリングス。時代じゃな(笑)
Heaven Beach、消されちゃったので、とりあえず替わりにこちらを。↓

ANRI - LONG ISLAND BEACH(1985)

ちと時代が下るけど、1985年「WAVE」からの名バラード。
当時、ドラマティックなバラードを歌わせたら敵無しだったと思う。

28.佐野元春- HEART BEAT (小さなカサノバと街のナイチンゲールのバラッド)(1981/ライブ 1983)

1981年2月リリースの2ndALBUM「Heart Beat」のラストを飾る名曲。
あくまでも個人的にだが、これを越えるバラッドは多くないと思う。
「この曲を名曲と言わず何を名曲と言うのだろう」(コメ欄より) ほんとそう思う。

■ AORのバラード
この時代、メインストリームとなっていたAORのALBUMの聴きどころはなんといってもバラード。
個人的には、↓の曲が「AOR3大バラード」だと思っている。
(1曲にしようと思ったが絞り込めず、3曲とも載っけます。)

29.Marc Jordan - It's Only Love / From "A Hole In The Wall" (1983)


30.Ray Kennedy - My everlasting love / From "Ray Kennedy" (1980)


31.Bill Champlin -The Fool Is All Alone / From "Runaway" (1981) 



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以上31曲。
なんというか、屈託なく明るい。でも、そのなかに洒落っ気や哀感も・・・。
そしてリズムが軽くてgroovy。
これからバブルに向かう高揚感を湛えた世相を映していたのかも・・・。

いまからすると信じられないが、↑のような曲がTVやFMでふつうに流されていた。
YouTubeもニコ動も、CDさえもなかったけど、街中にリアルタイムに名曲があふれていた時代。


【追加】
↑を聴いてみると、当時のJ-POP(シティポップ)が洋楽とほとんど遜色ないレベルにあったことがわかる。
これは4和音のセブンスコードやテンションコードの普及、そしてグルーヴ感あるリズムの導入などにより、マイナー調のいわゆる「四畳半フォーク」とは異なる別の流れができ、成熟していったことが大きいと思う。

【上級 Vol.4】ギター講座「4和音のコード」

楽器ほとんどまともに弾けないけど(笑)、こういう動画で確認できるのは助かります。

そして、ここにきて70~80年代に発表されたJ-POP(シティポップ)が海外で人気を集めはじめているという。→ 記事

当時、海外でさほど注目を集めなかった理由は、単純に、
「当時、日本の音楽作品(レコードやCD)は輸入されていなかったからね」(仏のファン、上記記事より)
「日本の音楽はアメリカではほとんど知られていない。豊かで複雑な歴史を持っているのに、日本以外ではほとんどリリースされてこなかったからね」(米国のファン、同上)
ということだろう。
それがYouTubeなどのWeb媒体を通じて耳にする機会を得た。それがコアな音楽マニアから一般層に広がりはじめているのでは?

それにしても、人気を集めているのが70~80年代に発表されたシティポップ(90年代以降のJ-POPではなく)、というのは意味深。

それと、昨年(2018年)の紅白。
圧倒的な存在感を放っていたのはサザンとYumingだったことは衆目の一致するところかと。
この紅白への批評記事で、「『国民的求心力』のハブとなるのは、もはや演歌ではなく、桑田佳祐と松任谷由実らの音楽だろうということだ。さらに細かく刻めば、両者のような1950年代生まれのレジェンドが、その天才性を遺憾なく発揮し、かつ、ボリューム的に視聴者層の中核をなす1960年代生まれの層(私含む)が多感な時期に聴いた、1970~1980年代の『ニューミュージック』ではないか、ということである。」(著者・スージー鈴木氏)
と、ここまで言い切られては「1983年邦楽ピーク説」も成立するような気がしないでもないが、邦楽は90年代以降も良質なムーブメントが生まれたし、多くの才能も生まれているのでさすがにこの説は唱え切る自信がない。
でも、1980年代前半が、邦楽でも有数のピークをなしたことは間違いないと思う。

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【さらに追加】
時代の雰囲気やCMは、1990年代前半までは、なお、この雰囲気を引きずっていた(と思う)。
YouTubeモードにして、コメ欄読んでね。

↓屈指の人気番組、ひょうきん族のエンディングがこの乗りだったからね(笑)
DOWN TOWN / EPO & ひょうきんストリートBAND


さすがコカコーラのCM!


【出会い、別れ】傑作集 CM編「JR東海 シンデレラエクスプレス」 (1988-1992)

しょっぱなのJメールのCMとの落差が酷すぎ~~

榮倉奈々出演、山下達郎「クリスマス・イブ」特別映画版PV (2014年冬)

※ 2014年冬の榮倉奈々のは、どことなくシリアスで屈託感あり?
よくある「あの頃はよかった!」パターンでしょっ て言うこともできるかもだが、コメ欄みてるとあながちそうとも言えない。
いまでもクリスマスに流れるのはこの曲だし。

【関連記事】
AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のデュエット
AC全盛期('70年代後半~'80年代前半)のリズム

☆ ↑の雰囲気に思いっきり浸りたい方にはおすすめします。
AOR系名曲を100曲!
(100曲すべてリンクを貼りなおしました。)

↓こっちも聴いてね
秋向きの洋楽10曲!
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Everlasting Song ~ 日本の歌うま女子の底力 ~

2019/09/22 / 2019/08/24UP
ちと追加してみました。

2019/08/22UP
東京オリパラ開幕まで1年を切った。
セレモニーについてはプロジェクトチームが組まれ、これとは別に、サザンの桑田さんが『東京オリンピック民放共同企画「一緒にやろう2020」』の応援ソングを担当することが決定している。

でも、これだけのチャンス。業界やプロだけに任せておくのはもったいない。
というか、もう1年を切っているのにプレの動きが鈍すぎるのでは?

■ 日本と西洋の音楽の違い PART 1:音符の数、メロディーのリズムと英語が使われる理由!Japan and Western music differences(音楽 ミスチル 米津玄師 j-pop)

う~ん、そこな! 
日本ではふつうに聴かれているヒット曲も、外から聴くと違和感か・・・。

たしかに現況、海外で人気が高いのは、KOKIAやKalafina(FictionJunction)など、フェミニンで符割りが自然な(ゆったりとした)アーティストのように思う。
そういわれると、梶浦由記さんは、音節を減らすために「梶浦語」をつかっているようにも思える。
(ただしアニソン系は音節の多さや滑舌が驚きをもって聴かれている可能性があるし、Perfumeはいかにも日本的なテクノ&ダンス&演出がアピールしているような気がする。)

■ KOKIA - 本当の音 [Hontou no Oto] LIVE 2014


■ Kalafina - アレルヤ


■ 志方あきこ - Erato


J-POPのメロディのすばらしさや、アニソンをはじめとする透明感あふれるハイトーンボーカルに対する海外の評価は、ここにきてますます高まってきていると思うし、あくまでも個人的感想だが、癒し系ハイトーン曲のレベルの高さは、アイルランドと並んで世界屈指だと思う。

↓この記事聴いてもらえればそれを実感できたのだが、このはちゃんの動画、非公開になってしまって残念!
7曲の「You Raise Me Up」(熊田このは)
このときのLIVE概要
(こんなすばらしいLIVEを生み出したFlamingo the Arushaが、8/31で閉店とは。諸行無常。)


おそらくセレモニー系は「和様モード全開路線」で走ると思うが、アマチュアをふくめたいまの日本の音楽の底力や魅力は、それだけではとてもアピールしきれない。

↓ 和風っぽいこんな曲もイメージされるけど、たぶん外からだと難しすぎると思う。
■【ユリカ/花たん】「笹舟」PV【**Flower✿Drops**】


1970~80年代のシティポップ、小室サウンド、宇多田サウンド、セツナ系、アニソン、ボカロ・・・。
幾多の変遷を経て、いまや世界でも稀なバラエティと質のストックを備えているこの国。(楽曲も歌い手も)
発信のしかた次第では世界中をあっといわせる可能性大だが、このチャンスをみすみす逃す?

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2019/08/24
そのままずばりの動画が見つかったのでリンクしてみます。

■ 東京オリンピック開会式で演奏するアーティストをチェックして見た!!!(Tokyo Olympics 2020 五輪 Opening Ceremony)


作者のリアクションが微妙で面白い(笑)
要は、日本国内での人気に拘らず、ワールドワイドレベルで実力のあるやつらをたくさん出せ!(日本にはいっぱいいるんだから)、ということだと思う。
作者がMIYAVIを強く推していたのも、スラップ奏法の「サムライギタ-」で世界のどぎも抜いたれ!、というノリだと思う。

異論ありませぬ。その通りだと思います。

海外のアンケート?(7:53~)で、ONE OK ROCKが1位になっているのも、そういう視点からだと思う。
Takaのボーカル、レッスンがどうとか、経験がどーたらとかいうレベルじゃない。
このスケールの大きさはたぶん天性のもの。歌の世界で二世が成功する例は多くないけど、貴重な例外だと思う。
■ ONE OK ROCK: Wasted Nights [OFFICIAL VIDEO]


■ Bryan Adams - One Night Love Affair (Official Live Video)

はじめて聴いたとき、Bryan Adamsかと思った(笑)
ひょっとすると資質はもっと上かもしれぬ。
だとすると、ワールドワイドでチャート上位をとれるレベルということ。
それに、楽曲もふくめて1980年代の音楽の醍醐味をもっている感じがする。
1983年洋楽ピーク説

グループ系だと、楽曲やLIVEの面白さからしてサカナクションもありかもしれないが、彼らは日本人ならではのびみょ~な機微が魅力のような感じもあるので、むずかしいところ?

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本題に戻ります。
黄金の世代?(←みてね!)でも書いたが、名曲とカラオケに鍛えられた、とくに13~20歳くらいの女子の歌唱力のレベルは、世界的にみてもおそらく屈指のものでは?
全国各地で「ご当地48」が生まれたのは、おそらくそんな背景もあるかと思うが、現況、彼女らが「歌のうまさ」で語られる場面はけっして多くない。
外からみたら、いまの日本はもはや「音楽の女神たちが棲む国」かもしれないのに・・・。
↑これ、誇張でもなんでもなく、30年ほども世界中のハイトーン女性ボーカルを聴きあさったうえでの感想です。

■ Everlasting Song - FictionJunction

符割りが自然で、アルト~ソプラノまでの4人それぞれがソロをとれ、コーラスパートも秀逸。そして、高揚感ある曲調。


↑フォロー一色のコメ欄。

↑こんな曲が、オリンピックに向かって(応援ソングとして)各地の「歌うま女子4人組」で歌われるようになれば・・・。
たとえば、よけいなプロモかけずにオリパラ2ヶ月くらい前に予選~決勝とし、優勝したら開会式で歌える! とか。
これ、全国各地で盛り上がると思うし、海外からの注目も集まるのでは?
(審査員の選定がむずかしいと思うが、一部、機械採点もありかも・・・。)

でも、五輪絡みでは”大人の事情”があまりに多すぎて、音頭とれる人いないだろうな・・・。


【追加】
■ 井上陽水&安全地帯 - 夏の終わりのハーモニー

オリンピックの閉会式に歌ってほしいというコメ&同意多数。
たしかにありだと思う。

いまのこの国って、音楽に限らずすばらしいものたくさんもっているのに、
ぜんぜん発掘できてなかったり、余計な手を加えておかしくしたり・・・。
いいものは、シンプルにそのまま発信するほうが伝わると思うが・・・。(オーバープロデュース不要)
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■ 伊香保温泉周辺の御朱印-2(後編)

2019/09/15UP

字数制限にかかってしまったので、2つに分割します。
ここからしばらくは逸話が豊富な寺社がつづくので、1UP1寺社とします。

伊香保温泉周辺の御朱印-1(前編)から

19.船尾山 等覚院 柳澤寺
榛東村山子田2535
天台宗 御本尊:千手千眼観世音菩薩 (釈迦三尊)
札所:新上州三十三観音霊場第25番、東国花の寺百ヶ寺霊場第34番(群馬第8番)、関東九十一薬師霊場第46番、関東百八地蔵尊霊場第34番、群馬郡三十三観音霊場第2番、上州七福神(毘沙門天)
札所本尊:千手観世音菩薩(新上州三十三観音霊場第25番)、千手観世音菩薩(東国花の寺百ヶ寺霊場第34番(群馬第8番))、薬師如来(関東九十一薬師霊場第46番)、地蔵菩薩(関東百八地蔵尊霊場第34番)、毘沙門天(上州七福神)
■ 千手大悲殿(千手観世音菩薩)(新上州三十三観音霊場第25番)
■ 千手大悲殿(東国花の寺百ヶ寺霊場第34番(群馬第8番))
■ 薬師瑠璃光如来(関東九十一薬師霊場第46番)
■ 延命地蔵尊(関東百八地蔵尊霊場第34番)
■ 毘沙門天(上州七福神)
 

榛名東麓屈指の古刹で、複数の札所を兼ねているこのお寺は、複雑な開山由緒を有します。
公式Webによると「天台宗宗祖傳教大師の東国巡行のみぎり、この地に住む群馬の太夫満行と言うものが大師の徳を慕って榛名山中の船尾の峰に"妙見院息災寺"という巨刹を創建し、大師を請じて開山」というのが当初の開山伝承のようです。
その後、「神道集」の「上野国桃井郷上村八ヶ権現の事」、およびこれをベースとして成立した「船尾山縁起」が広まります。

「船尾山縁起」はデリケートな内容で抜粋引用がはばかられ、全文引用すると長くなるのでこちら(公式Web)をご覧ください。
近世、この地との関わりがうすい千葉氏が主役で、その千葉氏が悲劇的な結末をもってその姿を隠してしまうというこの伝承については、その背景として様々な見解が打ち出されています。
「6.三鈷山 吉祥院 妙見寺」にも千葉氏にまつわる伝承が残りますが、柳澤寺は「妙見院息災寺」を通じ、妙見寺と相当のつながりがあったことが想像されます。

それにしても、このエリアは「神道集」との関わりが深いです。
神道集(しんとうしゅう)は、南北朝時代中期に成立とされている十巻五十条からなる説話集で、安居院唱導教団(あぐいしょうどうきょうだん)の著作とされます。
安居院唱導教団はこの時代の仏教宗派のひとつとされ、詳細は不明ですが、伊勢神道(度会神道、神本仏迹説系)との関連を指摘する説がみられます。

内容はすこぶる劇的でスペクタクル。アニメや映画になじみそう。
主に関東(とくに上州)の神社について、その成り立ちと本地仏(神本仏迹説からすると垂迹仏?)が詳細に記されています。
(いわゆる本地譚・本地物/神体の前生説話のひとつとされる。)

登場される神々はかならずしも現在の主祀神ではなく、主にその土地とつながりのふかい尊格です。
生身の人間が説話を介して一気に神となる不思議なイメージ漂う内容ですが、これは神本仏迹系本地譚の特徴なのかもしれません。(「権現系」ではなく「明神系」、神名も大明神を名乗られる例が多い。)
この「神道集」があることで上州の寺社はダイナミックにつながり、寺社巡りに興を添えているかと思います。

「上野国桃井郷上村八ヶ権現の事」(神道集第四十七)は、こちらで紹介されています。
「神道集」と「船尾山縁起」はともに凄絶な展開で内容は酷似していますが、「神道集」の主役は上野国国司の桃苑左大将家光です。
千葉氏が主役となる「船尾山縁起」の成立は「神道集」から約二百年後とされるので、この二百年のあいだに千葉氏にかかわる大きなできごとがあったのかもしれません。
ちなみに、柳澤寺そばには平常将大明神を主祭神とする常将神社が鎮座しています。

寺伝(公式Web)によると、延暦寺の直末として中世には学僧も多く輩出、戦国時代末の動乱を経て、江戸時代に入は天海僧正、高崎城主・安藤右京進などの尽力により朱印地三十石を賜ったとされる名刹です。

背後に榛名山を背負い、眼下に利根川が流れる開けた立地に名刹にふさわしい広大な境内を擁します。
風格ある二層丹塗りの楼門、御本尊、千手千眼観世音菩薩が御座す本堂(観音堂)、寄棟平屋造りの風趣ある客殿(釈迦三尊、薬師如来、不動明王、毘沙門天などが御座)、県内最古とされる鐘楼、阿弥陀堂、薬師堂、平成10年建立の五重塔など壮麗な伽藍が連なります。

 
【写真 上(左)】 鐘楼
【写真 下(右)】 五重塔

本堂(観音堂)は向かって右にやや離れてあるのでややわかりにくいですが、新上州三十三観音と東国花の寺百ヶ寺霊場の参拝はこちらになります。

納経所(御朱印授与所)は、客殿左手の庫裡、ないし、客殿が開いているときは客殿内となります。
複数の札所を兼ねているので手慣れたご対応ですが、目的の御朱印(霊場)をはっきり申告する必要があります。

それでは、それぞれの霊場の御朱印を紹介していきます。
なお、Web情報からすると霊場申告なしの御朱印は、新上州三十三観音霊場のものとなる模様。

【 新上州三十三観音霊場の御朱印 】

本堂(観音堂)

 
【写真 上(左)】 専用納経帳の御朱印
【写真 下(右)】 御朱印帳書入れの御朱印

上記のとおり、札所本尊の千手千眼観世音菩薩は境内右手の本堂(観音堂)に御座します。
元禄年間の様式を残すとされる、方六間の木造青銅葺きの建物で古趣を湛えています。

中央に札所本尊、千手観世音菩薩の種子「キリーク」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)と「千手大悲閣」の揮毫。
右上に「上州第二十五番」の札所印。左下には寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
専用納経帳の御朱印も同様の構成です。
客殿にて御朱印帳に書入れ、専用納経帳御朱印は庫裡にていただきました。

【 東国花の寺百ヶ寺霊場の御朱印 】
 
指定花種はサクラ(ソメイヨシノ)ですが、サツキも有名なようです。
この霊場は御本尊が札所本尊となるケースが多いですが、やはり本堂御本尊の千手千眼観世音菩薩の御朱印でした。
なので、霊場の参拝所は境内右手の本堂(観音堂)となります。
なお、公式Webには客殿の欄に「本尊釈迦三尊像」の記載がありますが、本堂御本尊=千手観世音菩薩、客殿御本尊=釈迦三尊という位置づけなのかもしれません。

中央に札所本尊、千手観世音菩薩の種子「キリーク」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)と「千手大悲閣」の揮毫。
右上に「東国花の寺百ヶ寺群馬第八番」の札所印。左下には寺号の揮毫と寺院印が捺されています。(主印が千手観世音菩薩の御影印となる場合もあるようです。)
霊場専用納経帳用の書置御朱印もあるようですが、庫裡にて御朱印書入れをいただきました。

【 関東九十一薬師霊場の御朱印 】
 
【写真 上(左)】 本堂(観音堂)参道右手の真新しい建物が薬師堂の覆堂?
【写真 下(右)】 御朱印

御座所をお尋ねするのを忘れましたが、霊場ガイドブックによると、札所本尊は本堂(観音堂)脇の唐破風宮殿造の薬師堂に御座す秘仏、船尾薬師如来(江戸初期、二尺一寸木彫座像)で、往昔より眼の病、万病平癒の守護佛として土地の人に信仰されてきたとのこと。

中央に薬師如来立像の御影印と「薬師瑠璃光如来」の揮毫。右上に「薬師瑠璃光如来」の印判。
左下には寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
客殿にて、御朱印帳に書入れいただきました。

【 関東百八地蔵尊霊場の御朱印 】
 
【写真 上(左)】 札所本尊の延命地蔵尊
【写真 下(右)】 子授地蔵尊



札所本尊御座所は、「仁王門から本堂(観音堂)に向かう途中の石像のお地蔵さま」との由。
霊場ガイドブックによると、「仁王門から観音堂に通ずる中段境内に近年建立された”延命地蔵尊”(石佛立像一丈三尺)」とあります。
鐘楼脇には元禄期建立とされる石佛立像の”子授地蔵尊”も御座しますが、ガイドには札所本尊欄に「延命地蔵尊」と明記されているので、こちらが札所本尊と思われます。
関東百八地蔵尊霊場の札所本尊は露仏も多く、ガイドブックがないとこのように特定しにくいケースがあります。

中央に地蔵菩薩立像の御影印と「延命地蔵尊」の揮毫。右上に「関東百八地蔵尊第三四番札所」の札所印。
左下には寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
客殿にて、御朱印帳に書入れいただきました。

【 上州七福神(毘沙門天)の御朱印 】
 
【写真 上(左)】 客殿
【写真 下(右)】 殿の扁額と上州七福神の札所板

 
【写真 上(左)】 毘沙門天の説明板
【写真 下(右)】 御朱印

上州七福神は県内全域にまたがる広域の七福神で、通年でどれだけ参拝客がいるかはわかりませんが、霊場会があり御朱印帳書入れもおおむねOKのようです。
客殿に御座す、毘沙門天が札所本尊です。

中央に法具(鈷杵?)を背景にした宝塔(毘沙門天の持物)の印と「毘沙門尊天」の揮毫。
右上に「毘沙門尊天」の印判。
左下には寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
客殿にて、御朱印帳に書入れいただきました。

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(以下はさしあたりリストのみです。)

20.五徳山 無量寿院 水澤寺(水澤観音)
渋川市伊香保町水沢214
天台宗 御本尊:十一面千手観世音菩薩
札所:坂東三十三箇所(観音霊場)第16番、新上州三十三観音霊場別格、関東百八地蔵尊霊場第33番、群馬郡三十三観音霊場第3番
札所本尊:十一面千手観世音菩薩(坂東三十三箇所(観音霊場)第16番)、十一面千手観世音菩薩(新上州三十三観音霊場別格)、地蔵菩薩(関東百八地蔵尊霊場第33番)、十一面千手観世音菩薩(群馬郡三十三観音霊場第3番)
■ 千手大悲閣(十一面千手観世音菩薩)(坂東三十三箇所(観音霊場)第16番)
■ 千手大悲閣(十一面千手観世音菩薩)(新上州三十三観音霊場別格)
■ 南無六地蔵尊(地蔵菩薩)(関東百八地蔵尊霊場第33番)
■ 釈迦三尊

21.伊香保神社
渋川市伊香保町伊香保2
主祭神:大己貴命 少彦名命
式内社(名神大)、上野国三宮 旧社格:県社兼郷社、
■ 社号(書置)

22.榛名神社
高崎市榛名山町849
主祭神:火産霊神 埴山姫神
式内社(小)、上野国六宮 旧社格:県社
■ 社号

23.秀厳山 龍水院 大福寺(瀧不動)
高崎市中室田町5558
天台宗 御本尊:不動明王
札所:北関東三十六不動霊場第3番
札所本尊:不動明王(北関東三十六不動霊場第3番)
■ 瀧不動尊(不動明王)(北関東三十六不動霊場第3番)

24.上野國一社八幡宮
高崎市八幡町655
主祭神:品陀和気命、息長足姫命、玉依姫命
旧社格:郷社
■ 社号

25.白岩山 長谷寺(白岩観音)
高崎市白岩町448
金峯山修験本宗 御本尊:十一面観世音菩薩
札所:坂東三十三箇所(観音霊場)第15番、新上州三十三観音霊場別格、群馬郡三十三観音霊場第31番
札所本尊:十一面観世音菩薩(坂東三十三箇所(観音霊場)第15番)、十一面観世音菩薩(新上州三十三観音霊場別格)
■ 大悲殿(十一面観世音菩薩)(坂東三十三箇所(観音霊場)第15番)
■ 大悲殿(十一面観世音菩薩)(新上州三十三観音霊場別格)
■ 役ノ行者

26.我峰八幡神社(わがみね)
高崎市我峰町263
御祭神:品陀和気命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)ほか
旧社格:村社、神饌幣帛料供進社
■ 祭神名・社号

27.烏子稲荷神社(すないご)
高崎市上小塙町564
御祭神:宇迦之御魂命、大日霊命、素戔嗚命、菅原道真公
神饌幣帛料供進社
■ 社号

28.新比叡山 本実成院 天龍護国寺
高崎市上並榎町922
天台宗 御本尊:釈迦如来
札所:群馬郡三十三観音霊場第31番
■ 厄除 元三大師

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●このエリアで御朱印授与情報があり、現時点で未参拝の寺社がまだいくつかあります。
御朱印を拝受できましたら順次追加していきます。

なお、群馬郡三十三観音霊場第4番の医王寺は、伊香保神社参道階段下から露天風呂に向かう途中の「医王寺薬師堂」のことかと思われます。

伊香保温泉周辺の御朱印-1(前編)から

御朱印情報の関連記事
 

【 BGM 】 ~ 熊田このはちゃん特集 ~
透明感あふれるたぐいまれなハイトーン。聴き手の心に入りこむ1/fゆらぎ。(→特集記事

花(中 孝介)- 熊田このは(まねきの湯 16 Dec. 2017)


fight(YUI) - 熊田このは(11 Feb. 2018)


サクラ色(アンジェラ・アキ) - 熊田このは
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1/fゆらぎ?(熊田このは)-6

2019/09/10UP

Vol.5が字数制限に引っかかってしまったので、ひまわりフェスの記事からこちらに移しました。
5からつづく

【 このはちゃんLIVE情報 】
☆ 熊田このは & 西岡龍生 バースデー 2MAN LIVE
・11月4日(祝) / 開場 11:00 / 開演 11:30
・溝ノ口劇場(川崎市高津区/武蔵小杉駅徒歩すぐ)

チケットの予約受付は、
本日9月10日(火)18:00〜 開始しています。
LIVE告知

先日の「ひまわりフェス」の仕上がりからして、もの凄いLIVEになる予感・・・。
楽しみ、楽しみ。

熊田このは & 西岡龍生「輝く未来(塔の上のラプンツェル)」 / 熊田このは・バースデーLIVE(2018/11/03/溝ノ口劇場)

↑昨年のバースデーLIVE with 西岡龍生君

西岡龍生、熊田このは 『美女と野獣』 MSP 11Feb2018

西岡君とデュエットすると、声がひときわ優しくなる感じがする。

もうひとつ

"The Band Night" vol.3
12月30日(月)
会場:ESAKA MUSE(大阪府)
開場17:00 / 開演17:30
※チケット予約開始しています。
LIVE告知

「ずっと、ふたりで」 (家入レオ)

↑昨年の"The Band Night"。今年もたぶん生バンドだと思う。
このはちゃんの歌、生バンドだとさらにパワーアップ。
2:56~からの声の出方は圧倒的で、バンドを従えている感じがある。

生ドラム、とくにスネアやハイハットの音って、今はやり?のASMRかも・・・。
とすると、これにこのはちゃんの1/fゆらぎが乗ったこういうテイクって、報酬系(ポジティブ感や幸福感をもたらす神経回路)にばりばり効くのでは?

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2019/09/05UP

中2のときのテイク。(翼をください)
動画
中2でこのスケール感と余裕・・・(絶句)。
出そうと思って出せる声色じゃない。

この地力にテクや表現力が加わって、↓(ひまわりフェス)のような卓越したパフォーマンスを生み出せるようになったのだと思う。

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2019/08/15UP

なんと、ツイッターですが、ひまわりフェスの動画UPしていただきました。
感謝、感謝です。→ 動画

いや~、すばらしく声出てると思ったけど、ここまでとは・・・。
強風のなかでの空間撮りで、このできはありえないかと。
ひょっとしてこれまででベスト? やっぱり音楽の女神、降りてたと思う(笑)

声に強さとエモーショナル感が増しているのに、透明感やゆらぎやハイトーンの伸びはまったく損なわれていない。
いや、ますます磨かれているかも・・・。
ここまでニュアンスの出た「365日の紙飛行機」、聴いたことがない。

比類なき才能!
誰にも似ていない。誰のまねでもない。「熊田このは」というオリジナルのフォーマット。
ゆっくり、あせらず、思うがままに進んでいってほしい。
この才能、音楽の神様はきっと見守っているから。

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2019/07/27UP

昨日(7/26)の野木町(栃木県)第28回ひまわりフェスティバル、行ってきました。
・13:00~14:00 「歌うまバトル」(鈴木杏奈と熊田このはのコラボステージ)
・15:00~15:30 熊田このはソロステージ

 
 
※機材も腕も悪いので、画像粗くてすみませぬ。

気温は高かったけど、空気が乾いて風があったし、テントが張られて椅子もあったので快適でした。

杏奈ちゃんとのコラボは、1曲目からいきなり「いのちの歌」。

なんというか、歌がうまいとか声がいいとかは当然として、ふたりとも音楽の女神が降りてきているような、オリジナルな”場”をもってる。
杏奈ちゃんは”華”の女神で、このはちゃんは”癒し”の女神かな。
それぞれに女神が降りているので、凄いことになってる(笑)
ほんとにこの2人の相性いいと思う。

それと、杏奈ちゃんの生の実力、実感したのは「夏の扉」。
この曲、メロが立ってるので簡単に歌えそに思えるが、じつは異様にむずかしい。
凡人には到底歌いこなせないこの難曲(テクがないと、ロングトーンは平板に、細いメロはお経になってあっさり崩壊する)を、松田聖子とは違う解釈で歌い上げていて驚愕。

★松田聖子 - 夏の扉 (作曲:財津和夫/編曲:大村雅朗)

この聖子節があるから対応できた。
このパフォはちとできすぎの感もあるけど(笑)、どんなヘタレのバックでも、平気な顔してまとめ上げてしまう力は天才的なものがあった。
売れるべくして売れた。

----------------------
このはちゃんのソロは5曲(Precious、マリーゴールド、月のしずく、時代、365日の紙飛行機)。
いずれも声の乗りが素晴らしく、Preciousはこれまででベストかも・・・。
時代~365日の紙飛行機への流れも超絶で、個人的にはあと5曲は歌ってほしかった(笑)

このはちゃんを知らない感じの観客も、びっくりした感じで拍手してた。
やっぱり先入観なしでも聴き手の心を打つのだと思う。

このあと、神社とお寺をまわって御朱印をいただき(実は午前中もまわっていた)、温泉(杉戸の「雅楽の湯」)でまったり。
最高の癒しDAYとなりました。

-------------------
2019/07/02UP-2

■このはちゃんLIVE情報-1
チラシ
7/21(日)
Yokohama O-SITE (横浜市西区)
開場 11:00 開演 11:15
前売3,500円 当日4,000円 (D別600円)
熊田このは / 浦西ひかる / 所谷彩未 / 砂月凜々香 / 北條 響

■このはちゃんLIVE情報-2
野木町(栃木県)第28回ひまわりフェスティバル
7/26(金)
野木町大字野木地内(野木第二中学校南側)
🦋13:00~14:00 「歌うまバトル」(鈴木杏奈と熊田このはのコラボステージ)
🦋15:00~15:30 熊田このはソロステージ

じつは、7/21(日)横浜LIVEは回避不可避の出張が入って泣く泣く断念だけど、7/26野木LIVE、杏奈ちゃんとのコラボって見逃せるわけないじゃん(笑)。
しかも一度はみてみたかったこのはちゃんの屋外LIVE。
仕事関係者に「7/26絶対休む」宣言して時間確保したもんね(笑)
楽しみ、楽しみ。

↑ 貴重なコラボ動画(リーフベルコンサート(2017/08/05 栃木県大田原市))
いゃ~、凄いとしかいいようがない!
杏奈ちゃんは”華”、このはちゃんは”艶”かな?

できれば、また珠玉の「Time to say goodbye」聴かせてほしい。

これがアマチュアの中学生のパフォーマンスって、あり得ないでしょ。

1/fゆらぎ?(熊田このは)-1
1/fゆらぎ?(熊田このは)-2
1/fゆらぎ?(熊田このは)-3
1/fゆらぎ?(熊田このは)-4
1/fゆらぎ?(熊田このは)-5
1/fゆらぎ?(熊田このは)-6

黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)
7曲の「You Raise Me Up」(熊田このは)
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■ 竹内まりや Music&Life

さっき放送してたNHK BSプレミアムの竹内まりや Music&Life~40年をめぐる旅~ 完全版、見応えがあった。
スクランブル化の是非はさておき、こういうの作らせたときのNHKスタッフの構成力ってやっぱすごいわ。

改めて聴いてみると、声が深い。そして残る。
どうしてこういうことになるのか、想像もつかないほど複雑な要素が絡んでいるのだと思う。

そしてコメントがよかった。
文字起こししてほしいくらい、ひとつひとつのコメントが詩になっていた。
達郎の冷静かつ客観的なコメント(笑)も興を添えていた。

貴重なLIVE映像、達郎のバックVo.とギターが絶妙に効いていて絶句・・・。
1983年洋楽ピーク説でも書いたけど、1970年代後半~1980年代前半にブレークしていったアーティストは、やはりどこか存在感が違うような気がする。

Plastic Love - 竹内 まりや (1984年リリース)

ひょぇ~、かっちょえ-
リズムどりが日本人離れしてる。
このルックスからこれ?? たしかに唖然。(このジャケは1980年のだけど)

Gringo - Little Feat

↑こういう裏拍系のノリがベースか?

そして、月日を重ねてこういう歌も。
人生の扉 - 竹内まりや


次の世代にしっかり伝わっている ↓
いのちの歌 - 鈴木杏奈&熊田このは (作詞/Miyabi(竹内まりや))


もっともっと、たくさんのものを伝えてほしい。
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1/fゆらぎ?(熊田このは)-5

6へつづく

2019/07/02UP

6/30のJOYSOUND全国カラオケ大会(決勝)で、このはちゃん、昨年につづいて10位以内入賞とのこと。
ぶれない実力、さすがだと思う。
当日、YouTubeでLIVE中継してたみたいだけど、全然知らなくて見逃した(泣)
歌ったのはアンジェラ・アキの「サクラ色」。
この場でこの超難曲選んで入賞する実力の冴え、やっぱりおそるべし!

サクラ色【熊田このは】/JOYSOUND全国カラオケ大会_20190630

UPしていただいた動画がみつかったので、追加します。
ゆったりとしたテンポのサクラ色を丁寧に歌い上げている。
歌だけじゃない。仕草、表情も含めたすべてが聴き手のこころを打つ。


↑ 2018/12/28の「サクラ色」
いろいろな歌い方をもっていることがわかる。

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2019/07/01UP

6/28の「Yuki Kajiura LIVE TOUR vol.#15 〜Soundtrack Special at the Amphitheater〜」千葉公演(市川市文化会館)、行ってきました。
 
FictionJunctionのLIVEは、実は初めてだけど、やっぱり凄かった。
VocalもだけどInst陣が実力派揃い!

WAKANAのかわりにJoelle(ジョエル)が入ってどうかな~と思ったけど、予想以上に健闘してたと思う。
さすがにSound Horizonで場数を踏んでいるだけのことある。
ただ、あくまでも個人的な感想だけどKAORIのハイトーンとぶつかっている感じがした。
(WAKANAもKAORIと音域がかぶるけど、声質が違うので巧く棲み分け、というかシナジーを出していた感じがする。)
ゲストの笠原 由里(新南田 ゆり)さんの声量やハイトーンはもの凄かった。でもオペラ。ステージで「天上人」と呼ばれていた意味が何となくわかるような気がする。

セトリについてはちと不満が残った。最新?の「Fate/stay night」からの選曲がメインで、ハイテンションでアップテンポのバトル曲が多かった。(コーラスというより、ユニゾン的に聴こえた。)
アンコール前の「i reach for the sun」は凄くよかったけど、これと同系の曲がもっと聴きたかった。
それと、なぜか閉演後にメロディーだけ流れてたけど、やっぱりアンコールには「Everlasting Songs」が欲しかった気がする。

などと、つらつら思いながらも「この場でこのはちゃんが歌ったら、どういうことになるんだろう。このパートだったらどういう捌きをするんだろう?」なぞということをず~っと考えていた。
やはり、生バンドで、そして実力ある方々とコラボしてほしい!

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2019/05/11UP

梶浦由記さんのFictionJunctionのLIVE、本日発売でチケットとれたので6/28行ってきます。
個人的にはオリンピックの音楽プロデュース、一番やってほしかった人。
これにkalafina(今年3月に惜しくも解散)のメンバーが絡むわけだから、悪かろう筈なし。

ハイトーン女性ボーカルのプロデュースに入ったら敵なしの人だけに、個人的にはカラバトU-18の面々(優衣ちゃん、杏奈ちゃん、彩加ちゃん、このはちゃん)と一度でいいからコラボしてほしい。
そんなこともふまえつつ、じっくり聴いてみたいと思います。

FictionJunction - Everlasting Songs

全員が楽勝でリードとれる実力をもちながら、裏メロやコーラスに回って紡ぎだす極上の音色!
ユニゾンさえハモリに聴こえる声色のオリジナリティ。
ニコ動のコメント群がこのLIVE(曲)の凄さを物語っている。
〔 Solo Parts 〕
0:28~ / 3:45~ 貝田由里子
0:57~ / 4:15~ KAORI (織田かおり)
2:50~ / 6:26~ KEIKO (窪田啓子)
3:17~ / 6:56~ WAKANA (大滝若菜)

ちと古いけどもう1曲。
Sound Horizonとの神コラボ。
Revo & 梶浦由記 DreamPort 「砂塵の彼方へ・・・」

豪華!のひとこと。
梶浦さん、じつは美声の持ち主(5:45~)。だから歌姫たちの才能の引き出し方が巧いのかもしれぬ。
U-18でこういうのやったらどうなるかな。凄いことになる予感も・・・。

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20190507UP
4/29(祝)、熊田このはちゃん&富金原佑菜ちゃんのツーマンLIVE(@溝ノ口劇場)、
行ってきました。

 

両者対照的な歌い振りで、凄く面白い内容だった。
このはちゃんは、表現力がさらにスケールアップしていて、聴き手のこころをしっかり掴みにくる感じかな・・・。
今回はとくに「いつまでも聴いていたい感」がハンパなかった。
繰り返しますが、この子まだ高2(16歳)ですけども・・・。

今回もありがたいことに動画UPしていただいているので、動画をリンクしつつご紹介します。

熊田このは アイノカタチ / MISIA

中低音の力感が増して、声の艶はもはや凄絶の域。

熊田このは もののけ姫

心地よくゆらぎを帯びた比類なきスーパーソプラノ。
ハイトーンになるにつれ、声の艶と音圧が増す「このはマジック」は健在だった!

熊田このは 月光 / 鬼束ちひろ

この曲も完璧に「このはオリジナル」にしていると思う。

Love Of My Life / QUEEN
やっぱりこのはちゃん洋楽巧い!
たぶんリエゾン(リンキング)や裏拍の勘どころがいいのだと思う。
こういう透明感と情感を併せもったハイトーンの歌い手って、洋楽の世界でもあまりいないかも。
個人的には、オリンピックの公式イベントでリードとれるレベルだと思っている・・・。

【富金原佑菜ちゃんとのデュエット曲】
このはちゃんが佑菜ちゃんに刺激を受けている感じか・・・。
おのおの異なる声色で、2人の声が合わさったときの深みが凄い。

熊田このは & 富金原佑菜 泣き出しそうだよ / RADWIMPS feat.あいみょん

ハイトーンの男性Voと中低音域のニュアンスに優れた女性VoのバトルがミソのgroovyなR&B。
しかし、よくこんな曲もってきたな・・・(笑)
この曲、どこまで崩して歌えるかがポイントだと思う。
その点からすると端正な歌いぶりのこのはちゃんよりも、縦横無尽に歌い崩せる佑菜ちゃんに分があるようにも感じる。
でも、この手の曲で真価が発揮できるのはきっともっと先だから、無理をしないでじっくり開花させていけばいいと思う。

熊田このは & 富金原佑菜 打上花火 DAOKO X 米津玄師

ボカロ的リズム&メロディ。
こういうのが歌いこなせるから、「黄金の世代?」は強い。
佑菜ちゃん、かわいい顔してあっさりコラボ相手を喰ってしまうこと多いけど、このはちゃん相手ではそうはいかんぞぇ(笑)
(この曲でも、このはちゃんじゃなかったら完璧に喰われてると思う。)

しかし、こういう曲聴くと、このはちゃんのリズムの掴みやっぱり凄いわ。
変拍子だろうがブレイクだろうがあっさりこなしてしまう感じがする。というか、そういう曲の方が真価を発揮するのでは?
それに、滑舌求められる譜割りのなかでこの声の伸びっていったいどゆこと?
ボカロ曲カバーという行き方もあるのやもしれぬ。

■ @ゆいこんぬ - bouquet(歌ってみた) 

こういう曲、たぶん思いっきりはまると思う・・・。

ゆっくり、あわてず進んでいけばいいと思う。
この才能。音楽の神様はきっと見守っているから・・・。

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4/29(祝)@溝ノ口劇場
富金原佑菜ちゃんとのツーマンLIVE
Webチラシ

↓こういうレベルのパフォーマンスが楽しめるはずです。
これは見逃せないかと・・・。
(残席あとすこしあるそうです。)

富金原佑菜 - 側にいて


熊田このは - 涙そうそう


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2019/03/30UP

本日(3/30)の「Melody Line〜はじまりのうた〜」(@池袋オペラハウス)、行ってきました。
あの会場に250名は、さすがに詰め込み過ぎかな??

でも、気になってた富金原佑菜ちゃん、三阪咲ちゃんの生歌も聴けて満足。
だれがいいとか巧いとかじゃなく、それぞれが独自の持ち味をもっていてその持ち味をしっかり打ち出していた感じかな。

 
雑踏状態だったので、この程度の写真しかとれませんでした。

【このはちゃんのセトリ】
1.プロローグ
2.なごり雪
3.桜坂
4.時代
5.素顔
6.明日への手紙
7.奏

3.4.7がとくによかった。
声の切なさにさらに磨きがかかっているような気がする。
もう、何を歌っても「このはワールド」状態では。

個人的にはだけど、UP曲とカラオケの曲を1~2曲混ぜてたらベストだった様な感じも・・・。

溝ノ口劇場より、はるかに客層が若かった。
この客層に、このはちゃんの透明感あふれるバラードがどのように届いているのだろう。
(音楽聴き込んできたおっさん連中は、おそらく抗うすべはないが・・・(笑))

富金原佑菜ちゃんとはある意味対照的なので、
4/29のLIVEも楽しめそうです。


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なにこれ? ↓
U-18歌うま甲子園 平成最後の頂上決戦(4/14放送予定)って、
このはちゃん出ないなら頂上決戦にならないじゃん。

【このはちゃんの戦歴】
■ U-18歌うま甲子園 春の選抜新人戦(2017年3月29日放送)
予選 / 未来へ(kiroro) 99.433
決勝 / YELL(いきものがかり) 99.102

■ U-18歌うま甲子園(2017年8月23日放送)
予選 / 見えないスタート(BENI) 99.571
決勝 / ひまわりの約束 (秦基博) 99.702

■ 2017年間チャンピオン決定戦4時間SP(2017年10月18日放送)
予選 / 生きてこそ(Kiroro) 99.472
決勝 / 心の瞳(坂本九) 98.825 

■ U-18歌うま大甲子園 最強王座決定戦(2018年1月4日放送)
予選 / CAN YOU CELEBRATE?(安室奈美恵) 99.839

■ U-18歌うま甲子園 四天王争奪戦(2018年2月21日放送)
予選 / Time goes by(Every Little Thing) 99.711
決勝 / 明日はどこから(松たか子) 99.037

■ 2018春のグランプリ4時間SP(2018年3月28日放送)
予選 / サクラ ~卒業できなかった君へ(半崎美子) 99.161

■ U-18歌うま甲子園(2018年6月18日放送)
予選 / M(PRINCESS PRINCESS) 99.666

■ U-18歌うま甲子園(2018年9月12日放送)
予選 / Goodbye Yesterday(今井美樹) 99.397

■ U-18歌うま甲子園2018頂上決戦(2018年11月21日放送)
予選 / Precious(伊藤由奈) 99.587

おそらく13回歌って、99.5以上6回、99.0以上6回、99.0未満わずかに1回。
平均得点99.423。
2017年10月18日の98.825が最低点で、これが99点に乗ってたら13回連続99点台。

この戦歴を無視することは、カラバトのアイデンティティ自己否定だから、このはちゃんサイドの理由だと思うが、このところ声の深みが増しているし、↓の福魂祭の「月光」でも凄い声色聴かせてくれたので、今回はとくに期待大だっただけに残念。

「糸」(2016/08/20)


でも、このところ凄いスケジュールこなしてたみたいなので、このへんで一息つくのもいいかも・・・。
カラバトだけが歌の舞台じゃないし。

でも、カラバトさん、まさか今回のでU-18四天王決めるわけないよね?


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3/11、福島の「福魂祭」(東日本大震災復興イベント)でオープニングの大役をつとめる。
Ohoooo‐くんのTweetで一瞬聴けます。
一気に大人びて、中音域の力感が凄い。発声がスケールアップした感じ。
この歌い方身につけていれば、もはや無敵では?

富金原佑菜ちゃんや三阪咲ちゃんとのバトル含み(?)の3/30が楽しみ。


(前編(4)はこちら

20190218 1:30AM
 

熊田このは&原藤由衣 ツーマンライブ@溝ノ口劇場 →チラシ
行ってきました。

仕事が超テンパってたので、10時の入場抽選会には間に合わないは、交流会&物販の前にとんずらするはの不良ファンです(笑)

 

よかったですよ。やっぱり予想以上に・・・。(PAもナイスだったし・・・)
徹夜明けのもーろーとした頭に、二人の美声が染みる染みる。
おかげでパワーをもらって、明日(今日か ~~;)納品の書類がなんとかさっき仕上がりました(嬉し!)

20190219
動画UP、ありがとうございます。
今回の関係者さんのUP動画、ライン録りかと思うほど音質がいいです(画質もですが・・・)
素晴らしいです!
こちらにも→(黄金の世代?(カラバトU-18が強い件))リンクさせていただきました。

それでは、感想をば。
↓(-----の中は、動画確認する前の個人的インプレッションです。)

熊田このは 「Squall」 (松本英子)

このはちゃんの声色、ますます深み(というか響き)が増しているような気がする。
倍音がパワーアップしているのかも。

今回は、ほとんど全曲聴きどころだったのだが、とくにBreak Free(Ariana Grande)と原藤由衣ちゃんとのデュエット曲かな。

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Break Freeは以前、→こちらでUPされていて、どぎもを抜かれたのだが、まさかLIVEで演ると思わんかった。
やっぱりこのはちゃん「絶対リズム感」もっているのでは?
リズムの上で跳ねるスーパーハイトーン、心地よいことこの上なし!
やっぱり洋楽のこなしすこぶる巧いと思う。

前回課題(笑)のフォーク曲、今回は成功!
あいかわらずこの曲のこのはちゃんのヒーリングボイス、出色。

オリジナルの「手と手」は、やっぱりいい曲だと思う。リズムセクションのアレンジが鍵になるような感じかな?(あくまでも個人的に、ですが・・・)

そしてそして、注目のデュエット。
由衣ちゃんはどちらかというとストレートな「歌のお姉さん」声のように感じてたけど、生で聴くと全然ちがう。(今回、なんと初LIVEだそう)
いろんな声色もっているし、音圧が凄い。ビブラートもカラバトより全然効いていたような・・・。

デュエット1曲目はひょっとして、このはちゃんが裏(低音)とっていたような・・・。
これはちょっと信じられない的展開。(最強ソプラノデュオでは?)
------------------------ (以上20190218 1:30AM)

熊田このは・原藤由衣 / 思い出せない花 (フレンチ・キス)/ このは・由衣2マンライブ

> このはちゃんが裏(低音)とっていたような・・・。

嘘でした(笑)
これは一部主旋律の方が低い。だから裏はとってないか・・・。
でも2:31~の「こんなに君を愛しているのに」~は、このはちゃんが低音の裏かもしれぬ。
こういうかたちで、このはちゃんの上(高音)をとれる歌い手はそうそういないと思う。

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2曲目からアンコール(これもデュエット(さよなら大好きな人))にかけて、このはちゃんのハイトーンの出方がハンパなかった。
初LIVEで健闘する由衣ちゃんに触発されて、爆発(笑)したようにもみえた。
------------------------ (以上20190218 1:30AM)

原藤由衣&熊田このは 「GO FOR IT !!」(西野カナ)

ふつう、2:38の「いつか~」のハイトーンで渡されるとかなりきついと思うが、このはちゃん、これをあっさり引き継いで、さらにハイトーンにもっていってる。
全曲超ハイトーンでの展開だが、どちらも余裕残して歌っているところが”スーパーソプラノ”の面目躍如か・・・。

今回のこのはちゃん、UP曲がすごく光っていた。
なにか、天性のリズム感が開花している感じがする。

熊田このはさん 原藤由衣さん 2019.2.17 溝ノ口劇場 花★花「さよなら大好きな人」


原藤由衣&熊田このは 「さよなら大好きな人」

原曲よりピッチが高い。
同じハイトーンでも、個性のちがいがよくわかる。
由衣ちゃんは穏やかで包み込むようなハイトーン。
このはちゃんは伸びやかに広がっていくハイトーンだと思う。

> 初LIVEで健闘する由衣ちゃんに触発されて、爆発(笑)したようにもみえた。

これもちょっと違うと思う(笑)
厚みのある由衣ちゃんの声とのコントラストをつけるため、とくに広がりのある発声をしていた感じがする。
それにしても、このはちゃんのこういう声の、艶、伸び、広がり、天下一品だと思う。
そうは聴けない、スーパーソプラノデュエットでした。

花*花 - さよなら大好きな人


20190221
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本日放送のカラバト「U-18歌うま甲子園 新人王決定戦」、録画したやつを先ほどまで視ていました。

原藤由衣ちゃん、優勝おめでとう。(そして100点も)
その勢いと自信が、↑のLIVEでも出ていたような気がする。

【決勝曲】原藤由衣「Alone (岡本真夜)」2019/02/17 konoha&yui 天使のハーモニー 溝ノ口劇場


今回のカラバトは、いろいろと思うところがありました。

まずは、音のぶつけ方。
たぶん現行採点機は、声量の評価点が高くなっていると思う。
だから、基本的には音をぶつける(声量を出していく)歌い方で、ときおりピアニシモ系を交えた方が、抑揚も含めて高得点がとれるような感じがする。

ビブラートは、原藤由衣ちゃん、今回ボックスB-1で100点出したので(たぶん初めてだと思う)、むりくりB-2を追求することはないのでは。
やっぱり、B-2は低音部分でとっている感じがあるので、ハイトーン系の歌手では、しっかりかかっていてもB-1に振れるのだと思う。

梅谷心愛ちゃん、凄く伸びてきているし(100点にはびっくり)、馬場亜衣里ちゃんもいいパフォーマンスしていたと思う。
でも、いまのこのはちゃんならば大丈夫。勝機は断然あると思うよ。
聴き手の心を動かす声の力は、四天王含めてもやっぱりピカ一だと思うし。

熊田このは「I believe (絢香)」2019/02/17 konoha&yui 天使のハーモニー 溝ノ口劇場

声にメリハリ(切れ)と力感が加わって説得力十分。聴き手を元気づけられる声。


熊田このは「明日への手紙 (手嶌葵)」2019/02/17 konoha&yui 天使のハーモニー 溝ノ口劇場



天から降ってくるような透明感。そしてあふれ出る1/fゆらぎ。
やっぱりこの曲はまりすぎ。
2:55あたり(ライトが青からグリーンに変わるあたり)からラストにかけてのハイトーン、凄い凄い!

衒いのない素直な歌いぶりなのに、一音一音が心に響く。
こんなの他の誰にもできないと思う。もっともっと聴きたい!(笑)

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2018/11/03 バースデーLIVE 関連を独立してUPします。
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11月3日(土)、このはちゃん誕生日LIVEが決定!
guest★上野友梨奈さん、西岡龍生くん
🎠11:00open/11:30start
🎟3000円+1d(600円)

🏹溝ノ口劇場(神奈川県川崎市)
◾︎ご予約9月15日(土)昼12時〜
@Konoha__staff__ までDMでお願いします
詳細は→こちら

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2018/09/22
「予定枚数に達しましたので、予約を終了しました。本当にありがとうございました🙇‍♀️
(キャンセル待ち数名様受付致します)」とのことです。↓
→twitter

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2018/10/31
本日のカラバト視ててまたも思った。
いまのU-18の常連のレベルがあまりに高すぎるということを・・・。

このはちゃんの場合、女性に限っても、
すこし上に堀優衣ちゃんと佐々木麻衣ちゃん、すこし下に鈴木杏奈ちゃんに佐久間彩加ちゃんと、いずれも声質とテクを兼ね備えた逸材に完全包囲されている。

彼女たちの場合、調子くずして降りてきても99点台前半止まりで、98点台はまず出さない。(このはちゃんもわたしの記憶の限りでは、98点台は1回(98.825点)しか出していないと思う。)

他の世代(トップ7以外)をみると、たいていは98点台以下で、はまりにはまっても99.3点台程度。
なので、U-18トップ陣の最低ラインとその他の世代の最高ラインが99点台前半でラップしている構図となっている。
サッカーでも体操でも「黄金の世代」とよばれる一世を風靡した世代があったが、歌の世界でもそういうものがあるのだと思う。

それにしてもこの実力を持ちながら、U-18四天王未制覇はナゾ。
個人的には資質じたいはU-18でも文句なくトップだと思っているので、一旦ツボにはまって四天王入りしたら、その座は卒業までもう譲らないのでは・・・。

11/21に「Precious」で参戦。
予告
U-18四天王全員参戦でハードな戦いになると思う。
ただ、勝負云々よりTVで視れることがうれしい。

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2018/11/03

 

溝ノ口劇場。はじめての生このはちゃん。
う~ん、予想どおり(というか予想以上に)凄い!
今年1月、イオンレイクタウンでカラバトTOP7の面々、生で聴いたけど、
PAや音響の状況差し引いても、やっぱりこの子の声質、ピカ一だと思う。

 

後半、9/12のカラバトで歌った「Goodbye Yesterday」をアコギ1本のバックで再演。
今日のはサビに力感しっかり乗っていて、とてもいい出来だったと思う。

ゲストの上野友梨奈さん、西岡龍生くんもいいパフォーマンスしてくれていて、
ほのぼのといいライブでした。
東京周辺でライブあれば、絶対また行くと思う。(チケットとれればじゃが・・・)

生で聴いてみると、思っていた以上に中音域の声が深い。
そこから展開するハイトーンへの伸び上がりは想像以上の絶品。
そして、ハンパない「いつまでも聴いていたい感」。
やっぱり絶対1/fゆらぎ(&倍音)出ていると思う。

誰のまねでもない。誰にも似ていない。「熊田このは」というオリジナルのフォーマット。
ひょっとすると、これまで誰も試みていないポップミュージックへのアプローチをしているのかもしれず・・・。
まさしくOne and Onlyのハイトーンボイスだと思う。

おそらく楽譜どおりに歌い綴るより、アドリブやスキャットを交えて真価を発揮する天才肌の歌い手。だからカラバトでの勝負の仕方に迷いがあるのかも。
(ドラムス&ベースのみのリズムセクション・リフの上で舞い踊るこのはちゃんの美声、想像するだによさげだし・・・。バラード曲が多いけど、グルーヴ感あるミディアム曲もお手のものでは?
実例(Break Free / Ariana Grande)
ミディアムでは、こんな名唱も・・・。
Endless Story (Yuna Ito)
170827 熊田このはちゃん ENDLESS STORY

※2017.8.27東京・小岩でのジョイントライブ

前にも書いたけど、声楽のニュアンス入っていながら、絶妙なところでPOPSとバランスして、声楽にありがちな飽きがこない。いそうでいない稀少なポジショニングだと思う。
ソプラノとコラボしたら天下一品の葉加瀬太郎氏。このはちゃんと演ったらすごいことになるかも・・・。

Akiko Shikata/志方あきこ- Ave Maria



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11/3の、きっとどなたかが動画UPしてくれると思うので、じっくり聴き返してまたUPします。

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2018/11/06

やっぱり動画UPしていただけました。ありがたいことです。

Goodbye Yesterday / 熊田このは・バースデーLIVE(2018/11/03/溝ノ口劇場)

9/12カラバトとくらべて明らかにサビの力感が増している。そしてビブラートの効きも。
今井美樹とはちがう解釈で歌い上げている感じがある。これが「このはオリジナル」?

さよならの夏 ~コクリコ坂から / 熊田このは・バースデーLIVE(2018/11/03/溝ノ口劇場)

このはちゃん、あまりマイナー調の曲歌わないけど、がっつり歌い込んだときの情感の入り方たるや・・・。

熊田このは & 上野友梨奈 & 西岡龍生 「いのちの歌」 / 熊田このは・バースデーLIVE(2018/11/03/溝ノ口劇場)

ゲストのおふたりからの最高の誕生日プレゼントかも。

愛は花、君はその種子 / 熊田このは・バースデーLIVE(2018/11/03/溝ノ口劇場)

たおやかな歌いぶり。そして降りそそぐ1/fゆらぎ。
このはビブ(中周期弱振幅ビブラート)から一旦はなれ、ビブラートに頼らないニュアンス(表現力)を身につけてからこのはビブを戻して歌い上げた感じか?
どこまで進化するのか、すでに想像の域を超えている。

※正月に声楽をやっている人と話をしたとき、声楽では一旦持って生まれたビブラート?を矯正するレッスン方法があるとのこと。(「(声を)のばす」という表現をされていた。)
ただし、この場合、矯正の対象となるのは、トレモロ(顫音/不安定で不規則なゆらぎ)やいわゆる「ちりめんビブ」(どちらもカラバトだと、A-1~3やひし型などの評価のつくもの)で、横隔膜ビブラート(震音、カラバトだとB-1~2でボックス型の評価がつきやすいと思う)は対象にならないような気もする。(想像ですが・・・)
しっかりとした横隔膜ビブラート(震音)を持つと思われるこのはちゃんが、一旦ビブラートから離れたのは、あまりにも強力な「このはビブ」に頼りすぎず、地力(とくに表現力)をつけるためではないかと勝手に想像している。(矯正の対象になったのであれば、ビブラートが戻ってきたことの説明がつかない。)

また、横隔膜ビブラートは音程やリズムの不安定さをカバーしてしまう効果がある(&カラオケ採点機さえも、ときにこれにだまされる)と感じているので、ノンビブのロングトーンはとくに精緻さを問われるところ。
このはちゃんは一時、ノンビブのロングトーンを多用していたけど、これによって正確性がさらに増したような感じがする。

本格的な横隔膜ビブラートは「意識しなくても自然にかかってしまう」ものらしいので、これをあえて(意識して)外していたとしたら、相当にきびしかったのでは?
(以上、すべて個人的かつ勝手な憶測です。念のため。)


熊田このは & 西岡龍生「輝く未来(塔の上のラプンツェル)」 / 熊田このは・バースデーLIVE(2018/11/03/溝ノ口劇場)



この曲はひときわよかった。これまで聴いたなかではもっとも優しい声では?(個人的には、ハイトーン系女性ボーカルとしてはほとんど理想に近い声色。)
「歌っていてしあわせ」的な表情が戻っているのがなにより。
2:54~の「特別な夜~」の美声! この歌い方持ってればアニソン系も軽いと思うよ。

Precious / 熊田このは・バースデーLIVE(2018/11/03/溝ノ口劇場)

この曲はこのはちゃんの声質や唱法によく合っていると思う。
オケが強すぎるのがちと残念だけど、デリケートな節回しを要求される難曲を余裕をもってこなしている。
「輝く未来」でも聴けたが、ところどころで絶妙に一拍おいて打ち込んでくる歌い方(タメとは違う)をしていて、これが歌声のキレをつくりだしている。
こういうのは、抜群のリズム感がないとできないワザだと思う。
エンドにかけてのスキャット、音を選ぶセンスはさすが。それにしてもこれが高1の女の子のLIVE?

熊田このは「precious」(伊藤由奈)

音質補正版? ヴォーカルとオケのバランスが落ち着いて、このはちゃんの美声全開。

音程もリズムも究極的に安定、透明感あふれる声質なのになぜかやたらにスリリング。
曲ごと(というか音節ごと)にニュアンスを変えていて聴きどころ満載。こんなに面白いライブはそうそう聴けるものではないと思う。

Precious / 2015年時点

3年間で声の艶とニュアンステクに磨きがかかっていることがわかる。
このときの「このはビブ」もすごいけど。

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2018/11/21
本日放映のカラオケバトル。
劇的な予選敗退を喫してしまったこのはちゃん。

熊田このは「Precious」(伊藤由奈)


でも、出来じたいはかなりよかったと思う。
前半「決めた」のところでの赤1かな??
(ここらへん、ものすごく節回しがデリケートで、バー出てなければぜんぜんわからんかった。ほとんど紙一重の世界。)

後半、とくに「信じよう~」からはほとんどパーフェクトな仕上がりで、もっと歌わせてもらえたら、ロングトーン&ビブラートを5星に引き上げ、裏加点をさらに加えて点数をアップしていたと思う。

2018/02/11の「CAN YOU CELEBRATE?」(会場機械採点100.000) →A
前々回(6/20)の「M」(99.666) →B
前回(9/12)の「Goodbye Yesterday」(99.397) →C
今回(11/21)の「Precious」(99.587) →D

表現力:A 97点/B 99点/C 96点/D 97点
正確率:A 97%/B 95%/C 99%/D 95%
抑揚 :A 88点/B 100点/C 84点/C 92点  
ロングトーン:A 5星/B 4.5星/C 4.5星/D 4.5星
しゃくり:A 34回/B 29回/C 41回/D 21回
こぶし:A 5回/B 12回/C 10回/D 13回
ビブラート:
 A 41秒 54回 上手さ4.5(ボックスB1)
 B 8秒 9回 上手さ4.0(ボックスB1)
 C 33秒 29回 上手さ4.5(ボックスB1)
 D 75秒 74回 上手さ4.5(ボックスB1)

これをみても、正確率95%が得点に影響していた可能性が高い。
ビブラートは75秒 74回 上手さ4.5とほぼ完全に復調。
秒数と回数は同値が理想といわれるので、ほぼベストな掛かりでは?

立ち上がりの速い「このはビブ」(B-1系)にロングトーンから移行する華麗なビブラート(B-2系?)が加わって、ビブラートのバリェーションが増えていると思う。
カラバトの点数はB-2で100点が出ているケースが多いので、後者のビブラートをバランスよく使えば、より100点がとりやすくなるのでは?
(ただし、B-2系ビブとロングトーンは加点的に相反の関係があり、バランスが必要とみられている。また、B-2系は中低音で乗りやすく、ハイトーン主体のこのはちゃんでは出しにくいということもあるかも・・・。無理にB-2増やす必要はないかも。)
実例?

決勝進出は逃したけど、やはり声の質や歌い込みの面白さはU-18でもピカ一だと思う。
ゲストの足立梨花さんが「色々な表現(ができる)」とコメントしていたけど、本当に縦横無尽な歌いぶり。
誰よりも1/fゆらぎ出ていたと思うし、「ずっと聴いていたい感」がハンパなかった。

今回、歌い進むにつれて調子を上げていったのはナイス。
後半~ラスト、LIVE的な感情のこもった歌い方しているのに音程はパーフェクト。これは凄い。
(「信じよう~」からのけっして長くはないパートで、小さい☆飛ばしまくり虹3黄5赤1から一気に虹9までもっていった様は圧巻!、本領発揮だと思う。)

何か掴んだような感じもあるので、次回は期待大。

まだまだ、まだまだこれからだよ!

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20181204
最新の会津若松LIVE (貴重版。UPしてくれた方に感謝です)
このはさん 2018.11.25 会津若松 volume 松本英子『Squall(スコール)』


nana-musicでもUPしていた「Squall」(松本英子/福山雅治)
ほんとにいい曲探してくると思う。

シンプルなアコギ1本のバックだけに、よけいに声色が映える。
ロングトーンが少なく、本来ビブラートをかけにくい歌だと思うが、立ち上がりの速いビブラートがしっかりかかっている。
1音1音が艶やかに粒立っていて説得力十分。
音のつかみ方でなにか得たものがあるのかも・・・。

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20181213
さらに最新の大田原市での応援パフォーマンス(12/9)。(これまたレア動画で、UPしてくれた方にただただ感謝です)

涙そうそう 2018.12.9 栃木県大田原市/ハルハナコンサート
熊田このはさん 2018.12.9 栃木県大田原市 夏川りみ「涙そうそう」


涙そうそう Leaf Bell  ※昨年(2017夏)のLIVE


1年半前のLeaf Bellのテイクも凄いと思ったが、さらに魅力を加えた感じがする。
歌い方に余裕が出てきて、声色が優しくなっていると思う。
このたおやかな声の伸びと1/fゆらぎ。現時点で他に出せる歌い手が思いつかない。

これはまったくの憶測だが、以前は自分の才能をもてあましている感じがあった(これはこれで得難い魅力だったが)が、ここにきて、自身の才能の活かし方を掴みつつある感じか??
以前、「声を思いっきりぶつけていった方がいいテイクになるような気がする」という、超独断的なコメントしたけど、いまはもう、このようにコントロールされた歌声の方が完成度が高いと思う。

熊田このは - Time goes by Every Little Thing

↑テリー伊藤氏のカラバトのコメント「声が切ないですよね。これがやっぱ彼女の一番の魅力でひたむきな感じがするから、何を歌わせても彼女の世界がある。」
さすがはテリー氏、これはほんとにいえてると思うが、このところ、とくにこの「切なさ」に磨きがかかっているような感じがする。
(ふつう透明感あるハイトーン女性Vo.は「作業用」に最適だが、このはちゃんの歌はフックがありすぎて気をとられ、「作業用」にならぬ(笑))

それにしても「切なさ」にあふれた声質をもちながら、聴き手をポジティブな心持ちに導いていくこの歌声。やっぱり比類のないものだと思う。

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2019/01/20(日) 溝ノ口劇場で二木蒼生さんとの共演LIVE、予約受付中です。(12/30時点)
→ 詳細
(すでに完売しています。)

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20181231

2018/12/28 The BAND NIGHT Vol.2 ESAKA MUSE(大阪)のLIVE、UPいただきました。
感謝です。

「サクラ色」(アンジェラ・アキ)

アンジェラ・アキの超難曲に立ち向かうこのはちゃん。しかも生バンドサポート。
バンドのフロントに立ってもまったく臆していない。
生バンドバックだと、その音圧に負けてニュアンス出し的な歌い方に逃げる人多いが、いつもながらの真っ向勝負。
しかもリズムへの乗り方が抜群に巧い。抜けのよいスネアの上でこのはちゃんのハイトーンが映える映える!(この曲に限らず、からだの揺れを裏拍でとっている感じがある。)
この子はかねがね絶対リズム感もっているのでは? と感じていたけど、本当にそうかもしれぬ ※

(リズム感があるからUP曲が多くなり、リズム感に不安があるからバラードに向かう、というのはいかにもありそうな話だけど嘘だよ。むしろ、もっともリズム感求められるのはバラードかもしれぬ。)

3:22「ふるさと」~の声の乗り、以前よりさらに強い声が出ていると思う。
聴き手の感情を揺さぶる、聴き流しをさせない声。

「Gifts」 (Superfly)

さっき、紅白で歌ってたけど、声の艶は越智さんを越えているかも・・・。

「ずっと、ふたりで」 (家入レオ)

以前nanaで歌っていた曲で、曲調的にすごく合っていると思う。
歌い出しから序々に声のトーンを調整。2:00~位から完全に波に乗り、2:56~からはトップギア的な・・・。
2:56~からの声の出方は圧倒的で、バンドを従えている感じがある。

歌い振りはむしろ淡々としていて必ずしもエモーショナルっぽくないのに、紡ぎ出される声色はただただ聴き手の心を打つ。
これが「このはワールド」?

しかし、これが高1の女の子のLIVEって・・・ (再)

※絶対リズム感の件
熊田このは「花束を君に (宇多田ヒカル)」2017/01/08 Beautiful Girls Vol.7

この難曲で、このリズムキープはただごとじゃない。
この曲、歌ってみた系ではたいていベタッとした語り系の歌い方になってる。ここまで跳ねている「花束を君に」は聴いたことがない。
これが「このはマジック」・・・?


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■このはちゃんLIVE情報2件
2月17日(日)
熊田このは 原藤由衣 ツーマンライブ
@溝ノ口劇場
11:00 開場
11:30 開演
🎟3,400円 + 1d(600円)
予約は1月17日(木)19:00〜
@Konoha__staff__ のDMで受け付け

※1/19時点で残席14席だそうです。売れ行き速し!
※1/20時点でソールドアウトとのこと。
https://twitter.com/konohakumada/status/1083647355809718272

美声ソプラノ2人の競演。これは歴史に残るかも・・・。

■「未来へ」(カラバト)
原藤由衣ちゃん


熊田このはちゃん
→twitter


3月30日(土)
Melody Line〜はじまりのうた〜
玉木聖愛/富金原佑菜/三阪咲/熊田このは/and more?
@池袋オペラハウス
時間未定
一般¥3,500 学生¥3,000
(ペア割¥500引き/トリオ割¥1,000引き)

Ticket
①各出演者&Melody Line会場
手売りチケット
②公式取り置き予約フォーム
http://docs.google.com/forms/d/e/1FAI
入場順①→② 200人限定!!!

※こちらも1/19時点で残席少ない模様です。
https://twitter.com/melody_line2016

個性派4人の競演。こちらも見逃せず。
黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)

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20190120

二木蒼生さんとの共演LIVE(@溝ノ口劇場)、みてきました。

 

 

このはちゃんのLIVEは2度目。
今回は、PAのバランスがよく、このはちゃんの声がよく通っていた。
このはちゃんの声は艶やかにうるおって、いつにも増して素晴らしかった。
「いつまでも聴いていたい感」は、おそらく前回以上だったと思う。
全体に表情が活き活きとして、楽しそうだった。

二木蒼生さんとのやりとりもほのぼの(笑)
二木蒼生さんもオリジナル曲メインにダンスをまじえて熱演。
見応えのあるいいLIVEでした。

噂に聞いていた初オリジナル曲の「手と手」。
綺麗なメロディラインでこのはちゃんにぴったり。歌詞もナイスな名曲だと思う。
CD化するとしたら、アレンジがポイントかも・・・。
いずれにしてもこれから楽しみ。

一番印象に残ったのは、マル秘オファーが出ているのであまり具体的にはいえないけど、70年代の某フォークソング(ニューミュージックか?)の名曲。
このはちゃんは、歌以外に気をとられざるを得ないシチュエーションだったのだが、この声色が出色だった。
ニュアンス的には前回↑の「輝く未来(塔の上のラプンツェル)」に近いかな?

シンプルで飾りはないけど、すこぶるヒーリングなボイスが炸裂。
素の声?で歌って、こんなパフォーマンスできる歌い手って滅多にいないと思う。
(こういう声は、(たぶん)練習して出せるものじゃない。まさに天性のもの。)
意識的にこういう声ちりばめていくと、さらに凄いことになるかも・・・。

この子のLIVEってホントに新発見だらけで、面白いことこのうえなし。
2月も3月も当然のことながらチケットキープしたし・・・(笑)

セトリ曲については、きっと腕利きのみなさんに動画UPしていただけると思うので、それをみてまた感想をば、述べさせていただきます。

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20190121

早速に動画UPしていただきました。ありがたいことです。

瑠璃色の地球 / あおいとこのはのスペシャルステージ(2019.01.20)



この曲、リーフベルコンサート(2017.8.5)でも素晴らしいハイトーンを聴かせてくれたけど、声に優しさと余裕が加わってスケール感が増しているような感じがする。
そして感情を乗っけられる音域がさらに広がっている感じも・・・。
あふれ出る1/fゆらぎ。これって絶対セラピー効果あると思うよ(笑)

YELL / あおいとこのはのスペシャルステージ(2019.01.20)

この曲は会場でもとくに声が乗っているような気がしたけど、やっぱりいいテイクだと思う。

君の名は希望 / あおいとこのはのスペシャルステージ(2019.01.20)

おっと乃木坂!
こういう広がりのあるメジャー系のMid~Up曲、やっぱり向いていると思う。
このはちゃんの振り、しなやかで、メリハリもあって上手い!
蒼生さん、綺麗な高音持っているのに、ところどころ裏メロとってサポートしてくれてる。

プロローグ / あおいとこのはのスペシャルステージ(2019.01.20)
※この動画、すばらしく音質がいいです。

12月に@カラオケノンマイクVers.をtwitterで公開し、ファンのどぎもを抜いた曲↓
プロローグ

声のふくらみが増しているのに、まったく損なわれていない透明感。
そして揺るぎのない安定感。”間”のとり方がさらに巧くなっている感じかな・・・。
この曲、ボカロ的な音使いだと思う。このはちゃんのスーパーボイスでボカロの難曲撃破してほしい(笑)

動画で聴き返してもやっぱり面白すぎ。
2/17のwith/原藤由衣ちゃん、本当に歴史的なギグになるかも・・・。

6へつづく

1/fゆらぎ?(熊田このは)-1
1/fゆらぎ?(熊田このは)-2
1/fゆらぎ?(熊田このは)-3
1/fゆらぎ?(熊田このは)-4
1/fゆらぎ?(熊田このは)-5
1/fゆらぎ?(熊田このは)-6

黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)
7曲の「You Raise Me Up」(熊田このは)
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■ 埼玉県川越市の札所と御朱印-1(中心エリア)

情報追加しました。(2019/09/04)
全面リニューアルしました。(2019/08/15)
御朱印を更に追加しました。(2019/02/25)
御朱印を更に追加しました。(2018/10/06)

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川越の御朱印はほぼほぼ拝受した気がするので(一部七福神除く)画像を交えてUPしてみます。川越は神社御朱印も多いので、こちらも併せてご紹介します。

 
 
 

【エリア概要】
江戸期、川越藩の城下町として繁栄した川越は戦災や震災を免れたため、多くの歴史的建造物が残る観光都市。
周辺はさつまいもの名産地で芋系グルメや鰻の名店も人気が高い。
メトロ副都心線の東急線乗り入れで城西方面や神奈川からのアクセスがよくなったこともあり、このところ観光客がさらに増えている模様。
市内各所で和風情緒を堪能できることからインバウンド客の人気も上がっている感じも・・・。

 
城下町だけに多くの寺社が点在し、歴代、老中格の親藩・譜代が城主を勤め「小江戸」と称されたこともあってか格式の高い寺院が目立つ。宗派は天台宗と浄土宗が多い。

パワースポットとして人気の高い川越氷川神社、川越八幡宮や天台宗の名刹喜多院など、オリジナル御朱印帳を頒布するメジャー寺社があり、御朱印デビューする観光客も多そう。

このあたりは鎌倉に似ているが、鎌倉ほどに御朱印授与に積極的な寺院は多くない印象。
目立つ寺院が非授与で、目立たない寺院が授与されたりするので結構マニアックなエリアでは?

それでも小江戸川越七福神が設定され、通年揮毫対応される寺院も多いので、かなりの御朱印を集めることができる。

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川越市の市域はけっこう広く、徒歩や周遊バスで回れる中心エリアと、車がないとアクセスがやっかいな周辺エリアでアプローチがことなるので、2エリアにわけてのご紹介です。

【中心エリア】
北は新河岸川南岸から南は国道16号まで、西は東武東上線から東は国道254線までのエリアで時間をかければ徒歩でも回れるし、周遊バスも多く運行されているので移動しやすい。

北部のメインスポットはなんといっても川越氷川神社
縁結びの神様で、女子ごのみのイベントが催され神社カフェもあるなど、いつも若い女性やカップルなどで賑わっている。
ここで御朱印デビューする女子はかなり多いとみられる。
こちらは童謡「通りゃんせ」の舞台として知られる三芳野神社の御朱印も授与されている。

北部には授与寺がいくつかあるが、メジャー霊場の札所はなく、拝受できるタイミングも難しい感じがある。
蔵造りの家並みの西側、喜多町、元町2、末広町2、連雀町にかけては市内屈指の寺町で風格ある大寺も多いが、見立寺、蓮馨寺など小江戸川越七福神の札所をのぞいて多くが非授与の模様。

そのさらに西の末広町1、六軒町、三光町には日蓮宗寺院が点在し、御首題を授与される寺院がいくつかある。
小江戸川越七福神のひとつ(弁財天)妙昌寺では書置タイプの御首題が授与されているので、御首題デビューにはいいかも。

市内観光のハイライト、喜多院のそばには成田山川越別院本行院もあって、寺院御朱印拝受のメインエリアとなっている。この2寺は札所でもあるので札所御朱印拝領の楽しみも。
また、日枝神社や東照宮など、川越を代表する神社もこのエリアに鎮座する。

川越駅近くになると、熊野神社や川越八幡宮。喜多院そばにある川越東照宮の御朱印は川越八幡宮で拝受できる。

南部では小江戸川越七福神がメインだが武蔵国十三佛の札所も入ってきて、周辺エリアの色合いも強くなる。

【周辺エリア】
工場の多い北部をのぞき、西部の笠幡・霞ヶ関、東部の伊佐沼周辺、南部の今福エリアなどに札所が点在しているが、上記のとおり公共交通機関でのアクセスはいずれも不便。
立地からしても川越観光の観光客よりも、札所巡りの参拝客がメインとなっている模様。

【川越市と札所】
なんといっても小江戸川越七福神がメジャー。多彩な宗派が参画しバラエティ豊かな陣容となっている。
小江戸川越七福神の札所の多くでは御本尊や別尊の御朱印も授与されているので、拝受数を稼ぐにはここの参拝が有効。

川越市内に札所が集中する霊場はなく、関東三十六不動尊、関東百八地蔵尊、関東九十一薬師、武蔵国十三佛など尊格系霊場の札所が点在するのみ。
武蔵国十三佛はあまり知られていないが、各札所の御朱印対応がしっかりしていて希少な尊格の御朱印を確実に拝受できるので注目かも。(ただし、本来は追善供養に関わる霊場なので、それなりの心構えはいるかもしれません。)

※先日、「平成 小江戸川越 古寺巡礼」という73箇寺からなるお寺めぐりコースを知りました。(→情報
これは2006年に刊行された同名の本(限定発売)にちなむもので、霊場とは言えないかもしれませんが、川越仏教会が関係し、一部のお寺では札所印つきの御朱印も授与されていたようです。
 
※先日、あるお寺さんでこの本をゲットしました。最後の1冊とのことで、現況、入手はむずかしいかもしれません。

コースに入っている檀家寺系のいくつかのお寺で授与を断られているので、現況では御朱印拝受はかなりむずかしい感じがあります。
それでも今回、いくつかの参画寺院で拝受しているのでご紹介します。(ただし、これらの寺院は御朱印授与を想定されていない感じもあり、タイミングもむずかしいかと思います。)

川越市内の代表的な寺院はほとんど名を連ね、廃寺や無住もほとんどないようなので、正式に霊場として開創すれば巡礼する人はかなりいるのでは。
ただし、真宗、日蓮正宗など、通常は御朱印を授与されない宗派も複数含まれているので、全寺御朱印拝受はむずかしいかと思います。

【拝受データ】 (おおむね北部から。現時点で授与休廃止の可能性あり、形態(直書・書置など)は状況により変化する可能性大です。)
※ このところWeb上で拝受可の情報がある非札所系のお寺で、非授与となっているケースが増えているようです。(とくにメジャーな寺社のそばの寺院)
ご住職や大黒さんなどのお話から察するに、拝受希望者が増えて対応しきれなくなったこと、あるいは、礼を失する不届き者の存在などもあるような感じがします。
なので、札所でない寺院については、寺院名を伏せることにします。
(著名な大寺やWebなどで積極的にPRされている寺院は掲載しました。)

[中心エリア]

■ (小久保)神明神社 
 
川越市神明町204 ※新河岸川北岸ですが、中心部から歩けるのでこちらでご紹介
御祭神:天照大神、豊受姫命
旧社格:
元別当:良學院(教学院)
授与所:山田八幡神社(開運十四社詣)
朱印揮毫:小久保 神明神社 直書(筆書) ※「開運十四社詣」の印判
・修験との所縁がふかい神明社。

■ 稲荷山 称名院 東明寺
 
川越市志多町13-1
時宗 御本尊:虚空蔵菩薩
札所:小江戸川越古寺巡礼第31番
朱印尊格:虚空蔵菩薩(虚空蔵)
札番:なし
直書(筆書)
・鎌倉時代中期に各地を行脚され、時宗の宗祖となられた一遍上人の開山とされる市北部の名刹で、本山清浄光寺(遊行寺)の直末。御本尊・虚空蔵菩薩はは慈覚大師円仁の作と伝わる。
・天文十五年(1546年)、北条氏康が上杉憲政・上杉朝定・足利晴氏の連合軍を寡兵をもって打ち破った河越夜戦(東明寺口合戦/日本三大夜戦の一つ)の戦場跡とされる。
・御朱印尊格は時宗ではめずらしい虚空蔵菩薩。タイミングが合えば拝受できる。

■ 川越氷川神社
 

 
川越市宮下町2-11-3
御祭神:素盞嗚尊、脚摩乳命、手摩乳命、奇稲田姫命、大己貴命
川越の総鎮守、別表神社
授与所:境内授与所 / 御朱印帳あり
朱印揮毫:氷川神社 直書(筆書)
・創建はじつに欽明天皇二年(541年)とされる古社。室町期の長禄元年(1457年)、太田道真・道灌父子による川越城築城以来、城下の守護神・藩領の総鎮守として歴代城主により篤く崇敬された。(社伝)
・「縁むすびの神様」として知られ、境内は女子やカップルでつねに賑わっている。とくに夏場に開催される「縁むすび風鈴」は抜群の人気を誇り、近年は限定御朱印も授与されている模様。
 

■ 八坂神社
 
川越市宮下町2-11-3
御祭神:素盞嗚尊・奇稲田姫命
川越氷川神社境内社(摂社)
授与所:川越氷川神社授与所
朱印揮毫:八坂神社 直書(筆書)
・川越氷川神社には多くの摂社・末社が鎮座するが、御朱印を授与されているのは当社のみとみられる。川越の夏の風物詩、きゅうりをお供えする八坂祭の祭礼社。

■ 三芳野神社
 
川越市郭町2-25-11
御祭神:素戔嗚尊、奇稲田姫命 / 相殿配祀:菅原道真公、誉田別命
旧社格:県社
授与所:川越氷川神社授与所(現在改修工事中、竣工後は当社境内授与所で授与になるかもしれません。)
朱印揮毫:三芳野神社 直書(筆書)
・川越城本丸御殿の東側に鎮座。大同年間(806~810年)に大宮氷川神社を勧請して創建、後に北野天神社から天神様が勧請されて「お城の天神さま」として親しまれたという。
・童唄「通りゃんせ」発祥の地とされるが、これについては川越城の曲輪の変遷も絡んで多くの説があり、面白そうなので別にまとめます。

■ (富士見櫓跡)御嶽神社
 
埼玉県川越市郭町2-15
朱印揮毫:御嶽神社 (筆書)
・天守閣のなかった川越城には、東北に二重の虎櫓、本丸北に菱櫓、西南隅に富士見櫓が、合戦の際の物見や防戦の足場として設けられ、なかでも富士見櫓はもっとも高いところにあったとされている。
現在、櫓は取り壊され、跡地に御嶽神社、浅間神社、冨士見稲荷大神が祀られている。
位置などはこちら → 川越の観光と地域情報Web「カワゴエール」

※こちらについては情報が少ないのですが、公式facebookによると、祭祀者は神道大教 木曽御嶽川越大教会で、浅間神社は「富士山本宮講社の川越分社として設立」されたようです。
なお、神道大教は教派神道、神道十三派のひとつで、本局は港区西麻布にあります。

現況、不定期ながら「御嶽神社」の揮毫の御朱印を授与されているようです。
授与日については、公式facebookで告知されている模様です。

■ 来迎山 紫雲院 大蓮寺
 
川越市元町2-8-25
浄土宗 御本尊:阿弥陀如来 
札所:小江戸川越古寺巡礼第24番
朱印尊格:阿弥陀如来
主印:種子「カ」・地蔵菩薩 (蓮華座+火焔宝珠)
札所印:なし
直書(筆書)
・永禄十年(1567年)、鎮蓮社感譽上人願故存貞大和尚(北条氏康公次男)の開山、河越城城将大導寺駿河守政繁の母寳池院(蓮馨尼)の開基とされる浄土宗の古刹。

■ 長久山 本應寺
 
川越市石原町1-4-9
日蓮宗
札所:小江戸川越古寺巡礼第24番
朱印尊格:御首題
札所印:なし
直書(筆書)
・寛永三年(1626年)谷中感応寺の日長上人が草創し、感應寺の日長を勧請して開山とした日蓮宗寺院。旧本山は身延山久遠寺。

■ 高澤山 妙智院 観音寺
 
川越市石原町1-18-1
天台宗 御本尊:聖観世音菩薩
札所:小江戸川越古寺巡礼第5番
朱印尊格:正観世音菩薩(正観世音)
主印:種子「サ」・聖観世音菩薩 (蓮華座+火焔宝珠)
札所印:なし
直書(筆書)
・大同二年(807年)、弘法大師がこの地にとどまられ開創、御本尊の聖観世音菩薩は弘法大師の一刀三礼親作の霊佛と伝わる。「ささら獅子舞」で知られる。

■ 寿昌山 了心院 見立寺
 
川越市元町2-9-11
浄土宗 御本尊:阿弥陀如来 
札所:小江戸川越七福神 (布袋尊)、小江戸川越古寺巡礼第8番
・永禄元年(1558年)、河越城城将大導寺駿河守政繁が建立して建立寺と命名。一族中の存貞和尚(かんよぞんてい、増上寺の第10代法主)を小田原伝肇寺より招請して開山し、のちに見立寺と改めた。

朱印尊格:無量寿 (阿弥陀佛)
主印:三寶印
札所印:なし
直書(筆書)

朱印尊格:布袋尊
主印:三寶印
札所印:小江戸川越七福神
書置(筆書)

■ 蓮信山 妙養寺
 
川越市末広町1-4-5
日蓮宗
札所:小江戸川越古寺巡礼第44番
朱印尊格:御首題
札所印:なし
郵送(筆書)
・文永年間(1264~1274年)、宗祖日蓮大聖人が比叡山同学の仙波尊海僧正に再会するためこの地を訪れた際、宿を提供した蓮信・妙養に法名を授けて建てた持仏堂が起源で、天文七年(1538年)日在上人が持仏堂を再興し蓮信山妙養寺と号したという。旧本山は身延山久遠寺。

■ 法眞山 妙昌寺
 
川越市三光町29
日蓮宗
札所:小江戸川越七福神 (弁財天)、小江戸川越古寺巡礼第42番
・大本山池上本門寺の末寺で、永和元年(1375年)、池上本門寺第四世日山聖人により現在の幸町に開創、開山は法眞院日意上人。寛保元年(1741年)、松平伊豆守信綱による川越城改修の際に当地・三光町に移転したという。土用丑の日の「ほうろく灸」で有名。
 
朱印尊格:御首題
札所印:なし
書置(筆書)


朱印尊格:御朱印(妙法)
札所印:なし
直書(筆書)


朱印尊格:弁財天
札所印:小江戸川越七福神
書置(筆書)

■ 孤峰山 宝池院 蓮馨寺
 
川越市蓮雀町7-1
浄土宗 御本尊:阿弥陀如来 
札所:小江戸川越七福神 (福禄壽)、関東十八檀林、小江戸川越古寺巡礼第47番
・天文十八年(1549年)、北条氏康の家老で河越城主の大道寺駿河守政繁の母堂、蓮馨大姉が甥にあたる感誉存貞(かんよぞんてい、増上寺第十世)を招いて開山。当山の存応上人は、増上寺第十二世となり、徳川家康と代々将軍家が檀家となるなど川越を代表する名刹。
・呑龍上人は、当寺住職の存応上人の直弟子で、各地で卓抜した威神力を発揮された生き仏様で、当寺の御朱印の尊格となっている。

朱印尊格:呑龍上人
主印:種子「キリーク」・阿弥陀如来 (蓮華座+火焔宝珠)
札所印:なし
直書(筆書)


朱印尊格:福禄壽
主印:三寶印
札所印:小江戸川越七福神
印刷

■ かえる神社
 
川越市中原町1-5-1
「ナチュリーラ」というウォーキングシューズショップの店頭に鎮座する名物神社。書置が基本のようだが、タイミングがよければ御朱印帳揮毫も。
朱印揮毫:かえる神社 書置(筆書)

■ 熊野神社
 
川越市連雀町17-1
御祭神:熊野大神で伊弉諾尊、事解之男尊、速玉之男尊の御三神
旧社格:村社、旧松郷の氏神、神饌幣帛料供進神社
朱印揮毫:熊野神社 直書(筆書)
・天正十八年(1590年)、蓮馨寺第二世然誉文応僧正が紀州熊野より勧請し創祀と伝わる。
・観光動線にも当たり、境内は参詣客で賑わっている。御朱印にも注力の模様。

■ 厳島神社
 
川越市連雀町17-1
御祭神:市杵島姫命
熊野神社境内社
授与所:熊野神社授与所
朱印揮毫:厳島神社 直書(筆書)
・熊野神社の境内社で、「銭洗弁天」としても親しまれている。

■ 成田山川越別院 本行院
 
川越市久保町9-2
真言宗智山派 御本尊:不動明王
札所:関東三十六不動尊霊場第27番、小江戸川越七福神(恵比須天)、小江戸川越古寺巡礼第39番
・江戸時代末に石川照温師によって開創。廃寺となっていた川越久保町の本行院を再興すべく川越城主松平大和守に願い出てその許可を得る。嘉永六年(1853年)、成田山貫首照輪上人が御本尊不動明王のご分霊を開眼し、照温師に授与せられこれが成田山川越別院の起源となる。(以上公式Webより)
・成田山らしい華やぎのある境内で、成田山別院で複数の札所を兼ねていることもあり、賑わいをみせている。

朱印尊格:不動明王
主印:種子「カン」・不動明王 (蓮華座+宝珠)
札所印:なし (非札所の御本尊の御朱印)
直書(筆書)


朱印尊格:不動明王
主印:種子「カン」・不動明王 (蓮華座+宝珠)
札所印:関東三十六不動尊霊場第27番
書置(筆書)/専用納経帳


朱印尊格:不動明王
主印:種子「カン」・不動明王 (蓮華座+宝珠)
札所印:関東三十六不動尊霊場第27番
直書(筆書)/御朱印帳揮毫


朱印尊格:恵比須天
主印:種子 (蓮華座+宝珠)
札所印:小江戸川越七福神
書置(印刷?)

■ 星野山 無量寿寺 喜多院
 
 
川越市小仙波町1-20-1
天台宗 御本尊:阿弥陀如来
札所:関東三十六不動尊霊場第28番、小江戸川越七福神 (大黒天)、小江戸川越古寺巡礼第6番
・奈良時代、仙芳仙人が仙波辺の漫々たる海水を法力により除き、そこに尊像を安置したと伝わる。平安時代の天長七年(830年)、淳和天皇の勅により慈覚大師円仁により創建された勅願寺で無量寿寺と号した。慶長四年(1599年)天海僧正(慈眼大師)は第27世の法灯を継がれ、仏蔵院北院を喜多院と改めた。以後徳川宗家の尊崇厚く、川越のみならず関東屈指の名刹として名を高める。(以上公式Web等より)
 
朱印尊格:川越大師
主印:三寶印
札所印:なし
直書(筆書)


朱印尊格:川越大師不動
主印:種子「カン」・不動明王 (蓮華座+火焔宝珠)
札所印:関東三十六不動尊霊場第28番
書置(筆書)/専用納経帳


朱印尊格:川越大師不動
主印:種子「カン」・不動明王 (蓮華座+火焔宝珠)
札所印:関東三十六不動尊霊場第28番
書置(筆書)/御朱印帳揮毫


朱印尊格:大黒天
主印:種子「マ」・大黒天 (宝珠)
札所印:小江戸川越七福神
書置(印刷?)

■ 仙波日枝神社
 
川越市小仙波町1-4-1
主祭神:大山咋神
旧社格:県社、喜多院の鎮守社、喜多院寺領旧小仙波村鎮守
元別当:喜多院(社務執行)
授与所:拝殿前(書置)
朱印揮毫:日枝神社 書置(筆書)
・慈覚大師円仁が喜多院を創建した際に、その鎮守として貞観二年(860年)に坂本の日吉大社を勧請して創祀と伝わり、東京赤坂の日枝神社の勧請元とされる。当初は喜多院境内にあったが、大正時代に県道建設のため仙波古墳群の一部を開削して当地に遷座。

■ 仙波東照宮
 
川越市小仙波町1-21-1
主祭神:徳川家康公(東照大権現)
旧社格:無格社
元別当:喜多院(社務執行)
授与所:当社参道下、ないし川越八幡宮(閉扉時)
・喜多院第二十七世天海僧正が家康公を祀って創祀され、日光、久能山と並ぶ日本三大東照宮のひとつ。童謡「あんたがたどこさ」発祥の地ともいわれる。

朱印揮毫:仙波東照宮 書置(筆書)
開扉時門前授与所にて拝受


朱印揮毫:仙波東照宮 直置(筆書)
閉扉時川越八幡宮にて拝受

■ 星野山 無量寿寺 中院
 
 
川越市小仙波町5-15-1
天台宗 御本尊:阿弥陀如来
札所:関東八箇檀林、小江戸川越古寺巡礼第33番
朱印尊格:無量寿 (阿弥陀佛)
主印:種子「キリーク」・阿弥陀如来
札所印:なし
直書(筆書)
・天長七年(830年)、慈覚大師円仁が芳道仙人の古跡であった仙波の霊場を天皇に奏上、勅許を得て一寺を建立、星野山無量寿寺仏地院の勅号を賜り、のちに中院と号す。
・永仁四年(1296年)、比企郡の慈光寺から入られた尊海が中興して天台顕密の教えを広め、関東天台の教寺580余箇寺はすべて本院に付属し、関東天台の本山の勅許を得た。天台宗関東八箇檀林の筆頭の座も占めるすこぶる格式の高い寺院。
・高い格式を裏付けるように、境内は四季折々にすばらしく趣きがあります。 

▲ 光西寺

川越市小仙波町5-4-7
浄土真宗本願寺派
札所:小江戸川越古寺巡礼第10番
※Web上では授与情報がみつかりますが、授与されていないそうです。

■ 佛名山 常行院 西雲寺
 
川越市新富町2-5-4
浄土宗 御本尊:阿弥陀如来
札所:小江戸川越古寺巡礼第11番
・蓮馨寺の末寺で、開山は般舟三昧院西雲法師(正保二年(1649年)入寂)。境内に御座す日限三体地蔵尊は霊験あらたかで広く尊崇を集めている。

朱印尊格:阿弥陀如来
種子「キリーク」・阿弥陀如来 (蓮華座+火焔宝珠)
札所印:なし
直書(筆書)


朱印尊格:三体地蔵尊 (地蔵菩薩)
主印:三寶印
札所印:なし
直書(筆書)

■ 道人山 三心院 妙善寺
 
川越市菅原町9-6
天台宗 御本尊:不動明王
札所:小江戸川越七福神 (毘沙門天)、小江戸川越古寺巡礼第43番
・天僧尊能(寛永元年(1624年)入寂)が開山となり創建された天台宗寺院。

朱印尊格:不動尊 (不動明王)
主印:種子「カン」・不動明王 (蓮華座+火焔宝珠)
札所印:なし
直書(筆書)
 

朱印尊格:毘沙門天
主印:種子「ベイ」・毘沙門天 (火焔宝珠)
札所印:小江戸川越七福神
書置(筆書)

■ 川越八幡宮
 
川越市南通町19-1
御祭神:応神天皇(誉田別命)
元別当:万蔵寺
授与所:当社授与所
朱印揮毫:川越八幡宮 直置(筆書)
・長元三年(1030年)、平忠常追討の際、甲斐守源頼信によって創祀されたと伝わる。
長禄元年(1457年)、川越城築城の際、太田道灌は当社を篤く崇敬し、分霊を川越城内の守護神として奉斎。爾来、川越の歴代城主の崇敬が深く、多くの寄進がなされている。

■ 冷水山 清浄土院 長徳寺 (川越観音)
 
川越市仙波町3-31-23
天台宗 御本尊:阿弥陀如来
札所:小江戸川越古寺巡礼第27番
朱印尊格:大悲殿 (聖観世音菩薩)
主印:種子「サ」・聖観世音菩薩 (蓮華座+火焔宝珠)
札所印:なし
直書(筆書)
※Webでは御本尊阿弥陀如来の御朱印がみつかりますが、授与されていないそうです。
・平安時代、慈覚大師円仁の開山で、喜多院の末寺であったと伝わる天台宗寺院。また、当地は平安時代の豪族、仙波氏の館跡として川越市の史跡指定を受けている。

■ 自然山 大日院 天然寺
 
川越市仙波町4-10-10
天台宗 御本尊:金剛界大日如来
札所:武蔵国十三仏霊場第1番(不動明王)、小江戸川越七福神 (寿老人)、小江戸川越古寺巡礼第29番
・慈覚大師円仁草創の地と伝わり、天文二十三年(1554年)栄海による開山とされる天台宗寺院。御本尊・大日如来は慈覚大師の作とされる。

朱印尊格:大日如来
主印:種子「バーンク」・金剛界大日如来(荘厳体) (蓮華座+火焔宝珠)
札所印:なし
直書(筆書)


朱印尊格:不動明王
主印:種子「カン」・不動明王 (蓮華座+火焔宝珠)
札所印:武蔵国十三仏霊場第1番
直書(筆書)

埼玉県川越市の札所と御朱印-2(周辺エリア)へつづく

【関連ページ】
■ 御朱印帳の使い分け
■ 高幡不動尊の御朱印
■ 塩船観音寺の御朱印
■ 深大寺の御朱印
■ 円覚寺の御朱印(25種)
■ 草津温泉周辺の御朱印
■ 四万温泉周辺の御朱印
■ 伊香保温泉周辺の御朱印
■ 熱海温泉&伊東温泉周辺の御朱印
■ 根岸古寺めぐり
■ 埼玉県川越市の札所と御朱印
■ 東京都港区の札所と御朱印
■ 東京都渋谷区の札所と御朱印
■ 東京都世田谷区の札所と御朱印
■ 東京都文京区の札所と御朱印
■ 東京都台東区の札所と御朱印
■ 首都圏の札所と御朱印
■ 希少な札所印Part-1 (東京・千葉編)
■ 希少な札所印Part-2 (埼玉・群馬編)

【BGM】
熊田このは 『fight』 MSP 11Feb2018


熊田このは 明日への手紙 / 手嶌葵


サクラ色【熊田このは】
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■ 伊香保温泉周辺の御朱印-1(前編)

伊香保温泉周辺の御朱印-2(後編)

2019/08/31補足UP
6.三鈷山 吉祥院 妙見寺の内容を補足しました。

2019/07/17追加UP(08-17)
2019/07/13追加UP(01-07)

リスト&記事を追加しました。
ボリュームがあるので連載でUPしています。

先にUPした「草津温泉周辺の御朱印」「四万温泉周辺の御朱印」の温泉&御朱印記事が予想外にアクセスをいただいているので、伊香保温泉版もつくってみます。

第1回目(草津温泉編)は、→こちら
第2回目(四万温泉編)は、→こちら



■ 伊香保温泉周辺の御朱印
伊香保温泉(→〔 温泉地巡り 〕)は平地に近く、関東有数の名刹、水澤観音とのゆかりも深く、行き帰りに寺社(御朱印)巡りしやすい温泉地です。
また、榛名山中には最近パワスポとしてとみに人気が高まっている榛名神社も鎮座し、伊香保温泉&榛名神社でツアーを組む向きも多いのでは?

今回は伊香保温泉の東京寄りの玄関口である関越道前橋ICから利根川右岸の渋川市域、そして榛名山周辺で御朱印を拝受できる寺社をご案内します。
帰路は榛名神社経由になることを想定し、国道406号の室田~並榎IC(国道17号との交差IC)沿いの寺社もご紹介します。
なお、一般に広く御朱印を授与されていないと思われる寺社については、今回もご紹介は割愛します。

群馬県央、前橋、高崎はいずれも城下町で寺社が多く、御朱印を授与される寺社も少なくないですが、両市中心部は利根川左岸にあたるので今回は対象外とします。
利根川右岸に限っても相当数の寺社があり、坂東三十三箇所(観音霊場)、東国花の寺百ヶ寺霊場、県内ではメジャーな新上州三十三観音霊場、上州七福神などの札所が点在します。
複数の現役霊場札所を兼ねるメジャーな寺院も多く、御朱印拝受のハードルは比較的低いエリアといえましょう。
宗派的には天台宗が多いエリアとなっています。

メジャーな札所やパワスポが多いので記事ネタには事欠きません。
(1泊では制覇は無理です。燃えた方は(笑)、何回か泊まってあげてください。ちなみに伊香保は風情も泉質もよく、おすすめの温泉地です。)

なので先に御朱印リストを一括してUPし、画像や寺社各々のご案内については順に追加補足していきます。
(■ がこれまでに拝受した御朱印と尊格・札所です。)

【伊香保温泉周辺で拝受できる御朱印】

1.青雲山 実相院 大福寺
前橋市鳥羽町717
天台宗 御本尊:阿弥陀如来
札所:関東百八地蔵尊霊場第24番
札所本尊:地蔵菩薩(関東百八地蔵尊霊場第24番)
■ 成願千体地蔵尊(関東百八地蔵尊霊場第24番)
 

まずは関越道前橋ICそばの寺院からご紹介します。
前橋ICから500mと離れていない至近に立地するこのお寺は、室町時代初期の応永元年(1394年)に総本山延暦寺の直末寺院として開山されたと伝わります。
「当時七堂伽藍壮麗にして、本堂間口二十間・奥行十八間、境内に不動堂、大師堂、薬師堂等を有し、仏教弘宣の大道場として近郷の尊崇をあつめた」(寺伝より)という大寺で、紆余曲折の歴史を辿りながらも法灯を絶やすことなく今に至ります。

比較的新しい伽藍につき、さびた風情はないものの、明るく開放的な雰囲気です。

関東百八地蔵尊霊場第24番の札所で、札所本尊である成願千体地蔵尊は昭和63年にご住職の発願によって建立され、「一願一体の『願掛け地蔵尊』」とも呼ばれて信仰を集めているそうです。

関東百八地蔵尊霊場は、かつて仙台市に存在した「佛教文化振興会」という組織がとりまとめたとみられる霊場で、現況、霊場会もとりまとめ役もいないなか、比較的御朱印授与率の高い霊場です。
霊場開創時に霊場(札所)印が整備されたらしく、札所印もいただきやすくなっています。
また、霊場開創時に専用納経帳も整備されたらしく、大判の専用納経帳用の書置御朱印が授与される場合があります。
とはいえ、汎用御朱印帳に授与いただける札所も少なくなく、札所(御朱印)対応は多種多様です。

 

【写真 上(左)】 霊場の巡礼ガイド(平成2年1月、佛教文化振興会刊)
【写真 下(右)】 発願寺(初番)「瑶光山 真日院 最明寺」(川越市)の札所御朱印(現在、この御朱印は非授与のようです)

札所には相当数の名刹も入っていますが、納経所の御朱印見本で掲示される例はほとんどなく、こちらからお伺いしてはじめて授与いただける「裏メニュー」的なケースが多くなっています。
また、札所本尊のお地蔵様の御座所がわかりにくく(本堂でない場合が多い)、霊場ガイドを持っていない場合は、お寺さんに確認する必要があります。
そんなこんなで、かなりマニアックな霊場であることは間違いないかと・・・。

なお、札所本尊のお地蔵様は御本尊でないケースが多く、別に御本尊の御朱印をいただける場合とそうでない場合があります。
こちらのお寺様は地蔵霊場のみの授与とのことでした。

【 関東百八地蔵尊霊場の御朱印 】
見開きの霊場規定用紙での授与となります。
中央に札所本尊、地蔵菩薩の種子「カ」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)と三寶印、そして「成願千体地蔵尊」の揮毫。
右上に「関東百八地蔵尊第二十四番札所」の札所印。左下には山号・寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
裏面には寺院の情報と記念スタンプが捺されています。 

2.(中尾)飯玉神社
高崎市中尾町347
主祭神:宇気母智神(飯玉さま) 配祀:菅原道真公(天神さま)、建御名方神、須佐之男命、美留目之神
旧社格:村社、神饌幣帛料供進社、中尾総鎮守
 

温泉好きのあいだでは有名な、高崎中尾温泉「天神の湯」のすぐ隣にある神社です。
じつに「延暦三年(784年)に勧請せり」と伝わる(公式Webより)古い由緒をもち、千葉上総介常重、足利幕府の管領上杉氏、高崎城主酒井左衛門尉など、歴代のこの地の支配者との関係も伝わっているようです。
明治後期に村内の菅原神社、諏訪神社を合祀し、神饌幣帛料を供進すべき指定神社になったといいます。

主祭神は、宇気母智神(うけもちのかみ)。配祀神は菅原道真公、建御名方神、須佐之男命、美留目之神です。
公式Webによると、「飯玉神社の主祭神である宇気母智神は、『食物の神様』であり、保食神とも記され、五穀を司る神と言われています。」

保食神(うけもちのかみ)は稲荷神社の祭神となられる場合がありますが、上武(上野國・武蔵國)一円では、稲荷神社(祭神 倉稲魂命(宇迦御魂命)と飯玉神社(祭神 保食神(宇気母智命)は明確に区別されているという説もあるようです。
また、豊受比売命が飯玉神社の祭神となられている例もありますが、豊受比売命も食物と関わりの強い神様ですから、飯玉神社と食物は切り離せない関係なのかもしれません。

境内に数台の駐車スペースがあります。
鳥居・参道から階段を昇って拝殿。小規模ながら風格のある拝殿です。
ご朱印は境内で書置きのものを拝受しました。

【 御朱印 】
中央に「飯玉神社」の神社印と揮毫。右下には「中尾総鎮守」の陰刻印が捺されています。

3.鷲霊山 釈迦尊寺
前橋市元総社町2502−2
曹洞宗 御本尊:釈迦牟尼佛
■ 南無釋迦牟尼佛(御本尊)
 

すこぶる古い来歴をもつ上州の名刹。
寺歴については、公式Webで詳細に説明されていますが、概略を抜粋引用しつつご紹介します。

三十一代用明天皇二年(587年)、蘇我馬子が物部守屋を滅ぼしたとき物部氏に加担した中臣羽鳥連と妻、玉照姫は上毛野国青海に流罪となりました。
玉照姫は聖徳太子の乳母で、太子の守仏、闇浮壇金一寸八分の釈迦尊仏を太子より授けられました。

天武天皇十五年(686年)、勅令による大赦で羽鳥連の孫青海羊太夫が上洛して勅赦を受けた際、定慧和尚が玉照姫の敬信した釈迦尊仏の由来を尊信し、翌年(687年)上野国蒼海に御下りになり七堂伽藍を建立、釈迦尊仏を安置され釈迦尊寺と号されました。
開基は青海羊太夫、開山は多武峯定慧和尚とされています。

当初は法相宗に属したとされますが、のち(文永年間(1264~1274年))に臨済宗門、鎌倉建長寺より蘭渓和尚が入られて再興。永禄元年(1558年)永源寺より芳伝和尚が入られ曹洞宗となり現在に至るようです。

江戸期には寛永三年四月、幕府より三百六十石余の御朱印寺とされています。
御本尊の闇浮壇金一寸八分の釈迦尊仏は平安時代末のものと推定され、秘仏となっています。

すこしく横道に逸れます。
古代、東国を代表する政治勢力として「毛野(けの/けぬ)」と「那須」があり、毛野は「上毛野(かみつけの/かみつけぬ)」「下毛野(しもつけの/しもつけぬ)」に二分されたといわれます。
このうち上毛野は上野國(上州)をさし、令制国の一つに定められたとされます。

令制国制のもとでは、令制国諸国は国力により四等級に分けられましたが、延喜式では上野國は最上の「大国」に充てられ、しかも、全国で3国しかない親王任国のひとつでした。
親王任国(常陸國、上総國、上野國)は、親王が国守に任じられる「大国」で、親王任国の筆頭官である親王は太守と称されました。(上野國の初代太守は桓武天皇の皇子葛井親王とされる。)
親王太守は現地へ赴任しない遙任のため、現地の実質的な国守は次官の介(すけ)となります。
なので原則、武士階級に「上野守」はおらず、「上野介」となります。(本多正純も、吉良義央も、小栗忠順もすべて「上野介」です。)

話が大逸れしましたが(笑)、何がいいたかったかというと、上野國は上代から東国で最も栄えた地域であり、西国との結びつきも強かったのでは、ということです。
そう考えると、聖徳太子の乳母・玉照姫にまつわる伝承もうなづけるものがあります。

また、仏教は欽明天皇の御代にわが国に伝わったとされますが(仏教公伝)、その際に積極的に仏教を迎え入れたのが崇仏派、仏教排斥に回ったのが排仏派で、崇仏派の代表格が蘇我氏、排仏派の代表格が物部氏とされます。
厩戸皇子(聖徳太子)は崇仏派で、玉照姫の夫羽鳥連は排仏派の物部氏に加担したとされていますから、聖徳太子の乳母・玉照姫の立ち位置は微妙なものであったのかもしれません。
そんなことをつらつらと想い起こさせてくれる、歴史をもったお寺さんです。

上代開基の寺院を物語るような、広々と明るい境内です。
札所ではありませんが、このような悠久の歴史をもつ古刹なのでご紹介しました。

御朱印は庫裡にて御朱印帳に書入れいただけました。
いただいたのは御本尊の御朱印ですが、Webでは大黒天の御朱印もみつかるので、こちらも授与いただけるかもしれません。

【 御本尊の御朱印 】
中央に三寶印と「南無釋迦牟尼佛」の揮毫。右上には「聖徳太子乳母の寺」の印、左下に寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
禅寺らしい端正な御朱印です。

4.(上野国)総社神社
前橋市元総社町1-31-45
主祭神:磐筒男命、磐筒女命、経津主命、宇迦御魂命、須佐之男命
上野國総社 旧社格:県社
 

諸説あるようですが、総社(惣社)とは、一般的には特定地域内の神社の祭神を集めて合祀した神社をさすとされます。
もともとは、律令制のもとで着任した国司は令制国内の一定の神社を早々に巡拝することが義務づけられていたが、国府の近くに総社を設け、そこに詣でることで巡拝を省く趣旨で置かれたという説があります。
また、地域内の神社を合祀した神社を称する例もあり、旧社格は、官幣小社から村社(ないし無格社)までと多岐にわたっています。
なお、全国総社会が組織され、専用御朱印帳も頒布されています。

総社神社公式Webには「上野総社神社は上野の総鎮守なり、上野総社 神社は国内総神社の神集ひ座す御神地なり、上野総社神社を参拝するは県内各神社を参拝するにひとし。」とあり、国司巡拝型の総社であったことがうかがわれます。

また同Webでは「崇神天皇の四十八年三月皇子豊城入彦命は東国平定の命を奉じ、上野にお下りになられるや、神代の時代に国土の平定に貢献された経津主命の御武勇を敬慕され、軍神としてその御神霊を奉祀して御武運の長久を祈られ、また、経津主命の親神(ご両親)である磐筒女命の御二方をも合祀せられた。これが当社の始まりである。」という創祀由緒、そして、「国司は国内各地の神社に幣束を捧げ、親しく巡拝していたが、人皇第五十六代清和天皇のころ国司は上野国内各社の神明帳を作り、国内十四郡に鎮座する総五百四十九社を勧請合祀」という合祀由緒も紹介されています。

大国、上野國の総社だけに、さすがに厳かな境内です。
御朱印は社務所にて拝受。御朱印帳への書入れをいただきました。

【 御朱印 】
中央に社名印の捺印と「上野総社神社」の揮毫。右に「上野國總鎮守」の印判。
左下に社名印が捺されています。
なお、最近の日付の御朱印では、主印として神紋印が捺されているようです。

5.功叡山 蓮華院 徳蔵寺
前橋市元総社町1-31-38
天台宗 御本尊:阿弥陀如来三尊
札所:群馬郡三十三観音霊場第24番
札所本尊:千手千眼大悲観音(群馬郡三十三観音霊場第24番)
■ 千手千眼大悲観音(群馬郡三十三観音霊場第24番)
 

室町時代の文明三年(1471年)足利八代将軍義政公の祈祷所として建立、往時には寺中七ケ院、末門十七ケ寺を擁して幕府から朱印十六石を下賜され、檀徒三百有余戸を有したとされる古刹。(寺伝より)
室町時代の製作と考えられる三面の懸仏(弥勒菩薩、薬師如来、観世音菩薩)が残されていることからも、古刹の歴史が裏付けられます。

江戸時代初期の慶長十二年(1607年)、惣社(総社)領主の秋元越中守が惣社城築城の際に一寺の建立を計りましたが、当時は新寺院の建立を幕府が禁じていたため、天海僧正の内意により、本地および寺中数箇寺を北側利根川沿いの惣社城周辺に移して光厳寺と号しました。
爾来、この地に本寺格の寺院はなくなりましたが、明治五年(1872年)、檀徒が旧徳蔵寺の再建を官に願い出て、また光厳寺とも折衝して独立し、然海法印を住職として再建がなったものと伝わります。

総社神社と隣り合う、いかにも別当寺的な立地で、総社神社の別当だったという説があります。
上記の歴史を考えると江戸時代を通して大社、総社神社の別当を勤めるのはむずかしかった感じもしますが、少なくとも光厳寺への移転前は勤められていた可能性はあるかもしれません。

こちらは群馬郡三十三観音霊場第24番の札所です。
群馬郡三十三観音霊場は、現在の渋川市、前橋市、高崎市、榛東村、利根川右岸に広がる古い霊場で、今回ご紹介するエリアとかぶります。
発願寺は宇輪寺(榛東村)、結願寺は布留山 石上寺(高碕市)で、小規模な観音堂を含み、現在は活動を完全に停止しています。
先日、発願寺の宇輪寺にも参拝しましたが無住でした。

ただし、札所の遺伝子が残っているのか、御朱印をいただけるお寺さんがいくつかあります。こちらもそのひとつです。
御朱印は庫裡にて御朱印帳に書入れいただけました。

【 御朱印 】
群馬郡三十三観音霊場第24番の札所本尊と思われる千手千眼大悲観音の御朱印です。
中央に千手観世音菩薩の種子「キリーク」の御寶印と「千手千眼大悲観音」の揮毫。
右上には「上野国元総社」の印判。
尊格の左右に山号・寺号の揮毫と、左下には寺院印が捺されています。

6.三鈷山 吉祥院 妙見寺
高崎市引間町213
天台宗 御本尊:釈迦如来、妙見菩薩
札所:群馬郡三十三観音霊場第23番
■ 妙見大菩薩(御本尊)
 

創建は和銅七年(714年)、ないし霊亀元年(715年)と伝わる天台宗の古刹で、上野国国司・藤原忠明の開基とされています。
寺伝によると、延暦七年(797年)成立の「続日本紀」に妙見寺に関する記載があり、古くは「七星山息災寺」と号し、妙見菩薩を祀る寺として信仰されてきたそうです。

境内の妙見社は日本三妙見のひとつとして知られ、この地方の妙見信仰の中心をなしていたという説があります。(→ 高崎市Web
また、妙見寺は妙見社の元別当寺であったという見方もあるようです。

妙見信仰とは、中国の星宿思想から北極星を神格化ないし、菩薩として信仰するものとされます。(北斗七星との関連を指摘する説もあり。)
仏教においては妙見菩薩、神道においては天之御中主神が主な信仰の対象になります。

東日本の妙見信仰というと、まず坂東八平氏(平良文を祖として下総国、上総国、武蔵国、相模国などを領地とした、千葉・上総・三浦・土肥・秩父・大庭・梶原・長尾氏など)、ことに千葉氏が思い浮かびますが、どうして千葉から遠くはなれた群馬のこの地の妙見社が「日本三妙見」として崇められているのか、不思議な感じもします。

これについては、興味深い伝承が存在します。
平安時代の中ごろ、上野国花園村付近で、平氏(将門公、良文公・国香公)が相争う「染谷川の戦い」がありました。
この戦いの勝敗の鍵を握られたのが、この付近に鎮座されていた花園妙見(一説に羊妙見)とされ、平良文公を祖とする坂東八平氏は、これより妙見信仰の家系となったと伝わります。
千葉氏が信仰する千葉神社、秩父氏が信仰する秩父神社では、花園妙見との関連を示す資料がWeb上でもいくつかみつかります。(ex.『榛名山東南麓の千葉氏伝承』青木祐子氏 2002年論文)

とくに秩父神社については、「花園村から妙見社を勧請」と明記している資料があります。
妙見寺の妙見様と花園妙見が同一という決定的な史料は見当たらないようですが、深い関係にあったであろうことは想像されます。
榛名東麓には千葉氏ゆかりの伝承がいくつか残り、「19.船尾山 等覚院 柳澤寺」の縁起にも千葉氏が登場します。

なお、上記の『榛名山東南麓の千葉氏伝承』には、船尾山柳澤寺とのつながりが指摘される「独鈷山妙見院息災寺」について、「現在、高崎市引間町に『三鈷山吉祥院妙見寺』という寺院があり、これが『息災寺』の後身だと言われている。さらに、千葉氏の守護神である妙見大菩薩はこの寺から勧請されたとされている。」と述べられ、妙見寺は柳澤寺と息災寺を介してなんらかのつながりを有していたかもしれません。

妙見菩薩は「菩薩」を名乗られていますが、一般には天部に属するとされ、すこぶる複雑な尊格のようです。
また、天之御中主神も造化三神というすこぶる格の高い神格でありながら、ナゾの多い神様とされています。
星宿思想が絡む尊格は、複数の信仰が習合・混交していることもあって、複雑な性格をもたれるものが多く、生半可な知識では到底語れませんので、このくらいにしておきます。
なお、妙見菩薩を祀られる寺院は日蓮宗と天台宗で目立ち、こちらも天台宗寺院です。

御朱印は庫裡にて書置きのものを拝受しました。

【 御本尊の御朱印 】
中央に御本尊、妙見菩薩の種子「ソ」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)と「妙見大菩薩」の揮毫。
左下には山号・寺号の揮毫と寺院印が捺されています。

7.秋元山 江月院 光巌寺
前橋市総社町総社1607
天台宗 御本尊:釋迦牟尼如来
札所:群馬郡三十三観音霊場第22番、前橋四公御朱印巡り
札所本尊:釋迦牟尼如来(前橋四公御朱印巡り)
■ 釋迦牟尼如来(御本尊)
■ 釋迦牟尼如来(前橋四公御朱印巡り)


 

【写真 上(左)】 専用御朱印帳の御朱印
【写真 下(右)】 御朱印帳書入れの御朱印

慶長六年(1601年)総社藩初代藩主の秋元長朝が徳蔵寺の亮應を招いて創建(開山)、以後秋元家の菩提寺としてつづく名刹。
秋元氏は名族宇都宮氏の流れとされ、戦国期の当主、長朝は関ヶ原の戦いの功績により慶長年間に一万石で総社藩に入り、利根川の右岸に総社城を築きました。
藩内の町割りを進めるなど名君の誉れが高かったと伝わりますが、二代泰朝の代に甲斐・谷村藩一万八千石に加増されて転封し、総社藩は廃藩となっています。

前橋市資料などによると、秋元氏は谷村藩に移封となったものの、光厳寺はこの地に留まり歴代秋元家の菩提を弔っているとの由。
また、慶安二年(1649年)には三代将軍家光公より16石の加増を受けて計46石。
この地域の天台宗の修業寺として寺運が隆盛したと伝わります。

境内は名家の菩提寺らしい落ち着いた空気に包まれています。
古い伽藍が多く残り、なかでも、薬医門は江戸時代初期に総社城の城門として建てられ、廃城になった際に移築したと推定される貴重な建物で、前橋市指定重要文化財に指定されています。

御朱印は庫裡にて拝受できます。
こちらは「前橋四公御朱印巡り」の一寺です。
「前橋四公御朱印巡り」は霊場とはいえないと思いますが、現在の前橋市域内で藩主を務めた酒井雅楽頭家、松平大和守家、秋元越中守家、牧野駿河守家ゆかりの6つの寺社を巡るイベントで、平成28年秋にはじまり毎秋開催、昨年平成30年秋で3回目となります。(平成30年は9/29~10/6の開催)
期間中、専用御朱印帳が配布され、これに捺印をいただく形で御朱印が授与されています。

 

【写真 上(左)】 四公祭ののぼり(光巌寺)
【写真 下(右)】 四公祭の専用御朱印帳

「前橋四公御朱印巡り」のほとんどの寺社は通常ご朱印も授与されていますが、専用御朱印帳とは尊格が異なるところもあり、御朱印収集的には貴重なイベントです。
前橋(厩橋)藩は、譜代(酒井雅楽頭家)、御家門(越前松平家)がおおむね十五万石の石高をもって封じられた上州屈指の大藩で、ゆかりの寺院の格式も高くなっています。

【 御本尊の御朱印 】
中央に御本尊、釋迦牟尼如来の種子「バク」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)と「釋迦牟尼如来」の揮毫。
左下には山号・寺号の揮毫と寺院印、右上には山号印が捺されています。
専用御朱印帳、御朱印帳書入れともに同じ内容です。

釈迦(如来)の御朱印は釈迦如来ないし(南無)釈迦牟尼佛での授与例が多く、釈迦如来は密教系、(南無)釈迦牟尼佛は禅宗系での授与が多くなっています。
この御朱印は複合形の「釈迦牟尼如来」で、数は多くないもののこの授与例もみられます。

なお、釈尊は仏教の開祖としての釈迦(ゴータマ・シッダルタ)、諸仏としての釈迦如来、本仏釈尊(久遠実成本仏)など、多様な性格、あるいはその存在を巡る解釈論(本仏論など)をもち、一言では語れない複雑な尊格です。

8.氣雲山 春光院 元景寺
前橋市総社町植野150
曹洞宗 御本尊:釋迦牟尼佛
札所:前橋四公御朱印巡り
札所本尊:釋迦牟尼佛(前橋四公御朱印巡り)
■ 南無釋迦牟尼佛(御本尊)
■ 南無釋迦牟尼佛(前橋四公御朱印巡り)


 
【写真 上(左)】 専用御朱印帳の御朱印
【写真 下(右)】 御朱印帳書入れの御朱印

利根川右岸にもほど近い、植野の地に構えるこちらも秋元氏ゆかりの名刹。
寺伝によると、開基は初代総社藩主秋元長朝で、父景朝の菩提を弔うため景朝の法名である「春光院殿気山元景大居士」から山号・院号・寺号が名づけられたとの由。
天正十五年(1587年)開創、天正十八年(1590年)に本堂が建立され、御本尊釈迦牟尼佛、脇侍文殊菩薩・普賢菩薩が安置されたと伝わります。

伽藍は、本堂・山門・鐘楼・庫裡・書院・位牌堂などからなります。
境内には、名君と伝わる総社藩初代藩主、秋元長朝の治世を物語る天狗岩伝説にまつわる羽階権現(はがいごんげん)が祀られ、長朝の功績を称える「力田遺愛碑」も建立されています。

このお寺には淀君にまつわる哀しい伝承と、淀君の墓と伝えられるものが残されています。
淀君は大阪夏の陣で秀頼と共に自害したとされますが、落ち延び説もあり、その落ち延び先として薩摩国と上野国厩橋の二つの説があるようです。
その上野国厩橋説にかかわるお寺ということでしょうか。
なお、境内掲出の寺伝には、「敷島公園内のお艶観音」との関係を示唆する内容が書かれています。

秋元家の墓のそばに、淀君の墓と伝えられるものが残されています。
戒名は、女性としては最高位の院殿・大姉号で、相当の高貴な身分の女性の墓所であることは間違いないとされています。(公式Webでは「伝・淀君(おえん)の墓」と表記されています。)
また、淀君所有とされる「正絹の大打掛」と「籠の引き戸」も伝えられているようです。

こちらも前橋四公御朱印巡りの一寺で、期間内は専用御朱印帳に授与いただけます。
御朱印は庫裡にて拝受、御朱印帳に書入れいただきました。

【 御本尊の御朱印 】
中央に三寶印と「南無釋迦牟尼佛」の揮毫。
左下には寺号の揮毫と寺院印、右上に「拝登記念」の揮毫と寺号印?が捺されています。
専用御朱印帳、御朱印帳書入れともに同じ内容です。
「拝登(記念)」は、山岳信仰系の神社の御朱印でときおり見られますが(とくに富士塚のお山開きの御朱印に多い)、平地の寺院の御朱印ではめずらしいと思います。

9.東向八幡宮
高崎市箕郷町西明屋4
主祭神:品陀和気命
旧社格:村社、箕輪城総鎮守
■ 社号の御朱印
 

旧箕郷町は平成18年に高崎市と合併し高崎市となりましたが、固有の歴史・文化を育んできたエリアです。
箕郷は上州の名族長野氏(皇別氏族、在原氏(在原業平)の流れで上野國守護代の家格であったとされる)の本拠地で、ことに箕郷城は名将の誉れ高い長野業正が拠った城として知られています。(箕郷城は「日本百名城」のひとつ。)

関東管領・山内上杉家に属した長野氏は、しばしば後北条氏の侵攻を受けましたが、業正は能く戦って譲らず領地を守りました。
また、武田信玄は信州経由で上州に侵攻し、箕郷城はその攻防の地となりましたが、やはり業正はこの領地を譲りませんでした。

しかし、業正亡きあとついに武田方の手に落ち、この地は武田方の上州経営の拠点として甘利昌忠、真田幸隆、浅利信種、内藤昌豊など錚々たる武田方の武将が城代として入りました。
武田氏滅亡後、滝川一益の統治下に入りましたが、本能寺の変により後北条氏の領地に、後北条氏没落後は12万石をもって井伊直政が入り箕郷藩を立藩したものの、慶長三年(1598年)高崎城に移封され箕輪藩は廃藩、城は廃城となりました。

このように箕輪城は「戦国時代の縮図」といわれるほどの歴史を刻みましたが、この箕輪城の総鎮守と伝わるのが東向八幡宮です。

室町時代中期の文明六年(1474年)、箕輪初代城主長野尚業が山城の石清水八幡宮より分霊勧請して創祀、箕輪城の総鎮守と成したと伝わります。
また、江戸期には阿房国勝山藩主酒井安芸守の飛地領地で、その病の平癒に霊験あらたかであったという伝承もあるようです。

境内はこぢんまりとしていますが、市指定重要文化財の「東向八幡宮の石幢」があります。珍しい十三仏の石幢で、神仏習合の歴史を物語るものかと。

御朱印は境内の社務所で、御朱印帳に書入れいただきました。

【 御朱印 】
中央に社名印の捺印と「東向八幡宮」の揮毫。右に「上毛野國箕輪」の印判。
左下には宮司印が捺されています。

10.金富山 実相院 長純寺
高崎市箕郷町富岡852
曹洞宗 御本尊:釈迦牟尼佛
■ 南無釈迦牟尼佛
 

この地の名族、長野氏代々の菩提寺として伝わる曹洞宗の名刹。
高崎市資料によると、箕輪城主長野信業が明応六年(1497年)に箕郷町上芝に創建し、弘治三年(1557年)長野業政が現在地に移したと伝わります。
開山堂には市の指定重要文化財「長野業政公の像」が安置されています。
参道入口の閻魔大王や奪衣婆などの石仏はインパクトがあります。
閻魔大王は天台宗や浄土宗などの寺院にはよくおられますが、曹洞宗寺院では比較的めずらしいような感じもします。

御朱印は、2度目の参拝でご住職不在だったため郵送をお願いし拝受しました。
こちらはご不在がちの感じもありますが、名刹で「日本百名城」城主の菩提寺でもあるのでご紹介しました。

【 御本尊の御朱印 】
中央に三寶印と「南無釈迦牟尼仏」の揮毫。
左には山号、寺号の揮毫。通常、寺院印が捺される位置には長野氏の家紋「檜扇」紋が捺されています。

11.箕輪山 慈眼院 法峰寺
高崎市箕輪町西明屋247
天台宗 御本尊:阿弥陀如来
札所:新上州三十三観音霊場第24番、群馬郡三十三観音霊場第32番
札所本尊:聖観世音菩薩(新上州三十三観音霊場第24番)
■ 聖観世音菩薩(新上州三十三観音霊場第24番)
 

「箕輪」を山号とする新上州三十三観音霊場札所の天台宗寺院。
寺院の号は原則音読みですから、”きりんざん ほうぽうじ”と読みます。
観音霊場ガイドブックと高崎市資料を抜粋引用してご紹介します。

平安時代の天安二年(858年)、比叡山延暦寺第三世座主慈覚大師円仁が東国遊化のおりに開創されたと伝えられています。

明応年間(1492-1501年)、長野業尚による箕輪城築城の際、境内が城郭内に入るため東方に2㎞ほど離れた地(現在の箕郷文化会館付近)に移転しましたが、慶長三年(1598年)の箕輪城廃城をうけて旧縁の地である現境内地に復帰したと伝わります。
また、寺門の興隆に努められたのが井伊直政と親交のあった天海大僧正で、当寺中興の祖とされています。

この地は箕輪城跡の南端に当たり、「水の手曲輪(城で使う水が湧き出していたところ)」の跡で、現在でも観音堂の下あたりから湧水があり、旧城下町に向けて流れ出ています。
ホタル園「法峰寺蛍峰園」も設置されています。

伽藍は昭和48年火災により消失し再建されたもので、古寺のわびざびはないものの、高台に落ち着いた趣きを見せています。

こちらは上州観音霊場の札所ですが、2回ご不在、3度目の参拝で御朱印を拝受できました。
御朱印は庫裡でいただけますが、観音霊場納経帳用の書置タイプのみのような感じがしました。

【 新上州三十三観音霊場の御朱印 】
中央に札所本尊、聖観世音菩薩の種子「サ」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)と「聖観世音菩薩」の揮毫。
右上に「上州第二十四番」の札所印。左下には山号・寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
裏面には札所名、尊格名(聖観音)と御詠歌が印刷されています。

12.黒髪山神社
榛東村広馬場3615
主祭神:大山祇命
■ 社号
 

榛名山の一峰、相馬山(黒髪山)を信仰対象とする山岳信仰系の神社。
榛東村公式Web等複数のWebを総合すると、明治16年に相馬山山頂に奥宮が祀られましたが、相馬山は峻険で登拝困難なため、明治20年に当地に里宮が創祀されたようです。

主祭神は大山祇命(オオヤマツミ)。
神産みで伊邪那岐命と伊邪那美命との間に生まれた神様で、浅間神社系の主祭神、木花之佐久夜毘売の御父君です。
大山祇命(オオヤマツミ)は、全国の大山祇神社、三島神社、山神社系の神社の主祭神として祀られ、山岳信仰系の神社の祭神となられる例も多くみられます。
群馬県北部で信仰される十二様(神社)の祭神にも大山祇命がみられます。

相馬山(1,411 m)は、榛名山の最高峰掃部ヶ岳(1,449 m)に次ぐ標高の榛名山の一峰で、その特異な山容からか古くから山岳信仰の霊山として厚く信仰されてきたといいます。
相馬山の別名、黒髪山は「くらおかみ」に由来するという説があります。
「くらおかみ」は水神で、雷神の性格ももつという説があります。
雷の本場、上州には雷神を祀る神社(雷電神社など)が多く、山岳信仰と雷電(雷神)信仰が結びつきやすかったのかもしれません。

駐車場は不明ですが、鳥居前に数台分のスペースがあります。
木々が鬱蒼と茂る境内には講社建立の霊神碑が林立し、山岳信仰の地特有の空気が漂っています。
拝殿に掲げられた天狗面も山岳信仰や修験との関連を想起させるもの。

境内には有栖川宮神社も鎮座します。
祭神は有栖川宮熾仁親王で、明治30年頃、有栖川宮のご病気平癒の祈願と、当社先達の施術が卓効ありとして褒賞され、これを受けて創祀されたものと伝わります。

御朱印は、鳥居から道路をはさんだお宅(宮司様宅?)にて書入れいただきました。

【 御朱印 】
中央に印判(内容不明)の捺印と「黒髪山神社」の揮毫。シンプルシックながら存在感のある御朱印です。

13.威徳山 常楽院 長松寺
吉岡町漆原1284
天台宗 御本尊:阿弥陀如来
札所:新上州三十三観音霊場第31番、上州七福神
札所本尊:矢落観世音菩薩(十一面観世音菩薩)(新上州三十三観音霊場第31番)、寿老人(上州七福神)
■ 阿弥陀佛(御本尊)
■ 矢落観世音(新上州三十三観音霊場第31番)
 
【写真 上(左)】 長松寺本堂
【写真 下(右)】 長松寺観音堂

 
【写真 上(左)】 御本尊の御朱印
【写真 下(右)】 観音霊場の御朱印帳書入れの御朱印


【写真 上(左)】 観音霊場専用御朱印帳の御朱印

新上州三十三観音霊場第31番、上州七福神(寿老人)の札所で、この界隈ではもっともメジャー感のあるお寺さんです。
寺伝によると、草創は鎌倉時代の元享年間(1321年頃)、舜海上人によるものとされています。
当初は蕎麦石(現在の利根川河床)にありましたが、度重なる水害、火災により移転を重ね、現在の高台に落ち着いたようです。

上州観音霊場ガイドブックによると、当寺は「かつて箕輪衆といわれた『漆原十二紀(騎?)』の拠点のひとつであった漆原城跡の一画に位置」とあります。
ちなみに、上野の戦国史を詳細にまとめられている「上野の戦国史」様には、「漆原十二騎とは、長塩、青木、福田、飯塚、石倉、近藤、栗原、長沢、千木良、斉藤、柴崎の諸氏からなる地侍の集まり」とあります。

矢落観音(通称 ざる観音)という十一面観世音菩薩が御座すことでも広く知られ、正月14日の“ざる市"でも知られているようです。

境内は本堂エリアと西側の観音堂エリアに二分され、駐車場は観音堂エリア下にあるので、初めての参拝のときは境内の全容把握がしにくいです。

山門をくぐると境内正面に本堂。
本堂には阿弥陀三尊と釈迦三尊、さらには弁財天や上州七福神の寿老尊天、千躰観音仏、地獄極楽仏(十界曼陀羅)、釈迦涅槃図などを安置しています。
タイミングがよければ本堂内に上げていただけます。
境内には、左剣不動尊(伝・運慶作)が御座す不動堂、岩船地蔵尊などを安置する二尊堂、鐘楼堂などが並びます。

駐車場側の高台にある観音堂には矢落観音(ざる観音)の通称で崇敬を集めている十一面観世音菩薩が御座し、こちらが上州観音霊場の札所本尊となります。
朱色に塗られた華やかなお堂で、観音霊場の札所感をただよわせています。
観音堂の右手にお籠り堂と、その右の高台に富士浅間社の石祠。もっとも高いところに東屋があり、利根川越しに赤城山を見渡せます。

見どころが多く、じっくりと参詣したいお寺さんです。

御朱印は庫裡にていただきました。
ご住職がおられるときは書入れ、ご不在寺は書置きで、御本尊(阿弥陀如来)、観音様、寿老人(上州七福神)の3種を拝受できますが、筆者は寿老人は拝受しておりません。

【 御本尊の御朱印 】
中央に御寶印(種子不明)。御本尊阿弥陀如来の種子「キリーク」と「阿弥陀佛」の揮毫。
左下には寺号の揮毫と寺院印、右上にはおそらく「一隅を照らす」をあらわす陰刻の印が捺されています。

【 新上州三十三観音霊場の御朱印(御朱印帳) 】
中央に札所本尊、十一面観世音菩薩の種子「キャ」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)に種子と「矢落観世音」の揮毫。
その横に「通称 ざる観音」の揮毫は専用納経帳とは異なるもの。
右上に「上州第三十一番」の札所印。左下には寺号の揮毫と寺院印が捺されています。

【 新上州三十三観音霊場の御朱印(専用納経帳) 】
中央に札所本尊、十一面観世音菩薩の種子「キャ」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)に種子と「矢落観音」の揮毫。
右上に「上州第三十一番」の札所印。左下には寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
裏面には札所名、尊格名(ざる観音)と御詠歌が印刷されています。

14.玉輪山 龍傳寺
渋川市半田1124
曹洞宗 御本尊:釈迦如来 薬師如来
札所:群馬郡三十三観音霊場第19番
■ 釈迦如来(御本尊)
 

こちらはご紹介するか否か迷いましたが、群馬郡三十三観音霊場第19番の札所なのでご紹介します。
こちらも利根川右岸に近い場所にあります。上越線「八木原」駅から歩ける距離だと思います。

境内の碑文によると、天正八年(1580年)に剣城(現在の「八木原駅」の南付近にあった)領主半田筑後守(Web記事で真田信幸の家臣説あり)は、本市小字常法院に在った一庵を改めて寺とし玉輪山龍傳寺と称した。
天正九年(1581年)信濃国松代の長国寺第二世角應瑞麟禅師を請して開祖とし堂宇を営む。
天明三年(1783年)浅間山の大噴火により、伽藍ことごとく埋没したためこれを以て寺域を現在の地に移した。
などとあり、中世建立の古刹であることがわかります。

境内はさほど広くはないですが、落ち着いた雰囲気が漂っています。
御朱印は庫裡にて拝受。
ご住職に丁寧なご対応をいただきましたが、群馬郡三十三観音霊場札所本尊の一葉観音?の所在は不明のようです。
御朱印尊格は御本尊の釈迦如来となります。

【 御本尊の御朱印 】
中央に三寶印と「釈迦如来」の揮毫。
左には山号、寺号の揮毫と寺院印が捺されています。

15.慈眼山 福聚院 神宮寺
渋川市有馬1301
天台宗 御本尊:釈迦如来
札所:新上州三十三観音霊場第30番
札所本尊:聖観世音菩薩(新上州三十三観音霊場第30番)
■ 大悲殿(聖観世音菩薩)(新上州三十三観音霊場第30番)
 


●有馬渠口神社

関越道「渋川伊香保IC」にもほど近い渋川市有馬にある寺院。
このあたりはかつて「有馬の牧」と呼ばれ、官立牧場(上野九牧のひとつ)が置かれていたとされます。
中世、軍事力の基盤として軍馬を産する「牧」の存在は不可欠でしたが、赤城山、榛名山の山裾から利根川にかけてなだらかに平地が広がる上野国の国中は「牧」のメッカであったことが想像され、実際、利根川右岸だけでも渋川氏(里見郷(現渋川市))、山名氏(山名郷(現高崎市))、里見氏(里見郷(現高崎市))、桃井氏(桃井郷(現榛東村))など、錚々たる清和源氏系武家の発祥(名字)の地となっています。

またまた話が逸れました。
新上州三十三観音霊場ガイドブック記載の寺伝によると、当寺はかつて長泉寺と称され比叡山末にして寛弘年間(1004~1011年)開創。
天和二年(1682年)二世亮全住職のとき、北側にある天神宮を再建(中興)し別当寺になったとされます。
天満宮は現在の有馬渠口(みぞぐち)神社(御祭神:阿利真公・菅原道真公)とみる説が有力のようです。
神宮寺の寺号は、このような由緒からきているものと思われます。
(なお、神宮寺と別当寺は厳密には性格が異なるという説もあるようですが、これについては稿を改めます。)

有馬の地は三国街道が山あいに入る手前の交通の要衝で、往時、相当の伽藍を備えていたらしい神宮寺はこの地の名所としても知られていたという記録が残っています。
信仰の中心は天神宮境内にあった観音堂御本尊の聖観世音菩薩(伝・恵心僧都作)であったとみられますが、明治初頭の神仏分離により観音堂は解体され、御本尊の聖観世音菩薩は当寺に安置されたと伝わります。

当寺は新上州三十三観音霊場30番の札所で、札所本尊は聖観世音菩薩(有馬聖観世音菩薩)。
こちらが伝・恵心僧都作の尊像であるかどうかは資料類からは読みとれませんでした。
(霊場ガイドには「尊像・聖観世音菩薩(新調)」とある。)

明るく開けた境内で、観音堂のたたずまいにもどこか華やぎが感じられます。
お隣の有馬渠口神社もお参りしました。

御朱印は霊場専用用紙書置きのものを拝受。御朱印帳に書入れいただけるかは不明。
また、御本尊釈迦如来の御朱印は授与されていない模様です。

【 新上州三十三観音霊場の御朱印 】
中央に札所本尊、聖観世音菩薩の御影印と「大悲殿」の揮毫。
右上に「上州第三十番」の札所印。左下には寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
裏面には札所名、尊格名(聖観音)と御詠歌が印刷されています。

16.威徳山 無量寿院 眞光寺
渋川市並木町748
天台宗 御本尊:阿弥陀如来(千手観世音菩薩)
札所:群馬郡三十三観音霊場第10番
札所本尊:北向百体観世音菩薩?(群馬郡三十三観音霊場第10番)
■ 北向百体観世音(群馬郡三十三観音霊場第10番?)
 

平安時代初期に慈覚大師円仁の開山と伝わる天台宗の古刹。
中世にはこの地の領主白井長尾家の祈願所となり、足利時代には叡海法印(当山開基)により関東天台宗の渋川談義所が設けられ、戦国期には甲州武田家の庇護を受け、江戸時代には朱印地五十石、天台宗の関東五箇所(五ヶ寺)に数えられるなど、当地の中心的寺院として隆盛したものと伝わります。

名刹だけに、真光寺洪鐘(県指定重要文化財)、真光寺涅槃図(市指定重要文化財)など寺宝も多く所蔵しています。
境内には紫陽花(あじさい)が多く植えられ「あじさい寺」としても知られています。

御本尊は、阿弥陀如来、千手観世音菩薩のふたつの情報がとれますが、群馬郡三十三観音霊場第10番札所であり、西国三十三ヵ所、坂東三十三ヵ所、秩父三十四ヵ所の観音像を安置することもあって、観音様のお寺のイメージが強そうです。

周辺の道は狭いですが、駐車場はあります。
高い寺格をあらわすような風格ある山門、本堂も壮麗なつくりのようですが、参拝時は改築中?で、その威容は拝めませんでした。
また、万日堂は県内でも有数の古い寺院建造物といわれ、先日(2019/6)、市指定重要文化財に指定されています。

観音堂は「北向百躰観世音」と呼ばれ、約三百年前の建立と伝わります。
西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所の各寺札所本尊百躰の観音様を堂内に勧請、南方補陀落山の観世音の聖地から世界を照らす意味で北向きに建てられていることから、「北向百躰観世音」とされているそうです。
御朱印は庫裡にて御朱印帳に書入れいただきました。

【 御朱印 】
中央に御本尊、阿弥陀如来ないし千手観世音菩薩の種子「キリーク」の御寶印(丸に火焔宝珠)、三寶印と「北向百躰観世音」の揮毫。
右上に「西国三十三、坂東三十三、秩父三十四」の揮毫。左には宗派、山号、寺号の揮毫と寺院印が捺されています。

御本尊の種子御寶印と山内の著名な尊格揮毫を組み合わせる御朱印はときおり見られますが、こちらもその例ではないでしょうか。
ただし、阿弥陀如来、千手観世音菩薩ともに種子は「キリーク」なので、御朱印から御本尊を推察することはできませんでした。

17.渋川八幡宮
渋川市渋川甲1
主祭神 応神天皇 比売大神 神功皇后
■ 社号
■ 伊香保神社(社号・揮毫)
 


●御朱印帳

渋川氏の初代、渋川義顕は足利氏嫡流の足利泰氏の子で、足利氏嫡流の頼氏、室町幕府管領家の斯波氏の初代家氏とは兄弟にあたり、足利一門のなかでも高い家格を有する家門とされます。
義顕の後代、渋川義季は鎌倉将軍府の重臣として重きをなし、渋川義行は九州探題に抜擢されるなど鎌倉幕府の有力御家人として位置づけられています。
義顕は上野国渋川郷を領し、渋川八幡宮も義顕が建長年間(1249~1255年)に鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請しての創建と伝わります。
その後、康元年間(1256~1257年)に白井城の長尾景煕が諸社殿を造営、江戸時代初期にはこの地の豪族入沢氏が本殿を建立するなど、代々の当地有力者の尊崇を受けていたようです。

八幡神は清和源氏の尊崇ことに厚く、清和源氏の名門である渋川氏の名字の地、渋川に八幡宮が鎮座していることは素直にうなづけるものがあります。

境内は木々が生い茂り、高低差もあって、パワスポ的雰囲気が感じられます。
子宝・子守に霊験あらたかな神社として知られ、私が参拝した3度ともお宮参りの家族の姿がありました。
境内にはいろいろと見どころがありますが、ここではご紹介を省きます。

御朱印は境内右手の「授与所」で拝受できますが、常駐ではないようで授与所のベルをならすと、しばらくして宮司様の奥様らしき方がいらして対応いただけました。
こちらは伊香保神社の御朱印も授与されているので、そちらも拝受しました。(21.伊香保神社でご紹介します。)

【 御朱印 】
中央に神社印の捺印と「八幡宮」の揮毫。右下の蛙は、境内に祀られている勝(立)蛙由来のものかと思われます。
こちらでは御朱印帳も購入しました。
紅葉、青もみじ、だるま、勝(立)蛙が配された華やかなデザインの御朱印帳です。

18.登澤山 照泉院 金蔵寺
渋川市金井甲1965
天台宗 御本尊:阿弥陀如来
札所:群馬郡三十三観音霊場第8番、群馬郡三十三観音霊場第9番
■ 阿弥陀如来(御本尊)
 

応永八年(1401年)に子持の白井城城主長尾清影により、威徳山眞光寺の末寺として建立された天台宗寺院。
当初は諏訪(下金井)にありましたが、金井宿開設を契機に現在の地へ移転し、現在に至っているようです。(以上、公式Webから抜粋引用。)

樹齢三~四百年とされるしだれ桜(県指定天然記念物、別名:いも種ザクラ)で有名で、4月上旬の開花時には花見客で賑わうそうです。

こちらは群馬郡三十三観音霊場第8番の札所につき、ご紹介します。
参拝後、庫裡にお伺いしたところ、ご住職は外出中だが御朱印は郵送可能というご案内をいただいたので、郵送にて拝受しました。
また、御朱印は御本尊のみで、観音霊場のものは授与されていないそうです。

【 御本尊の御朱印 】
中央に三寶印と「阿彌陀如来」の揮毫。右上に「南無阿弥陀佛」の六字名号の印判。
左下には寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
天台宗寺院の御朱印で、御名号の記載があるものはめずらしいと思います。

伊香保温泉周辺の御朱印-2(後編)

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