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■ 黄金の世代? なう

2021/05/31 UP

いくつか追加・入れ替えしました。

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2020/10/28・2020/10/27 UP

おととい(10/25)放映のカラバト、個人的にはどうにも納得いかないものがあった。
やっぱりAi判定機、本当に歌のうまい(素人には出せないような個性的な声質もっている)人の点数伸びない傾向あるのでは?
翠 千賀さんの困り果てた表情が、それを物語っていた気がする。

でも、この番組が数々の素晴らしい才能を知らしめてくれたことは確かだし・・・。
なんだか寂しい。

「黄金の世代?」の新しめの動画を集めてみました。
誰もかれも、ますます進化している。
でもって、聴いててすごく面白い。
仮にこの6人がユニット組んで(超面白そう)、ユニゾンで歌ったとしても聴き分けられる自信あり。(笑)
それぞれが皆、それだけの声質のオリジナリティもってる。

それと、改めてみなおしてみると、いずれ劣らず ”目ぢから” がある。
聴き手に伝えようとする強い想いが、声や身ぶり手ぶりだけでなく、目や表情からもあふれ出ているような・・・。
そういえば、歴史に残るような名テイクを残したときのアーティストは、みな凄みのある目をしていた。

彼女たち、やっぱり日本の宝になっていく才能だと思う。


■ 佐久間彩加 「駅」


■ 鈴木杏奈:LiSA「炎」(森アナイチオシ動画)


■ 富金原佑菜 【高2歌ってみた】inside you-milet【歌詞付き】『スキャンダル専門弁護士 QUEEN』OP


■ 熊田このは『ツキミソウ /Novelbright』


■ 原藤由衣 【歌動画】恋に落ちて-falling love- /小林明子


■ 堀 優衣 「雪の華」



■ 加藤礼愛:平原綾香「Jupiter(Little Glee Monster ver.)」(森アナイチオシ動画)

世代違うけど、並はずれた才能なので・・・。

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多くのアクセス、ありがとうございます。

正直な話、粗製濫造のTVの音楽番組よりも、YouTubeの関連検索の方がいいテイクに出会える可能性が高いと思う。
いまは、知名度と楽曲(テイク)の質は、あまりというかほとんどリンクしていない。
だから、自分の感性を頼りにWeb動画を探っていく楽しみがある。

神曲、神テイクって最近よく聞くけど、本当の神曲、神テイクって、そうはないと思う。
ほとんど一期一会の世界。
だからこそ音楽は面白い、そう思います。
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■ 相次ぐライブハウスの閉店

緊急事態宣言さらに20日延期。
もう、ほんとうに限界がきているのだと思う。

■ Best Part Of My Life - Marc Jordan


五輪のパブリックビューイングに金つぎ込むんだったら、↓ こういうところにもしっかり支援の手を伸ばしてほしい。

相次ぐライブハウスの閉店
「神戸VARIT.」代表が語るコロナ禍の1年

ライブハウスって、ミュージシャンや関連スタッフを育てる場でもあるわけだから・・・。
それに、ここにきてアンサンブルの魅力(=インストミュージシャンの大切さ)があらためて見直されてきている感じもするし。
公的支援策で資金繰りがまわれば、続けていける施設もたくさんあると思う。

正念場。なんとか乗り切ってもらいたいです。

■ ハートビート(ライブ 1983) - 佐野元春

オリジナル(LP)を完璧に凌駕したと評される名LIVE。

■ Goodbye Yesterday - 今井美樹 Miki Imai from LIVE @ORCHARD HALL 2003 TOKYO

ライブハウスじゃないけど、このLIVE行った。
バックとヴォーカルのバランスが抜群だった。

■ 【AOR】 河合奈保子 & David Foster「LIVE INSIDE YOUR LOVE ~あの夏をもう一度~」

バックのサポートとアレンジメントでアイドルがAORシンガーに変貌した例。
どうしてあの頃(1980年代前半)、みなこぞってLPをクレジット買いしていたかがわかる。

■ 三阪咲 & 富金原佑菜『Y / C&K』@ あべのAステージ 2018/09/17

LIVEは一期一会だから、オケでもこれだけのテイクが生まれたりする。

■ Just A Little Bit/古いサザンだけを演奏する「サザンヴィンテージーズバンド」in風鈴サザン会

↑ こういうふうに、インスト(sax)が場を支配してしまうこともあるわけですよ。
こういうのがLIVEの醍醐味だと思う。

■ I CAN'T EVER CHANGE YOUR LOVE FOR ME - 角松敏生・杏里 

↑ こういう音場感って、腕利きが揃ったLIVEでしか出せないと思う。
音楽好きでよかった! と実感する名演(笑)
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1/fゆらぎ?(熊田このは)-9

2021/05/26 UP

「このはフリーク」を自負していながら、新規YouTubeUPに1ヶ月も気づかなかったとは、なんという不手際(笑)
ひょっとして4年間は聴けないかもしれぬと、覚悟を決めていただけに嬉しすぎる誤算。

■ ツキミソウ /Novelbright - covered by 熊田このは

どうしてこんなに聴き手のこころに響くのか?
あまりに感無量で、すぐには冷静なコメントつけられず。

↓ で、
「これまでおそらく数千人のヴォーカルを聴いてきましたが、音楽のすばらしさをここまでピュアに伝えてくれたのは、このはちゃんだけでした。」
と書いたけど、ブランクをあけて聴いてみても、やっぱりその想いはいささかも変わっていない。
かれこれ30年以上もハイトーンの女性ヴォーカル聴き込んできて、邦楽に限ってもすばらしい歌い手はたくさんいるけど(ex.こちら→「■ 歌の女神が舞い降りた国)、歌う曲1曲1曲がみな宝物になるシンガーって、このはさん以外にはいなかった。
(大学生になったので、「このはさん」でいきます。)

声楽とPOPSの両立はむずかしいだろうし、レッスンや勉強もたいへんだと思うけど、機会があったらまたUPしてほしい。
この素晴らしい歌声を、ひとりでも多くの人に・・・。

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2020/11/17 UP

昨晩(11/16)、このはちゃんのツイッターUPがありました。
「大学で本格的に声楽を学ぶことになり」「これから4年間はきちんと声楽を学ぶために。一旦カラオケを離れ、Twitterも閉じることにしました。」とのことです。

大きな目標をもって新たな挑戦をはじめるこのはちゃんを、陰ながら応援したいと思います。

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これまでおそらく数千人のヴォーカルを聴いてきましたが、音楽のすばらしさをここまでピュアに伝えてくれたのは、このはちゃんだけでした。
音楽理論や声楽のスキルを身につけ、さらに高みへと羽ばたいていくことを祈りつつ気長に待ってます。

これまで、ほんとうにありがとう!

■ 二木蒼生 & 熊田このは ホール・ニュー・ワールド

"A Whole New World" by Konoha Kumada(with Aoi Niki).1/12/2020 at The Mizonokuchi Theater in Kawasaki/JAPAN.

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2020/11/10 UP

このはちゃん、志望校合格おめでとう!
コロナ禍のなか、オーディション、そして受験と、たいへんな日々だったと思います。
しばらくはゆっくりやすんで、歌いたくなったら、すばらしい歌声をまたファンのみんなに聴かせてほしい。

熊田このは アイノカタチ feat.HIDE(GReeeeN) / MISIA

●現在、非公開中です。
※ 2020/02/23の直近のLIVE(郡山市)。つやっつやのハイトーンにキレと深みが増している。
こんな歌、このはちゃん以外の誰も歌えない。



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2020/08/02 UP

「このはオリジナル(熊田このは)」 記事は → こちら
※ ひさしぶりにこのはちゃんのKARASTAが更新されています。
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2020/07/07 UP

大学受験が終わるまで、ツイッターをお休みするそうです。
これから大事な半年強、しっかり勉強に集中して志望校にいけるといいね。
がんばれ!

心の糸 - 池田綾子


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2020/07/04 UP

本日、グランプリが発表されています。→ こちら
高島一菜(ひなの)さん
えっ、まだ14歳? びっくり。
今後のご活躍をお祈りいたします。

でも、このはちゃん、よくがんばったと思う。
決勝は、審査員さんのDEEMOのイメージにどれだけ合うかどうかが、決め手となったのでは?

高島さんが決勝であのフェミニンなハイトーン繰り出してきたとき、正直びっくりした。
これはわからん、と思った。

【Youtube公開】DEEMO THE MOVIE 歌姫オーディション〜 令和歌姫プロジェクト 〜 #12[6月28日放送分]

このはちゃんのパート

ちょっと綺麗に歌いすぎたかな?(あくまでも個人的な感想ですが・・・。)
でも、このはちゃんならではのつやつやで伸びのあるハイトーンや「聴き手のこころに訴える感」は、しっかり出ていたと思う。

予選から通して聴いて、やはりこのはちゃんの歌声のオリジナリティを確信した。
唯一無二だ!
このはちゃんの歌声は、梶浦由記さんの記憶にしっかり刻みつけられたと思う。

今回は貴重な経験だったと思うし、これを糧に曲幅も表現力もますます広がっていくのでは。

コロナ禍のなかでの長丁場、おつかれさま。
少しゆっくりして、そして歌いたくなったら、あのすばらしい歌声をまたファンのみんなに聴かせてほしい。

まだまだ、まだまだこれからだよ!
いそがず、あせらず、じっくりと。
「聴く人を元気に、しあわせにする歌声」が、いまほど求められている時代はないと思うから・・・。

熊田このは「to U (Bank Band)」2019/12/30 The Band Night Vol.3 ESAKA MUSE
●現在、リンク解除中です。
フルバンドをバックに堂々たる歌いぶり。
6分40秒聴いてもぜんぜん飽きない。むしろ、もっと聴いていたい感・・・。
切なさを感じるのに、なぜか聴き手に力をあたえる希有の歌声!

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2020/06/29 UP

先ほどBS日テレ、23:30~24:00でオンエア。
(近日中に→こちらにUPされると思います。)
6名が決勝進出しています。→ 結果発表はこちら
決勝進出者6名がレコーディング審査に臨みました。

レコーディング曲は、「Fluquor」↓
[Deemo 2.0 memories] Fluquor 中日字幕【end】


ハイトーンの美しさと力感と表現力が問われると思われる曲。
誰もが素晴らしいパフォーマンスで勝敗予測不能。

このはちゃん、自身の魅力を歌に乗せられたんじゃないかな。
結果は次週の番組で発表のようです。

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2020/06/22夜 UP(2020/06/23追記)

決勝進出者のテイクを改めて聴いてみると、やはり声量があって声が前に出ている感じがする。
それと身振りや表情含めてステージングに個性や華がある。

このはちゃんは一見真面目で控えめな感じがするし、歌い方も端正で難パートもあっさり歌いこなしてしまうので、このあたりが問われるところもあるのかもしれない。
でも個人的には、このはちゃんの真骨頂って、綺麗な曲をうつくしく歌い上げるだけじゃなく、ふつうの歌い手にはとてもできない「歌いぶり」を平然とこなしてしまうところにあると思っている。

以前、「この子の歌い方はよく『素直』だといわれるが、じつはかなり個性的で、既成の枠にはどうにも収まり切らないところがある。だから、往々にして聴き手の予想を裏切る振る舞いをするのだが、それがたまらん魅力だと思う。そんな天衣無縫な歌声とそれを浴びた驚きが、聴き手をやる気モードに導いているのでは?」と書いたが、そんな感じ。
こういうときの彼女のステージング(身振りや表情)は、自然であざといところがまったくなく、歌の仕上がりとあいまってひたすら聴き手の心を打つ。

声もばりばり前に出てくるし、倍音や1/fゆらぎ含みのつやっつやの超絶ハイトーンで「音(声)の壁」を創り出していることも・・・。(こんなの並みのシンガーにはぜったいできない。)
たとえば最近ではこんなテイク↓

熊田このは I LOVE…/Official髭男dism(cover)

●動画は削除されています。
リズム感が抜群で、バラードだけでなくミディアム~アップチューンでも別の魅力を創り出せる。

だから決勝は、あまりいろいろ考えずに、自分の声や想いをありのままにぶつけていった方が(一線越えたこのはちゃんの方が)、インパクトがあるのかもしれない。
複数の審査員の方から、今回の主題歌だけでなく、その先のポテンシャルまで見据えたい的な発言もあったし・・・。

それにしても、今回はめったにないすばらしいチャンス。
個人的には、梶浦由記さんは日本のサウンドクリエイターの最高峰だと思っているし、とりわけハイトーンの女性シンガー手掛けたら彼女の右に出る人はいないと思う。

今回の優勝&デビューも大きいけれど、これをきっかけに日本の至宝ユニット、FictionJunctionで歌ってほしい。
壮大な梶浦節のうえで舞い上がるこのはちゃんのハイトーン。想像するだにたのしみ!

Yuki Kajiura(/FictionJunction) - Open your heart (live)

全員が優にリードをとれる実力をもちながら、コーラスに回る贅沢さ。
というか、コーラスが裏方にならず、ときにリードを喰ってくる醍醐味。
3:22~なんて、ほぼ全員がリード状態。
実力者揃いのinst陣も加わって、スケール感ありすぎ!

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2020/06/22 01:30 UP

先ほどBS日テレ、23:30~24:00でオンエア。
(近日中に→こちらにUPされると思います。)
6名が決勝進出しています。→ 結果発表はこちら

高島一菜(ひなの)さん
わかないづみさん
熊田このはさん
たまちゃん🍊🍓(木下珠子)さん
橋本梨々果さん
Yaki Wuさん

このはちゃん、決勝進出! おめでとう!
ファンの方々のフォローも、どうもありがとうございます。

歌もコメントもとってもよかった。
このはちゃんの歌って、ほんとに元気でる(というか、しあわせになる)もんね。
このはちゃんのいまの実力なら絶対決勝いけると確信してたけど、やっぱりハラハラした。(仕事のコンペよりしびれた・・・(笑))

ここまできたら、あとは悔いのないよう、全力出しきってがんばれ!

キャラがばらけた6名が残って、決勝はレコーディング??
超たのしみ・・・。

【DEEMO THE MOVIE】「熊田このは」歌姫オーディション3次予選時歌唱映像(限定公開)

この緊張の局面で、ラスト3番(4:20~)の声量と声の伸び&響き、やっぱり凄い!

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2020/06/16 23:21 UP

3次予選一般審査の投票がおわりました。

審査(投票)開始直前にOn Airされた、6/6の審査員審査の模様です。↓
【Youtube公開】DEEMO THE MOVIE 歌姫オーディション〜 令和歌姫プロジェクト 〜 #10[6月14日放送分]

14:22~ このはちゃん

結果発表前なので、一言だけ。
14:48~ の自由曲のハイトーン on ハイトーン、唖然! 

もっともっと、たくさんの人に・・・。

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2020/06/16 0:20 UP

諸般の事情で、投票期間が 6月16日(火) 16時59分まで延長されています。(理由は こちら

えっ・・・・・?????
でも、みんな応援してるよ。
きっと大丈夫!

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2020/06/15昼UP

知り合いにメールで広めた。
夢に向かって進めるといいね!

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2020/06/15 01:10UP

7回聴いた(笑)。そして投票完了。
審査中なのでコメント控えるけど、中盤からラストまでの難パートの進みがとても短く感じる。

それにしても、この世代の女子やっぱりレベル高いわ。→ 黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)

みなさん持ち味がちがうので、
決勝進んだ5名で、”New FictionJunction” 結成!ってどうかしら・・・。(こればっかし(笑))

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2020/06/14UP

投票開始までいよいよ6時間を切りました。

DEEMO THE MOVIE 歌姫オーディション ~令和歌姫プロジェクト~
3次予選一般審査 6月15日(月) 0時 ~ 6/16(火) 11時59分
投票はこちらから
「「課題曲」「自由曲」歌唱映像をオーディションホームページに掲載いたします。」
「映像を見ていただき歌姫に選出したい参加者1名に投票していただきます。」
とのこと。

14人のなかから5名が決勝進出。
結果は、6/21放送にて発表とのことです。

このはちゃんファンは全力応援を!
ここは、このはちゃんファンの頑張りどころ・・・。

熊田このは 『fight』 MSP 11Feb2018
●現在、リンク解除中です。

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2020/06/10UP

課題曲「暁の車」のレッスン動画がUPされています。
こちら

母音の響かせ方と、ノンバンドの1番とバンドサウンドの2番の対比がポイントなのかな?
歌声の強さ、表情、そしてメッセージ・・・。
本番でどれだけ乗せられたかな。

6/15(月)0時~ の一般審査。
全力応援いくよ~。

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2020/06/07UP

さきほどレッスン風景放送してた。(BS日テレ、23:30~24:00オンエア)
このトレーナーさんの指摘、やっぱり的確。
勘どころのいい子だったら、一気に伸びるかも・・・。

3次予選
・審査員審査 6月6日(土)
課題曲「暁の車」

YUUKAのリード曲。おそらく声の質と音圧と表現力がきびしく要求される難曲。

自由曲・・・二次予選曲イントロから1コーラス

・一般審査 6月15日(月) 0時 ~ 6/16(火) 11時59分
投票はこちらから
「「課題曲」「自由曲」歌唱映像をオーディションホームページに掲載いたします。」
「映像を見ていただき歌姫に選出したい参加者1名に投票していただきます。」
とのことです。

14人のなかから5名が決勝進出。
結果は、6/21放送にて発表とのことです。

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2020/06/02UP

オーディション自己PR動画のPRツイートです。
3次予選の一般審査、投票期間は6/15(月)0時~6/16(火)11時59分。
このはフォロワーの方、ど~ぞよろしくお願いします。

熊田このは 心の瞳 / 坂本九

●現在、非公開中です。
↑ 最新(2020/02/23)のLIVE。
圧倒的透明感、そして歌にキレがでてきてる。
切なさを感じるのに、なぜか聴き手に力をあたえる希有の歌声!
もっともっと、たくさんの人に・・・。

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2020/06/01UP

さきほど放送してた「DEEMO THE MOVIE 歌姫オーディション ~令和歌姫プロジェクト~ オーディション特集
今回は、トレーナーさんによるボイストレーニング編で面白かった。

このトレーナーさんの指摘、テクニカルなこと伝えてるのに具体的でわかりやすい。
さすがにプロの仕事だと思った。
このはちゃんへのコメント、たしかにこれフォローできたら曲幅がぐんと広がると思う。

トレーナーさんが「個性」と述べられたのは、ハイトーンのツヤや響きかな?
何曲かピックアップしてみました。(→ こちら

3次予選の一般審査は投票方式で、
投票期間は6/15(月)0時~6/16(火)11時59分 です。
がんばれ!。

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2020/05/26UP

DEEMO THE MOVIE 歌姫オーディション ~令和歌姫プロジェクト~
2次予選の動画と3次予選・一般審査の日時、UPされました。(→ こちら
一般審査は投票方式で、
投票期間は6/15(月)0時~6/16(火)11時59分 です。

このはちゃんの2次予選の選曲は「おひさま~大切なあなたへ」(平原綾香)。
動画はYouYubeで埋め込みリンク貼れるけど、審査上よろしくないかもしれないのでやめときます。
こちらからみてね。

ルールでエコーやエフェクター禁じられてる??
そのなかでこの声の艶は、やっぱり逸材だと思う。

14名全員聴いた。
強豪がいるけど、全力出し切ってがんばれ!

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2020/05/13UP

DEEMO THE MOVIE 歌姫オーディション ~令和歌姫プロジェクト~
2次予選、5/4(月)/5/5(火)に開催され、昨日5/12(火)に結果発表されました。
WEB会議サービス「ZOOM」を使用した、自宅からの参加だったようです。
●審査員
・梶浦由記 氏
・森康哲 氏(同映画の音楽プロデューサー)
・松田あずさ 氏(ANIME EXPO シニアディレクター)
・ポニーキャニオンプロデューサー

審査結果(3次予選進出者)

14名が選ばれ、このはちゃんも入ってます。
このはちゃん、歌姫オーディション2次予選通過! おめでとう!

〔 今後のスケジュール 〕
2020年5月~6月
■3次予選 決勝
梶浦由記氏、同映画の音楽プロデューサー森康哲氏、ポニーキャニオンプロデューサーらプロ審査員に加え、一般審査員(動画視聴者)も審査に加わり通過者を決定。

■結果発表
オーディション優勝者は2020年7月ロサンゼルスで行われるANIME EXPOにて発表予定

オーディションの模様をBS日テレにて、毎週日曜日23:30~24:00オンエアしています。
見逃した方はこちらからチェック!
次回5/17(日)では、2次予選の模様が放映されるかも・・・。

選考された14名、強豪ぞろいな感じもするけど、
このところのこのはちゃん、流れに乗ってる感ばりばりなので
もうひといき、がんばれ!

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2020/05/05UP

■ 熊田このはちゃんの癒し曲10曲、別記事でつくってみました。

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2020/04/17UP

歌姫オーディション〜 令和歌姫プロジェクト 〜の第二次予選、新型コロナ感染拡大で延期になってるみたいだけど、
↓ こんなのありました。
【Youtube公開】DEEMO THE MOVIE 歌姫オーディション〜 令和歌姫プロジェクト 〜 #01[4月12日放送分]


11:02~
「やっぱり、浮ついた人の多い業界のなかで、浮つかずにマジな目で、まぁ一番やばいこといってんじゃないかってタイプの人なんですよ、もともとが(笑)
その人が、あ、これ本気だなって今回・・・」
↑ 選考レベル高そう

■予選通過者のピックアップ
しょっぱなにこのはちゃん(12.35~)
15:25~
「センターから若干ズレてる。そこもかわいい(笑)」

17:15~
佐久間彩加ちゃん
特技。鮒釣り???

それにしても、「黄金の世代」が中心でレベル高し!
あまりにもったいないので、5人くらい選んで、”New FictionJunction” 結成!ってどうでしょう。梶浦さん!

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2020/03/21UP

■ I LOVE…(Official髭男dism)
「このはちゃんねる」にUPされました。

●動画は削除されています。
うひょ~、これは凄い!
コロナウイルス蔓延で、沈みがちな気分を吹き飛ばしてくれる歌いぶり!
J-POPの女性ボーカルで、ここまでの爽快感を感じたのはほんと久しぶり。
持ち味の透明感もばっちりだから、透明感&爽快感か・・・。
とんがったところがまったくないけど、心地よい音圧があって、聴き飽きしない美声。

R&Bベースの変則リズムへの乗り方が圧巻。
そして難音階&音飛び&ハイトーン&ロングトーンの関門をつぎつぎにクリアしていく・・・。

どちらかというとバラードメインで、端正でおだやかなイメージがあるかもしれないけど、
個人的には、こういうアクロバティックな難曲のこなしが、このはちゃんの真骨頂だと思っています。

ボカロ曲も歌ってほしい。

2020/03/06-08UP

OGPイメージ

熊田このは on Twitter

“学校が休みの間、4月くらいまでカラスタに毎日1曲ずつ歌を投稿しようかな〜と思ってる宣言🙋🏻‍♀️リクエストも待ってます🥳
カ...

Twitter

 


↑という、超うれしいツイートがあったので、別記事を立てて勝手に20曲リストしてみました。→ こちら

☆☆☆☆☆☆☆
ライブ配信のツイッター

やっぱり今回も面白かった。
この状況だと、感染リスクのないこのかたちがベストかも。
奇跡(シェネル)、やっぱり合っていると思う。
それと、春~spring~(Hysteric Blue)
こういうリズムの細い曲のこなし、本当にうまいと思う。

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本日(3/7)19時~ このはちゃんの配信(たぶんKARASTAの生放送)予定です。
この前の配信(2/24)、めちゃめちゃ面白かったので、これは必聴かと・・・。

OGPイメージ

熊田このは on Twitter

“オーディション二次に進出することができました!嬉😭💗
たくさんの応援本当にありがとうございました!( ◠‿◠ )
次も...

Twitter

 


このはちゃん、KARASTAオーディション1次予選通過! おめでとう!

ネタ元(スマホ)↓
1次予選結果発表
※ ↓の結果発表ページは、PCでは表示されないかもしれません。
「1次予選の通過者に関しては、3月6日(金)このページ内にて掲載」

予選通過者は67名。
100K以上獲得しても通過できなかった人もいるし、応援数上位30名以下でも「審査員特別推薦枠」で通過した人もいる。
かなりシビアな選考だった感じがします。
強敵もしっかり残っていて、2次予選は熾烈な戦いとなりそうです。

なお、2次予選説明会、2次予選ともに新型コロナウイルス感染拡大防止のため、延期となっています。(延期のスケジュール未定)
感染拡大のなかでの3月中旬のこのはちゃんの来京、ちょっと心配だったけど、一安心。

自由選曲なので、選曲もポイントかと・・・。
じっくり考えて、いい曲を選んでほしい。がんばれ!

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2020/03/03UP

「このはちゃんねる」で2曲新規UPされています。
どちらもすばらしい出来。KARASTAオーディション審査員の方、「このはちゃんねる」も参考にしていただけないかな。

1.あなたがここにいて抱きしめることができるなら / miwa

●現在、非公開中です。
カラバトU-18歌うま甲子園(2019/12/15)。
堺オーナーをして「祈りのような歌声」といわしめた名唱(→動画)を繰り出し予選通過した曲。
でも、今回のテイクはたぶんそれを凌いでる。

ハイトーン&ロングトーン、難音階&難符割り、音飛び連打、リズムブレーク・・・
さらに追い打ち的に長尺の超難曲で、ふつうに力尽きるわな。
ラストまでまともに歌える人は、ごくごく限られると思う。

それをここまでのレベルに仕上げられるとは・・・。
4:02~のロングトーン、そして、4:15~の息漏れなしの超絶ハイトーン。
こんなものすごい歌いまわし、プロでもできる人そうそういないと思う。

2.あなたがいることで / Uru

●現在、非公開中です。
3:00~ラストまで、「このはビブ」連続炸裂! これは圧巻。
たぶんビブかけにいってない、自然にかかっていると思う。

切なさを感じるのに、なぜか聴く人に力をあたえる希有の歌声!
もっともっと、たくさんの人に・・・。

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2020/0206-03/01UP

OGPイメージ

熊田このは on Twitter

“おはようございます☺️♡
歌姫オーディションDブロック無事終了致しました(..)!
皆さん応援本当に本当にありがとうござい...

Twitter

 


「応援(ギフティング)」141Kで暫定1位です。おめでとう!  → 結果

今後のスケジュール
【1次予選】
一次予選A〜Dそれぞれの期間で応援数上位30名を審査 ← これは1位獲得でクリアです。

梶浦由記氏、音楽プロデューサー森康哲氏、ポニーキャニオンプロデューサーらプロ審査員とKARASTA運営の審査で通過者を選出

「※課題曲以外に、KARASTAで投稿している別の歌唱動画も審査の参考とします」とあるので、他の動画のサポートもよろしくお願いします!
→ 最新のKARASTA投稿動画 → 3月9日 (レミオロメン) (2020/02/29UP)

1次予選の通過者に関しては、3月6日(金)このページ内にて掲載

【2次予選】
日時3/20 13:00以降
場所 都内某所
選曲 自由

流れに乗ってる感ばりばり。がんばれ!

★★★★★★★★★★
■ 先ほどUPされた最新動画  → こちら

好テイク! 声に力感と深みがあるし、ロングトーンとビブラートのバランスも絶妙。
この調子なら、オーディション、行ける!!

★★★★★★★★★★
↓ の【一次予選D】、投票は本日2月29日(土) 23:59までです。
現在、1位キープです。ランキング 
ファンのみなさん、追い込みの「応援(ギフティング)」&「いいね」をよろしくお願いします。

★★★★★★★★★★
このはちゃん、オーディション参戦!情報
課題曲(inside a dream)

主題歌歌姫オーディションの課題曲、梶浦由記さんの曲! →(”梶浦サウンド”の記事
それに審査員、梶浦由記さんって、ベストパターンでは?
梶浦さんだったら、このはちゃんの才能見逃さないと思うけどね・・・。

現在ランキング11位
投票の方法がわからんが(笑)、探して応援します。

あら、2位になってる。
ついに1位に・・・。 このはちゃん強い!(2020/02/18PM)
紙吹雪でた!!

【一次予選D】2020年2月15日(土)00:00〜2020年2月29日(土)23:59
▼一次予選通過対象
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一次予選A〜Dそれぞれの応援数上位30名から、梶浦由記氏、音楽プロデューサー森康哲氏、ポニーキャニオンプロデューサーらプロ審査員とKARASTA運営の審査で通過者を選出します。
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この → ランキングで、2/29の時点で上位30位に入ってたら審査員審査に進めるってことか?
全力応援したいが、いまだに投票のやり方わからず(笑)

やっと仕組みがわかってきた(笑)
KARASTAの使い方
オーディションの応援のやり方

たぶん、「いいね」や「コメント」はオーディションポイントにならない。
「応援(ギフティング)」(有料・コインを買って贈る)だけがポイント加算されると思う。(さっき「うつぼ」でいくつか応援入れてきた。)

「一次予選A〜Dそれぞれの応援数上位30名」に入らないと、審査の対象にもならないようです。
このはちゃんを一次予選で落とすわけにはいかないので、ファンのみなさん「応援(ギフティング)」をよろしくお願いします。

同一応援数の場合「いいね」の数の勝負になるし、審査員さんの心証も上がるかもしれないので、「いいね」もよろしくお願いします。
動画を視ながらダブルタップでできます。無料です。画面への反映は1回だけのようです。

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昨晩、ざっと6位以上聴いてきた。(このはちゃんが7位のとき)
エコーの量がぜんぜん違うじゃん。(このはちゃんは少ない、でも一番響いてる)
フォロワー数やいまの応援数からいっても問題ないのでは?
他の予選(とくにA)に強敵がいるけど、このコンセプトならいけるのでは?

Credens justitiam - Yuki Kajiura(FictionJunction)

↑ いまのこのはちゃんだったら、はまれば貝田さんの上とれると思う。

熊田このはちゃんのセトリ(&出演記録)

※ブログのエディターがVol.8で崩壊してうまく書けないので(泣)、とりあえずVol.9つくってこちらに書きます。
(今年に入ってからの記事はVol.8とダブッています。)

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2020/02/24UP

このはちゃんのツイッター
↑ 2/24(月)の21:30~ 「KARASTA」
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めちゃ面白かった! それに声もよく出ていた。 
2回目でこの出来は凄い。
ギフティングとコメント&リクエストで忙しくて(笑)、あまり聴き込んでいないけど・・・。

1.若者のすべて(フジファブリック (Fujifabric))
なんというか、これまであまり歌ったことのない曲調では? こういうのもありだと思う。

2.テルーの唄(手嶌葵)
手嶌葵の曲は、本当にこのはちゃんに合ってると思う。

3.Dearest(浜崎あゆみ)
浜崎あゆみの公開は初めてでは? 
浜崎あゆみはハイトーンビブラート系なので「合うのでは?」と思っていたが、やっぱりはまってた。

4.Endless Story(Yuna Ito)
レスありがと(笑)。この曲、LIVEでフルで聴きたい。

5.おひさま~大切なあなたへ(平原綾香)
6.あなたがここにいて抱きしめることができるなら(miwa)
ともにハイトーン系で安定感抜群。平原綾香&miwaの曲ははずれテイクなしでは?

7.ラピスラズリ(藍井エイル)
8.IGNITE(藍井エイル)
個人的には、やっぱりこのはちゃん、アップテンポの曲合っていると思う。それを改めて感じさせた2曲。

9.You Raise Me Up(Celtic Woman)
レスど~も(笑)。「あまり好きじゃない?(歌いにくい??)」
やっぱりこのはちゃんのこの曲珠玉なので、そう言わずにつぎのLIVEではフルバージョンで是非!

10.NANIMONO(中田ヤスタカ (feat.米津玄師))
11.Lemon(米津玄師)
米津さんのキーと跳ねるリズムはやっぱりクセもの? このはちゃんにしてやや苦戦気味か?

12.麦の唄(中島みゆき)
13.プロローグ(Uru)
中島みゆきの曲、音域も唱法もぜんぜんちがうのにいつも素晴らしい出来。やっぱり声に情感が乗っているからでは?

14.Everything(MISIA)
オーラス曲。迷ってのチョイス。
こういう唱い回しのEverything、はじめて聴いた。(このはオリジナル)
原曲意識しないで、縦横無尽に唱いきったらかなり面白いことになると思う。

これから色々と忙しくなると思うけど、たまにこういうのやってくれると嬉しい。
でも、ムリせずにね・・・。

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熊田このはちゃん 新譜CDの情報

■ 手と手 - 熊田このは from ALBUM『Konoha』(M1)

☆ 2019.12.30 /「The Band Night Vol.3 ESAKA MUSE」


☆ 2019.11.04 / 「Birth Day 2MAN LIVE 溝ノ口劇場」 ※ リリース翌日のLIVE動画
●現在、リンク解除中です。

2019.11.03 Release!
Label & Promotion:Perform art of music
Produced by Naoki Daichi
〔視聴&購入(オンラインショップ)〕→ こちら
3曲とも、すばらしい出来映えです!








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※ 前ページ(2020/01/11まで)は → こちら

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【 関連記事 】 ※ 現在、非公開としている記事があります。

熊田このはちゃんのセトリ(&出演記録)-Vol.1
熊田このはちゃんのセトリ(&出演記録)-Vol.2

■ 1/fゆらぎ?(熊田このは)-1
■ 1/fゆらぎ?(熊田このは)-2
■ 1/fゆらぎ?(熊田このは)-3
■ 1/fゆらぎ?(熊田このは)-4
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■ 1/fゆらぎ?(熊田このは)-7
■ 1/fゆらぎ?(熊田このは)-8
■ 1/fゆらぎ?(熊田このは)-9

■ 熊田このはちゃんの癒し曲18曲
■ 奇跡のハイトーン10曲(熊田このは)
■ 7曲の「You Raise Me Up」(熊田このは)
■ 12曲の「CAN YOU CELEBRATE?」(熊田このは)

■ 黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)

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■ utsuboの音楽遍歴-1 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)

■ 1983年洋楽ピーク説
■ グルーヴ&ハイトーン (グルーヴってなに・・・?)
■ 東京五輪のセレモニーソング ~ 日本の歌うま女子の底力 ~
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■ 24年ぶり スーパームーン皆既月食

関東では見られなかったところが多いみたい。
残念でした。

■ 24年ぶり スーパームーン皆既月食


■ 見えない月 - 藤田麻衣子

名曲!
天才的なコード廻し
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■ 朝霞五社巡り

現在、新型コロナウイルス感染急拡大により、不要不急の外出の自粛が要請されています。
また、寺社様によっては御朱印授与を中止される可能性があります。
以上、ご留意をお願いします。


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埼玉県朝霞市の御朱印といえば、出雲大社埼玉分院が有名ですが、一昨年(2019年)?あたりから「朝霞五社巡り」が開創され、市内五社の御朱印が授与されています。

この五社にはこちらでご紹介した美女神社も含まれています。
五社は新河岸川をはさむかたちで鎮座し、武蔵野台地と新河岸川沿いの低湿地を行き来するルートとなるので、地勢的にも面白い神社巡りだと思います。

5社とは、宮戸神社、内間木神社、田島神明神社、美女神社、天明稲荷神社です。
5社の内4社は非常駐で、御朱印はまとめて天明稲荷神社で拝受できます。
5社すべてお参りすると、満願札も授与いただけます。
お納めは以前は1通300円でしたが、現在は500円となっています。
5社で2,500円ですが、書置タイプはすこぶる美しく、また満願札も授与いただけ、わたしの満願時にはお守り(大麻)もいただけたので、個人的には満足の神社巡りでした。

なお、令和三年正月も「朝霞五社巡り」の御朱印は授与されていますが、新型コロナウイルス感染拡大により書置対応のみとのことです。










天明稲荷神社は、東武東上線「朝霞台」駅・JR武蔵野線「北朝霞」駅から歩ける距離です。(約20分)
徒歩で5社をゆっくり回ると2~3時間程度の所要かと思います。

車の場合は、天明稲荷神社に3台ほどのPがあり、ここから一番遠い内間木神社にも大きめのPがあります。
宮戸神社、田島神明神社には駐車スペースがありますが、美女神社にはPも駐車スペースもありません。
ご祈祷等によりPが満車となる可能性もありますので、天明稲荷神社様(TEL:048-471-3401)に事前確認がベターかと。

車の場合、短時間で結願してしまいますので、先日ご紹介した平林寺と組み合わせての寺社巡り&御朱印三昧も面白いかと思います。
なお、平林寺の御朱印は団体が入ると切れてしまう可能性があるので、AM平林寺、PM朝霞五社巡りがベターかと思います。(なお、平林寺は11月〜翌1月の期間中(混雑期)は、御朱印の授与はありません。)

今回、歩いて巡拝しましたので、途中の風景なども撮影しています。
まずは概要のみ先にUPし、詳細は追って追加していきます。

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1.宮戸神社(みやどじんじゃ)

埼玉県朝霞市宮戸4-3-1
御祭神:面足尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊、稲倉魂命、高良玉垂姫命
旧社格:村社 旧宮戸村鎮守
元別当:薬王山 仏眼院 寶(法)蔵寺(朝霞市宮戸)
授与所:天明稲荷神社社務所
朱印揮毫:宮戸神社 書置ないし直書(筆書)
公式Web
「猫の足あと」様




【写真 上(左)】 現在の書置御朱印
【写真 下(右)】 以前の揮毫御朱印

社伝および「猫の足あと」様の情報によると、中世に熊野信仰が高まった際に熊野社として創建したという説があり、公式Webには「古くは熊野権現様として親しまれ」と明記されています。
当社で祀られている伊弉諾尊・伊弉冉尊は熊野信仰の中心的な祭神で、熊野社説を裏付けるものとみられます。

面足尊は、『古事記』において神世七代の第六代の神とされ、人体の完備を神格化した神格とされます。
とくに、「オモダル」は「男子の顔つきが満ち足りていること」の意も含むとされ、言葉をくだくと”イケメン”の神様です。
朝霞五社巡りには、美女神社も入っていますので、イケメンと美女にゆかりのある神社を回ることになり、実際、天明稲荷神社では「美男守」「美女守」が頒布されています。

面足尊は、中世には神仏習合により第六天魔王の垂迹であるとされ、とくに修験道で信奉されました。志木町宗岡村字袋鎮座の天津神社を移転された際、その御祭神として遷座されたとされています。

明治四十年、神社合祀令により浜崎の氷川神社に田島の神明神社とともに三柱神社として合祀されましたが三柱神社の遥拝所として存続。
地元の強い要望により、昭和十七年、志木町宗岡村字袋鎮座の天津神社を移転して天津神社となり、翌十八年、宗岡村字下ノ谷鎮座の稲荷神社を合祀して宮戸神社と改称しました。
他地の御祭神、とくに氏神様の御遷座は容易ではないと思われますが、『埼玉の神社/埼玉県神社庁刊』にはこの時の経緯が詳細に記されているので以下に引用させていただきます。

(引用)-----------------------------
折しも隣村の宗岡村の字袋と字下ノ谷では、いずれも狭隘な境内を持つ無格社を祀っていたために合祀の対象となり、その回避策として今よりも広い境内地への移転が検討されていた。
大字宮戸と字袋・字下ノ谷の三者の利害の一致がその後の協議を円滑に進めていくことになった。
昭和十七年に宗岡村字袋の天津神社を大字宮戸の三柱神社遥拝所の地に迎え、翌十八年には宗岡村字下ノ谷の稲荷神社を天津神社に合祀したのを機に社号を宮戸神社に改め、村社に列した。
大字宮戸は三柱神社の氏子であったため、この移転及び合祀に関しては浜崎の人たちの合意を得る必要があった。
浜崎に対して、宮戸では宮戸神社を崇敬すると共に三柱神社も従来通り氏神として崇敬していく旨の協定を結び、移転願いに連署を求めた。
また、字袋と字下ノ谷とは、従来通りの形で氏子として存続していくことを約した。
(引用おわり)-----------------------------

昭和三十一年、浜崎の三柱神社より旧熊野権現社の御祭神を返還のうえ、宮戸神社に合祀しています。
『埼玉の神社/埼玉県神社庁刊』には、この際、宮戸地内から御遷座の駒形(高麗方)神社は本殿に、元別当の法藏寺の旧地薬師堂山に祀られていた日王子神社・白山神社、および稲荷神社などが境内に合祀されたとあります。

駒形(高麗方)神社の御祭神、高良玉垂姫命は福岡県久留米市の高良大社(旧国幣大社)の御祭神で、埼玉でも数社ある駒形神社で祀られていますが、北九州の御祭神がなぜ埼玉で祀られているのかはナゾとされているようです。(→参考Web


浜崎氷川神社

現在の五柱の御祭神について、公式Webには下記の記載があります。
「御祭神は面足尊(旧天津神社祭神)、イザナギノミコト・イザナミノミコト(旧熊野神社祭神)、稲倉魂命(旧稲荷神社祭神)、高良玉垂姫命(旧高麗方神社祭神)」

朝霞五社巡りでは、宮戸神社が本務社で他の4社は兼務社にあたります。
ご神職は、兼務社の天明稲荷神社に常駐されているため、御朱印等は天明稲荷神社での授与となっています。

朝霞台の台地から下ってくる宮戸橋通りが新河岸川に差しかかる手前の、小高いところに御鎮座。いかにも神社的な立地です。

社頭に石造明神鳥居と「村社 宮戸神社」の社号標。
切割り状の参道石段。石段上の玉垣内にわかりにくいですが一対の狛犬。
右手に御神木、左手に大山阿夫利講の石尊大権現の石塔と力石。
少し進んで右手に手水舎、前方に石灯籠一対、狛犬一対。

入母屋造平入り銅板葺の拝殿と流造銅板葺の本殿を石の間(幣殿)で結ぶ権現造系のつくりだと思います。屋根勾配は急で、引き締まった感じの外観です。
どちらも妻部には鬼板と懸魚を置いています。
拝殿は流れ向拝で海老虹梁。海老虹梁と頭貫の端部に簡素な木鼻。
正面桟唐戸の上に社号「宮戸神社」の扁額。手挟に唐花文様の彫刻。軒天には二軒の平行垂木。

拝殿右手には手前から神明神社、御嶽神社、日王子神社、白山神社、天満宮、水神社、弁天神社、護国神社。本殿裏手には、新田組稲荷神社、宿組稲荷神社、久保組稲荷神社などの稲荷神社が境内社として鎮座しています。

昭和三十一年の本格再興ながら、いまでは地域の中核社らしく、多くの境内社を擁しています。


【写真 上(左)】 巡拝途中の風景
【写真 下(右)】 新河岸川

2.内間木神社(うちまきじんじゃ)

埼玉県朝霞市上内間木443
御祭神:日本武尊
旧社格:村社 上内間木地区の鎮守
授与所:天明稲荷神社社務所
朱印揮毫:内間木神社 書置ないし直書(筆書)
公式Web
「猫のあしあと」様




【写真 上(左)】 現在の書置御朱印
【写真 下(右)】 以前の揮毫御朱印

社伝および「猫の足あと」様の情報によると、内間木村が上下に分村した元禄年間(1688-1704年)以降に、本村(下内間木)の蔵王権現社を分祀し重殿権現社(じゅうどのごんげんしゃ)として創建したという説があります。
明治四十年、上内間木字屋敷添の稲荷社と字厩尻の厳島社を境内社として合祀しました。

蔵王権現は、とくに修験道で尊崇された尊格で、大己貴命、少彦名命、国常立尊、日本武尊、金山毘古命などと同一視され、古来、蔵王権現を祀る神社で上記の神を祭神とした事例は多くみられます。
当社もその例に当たる可能性があるかもしれません。

上内間木は荒川と新河岸川に挟まれた低湿地帯で、とくに寛永六年(1629年)に旧入間川が荒川の本流となり流量が増えた後は、度々水害に見舞われたといいます。
前稿で「反面、豊かな水と平坦な地形を活かして、新田開発が盛んに進められました。」と書きました。
ただし、これは宝永四年(1707年)検地の石高の大幅増から推測されるもので、少なくとも天正十九年(1591年)までは大きな石高の増加(=新田の開発)はなかったとみられています。
『風土記稿』には「当地は低湿地のために度々水害に遭い、水田を開くことができず、自然堤防上を利用して畑作を行っていた。」とあるようです。(出典:『埼玉の神社/埼玉県神社庁刊』)


【写真 上(左)】 (下内間木村)氷川神社
【写真 下(右)】 いまも湿地が広がる下内間木の川沿い

旧内間木村はもともとは下内間木村が本村で、上内間木村は分村とされています。
下内間木村の鎮守は氷川神社で、『埼玉の神社/埼玉県神社庁刊』の(下内間木村)氷川神社の項を引いてみると、
「恐らく(村の)開発当初は、自然堤防上に集落と畑がわずかに存在していたと思われる。」
「当地は三面が川に囲まれてはいるが水利の便が悪く、水害や干ばつに苦しむ状態が長く続いた。」という記述があります。
『風土記稿』の「水田を開くことができず」というのは、水利の便が悪いためであったと考えられます。

「川に囲まれた低湿の地だから水利には困らないだろう」というのは素人考えで、大河川や暴れ川から水を取り込むことは容易でなかったのでは。
そういえば隣の志木市の宗岡地区も三方を川に囲まれた低湿の地ですが、やはり水利が悪かったらしく、野火止用水を新河岸川の上を渡して(いろは樋)導水しています。
川の上をわざわざ掛け樋して用水を引いていたわけで、川からの直接導水のむずかしさがうかがわれます。

それほどの厳しい土地柄ゆえ、風雨順時や水害防除はなにを置いても重視されたと思われます。
『古事記』には、日本武尊は山や河の荒ぶる神を平定したとあるので、水害除けがなによりも大切なこの地の祭神として祀られたのかもしれません。 

旧社殿には朝霞市の文化財に指定されている大絵馬が飾られていましたが、現在は朝霞市の博物館に保管されています。

なお、当社のすぐそばにある(安養院)阿弥陀堂は志木の宝幢寺(志木市柏町/真言宗智山派)の末で、本尊は阿弥陀如来。
北足立八十八ヶ所霊場第85番の札所に当たります。
位置関係からみて当社の元別当かとも思いましたが、関連する史料は見当たりませんでした。

通行量の多い県道に面した社頭に、社号「鎮守 内間木神社」の社号標。
ここから長々と敷石の参道が延びています。
しばらく行くと一の鳥居は石造明神鳥居で「内間木神社」の扁額。この鳥居の真下で参道軸を斜めに変え、拝殿に向かいます。
拝殿前、石段下に二の鳥居の石造明神鳥居。昇って石灯籠二対。

入母屋造平入り銅板葺の拝殿と流造銅板葺の本殿を石の間(幣殿)で結ぶ権現造系のつくり。石の間(幣殿)の奥行きが短く入母屋造と流造がつながった感じです。
拝殿と本殿妻部に鬼板と蕪懸魚、本殿屋根には千木と堅魚木を置いています。

青銅色の屋根、朱塗りの木部に重厚な唐破風が加わって華やかなイメージの社殿。
頭貫に彫刻された木鼻、中備に板蟇股、正面黒檀色の桟唐戸(閉扉)のうえに「内間木神社」の扁額。

拝殿右手前には弁天神社と稲荷神社。弁天神社は字厩尻の厳島社、稲荷神社は字屋敷添の稲荷社からの御遷座とみられます。
ともに入母屋造平入りで、弁天神社の黒茶色の屋根と稲荷神社の朱色の屋根がいいコントラストをみせています。

拝殿下に広めの駐車場が新設されています。

3.田島神明神社(たじましんめいじんじゃ)

埼玉県朝霞市田島224
御祭神:天照皇大神、面足尊
旧社格:村社 田島地区の鎮守
元別当:冨善寺(朝霞市田島)
授与所:天明稲荷神社社務所
朱印揮毫:神明神社 書置ないし直書(筆書)
公式Web
「猫のあしあと」様




【写真 上(左)】 現在の書置御朱印
【写真 下(右)】 以前の揮毫御朱印

社伝および「猫の足あと」様の情報によると、当社の元別当、富善寺の開基(元和三年(1617年)と同時期の創建と推定されています。

もともとは久保(現在の朝志ヶ丘)に神明社として鎮座し、この地に御遷座。(久保の住民もともに移住という説あり。)

明治四十年、神社合祀令により浜崎の氷川神社に宮戸の熊野神社とともに三柱神社として合祀されましたが三柱神社の遥拝所として存続。
鎮守を浜崎に遷された田島の住民は、宮戸の熊野神社同様、志木町宗岡村字袋の天津神社の御分霊をこの地に勧請し神社として再興。
さらにもともとの鎮守の御祭神の返還を切望していましたが、昭和三十一年についに返還を果たし、名実共に再興を遂げました。

田島地区は、新河岸川と黒目川の合流地点にある低湿地で、しばしば水害を被りました。
高台にある浜崎とは水害に対する危機感がまったく違っていたと思います。
元別当の冨善寺も低地にあるので、江戸期は神社・別当の総力をあげて水害に対処していたことも想像されます。
水害からの加護の意味も含め、どうしても地区内に鎮守を祀りたかった思いがうかがわれます。

以上の由緒から、天照皇大神はもともとの鎮守・神明神社の御祭神、面足尊は宗岡村字袋の天津神社からの御分霊ということがわかります。(境内由緒書にも明記)

朝霞田島団地の新河岸川寄りにあります。
すぐ北隣は新河岸川の旧河道と思われる池(三日月湖?)もあり、古来からの低湿の地であることがわかります。

団地側の社頭に石の門柱、そこから鳥居に向かって石敷きの参道が延びています。
石造の神明鳥居で「神明神社」の扁額。
灯籠、狛犬は置かれず、見通しのよいシンプルな参道。

拝殿は身舎桁行三間の神明造平入りでおそらく銅板葺。
ただし、向背に石の間(幣殿)と切妻造ないし流造の本殿があるので、正確には神明造ではないかもしれません。
拝殿、本殿ともに立派な金色の千木と堅魚木を備えています。
張り出しの向拝はなく、桟唐戸上部格子、下部入子板(閉扉)で、拝殿内部はうかがえません。 拝みに横文字で「神明神社」の扁額。

拝殿右手には水神宮の石碑。左手奥には秋葉神社、八坂神社、御嶽神社、榛名神社が鎮座する社殿。
その手前には赤い鳥居の稲荷神社。
飛地境内社として五社巡りの1社、美女神社があります。

4.美女神社(びじょじんじゃ)

埼玉県朝霞市田島2-16-33
御祭神:市杵島姫命
旧社格:- 、田島神明神社の飛地境内社
元別当:冨善寺(朝霞市田島)
授与所:天明稲荷神社社務所
朱印揮毫:美女神社 書置ないし直書(筆書)
公式Web
「猫のあしあと」様




美女神社の御朱印(新/カラー書置Vers.)

 
【写真 上(左)】 美女神社の御朱印(新/御朱印帳書入Vers.)
【写真 下(右)】 美女神社の御朱印(旧Vers.)

美女神社につきましては、別記事→こちらをご覧ください。

5.天明稲荷神社(てんめいいなりじんじゃ)

埼玉県朝霞市宮戸3-2-17
御祭神:大祖参神、天照大御神、月夜見神、彦火邇邇杵命、木花開耶姫命、宇迦御魂神
授与所:社務所
朱印揮毫:天明稲荷神社 書置ないし直書(筆書)
公式Web
「猫のあしあと」様




【写真 上(左)】 現在の書置御朱印
【写真 下(右)】 以前の揮毫御朱印

もとは柳澤清五郎の座敷神。由緒につきましては、公式Webをご覧ください。
御祭神の創祀については、よくわかりません。
大祖参神は、扶桑教(富士講系の教派神道の一派)では、天之御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神(造化三神)の総称とされるようです。

宮戸地区の高台に鎮座します。新河岸川からは直線距離で300mほどしかないのに、このあたりではもっとも高い場所かと思われます。
あたりは住宅が建て込み、アプローチの道も狭いですが、3台程度の駐車場があります。

社頭の石造の明神鳥居の奥には赤い鳥居が立ち並び、お狐さんの姿も見えて稲荷神社の空気感。
境内は広くはなく、屋敷神的な雰囲気を残しています。
参道わきにはたくさんのお狐さん。手水舎の水もお狐さんの口から出てきます。
拝殿前の石鳥居に「神明稲荷社」の扁額。

拝殿は新しく、流造銅板葺。海老虹梁、水引虹梁と木鼻に彫刻、中備に板蟇股。
身舎長押にも彫刻が施されています。
正面扉は一部格子窓なので、拝殿内部を拝せます。

御朱印は5社まとめて拝殿右手の授与所で拝受できます。
こちらは4回ほど御朱印を拝受していますが、ご対応いただいた方はいずれもご丁寧で親切でした。

授与所前には五社巡りの案内が掲示され、五社いずれの境内にも五社巡りの案内版が新設されていました。
このところ美女神社の参拝者が増えているようで、五社巡りにも力を入れられているようです。

ロケーションも御祭神も社殿もバラエティに富んでいて、充実の神社巡りをさせていただきました。
御朱印もすこぶる美しく、話題の美女神社も含むので、一度はトライされてはいかがでしょうか。

参考までに、これまでに朝霞市内で拝受した寺社御朱印もご紹介しようかと思いましたが、新型コロナウイルス感染急拡大の状況で、御朱印授与を中止されている可能性も高いので、今回は控えます。(出雲大社朝霞教会のみご紹介します。)

※朝霞市内の寺社では当初の予想以上に御朱印を拝受しています。
ただし市内にメジャー霊場の札所はなく、御朱印を拝受した寺社の多くはご不在再参拝ののち、御朱印帳をお預けしてご厚意で授与いただいたところがほとんどで、通常は授与されていない可能性もあると思います。

■ 出雲大社朝霞教会
公式Web
朝霞市本町2-20-18
御祭神:大国主大神
授与所:境内授与所


【写真 上(左)】 現在の境内
【写真 下(右)】 以前の境内


【写真 上(左)】 赤口の限定御朱印
【写真 下(右)】 以前の御朱印

絵御朱印・カラー御朱印マニアのあいだでは有名な神社です。
社伝(公式Web)によると、「当初、荒船神社として創建し、昭和五十八年には宗祠(出雲大社)よりご分霊をいただいて以来、埼玉県唯一の出雲大社として大国主大神をお祀りして参りました。」とのことです。
真新しい社殿の正面にかかる、全長約5mの大しめ縄は圧巻です。
以前は墨朱の片面御朱印も授与されていましたが、現在は両面のカラー絵御朱印がメインに授与されているようです。赤口の日には限定御朱印が授与されます。

なお、令和三年1月の御朱印頒布は1/12(火)からとのことです。(→詳細(公式Web)

■ 志木開運・招福七社参りもあります。
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■ 跳ね曲15曲

2021/05/17 UP

さきほど放映してた「ザ・カセットテープ・ミュージック」第73回「4年目突入!元気になれる曲」
、いろいろ思うところがあってすごく面白かった。

マキタスポーツ氏とスージー鈴木氏の音楽に対するスタンスの違いが出ていた感じがする。
若き日のスージー氏はとくに歌詞を大事にする(というか歌詞に元気づけられる)イメージが伝わってきた。
これに対してマキタスポーツ氏は一貫してサウンド志向な感じがする。
マキタスポーツ氏はいみじくも「文脈問題」と提起し、「文脈」(コンセプトとかメッセージとか歌詞?)を語る言葉として「商業(用)音楽」「商品性が高まる」という言葉を使っていた。
これはあえて意図的にそういう言葉(商業・商品性)を使っていたのだと思う。

振り返ってみると、高校~大学にかけてはほとんど洋楽を聴いていた。
だから歌詞の内容なんてあまり考えていなかったし、それよりはメロディやアンサンブル(ボーカル、コーラスやインストのバランス)に意識が向いていた。

でも、こういった音楽の聴き方をしていなければ、もっと歌詞に影響を受けていたと思う。
つねづね、若い世代が歌詞をとても重視している(メロディよりも歌詞から入る?)感じがしているが、たしかに邦楽をメインに聴いて育っていれば、そういうことになるのだと思う。

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圧倒的な曲の力、そういうものは確かにある。
たとえば冒頭にとり上げた「ヤングマン」。

■ ヤングマン YOUNG MAN (Y.M.C.A.) - 西城秀樹

四つ打ちのダイアナ進行(1645進行/ex.C Am F G)でこれだけブラスやストリングスかまされれば、ベタになるけどたしかにはまるわな(笑)
ベタとか、垢抜けてないとか、そういうのを超越して曳き込む曲の力がある。
じつはVillage Peopleの原曲はかなりキワドイ背景をもっていたけど、それ(文脈)を外して曲の力だけで押し切った例だと思う。

たとえば ↓ これも四つ打ちのダイアナ進行。(→コード
■ おどるポンポコリン - B.B.クイーンズ

これはあきらかにプロ集団が意図的に仕掛けてる。

そして、杏里の「悲しみがとまらない」


杏里の名バラード20曲!で、
「杏里のUP曲の真骨頂って「CAT'S EYE」でも「悲しみがとまらない」でも「気ままにREFLECTION」でもなく、こういうグルーヴ曲だと思う。」とコメントして、↓の曲紹介したけど、
■ Good Bye Boogie Dance - 杏里


セブンス曲全盛の1980年代前半とはいえ、「悲しみがとまらない」の方が「Good Bye Boogie Dance」よりも一般受けするのはあきらか。
これも、角松敏生&林哲司というセブンス曲の名手たちが、あえて仕掛けた戦略だったのだと思う。
※「マキタスポーツ氏」の「ニャー」という例え(一瞬おとなしくなって、また復活する)、Boys Town Gangの「君の瞳に恋してる」に通ずるところあり。

たしかに、ベタだけど万人受けしそうな洋楽のダンス曲ってけっこうあったし・・・。
というか、ユーロビートはほとんど全部そうだが(笑)

■ Earth, Wind & Fire - Boogie Wonderland (Official Video)


■ クイシー・ジョーンズ/愛のコリーダ(QUINCY JONES - Ai No Corrida)


■ Thompson Twins - Lies


↓ こんなのもその系統だと思う。

■ VOYAGE - Lets Get Started

ハイエナジー(Hi-NRG)っぽいけど、そうとも言い切れない。

■ HOT GOSSIP - Break Me Into Little Pieces (Extended Mix)

ハイエナジー(Hi-NRG)からユーロビートへの橋渡しになった1曲だと思う。

■ Hi-Gloss - You'll Never Know

日本人好みの? ウェットなメロ。


今年の正月に、似たようなテーマ(元気の出る曲)で、記事を書いています。↓
でも、ほとんどがアップビートのグルーヴ系セブンス曲だった(笑)
やっぱり若い時に洗礼を受けた曲の影響は拭えないとつくづく思う。

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2021/01/02 追加UP

たくさんのアクセスありがとうございます。
3曲追加してコメントを入れてみました。

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2021/01/01 UP
あけましておめでとうございます。

新型コロナ禍で気分が滅入りがちの年明けですが、新年1発目は気分が弾むような曲調の曲を12曲あげてみました。
正月も過酷な状況でお仕事に当たられる方がおられるなか、こういう曲はどうかな? とも思いましたが、明るい年になるよう願いを込めて。
(→ 美メロヒーリングバージョンもあります。)

跳ねてる曲って意外に少ないので、再UPの曲が多くなりました。それとやっぱり1980年代の曲が多い。

01.Lowdown - Boz Scaggs

1976年リリースの超名盤『Silk Degrees』収録の代表曲。いま聴いてもこのリズムの跳ねとグルーヴ感は圧巻。

02.サーフ天国、スキー天国 - 松任谷由実(初音ミクVers.)

1980年リリースの名盤『SURF&SNOW』収録曲。
これは初音ミクバージョン。名曲です。ぜひユーミンの原曲 ↑ を聴いてみてください。

03.Jump - Van Halen

1984年リリースの『1984』収録の全米1位獲得のヒット曲。
こんな名ALBUMでも、Michael Jacksonの『Thriller』に阻まれて全米1位とれなかった。
そんな時代です。

04.LOVELAND, ISLAND(ラブランド・アイランド) - 山下達郎

1982年リリースのマスターピース『FOR YOU』収録の人気曲。
元々は「サントリービール純生」のCMソングといわれる。
CM中で女性が踊っていたサンバ、やたらに格好よかった。

05.P・R・E・S・E・N・T - 松田聖子

1982年リリースの名盤『Pineapple』のA-1曲で、作詞:松本隆、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗。
これは2006年のLIVEで、松田聖子が希有のエンターテイナーであることがわかる。
バックも名演。

06.君の知らない物語 - くゆり(歌ってみた/supercell)

supercellの名曲でメロディラインが抜群。
「歌い手」のレベルの高さを物語るテイクで、声質とブレスが逸品。

07.Don't wanna cry - 安室奈美恵 (TK PAN PACIFIC TOUR '97 1997.05.27)

1996年リリース。安室奈美恵の単独名義では5枚目のシングルで、小室哲哉の作品中でも名曲のひとつだと思う。
このリズム感、安室奈美恵ならでは。

リズムどり(&アドリブの力量)では、↓ のLIVEも名演だと思う。
■ ONE DAY / m-flo/加藤ミリヤ


08.We Built This City(シスコはロックシティ) - Starship

1985年リリース『Knee Deep in the Hoopla』収録のヒット曲。
この頃のアメリカのPOPシーンには、まだこんな跳ねた曲があって売れていた。

09.ふたりでスプラッシュ - 今井美樹

1987年リリースの2ndALBUMアルバム『elfin』収録曲で武部聡志の作・編曲。
これは菅野よう子の編曲で再録した1996年のALBUM『Thank you』のテイクかもしれない。
今井美樹の曲のなかでも、もっとも跳ねてて透明感のある曲のひとつ。戸沢暢美の作詞も秀逸。

10.夏雪 ~summer_snow~ - 西沢はぐみ

ゲーム系のなかではもっとも跳ねのきいた曲かもしれぬ。
西沢はぐみの声は、ハイトーンに引き上げるというより、ハイトーンの世界から降りてくる感じがある。
メロがいいうえにアレンジとバックのサウンドもキレまくり。名曲。

11.春咲小紅 (Blooming in spring) - 矢野顕子

1981年春のカネボウ化粧品のキャンペーンのCMソングでヒットした。
天才肌の矢野顕子の魅力が楽しめる好テイク。バックの面子が凄すぎ。

12.Only The Young - Journey

1985年リリースの映画「Vision Quest」のサントラからのシングルカット曲。
ブライトなメロに乗るSteve Perryのハイトーンが快感。 

(おまけ)
When You Love a Woman - Journey (Official Video - 1996)

1996年、長い沈黙のあとに突如として出されたJourney屈指の名バラード。
しかし、1996年という時代に、よくぞこれだけのバラードを生み出せたと思う。

13.Teenage Walk - 渡辺美里

1986年リリースの初期の小室哲哉氏の名作。
どうしてこんなフックのあるメロディと転調を生み出せるのか不思議に思った記憶がある。
常軌を逸した転調やドミナントモーション。
はじめて聴いたとき、たしかにこの曲構成、なにかの間違いかと思った(笑))

コード進行からすると、こういう曲も・・・。

■ Butterfly(バタフライ) - 木村カエラ(カバー)

コード

イントロはカノン進行(15634145)で、そのまま予定調和でいくかと思いきや、やにわに転調してヴォーカル・イン、そしてすぐにサビ。
あとは転調まじりのドミナントモーションの渦だが、バロック系の音階(?)と安定感あるクリシェが効いて破綻しそうでしない。
転調は、0:10(F→E♭/イントロ→サビ)、0:51(E♭→B/サビ→Aメロ・Bメロ)、1:44(B→E♭/Aメロ・Bメロ→サビ)、2:09(E♭→B/サビ→Aメロ・Bメロ)、2:44(B→E♭/Aメロ・Bメロ→サビ)の少なくとも5回はあると思う。
でもって、出だしのF調には結局一度も戻ってこない(笑)

それと、Bメロの1:32~「太陽は沈み」、2:32「たったひとつだけ」の(G#m) C# F# Bmaj7 / (6)2 5 1 、ダブルドミナント使用説あり。
(この節、BがトニックなのでBトニックのドミナントがF(ダイアトニックの5番目)、さらにFのドミナントがC(同)。でもってC# F# Bmaj7は2 5 1進行。) 

あと、
・(今日は)今(Gm)まで(C#dim)の(C7)
・夜は眠(D#7)り(E)朝を待つ(A♭/B♭)
・青(A6)い(E)空(F#m7)を(Esus4)舞(E)う
のコード進行は、dim、オンコード、シックスス、sus4の威力を実感するところ。

ヴォーカル・パートに入るといきなりコードが複雑化する歌い手泣かせの難曲。
リズムはバタつき気味で、跳ねてる感じはよわいけど、前向きなイメージ漂う名曲だと思う。

14.世界でいちばん熱い夏 - プリンセス・プリンセス

いま聴いてもスバラシ。曲も面子にも華がある。
たしかにプリプリの後継バンドはそう簡単には出ないと思う。

15.Can't Take My Eyes Off You(君の瞳に恋してる) - Boys Town Gang
*コメント欄用


*曲聴き用

全てのタイミングが揃って生み出された名曲。なにもいうことはありません。

〔 関連記事 〕
■ ザ・カセットテープ・ミュージック
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■ 志木開運・招福七社参り-2

現在、新型コロナウイルス感染拡大により、不要不急の外出自粛が要請されています。
また、寺社様によっては御朱印授与を中止される可能性があります。
以上、ご留意をお願いします。




こちらのサイトで以前からその存在は知っていたものの、詳細不明だった神社参り。

■ 志木開運・招福七社参り-1からのつづきです。


4.宿氷川神社

「猫の足あと」様
埼玉県志木市上宗岡2-2-34
御祭神:須佐之男大神、奇稲田姫大神、大己貴大神
御利益:心身安穏
旧社格:村社、神饌幣帛料供進神社
元別当:青龍山 千光寺(志木市上宗岡)
授与所:水宮神社授与所(富士見市水子1762-3)※常時授与かは不明
朱印揮毫:宿氷川神社 直書(筆書)


境内掲示資料によると、宿(しゅく)氷川神社は上ノ氷川神社とも通称され、千光寺を中興した権大僧都善海(権大僧都青海とも)が、高鼻の武蔵國一の宮氷川神社を分祀して承暦二年(1078年)創建したといわれます。
爾来、千光寺の管理下に置かれ、宗岡上組・見次組の産土神として敬仰されてきました。

伝承では、観応二年(1351年)、宿氷川神社にあった御神体の茶臼を二つに分けて年号を刻み、下石は当社の本殿下の土中に鎮めとして埋納、上石は下ノ氷川神社の神殿の床下に鎮めとして分祀埋納し、真上にあたる社殿内に幣帛のご神体を祀って下ノ氷川神社が創祀されたと伝わり、下ノ氷川神社は宿氷川神社と向かい合うように北面して建てられ氏子の村人を守るとされています。

明治維新後には村社に列格、明治22年に字袋の無格杜稲荷神社を合祀したといいます。
昭和8年に拝殿、幣殿、覆殿を新築し、昭和18年3月に神饌幣帛料供進神社に指定されています。

志木市内には上ノ氷川神社と呼ばれる当社、中ノ氷川神社と呼ばれる産財氷川神社、そして下ノ氷川神社が鎮座し、いずれも「志木開運・招福七社参り」の対象となっています。

三社の氷川神社となると、どうしても武蔵一ノ宮(大宮氷川神社)レイラインや武蔵三氷川を思い起こします。

武蔵一ノ宮(大宮氷川神社)レイラインとは、高鼻の大宮氷川神社、三室の氷川女體神社、中川の中山神社(中氷川神社)がこちらのWebの三社所在図のとおり、旧見沼をからめとるかのようにほぼ一直線に並び、中川の中山神社からみると大宮氷川神社は夏至の日没の場所、三室の氷川女體神社は冬至の日の出の場所に当たるという神社配置をいいます。

中川の中氷川神社が低地にあり、高鼻の大宮氷川神社、三室の氷川女體神社が高台にあることを考えあわせると、この三社の配置はたしかに暦歴(自然暦)に関係する可能性があると思います。
こちらのWebこちらのWebで鋭い考察を展開されています。)

この三社は古来から父母と子の関係とみなす説があります。
●高鼻の大宮氷川神社の主祭神は須佐之男命で父上(男体社)
●三室の氷川女體神社の主祭神は奇稲田姫命で母上(女体社)
●中川の中山神社(中氷川神社/氷川簸王子神社)の主祭神は大己貴命で御子(氷王子社)


【写真 上(左)】 大宮氷川神社の御朱印
【写真 下(右)】 氷川女體神社の御朱印


【写真 上(左)】 中山神社(中氷川神社/氷川簸王子神社)の御朱印
【写真 下(右)】 中山神社(中氷川神社/氷川簸王子神社)

なお、武蔵三氷川について「一直線に並んでいるともいわれる。」というWeb記事がやたらに目立ちますが、実際には一直線ではありません。
Google マップで直線距離を当たってみると、
一ノ宮-奥氷川が49.58㎞、一ノ宮-所沢中氷川が23.62㎞、所沢中氷川-奥氷川が30.24㎞
一ノ宮-奥氷川が49.58㎞、一ノ宮-三ヶ島中氷川が25.25㎞、三ヶ島中氷川-奥氷川が27.20㎞で、いずれも二等辺三角形にもなっていません。
こちらの記事にもあるとおり、地図で調べればすぐわかることですが、それをせずに安易に孫引きしてしまったからかもしれません。

はなしを志木の氷川三社に戻してみると、宿氷川(上氷川)-産財氷川(中氷川)が1.31㎞、産財氷川(中氷川)-下氷川が1.60㎞、下氷川-宿氷川(上氷川)が2.42㎞で、こちらも二等辺三角形になっていません。
三社の御祭神は、いずれも須佐之男大神、奇稲田姫大神、大己貴大神で、三社それぞれに親子が揃われているかたちとなっています。

また、入間郡誌には「(宗岡村)は幕末の頃上中下三邑各独立の一村となる(中略)明治十年三邑聯合して、一村に復し、遂に大字の別を失ひたれど、今日も普通には上中下三組の名を用いて、村内小邑制とせり。」とあるので、氷川神社の冠称の上・中・下は村名ないし組名に由来するものかもしれません。

なので、三社揃っているとはいえ、武蔵一ノ宮(大宮氷川神社)レイラインに安易に牽強付会はできないかと思います。
ただし、氷川神社は水辺とのかかわりが強く、宿氷川(上氷川)と下氷川が新河岸川のそば、産財氷川(中氷川)が荒川沿いに鎮座され、宗岡エリアを囲む三角形を形成していることはなにがしかの意味があるのかもしれません。
(宗岡の地は荒川と新河岸川にはさまれた低地で、入間郡誌には「土地低平、水田に富む。水害の恐あり」「水害頻繁なりし」とあるので、水害防除のご利益が切に求められていたのではないでしょうか。)

〔追記〕
『埼玉の神社/埼玉県神社庁刊』によると、「宿氷川神社(上ノ氷川神社=当社)の祭神は素戔嗚尊・奇稲田姫命・大己貴命の三柱である。書類の上では主祭神は素戔嗚尊で、あとの二柱は武蔵一宮氷川神社に倣って配祀された形になっているが、昔からこの三柱は当社の祭神であるとされ、中でも女神である奇稲田姫命が主神であるため、当社の祭礼には御輿などは出さず、静かに祭典を行うという。一方、下宗岡の氷川神社(下ノ宮氷川神社)の氷川神社も当社と同じ三柱を祀るが、そちらは主神が素戔嗚尊であるため、祭礼には御輿が勇壮に渡御するのが習い」とあります。
上ノ氷川神社の主祭神が奇稲田姫命、下ノ宮氷川神社の主祭神が素戔嗚尊ということになり、これで産財氷川神社(中ノ氷川神社)の主祭神が大己貴命(氷王子社)であると父母と子の三氷川が成立しますが、産財氷川神社(中ノ氷川神社)の主祭神は不明です。


【写真 上(左)】 千光寺本堂
【写真 下(右)】 千光寺堂宇

元別当の青龍山 千光寺と相並ぶかたちで鎮座します。


【写真 上(左)】 社頭
【写真 下(右)】 夫婦和合の狛犬

社頭に木製の両部鳥居で「氷川神社」の扁額が掲げられています。
右手には「村社 氷川神社」の社号標。
そのさき右手には夫婦和合の狛犬が鎮座しています。
参道階段下右手に手水舎。石灯籠一対、狛犬一対、石灯籠一対の先に入母屋造銅板葺平入り流れ向拝の拝殿。


【写真 上(左)】 参道
【写真 下(右)】 拝殿


【写真 上(左)】 斜めからの拝殿
【写真 下(右)】 向拝

向拝は水引虹梁で両木鼻は獅子、中備に蟇股で正面桟唐戸(格子)。
本殿は覆屋に囲まれているので様式は不明です。


【写真 上(左)】 社殿
【写真 下(右)】 稲荷社

拝殿の向かって右には、石造明神鳥居を構えた一間社流造の稲荷社が鎮座しています。

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宿氷川神社のすぐそばに、道興准后歌碑があります。
道興准后(永享二年(1430年)-文亀元年(1501年)/『実隆公記』)は、関白近衛房嗣の子で、本山派修験の総本山聖護院門跡に任ぜられ準后(准三宮)の宣下を受けられています。

将軍足利義政や義尚の護持僧として信任あつく、詩歌をよくする風流人としても知られていました。
また、東国巡遊の紀行文『廻国雑記』の作者としても知られています。


廻国雑記の絵図(いろは橋たもとの掲出資料)

道興は文明十八年(1486年)から翌年にかけて聖護院末寺の掌握を目的としたとされる東国巡遊の際、一時当地の十玉坊(現・志木市幸町三丁目に比定説あり)を拠点とされ、付近の大石信濃守の館(柏の城)、野火止、野寺、膝折、浜崎などに足跡を残されています。


【写真 上(左)】 歌碑
【写真 下(右)】 歌碑の説明板

歌碑の歌は、
~ 夕けぶり あらそう暮をみせてけり 我家々のむね岡の宿 ~
室町時代のむかしに、「宗岡」の地名が詠み込まれた貴重な歌として評価されています。

御朱印は水宮神社でタイミングが合えば拝受できます。


5.産財氷川神社

埼玉県神社庁Web
志木市Web資料
「猫の足あと」様
埼玉県志木市中宗岡2-29-12
御祭神:須佐之男大神、奇稲田姫大神、大己貴大神
御利益:縁結び
旧社格:村社、旧宗岡村鎮守
元別当:蓮華山 実蔵院(志木市中宗岡)
授与所:水宮神社授与所(富士見市水子1762-3)※常時授与かは不明
朱印揮毫:産財氷川神社 直書(筆書)


荒川の堤防そばに鎮座する氷川神社。
境内説明板および新編武蔵風土記稿によると、永享年間(1429-1441年)に武蔵国一の宮氷川神社を分祀して創建、江戸期には旧宗岡村の鎮守社でした。
また、「猫の足あと」様の情報(出典:埼玉の神社)では「中宗岡に鎮まる当社は村の開発が進展する中で、既に村内の上下で祀られていた氷川神社に倣って勧請されたものと推測され、『明細帳』によれば、古老の口碑に永享年間(一四二九〜四一)に高鼻村(現大宮市高鼻)の氷川神社から分霊して産土神とした。」とあります。


【写真 上(左)】 鳥居
【写真 下(右)】 鳥居扁額

推測の域を出ないのですが、旧宗岡村は荒川と新河岸川に挟まれた低平地で、どちらの川が氾濫してもおそらく被害を免れません。
氷川神社に水害防除を祈ったとすると、宿氷川(上氷川)と下氷川が新河岸川沿いに鎮座しているのに対し、荒川側には氷川神社がなかったので、荒川の鎮めとして産財氷川(中氷川)をお祀りしたのかもしれません。
荒川の堤防を背に、宗岡地区に向けて設けられた社殿は、たしかに荒川の鎮めとしてふさわしい存在感を宿しています。

御嶽山は氷川神社の玉垣の外にあるので、正確には境外社かもしれませんが、リーフレットには「摂社」とあります。

この御嶽山はかなりかなり険しい擬岳で、荒川の堤防沿いにさほど距離を置かずに冨士塚(浅間神社)と御嶽山(当社)がみられるという、興味ぶかいかたちになっています。

市内には敷島神社の境外社に御嶽神社(本町2-15)があり、「天保二年(1831年)に実明講社(御嶽講の一派)の人々が木曽御嶽神社を勧請し創建」(境内説明板)とあります。
当初はこちらの御嶽山と実明講社との関係を考えましたが、どうやら異なる流れのようです。

『しきふるさと史話/志木市教育委員会刊』には、「宗岡村の一山講(いっさんこう)によって明治二十五年に築造され」とあります。
同資料によると、一山講開祖の井原一山行者は与野市の人で、木曽御嶽講開祖の一人とされ、各地の山岳で修行され木曽御嶽山で荒行を積まれた後、江戸と与野に御嶽大神を勧請した一山講を結ばれ、数万の信者を集めたとあります。
宗岡村に生まれ、一山行者の教えを受けた知足行者が宗岡一山講を結ばれたと伝わります。

また、同資料には、かつて中宗岡に松浦利平(普寛)行者が開かれた普寛堂を中心に御嶽教の信仰が盛んだったとの記述があり、この中宗岡の地は御嶽信仰との所縁がふかい土地柄であったことがうかがわれます。

リーフレットによると御嶽神社の御祭神は国常立大神、大己貴大神、少名彦名大神、頂上の石碑には御嶽山大神(中央)、八海山大神(右)、三笠山大神(左)と刻まれています。

荒川の堤防のすぐそばにありますが、このあたりの荒川の河川敷はとても広いので、荒川の流れまでは600mほどの距離があります。


【写真 上(左)】 境内
【写真 下(右)】 拝殿と御嶽塚


【写真 上(左)】 拝殿
【写真 下(右)】 拝殿向拝

石造の台輪鳥居で「氷川神社」の扁額。
境内は木々が少なく明るく開け、右手は御嶽神社(御嶽山/御嶽塚)です。
参道右に手水舎。拝殿までに石灯籠二対。

拝殿はこのあたりではめずらしい桟瓦葺で入母屋造平入り流れ向拝。
向拝柱はありますが木鼻はなく、海老虹梁も直線的で全体にシンプルな構成。正面桟唐戸。


【写真 上(左)】 社殿全容
【写真 下(右)】 本殿の向拝

覆屋に覆われた本殿はすばらしいものです。
境内説明板によると「造営年代は定かではありませんが、明治二年に着工し、同十四年に完成」とあります。
本殿は一間社流造りでケヤキ材使用とのこと。
廻縁腰組の斗栱がすばらしく、知識の浅い筆者には何手先なのか見当がつきません。


【写真 上(左)】 本殿の水引虹梁
【写真 下(右)】 廻縁腰組の斗栱

身舎まわりの斗栱や彫刻も手がこんでおり、この本殿は志木市指定文化財に指定されています。

本殿向かって左の神明鳥居の先に、切妻造妻入のお社と石の祠が鎮座しています。
切妻造妻入のお社御嶽社、石の祠は八坂社とみられます。
(リーフレット記載の「境内社 八坂神社」はこちらの八坂社ではないでしょうか。)


【写真 上(左)】 御嶽塚
【写真 下(右)】 御嶽大神の石碑


【写真 上(左)】 不動明王
【写真 下(右)】 山頂の石碑

御嶽神社はこんもりと盛り上がった擬岳で、山容にくらべて石碑類が多く賑やかな印象。
正面に石像の不動明王の坐像。両脇に矜羯羅、制吒迦の両童子を従えて整った像容です。
その横に「御嶽大神」の石碑があり、御嶽神社であることを示しています。

御朱印は水宮神社でタイミングが合えば拝受できます。


6.下ノ宮氷川神社

埼玉県神社庁Web
「猫の足あと」様
埼玉県志木市下宗岡4-7-43
御祭神:須佐之男大神、奇稲田姫大神、大己貴大神
御利益:強運厄除
旧社格:
元別当:観音寺
授与所:水宮神社授与所(富士見市水子1762-3)※常時授与かは不明
朱印揮毫:下ノ宮氷川神社 直書(筆書)


下ノ氷川神社は、宿(上ノ氷川)神社を分祀して観応二年(1351年)に創建された神社です。
伝承には、宿(上ノ氷川)氷川神社にあった御神体の茶臼を二つに分けて年号を刻み、下石は宿(上ノ氷川)氷川神社の本殿下の土中に鎮めとして埋納、上石は当社の神殿の床下に鎮めとして分祀埋納し、真上にあたる社殿内に幣帛のご神体を祀って創祀されたとあり、下ノ氷川神社は宿氷川神社と向かい合うように北面して建てられ氏子の村人を守るとされています。


【写真 上(左)】 あたりの景色
【写真 下(右)】 まむしに注意!

下宗岡の集落の外れ、朝霞市との市境に近いところ、新河岸川の支流がそばを流れる人家も少ない低地で、イメージ的には朝霞・内間木地区に近いものがあります。
市域が狭く人口密度の高い志木市内に、このような場所が残っているとは、ある意味おどろきです。
このような村はずれの低地に分祀して創祀ということは、やはり水害防除の願いが強かったのかもしれません。

『埼玉の神社/埼玉県神社庁刊』には、「当社の拝殿には、数多くの絵馬が奉納されている。(中略)「水難除け祈願」は、土地の官有化によって水神を祀れなくなった下組の人々が、代わりに水神の幣束を絵馬に描いて鎮守に奉納することによって水難を避けようとしたもの」とあり、やはり水難防除の祈願がかけられていたことがわかります。


【写真 上(左)】 鳥居と参道
【写真 下(右)】 鳥居扁額


【写真 上(左)】 境内
【写真 下(右)】 水神社


【写真 上(左)】 稲荷社
【写真 下(右)】 参道と拝殿

上社、中社とちがい木々が茂って荘厳な雰囲気、北面のお社ということもあり、引き締まった気を感じます。
石造の明神鳥居に「氷川神社」の扁額。
参道左手に手水舎。
社頭付近に水神社の境内社が鎮座されます。
その先の朱い銅板葺の一間社流造のお社には「正一位新田稲荷大神」の扁額が掲げられていました。


【写真 上(左)】 狛犬1
【写真 下(右)】 狛犬2

階段を数段登って狛犬一対。この狛犬は四つ脚立ちでかなり個性的なお姿です。


【写真 上(左)】 拝殿
【写真 下(右)】 社殿

正面の拝殿は入母屋造銅板葺平入り流れ向拝で、端正な水引虹梁を構えています。
木鼻は雲形、中備えに蟇股、正面は格子戸、軒天は二軒繁垂木です。


【写真 上(左)】 本殿
【写真 下(右)】 八坂神社

本殿は切妻平入りで、拝殿と連接しています。
本殿よこに護国神社と疱瘡神、拝殿手前よこには八坂神社が鎮座しています。
疱瘡神は疱瘡(天然痘)除け、八坂神社は疫病除けとして祀られているとされ、毎年七月には八坂神社の祭礼である「天王様」が催され「下組下の宮囃子」が奉奏されます。

御朱印は水宮神社でタイミングが合えば拝受できます。


7.(中宗岡)天神社

埼玉県神社庁Web
「猫の足あと」様
埼玉県志木市中宗岡1-4-36
御祭神:菅原道真公
御利益:受験合格
旧社格:村社
元別当:蓮華山 実蔵院(志木市中宗岡)
授与所:水宮神社授与所(富士見市水子1762-3)※常時授与かは不明
朱印揮毫:宗岡天神社 直書(筆書)


志木市中宗岡に御鎮座の天神社で、境内説明板などによると、寛永三年(1626年)、江戸の湯島天神を分祀したと伝えられ、近世初頭にこの地を支配し後に名主役を務めていた木下氏の先祖にあたる山口大膳が山口(現・所沢市山口)から来住した際に氏神として分祀という説もあり定説はないようです。


【写真 上(左)】 社頭
【写真 下(右)】 鳥居

社頭はいろは通りに面し、そこから露地の中を細長く参道が延びています。
路地を抜けると一気に境内が広がります。


【写真 上(左)】 八坂神社の鳥居
【写真 下(右)】 左が天神社、右が八坂神社

向かって左手に天神社の石造明神鳥居、右手に八坂神社の石造神明鳥居で、おのおの参道の先に拝殿を配して二社構成の神社のように見えます。
左手の石造明神鳥居には「天神社」の扁額がかかります。
参道中ほどに手水舎。
右手に子取り、左手に玉取りの整った狛犬。


【写真 上(左)】 狛犬
【写真 下(右)】 天神社の社殿

数段登って石灯籠一対を配し、正面に入母屋造桟瓦葺平入りの拝殿。
水引虹梁はなく、身舎は格子で覆われ寺院(堂宇)建築のようです。
見上げに「天神社」の扁額。


【写真 上(左)】 拝殿
【写真 下(右)】 拝殿扁額

切妻造銅板葺平入りの本殿が拝殿に連接しています。


【写真 上(左)】 八坂神社
【写真 下(右)】 八坂神社の扁額

右手の社殿は八坂神社。
切妻造桟瓦葺平入りで向拝上部のみ格子で、見上げに「八坂神社」の扁額を掲げています。
桟瓦葺二棟のコントラストが絶妙で、見応えがあります。

八坂神社の本殿は、拝殿から距離を置いて御鎮座。
天神社と八坂神社の間に鳥居とお社と石祠の二社が鎮座します。
切妻造妻入のお社は稲荷社とみられ、そちらの向かって右の石の祠にはおそらく立像の弁財天が祀られています。

また、本殿の向かって左には一間社流造のお社二社(御祭神不明)、水神宮の石碑と「高光美玉姫命」の石碑が建立されています。

リーフレットには下記のお社が記載されています。
ご本殿(天照大御神、八幡大神、春日大神、菅原道真公(天神様))、八坂神社、阿夫利神社、御嶽神社、伊都岐島神社、大杉神社、水神社、稲荷神社、弁材天。
『埼玉の神社/埼玉県神社庁刊』には「当社の本殿には社が三社安置されている。そのうち中央が天神社、向かって左側が春日社、右側が八幡社」とあります。
同資料の境内図によると、本殿向かって左側に、大杉神社(荒川砂採取組合による再新築)、伊都岐島神社(「ふかん様」と呼ぶ)、大山阿夫利神社、水神宮とあります。

『しきふるさと史話/志木市教育委員会刊』によると、中宗岡には「大講義高光美玉姫命」と刻まれた碑があり、こちらは御嶽教の清水スミ行者の神霊碑とあります。
同書に、名声高い百村の普寛行者を中宗岡の地に招いたのが清水スミ行者とあるので、上記の「伊都岐島神社(「ふかん様」と呼ぶ)」という記載と符合します。
また、同書には「大山(の)御師佐藤織部の先祖が舘村佐藤家の出身だったこともあって、志木市域での布教活動はかなり活発だったようで、引又からは毎年代参者が登拝している。」ともあり、その流れから当社の境内に大山阿夫利神社が祀られているのかもしれません。

『埼玉の神社/埼玉県神社庁刊』に「当社の境内にある『あんば様』こと大杉神社は、荒川の秋ヶ瀬から採取された砂を運ぶ砂船の船頭をしていた人たちが昭和十年に字原に建立」「同三十年に荒川砂採取株式会社が解散してからは管理上の問題から当社の境内に移された。」とあります。

これで、各種の資料と現地のお社・碑の配置がほぼ合致することになります。


【写真 上(左)】 八坂神社元宮社頭
【写真 下(右)】 八坂神社元宮

境外社として八坂神社元宮があり、そちらの境内由緒書には「享和三年(1803年)、当地に祀られ悪疫、病魔退散を願い氏子宗岡邑中組(現三区・四区)一帯で天王祭(祇園際)が行われはじめた、近年は御輿御渡など盛大に行われている. その元宮」とありました。

宗岡エリアは新河岸川対岸の本町や柏町に比べて高台が少ないですが、当社地は一段高くなっており、引又河岸(いろは橋/新河岸川と柳瀬川の合流点)を挟んで敷島神社と相対しているようにもみえます。
ともに水神宮が祀られ、天神社には伊都岐島神社(御祭神:宗像三女神)や弁財天社も祀られているので、水や川に対する鎮護の意味合いもあるのかもしれません。

これで志木開運・招福七社参りのご紹介はおわりです。
多彩な神社や御祭神をお参りできる神社巡りで、寺社に興味のある方であれば御朱印を抜きにしても充分楽しめるかと思います。


【 BGM 】
■ ただ泣きたくなるの - 国分友里恵


■ 風と花と光と - 世理奈


■ Hello,my friend - 松任谷由実


■ 滴 - 今井美樹


■ 夏空の下 - やなわらばー
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■ 志木開運・招福七社参り-1

現在、新型コロナウイルス感染拡大により、不要不急の外出自粛が要請されています。
また、寺社様によっては御朱印授与を中止される可能性があります。
以上、ご留意をお願いします。




こちらのサイトで以前からその存在は知っていたものの、詳細不明だった神社参り。

七社とも参拝済で一部御朱印も拝受済でしたが、先般、敷島神社の境内にリーフレットが置いてあったのでリーフ記載の問合せ先の水宮神社様にお伺いすると七社とも御朱印授与可とのことで、これまで未拝受の御朱印もいただいてきました。

ただし、書置はなく、ご神職もすこぶるご多忙なご様子なので、よほどタイミングが合わないと拝受はむずかしいかもしれません。
筆者も数回に分けて御朱印帳をお預けしての拝受となりました。

こういう状況なので迷いましたが、それぞれ趣きある神社ですし、新たにリーフレットの配布も始められていますし、このところお隣の朝霞市の朝霞五社巡りの記事にも多くのアクセスをいただいているので、ご参考までにUPすることにしました。


志木開運・招福七社参りは、志木市内に御鎮座の七社を巡拝するものです。

1番 敷島神社 志木市本町2-9 境内に田子山富士塚あり
2番 舘氷川神社 志木市柏町3-6
3番 (羽根倉)浅間神社 志木市上宗岡4-27-20 別称:羽根倉浅間神社
4番 宿氷川神社 志木市上宗岡2-2 別称:上ノ氷川神社
5番 産財氷川神社 志木市中宗岡2-29 別称:中ノ氷川神社
6番 下ノ宮氷川神社 志木市下宗岡4-7 別称:下ノ氷川神社、下の宮氷川神社
7番 (中宗岡)天神社 志木市中宗岡1-4-36

埼玉県南部に位置する志木市は広くはないですが、江戸時代は新河岸川の舟運の要衝で、引又河岸(現在の市役所付近)は物産の集散地として栄え、寺社も比較的多く残っています。
市域のほとんどが住宅地(一部農地)ですが、南側は武蔵野台地、中心部から北部にかけては柳瀬川、新河岸川、そしてさいたま市との市境には荒川が流れ、地勢も変化に富んでいます。


【写真 上(左)】 新河岸川沿いは桜の名所
【写真 下(右)】 左手が武蔵野台地の斜面林

こちらの資料(武蔵野の地形区分)の図をみると、志木開運・招福七社参りや朝霞五社巡りは、ちょうど柳瀬川と黒目川に挟まれた武蔵野台地と、荒川(新河岸川)沿いの低地を行き来する道程であることがわかります。

〔 志木開運・招福七社参りの神社の位置図 〕
※ 志木市洪水ハザードマップを加工して作図


上図の左下の色のついていないエリアが武蔵野台地、新河岸川から北の色がついているエリアが新河岸川と荒川に挟まれた低平地(宗岡エリア)です。
この図からも、武蔵野台地と荒川(新河岸川)沿いの低地を行き来する、変化に富んだ道程であることがわかります。

上図のとおり七社はほとんど川沿いに鎮座しているので、荒川・新河岸川・柳瀬川の3つの川沿いのハイキング・コースを巡拝ルートにとることもできます。

志木は石工の盛んな地で、星野勝五郎、星野弥五郎などの名工を輩出しています。
また、高野伊兵衛からつながる高野一族、万寿五郎注之など大工の棟梁も輩出しており、彼らの手とみられる作品がいまも市内でみられる点も楽しみのひとつです。


【写真 上(左)】 メイン通り
【写真 下(右)】 柳瀬川


【写真 上(左)】 新河岸川沿いの遊歩道
【写真 下(右)】 荒川沿いの遊歩道


【写真 上(左)】 新河岸川と柳瀬川の合流点
【写真 下(右)】 市のキャラ「かっぱ」が至る所にいます

7社いずれも非常駐ですが、敷島神社は特定の日に境内社の田子山富士塚のご開山があるので(田子山富士塚公式Webを参照、祭礼日および原則「大安」「友引」の日)、そのときには敷島神社と田子山富士塚の書置御朱印を拝受できます。
それ以外は、上記のとおり水宮神社でタイミングがあえば拝受できるかもしれません。

敷島神社と(羽根倉)浅間神社には駐車スペースがありますが、それ以外は不明でアプローチの道もこみ入っているので、市内のどこかの駐車場に停めて徒歩でまわるのがベター。
電車利用の場合は、東武東上線「志木」駅がベースとなります。
発願の敷島神社は「志木」駅から1㎞強、徒歩で20分ほどかかりますので頻繁に運行しているバスを使うのも手かもしれません。(バス停「富士道入口」下車徒歩5分)
また、JR浦和駅発志木駅行きのバスは日中は1時間に3本ほど運行され、これも「富士道入口」に停まるので浦和方面からも便利がいいです。

かなり歩き甲斐があり、見どころも多いので思いのほか時間がかかります。
1日ないし数日かけてじっくり参拝し、御朱印については事前にTEL確認のうえお伺いするのがベターかと思います。
また、上記のとおり田子山富士塚の開山日にはこちらの御朱印も拝受できますので、開山日にあわせた巡拝がおすすめです。

それでは、順に連載形式でご紹介していきます。
(関連する寺社の御朱印もあわせてこ紹介します。)

1.敷島神社

埼玉県神社庁Web
「猫の足あと」様
埼玉県志木市本町2-9
御祭神:木花開耶姫大神、罔象女大神、倉稲魂大神
境外社:津島天王社(本町2-4)、御嶽神社(本町2-15)
御利益:開運招福
旧社格:村社
元別当:
授与所:境内(田子山富士塚開山日)ないし水宮神社授与所(富士見市水子1762-3)
※水宮神社授与所には敷島神社の御朱印の見本が掲出されているので、こちらでは開山日以外でも拝受可能と思われます。
なお、敷島神社から水宮神社までは、気合いを入れれば歩けます。(新河岸川沿い遊歩道を2㎞ほど)
朱印揮毫:敷島神社 書置ないし直書(筆書)

【写真 上(左)】 水宮神社で拝受の御朱印(直書)
【写真 下(右)】 敷島神社境内で拝受の御朱印(書置)

かつて、新河岸川と柳瀬川の合流地点にかかる”いろは橋”周辺は「引又河岸」と呼ばれ、新河岸川舟運の要衝でした。
いろは親水公園内の説明板に詳しいので、抜粋引用してみます。(引又河岸については、こちらのWebに詳しいです。)

※ 過去の写真や図は現地案内版、行屋稲荷境内掲示物などより

【写真 上(左)】 旧引又河岸周辺の案内図
【写真 下(右)】 旧引又河岸周辺

「新河岸川舟運の起源は、寛永十五年(1638年)に川越の大火で燃えた東照宮・喜多院を再建するため、江戸城紅葉山御殿を運んだことに始まると言われているが、それ以前からも本河岸(現富士見市)や古市場(現川越市)までの舟運が行われていたようである。正保二年(1645年)に川越藩主松平信綱が川筋を整備し、舟運が本格化した。」
「引又河岸(明治7年からは志木河岸)は、新河岸川の河岸場のなかでも、取引の範囲が群を抜いて広大であり、所沢・立川・八王子・青梅さらには甲府まで荷主が分布していた。これは、府中から大宮を経て奥州に達する奥州街道(脇往還)と交差する交通の要衝であり、また、江戸時代初期から六齋市が立てられていたことによると考えられる。」
「舟運に使われた舟は80石~100石で、速さによって分けられ、飛切(引又を夕方出て翌日の夜明けに浅草・花川戸に着く)、早舟(下りに15時間)、並舟(不定期)の3種類があった。」
「取り扱われた貨物は、江戸からの上りものでは綿糸・雑貨・鮮魚・糠・〆粕・塩・藁・石材・肥料など、江戸への下りものでは酒・米・大麦・小麦・醤油・材木・燃料など。乗客を扱うようになったのは天保の頃(1830-1840年)からで、おもに飛切が使用された。」
「引又河岸には、いつの時代にも2軒以上の舟問屋(三上問屋、井下田問屋、高須問屋など)が営業していたが、新河岸川の改修や鉄道の普及により舟運は急速に衰え、昭和6年には廃業に至った。」


【写真 上(左)】 明治37年の引又河岸
【写真 下(右)】 引又河岸の輸送船(大正時代)


【写真 上(左)】 いろは橋のレリーフ(しきがし)
【写真 下(右)】 旧村山快哉堂(土蔵造りの店蔵)

敷島神社はこの引又河岸をみおろす高台に、明治40年(1907年)、当地の浅間神社に村社の村山稲荷神社・星野稲荷神社と水神社の三社を合祀し、敷島神社と改めて成立しました。
社名は、御祭神木花開耶姫大神にちなみ、本居宣長の和歌「敷しまの倭こころを人とはは朝日ににほふ山さくら花」から引いたものとされています。


【写真 上(左)】 引又河岸の説明板
【写真 下(右)】 引又河岸の水神宮碑

田子山富士塚公式Webによると、幕末に引又町で醤油醸造業を営む高須庄吉という人が霊夢に導かれ、当地の田子山塚で「逆修」の板碑を発見しました。
この板碑は、室町時代の暦応三年(1340年)、僧・十瀧房承海が富士山入定に先立って建立したものとされています。

富士山信仰に篤い高須氏は田子山塚の上に富士塚築造の決意を固め、同志を募って明治2年10月から明治5年6月までの期間を要し、田子山富士塚として完成に至りました。
富士塚の頂上には木花開耶姫大神を奉斎して浅間神社と号しました。

引又周辺(現・志木市内)は富士信仰の盛んな地で、「田子山富士」の「丸吉講」以外にも上宗岡の「浅間神社」を中心とした「丸藤講」があり、明治13年に「羽根倉富士嶽」が築造されています。
「丸藤講」の第八代先達「日行星山」(本名:星野勘蔵)は、明治25年に富士山麓(富士吉田市)に「吉田胎内」を開基されています。

村山稲荷神社は武蔵七党に属した名族、村山家の総本家(助右衛門家)の地所に祀られていたお社、星野稲荷神社は星野家の総本家の地所に祀られたお社とされます。
また、水神社は、新河岸川の引又河岸付近に舟運の安全を祈って祀られていたお社とされます。

境内にいるとさほど感じませんが、新河岸川から眺めるとかなりの高みにあり、武蔵野台地東端の要地に鎮座していることがわかります。
ここから志木中心部にかけての高みは、市の西側を流れる柳瀬川の流れを北上させるほどのもので、南側の新座市にある平林寺方向までつづきます。
また、立川市の玉川上水から引かれた野火止用水(伊豆殿堀)は新座市の平林寺境内を流れ、敷島神社の下で新河岸川に注いでいました。(志木市観光協会Web、一部いろは樋で新河岸川を渡って旧宗岡村方面にも分流。)
このことからも、志木が水利に乏しい武蔵野台地の北(東)端に位置することがわかります。


【写真 上(左)】 新河岸川からのぞむ敷島神社の高台
【写真 下(右)】 敷島神社下の”はけの道”


【写真 上(左)】 社頭
【写真 下(右)】 鳥居

住宅地から参道に入ります。
社頭に石造の明神鳥居で、最近立派な社号扁額が掲げられました。
右に「敷島神社」の社号標。
正面にこんもりと田子山富士塚が見えます。
地域の中核社らしく多くの境内社も鎮座し、地域の住民が集って華やぎのある境内です。


【写真 上(左)】 境内案内図
【写真 下(右)】 桜と社殿

右手に進むと手水舎。
水盤には富士山形の線刻の下に○に吉の紋が刻まれ、これは「丸吉講」の奉納とみられます。
本殿拝殿前に石灯籠一対。


【写真 上(左)】 参道と拝殿
【写真 下(右)】 拝殿

拝殿は入母屋造平入り流れ向拝。縋破風の照りが効いて均整のとれたつくり。
拝殿と本殿は石の間で接続しているようです。



【写真 上(左)】 拝殿扁額
【写真 下(右)】 本殿

水引虹梁まわりは直線的で、海老虹梁部も湾曲なくシンプルな仕上がり。
向拝まわりの意匠もスクエアで統一され、全体にきっちり端正な印象です。
向拝見上げに、新たに立派な社号扁額が掲げられました。


【写真 上(左)】 稲荷神社と護国神社
【写真 下(右)】 鷲宮神社


【写真 上(左)】 水神宮
【写真 下(右)】 敷島子安神社

拝殿向かって右手には護国神社と稲荷神社、左手には鷲宮神社でいずれも鳥居を構えています。
手水舎の並びに水神宮(御祭神:罔象女大神)が鎮座しますが、リーフレットによると本殿にも罔象女大神が祀られているので、この水神宮と引又河岸の水神社とのつながりについてはよくわかりません。
また、水神宮の並びに天平宝宇三年(759年)創建と伝わる敷島子安神社が鎮座し、こちらのご祭神は木花開耶姫命です。

〔田子山富士塚〕
朱印揮毫:木花開耶姫命 書置(筆書)

【写真 上(左)】 平成30年1月の御朱印
【写真 下(右)】 令和2年11月の御朱印


【写真 上(左)】 桜と田子山富士塚
【写真 下(右)】 つつじと田子山富士塚


【写真 上(左)】 入山口
【写真 下(右)】 なかなか立派な狛犬です

境内左手に田子山富士塚。高さ9m、麓の円周約125mのかなり大がかりな富士塚です。
「山頂に祠」「烏帽子磐」「小御岳神社」富士山の溶岩「黒ぼく」「御胎内」(地下洞穴)を備え、しかも「霊峰富士を遥拝」できる稀少な富士塚とのこと。
石造物の数もすこぶる多く細工の質も高いため、令和2年3月に「国指定の重要有形民俗文化財」に指定されています。


案内図


【写真 上(左)】 下浅間社
【写真 下(右)】 琴比羅神社

登り口手前右に琴比羅神社、左の下浅間社には開祖の十瀧房承海僧が祀られているようで、祭礼日にはご開帳されます。
頂上の浅間神社(奥宮)には木花開耶姫大神が祀られているかと思いきや、リーフレットによると御祭神は国常立大神、大山祇大神、御食津大神とのことです。


【写真 上(左)】 開山日の境内
【写真 下(右)】 けっこう険しい登山道


【写真 上(左)】 山頂部
【写真 下(右)】 山頂の奥宮


【写真 上(左)】 田子山冨士の紋
【写真 下(右)】 山頂からの境内

富士塚西側に鎮座の松尾神社の御祭神は大山咋大神で、正月には敷島神社拝殿前にお出ましになります。


【写真 上(左)】 松尾神社
【写真 下(右)】 松尾神社(正月)

神仏習合の名残を残し、法華宗の御題目の石碑や烏天狗の石像、不動明王の石像もみられます。


【写真 上(左)】 神猿と石碑
【写真 下(右)】 御題目の石碑


【写真 上(左)】 御胎内
【写真 下(右)】 不動明王

境内西側には不動明王が祀られていますが、こちらは以前この地にあったとされる真言宗の古刹宝幢寺の仏さまで、「御胎内」の奥に祀られている大日如来とともに仏の信仰の中心であったとのこと。
成田山ゆかりのお不動様で、境内の琴比羅神社とあわせてお参りすると、四国の金刀比羅宮と岡山の喩伽大権現・蓮台寺の「両参り」と同じご利益となるそうです。


【写真 上(左)】 宝幢寺
【写真 下(右)】 宝幢寺の御朱印

御朱印は開山日は境内観光案内所で敷島神社と田子山富士塚の2体の書置御朱印が授与されます。志木市商工会でもいただけるようですが現況の詳細不明。
水宮神社では敷島神社は常時授与されているようですが、田子山富士塚については不明です。
よって、2体拝受されたい向きは、開山日の参拝が確実です。なお、開山日でも御朱印授与は15時で終了となるので要注意です。

■ 水宮神社(富士見市水子1762)の御朱印もUPしておきます。


【写真 上(左)】 書置御朱印
【写真 下(右)】 直入御朱印
※ 週末はタイミングにより書入御朱印拝受可の模様


2.舘氷川神社

埼玉県神社庁Web
「猫の足あと」様
埼玉県埼玉県志木市柏町3-6
御祭神:須佐之男大神(素戔嗚尊)、奇稲田姫大神、大己貴大神
御利益:家内安全
旧社格:村社、旧舘之郷(舘村・引又村・中野村・針ケ谷村・北野村)総鎮守
元別当:地王山 宝幢寺(志木市柏町)
授与所:水宮神社授与所(富士見市水子1762-3)※常時授与かは不明
朱印揮毫:舘氷川神社 直書(筆書)


江戸時代には舘之郷(舘(たて)村・引又村・中野村・針ケ谷村・北野村)の総鎮守として重きをなしたとされる神社。

創祀史料は明らかでないですが、志木市のWeb資料などによると以下のとおりです。
延暦年間(782-808年)、坂上田村麻呂が征夷大将軍として蝦夷征伐に向かう途中、この地で賊と戦いになり苦戦に陥りました。
そこで田村麻呂は武蔵國総鎮守の大宮氷川神社に出向き、戦勝を祈願しました。
祈願ののち、田村麻呂の軍勢は鈴なりに実をつけた椋の木をみつけ、田村麻呂はこの実を疲れた兵士たちに食べさせました。
すると兵士たちはたちまち鋭気を取り戻し一気に賊を平らげたため、これを氷川様のご加護と信じた田村麻呂は、この椋の木のそばに一社を祀ったのが当社の創祀とされます。

また、境内由来記などによると、時の郡司藤原長勝が自らの城(「柏の城」)内に大宮氷川神社を分祀勧請し貞観年間(859-877年)に創建とあります。
社号や地名に「館」ではなく「舘」がつかわれるのは、これを裏付けるものとされています。(「舘」は高貴な身分の方の居館をさす。)

藤原長勝については、いろいろと伝承が伝わっているので少しく寄り道してみます。

志木市のWeb資料によると、長勝は「柏の城」のそばの大蛇ヶ淵を埋めて水田にしようとしたところ、淵の主の大蛇の怒りに触れて工事は滞りました。
そこで長勝は日頃から尊崇篤い家宝の弘法大師お筆の不動明王に祈願したところ、夢枕で二本の矢を伝授され、長勝はこのうちの一本で大蛇を射たものの一本は射損じて窮地に陥りました。するとどこからともなく白衣の若者があらわれて、格闘の末に大蛇の首をはねました。
長勝の手柄で広大な水田を得たので人々は長勝を田面(たのもの)長者と尊称しました。

長勝には皐月の前(さつきのまえ)というすぐれて美貌の息女がおりました。
在原業平が東下りの折に当地に逗留し、皐月の前と恋におち、ある晩二人して「柏の城」から出奔しました。
長勝は家来に捜索を命じましたが、草深い武蔵野のこととて容易にみつからず、長勝は窮余の策として野に火を放ちました。

猛火は二人の身に迫りましたが、皐月の前が「むさしのは今日はなやきそ若草の つまもこもれり我もこもれり」という一首を詠み出すと、たちまちに火勢は収まり二人は「柏の城」に連れ戻されたとのことです。(志木市Web史料より)
このとき二人がかくれた場所が平林寺境内の「業平塚」とされ、「野火止」の地名もこの逸話にちなむものとされています。

伊勢物語にも、このくだりが記されています。(出所は →こちら(『伊勢物語』と業平伝説/近藤さやか氏 2016年))

<東下り・東国章段 第十二段>
「むかし、男ありけり。人のむすめを盗みて、武蔵野へ率てゆくほどに、ぬすびとなりければ、国の守にからめられにけり。女をば草むらのなかに置きて、逃げにけり。道来る人、『この野はぬすびとあなり』とて、火をつけむとす。女、わびて、~ 武蔵野は今日はな焼きそ若草の つまもこもれりわれもこもれり ~ とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率ていにけり。」

 
【写真 上(左)】 平林寺の業平塚
【写真 下(右)】 平林寺の御朱印

なお、かつて当地は「亭(ちん)の台」と呼ばれ、在原業平の座所として設けられた館の跡であるという伝説もあって、在原業平とのゆかりが強い土地柄に思えます。

藤原長勝の存在は史料からは裏付けられていないようですが、この地に「柏の城」があったことは確かで、中世には荏柄氏、二階堂氏、大石氏などが拠ったともされ、境内由来記によると当社神域は「柏の城」の大手門にあたり城の守護神であったといいます。
明治40年(43年とも)に字久保の村社白山社、城山八幡社など15社を合祀していまに至ります。


柏の城配置図(行屋稲荷境内掲示物より)

志木第三小学校前にある「柏の城跡」、長勝院内の「柏の城西の曲輪跡」説明板によると、柏の城は、木曾義仲の子孫で関東管領山内上杉家の重臣大石氏が室町中期に築いた居館で、当地に伝わる『舘村旧記』によると、現在の志木三小に本曲輪(本丸は校庭のほぼ中央)、その東側に二の曲輪、市道をはさんだ南側に三の曲輪が、そして志木三小西側の長勝院境内に西の曲輪があったとされています。


【写真 上(左)】 柏の城跡
【写真 下(右)】 柏の城西の曲輪跡(長勝院)

戦国期の当主は大石越後守直久で北条氏に属し、天正十八年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際に豊臣勢に攻められて落城。
徳川家康の江戸入府にともない、家臣福山月斉が地頭としてこの城地に居住したとされます。


【写真 上(左)】 長勝院旗桜
【写真 下(右)】 長勝院旗桜の花

西の曲輪跡と伝わる真言宗智山派(石神井村三寳寺末)の蓮華山 無量寿寺 長勝院は「長勝院旗桜」(ちょうしょういんはたざくら)で知られていますが、現在堂宇は残っていません。
(堂宇は昭和60年に解体されましたが、本堂廊下に掛けられていた版鐘は志木市の指定文化財に指定されています。)

4番、宿氷川神社のすぐそばにある「道興准后歌碑」の道興准后があらわした東国巡遊の紀行文『廻国雑記』には下記の記載があります。
----------------------------------
『廻国雑記』(大月隆 著)/国会図書館DCより引用
「ある時、大石信濃守といへる、武士の館に、あそびにまかりて、あそび侍るに、庭前に高閣あり矢倉などを、あひかねて、侍りけるにや、遊景すぐれて、数千里の江山、眼の前につきぬ、とおもほゆ、あるじさかづきを、とりいだして、くれすぐるまで遊覧しけるに
一間乗興●登樓 遠近江山分幾州
落雁呌霜風颯々 白沙翠竹斜陽幽
十玉か坊にて、人々に、二十首歌よませ侍るに(以下略)」


【写真 上(左)】 長勝院付近からの柳瀬川
【写真 下(右)】 柳瀬川から西側のながめ

「柏の城西の曲輪跡」の説明板に、「このあたりは、かつて亭の台(ちんのだい)とも呼ばれ、在原業平の座所として設けられた館の跡であるという伝説もあり(中略)また、館村八景(江戸時代の舘村の景勝地)の一つに『亭の下の夕照』とあり、この付近は、秩父連山から富士山まで眺望できる景勝の地としても有名なところでした。」とあり、武蔵野台地の突端に位置するこの眺望の地が、すでに室町時代に歌に詠まれていたことがわかります。


【写真 上(左)】 社頭
【写真 下(右)】 鳥居


【写真 上(左)】 鳥居扁額
【写真 下(右)】 拝殿

戸建て住宅立ち並ぶ一画にありなかなかわかりにくいですが、たどり着いてみると思いのほか広い境内。
銅板葺?の立派な両部鳥居で「氷川神社」の扁額。
参道左手は野火止用水の跡で、その手前に手水舎。右手に社務所、左手の建物は志木市の武道館です。

参道に石灯籠二対、拝殿前に狛犬一対。
左手の「氷川大明神」の石標には、「五箇村総鎮守 別當寶幢寺」の添書きがあります。


【写真 上(左)】 向拝
【写真 下(右)】 向拝扁額

拝殿は入母屋造銅板葺平入り流れ向拝で、水引虹梁、蟇股、雲形の木鼻、海老虹梁、手挟、「氷川神社」の扁額などを備えています。
回縁に朱塗りの組高欄をまわし、どっしりとした印象の拝殿です。
本殿は切妻造平入りで拝殿と接続しています。


【写真 上(左)】 社殿
【写真 下(右)】 本殿

境内由来記や掲示によると、養老元年作の素戔嗚尊の御神体と供人の木像二体を安置。
市内唯一の図像板碑(阿弥陀如来御来迎図、文明十八年(1476年)銘、志木市指定文化財)も伝わりますが、これはもとは志木第三小付近にあった城山八幡社の御神体として祀られていたもので、城山八幡社が当社に合祀されたことにより移されたとのこと。

また、境内の「舘氷川神社修復記念碑」(志木市指定文化財)は、江戸時代の一般庶民が苗字をもっていたことを示す貴重な文化財とされています。


【写真 上(左)】 境内社
【写真 下(右)】 富士塚?の石碑

境内社は数多く、頂上に木花佐久夜姫命、天孫彦穂瓊々杵命、大屋満津見命が祀られ、「志木宿講社中」の銘がある富士塚らしきものがあります。
境内案内図によると参道向かって右手の稲荷社は「境松稲荷大明神」とのことです。

御朱印は水宮神社でタイミングが合えば拝受できます。


3.(羽根倉)浅間神社

埼玉県神社庁Web
志木市Web資料
「猫の足あと」様
埼玉県志木市上宗岡4-27-20
御祭神:木花開耶姫大神
御利益:子授安産
旧社格:村社
元別当:観音寺
授与所:水宮神社授与所(富士見市水子1762-3)※常時授与かは不明
朱印揮毫:浅間神社 直書(筆書)


荒川にかかる羽根倉橋のたもとに鎮座し、「羽根倉橋の浅間様」として崇敬される浅間神社。
境内説明板などによると、建久四年(1193年)、源頼朝公が富士の裾野で巻狩りを催した際、宗岡の住民は勢子役を課せられ、その代償として年貢が免ぜられたのでこれを記念して字大野の地に祠を建てて富士浅間社を祀りました。
富士山から距離のあるこの地の住民が勢子役を課せられたのは不思議な感じがしますが、『しきふるさと史話/志木市教育委員会刊』によると、ここからほど近い難波田の地の武士、難波田高範は頼朝公が初めて京に上った折の随兵として選ばれ、奥州征伐にも加わるなど武蔵武士の中では重きをなしていたため、その支配下にあった宗岡の村民が使役されたのだろう、ということです。

その後、長禄年間(1457-1460年)の荒川大洪水で字大野の祠が流され羽根倉(現在の羽根倉橋上流)に流れ着いたので、これを神意と考えこの地に社殿を建立。
明治維新後、荒川の改修工事にともない字蓮田に移転、字十人野の稲荷杜、字大野の浅間社、字蓮田の稲荷社、字東前の八幡社の無格社四社を合祀して村社に列格。
昭和48年(1973年)、県道浦和所沢線の建設のため当地へご遷座しています。

ご遷座と羽根倉富士嶽(富士塚)の関係は、境内案内版によると下記のとおりです。
明治13年(1880年)、現在の堤外地(荒川河川敷)に高さ約10mの塚が築かれ、昭和4年(1929年)頃、河川改修により堤内に移転、昭和45年(1970年)、県道改修事業のため現在地に移転しました。
なお、「明治五年から同十三年の九年間を要して境内に富士塚が築かれた。」というWeb情報もあります。
昭和40年代の県道改修による移転では先に富士塚が移転、のちに浅間神社がご遷座ということになります。

この羽根倉は、南北朝時代の「観応の擾乱」の際、足利尊氏方の高麗常澄と直義方の難波田九郎三郎が激闘を繰り広げた「羽根倉の合戦」の地としても知られています。

リーフレットによると、本殿の御祭神は木花開耶姫大神。冨士塚の御祭神は、国常立大神、大山祇大神、木花開耶姫大神とのことです。

富士塚を築いたのは上宗岡の丸藤(まるとう)講で、江戸後期の著名な行者、食行身禄(じきぎょうみろく)の弟子の高田藤四郎(日行青山)の弟子となった高野源次郎が初代先達となって文化二年(1805年)に結成した講で、二度の移転を経ながらも、熱心な信仰によって現在も整然と保たれており、近世からの富士信仰の様子をよく示すものとして説明されています。
もともとの富士塚は丸藤講五代先達池之内政五郎が、十年のあいだ富士登山の度に溶岩を運んで築いたものと伝わります。

境内に現在地に移転の経緯を記した「浅間神社移転記念碑」がありましたので、抜粋引用します。
「わが浅間神社は建久の昔から 我等の祖先が代々崇敬して来たが 嚮に(以前に)国の荒川改修工事のため此所に遷祀された 然るに未だ幾何もないのに県道改良工事に当り 再び移転の止むなきに至った 神社役員等は再三その筋に計画変更方を願ったが許されず 遂に昭和四十四年八月境内地(中略)買収に応じた。よって氏子一同相謀り 社殿擬岳は移転して古容を残し(中略)社殿を修理し(中略)昭和四十五年十一月竣工した。」


【写真 上(左)】 社頭
【写真 下(右)】 境内

南に羽根倉通、西に浦所バイパスの築堤、北に荒川の堤防を控えた立地ですが、境内には富士塚が整然とそびえ、右手の社殿の日当たりもよく、高燥なイメージがあります。
境内には参拝者用の駐車場もありました。

社頭に石造の明神鳥居で「浅間神社」の真新しい扁額が掲げられています。
参道左手に手水舎。神使の猿像一対と石灯籠二対。


【写真 上(左)】 拝殿
【写真 下(右)】 向拝

拝殿は正面からみると入母屋造銅板葺平入りですが、背後に石の間と本殿を連結しています。
本殿はおそらく方一間の切妻造平入り(神明造?)で、屋根に千木、堅魚木、小狭小舞を置く端正なつくりです。
拝殿に向拝柱や水引虹梁はなく、向拝正面は下部連子、上部格子で見上げに「冨士浅間大神」の扁額が掲げられています。
主祭神の木花開耶姫命の御神像は六十年に一度の御開帳とのこと。


【写真 上(左)】 拝殿扁額
【写真 下(右)】 石の間と本殿


【写真 上(左)】 本殿裏は荒川の堤防
【写真 下(右)】 羽根倉富士塚

拝殿向かって右に羽根倉富士嶽(富士塚)。(志木市Web資料
こちらは志木市の有形民俗文化財に指定されています。

高さ約5m、直径約17m。
平成24年に崩落防止のためコンクリート補修されているものの、黒ボク(富士山の溶岩)は残り、胎内穴も残る本格的な富士塚です。
頂上の白い岩には「浅間大神」と刻まれています。
丸藤講の奉納とみられる石碑もありました。


【写真 上(左)】 胎内穴
【写真 下(右)】 丸藤講?の石碑


【写真 上(左)】 頂上
【写真 下(右)】 境内社

境内社は富士塚左手に八幡神社と稲荷社。
羽根倉通側に稲荷社とお社(御嶽神社か?)と覆堂のなかに立像の石仏。
如来を思わせる面差しの石仏は、薬壺を両手で抱えられた薬師如来にも思えましたが、石仏の薬師如来立像はめずらしいですし、通常薬壺は左手の持物なので、宝珠を抱えられた地蔵菩薩かと思われます。(『埼玉の神社/埼玉県神社庁刊』の境内図にも、この位置に「地蔵」とあるので間違いないかと思います。)

露仏の青面金剛も御座されていました。

御朱印は水宮神社でタイミングが合えば拝受できます。

■ 志木開運・招福七社参り-2へつづきます。

【 BGM 】
■ ただ泣きたくなるの - 国分友里恵


■ 風と花と光と - 世理奈


■ Hello,my friend - 松任谷由実


■ 滴 - 今井美樹


■ 夏空の下 - やなわらばー
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■ 歌の女神が舞い降りた国 / 美メロ&ハイトーン&透明感の癒し曲50曲

2021/05/05 UP

このところ海外で日本の女性ヴォーカル曲の人気がいちだんと上がってきている模様です。
その基調には竹内まりやや大貫妙子などのシティ・ポップの人気があると思うが、これとは別の流れもあるのでは。
それは、美メロ&ハイトーン&透明感の3つの要素をもったヒーリング系の曲で、アニソンもこの範疇に入ると思います。
この系統の曲は以前からずーと聴いてきていますが、たしかにここにきてYouTubeに日本語以外のコメントが急に増えてきている感じが・・・。

この系統の曲はこれまでさんざんこのブログ内でリンクUPしてきていますが、既UPのものをダイジェスト的に一気に50曲まとめてみました。

わたしはハイトーン女性ヴォーカルフリークで、かれこれ30年以上も世界中のこの系統のPOPミュージックを聴きあさってきましたが、この系統では日本とアイルランドが双璧だと思っています。
とくに2010年代以降は洋楽でこの系統の曲がどんどん少なくなってきているので、それだけこれらの日本の楽曲に稀少価値がでてきているのでは?

それではいってみます。

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もともと日本の唱歌じたいが、「美メロ&ハイトーン&透明感」の3つの要素をもっていると思う。

01.早春賦 - 小鳩くるみ

本名、鷲津名都江。「アタックNo.1」の鮎原こずえ役の声優として広く親しまれた。
このころからすでに「声優=透明感のある美声」の構図があったのだと思う。
はろばろと響きわたる抜群の美声。
わたしはほとんどオペラに造詣がないが、こういう興味ぶかいWeb記事(世界最高の歌手ー小鳩くるみ)をみつけた。

オペラに造詣の深い人からしても、なるほどこういう見方があるのか・・・。
記事のなかに堀優衣ちゃんと鈴木杏奈ちゃんの名が出てきたのにはびっくり。
(個人的には熊田このはちゃん、佐久間彩加ちゃんや富金原佑菜ちゃんも挙げてほしかった気はするが・・・(笑))
それだけカラバトU-18世代のレベルは群を抜いているということか。

02.椰子の実 - saya

ベースはジャズシンガーだけど、ハイトーンが綺麗で声質に透明感があるので ↑こういうレベルで唱歌もこなせる。
紹介記事は→こちら

03.冬景色 - はいだしょうこ

音楽一家で育ち、国立音大附属高校声楽科→宝塚歌劇団というエリートキャリア。
うたのおねえさんって、音楽の素養が豊かで声質の綺麗な人が多い。この人とくに美声です。
「冬の夜」も名曲です。(芹 洋子)

●1979年後半~1980年代前半のシティ・ポップ全盛期にも、もちろん美声系はいた。

04.海のキャトル・セゾン - とみたゆう子

「ミルキー・ヴォイス」といわれた甘いながらも透明感にあふれた美声。
曲のできも抜群。

05.二人だけ - 八神純子

名古屋では有名な八神製作所オーナー家の令嬢。いまはたしかアメリカにいるはず。
これは1982年リリースの名盤『夢みる頃を過ぎても』収録のバラードで、作曲・編曲は大村雅朗。
彼女にしてはシンプルな曲構成で、それだけに声のよさが際立っている。

06.LANI ~ HEAVENLY GARDEN ~ - 杏里(ANRI)

クセのない素直な声質だが、聴き手のこころに訴えかけてくるなにかをもっているシンガー。
これは1992年リリースの『MOANA LANI』収録で、シングルでも切られているバラード。
キーボードのサポートメロが綺麗でスケール感のある杏里らしい曲調。個人的に変拍子がかったサビ部のリズムパターンがツボ。
杏里の名バラード20曲!

●1980年代後半~は、やっぱり今井美樹かな?

07.空に近い週末 - 今井美樹

個人的には今井美樹のベスト、J-POPでも屈指の名曲だと思う。
シングル「Boogie-Woogie Lonesome High-Heel」カップリング曲で、オリジナルアルバム未収録なので、もっぱらベストアルバム『Ivory』(1989年)で聴いていた。
柿原朱美ならではの天空から降りそそぐようなポリフォニックで清々しいメロディと、その上で舞い踊る今井美樹のたおやかなボーカル。
文句のつけようのない神曲。
今井美樹の名バラード25曲!

●1990年代に入って、小室ファミリーはハイトーン系の宝庫となった。

08.DEPARTURES - 華原朋美 / W.小室哲哉

やっぱり華原朋美のハイトーンの存在感は大きく、小室サウンドは後の世代(歌うま女子)に大きな影響を与えたと思う。

●そして1990年代後半から、そろそろ女性シンガーのハイトーン・ラッシュがはじまる。

09.孤独な生きもの - KOKIA

国際的に幅広い分野で活動する個性派Artist。
桐朋女子高等学校音楽科→桐朋学園大学音楽学部(ともに声楽専攻)というバックボーンをもちながら、声楽とは一線を画したオリジナリティを確立。
クラシカルかつメッセージ性の高い佳曲を多数もち、以前から海外での評価が高い。
安定感のあるヒーリングヴォイス。J-POPのレベルの高さを世界に発信できる逸材。
KOKIAの名バラード12曲

10.Roka - 遊佐未森(1997年)

一筋縄ではいかないクセの強い曲風で、なかなか聴きやすい曲がないのだが、こんなヒーリング系の名曲も。
こんな5拍子曲でも、あっさり歌いこなしていた実力派。

■ 上野洋子(協和発酵 焼酎「かのか」CM・・・たぶん2003年頃?)

※この手のArtistはなかなかメジャーシーンに出てきにくいのだが、たとえば協和発酵 焼酎「かのか」CMで、その癒しヴォイスが大きな反響を呼んだ上野洋子(ZABADAKの結成メンバー)など、巧くプロモートすればブレークできる環境は整っていたのだと思う。
この曲、さんざ探したのだがどうやらリリースされておらず、世理奈のバージョン(2005)のみみつかります。

11.Eternal Empire -The Emperor Grants You Audience- (Suikoden Celtic Collection 2) - 上野洋子

プログレ系ユニットZABADAKのVocal出身のためか、ソロでも難解な曲が多いが、類まれなヒーリングヴォイスなので「かのか」のような澄み切った曲をもっと歌ってほしかった。

●遊佐未森、上野洋子ともにクリエイター集団との係わりが強く、彼らからその「美声」を買われていた感じがある。
そしてのちに誕生する、札幌のI'VE(KOTOKO、詩月カオリ、川田まみ、MELLなどが在籍)、HoneyWorks(ハニワ)、supercellなどのクリエイター集団や菅野よう子、梶浦由記などのクリエイターが「女神系歌姫」を育んだことは間違いないと思う。

12.Imaginary Affair - KOTOKO(I'VE)

「こなたよりかなたまで」OP。文句のつけようのない好メロディ&ナイスアレンジ。
個性的なブレスどりが、のちにアニソンのスタンダードとなった感なきにしもあらず。

13.For Our days - 川田まみ(I'VE)

「そして明日の世界より」OPで、これもかなりのナイスメロ。
独特のビブラートとヒーカップの連打のパフォーマンスで聴き応えあり。

14.白い輪舞曲 - 詩月カオリ(I'VE)

「冬のロンド」ED。I'VEのなかではもっともやさしくフェミニンな声質では?

15.Destiny feat.花たん【HoneyWorks】

好メロの宝庫、HoneyWorks(ハニワ)。
中~高校生でリアルタイムにこんな曲聴いたら、やっぱり影響受けると思う。
花たんは「歌い手」からスタートした逸材。

16.君の知らない物語 - くゆり(supercell)(歌ってみた)
 
supercellは「歌い手」のカバーも多い。
くゆりさんは、個人的には歌い手のなかでもかなり上位の実力を持っていると思う。
supercellの「歌ってみた」人気曲を見事に歌いこなし、そのすばらしい完成度はニコ動のコメント群がよく物語っている。
ときおり繰り出すビブラートと高音への跳ねが絶品。

17.さよならメモリーズ - 奏夢(supercell)(歌ってみた)

オリジナルヴォーカルのnagi(ガゼル、やなぎなぎ)が透明感あふれる声質なので、やはりこの系統の歌い手のカバーが多い。
奏夢(かなむ)さん、独特の声のゆらぎがあるけど、安定感は抜群で数多いこの曲のカバーのなかでも屈指の仕上がりだと思う。

18.Dreaming Sheep - 中恵光城

『大図書館の羊飼い』のOP。
繊細なメロディラインの難曲だが、透明感あふれるハイトーンで歌いこなしている。
アニソン系ではかなりの実力派で、プログレ系サウンドプロジェクト「少女病」にMitsuki名義でヴォーカル参画している。

19.Cloe - 山本千夏

ネイチャー系アニメ「地球少女アルジュナ」の挿入歌。
才人、菅野よう子の作品だけに細部の構成がテクニカルだが、透明感あふれる声色で巧く仕上げている。

●そして梶浦由記さん。

20.Everlasting Song - 梶浦由記(&FictionJunction)

これまで何度も貼り付けてるけど、やっぱりこのLIVE神だわ。

〔 Solo Parts 〕
0:27~ / 3:46~ 貝田由里子
0:57~ / 4:15~ KAORI (織田かおり)
2:48~ / 6:26~ KEIKO (窪田啓子)
3:18~ / 6:57~ WAKANA (大滝若菜)
※5:43~ めずらしくユニゾン。ここからオーラスにかけての、一気に駆け上がる感ハンパない。

■ アレルヤ - Kalafina

梶浦ファミリーからもう1曲。
惜しくも解散してしまったKalafinaの屈指の名曲だと思う。
3人のコーラスのバランスが絶妙。
梶浦サウンド総ざらい!(&「炎」-homura)

21.月のかほり - 夏川りみ

04:45~ 月のかほり
個人的には、2001年に「涙そうそう」をブレークさせた夏川りみの存在も大きかった。
夏川りみの声をはじめて聴いたのはたしか、水戸黄門の合間に流れていた松下グループのCM Song「この星を感じて」だったと思う。
ハイトーンが綺麗に伸びるそのボーカルは強烈なインパクトがあり、画面の下に出ていた”夏川りみ”というクレジットを頼りにCDをさがしたが、その当時はまったくのマイナーで、ごく一部の大手CDショップでシングルが見つけられただけだった。
メジャーデビューからの「南風」(2002/3)、「てぃだ~太陽・風ぬ想い~」(2002/9)、「空の風景」(2003/3)、初期3枚のALBUMのできは抜群だった。
沖縄独特の音階や歌いまわしはそれほど強く出ておらず、さらりと明るい曲調に彼女の伸びやかなハイトーンが乗る内容は、まさに「ヒーリング・ミュージック」そのものだった。

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2000年代に入ると、アニソンやゲーム曲、そして2008年くらいからいわゆる”セツナ系”が台頭、それぞれジャンルを超えた活動を展開。
とくにセツナ(曲)系はメインストリーム化した。→セツナ曲
加藤ミリヤ(メジャーデビュー2005年)、青山テルマ(同2007年)、西野カナ(同2008年)、中村舞子(同2011年)、JUJUのブレークは2009年で、いずれも多くの名曲をもつ。
セツナ系は、hiphop系とのコラボが多いので、ライム、フロウなどのマナーが求められる。
何より、hiphopの上で情感を出すのだから、ハンパな歌唱力ではとても歯が立たない。
そんなこともあって、日本の歌うま女子のレベルをますます高めたのだと思う。

22.片恋日記 - 中村舞子

”セツナ系”の代表格のハイトーン・シンガー。
声質はやたらにフェミニンかつエモーショナル。
■ 中村舞子の名バラード20曲

23.For You - 平野綾(Kiss Me Concert2)

ピアノに集中しがちなテイクに見えるが、歌の安定感がパンパない。
芯の通った個性的な美声。
現在はミュージカルに軸足を移している模様。

24.Drive_Qualia - 櫻川めぐ

抜群の声質をもつ声優&アニソンシンガー。
アップテンポの曲がメインでヒーリング系バラードはなかなか歌ってくれないのだが、これは貴重な1曲。

25.夏雪 ~summer_snow~(夏の日のリフレイン) - 西沢はぐみ

神奈川県出身のArtistでPCゲーム関連の作品が多い。声質にすぐれとくに高音の伸びが出色。
ふつうの人はハイトーンに引っぱり上げる感じがあるが、この人は高い地声から降りてくるイメージがある。
才人、松本慎一郎作曲の名曲で、バックのフレーズどりも非の打ち所なし。

26.Happy Birthday to... - Kako

「終わる世界とバースデイ」ED。好メロ&ハイトーン&ビブラートのゲーム曲。
通りのよい美声だけど、単なる「うたのおねえさん」じゃないよ。

27.Evidence - Daisy×Daisy(MiKA)

ほとんど表に出さないけど、じつは超メジャーなアニソンシンガーの妹で、ときどきカラバトに出演する。
ビブラート全開のキレのよい歌いまわしが身上か。

28.きっと - 藤田麻衣子

2006年秋デビューの名古屋出身のArtist。ゲーム主題歌も多数手がける。
透明感あふれる声質は天性のものか。
作曲・アレンジに天才的なキレをもち、小柄な体型からは想像できない歌唱力も。
ドラマティックかつエモーショナルな佳曲多数。

29.PLANETES - Hitomi(黒石ひとみ)

浮遊感とヒーリング感覚あふれるたおやかな声質。
これはアニメ『プラネテス』のテーマソングで声質を活かしたスケール感のある佳曲に仕上がっている。

30.Endless Story - Yuna Ito(伊藤由奈)

ロサンゼルス生まれ、ハワイ出身のシンガーで、エモーショナルなヒット曲をいくつかもつ。現在の活動の拠点はロサンゼルス。
このLIVE、バックも含めてほんとに名演だと思う。

31.Erato - 志方あきこ

作風と同様ナゾの多い?Artist。
どちらかというとシリアスな作風だが、ときおりつくるヒーリング系楽曲では天才的な切れ味と圧倒的な完成度をみせ、希有の才能をもっているのでは。
透明感&浮遊感あふれるハイトーンヴォイスも魅力。

32.君がいた未来 君といない未来 - yozuca

熊本県出身のシンガーで、アニソンやゲーム系の作品が多く『D.C. 〜ダ・カーポ〜』での活躍で知られる。
歌声は安定感にあふれ、アニソンシンガーの層の厚さを支える一人だと思う。
メジャーチャート入りしてもおかしくない、すぐれた出来映えの1曲。

33.空気力学少女と少年の詩 - はな

同人系やゲーム系で活動するシンガー。
すこぶる声質にすぐれ、「歌い手」の”うさ”と同一人物という説がある。
これはPCゲーム 『素晴らしき日々 〜不連続存在〜』のOP・EDで、アップテンポな変拍子のこなしがやたらに巧い。

34.春音*ベール - Ceui(セイ)

千葉県出身、2007年メジャーデビューのアニソン&ゲーム系シンガー。
やわらかな声質でバラード系に佳曲が多く、海外でも活動を展開している。

35.消せない気持ち - Kicco

2007年デビュー、主にゲーム系の主題歌などを歌うシンガー。
声質が綺麗で聴いていて心地よく、もっとメジャーになってもいい才能だと思う。

36.hands - 愛内里菜

■ 2000年3月GIZA studioよりデビュー、以降ほぼ年1枚ペースで順調にALBUMをリリースしてきたが、2010年9月26日、兵庫・尼崎アルカイックホールでの公演を最後に音楽活動を終了。12月31日、すべてのアーティスト活動より引退(出典:wikipedia)は惜しい。
これは2009年10月リリースのシングル『MAGIC』収録曲で、エモーショナルな佳曲。

2015年、「垣内りか」名義で歌手活動復帰。以降「R(アール)」名義でも楽曲配信。
※ 元の動画消えていて、「hands」の動画がみつからないので、「Magic」をUPします。↓
愛内さん、実力あると思うけどね・・・。
Magic - Rina Aiuchi (愛内里菜)


37.最高の片想い - タイナカ彩智(Live 2007 Concert)

■ 兵庫県出身のArtistで本名は田井中 彩智(タイナカサチ)。
2006年2月メジャーデビュー。以降安定して作品をリリース。
これは2006年8月On Saleのシングル曲でNHK衛星第2テレビアニメ『彩雲国物語』エンディングテーマにもつかわれた。
高い声域と透明感と伸びのあるハイトーンヴォイスに個性。
ライブハウスでの実績豊富な実力派で、LIVEパフォーマンスに定評がある模様。

38.夏空の下 - やなわらばー

昨年(2020年)夏に流されていたCHOYA「夏梅」のCMソング。
沖縄・石垣島出身の女性デュオユニットやなわらばーの書き下ろし曲。
この実力で昨年12月31日をもって解散は惜しい。

39.ひらひら ひらら - ClariS

よくわからないけど、なにかと話題の多い女子2人組ユニット。
佐久間 誠氏作の流麗なメロに、フェミニンで透明感あるハイトーンが冴えわたる名曲。

この動画、曲調といい、ヴォーカルといい、絵といい、なにかのタイミングで知られたら海外でブレークするかも・・・。
〔関連記事〕東京五輪のセレモニーソング ~ 日本の歌うま女子の底力 ~

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そして、歌い手とよばれるハイトーン系シンガーも名テイクをつぎつぎとUP。
もはやジャンル分けは不可能なので、筆者はこれらを「女神系歌姫」というワードでくくりました。

女神系DIVA(歌姫)たち
女神系歌姫 【Angel Voice列伝 】のリスト
※現在、更新休止中の別ブログでリンク切れ多数あり。

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また、ボカロ曲が一般化したのも2008年頃からで、こちらもハイトーン、滑舌や経過(的)転調などがふつうに求められるから、やはりなまなかな歌唱力では太刀打ちできない。(=ボカロ曲を歌う、いわゆる「歌い手」のレベルの高さ)
2006年以後、「女神系歌姫」系は声優系Artistや”歌い手”を巻き込んで質・量ともに充実の一途をたどり、いまや本場アイルランドを凌ぐのではないか、という点は↑や別ブログの「女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)」にも書いたとおりだ。

40.キミトセカイ - 佳仙(歌ってみた)

すこぶる綺麗なハイトーン&やさしくやわらかな声質をもつ歌い手。
曲もできもよく、レベルの高い仕上がりになっていると思う。

41.bouquet - @ゆいこんぬ(歌ってみた)

情感乗りまくったボカロ曲の「歌ってみた」。
歌い手のなかでも透明感の高い歌声をもつひとりで、ボカロ系の難曲を破綻することなく歌い切っている。

42.StarCrew - misha(歌ってみた)

透明感あふれるハイトーンの歌い手。声に独特な艶があり繊細なビブラートも。
ブレスのとり方も巧く、個人的には「もっと評価されるべき」歌い手の一人だと思う。

43.1/6 - みにゅ(歌ってみた)

ガラス細工のように繊細な声質&唱法でちょっと曲を選ぶような気もするけど、はまったときのヒーリング感&感情の入り方はハンパじゃない。
個人的に好みの声質なので、特集記事をつくっています。

44.桜ほたる(桜菜(SARA)) - ここにあること(歌ってみた)

難音階、難符割り&転調・変拍子の嵐。しかもオーラスにかけての超絶ハイトーン。歌いこなせる人はごくごく限られると思う。
信じられぬが、これは「ここにあること」のかわいいバージョン(笑)
「かわいい」系の声質で一聴では聴き流しそうだが、聴き込んでいくとじつは相当な実力(というか天性の才能)をもっている感じがある。
ときおり「ふっ」と高音に抜くような独特なブレスどりをするが、これが声質によく合い個性として効いている感じがする。
このふわりPの超名曲は「歌ってみた」多数あるが、個人的にはこれがベストだと思う。

45.ebb and flow - LaLa(歌ってみた)

Rayのオリジナルバージョンの出来が秀逸だがshort ver.しか残っていないので、これに迫るナイスな歌ってみたVers.をあげてみました。
こういうフェミニンで透明感の高い楽曲は、いまの洋楽ではなかなかつくれないと思う。
■ ebb and flow - RAY


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そして、ここ数年で一挙に輩出したカラバトU-18の逸材たち・・・。
彼女たちは、また一段ちがう歌唱力をもっているように思う。
なぜ、そうなったのかは黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)をみてね。(あくまでも個人的憶測ですが・・・)

46.いのちの歌 - 鈴木杏奈 & 熊田このは

お互いのオリジナリティがはっきりと出ている。
杏奈ちゃいは”華”、このはちゃんは”艶”かな?
熊田このはちゃんのセトリ(&出演記録)-Vol.2

47.■ ハッピーエンド - 佐久間彩加 / 鈴木杏奈

0:47~ 最後は嘘になって (杏奈ちゃんの中低音)
2:08~ もう離さないで (彩加ちゃんのハイトーン)
杏奈ちゃんがハイトーン、彩加ちゃんが中低音ってパート振られてたけど、↑ 聴くとそんなこと全然ないと思う。
カラバト&佐久間彩加ちゃん配信ライブ情報/LIVE初参戦

ハモリ部、ふたりの声がはっきり聴き分けできるのに、絶妙にハモってる。
実力に裏付けられたオリジナルな個性が際立っているので、共演してもブレることがない。
それぞれの個性がぶつかって、新しいなにかを生み出しそうな予感ばりばり。

ひとことでいうと、彼女たちはおそらくこれまで書いてきたファクターのすべてを身につけている。
それに、オリジナル曲に縛られず、時代の流行にかかわらず、好きな曲を自分なりの解釈で歌い上げている点も見逃せないポイントかと・・・。
そして彼女たちはきっとかけがえのない日本の宝物になっていくのだと思う。
楽しみ。楽しみ。

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時代を先に走ったアーティスト達も、円熟味を増して好演を連打。
やっぱり、日本は歌の女神が舞い降りた国なのかもしれぬ。

48.Circle Of Life - LA DIVA

森山良子、平原綾香、新妻聖子、サラ・オレインの4名で構成するヴォーカル・ユニット。
リードだけでなく、バックに回っても誰が歌っているかはっきりわかる。
これがプロのオリジナリティだと思う。
(でも、このテイクの新妻聖子、これでも本調子じゃないと思う。やっぱり遠慮があるのかな?)
■ あなたの歌は感動を与えてくれる / 新妻聖子

最近、TVのスタジオライブが増えたのは嬉しいけど、バックがオーケストラだったりピアノ1本だったりが多い。
それに妙にジャズ風にアレンジしたりとか・・・。
↑ こういう風にドラムスやベースがしっかり絡んでくれると、やっぱり聴き応えがあると思います。

49.私がオバさんになっても - 森高千里(L.I.V.E (2018))

ザワつくコメ欄(笑)。これはたしかにJapanese Magic!

■ 渡良瀬橋 - 森高千里

この曲、森高千里しか歌いこなせないと思う。

50.時代 - 薬師丸ひろ子

これは凄い!
月日を経るほどに深みを増した歌声・・・。そして余裕のステージング。
もはや日本の至宝では?
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■ 1979年の洋楽ヒット曲 (Billboardデータから)

2021/05/03 UP

おとなしく(笑)ステイホーム中です。

→ 「■ 1983年の洋楽ヒット曲 (Billboardデータから)」がけっこうアクセスをいただいているので、1979年版もつくってみました。



つねづね洋楽1983年ピーク説を勝手に唱えているので、Billboardデータをもとに1979年~1983年のチャートイン曲を集めてみたものです。
今回も思いつくままにリストしたので、筆者の好みのバイアスが思いっきりかかっていますが(笑)、この時期にチャートインしたことは間違いないので、時代の雰囲気は伝えているかと・・・。
日付はチャート最高位の獲得日です。

この頃は、洒落た曲はアルバム曲に多く、ヒット曲はベタな曲調が多かったのでアルバムからも引っ張ってこようかと思いましたが、きりがなくなりそうなのでやめました。
なので、すべてシングルでTOP40入りした曲です。

1979年版
1980年版
1981年版
1982年版
1983年版


01.Got To Be Real - Cheryl Lynn
1/06/1979 / 12位 12Weeks

いまや代表的なディスコ・クラシックス曲だが、実はCheryl Lynnのこの時期唯一とみられるシングル・ヒット。
リズムといい、メロといい、リフがらみのインストといい、この頃の雰囲気があふれている。

02.Good Times - Chic
7/07/1979 / 1位 14Weeks

1977年に結成されたオリジナリティあふれるディスコ・ユニット。
これは1979年リリースの3rdALBUM『Risqué』からのシングル曲で、見事全米1位を射止めた。
Nile Rodgersのエッヂの効いたカッティングギターと、Bernard Edwardsのベースリフが生み出すこのリズムは当時強烈なインパクトがあり、多数のフォロー曲が生まれたといわれる。

03.Street Life - The Crusaders
10/27/1979 / 36位 3Weeks

フュージョンにヴォーカルをフューチャーしてヒットを生み出した当時としては画期的な楽曲。
長尺曲ながらフュージョンユニットだけにさすがに聴き手を飽きさせない仕上がり。
ヴォーカルは名手Randy Crawford、Crusadersの面々を向こうに回して大健闘。

04.This Night Won't Last Forever - Michael Johnson
9/29/1979 / 19位 9Weeks

どちらかというとMOR系のシンガーでBill LaBountyの楽曲をとりあげスマッシュヒットに。↓の原曲と聴き比べると、MORとAORの質感のちがいがよくわかる。

■ This Night Won't Last Forever - Bill LaBounty


05.Don't Stop 'Til You Get Enough - Michael Jackson
9/01/1979 / 1位 12Weeks

邦題は「今夜はドント・ストップ」。
1979年リリースの『Off The Wall』からの第1騨シングルで、なにもかにもがキレッキレの名曲。
これをきくといかに Michael Jacksonの才能が際立っていたかがわかる。
ギターのカッティングの乾いた音が絶妙に効いて、個人的にはこの頃の Michaelの曲が好み。

06.Escape (The Pina Colada Song) - Rupert Holmes
11/10/1979 / 1位 16Weeks


1979年リリースのALBUM『Partners In Crime』収録曲で、全米1位を獲得した最大のヒット曲。
AORの代表シンガーに数えられることが多い人だが、英国生まれということもあってか、AOR本流とはやや距離を置いていると思う。(ストーリー性の高さではMichael Franksと双璧だが、Michael FranksのほうがAOR寄りだと思う。)

07.What You Won't Do For Love - Bobby Caldwell
2/03/1979 / 9位 12Weeks

当時、あれだけ聴かれていたわりには、シングルヒットはこれ1曲だけとは意外な感じがする。米国より日本の方がヘビロテされていたのでは?

08.Goodbye Stranger - Supertramp
8/04/1979 / 15位 8Weeks

1970年代中盤から数曲のヒット曲を飛ばしたロンドン出身のポップ・ロックグループ。
これは1979年リリースの大ヒット作『Breakfast In America』からのシングルヒット曲。
独特のハイトーンが魅力のLead Vo.Roger Hodgsonが、この曲ではコーラスにまわっている。
日本ではメロディにフックのあるタイトル曲「Breakfast In America」の方がヘビロテされていたような記憶があるが、少なくとも米国ではシングルカットされていない模様。
■ Breakfast In America - Supertramp


09.Reunited - Peaches & Herb
3/31/1979 / 1位 15Weeks

1960年代から活動するワシントン出身のベテランのソウル・デュオが放った最大のヒット曲。
1967年にMarvin Gaye & Tammi Terrellがレコーディングしているだけあって、さすがに楽曲のレベルが高い。
日本では「恋の仲直り」の邦題でシングルカットされている。

10.Time Passages - Al Stewart
10/21/1979 / 7位 13Weeks

グラスゴー出身のシンガーソングライター。数多くの英国ミュージシャンと親交をもち、幅広い音楽性をもつ。
これは1978年リリースの名盤『Time Passages』からのシングルカットで、全米でもヒットとなった。ホーンセクションを含むインストの緻密な構成は、長いキャリアをうかがわせるもの。

11.Ain't No Stoppin' Us Now - McFadden & Whitehead
6/02/1979 / 13位 11Weeks

フィラデェルフィア出身のGene McFaddenとJohn Whiteheadによるデュオが放ったヒット曲で1979年リリースのALBUM「McFadden and Whitehead」からのシングルカット。
Otis Reddingの影響を指摘する人がいるほどディープで本格的なヴォーカルが際立ち、ソウル/ファンクファンのあいだではマスターピース的な一曲。

12.Morning Dance - Spyro Gyra
7/28/1979 / 24位 8Weeks

フロントはsaxのJay Beckensteinで、saxの音色を活かしたラテンフレーバーの明るい曲調はBGM向きで日本でも人気があった。
これもそんな一曲で、フュージョンに勢いがあった時代とはいえ、インスト曲でビルボード40位入りは、いまからすると考えられず。

13.Sad Eyes - Robert John
6/30/1979 / 1位 19Weeks

HOT100にチャートインしてから1位に輝くまで実に20年と11ヶ月の月日を要した遅咲きのシンガー。(この記録はのちにTina Turnerに破られている。)
これは、1979年リリースのALBUM『Robert John』からのシングルカットで見事1位を獲得したが、チャートインしてから1位獲得まで20週間と、ここでもスロースターターぶりをいかんなく発揮している。
もとはドゥ・ワップ・グループの一員だったが、この曲ではAOR的なこ洒落た曲調を展開。
Christopher Crossに先んじてヒットしたAOR系ハイトーンシンガーのイメージがある。

14.If You Want It - Niteflyte
11/24/1979 / 37位 2Weeks

一部で山下達郎の「SPARKLE」の元ネタとも噂されるAOR系デュオのヒット曲。
これは1979年の1stALBUM『Niteflyte』からのシングルカット曲で、グルーヴ感あふれるキメの多いリズムパターン、炸裂するファルセット絡みのハイトーンヴォイスなどAORのお手本的な仕上がり。
1981年にも同じタイトルのALBUMをリリースし、こちらもAORマニアにはマストアイテムとなっている。

15.What A Fool Believes - Doobie Brothers
2/10/1979 / 1位 14Weeks

後期Doobie Brothersの代表曲とされる大ヒット曲。
類い希なハイトーン・ヴォイスにMcdonald節ともいえる独特の鍵盤リフは他の追随を許さないもの。

16.I Do Love You - GQ
8/11/1979 / 20位 8Weeks

ニューヨークで結成されたFunk/Soul Groupで1979年から1981年までのあいだにわずか3枚のALBUMを残したのみだが、この3枚はいずれも名盤。
ニューヨークのGroupとは思えない、スムースでブライトなソウル・グルーヴをつくり出していた。これは1979年リリースの1stALBUM『Disco Nights』からのヒット曲。

17.Love Is The Answer - England Dan & John Ford Coley
4/07/1979 / 10位 10Weeks

テキサス出身のフォークデュオだが、西海岸に拠点を移し、ブライトで透明感のある作品を多く残す。England Danは Dan Seals名義でAOR系のALBUMを数枚残している。
これはAORの名盤といわれる1979年リリースの『Dr. Heckle & Mr. Jive』からのシングルヒット。
Greg Phillinganes(key)、Steve Lukather&Lee Ritenour(g)、Wilton Felder(b)、Ed Greene(ds)、Steve Forman(per)、Ernie Watts(sax)などの名手を配し、ソツのない仕上がり。

18.Lead Me On - Maxine Nightingale
7/07/1979 / 5位 14Weeks

ロンドン出身のR&Bシンガーで、ミュージカル経験も豊富なため、幅広い音楽性をもつ。
曲調も洗練されていて当時のBCM(ブラコン)女性ヴォーカルのなかではもっともAORに接近していた一人だと思う。
これは1978年リリースのALBUM『Lead Me On』からのシングルカット曲で、全米5位と大きなヒットとなった。

19.You're Only Lonely - J.D. Souther
10/20/1979 / 7位 13Weeks

日本でもそれなりにヒットしたJ.D. Southerの代表曲。
AORに括る人もいるが、無常感をはらんだアコスティックな曲調は、AORというよりウエスト・コーストサウンドだと思う。

20.Wait For Me - Hall & Oates
12/01/1979 / 18位 10Weeks

いままで幾度となくUPしているが、やっぱり外せない名曲。
1980年代中盤の大ヒット曲よりも、楽曲としては出来がよいのでは?
これは絶頂期の1983年の名演。
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■ 塩船観音寺の御朱印

2021/05/02 UP

今年のつつじ祭りは開催されましたが、「新型コロナウィルス感染拡大の緊急事態につき」4/30で終了となっています。
今年は例年より10日ほど開花が早かったとのことで、すでに見頃は過ぎています。(→開花情報

今後は6月~のあじさいへと移っていきます。






先日、参拝に行ってきました。
つつじの期間中は、駐車料金と拝観料がかかります。

弘誓閣横授与所での授与は休止していたようで、「白玉椿姫」など、こちらで授与の御朱印は授与されていなかったかもしれません。
なお、4月末時点で御朱印はすべて書置対応でした。

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2017/08/07UP/202010/05更新UP/202011/03更新UP

東京都青梅市の名刹、大悲山 塩船観音寺。
真言宗醍醐派別格本山の格式を誇り、複数の霊場札所を兼ねるこの大寺は、華麗な筆遣いの御朱印でもよく知られています。

東京都青梅市塩船194
真言宗醍醐派 御本尊:十一面千手観世音菩薩
札所:関東八十八箇所第79番、奥多摩新四国霊場八十八ヶ所第59番、東国花の寺百ヶ寺霊場東京第12番、武玉八十八ヶ所霊場第22番
公式Web

大化年間(645~650年)、若狭国の八百比丘尼が紫金の千手観音像を安置されたという開山伝承をもつ多摩有数の古刹で、数多くの文化財を有します。
天平年間、行基が「弘誓の舟」(仏が衆生を救おうとされる大きな願いの船)になぞられえて「塩船」と名付けられたとされる船形の独特な地形に建ち、その山肌を埋める約二万本のつつじの名所でもあります。


【写真 上(左)】 山内案内図
【写真 下(右)】 あじさいの名所でもあります


【写真 上(左)】 めずらしい船形地形
【写真 下(右)】 花の寺です

ちなみに、真言宗醍醐派は京都・醍醐寺を総本山とする古義真言宗の一派で、修験道の色彩が濃い宗派とされ、真言宗系修験道の主流をなす真言宗当山派の系譜につながるものとされます。
中世には武蔵七党の村山党の一族、金子氏、青梅勝沼城に拠った三田氏などの帰依を受け、三田氏と親交のあった連歌師宗長が当寺で連歌を詠むなど風流な歴史も伝わります。

関東八十八ヶ所霊場、東国花の寺百ヶ寺霊場、奥多摩新四国八十八ヶ所霊場などの札所を兼ね、山内二箇所の授与所で授与される御朱印はそれぞれ異なるため、拝受できる御朱印の種類はWeb上でも錯綜していますが、数度にわたる参詣で、おそらく現在授与いただける御朱印はほぼ拝受できたような感じがするので、以下にご紹介してみます。
(なお、御朱印の授与内容はお寺さんのお考えやご事情により適宜定まるものなので、以降もこれらの御朱印が拝受可能かどうかはわかりません。)

【塩船観音寺の仏堂と御朱印】
山内入口から順に辿っていきます。諸堂の名称はおおむね公式Webに拠りました。


【写真 上(左)】 山門(仁王門)
【写真 下(右)】 山門(仁王門)の扁額

駐車場は広いですが、つつじの時期などは有料となるようです。
参道入口に「別格本山 塩船観音」の寺号標と重要文化財の茅葺きの山門(仁王門)。
山門は切妻造三間一戸藁葺の単層八脚門で、大棟に鰹木風の意匠と妻部に懸魚を備え、拝みに「大悲山」の扁額を掲げ、両脇間、菱格子の内に仁王尊が御座します。
天文二年(1533年)三田政定・綱定による修理の棟札が残ります。
力感あふれる仁王像(金剛力士像)は、東京都では鎌倉時代後期に仏師定快の工房で制作されたものと推定しています。(都指定有形文化財(彫刻))

【 明王院祈願堂 】
山門(仁王門)をくぐらずに右手の道を少し進むと、右手に「明王院祈願堂」があります。
寄棟造桟瓦葺のお堂で、変形千鳥破風的な向拝を置いています。
堂前の香炉に「千手観音御寶前」とあるのでいささか混乱しますが不動堂です。


【写真 上(左)】 明王院祈願堂
【写真 下(右)】 明王院祈願堂の御朱印

〔 明王院祈願堂の御朱印 〕
朱印尊格:明王院 書置(筆書)
札番:なし
・中央に不動明王の種子「カーン/カン」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)・揮毫と「明王院」の揮毫。
右上に奉拝印。左には寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
弘誓閣横授与所にて、1、4、7、10月の月限定で書置で授与されているようです。

【 阿弥陀堂 】
山門(仁王門)をくぐって参道を進むと正面が「阿弥陀堂」。
身舎桁行三間の寄棟造茅葺形銅板葺の内陣の四周に一間の庇を巡らせた阿弥陀堂形式の堂宇で、おそらく妻入りです。
東京都では室町時代後期の建築と推察しています。(重要文化財)

板張りで、装飾の少ない比較的簡素なつくりですが、きもちむくり気味の屋根のフォルムが引き締まって端正でバランスのよい堂宇です。
内部は天井の板張りがないので、かなり広く感じます。
堂宇の御本尊として阿弥陀三尊が御座します。
未確認ですが、阿弥陀三尊は他の仏堂に御座されないようなので、「阿弥陀三尊」は、こちらの御朱印かと思われます。


【写真 上(左)】 阿弥陀堂
【写真 下(右)】 阿弥陀堂の御朱印

〔 阿弥陀堂の御朱印 〕
朱印尊格:阿弥陀三尊 書置(筆書)
札番:なし
中央に阿弥陀如来の種子「キリーク」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)と「阿弥陀三尊」の揮毫。右上に奉拝印、左には寺号と寺院印が捺されています。
「キリーク」の御寶印は、御本尊・千手観世音菩薩のものとはことなるデザインです。
本堂脇授与所にて、3、6、9、12月の月限定で書置で授与されているようです。

阿弥陀堂の左手を回り込んでさらに進むと、「塩船観音の大スギ(夫婦杉)」がそびえています。
二本のスギは都内でも有数の巨樹とされ、「高尾山の飯盛スギ」「奥多摩の氷川三本スギ」等とともに都の天然記念物に指定されています。

スギの横の石段をのぼると、正面に薬師堂が見えますが、本堂は右手の階段の上です。
階段手前に手水舎があります。
階段をのぼった正面に本堂、手前脇に御朱印授与所があります。左手の藁葺木部朱塗りの旧鐘楼も趣きがあります。


【写真 上(左)】 本堂下
【写真 下(右)】 本堂への参道


【写真 上(左)】 授与所前からの本堂
【写真 下(右)】 旧鐘楼

【 本堂 】
観音堂と書く資料もありますが、当寺の御本尊は観音様なので本堂=観音堂です。
寄棟造に苔むした茅葺、桁行・梁間ともに身舎五間のふところ深い仏殿です。
阿弥陀堂と同様、外観は簡素ですが、どっしりとした存在感を放つバランスのよい仏堂です。
国指定重要文化財で、室町時代後期の建築と推定されています。
こちらは有料で内部の拝観ができます。

向拝部正面の桟唐戸は上桟升格子中・下桟入子板で日中開戸を開放し、御内陣の様子が拝せます。扁額は閣号「圓通閣」。見上げれば垂木一連の上にぶ厚い茅葺。

須弥壇上の厨子内に御座す御本尊、十一面千手観世音菩薩は、文永元年(1264年)に、仏師法眼快勢・法橋快賢によりつくり始められたとされ、都の有形文化財に指定されています。
原則秘仏ですが、定期的な御開帳があります。

御真言は、千手観世音菩薩の「オン バザラ タラマ キリク」。
観世音(観自在)菩薩は三十三身に変化して衆生の危難苦悩を救われるとされ、千手観世音(観自在)菩薩は千の慈悲の眼で観て、千の慈悲の手(千手)でお救い下さる尊格とされます。
菩薩ながら数々の大寺の御本尊として御座される、力感あふれる仏さまです。


【写真 上(左)】 本堂
【写真 下(右)】 本堂の扁額

■ 本堂関連の御朱印
〔 御本尊・本堂の御朱印 / 通常御朱印 〕

【写真 上(左)】 平成29年の御朱印
【写真 下(右)】 令和2年の御朱印

朱印尊格:大悲山圓通閣 直書(筆書)
札番:なし
通常御朱印の「大悲山圓通閣」は、御本尊・本堂をあらわす揮毫かと思われます。
中央に千手観世音菩薩の種子「キリーク」、「大悲山圓通閣」の揮毫と「キリーク」の種子の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)、左に寺号と寺院印、右上に奉拝印が捺されています。

大悲とは衆生の苦しみを救おうとされる仏・菩薩の広大な慈悲の心で、当寺は大悲山を山号としています。
(「大悲殿」「大悲閣」はとくに観世音菩薩像を安置する仏堂を指し、観世音菩薩の御朱印を「大悲殿」「大悲閣」の主揮毫でいただくことも少なくありません。)

「圓通閣」は圓通大士(観世音菩薩)の御座す仏堂を指すので、この御朱印は山号+仏堂の主揮毫ですが、御本尊の種子の御寶印があり、御本尊の御朱印でもあると思います。
左に寺号と寺院印、右上に奉拝の印判が捺されています。
(関東周辺では主揮毫に山号が入る事例は少ないと思われます。)

御朱印界?ではすこぶる有名な御朱印で、さすがに流麗な筆致です。
↑ 【写真 上(左)】 が平成29年、【写真 下(右)】が令和2年の御朱印ですが、ほとんど筆致に差がないきわめて安定した揮毫です。
令和2年の御朱印では御寶印が火焔宝珠のみになり、寺院印もかわっています。

本堂脇授与所にて常時授与されています。

〔 御本尊の御朱印 / 関東八十八ヶ所霊場の御朱印 〕

【写真 上(左)】 関東八十八ヶ所霊場の札所板
【写真 下(右)】 関東八十八ヶ所霊場の御朱印 

朱印尊格:千手観世音 直書(筆書)
札番:関東八十八ヶ所霊場第72番
関東八十八ヶ所霊場の御朱印の「千手観世音」は、御本尊をあらわす揮毫かと思われます。
中央に千手観世音菩薩の種子「キリーク」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)と「千手観世音」の揮毫右上に「関東第七十二番」の札所印、左に寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
左上にあるのはこの霊場の開創20周年特別巡礼記念印です。(平成28年)

通常御朱印「大悲山圓通閣」と札所御朱印「千手観世音」とで主揮毫が異なる例のひとつです。
本堂脇授与所にて常時授与されているようですが、見本が出ていないので霊場御朱印授与の申告が必要です。

〔 御本尊の御朱印 / 子年守本尊千手観音御朱印(限定) 〕

【写真 上(左)】 本堂向拝
【写真 下(右)】 子年守本尊千手観音御朱印

子年(令和二年)は御本尊・千手観世音菩薩が守り本尊となる、十二年に一度のご利益あらたかな年で、限定の特別御朱印が授与されています。
紺紙金泥の特別奉製で書置のみです。

朱印尊格:千手観音 書置(筆書)
札番:なし
中央に千手観世音菩薩の種子「キリーク」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)「千手観音」の揮毫、左に寺号と寺院印、右上に「子年守本尊」、左上に「秘佛」の印判が捺されています。

なお、令和元年の限定御朱印として「観音妙智力」の紺紙金泥の御朱印が授与されていましたが、筆者は拝受しておりません。

〔 二十八部衆の御朱印(限定) 〕

【写真 上(左)】 二十八部衆の御朱印の案内
【写真 下(右)】 二十八部衆の御朱印

本堂内の二十八部衆像が令和2年3月19日に国指定重要文化財に指定されたことを祝し、限定御朱印が授与されています。(いつまでかは不明)

二十八部衆は御本尊・千手観世音菩薩の眷属で、 東西南北と上下に各四部、北東・東南・北西・西南に各一部ずつが配されて、千手観世音菩薩を守護します。
本堂の二十八部衆像のうち二十三体は鎌倉時代の文永五年(1267年)から弘安十一年(1288年)にかけて仏師定快とその一門によって造られ、残り五体は室町時代の永正九年(1512年)、鎌倉仏師弘円による造像とみられています。

朱印尊格:二十八部衆 書置(筆書)
札番:なし
中央に御本尊・千手観世音菩薩の種子「キリーク」の御寶印(蓮華座+宝珠)。「二十八部衆」と種子「キリーク」の揮毫。
右上に奉拝印、左上に「令和重文」の記念印が捺され、左下には寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
お納めは500円ですが、「二十八部衆しおり」(一体)も授与いただけます。

〔 毘沙門天の御朱印 〕

【写真 上(左)】 参道からの本堂
【写真 下(右)】 毘沙門天の御朱印

密寺では、千手観世音菩薩や十一面観世音菩薩の脇侍として、不動明王と毘沙門天を置く例が多くみられますが、こちらもその例です。
こちらの毘沙門天は仏師快勢一門により鎌倉時代に像立されたとみられ、青梅市の有形文化財に指定されています。

朱印尊格:毘沙門天 書置(筆書)
札番:なし
中央に毘沙門天の種子「ベイ」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)と「毘沙門天」の揮毫。
右上に奉拝印、左に寺号と寺院印が捺されています。
本堂脇授与所にて、1、4、7、10月の月限定で書置で授与されているようです。

以上が、本堂に御座すとみられる尊格の御朱印です。

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本堂は舟に例えると舳先ないし艫(船尾)の高みに当たり、ここから舷(舟べり)にあたる部分が尾根となって、艫(船尾)ないし舳先の高みにあたる場所(つつじ山)に御座する「塩船平和観音」に至ります。

尾根に向かわずに船底部分に降りると新護摩堂弘誓閣、本坊、交通安全祈願堂、売店・普門閣などがあります。

真言宗醍醐派系の寺院の多くは山の気が横溢するような一種独特な雰囲気をもち、ここ塩船観音寺も山門から本堂にかけては例外ではありません。
ただ、本堂から新護摩堂弘誓閣にかけては上に開けていくような地形のためか、どことなくあかるいイメージもあります。


【写真 上(左)】 本堂から弘誓閣方向
【写真 下(右)】 招福の鐘からの弘誓閣

【 塩船平和観音 】
当寺開創1350年の記念行事として、平成22年(2010年)に建立された聖観世音菩薩の立像です。つつじの季節には絶好の被写体ともなる有名な観音様です。
本堂から平和観音に向かう尾根上に、安産に霊験あらたかとされる児玉稲荷社、当山鎮守の山王七社権現社、有料で撞ける「招福の鐘」があります。


【写真 上(左)】 児玉稲荷社と山王七社権現社
【写真 下(右)】 招福の鐘

このお寺は船形地形なので風がよわいですが、ここまで来るとかなり風が通ります。
近くまで寄るとかなりの大きさの観音様です。
右手は施無畏印、左手与願印の持物、水瓶は下向きの注がれるかたちで、大慈大悲の功徳の妙薬「甘露水」が無限に注がれるさまをあらわしています。



【写真 上(左)】 塩船平和観音(東国花の寺百ヶ寺霊場)の御朱印
【写真 下(右)】 塩船平和観音の御朱印

〔 塩船平和観音の御朱印 / 東国花の寺百ヶ寺霊場の御朱印 〕
朱印尊格:塩船平和観音 直書(筆書)
札番:東国花の寺百ヶ寺霊場東京第12番
東国花の寺百ヶ寺霊場の御朱印の「塩船平和観音」は、こちらの尊格をあらわす揮毫となります。
中央に「塩船平和観音」の揮毫と花(つつじ)の印、右上に「東国花の寺百ヶ寺」の霊場印、左に山号・寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
弘誓閣横授与所で揮毫授与いただきました。

〔 塩船平和観音の御朱印 〕
東国花の寺百ヶ寺霊場の御朱印ではない、「塩船平和観音の御朱印」も授与されています。
こちらは弘誓閣横授与所にて、2、5、8、11月の月限定で書置で授与され、中央の印が聖観世音菩薩の種子「サ」(蓮華座+火焔宝珠)となり、つつじの花判も入る華やかな印象の御朱印です。

【 新護摩堂弘誓閣 】
本堂から坂を下って開けたところにある護摩堂です。お堂前には不動明王が御座します。
平成10年(1998年)4月に落慶した祈願堂で、正式名は攝受院 護摩堂 弘誓閣。
弘誓とは、菩薩が悟りを開き衆生を救済されようとする決意、誓いを立てることとされます。

寄棟造銅板葺流れ向拝付き。照り屋根で荘厳な印象。向拝まわりの装飾は少ないですが、水引虹梁梁間の紋入蟇股、がっしりとした海老虹梁が目につきます。
向拝内身舎上部に「弘誓閣」の扁額。
身舎柱に「関東八十八ヶ所霊場」「東国花の寺百ヶ寺」の札所板が掲げられていて、こちらが霊場札所であることを示しています。

山内の掲示によると、弘誓閣の御本尊は、かつての本堂御本尊十一面千手観世音菩薩の御前立としてお祀りされていた尊像です。
よって、霊場巡拝の御真言も千手観世音菩薩の「オン バザラ タラマ キリク」です。
堂内西に不動明王、東にお大師様が御座し、東の間には八百比丘尼の尊像が安置されているそうです。


【写真 上(左)】 弘誓閣周辺
【写真 下(右)】 山腹からの弘誓閣

護摩堂(弘誓閣)向かって右(本坊内)に御朱印授与所があり、本堂横の授与所とは異なる御朱印が拝受できます。
(寺院印もこちらのものは山号入りで、本堂脇授与所のものとは異なります。)


【写真 上(左)】 弘誓閣
【写真 下(右)】 千手弘誓閣の御朱印

〔 千手弘誓閣の御朱印 〕
朱印尊格:千手弘誓閣 直書(筆書)
札番:なし
中央に御本尊・千手観世音菩薩の種子「キリーク」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)。
中央に「千手弘誓閣」の揮毫。右上に奉拝印、左に寺号と寺院印が捺されています。

真言密教の護摩堂の御本尊は不動明王が多いのですが、弘誓閣の御本尊は十一面千手観世音で御真言も千手観世音菩薩のものが掲出されています。
弘誓閣の御朱印尊格も「千手観世音菩薩」となっているかと思われます。

「大悲山圓通閣」「大悲山弘誓閣」とともに塩船観音寺を代表する御朱印とみられ、どっしり安定感のある素晴らしい筆致です。
※ 令和2年秋時点で弘誓閣横授与所の通常御朱印は「白玉椿姫」となっており、現在でも「千手弘誓閣」の御朱印をいただけるかは不明です。


【写真 上(左)】 東国花の寺百ヶ寺霊場の札所板
【写真 下(右)】 東国花の寺百ヶ寺霊場の御朱印

〔 大悲山弘誓閣の御朱印 / 東国花の寺百ヶ寺霊場の御朱印 〕
こちらは東国花の寺百ケ寺霊場の御朱印です。
「大悲山弘誓閣」は山号+仏堂の主揮毫だと思われます。

朱印尊格:大悲山弘誓閣 書置(筆書)
札番:東国花の寺百ヶ寺霊場東京第12番
中央に千手観世音菩薩の種子「キリーク」、「大悲山弘誓閣」の揮毫と「つつじ」の花の印判。右上に印刷で霊場名と札番(東国花の寺東京第十二番)、「東国花の寺百ケ寺」の札所印、左に寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
なお、こちらは現在、霊場規定用紙書置きタイプの授与のみと思われます。
本堂脇授与所で授与いただきました。

Web上では東国花の寺百ヶ寺霊場の御朱印で、主揮毫が「大悲山弘誓閣」のものと「塩船平和観音」のものが見つかります。
これは断言できないのですが、「東国花の寺百ヶ寺」で申告した場合、本堂脇授与所では「大悲山弘誓閣」(現在・規定用紙書置)、弘誓閣横授与所では「塩船平和観音」(御朱印帳書入)の御朱印の授与となるような感じがします。

こちらはつつじの名所なので「花の寺」で授与を受ける参詣者が多く、しかも本堂脇授与所は山門寄りに位置する(=入り口に近い)ので、「大悲山弘誓閣」の御朱印拝受の方が多いのではないでしょうか。


【写真 上(左)】 弘誓閣の扁額
【写真 下(右)】 白玉椿姫の御朱印(以前)

〔 白玉椿姫の御朱印(以前) 〕
白玉椿姫は大化年間(645~650年)、当山を開山されたという八百比丘尼様の別名とされます。
八百比丘尼様のお像は弘誓閣内に御座されています。

朱印尊格:白玉椿姫 直書(筆書)
札番:なし
中央に三寶印と「白玉椿姫」の揮毫。右上に奉拝印、左に山号・寺号の揮毫と寺院印が捺されています。


【写真 上(左)】 弘誓閣の向拝
【写真 下(右)】 白玉椿姫の御朱印(現行)

〔 白玉椿姫の御朱印(現行) 〕
「開山八百比丘尼」の印判が追加され、山号・寺号の揮毫が寺号のみになっています。寺院印もかわっています。


【写真 上(左)】 八百比丘尼様の説明
【写真 下(右)】 開山八百比丘尼の御朱印 

〔 開山八百比丘尼の御朱印 〕
朱印尊格:開山八百比丘尼 直書(筆書)
札番:なし
Web上で「開山八百比丘尼」を主揮毫とする御朱印を確認していたので、お訊ねしたところいただけました。印判は「白玉椿姫」と同じものです。
現在、「白玉椿姫」の御朱印に「開山八百比丘尼」の印判が捺されますので、この「開山八百比丘尼」の御朱印は授与されていないかもしれません。

【 薬師堂 】
本堂階段下にあり、青梅市の有形文化財です。
桁行三間梁間二間の寄棟造藁葺。太い丸太の垂木が印象的です。
こちらも阿弥陀堂と同様、天井張りがないので、身舎の規模のわりに内部が広く感じます。

向拝部は桟唐戸上桟連子他入子板ですが、両開きで日中開扉されているので御本尊を直接拝めます。

御本尊として藤原仏とみられる木製の薬師如来立像が御座します。
寺伝によると、かつては脇侍として日光、月光両菩薩がおられたそうですが、いまは遺失しています。
ぼけ封じに霊験あらたかとされるお薬師様で、毎年9月の第二日曜日に薬師如来大祭 ~ぼけ封じ生姜まつり~ が行われます。
今年は9月13日の予定でしたが、新型コロナ感染拡大を受けて中止となっています。
ただし当日、ご縁日(大祭)の御朱印は授与されていました。



【写真 上(左)】 薬師堂の御朱印(平成29年)
【写真 下(右)】 薬師堂の御朱印(令和2年)

〔 薬師堂の御朱印 〕
朱印尊格:瑠璃殿 直書(筆書)
札番:なし
授与御朱印の「瑠璃殿」は、こちらの尊格をあらわす揮毫かと思われます。
中央に薬師如来の種子「バイ」の御寶印(火焔宝珠)と「瑠璃殿」の揮毫。
右上に奉拝印、左に寺号の揮毫と寺院印が捺されています。

薬師如来は薬師瑠璃光如来とも称され、「瑠璃殿」は薬師如来が御座す仏堂を指します。上野・寛永寺の「瑠璃殿」の御朱印は有名です。
この御朱印はWeb上で発見し、本堂脇授与所で薬師如来(薬師堂)の御朱印の有無をお尋ねしたところ、この「瑠璃殿」の御朱印を拝受できました。
令和2年秋現在、月替わり御朱印となっており、本堂脇授与所にて2、5、8、11月の月限定で書置で授与されているようです。
令和2年の御朱印では、奉拝印と寺院印が変わっています。


【写真 上(左)】 薬師如来大祭の案内
【写真 下(右)】 薬師堂(薬師如来大祭)の御朱印

〔 薬師堂(薬師如来大祭)の御朱印(限定) 〕
朱印尊格:瑠璃殿 書置(筆書)
札番:なし
緑紙に金泥奉製で書置のみです。
中央に薬師如来の種子「バイ」の御寶印(火焔宝珠)と「瑠璃殿」の揮毫。
右上に奉拝印、左上に「薬師如来大祭」の印判、左下に寺号の揮毫と寺院印が捺されています。

【 大師堂 】
薬師堂の向かって右手のこぢんまりとしたお堂です。
薬師如来とお大師様が御座され、奥多摩新四国八十八ヶ所霊場の第59番札所となっています。

切妻造妻入り桁行一間。梁に「弘法大師」の扁額、柱に「奥多摩新四國霊場第五十九番」の札所板を掲げています。堂内には御詠歌の掲出もあります。
札番が刻まれた石造台座のうえ、向かって左手にお大師さま、右手に薬師如来。
奥多摩霊場の尊像はかわいい感じのものが多いのですが、こちらのお像もそのようなイメージです。
たくさんのお供えがあり、大切に供養されていることがうかがえます。

奥多摩新四国八十八ヶ所霊場(奥多摩霊場新四国八十八札所)は、奥多摩(東京都西部・埼玉県西南部)地域にある弘法大師を巡拝する88か所の霊場で、昭和九年(1934年)に西多摩郡瑞穂町の武田弥兵衛らを中心とする大師講(東京善心講)によって彫られた88体の大師像および尊格が寺院などに安置され札所となって開創されました。

専用納経帳は昭和46年11月に発行されていますが、現在入手はむずかしくなっているかもしれません。(復刻版があるようです。)
個人宅納経もあるので御朱印帳や書置による授与は困難で、専用納経帳に捺印をいただく(もしくは自分で捺す)という形となります。


【写真 上(左)】 大師堂
【写真 下(右)】 奥多摩新四国八十八ヶ所霊場の札所板


【写真 上(左)】 小さなお堂ですが華やぎがあります
【写真 下(右)】 奥多摩新四国八十八ヶ所霊場の御朱印 

〔 大師堂の御朱印 / 奥多摩新四国八十八ヶ所霊場の御朱印 〕
朱印尊格:弘法大師・薬師如来 専用納経帳に捺印
札番:奥多摩新四国八十八ヶ所霊場第59番
御朱印は冊子版の専用納経帳にいただきました。
上に薬師如来と真如親王様のお大師様の御影。中央に薬師如来の種子「バイ」の御寶印(火焔宝珠)。「本尊 薬師如来」は印刷です。
右上に「奥多摩新四国第五十九番」の札所印、左に寺号(印刷)と寺院印という構成です。

なお、Webでは御朱印帳にいただいたとみられる奥多摩新四国八十八ヶ所霊場第59番の御朱印がみつかりますが、こちらの朱印揮毫も薬師如来となっています。
※現時点では、御朱印帳授与はされていない模様です。


【写真 上(左)】 大師堂の扁額
【写真 下(右)】 お大師さまの御朱印

〔 お大師さまの御朱印 〕
朱印尊格:南無遍照金剛 書置(筆書)
札番:なし
お大師さまの種子「ユ」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)、「南無遍照金剛」(御寶号)の揮毫。右上に奉拝印、左に寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
真言宗ならではのありがたい御朱印です。
弘誓閣横授与所にて3月、6月、9月、12月の月限定で書置で授与されているようです。

なお、お大師さまの種子は弥勒菩薩と同じ「ユ」ですが、これは、お大師さまのご誓願「われ、閉目ののちは兜率天に往生し、弥勒慈尊の御前に仕え、五十億余年ののち、必す慈尊とともに下生せん」(「高野山霊宝館公式Web」より)にちなみ、定められたとされています。
御朱印拝受のための参拝先は、弘誓閣か大師堂のいずれかだと思われますが、いずれにしても御朱印をいただく折には、御寶号「南無大師遍照金剛」のお唱えは必須かと。

■御朱印授与所
上記のとおり、本堂脇と弘誓閣横の二箇所あります。

○ 本堂脇授与所でいただいた御朱印
 1.「大悲山圓通閣」(本堂)/通常御朱印
 2.「千手観世音」(御本尊/関東八十八ヶ所霊場)
 3.「瑠璃殿」(薬師堂)(2月、5月、8月、11月限定)
 4.「本尊 薬師如来」(大師堂/奥多摩新四国八十八ヶ所霊場/専用納経帳に捺印)
 5.「大悲山弘誓閣」(東国花の寺百ヶ寺霊場/規定用紙書置)
 6.「毘沙門天」(1月、4月、7月、10月限定)
 7.「阿弥陀三尊」(3月、6月、9月、12月限定)
 8.「二十八部衆」(国指定重要文化財奉祝御朱印/限定)
 9.「千手観世音」(子年守本尊千手観音御朱印/限定)
 10.「瑠璃殿」(薬師堂)薬師大祭(薬師大祭限定授与)

○ 弘誓閣横授与所でいただいた御朱印
 1.「白玉椿姫」(開山 八百比丘尼様の別名)/通常御朱印
 2.「千手弘誓閣」(弘誓閣) ※ 現在の授与不明
 3.「塩船平和観音」(東国花の寺百ヶ寺霊場)
 4.「開山 八百比丘尼」 ※ 現在の授与不明
 5.「南無遍照金剛」(3月、6月、9月、12月限定)
 6.「明王殿」(不動明王)(1月、4月、7月、10月限定)
 7.「塩船平和観音」(2月、5月、8月、11月限定)

原則、ともに1.の通常御朱印のみ御朱印書き入れ可です。
ただし、令和2年10月上旬時点では、新型コロナ感染拡大対策として通常御朱印も書置対応となっています。

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【 BGM 】
Ebb and Flow (凪のあすから) - LaLa


西風の贈り物 - 志方あきこ


SterCrew - みにゅ

抜群の美声。SterCrewのベストテイクでは? もう歌ってくれないのかな? 歌ってほしい曲がいっぱいある。
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