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■ NHK「SONGS」15周年

NHK「SONGS」の15周年記念特番再放送、録画したやつを視てみました。

後半の構成は崩れてたけど(笑)、流れていた曲は珠玉だった。
さすがに「SONGS」。

■ 五番街のマリーへ - 高橋真梨子

作詞:阿久悠、作曲:都倉俊一。

■ 瞳を閉じて - 荒井由実

地味だけど、荒井由実時代の名曲のひとつ。

■ 人生の扉 - 竹内まりや

説得力ありすぎの竹内まりやヴォイス。

■ 世界でいちばん熱い夏 - プリンセス・プリンセス

これを超えるガールス・バンドはいまだに出ていないかも。

■ 最後のニュース - 井上陽水

1989年10月、バブル崩壊直前に筑紫哲也さんのオファーでつくられたといわれる名曲。
筑紫さんには、この先向かう時代が見えていたのかも・・・。

■ 何度でも/LOVE LOVE LOVE - DREAMS COME TRUE (from DWL2007 Live Ver.)

こういうスケール感あふれる曲を、新曲でききたい。

NHK「SONGS」、4月からゴールデンタイムの放映になるとのこと。
これからも、たくさんの名シーンを生み出してほしい。

■ Clock Strikes - ONE OK ROCK 35xxxv Japan Tour 2015


■ Mirai 未来 - Kalafina

Kalafina。復活して「SONGS」に出てほしい。
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■ 川越の桜と甲州武田氏ゆかりのお寺

本日は午後から川越に行き、4月の寅薬師御開帳につかう御朱印帳を喜多院で仕込んできました。
花曇りで写真はいまいちでしたが、桜はほぼ満開でした。


【写真 上(左)】 喜多院の桜-1
【写真 下(右)】 喜多院の桜-2
喜多院は桜の名所で、それなりに人出はありました。ただ、新型コロナ禍の前に比べるとやはり寂しい感じです。


【写真 上(左)】 三芳野神社の桜
【写真 下(右)】 新河岸川の桜
新河岸川は川越氷川神社下あたりが桜の名所で、桜のトンネルができていました。


新河岸川のそばにある、甲州武田氏ゆかりの寺院にも詣でてきました。

■ 至誠山 成就院 眞行寺
川越市宮元町1-2
真宗大谷派(お東)
御本尊:阿弥陀如来
札所:小江戸川越古寺巡礼第15番
※真宗寺院につき、おそらく御朱印は不授与かと思います。



開基は武田信玄公の妹、眞行尼(八重姫)。
八重姫は戦乱のなかで若くして出家し、甲斐で真言古義の草庵を結んで成就院至誠眞行尼と号されたといいます。
信玄公の正室、三条の方の妹・如春尼は本願寺第11世・顕如上人の正室で、眞行尼はこの縁で一時石山本願寺に入られたとも伝わります。

寺伝(*)によると、甲斐に帰国後も戦乱はやまず、天文二十二年(1553年)眞行尼は戦乱を避け、武田一門の岩崎兵庫、若山主計を伴って上吉田村(東松山の北)に移住。川島虫塚に移られ、永禄二年(1559年)川越に入って草庵を開かれ、天正元年(1573年)至誠山 成就院 眞行寺を創建されました。

眞行尼が甲斐を出られた天文二十二年(1553年)は、晴信公、駿河の今川義元公、相模の北条氏康公の甲相駿三国同盟が結ばれる前年で、信玄公の妹君がこの時期にわざわざ他国の武州に入られた理由については、いろいろな説が展開されているようです。

眞行尼が川越で草庵を結ばれた永禄二年(1559年)は信玄公出家と同年、眞行寺創建の天正元年(1573年)は信玄公逝去の年で、信玄公とのふかいゆかりが感じられます。

天正十年(1582年)、第二世として武田勝頼公の次男靖清(幼名:靖千代、善西大師)が入られ、この時に本願寺末寺になったとされます。
天正十年は天目山の戦いで甲州武田氏が滅亡した年で、勝頼公には出家した男子が伝わるので、こちらが靖清(靖千代)かもしれません。

以来、武田ゆかりの者は川越を中心に街道沿いに落居したとされます。

山内はさほど広くはないですが、基壇の上に入母屋造銅板葺流れ向拝の端正な本堂。
向拝扉と大棟には、黄金色の武田菱(割り菱)が燦然と輝いていました。

*)寺伝:「平成 小江戸川越 古寺巡礼」(百瀬千又氏編纂)より


【 関連記事 】
■ 〔導入編〕武田二十四将ゆかりの寺社と御朱印
■ 埼玉県川越市の札所と御朱印-1(中心エリア)
■ 埼玉県川越市の札所と御朱印-2(周辺エリア)


【 BGM 】
■ ひらひら ひらら - ClariS

よくはわからんが、なにかと話題の多い女子2人組ユニット。
佐久間 誠氏作の流麗なメロに、フェミニンで透明感あるハイトーンが冴えわたる名曲。
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■ 黄金の世代?(カラバトU-18が強い件)

この記事、筆者的にはけっこう渾身の一撃なんですけど(笑)、記事を追加しすぎて核心部がぼけてしまったので、リンクつなぎなおし、若干補強して【抜粋編】をUPしました。
よろしければ、そちらもご覧くださいませ。

2022/03/13 UP

今回で鈴木杏奈ちゃん、U-18卒業でした。
結果は想定外だったけど、声優/アニソンシンガーとしてこれからバリバリ頑張ってほしい。
佐久間彩加ちゃんのリスペクトあふれる選曲と決勝での歌唱、くるものがあった。

でもあのAI機、確かな実力をもってしても、いかんともしがたいところがあるから・・・。

往年のU-18を支えた才能がつぎつぎと去っていって、あらためて寂しさ感じる春の宵。


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2021/07/12 UP

昨日のカラバト、あらためてU-18世代のレベルの高さを実感した。
正確に歌うだけじゃなく、やっぱり聴き手に訴えかける力がある。そしてオリジナリティ。
熊田このはちゃんもそうだけど、「いつまでも聴いていたい、別の曲も聴きたい」と思わせる声そのものの魅力が、この子たちの真骨頂だと思う。

【カラオケバトル公式】堀優衣:三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE「LOVE SONG」/2021.07.11 OA(テレビ未公開部分含むフルバージョン動画)

ちょっとピッチ高めな感じもするが、テクニック的にはほとんど欠点がみあたらない。
こうなると面白味がなくなるケースがあるけど、つやつやの声質がフックになって聴き飽きしない。
このあたりは、もはや新妻聖子に近い部分さえあると思う。

【絶対女王・新妻聖子🎤「白日」歌唱動画】関ジャニ∞のTheモーツァルト音楽王No.1決定戦

葉加瀬太郎氏の反応(4:50~)
葉加瀬太郎氏、「テクニックに走ると(ふつうは)大体つまらなくなるんだよ。だけど・・・」

鈴木杏奈 『ギラギラ』

予想外の得点は、判定機のキャパシティを超えているからでは?

♪♬ 流星群 (2002年2月 鬼束ちひろ) 歌・佐久間彩加

予選の「月光」がよかった。動画みつからないので「流星群」を・・・。
ブレスについてのコメントあったけど、強いブレスから音節後半のビブラートへのつながり(声色の圧)がこの子の歌の魅力では?
「月光」についてはブレスよりも強弱だったかも・・・。でも名演だったと思う。

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2021/03/29 UP

さきほど放映してたカラバト、彩加ちゃんも杏奈ちゃんもあいかわらずレベル高かったけど、
小5のふたり、加藤礼愛ちゃんと宇都宮聖君が面白かった。
この年代も「黄金の世代」かも。

カラオケバトルU-12❗This is Me❗加藤礼愛❗95.531

洋楽は点数出ないのわかったうえで、あえて歌いにいった気がする。
カラオケというよりもはやLIVEで、聴いてて圧倒的に面白い。歌の女神降りてる感じさえあり。
これで95.531って、おそらく判定機が礼愛ちゃんの歌のレベルについていけてない。
Ai感性65点って、この判定機感性低すぎでは?

奇跡の才能? 加藤礼愛ちゃん

カラオケバトルU-12❗Story❗宇都宮聖❗98.365

テク的にはまだこれからだと思うけど、聴き手の心の琴線にふれるなにかを持っている感じがする。

番組の前振りで100点出した出場者いるのわかってたけど、伊沢有香ちゃんの「恋するフォーチュンクッキー」、聴いたとたんにこれが100点だと思った。
選曲も巧かったし、安定感がハンパなかった。

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2021/02/22 UP

さきほど放映のカラオケバトルの「超絶ハーモニー連発・最強デュエット王決定戦!」視てみました。
いや~、いいものをみせていただきました(笑)

個人的には ↓ の4組がダントツだったと思う。

■ Pretender - 北本莉斗 / 加藤礼愛
北本莉斗君も大健闘だったけど、やっぱり加藤礼愛ちゃんがすごすぎ。

1:53~(あるとするのならば~) ハイトーンサイドの裏メロ
2:03~ シャウト&フェイク
3:09~ 低音サイドの裏メロ
縦横無尽の裏メロと、天下一品のフェイク!
これが小学生って、ぜったいありえん。

■ いのちの歌 - 宮本美季 / 翠千賀
どちらもあまりに巧すぎて、一体化しすぎたのか??
翠千賀さんが、もっと暴れたテイクが聴きたかった。点数どうなるかわからんけど(笑)
やっぱりこういう実力派の人たちがいたから、U-18黄金世代があれだけ伸びたのかもしれぬ。

〔 予選 〕
■ life AAA - 佐久間彩加 / 鈴木杏奈

このふたり、初コラボ?? 超面白かった。
アニソン歌手?らしく、杏奈ちゃんがかなりヒーカップかましてる。
ビブラート、19秒、61回のD型(上昇型)。
このふたりはまずほとんどボックスB-2型で、D型はみたことがない。
ビブラートが干渉したのかも・・・。でも不安定感はまったくなし。

■ 蕾 - 堀優衣 / 小豆澤英輝

コメンテーターさんが「これが歌なんだな!」と、ついついベタなセリフかましてしまうほどすごかった!
小豆澤英輝君にハイトーンであれだけ歌われると、女性パート厳しすぎなんだけど、つやっつやの美声でさらにかぶせていく優衣ちゃんの実力おそるべし。
プロでもこれだけのデュエットそうはできないと思う。

〔 決勝 〕
■ ハッピーエンド - 佐久間彩加 / 鈴木杏奈

0:39~ 最後は嘘になって (杏奈ちゃんの中低音)
2:00~ もう離さないで (彩加ちゃんのハイトーン)
杏奈ちゃんがハイトーン、彩加ちゃんが中低音ってパート振られてたけど、↑ 聴くとそんなこと全然ないと思う。

ハモリ部、ふたりの声がはっきり聴き分けできるのに、絶妙にハモってる。
実力に裏付けられたオリジナルな個性が際立っているので、共演してもブレることがない。
それぞれの個性がぶつかって、新しいなにかを生み出しそうな予感ばりばり。

またまたいまごろ言っても詮ないことだけど、一度でいいから「U-18プロジェクト」もやってほしかった。
堀優衣ちゃん、鈴木杏奈ちゃん、佐久間彩加ちゃん、熊田このはちゃん、原藤由衣ちゃんあたりで・・・。

■ 未来予想図 - 小豆澤英樹 /堀優衣

これも文句のつけようなし。
それにしても小豆澤英樹君、本当に巧くなった。
合いそうもない声質だけど、見事なハーモニーかまして優勝。

やっぱり、カラバトU-18黄金の世代の実力、ただものじゃないと思う。

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2021/02/07 UP

【ドライフラワー/優里】11歳JSと14歳JCが歌ってみた!【加藤礼愛/岩口和暖】【オルガン坂生徒会】

やっぱり、カラバトU-18黄金の世代を継ぐのはこの2人かな・・・。

11歳JSと14歳JCがしっかりハモッてる。

最近の女性ユニットって、人数いてもユニゾンばっかりだから(笑)、このハモりは新鮮だった。

■ アレルヤ - Kalafina

やっぱり、美声のハモリは聴き応えあり。
Kalafinaの解散は痛すぎる。

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2021/01/17 UP

さきほど放映のカラオケバトルの「U-18歌うま甲子園 新人王決定戦」視てみました。
冒頭で歌った「U-12プロジェクト」、やっぱり加藤礼愛ちゃん、凄いわ・・・。
それと、櫻井祐音ちゃんの声が綺麗だった。

いまごろ言っても詮ないことだけど、一度でいいから「U-18プロジェクト」もやってほしかった。
堀優衣ちゃん、鈴木杏奈ちゃん、佐久間彩加ちゃん、熊田このはちゃん、原藤由衣ちゃんあたりで・・・。

本選。
北島由唯ちゃん、声量あるし表現力も。2曲とも演歌だったけどPOPS歌ったらどうなるかな~? かなりいけるかも・・・。
伊藤光音ちゃんは、9歳とは思えない個性と声量にびっくり。天才肌で、どこかで大化けするかも。

それと、今回ビブラートボックスA型が多かった気がする。

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2020/12/14 UP

12/13放送のカラバト、やっぱりまたしてもU-18黄金の世代の強さを物語る内容だった。

鈴木杏奈ちゃんの「炎」(homura)

点数はなぜか伸びなかったけど、ハマリの選曲だと思ったし、これまでのベストかと思うくらい情感入ってた。

佐久間彩加ちゃんの「君がいたから」

歌い出しから前半はやや抑え気味のように聴こえたけど、1:32~ 「強く 手を握りしめた」からモードが一気に変わったような感じがする。
(とくに「しめ」の全開ビブラート)
後半~ラストはほとんど「佐久間モード」全開でDIVA状態に・・・。
決勝でこんな超難しい曲選んで、しかも途中で歌い方変えて(?)優勝とは、やっぱりこの子ただものじゃない。

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2020/11/29 更新UP
2020/10/12 UP

先ほど放送していた『番組史上初!視聴者生投票で代表が決まる!<カラオケ世界大会KWC 日本代表決定戦>戦』
個人的に聴いてて面白かったのは、谷川まき子さんと小豆澤英輝君の2人。

谷川さんは、声質、とくに中低音の深みが凄い。ハイトーンも外連味なく歌い上げていて説得力十分。
小豆澤君は、声の個性もさることながらワザに磨きがかかってる。ロングトーンのあとのビブの抜け方なんて、もはや職人ワザ。

判定機は例によってAiタイプ。
視聴者の「いいね」の数が1位の人も別に選出って、どゆこと・・・? と思いました。
だって、この判定機「聴き心地の良さを判定」がウリなんでしょ?
だったら、判定機で1位とった人が必然的に「いいね」の数も1位になるのでは・・・?

結果は予想どおりだった。(「いいね」数審査を入れた意味がわかった(笑))
決勝で、谷川まき子さんも小豆澤英輝君も97点台。優勝者さんは99点に近い高得点。
優勝者さんは、わりとよくある「いい声」だと思うけど、すごく丁寧に歌っていて歌いまわしが安定していた。
きっともの凄い量の練習 or 歌い込みをしていて、ほとんど歌唱にブレがないのだと思う。

前に→この記事でも書いたけど、この判定機は「膨大な歌唱データ」をベースに判定しているそう。
「膨大な歌唱データ」というからには、当然レベルの高いものもあるだろうけど、「ちょっと歌うま」的なデータがボリュームベースになっている筈。
だから、ここから外れるような(ふつうの歌い手はもっていないような)声色については、参照データが少なくAi判定機が十分反応できていないのでは?(=ピックアップミス?、今回は決勝の谷川さんと小豆澤君のテイクがこれに該当するような・・・。)

↑ の想像が今回も裏付けられる結果となった。
視聴者の「いいね」1位、やっぱり谷川まき子さんだった。それだけ聴き手に響く歌声なんだと思う。
(決勝のテイク、あれで97点台はないやね。)
小豆澤君は次ステージに進めずに本当に気の毒。(これも決勝のテイク、97点台はないやね。)
でも、フックのある歌声もってるのでこれからも頑張ってほしい。

それにしても、やっぱり ↓ の「黄金の世代」の歌は凄いとあらためて思う。
小豆澤君だって、この面子のなかでは苦戦に苦戦を重ねてたもんね・・・。

出演者の木下珠子さん(九州大学芸術工学部音響設計学科在籍)が、「(歌は)どんなに頑張っても空気の『波』でしかなくて、その空気の『波』をいかに魅力的にするかは、『波』そのものを学ばないと・・・」というコメント出していたけど、たしかに一理あると思う。

でも、本当に歌の才能に恵まれた人間は、その魅力的な『波』を自然に(ひょっとすると生まれながらにして)持っている感じがします。
そして、それが ↓ この子たちなのだと思う。

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2020/09/07UP

先ほど放送していた『THEカラオケ★バトル<リトルモンスター集結!U-12夏の歌うま頂上決戦> 小学生歌うま日本一決定戦』。

ひさびさにレベル高かったと思う。
とくに ↓このテイク。
■ 加藤礼愛 (11)(小5) / Jupiter (Little Glee Monster)

堂々たる歌いぶり。どんどんうまくなってる!
4:28~ のアドリブ(フェイク)、小5の女の子のパフォーマンスとはとても思えず・・・。
しかし、この内容で97点台って、いったいどゆこと??

あと、この子もいいものもってると思う↓
■ アイノカタチ MISIA 岩口和暖 13歳 カバー


カラバトU-18世代の下の世代のレベルが気になっていたけど、着実に育ってきている気がします。

それと、さっき発見した佐久間彩加ちゃんの名テイク↓
2019年12月15日放送 U-18歌うま甲子園 2019年間チャンピオン決定戦
■ やさしさで溢れるように(JUJU)【佐久間彩加】

1:26~ 雨に打たれても 風に吹かれても
の「も」の歌い分けがタダモノじゃない。
 
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2020/04/11UP

黄金の世代。
今日、ある音楽番組視て、やっぱりそう思った。

この子たちのLIVEにふつうに行っていた日々がすごく昔に感じる。
新型コロナが一日もはやく収束して、また、彼女たちの素晴らしいLIVEが楽しめるように・・・。

“stay home”  出来るかぎりお家にいましょう。
そして、リスクを冒して国民の安全や生活を維持してくださっている方々に感謝を!

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2019/08/20UP

このところのカラバトの点数(99点台がほとんど出ない)、そして先日の杏奈ちゃん&このはちゃんの超ハイレベルなコラボLIVE聴いて、「黄金の世代」説はますます確信に・・・。
動画&構成補強して再UPしてみます。

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2019/04/15UP

4/14放送のカラバト、優勝は逃したけど佐久間彩加ちゃんのパフォが凄かった。
とくに予選の三日月。
あまたの歌自慢を崩壊させつづける超難曲で100点。
けちのつけどころがなかったし、裏加点もバリバリに入ってたと思うので、余裕の100点では?

■ THEカラオケ★バトル U-18歌うま甲子園「佐久間彩加(三日月/絢香)」予選 2019年4月14日 平成最後の頂上決戦!

↑ リンク切れ中

信じられんことに、サビの「cry」や「消え」とかで、しゃくりの直後に高音ビブつけてる。
ふつうここはファルセットでしょう。(というか、彩香はファルセットじゃないけど、凡人はファルセットでしか歌えない。)
で、ファルセット封じてるのかと思いきや、「三日月に」や「届け」は(たぶん)しっかりファルセットだし・・・。

この子、ブレスや共鳴がえらく複雑で、(たぶん)地声とミドルボイスと裏声(ファルセット)とヘッドボイスがころころ入れ替わっている感じがする。
だから一定の発声器に負担が集中せず、つねに余裕かまして歌えるのでは?

まさに声色の魔術師(笑)
こんなの意識して出せるとは思えないから、たぶん天性のものだと思う。だから天才。
というか、そもそもこの子の地声じたいが想像できない、という・・・ (笑) これも天才の故か?

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2019/04/05UP

本日(2019/04/05)放送の「関ジャニ∞のTheモーツァルト 音楽王NO.1決定戦」、面白かった。
とくに新妻聖子と三阪咲ちゃん。
三阪咲ちゃん、この前(3/30)の池袋のLIVEでも感じたけどハイトーンが想像以上に綺麗で、今回もこの高音がよく出ていた。
この子の声、音の密度が濃いと思う。音の塊をぶつけられているようで、元気をもらえる感じかな。
自然体で衒ったところがなく、ファンが多いのもうなづける気がする。
まだまだ伸びる逸材だと思う。

そして、新妻聖子。
出産のブランクもあってか、いささか音程の安定感に欠けた。
でも、声色はむしろ出産前より深みが増して、説得力が凄い。円熟味を増した感。
なんといっても声質が抜群。すこぶる綺麗な声質なのに、パワーを兼ね備えている感じ。

決勝曲の「Never Enough」の後半も凄かったけど、圧巻だったのは準決勝で歌った米津玄師の「Lemon」。
この曲はサビの跳ねるようなリズムがポイントだと思うけど、新妻聖子は対戦相手が歌っているときも、からだを揺らしてひたすらリズムを寄せていた。
文句のつけようのない出来で完璧に「新妻聖子のLemon」にしていた。これは名唱。【 リンク切れ中 】

これで97点台。それはないでしょう。
歌った感想を訊かれて「記憶にない。覚えてない。」
本当にそんな感じの歌いぶりだった。

こういう素晴らしい才能が上の世代にいることは、「黄金の世代?」にとっても財産では?

■ 新妻聖子「To Love You More」(vs 鈴木瑛美子ちゃん)【 リンク切れ中 】
theモーツァルト 新妻聖子 To Love You More

聴き入る瑛美子ちゃんの表情が、この人の歌の凄さを物語っている。(それと、葉加瀬太郎氏の表情も・・・ ^^ )

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2019/03/27UP & 2019/03/07UP

昨日の(2019/03/27)カラバトみて、やっぱり99点台出すことのむずかしさを実感。
そして「黄金の世代?」のレベルの高さを改めて思う。
このあと、録画してとってある昨年11/21のU−18歌うま甲子園 2018頂上決戦みて比べてみたけど、やっぱりこちらの方がレベルが高いような気がする。(プロの方には失礼ながら・・・)

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さっきまで(2019/03/06)、放映されたカラバトみてた。
やっぱり「黄金の世代?」論が裏打ちされた内容だった。
(daisy×daisyが選曲ミス(?)してなければ、たぶん優勝してたと思う。か、りおちゃん(13歳)がPOPS系歌ったら優勝してた可能性も。)

↓ このパフォーマンスで予選落ちしてしまうとは・・・(2018/11/21放送「U−18歌うま甲子園 2018頂上決戦」
カラバトU-18のレベル高すぎ。

■ 熊田このは「Precious」(伊藤由奈)


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「カラオケの点数と『歌のうまさ』は別物」(=機械なんかに”歌心”が判るわけがない)と言い切る人は少なくない。
じつは、わたしもかつてはそう思っていたし、そういう例もたしかにあると思う。

※判定機が、その歌の魅力をこなし切れていないのではないかと思われる例(森恵)↓
(この人のLIVE行ったことあるけど、ホントに凄かった!)
森恵 「そばに」 2008・6・25 吉祥寺路上

これ、素通りできる人の気持ちがわからん(笑)

エモーショナル系のプロが意外に高得点をとれないのは、持ち味のタメやブレスが採点上マイナスに働いてしまう、ということはたしかにある。
それに売れる要素って、歌の力だけじゃないからね。(いまはとくに・・・)

【 100点の常連、新妻聖子 】
100点を出せる地力を持っているから、こういう表現ができる。
■ 島唄


でも、おそらく高い確率で、聴き手の心への響き方と点数は正比例の関係にある。
最近の採点機はとくに感度が上がっているような感じがしていて、「これは!」と感じたテイクにはほぼ例外なく高得点がつく。(操作していないという前提だが・・・(笑))
これは心に響く要素、たとえば声の艶、深み、ゆとり、ゆらぎやうねり(ビブラートやこぶしとは違う)、倍音などを裏加点で的確に拾い上げられるようになったためではないか?

※ 2019/11/17のカラバトで使用されたAI判定機については↑の限りではありません。くわしくはこちらに書いています。

だから、どんなに表チャート(音程・安定性・表現力・リズム・ビブラート&ロングトーン(V&L)の5要素)が正確でも、意外に点数が伸びないケースが増えている感じがある。
(逆にいうと5要素は前提として押さえていないと勝負にならない。→ だから必然的に基礎力が身につく。)

この状況で鍛えられれば、否が応でも歌心(好きな言葉じゃないが、ほかに言葉がみつからない)に磨きがかかる。

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現高校1年~大学2年くらいの世代か? (以前のカラバトU-18の中心世代)
採点機で超ハイスコア獲得できる基礎力のうえで個性を打ち出している。
というか、基礎がしっかりしているから自分の世界を想いのままに描ける。

この若さで、場数もさほど踏んでいないなかで、それぞれがおのおのの持ち味で、音楽のすばらしさを伝えてくれる。

■ 堀優衣 - This Love 2017/03/18 堀優衣ミニライブ

音程もリズムも際立った安定感。メゾピアノ~ピアノのパートでも声の粒立ちを保っているのが凄い。
しかもこれに情感(裏加点要素)が乗ってくるので、100点連打もうなづけるところか・・・。

■ 鈴木杏奈 - 月と月 2016/12/17 新宿SUNFACE

このところ、とくにエモーショナルな歌い回しが目立つのは歌の感性に優れていることの証明。
難曲に飲まれることなく見事に歌いこなしている。

■ 佐久間彩加 - Swallowtail Butterfly~あいのうた~/YEN TOWN BAND(カラバト、2018.9.12 OA)

この子は掛け値なしに天才だと思う。音の扱い方が普通じゃない。
荒れ声を瞬時に力感に昇華するって、中学生のできることじゃない。
それにこの情感の入り方って、いったい何事?

■ 原藤由衣 - 恋に落ちて -falling love-

美声。だけど単なる「歌のお姉さん声」とは一線を画す粒立ち感あふれる声色。
いそうだけど、なかなかいない存在。

■ 三阪咲 - If I Ain't Got You  (2018/12/28 The BAND NIGHT Vol.2 ESAKA MUSE)

声に雰囲気があって、強弱のコントロール&声のまわし方が抜群で、とくにR&Bでいい味出してます。
うひょ~、Alicia Keysですって!!

■ 富金原佑菜 - 流星群 (あべのAステージ 2018/09/17)

声の成分が複雑でなかなかいないタイプ。それと声量のキャパシティ。(ぜったいお腹で支えてる)
すでに自分の世界もっているので曲がはまれば大化けするかも?

■ 熊田このは - 手と手(オリジナル)
te to te"(手と手) by Konoha Kumada.12/30/2019 at The ESAKA MUSE in Osaka/JAPAN.
on 11/3/2019,Konoha released her first original album (Japanese-language)「Konoha」.

比類なきスーパーソプラノ。あふれ出る1/fゆらぎ。
この子の声って絶対セラピー効果あると思う。
1/fゆらぎ?(熊田このは)-9

※佐々木麻衣ちゃんも凄い実力派だけど、昭和ムード歌謡系の独自路線。

↓実力があるので、デュオで展開しても、こういうレベルになります。

■ 三阪咲 × 富金原佑菜 - Y / C&K 2018/09/17 あべのAステージ

これが中学生のLIVE?? ありえん。

■ 原藤由衣 × 熊田このは - さよなら大好きな人(花★花) 2019/02/17 溝ノ口劇場

どちらもハイトーンだけどそれぞれ持ち味や質感がちがう。これがオリジナリティ。

■ 鈴木杏奈 × 熊田このは - いのちの歌(リーフベルコンサート(2017/08/05 栃木県大田原市))

ヒーリング感ばりばり。杏奈ちゃんは”華”、このはちゃんは”艶”かな?

■ 熊田このは × 富金原佑菜 - 打上花火( DAOKO X 米津玄師) 2019/04/29 溝ノ口劇場

ボカロ的楽曲。黄金の世代だから歌いこなせる?

■ 二木蒼生 × 熊田このは - A Whole New World 2020/01/12 溝ノ口劇場

スタンダード曲もこのレベルの仕上がり。

↑の子たち、すべて生で聴いて確認しているので、その実力はまちがいないと思う。

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業界ではすぐに「オリジナリティ、オリジナリティ」って叫ぶけど、結局チャート上位を占めているのは画一化(商業化)されたキンタロー飴ばっかし。
飽きもせず繰り返さえる「勝ちパターン」と「既定路線」。
でもね、オリジナリティって、本来演出するものじゃなくて、きっと才能が自然につくりあげてしまうものだから・・・。

凡庸な才能に「CD並の安定感(のLIVE)」は褒め言葉だけど、この子たちは違う。
この子たちの真価は安定感ではなく(手段ではあるが)、たぶん才能が醸すオリジナリティ。
誰の歌でも、どんな曲でも、魂を吹き込んで自分のものにしてしまう強烈なオリジナリティ。
だから逆に、LIVEで炸裂するオリジナリティをいかにCDに乗せられるかが課題になるのだと思う。

そして、この子たちを才気負けせずプロデュースできる人間はたぶんものすごく少ない。
この類の才能ってきっとすこぶるデリケートで、下手にプロデュースすると折れちゃうかも・・・。

30年間続いた(と思っている)プロモート先行、オーバープロデュースの時代はそろそろ幕を閉じ、「音楽そのもの」で勝負できる(※)時代が戻ってくるかもよ?
(というかすかな思い。期待しないけど・・・)

※こういう動きは、すでに以前からあった。
たとえば「歌声だけで人々の心を歓喜する」というコンセプトで結成された歌うまグループ、Little Glee Monster/リトグリ。
Little Glee Monster 『好きだ。』 Let's Grooooove !!!!! Monster Live on 2017/09/18

でも、上のメンツとリトグリ(彼女たちより少し上の世代)、聴き比べるといろいろ思うところはあるけどね、個人的には・・・。
書かないけど(笑)

現中学2年~高校3年くらいの世代に才能が輩出していることについては、いろいろ思い当たる節があるので、これからおいおい書いていきます。
たとえば、セツナ系とか・・・


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

2019/02/02UP
つづきです。

~ すでにあった「完成」 ~

この世代の誕生年はおおむね2003年前後。あまり意識したことがなかったが、2000年代に入ってからの生まれだ。

●カラオケ
カラオケボックスが一般化したのが1990年代はじめ。通信カラオケは1992年あたりからの普及で、これにより歌える曲数が劇的に増えた。
(それ以前のカラオケは、スナックなどに置かれて演歌やムード歌謡がメインだった。
だからカラオケの愛好層は、いまよりはるかに高い年齢だった。そして、他人の目の前で歌うので度胸が要ったが、そのくせ練習の場はほとんどなかった。)

オリコンのカラオケチャートは1990年代中頃から。
音源もMIDIからPCMに変わり、音質が格段によくなった。
ロードサイドや住宅地への出店も増え、お酒から離れた楽しみ方があたりまえになった。
利用料もリーズナブルになり、すでに2000年以前には「質のよいオケで、幅広い楽曲を、お酒抜きで、しかも低コストで楽しめる」という現在のカラオケ環境はほぼ整っていた。

精密採点(ビブラートやしゃくりなどを採点基準に加える採点)機能が導入された通信カラオケDAM-G100の販売開始は2003年だから、この世代が生まれたときには、現在とあまり変わらないカラオケ環境がすでにほぼ完成していたといえる。

精密採点が導入されたとき、カラオケボックスの普及からすでに10年以上を経過していたので、これは幅広い世代に抵抗なく浸透した。
この世代の子たちが、よく「(両親だけでなく)おじいちゃん(おばあちゃん)にカラオケボックスに連れていってもらって歌っていた。」と語るのは、こういう時代的な背景があるのだと思う。

つまり、この世代は、物心がつくかつかないかの年齢で、すでにカラオケの精密採点と対峙していたことになる。

●音楽シーン
わたしはこの世代の歌のうまさは、ハイトーン、リズムとビブラートの扱いがベースになっていると思っている。

【ハイトーン】
ハイトーン系の歌い手をみると、今井美樹のデビューが1986年、プリプリ(奥居香)の大ブレークが1989年。
小室哲哉は1986年に渡辺美里に「My Revolution」「Teenage walk」を提供し、全盛期は1997年あたり。
この間、観月ありさ、篠原涼子、trf、hitomi、内田有紀、globe、華原朋美、安室奈美恵など「小室ファミリー」といわれるハイトーン系の歌い手たちが一世を風靡した。
広瀬香美も1993~1995年あたりにハイトーンのヒット曲を連発。
個人的に小室流ハイトーン曲の真骨頂だと思っている華原朋美「I'm proud」が1996年、安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」は1997年リリースだから、いわゆる「ハイトーン系」は、遅くとも1997年までには完成されたと思っている。

■ 今井美樹 - 空に近い週末


■ 渡辺美里 - Teenage walk (Live in Seibu '86)

小室哲哉の曲づくりの巧さが際立つ一曲。 

■ プリンセス・プリンセス - 世界でいちばん熱い夏

しかし、凄いグループ&LIVEじゃな。

■ globe - DEPARTURES


■ 華原朋美 - I'm proud


■ SPEED - Body And Soul

ハイトーンといえば、↑このグループも外せない。メンバー全員が小中学生で1stシングルがこの出来って・・・。改めて聴き直してみてびっくり。

【リズム】
あくまでも個人的にだが、J-POP(女性)のリズムに大きな変革をもたらしたのは、安室奈美恵と宇多田ヒカルだと思っている。
「Don't wanna cry」など、安室奈美恵のリズム・コンシャスな曲がブレークしたのは1996年。宇多田ヒカルのメジャー1st.シングル「Automatic」が1998年。
とくに宇多田ヒカルの曲はリズム感がないとすぐさまお経になるので、このようなリズムを自然にこなせる日本の女子の才能を育てた功績は計り知れない。
ともに、ブレークから2000年代初頭までカラオケでも安定して歌われていたので、この2つの希有の才能がもたらしたリズム変革は、おそらく2000年代初頭までには完成していると思われる。
JOYSOUNDヒット曲ランキング_2002年

■ 安室奈美恵 - Don't wanna cry


■ 宇多田ヒカル - Automatic


あとはブレイクビーツかな。
日本のRap系でサンプリングが使い始められたのは1980年代後半で、1990年の普及期を経て、2000年代にはおそらく(少なくとも若い世代には)抵抗なく受け入れられる素地はできていたと思う。
とくに2000年代に入ってからのゲーム曲やボカロ曲には32ビート系の曲がふつうにあるから、この世代は32ビートにまったく抵抗がないと思う。
彼女たちが往年の”グルーヴ感”をどう捉えているかは正直わからないが、32ビートを自由にこなせる、というアドバンテージはたしかに大きいと思う。(”グルーヴ感”をこなせれば、おそらく無敵。この点についてはこちらに書いています。)
Drum'n'Bass/ドラムンベース/32ビート曲の例 ↓


【ビブラート】
ビブラートを意識させるメジャーアーティストでは浜崎あゆみと倖田來未か。
浜崎あゆみのブレークは1999年、倖田來未のブレークは2004年。
浜崎あゆみは独特のハイトーンビブラート、倖田來未は深みのあるビブラートが特長で、これらがないと彼女らの曲は歌いこなせないので、ビブラートの一般化に大きく貢献したのではないか。
いずれにしても、この世代が物心つく前には、「歌うま」の世界ではビブラートは常識となっていた。

■ 浜崎あゆみ - Voyage


■ 倖田來未 - あなただけが


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あらためて年代順に追ってみると、上のほとんどのアーティストが、この世代が生まれる前にデビューまたはブレークしている。
これには愕然とした。

~ その後 ~

個人的には、2000年代以降のJ-POP(女性)は、ハイトーン、リズム、ビブラートの歌技3要素に加えて、「情感」や「共感」の比率が高まってきていると思う。
絢香が独特の情感で一線に躍り出たのが2006年。独自の世界観をもつ鬼束ちひろはすでに2000年のデビュー。奥 華子のメジャーデビューは2005年。藤田麻衣子の人気は2012年くらいから。

■ 絢香 - みんな空の下


■ 藤田麻衣子 - 横顔 ~わたしの知らない桜~


そして、いわゆるセツナ(曲)系のメインストリーム化。→セツナ曲
加藤ミリヤ(メジャーデビュー2005年)、青山テルマ(同2007年)、西野カナ(同2008年)、中村舞子(同2011年)、JUJUのブレークは2009年で、いずれも多くの名曲をもつ。
セツナ系は、hiphop系とのコラボが多いので、ライム、フロウなどのマナーが求められる。
何より、hiphopの上で情感を出すのだから、ハンパな歌唱力ではとても歯が立たない。

■ SPICY CHOCOLATE - あなたと明日も feat. ハジ→ & 宇野実彩子 (AAA) (Vocal Ver.)

こういう曲は、バブル崩壊以前にはたぶんぜったいつくれなかった。
「失われた20年(30年)」がPOPシーンにも大きな影響を与えているのだと思う。

また、ボカロ曲が一般化したのも2008年頃からで、こちらもハイトーン、滑舌や経過(的)転調などがふつうに求められるから、やはりなまなかな歌唱力では太刀打ちできない。(=ボカロ曲を歌う、いわゆる「歌い手」のレベルの高さ)

■ くゆり - なないろの朝(歌ってみた)

ふつう歌えんでしょ、↑こんな曲。

これらの「セツナ曲」や「ボカロ曲」の多くはWeb配信され、YouTubeやニコ動で拡散した。
そして関連検索の精度UPで、好みの曲を見つけられる機会が格段に増えた。(←これ重要)

名曲勝負のユニットELTはすでに1996年のデビュー。希有のメロディメイカー&シンガー、アンジェラ・アキは2005年デビュー。
楽曲のよさに定評のmiwaは2010年頃からメジャー化で、2008年頃からの「セツナ系」人気とあいまって、メロディーに優れた名曲が数多く生み出される。
「アナ雪」の人気や、半崎美子のブレークも、このような名曲(というか情感のあるメロディー)志向の流れからだと思う。

■ アンジェラ・アキ - サクラ色

アンジェラ・アキの曲は、この世代にもよくカバーされている。

並行して、ヒーリング感あふれるアーティスト&楽曲が多く世に出された。
この世代はフェミニンで透明感のある曲のこなしが抜群に巧いが、↑の影響もあると思う。

■ LaLa - ebb and flow(凪のあすからOP)(歌ってみた)


■ 桜川めぐ - drive_qualia


■ 志方あきこ - Erato


■ KOKIA - 孤独な生きもの

KOKIAの曲は難しすぎてなかなかカバーできないけど、聴いただけで影響を受けそうなインパクトがある。

そして、アニソン、ゲーム曲やボカロ曲もさりげにメロディーの宝庫だ。
とくにボカロ曲は32ビートも入ってアクロバティックな難曲揃いだが、原曲がボカロだけに自分なりのオリジナリティをつけやすい。
これも、この世代の歌力UPに効いている可能性がある。

■ 西沢はぐみ - 夏雪 ~summer_snow~

ナイスメロ&リズム、そして癒し系ハイトーン。

■ Kako - Happy Birthday to... 「終わる世界とバースデイ ED 」

ゲーム系でも好メロ&ハイトーン&ビブラート。通りのよい美声だけど、単なる「歌のお姉さん」じゃないよ。

■ 桜ほたる(sara) - ここにあること(歌ってみた)

難音階、難符割り&転調・変拍子の嵐。しかもオーラスにかけての超絶ハイトーン。歌いこなせる人はごくごく限られると思う。
信じられぬが、これは「ここにあること」のかわいいバージョン(笑)

■ Destiny feat.花たん【HoneyWorks】

好メロの宝庫、HoneyWorks(ハニワ)。
中~高校生でリアルタイムにこんな曲聴いたら、やっぱり影響受けると思う。

■ @ゆいこんぬ - bouquet(歌ってみた) 

情感乗りまくったボカロ曲の「歌ってみた」。

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メディア露出が多いのがダンス系なので、一見「ダンス(リズム)曲優位の時代」と思われがちだが、じつは、アイドルグループにも好メロディーの曲は少なくなく、いまは「空前のメロディー志向」の時代だと思う。

↓アイドルグループの好メロ曲の例(乃木坂46)
■ 熊田このは・二木蒼生 - 君の名は希望 / あおいとこのはのスペシャルステージ(2019/01/20)


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つらつらながながと、ごたくをならべたけど、まとめると

1.この世代が生まれる以前に、いまのカラオケ状況は完成していた。
2.この世代が生まれる以前に、いまのJ-POP(女性)絡みの主要ファクターは完成していた。
3.同時代的に「情感」にあふれたメロディー曲を体験して(カラオケで歌って)育っている。
4.YouTubeやニコ動で好みの曲を自由に聴け、しかも関連検索で探せる。
5.その結果、ボカロ曲やゲーム曲など、アクロバティックな難曲に馴染んでいる可能性が高い。

だから、ひょっとするとこの世代には、「音楽の世代(時代)感」というものがほとんどなく、流行り廃りのジャンルやフォーマットにもさして捕らわれることがないのでは?
そして、ほんとうに好きな曲を、カラオケで鍛えられた技量で自由に歌い込める・・・。
選択肢が多いだけに、曲を選択するセンスが求められるし、それを自分なりに解釈できるオリジナリティも育っていく・・・。

でも、改めてこの視点から聴き返してみると、洋楽でも歌のうまさに定評がある人は、やっぱりこれらの要素(ハイトーン、リズム、ビブラート、情感)持っていたもんね。
Whitney Houston - Didn't We Almost Have It All


それと、洋楽の影響もあると思うが、裏拍 ↓のとり方が抜群に巧くなっていると思う。

だからこの世代の子たちは、R&Bやブレイクビーツでも臆せずチャレンジし、なかなかの仕上がりをみせてくれる。
もはや、邦楽、洋楽の括りさえ超越しているのかもしれぬ。
(ジャンル崩壊した洋楽の影響も色濃く受けていると思うが、これはまたの機会に・・・)

「名唱」を生み出す条件が、いまほど整っている時代はこれまでなかったかもしれない。

■ 熊田このは - CAN YOU CELEBRATE? MSP 2018/02/11  ※ 会場機械採点で100点の名唱

「CAN YOU CELEBRATE?」がヒットした1997年には、彼女はまだ生まれていない。

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■ utsuboの音楽遍歴-1 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-2 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-3 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-4 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)
■ utsuboの音楽遍歴-5 (洋楽1983年ピーク説とカラバトU-18黄金世代説をつなぐもの)

■ 1983年洋楽ピーク説
■ グルーヴ&ハイトーン (グルーヴってなに・・・?)
■ 東京五輪のセレモニーソング ~ 日本の歌うま女子の底力 ~


■ 女神系歌姫 (ハイトーンJ-POPの担い手たち)【リニューアル】

■ 熊田このはちゃんのセトリ(&出演記録)
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ミディアムなAOR25曲

2022/03/12 UP

毎度の年度末です(泣)
いい加減仕事に飽きたので、気晴らしに5曲追加してみました。(例によって思いつくままで、なんの脈略もありません。)
春の夕暮れにどうぞ。

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2022/02/25
よく晴れた一日。日も大分ながくなってきました。
週末の夕暮れに、1980年代のアダルトなAORをどうぞ。
リニューアルUPです。

コロナのつぎは紛争。
どちらも一日もはやく収束しますように。

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2020/11/16 UP

今週はほとんどテレワークです。

晩秋のやわらかな日差しもそろそろ傾いて、ちょっと緩い曲を聴きたくなったら出てくる出てくる(笑)
思いつくままにアーティストと曲名ベタ打ち検索すれば、1発ヒットだもんね。
↓ つくるのに30分かかっていない。

AORやACの本質って、こういうグルーブ入ったミディアム曲だと思います。

01.Christopher Cross - Sailing


02.Sneaker - Before You


03.Finis Henderson - Skip To My Lou


04.Bill Champlin - Gotta Get Back To Love


05.Bobby caldwell - Take Me Back To Then


06.Boz Scaggs - Isn't It Time


07.Chris Beckers' Splash - Skyline Filters (original version-1983/remastered-2006)


08.Champaign - How 'Bout Us


09.David Diggs - Love's Inception


10.Evelyn 'Champagne' King - I'm Just Warmin' Up


11.George Benson - Never Too Far to Fall (1983, Warner Bros.)


12.■ Lee Ritenour feat. Eric Tagg - Is It You? (Lyrics)


13.Bill LaBounty - Livin' It Up


14.Marc Jordan - Only Fools


15.Michael McDonald - That's Why


16.Ned Doheny - Funky Love


17.Roby Duke - Time To Stand


18.Amy Keys - Has It Come To This


19.Scott Jarrett - Miles Of Sea


20.Change - Angel (LP Vers.)


21.Pages - Come On Home (1981)


22.Sam Riney - Starting Things Over


23.Shakatak - Easier Said Than Done


24.James Ingram & Patti Austin - How Do You Keep The Music Playing


25.B. B. & Q. Band - The Things We Do In Love
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■ 切なさを帯びた女性ボーカル10曲

声がよくて、声量があって、うたの巧い歌い手さんはたくさんいるけど、どんなに練習しても身につけられないものは厳然としてあると思う。
そのひとつは「声の切なさ」。
テクニック云々以前に、聴き手の心を揺さぶらずにはおかない、もって生まれた声の力。

まったくの個人的感覚ですが、思いつくままに10人10曲リストしてみます。

01.ZARD - 二人の夏

ZARDのコピーやカバーはたくさんあるけど、この声にたどりついた人はおそらく誰もいない。
坂井泉水さんの声の切なさが際立つ名曲。

02.二名敦子 - ホノルル・シティ・ライツ

1983年、再デビューしたシティ・ポップス系のシンガー。
ウェストコースト系のブライトな曲がメインだったが、こういうバラードでは心地よくゆらぐ美声を繰り出していた。ハワイのKeala&Kapono Beamerの名曲のカバー。

03.中村舞子 - Let Go

最初に聴いたときから、声質にただならぬ切なさを感じた。
これほどの才能、もっともっと売れてもいいと思う。

04.凪原涼菜 - 約束 (covered)

バーチャルアーティストだけど、実在のシンガーらしい。
なんというか、聴きすすむほどにじわじわと声質のよさが伝わってくる。

05.熊田このは - 少年時代 (covered)

切なさを帯びているのに、聴き手に力を与える類いまれな美声。
透明感あふれるハイトーンだけど、その魅力の本質は「声の切なさ」にあると思う。

06.倖田來未(Koda Kumi) - あなただけが

スロー曲で聴かせる、ブレスを吹き払うようにかけるビブラートが絶品。
こんな名曲をまた生み出してほしい。

07.藤田麻衣子 - 瞬間

LIVE行ったことないけど、会場総泣きらしい。
声質もそうだけど、つくる曲がエモーショナルすぎる。
意表をつく曲展開。作曲&アレンジの才能は天才的だと思う。

08.愛内里菜 - hands

なかなかバラード歌ってくれないけど、たまに歌うバラードは珠玉。
美声&切なさをあわせもつ逸材。

09.Yuna Ito(伊藤由奈) - Endless Story

これみよがしに歌のうまさをアピールしてくる人じゃないけど、声質や歌いまわしになんともいえないフック感。
バックバンドも超好演の神LIVE。

10.中島美嘉 - 雪の華

「切なさ」といったら、やっぱりこの人、この曲だと思う。
ときがたっても色褪せない神曲。
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■ 小学生歌姫おそるべし!

彼女たち↓ まだ小学生って、いったいどゆこと?
いまの小4~小6くらいも「黄金の世代」かもしれぬ。

■ 佐藤くららちゃん   10才♬『Listen』Beyonce (練習)

逸材。音の掴み方がめちくちゃ巧い。そしてブレスの使い方も。
ゴスペルやってる? どう聴いても日本人の歌い方じゃないわな。

■ 島津心美ちゃん 「誰より好きなのに (古内東子)」2021/07/22 Kokomi 11th Birthday Live 溝ノ口劇場

強弱が効いてて歌いまわしがやたらにエモーショナル。そして歌にスケール感がある。
この子本当に小学生か?

溝ノ口劇場だ。
そのうちにここ、歌姫の聖地になるかも・・・。

■ 加藤礼愛ちゃん  11/25(木)21:00〜フジTV【千鳥クセスゴ】出演💄『HALO』(カトレア.Kato Leia.12yrs) BEYONCE cover

この子の歌声聴いてると、
「最高の楽器は人の生の声」とか「優秀な男性ボーカルが10人束になってかかっても、1人の才能ある女性ボーカルには及ばない」
などという音楽格言が想い浮かんでくる。
なんというか、もって生まれたボーカリストとしての格の高さを感じる。

奇跡の才能? 加藤礼愛ちゃん

■ Genobia Jeter - Take A Look

↑ こんなソウル、日本人には永久に歌えないと思っていたけど。
彼女たちだったらわからん。
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■ 鎌倉市の御朱印-4 (A.朝夷奈口)

■ 鎌倉市の御朱印-3 (A.朝夷奈口)から
■ 鎌倉市の御朱印-5 (A.朝夷奈口)

9.荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)
公式Web
神奈川県神社庁Web
鎌倉市二階堂74
御祭神:菅原道真公
旧社格:村社、旧二階堂村鎮守
元別当:一乗院(真言宗)

古くは荏柄山天満宮とも呼ばれ、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮とともに「三古天神社」と称される名社です。
公式Webの社伝などによると、「長治元年(1104年)、一天俄かにかきくもり、雷雨とともに黒袍の束帯姿の天神画像が天降り、神験をおそれた里人等が降臨の地に社殿を建てその画像を納め祀った」ことが縁起と伝わります。

治承四年(1180年)、大蔵の地に幕府を開いた頼朝公は鬼門に位置する当社を崇敬し社殿を造立。
以後、歴代将軍家をはじめ幕府の尊社として篤く崇敬され、「吾妻鏡」には将軍頼家公が大江広元を奉幣使として派遣し、菅公御神忌三百年祭が盛大に催されたことなどが記されています。

また、建保元年(1212年)、渋河兼守が冤罪を訴え当社に献じた和歌十首が源實朝公の知るところとなり罪を許された逸話は、和歌の徳を語るもの、天神信仰の一端を示すものとして広く知られています。

『新編相模國風土記稿』には「勧請ノ年代ヲ伝ヘス。頼朝初メテ大蔵ノ地ニ舘造営ノ時。当社ヲ以テ鬼門ノ鎮神トス。」「本社中央ニ菅公束帯ノ座像ヲ置キ 右方ニ天拝山祈誓ノ立像。左方ニ本地佛十一面観音ノ像ヲ置ク」とあります。

また、『新編鎌倉志』には「当社は頼朝卿の時より有なり。しかれども祝融の災ひ度々にて、記録不伝、文献微とすべきなし。別当を一乗院と云ふ。真言宗、洛の東寺の末寺なり。(略)天神自画像【大日記】に、長享元年(1487年)、荏柄天神、駿河より還座、自筆の書画とあり。是ならん。」とあり、中世は神仏習合の天神社として信仰を集めたことがうかがわれます。

↑の「荏柄天神、駿河より還座」については、「神奈川県神社庁Web」に記載がありました。
康正元年(1455年)、今川範忠が公方足利成氏を攻めて鎌倉へ入った際、当社の社壇は破られ御神体は駿河へ持ち去られましたが、その後御神体は自ら当社へ戻られたと伝わります。

中世~江戸期には足利、北条、豊臣、徳川各武家の尊崇篤く、維新後の明治6年には村内の熊野社を合祀し二階堂村の鎮守として村社に列格。
学問の神、努力を重ねるものを助ける神として、人々の尊崇を集めて今日に至ります。

境内は国指定史跡、本殿は国指定重要文化財に指定されており、弘長元年(1261年)銘の「木造天神坐像及び木造天神立像」も国重要文化財に指定されるほか、多くの社宝を所蔵します。

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【写真 上(左)】 参道
【写真 下(右)】 社号標

金沢街道大御堂橋あたりに一之鳥居があり、ここから長い参道がはじまります。
途中、2本の松が交差するところに社号標とその先に鳥居。
そこからはもう、境内下の急な参道階段が見えています。
階段上のちょっとかわった様式の門は、不勉強につき名称はわかりません。
門扉に天満宮の神紋「星梅鉢紋」と頭上には「天満宮」の扁額。

門をくぐると正面が朱塗りの拝殿。向かって左に授与所、社務所、かっぱ筆塚、絵筆塚。
右手には手水舎と御輿庫、そして樹齢900年とも伝わる御神木の大銀杏がならびます。



拝殿は入母屋造銅板葺平入りで朱塗りの身舎や斗栱があざやか。
拝殿扉にも「星梅鉢紋」が彫りこまれています。

国の重要文化財の本殿は、拝殿裏手に回り込めないので詳細不明ですが、「文化遺産オンライン」によると、「寛永元年(1624年)の鶴岡八幡宮若宮の社殿造営に伴い若宮の旧本殿を移築して再興されたもの」で、「若宮は正和五年(1315年)再建後維持されていることから、この本殿(の造営)は14世紀に遡る可能性がある」とのこと。

三間社流造銅板葺。「三間社としては大型で,内外ともに細部の意匠も優れ,中世鎌倉における社殿の様式を知る上で欠くことのできない貴重な遺構」とのことです。

御朱印は授与所にて拝受。御朱印帳も頒布されています。

〔 荏柄天神社の御朱印 〕




10.鎌倉宮(かまくらぐう)
公式Web
鎌倉市Web
鎌倉市二階堂154
御祭神:護良親王
旧社格:官幣中社
元別当:

近代社格制度で官幣中社に列格した、すこぶる社格の高い神社です。
一般に官幣社は天皇・皇族を祀るなど朝廷にご縁のある神社が多く列格していますが、こちらも御祭神を大塔宮護良親王とし、明治2年に明治天皇の勅命をうけて創設されています。

護良親王は後醍醐天皇の皇子で、6歳の頃、尊雲法親王として天台宗三門跡の梶井門跡(三千院門跡)に入られました。
幼少より英邁の才をあらわされて衆徒の尊崇を集め、20歳の若さで天台座主に就かれて「大塔宮」と呼ばれ、のちに還俗され「護良親王」となられました。
その優れた機知や武芸については、数々の逸話が伝わります。

元弘元年(1331年)8月、後醍醐天皇が鎌倉幕府討幕の元弘の乱を起こされますが、事前に漏洩し大塔宮は逮捕され死罪が申し渡されました。

その後脱出され、山城国鷲峰山~奈良・般若寺~吉野郡十津川村~吉野と潜伏・転戦、元弘三年(1333年)のはじめ、吉野金峯山城にて千早城の楠木正成と呼応して挙兵されました。

吉野山で二階堂道蘊率いる幕府軍と戦い、劣勢となった護良親王が自害されようとしたとき、村上義光公が身代わりとなり、親王は高野山へ落ちられました。
その後も護良親王は鎌倉が敵であることを示す令旨を撒布され、倒幕をうながされました。

元弘三年(1333年)4月、隠岐島を脱出された後醍醐天皇は船上山で挙兵され、同年5月後醍醐天皇の綸旨に呼応した足利、赤松、千種らの軍勢が京の六波羅探題を攻め落とし、新田義貞は鎌倉を攻めて、ここに鎌倉幕府は倒れました。
 
倒幕後の建武の新政のなか、後醍醐天皇と護良親王は確執を生じ、護良親王は政治の表舞台には立たれませんでした。
その理由についてはいろいろと推測されていますが、ここでは触れません。

護良親王はははやくから足利高氏(尊氏)の野心を見抜かれ、度々高氏(尊氏)を牽制されて、御自らを「将軍宮」と称されました。
後醍醐帝も一旦は護良親王の主張を容れられ、元弘三年(1333年)6月護良親王は征夷大将軍、兵部卿に任ぜられました。

護良親王は征夷大将軍任命後も足利勢への警戒を解かれず、北畠親房・顕家と連携して足利勢に備えました。
一方、後醍醐天皇の側室・阿野廉子は子の義良親王(後の後村上天皇)を帝にするため、護良親王とは一貫して対立関係にあり、足利勢とは利害が一致していました。

護良親王は後醍醐帝に対して帝位簒奪の誤解を釈明され、尊氏追討の勅語を願うも容れられず、ついに征夷大将軍を解かれて、建武元年(1334年)11月鎌倉へ送られ、尊氏の弟直義の監視のもと、二階堂の東光寺内の土牢に幽閉の御身となられたといいます。
(現在の鎌倉宮の社地は、当時は東光寺の山内でした。)

建武二年(1335年)、北条高時の遺児、時行を奉じた中先代の乱が勃発し、勢力を増しました。
前征夷大将軍の護良親王と北条執権高時の遺児・時行が結べば、護良宮将軍と執権・時行の名分が整ってしまうため、これをおそれた直義の命を受けた淵辺義博により襲われ、護良親王は格闘の末にその生涯を閉じられました。
享年は数え28歳と伝わります。

護良親王が予想された通り、その後足利尊氏は勢力を拡大し、朝廷を圧倒して足利(室町)幕府を開くことになりました。

護良親王は、側室である藤原保藤の娘の南御方に弔われたと伝わります。
護良親王と南御方の子は鎌倉の妙法寺を開いた日叡で、父母の菩提を弔いました。
また、護良親王の妹が後醍醐帝の命を受け東慶寺五代目の尼僧として入られ、用堂尼と呼ばれました。
東慶寺には、護良親王の幼名「尊雲法親王」が書かれた位牌が祀られているといいます。
護良親王の公式の墓所は、鎌倉宮から少しはなれた二階堂の理智光寺跡とみられています。

『新編相模國風土記稿』の東光寺蹟の項に「覚園寺南東ノ山麓ニアリテ。醫王山ト号セシ。一宇ノ禅刹ナリ。
蚤 (はや)ク廃シテ。(略)建武二年五月。足利直義。大塔宮ヲ東國ニ下シ。土牢ヲ構ヘテ禁獄セシハ即此所ナリ。淵邊伊賀守義博直義ノ内命ヲ承ケ。爰(ここ)に来タリテ宮ヲ弑ス。」「大塔宮土籠跡 前(東光寺)寺廃跡北方ノ山腹ニアリ。窟中二段ニ穿テリ。是建武二年直義大塔宮ヲ禁獄セシ所ト」とあります。

『新編相模國風土記稿』の理智光寺の項には「護良親王石塔。山上ニアリ。建武二年当寺住僧宮ノ屍ヲ埋葬セシ所ナリ。佛壇ニ碑アリ。没故兵部卿親王尊霊ト記シ。寺伝ニ此位牌始浄光明寺ノ慈恩院ニアリシヲ。当寺ニアルヘキモノナリトテ。慈恩院ヨリ送レリト云フ。」とあります。

また、『新編鎌倉志』には「大塔宮の土籠は、覚園寺の南東、二階堂村山の麓に有。(略)【太平記】に、建武元年5月3日、大塔宮を、足利直義うけ取、鎌倉ヘ下し奉て、二階堂谷に土籠を塗てぞ置参せける。後に●起に及て直義、淵邊伊賀守義博直義に命じて云、始終●とならせらるべきは、兵部卿親王也。御邊は急ぎ薬師谷馳帰て、宮を刺殺し●せよと下知せられければ、義博畏て承候とて建武二年七月二十三日に弑し奉る。(略)理致光院の長老、葬禮の事営むとあり。則ち此所なり。石塔は理智光寺の山上にあり。」とあります。

護良親王には、雛鶴姫という寵姫がおられたと伝わります。
雛鶴姫についてはいろいろな説があり、都留市資料では「北畠親房の娘」とされています。
雛鶴姫は護良親王の首級を奉じて京(十津川村とも)に向かう途中、山梨県上野原市無生野で哀しい最後を遂げられたという伝承があります。

冨士山下宮小室浅間神社にも護良親王所縁の伝承があり、郡内~富士五湖地方には親王所縁の史跡や神社がいくつか存在します。
山梨県上野原市無生野の「無生野の大念仏」は、護良親王と雛鶴姫を追善供養するために始まったと伝えられています。

なお、「大塔宮」の読みですが、鎌倉宮では「おおとうのみや」としているようですが、地元の通称は「だいとうのみや」のようです。

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(以下「左」「右」はすべて「本殿に向かって左・右」を示します。)


【写真 上(左)】 社頭
【写真 下(右)】 露天

金沢街道「岐れ道」交差点から北東に入る道の正面に御鎮座です。
この道は鎌倉宮社頭に向けて一直線に伸び、さながら参道のようです。

大がかりな鳥居を構える堂々たる社頭は、さすがに官幣中社の風格。
鳥居はおそらく外宮宗鳥居系で、貫の突き抜けがなく、柱の転び(傾斜)もほとんどなく、笠木は反増。
笠木・島木ともに両端が斜下となる襷墨(たすきずみ)で、島木に花菱紋らしき紋所を3つ置いています。

特徴的なのは鳥居の色で、笠木のみ朱であとは白色です。
Webでひいたところ、社務所で質問された奇特な方がおられました。(→ こちらの記事(ブログ「歩きましょ」様)
こちらの記事によると「赤は『赤誠』(せきせい)といって、『誠』を表し、白は『純粋』を表している」(以上引用)とのことです。
また、このブログには「岐れ道」からの直線道について「明治天皇が行幸するために作られ、ぴったり400mとのこと。」という貴重な情報も載せられていました。
Web情報おそるべし。

鳥居前右に「官幣中社鎌倉宮」の社号標と灯籠一対。鳥居の先の境内には玉垣がめぐらされ、鳥居傍の河津桜はかなり有名なようです。

こちらは鎌倉にはめずらしく広い駐車場があります。
大型バスも停められ、歴史的にも重要な名社なので、秋など修学旅行生がたくさん入り込みます。

参道はゆるい左カーブを描き、階段先右手に立派な手水舎。
そこからさらに階段をのぼって社頭の鳥居と同系の鳥居があります。
社域の左右と社殿の背後に整った社叢を配し、おごそかな境内。

 
【写真 上(左)】 手水舎
【写真 下(右)】 手水舎から鳥居

手水舎の右手には、厄を落とす「厄割り石」があります。
境内のあちこちに、護良親王が兜のなかに忍ばせ御身の無事を祈られた「獅子頭守」が飾られています。

手水舎のそばには、護良親王の弟宮、征西大将軍懐良親王が「筑後川の戦い」(正平十四年(1359年))に勝利された際、両軍の犠牲者への手向けとしてお手植えされ、のちに九州から移植された「将軍梅」が植えられています。


【写真 上(左)】 将軍梅-1
【写真 下(右)】 将軍梅-2

拝殿はおそらく入母屋造銅板葺妻入で向拝を付設、身舎はなく柱のみで向拝から相の間と本殿を拝せます。
拝殿は舞台のようで舞殿を兼ねているのかもしれません。
(ちなみに秋に催される有名な薪能(たきぎのう)では、別に舞台が設けられるようです。)


【写真 上(左)】 拝殿
【写真 下(右)】 本殿

本殿は銅板葺神明造の堂々たる社殿。棟には千木、鰹木を置いています。

拝殿右手が拝観受付で、入場すると土牢、宝物殿、御神苑などを拝観できますが、今後は社務所(授与所)が拝観受付になるかもしれません。


【写真 上(左)】 宝物殿
【写真 下(右)】 南方社と本殿


【写真 上(左)】 南方社遙拝所から土牢への道
【写真 下(右)】 土牢

拝殿右手おくに村上社が御鎮座。拝殿左手には南方社が御鎮座で、こちらはつぎにご案内します。
有料拝観ゾーンには土牢や宝物殿などがあり、護良親王所縁の史跡や宝物などを拝観できます。

御朱印は境内右手の授与所にて拝受しました。
こちらは月替わり御朱印を授与され、書置御朱印の紙質にもこだわられるなど御朱印授与に積極的です。
授与所のご対応もとても親切です。

通常御朱印はすべて両面見開きで、現在下記3パターンとなっているようです。
番号つきの見本があるので、お願いしやすいです。

1.鎌倉宮と南方社・村上社

右に「鎌倉宮」の揮毫と社印、左に「大塔宮鎌倉宮」・「摂社村上社」・「摂社南方社」の印判の御朱印。

2.南方社と村上社

鎌倉宮拝殿の向かって左右のおくに御鎮座の二社の御朱印です。
こちらの二社については、つぎでご紹介しています。

3.明治大帝と神鹿さん

かつて鎌倉宮では鹿が「神鹿」(しんろく)として飼われていたそうで、3頭の剥製が参拝者無料休憩所に残っています。
社務所前広場の紅葉の枝などにも神鹿さんのフィギュアがいます。

「明治大帝」(明治天皇)と「神鹿」の御朱印がセットとなっている理由はわかりませんが、明治天皇の勅命により創設という由緒からの授与かと思います。
明治天皇は官幣大社で勅祭社でもある明治神宮の御祭神ですから、当然このセット御朱印の主尊格は「明治大帝」ということになるのかと。


【写真 上(左)】 神鹿さん-1
【写真 下(右)】 神鹿さん-2


【写真 上(左)】 授与所前の紅葉
【写真 下(右)】 獅子頭守


11.南方社・村上社
鎌倉市二階堂154
御祭神:持明院南御方(南方社)・村上義日(義光)公(村上社)
旧社格:鎌倉宮境内社(摂社)

【南方社】(みなみのかたしゃ)
鎌倉宮の摂社で、鎌倉宮拝殿向かって左手おくの玉垣内に御鎮座です。
護良親王は、側室である藤原保藤の娘の南御方に弔われたと伝わります。
護良親王と南御方の子は鎌倉の妙法寺を開かれた日叡で、父母の菩提を弔いました。

南御方については史料が少ないようですが、いただいた由緒書によると、持明院藤原保藤卿の息女で「新按察使典待(しんあぜちのすけ)」と呼ばれ、鎌倉では常に親王の側にあって身の回りの世話をされながら、親王のお気持ちをなぐさめられたとの由。

由緒書には「別名の『鶴舞姫』にもちなみ」とあり、南御方と鶴舞姫を同一人物とされています。

また、境内掲示の由緒書には「親王のご最期にあたっては、理智光寺の長老と共に、丁寧に弔いをされました後、上洛し後醍醐天皇へ親王のご最期の仔細を報告されました。」とあります。

鎌倉宮では3月3日に「南方祭」を斉行しています。

なお、静岡県駿東郡清水町長沢の智方神社の御祭神は護良親王で、南御方所縁の神社でもあるようです。

鎌倉宮本殿よこの玉垣内に御鎮座なので、有料拝観ゾーン内の玉垣外遙拝所からの遙拝となります。
銅板葺神明造の端正な社殿です。



【写真 上(左)】 南方社遙拝所
【写真 下(右)】 南方社社殿


【村上社】(むらかみしゃ)
村上義光公は村上義日ともいい、出自は信濃源氏村上氏の流れとされ大塔宮護良親王に仕え、元弘の乱の吉野城の戦いで親王の身代わりとなり壮絶な討死を遂げられました。
左馬権頭。明治時代に従三位を追贈。

元弘三年(1333年)、二階堂勢六万の攻撃を受けて護良親王軍が拠る吉野城が落城した際、義光公とその次男の義隆は力闘ののち討死しました。

その奮戦ぶりが境内由緒書に記されているので引用します。
「村上義満公は、護良親王の忠臣にして元弘三年(1333年)正月吉野城落城の折、最早これまでと覚悟を決めた護良親王は別れの酒宴をされました。そこへ村上義光公が鎧に十六本もの矢を突き立てた凄まじい姿で駆けつけ、親王の錦の御鎧直垂をお脱ぎいただき自分が着用して『天照大御神の子孫、神武天皇より九十五代の後醍醐天皇の皇子兵部卿親王護良、逆臣の為に只今自害する有様を見て、汝らが武運尽きて腹を切らんとする時の手本とせよ』と告げて腹を一文字に掻き切り、壮絶な最期をとげ、その間に親王は、南に向かって落ちのびました。」

義光公の子の義隆も共に討ち死にを覚悟しましたが、義光公はこれを止め親王を守るよう言いつけました。
その後、義隆は親王を落ち延びさせるべく奮闘し、満身創痍となって力尽き自害したと伝わります。

村上義光公の墓と伝わる宝篋印塔が吉野蔵王堂の北西にあります。
大和高取藩士内藤景文が天明三年(1783年)に建てたとされる「村上義光忠烈碑」も同所にあります。

村上社は、厄除・病気平癒の神様として「身代りさま」と呼ばれて尊崇を集めています。
鎌倉宮拝殿の右手に御鎮座。拝殿手前には義光公のお像が御座します。
社殿は銅板葺で、おそらく神明造と思われます。



【写真 上(左)】 村上社-1
【写真 下(右)】 村上社-2

南方社と村上社の御朱印はセットで、鎌倉宮境内授与所で授与されています。




12.錦屏山 瑞泉寺(ずいせんじ)
公式Web
東国花の寺 百ヶ寺公式Web
鎌倉市観光協会Web
鎌倉市二階堂710
臨済宗円覚寺派
御本尊:釋迦牟尼佛
札所:鎌倉三十三観音霊場第6番、鎌倉二十四地蔵霊場第7番、円覚寺百観音霊場第9番、東国花の寺百ヶ寺霊場第96番

鎌倉宮の右脇の道を山の方に分け入ったあたりは紅葉ヶ谷(もみじがやつ)と呼ばれる谷戸で、中世いくつかの寺院がおかれました。
永福寺、理智光寺、瑞泉寺などで、もっともおくにある瑞泉寺は夢窓国師の名跡をいまに伝える古刹です。

嘉暦二年(1327年)、鎌倉幕府の幕臣、二階堂道蘊が夢窓疎石を開山として創建、当初は瑞泉院と号しました。
足利尊氏の四男、初代鎌倉公方・足利基氏が夢窓疎石に帰依して中興、寺号を瑞泉寺と改め、以後、鎌倉公方足利家の菩提寺となりました。

夢窓疎石(国師)は鎌倉時代末から南北朝時代の臨済宗の名僧で、その法統は複雑なのでここでは触れませんが、後醍醐帝から尊崇を受け「夢窓国師」の国師号を下賜、以降、七つの国師号を授与されて後世「七朝帝師」と称えられました。

足利尊氏・直義兄弟も深く帰依して『夢中問答集』などの共著を遺され、尊氏からは「仁山」、直義からは「古山」の法号を贈られました。

優れた作庭家としても名を遺され、禅庭・枯山水の完成者として知られています。
さらに、五山文学の詩人で、和歌でも勅撰和歌集に入集するなど、文学史上にも名跡を残した当代一流の文化人として、その名声はいまにつづきます。
(鎌倉時代末期から室町時代、禅刹では漢詩文学が栄えて「五山文学」と呼ばれましたが、鎌倉における拠点のひとつが瑞泉寺とされています。)

『新編相模國風土記稿』の瑞泉寺項に「圓覚寺塔頭に属ス。関東十刹ノ内第二ナリ。嘉暦二年起立ス。開山は疎石。(略)(足利)基氏逝シテ当山に葬ル。(略)天正十九年(1591年)以来。圓覚寺領ノ内ヲ配当アリ。当寺住持職ハ圓覚寺西堂ノ僧ヲモテ補セラル。(略)本尊釋迦ヲ安ス。座像七寸許。本堂ニハ当時(足利)氏満筆。大雄寶殿ノ四字ヲ扁セシト云フ。今ハ亡セリ。(略)開山堂 中央ニ開山無窓。千手観音(古昔客殿ニ 是客殿ノ本尊ナルヘシ。)右ニ基氏。左に氏満等ノ木像ヲ置ク。今堂宇破壊セシカハ此諸像ヲ本堂中ニ●置ス。座禅堂。辨天社。鐘楼。塔頭廃跡。」
「遍界一覧亭跡 本堂北方ノ高山ヲ云フ。頂上ニ亭跡アリ。嘉暦三年ノ建立ナリ。夢窓国師此亭ニシテ詩ヲ賦シ又歌ヲ詠セリ。基氏此亭ニテ櫻花紅葉等ヲ翫テ詩ヲ賦シ。又五山ノ僧徒等カ亭席ニテノ詩文書許多アリ。(略)元禄ノ頃。水戸光圀卿ヨリ。山上ニ一堂ヲ建立アリテ千手観音ヲ安ス。」

また、『新編鎌倉志』には「関東十刹の内なり。源基氏の建立なり(略)開山は、夢窓国師、本尊は釋迦(作者不知)」とあります。

『新編鎌倉志』は徳川光圀公の編纂とされ、光圀公は「遍界一覧亭」を再建されたとも伝わります。

瑞泉寺は、康暦年間(1379-1381年)に準十刹第三位、至徳四年(1387年)には関東十刹に列せられた名刹です。

関東十刹(じっせつ)とは五山制度に基づく臨済宗の寺格で、五山に次ぎ、諸山の上に位置します。
時代により変遷し、その総数は中世末までに60に達したとみられています。
『禅宗寺院の官寺機構』(今枝愛真氏著/PDF)によると、康暦二年(1380年)、足利義満公は十刹および準十刹の16ヶ寺を定めています。

〔十刹〕
・等持寺(等持院) 京都市北区 天龍寺派 足利氏菩提寺
・禅興寺 鎌倉市山ノ内/廃寺 臨済宗 執権北条時頼私邸の最明寺を再興
・聖福寺 福岡市博多区 妙心寺派 「扶桑最初禅窟」
・東勝寺 鎌倉/廃寺 臨済宗 北条氏菩提寺
・(鎌倉)万寿寺 鎌倉/廃寺 臨済宗 北条貞時の創建
・長楽寺 群馬県太田市 天台宗 世良田義季(得川義季)の創建
・真如寺 京都市北区 相国寺派 開山は無学祖元
・北禅寺(山城国安国寺) 京都市四条大宮 臨済宗 足利直義の開基
・(豊後)万寿寺 大分市 妙心寺派 開山は直翁智侃和尚(足利泰氏の子)
・清見寺 静岡市清水区 妙心寺派

〔準十刹〕
・臨川寺 京都市右京区 天龍寺派 開山は夢窓疎石
・寶幢寺 京都市嵯峨北堀町/廃寺 臨済宗 足利義満の開基
・瑞泉寺 鎌倉市二階堂 円覚寺派 開山は夢窓疎石
・普門寺 京都市東山区/廃寺 臨済宗
・寶林寺 兵庫県上郡町 真言宗 赤松則祐の開基
・国清寺 静岡県伊豆の国市韮山町 円覚寺派 上杉憲顕の開基

瑞泉寺は鎌倉公方の菩提寺、夢窓派禅林の拠点として栄えましたが、第五代鎌倉公方足利成氏の代、永享十一年(1439年)の永享の乱により鎌倉公方が廃止(以降、古河公方として存続)されるとともに寺勢は衰え、夢窓派禅林の拠点も円覚寺黄梅院に移りました。

江戸時代に入ると徳川家のもとで復興が始まり、元禄二年(1689年)には水戸光圀公により堂宇が再建されています。

鎌倉三十三観音霊場第6番、鎌倉二十四地蔵霊場第7番、東国花の寺百ヶ寺霊場第96番、円覚寺百観音霊場第9番の4つの現役霊場の札所を兼ね、歴史の香り高い花の寺ということもあって、多くの拝観客を集めています。

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瑞泉寺には数台の駐車スペースはありますが、アクセス道が狭いのと、鎌倉宮あたりからの道行きは見どころも多いので、徒歩でのアクセスをおすすめします。


【写真 上(左)】 アプローチの標識
【写真 下(右)】 永福寺跡

鎌倉宮の社頭前をクランクして、二階堂川の谷沿いを山手に歩いていきます。
右手に折れて理智光寺橋をわたると、理智光寺跡で護良親王の墓所があります。

左手は源頼朝公建立の永福寺跡。
奥州攻めで亡くなった武将等の鎮魂のため平泉の中尊寺二階大堂などを模して建立され、建久五年(1194年)に二階堂・薬師堂・阿弥陀堂の三堂が完成し、鎌倉幕府から手厚く保護されましたが、応永十二年(1405年)に焼失し、以後は再建されませんでした。
史跡に指定され発掘調査が行われて、現在旧山内の一部が一般公開されています。

瑞泉寺の創建は嘉暦二年(1327年)なので、創建時には永福寺は現存していたことになります。


【写真 上(左)】 通玄橋
【写真 下(右)】 総門手前の参道

まっすぐ進むとすぐに通仙橋。
二階堂川はここから左手に折れて北方に向かいますが、瑞泉寺への道は通仙橋を渡ってまっすぐです。
通仙橋の先で道は狭まり、左手に寺号標が建っています。


【写真 上(左)】 総門
【写真 下(右)】 総門の寺号標

その先には総門。切妻屋根の四脚門で、本瓦葺はさすがに名刹の風格。
その先は道が広くなって、すぐに拝観受付です。


【写真 上(左)】 拝観受付
【写真 下(右)】 左手が梅林

瑞泉寺は100本以上もの梅が咲く梅の寺で、拝観受付先の左手は梅林となっています。
梅林を過ぎると参道階段のはじまりです。


【写真 上(左)】 階段登り口
【写真 下(右)】 参道階段

「史跡瑞泉寺境内 名勝瑞泉寺庭園」「夢窓国師古道場」の石碑、うっそうと茂る木々、苔むした階段など、俄然雰囲気が出てきます。

すこしくのぼると分岐があり、左手が急階段、右手は緩い階段となっています。
左手がいわゆる「男坂」、右手が「女坂」かと思われ、ふたつの階段は山門前で合流します。


【写真 上(左)】 吉田松陰先生碑
【写真 下(右)】 山門手前

山門左手前には吉田松陰留跡碑があります。
瑞泉寺は文学の寺でもあり、山崎方代、吉野秀雄、久保田万太郎、高浜虚子、大宅壮一などの歌碑・句碑・評論碑などが山内各所に置かれています。


【写真 上(左)】 山門
【写真 下(右)】 山内図

山門は切妻屋根本瓦葺の薬医門ないし四脚門で、左右に塀をまわしています。


【写真 上(左)】 山門先から山内
【写真 下(右)】 左手に鐘楼


【写真 上(左)】 茶室と庫裡
【写真 下(右)】 茶室の円窓

山門をくぐると一挙に視界が開けます。
右手に庫裡と、おそらくは書院、客殿。手前の円窓を配した瀟洒な建物は、茶室・保寿庵(非公開)と思われます。


【写真 上(左)】 山内-1
【写真 下(右)】 庫裡

その左奥の楼閣は本堂。背後の小高い山(錦屏山)のうえに徧界一覧亭が望めます。
よく手入れされた趣きある庭園で、本堂向かって左手は梅林となっています。


【写真 上(左)】 山内-2
【写真 下(右)】 徧界一覧亭の屋根

「瑞泉寺境内」として、国の史跡に指定されています。
ほとんどの堂宇や建物は大正以降の再建ないし、ほかからの移築とみられますがいずれも趣きがあります。
瑞泉寺は古来「瑞泉蘭若」と称されました。自身が気に入って住まう庵、というほどの意味だそうです。


【写真 上(左)】 紫陽花
【写真 下(右)】 紅葉ヶ谷の紅葉

瑞泉寺は花の寺で、早春の梅のほか、春のミツマタ・藤、夏の紫陽花、桔梗、秋の冬櫻、紅葉、冬の水仙、椿など、四季おりおりの花を楽しむことができます。


【写真 上(左)】 本堂(大雄寶殿)-1
【写真 下(右)】 本堂(大雄寶殿)-2

本堂(佛殿)は、「大雄寶殿」(だいゆうほうでん)と称します。
大雄寶殿(だいゆう(だいおう)ほうでん)とは、主に禅宗寺院で金堂、本堂に相当する建物の称号です。

「大雄」とは釈尊のことで、ふつう御本尊が釈迦無尼仏(釈迦如来)の場合に使われます。
とくに黄檗宗でよく使われ、黄檗宗寺院では「大雄寶殿」の御朱印を授与されるところが少なくありません。
瑞泉寺の御本尊の御朱印も「大雄寶殿」の揮毫で授与されます。


【写真 上(左)】 本堂向拝
【写真 下(右)】 本堂前掲示

すこしく話が逸れますが、御朱印には閣号や殿号が揮毫されることがよくあります。
その多くは、尊格の御座す堂宇をあらわすもので、閣(殿)号はそのまま尊格に結びつきます。
たとえば、無量寿(光)殿-阿弥陀如来、瑠璃殿-薬師如来、大悲殿(閣)-観世音菩薩、圓通閣(殿)-観世音菩薩、大光普照殿-十一面観世音菩薩、阿遮羅殿-不動明王などで、大雄寶殿も大雄=釈尊なのでこの系統です。

本堂(大雄寶殿)は銅板葺二層の楼閣建築(高楼)で、上層は露盤に宝珠を置いた宝形造と思われます。

向拝柱はなく、古色を帯びた桟唐戸。
小壁の連子と端部を垂直に切り落とした花頭窓が直線的に呼応して、すこぶる端正なイメージの身舎まわりです。
桟唐戸おくの格子戸が少し開かれ、堂内諸尊をうかがうことができます。

本堂前の掲示によると、堂内中央に御本尊の釋迦牟尼佛、向かって左に阿弥陀如来と千手観世音菩薩、右には開山夢想国師の坐像が奉安されています。

千手観世音菩薩は「水戸黄門様奉安」とあり、『新編相模國風土記稿』には「遍界一覧亭跡 元禄ノ頃。水戸光圀卿ヨリ。山上ニ一堂ヲ建立アリテ千手観音ヲ安ス。」とあるので、もとは徧界一覧亭に奉安されていた尊像とみられます。
こちらは鎌倉市指定有形文化財です。
ふたつの観音霊場の札所本尊で、尊像の左手には「大本山円覚寺百観音霊場第九番札所」の札所板が掲げられています。

木造夢窓国師坐像は、南北朝期の頂相彫刻(禅師の肖像彫刻)の秀作として国の重要文化財に指定されています。


【写真 上(左)】 斜め左からの本堂
【写真 下(右)】 本堂から地蔵堂

本堂(大雄寶殿)を右手に回り込んだおくのお堂はおそらく地蔵堂。
「どこもく地蔵尊」が奉安され、鎌倉二十四地蔵霊場第7番の札所となっています。
桟瓦葺宝形造の均整のとれたお堂で、向拝桟唐戸が開かれているのでお地蔵さまを拝めます。


【写真 上(左)】 地蔵堂-1
【写真 下(右)】 地蔵堂-2

堂前に札所板&説明板が掲げられていました。
むかし扇ガ谷の辻にお地蔵様が御座し、こちらの堂守が貧窮して逃亡を図ったところ夢にこちらの地蔵尊があらわれ「どこも どこも」と宣いました。堂守が八幡宮寺の僧にこの意味を問うたところ「これ、どこも苦なり」(人生はどこに逃げ出しても苦労はついてまわるもの)と諭され、堂守は改心して一生堂守として地蔵尊を守り通したといいます。
立像の地蔵尊で、堂内には諸佛が奉安されています。


【写真 上(左)】 庭園-1
【写真 下(右)】 庭園-2

地蔵堂の右手、本堂の裏手が国名勝の「瑞泉寺庭園」です。
夢窓疎石の築とされる岩盤を掘り込んで作られた禅宗様庭園で、(方丈)書院庭園の起源ともみられています。
また、鎌倉にのこる鎌倉時代の唯一の庭園とされています。

この庭園をみたとき、やや粗削りな、というかどこかとりとめのない印象を受けました。
復興庭園ということもあるのでしょうが、どうやらその理由は作庭の意図にありそうです。

公式Webには「北隅の岩盤の正面に大きな洞(天女洞)を彫って水月観の道場となし、東側には坐禅のための窟(坐禅窟・葆光窟)を穿ちました。天女洞の前には池を掘って貯清池と名づけ、池の中央は掘り残して島となしました。水流を東側に辿れば滝壺に水分け石があり、垂直の岩壁は滝、その上方をさらに辿れば貯水槽があって天水を蓄え、要に応じて水を落とせば坐雨観泉となるしつらえ」とあります。

つまり、道場としての庭園であり、(手前(堂宇側)から鑑賞するのではなく)座禅を組む洞側からの景色をふまえて作庭されているようなのです。
この点は、公式Webの天女洞からの景色の写真をみるとよくわかります。


【写真 上(左)】 庭園-3
【写真 下(右)】 庭園-4

本堂の背後、錦屏山の山上にある徧界一覧亭(昭和10年再建)への道は整っているようですが、現在は非公開。
亭からの眺望は、相模湾を池と見立てる壮大なものといわれます。

中興開基・足利基氏の御廟は、本堂右手おくの高みにあるようです。

御朱印は庫裡にて拝受できます。
すこぶるご親切なご対応で、頭が下がります。

こちらの札所は、鎌倉三十三観音霊場第6番、鎌倉二十四地蔵霊場第7番、円覚寺百観音霊場第9番、東国花の寺百ヶ寺霊場第96番の4つ。
別に御本尊(大雄寶殿)の御朱印を授与されているので、御朱印は5種となります。
無申告の場合、おそらく御本尊「大雄寶殿」の授与になるかと思います。

〔 御本尊・大雄寶殿の御朱印 〕


本堂(大雄寶殿)に御座す釋迦牟尼佛です。
本堂内には「大雄寶殿」の扁額が掲げられています。

鎌倉三十三観音霊場第6番の札所本尊は、本堂(大雄寶殿)に御座す千手観世音菩薩です。

〔 鎌倉三十三観音霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 御朱印帳書入
【写真 下(右)】 専用納経帳書入

鎌倉二十四地蔵霊場第7番の札所本尊は、地蔵堂に御座す「どこもく地蔵尊」です。
堂前には札所板&縁起書も掲げられています。

〔 鎌倉二十四地蔵霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 御朱印帳書入
【写真 下(右)】 専用納経帳書入

円覚寺百観音霊場第9番札所本尊は、本堂(大雄寶殿)に御座す千手観世音菩薩です。
堂内尊像よこに札所板が掲げられています。

〔 円覚寺百観音霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 御朱印帳書入
【写真 下(右)】 専用納経帳

こちらは、東国花の寺百ヶ寺霊場第96番(鎌倉4番)の札所でもあります。
御朱印尊格は「大雄寶殿」なので、札所本尊は御本尊・釋迦牟尼佛と思われます。
花種は梅で花期は1月中旬~3月上旬です。

〔 東国花の寺百ヶ寺霊場の御朱印 〕

 
【写真 上(左)】 御朱印帳書入
【写真 下(右)】 専用納経帳


■ 鎌倉市の御朱印-5 (A.朝夷奈口)へつづく。


【 BGM 】
■ One Reason - milet


■ 最高の片想い - Sachi Tainaka


■ symphonia - kalafina



■ 鎌倉市の御朱印-5 (A.朝夷奈口)へつづく。


■ 鎌倉市の御朱印-1 (導入編)
■ 鎌倉市の御朱印-2 (A.朝夷奈口)
■ 鎌倉市の御朱印-3 (A.朝夷奈口)
■ 鎌倉市の御朱印-4 (A.朝夷奈口)
■ 鎌倉市の御朱印-5 (A.朝夷奈口)
■ 鎌倉市の御朱印-6 (B.名越口-1)
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