酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

変貌する下町

2009年04月13日 | オヤジのつぶやき
たとえばJR日暮里駅前ですね この駅舎と近辺の変貌こそ 下町一番の変わりようといっていいでしょう

戦後の焼け跡時代・・

我々「ギブミーチョコレート世代」の格好の遊び場は 谷中の墓地でした

チャンバラごっこに 駆逐水雷 ちょっとカッコよく昆虫採集でしたね

夏休みには 1時間近くかけて歩いてきました

当時の小遣いは一日5円です 大切な5円の使い道は「日暮里駄菓子屋街」を横目にアイスキャンディーに消えました 

そうなんです  日暮里といえば駄菓子屋の街だったのです

バラックの店舗が 50軒は林立してたでしょうか  すべて問屋さんでした

従って 菓子のバラ売りはなく 色とりどりの菓子は チャンバラ少年たちの羨望の的でしたね


その後 駅前に大きな噴水なんぞが作られ 酔ったオジさんたちが落ちたりしていました

そして ここ数年ですよ

優雅な噴水もなくなり・・・



新交通システム 舎人線が走るような街に変わりました

(モノレールではありません  東京老人さんのご指摘です)



昭和20年代に夢中になって読んだ 手塚治虫の未来都市のマンガを見るようです



ここが 平屋造りの駄菓子屋街があったところです

多くの店が廃業していきました

しかし 嬉しいことに・・・



一軒だけがビルの一角で存続していたのです




どっこい生きていた駄菓子屋です

世界遺産ならぬ 日暮里遺産ともいうべき店でした

店主と奥さん 息子さんが元気に客に対していました



懐かしの玩具 そして駄菓子の数々でした


近代ビルに残っていた「昭和の匂い」を堪能して店をあとにしました

そして 歩くこと数分・・

そこには 下町日暮里が残っていました



京成本線のガードをくぐる常磐線の踏み切りです

通過の車両は特急”スーパーひたち”に変わっても 風景は60年前とほとんど変わりません




踏み切りの近くでは 居酒屋さんが頑なに昭和を守っています


少子化の影響で我が小学校が廃止されました

同級生のほとんどが地元を去っていきました

戦後の焼け跡には高層ビルが乱立しています

ガキ大将たちが闊歩した日暮里界隈  かろうじて残っていた当時の残影です

古希を迎えるオジさんには なんとも切ない下町・日暮里の変貌でした



* 日暮里・・古来からの地名です ひぐらしのさと にっぽりといいます

  昭和の名人・志ん生さんが住んでいました *