分類・文
小説 ひとつの選択
いわきの総合文藝誌風舎7号掲載 箱 崎 昭
(7)
朝夕めっきり涼しさが増してきて病室から眺める町並みから、コバルトブルーに広がる大空に幾筋かの白い雲が流れているのを見ているとすっかり秋の気配を感じさせる。
思えば1年ぐらい前に家族4人がダイニングテーブルで、母の対応について何度か議論したのが丁度この頃だったと思い出した。
母の容態は芳しくなく、いまだに身体を横にするのを痛がりベッドを少し起こしての食事をとっていた。起き上がって自力でトイレに行くことも出来ず、相変わらず排便は介護士に頼ったが3度の食事は繁が母の口元へ運んでやっていた。
ぼは同室のベッドから退院者が出る度に自由の利かない自分の身体が情けないと暗い表情を見せては嘆いた。
そういうある日、先生から繁にお呼びが掛かっていると看護師に伝えられ診察へ行くと、担当医が待っていたように繁を呼び寄せた。
「あっ、河村さん、頼まれていた希望の転院先からOKが出ました。明日からでも受け入れ可能らしいですが何時頃にここを出るようにしますかね?」
「有り難うございます。それでは明日に昼食を済ませたら出るように準備をしますので、できれば2時頃にかしま病院へ着くようにしたいんですが如何でしょうか」
「いいですよ、私の方で連絡をとっておきますから。整形外科の中野靖先生が担当になります。それと向こうに行った時にこの封筒を受付に渡してください。レントゲン写真と診断書が入っています」
2通の封筒の表に在中物が明記してあるが、レントゲン写真はクラフト紙の大きな封筒に入っていた。
繁は毎日、自宅からぼの病室へ通ったが距離的な時間の空費と長期による固定入院の問題もあり、地元の病院への転院を担当医師に相談していてそれが実現した。
病室に戻るなり母に報告した。
「かしま病院への転院許可が下りたから、いよいよ明日は家に近い鹿島に戻れるよ」
母が以前から掛かり付けの病院であり中野先生に看て貰っていたこともあるのでとても喜んだ。かしま病院は自宅から徒歩でも15分ぐらいの位置にあり、同じ鹿島地区だから母にしてみれば家も同然、精神的な抑圧から解放され回復力を少しでも高められるのではないかと繁は期待を抱いた。
転院当日、あらかじめタクシー会社に電話しておいたストレッチャー付きの介護タクシーが到着し、運転手と看護師が母の寝ているベッドの下敷きにしているタオルケットの4隅を持ち上げてストレッチャーへ移動した。
痛いのだろう 「うっ」 と息を詰まらせ、泣きべそをかくような表情をして我慢した。 常磐バイパスを40分掛けてかしま病院に着くと、母が見慣れた看護師が玄関口に立って笑顔で迎えてくれた。
「河村さーん、大変だったねえ。ここで良くなるまで頑張りましょうね」
2人の内の若い方が母に顔を付けるようにして言った。 (続)
小説 ひとつの選択
いわきの総合文藝誌風舎7号掲載 箱 崎 昭
(7)
朝夕めっきり涼しさが増してきて病室から眺める町並みから、コバルトブルーに広がる大空に幾筋かの白い雲が流れているのを見ているとすっかり秋の気配を感じさせる。
思えば1年ぐらい前に家族4人がダイニングテーブルで、母の対応について何度か議論したのが丁度この頃だったと思い出した。
母の容態は芳しくなく、いまだに身体を横にするのを痛がりベッドを少し起こしての食事をとっていた。起き上がって自力でトイレに行くことも出来ず、相変わらず排便は介護士に頼ったが3度の食事は繁が母の口元へ運んでやっていた。
ぼは同室のベッドから退院者が出る度に自由の利かない自分の身体が情けないと暗い表情を見せては嘆いた。
そういうある日、先生から繁にお呼びが掛かっていると看護師に伝えられ診察へ行くと、担当医が待っていたように繁を呼び寄せた。
「あっ、河村さん、頼まれていた希望の転院先からOKが出ました。明日からでも受け入れ可能らしいですが何時頃にここを出るようにしますかね?」
「有り難うございます。それでは明日に昼食を済ませたら出るように準備をしますので、できれば2時頃にかしま病院へ着くようにしたいんですが如何でしょうか」
「いいですよ、私の方で連絡をとっておきますから。整形外科の中野靖先生が担当になります。それと向こうに行った時にこの封筒を受付に渡してください。レントゲン写真と診断書が入っています」
2通の封筒の表に在中物が明記してあるが、レントゲン写真はクラフト紙の大きな封筒に入っていた。
繁は毎日、自宅からぼの病室へ通ったが距離的な時間の空費と長期による固定入院の問題もあり、地元の病院への転院を担当医師に相談していてそれが実現した。
病室に戻るなり母に報告した。
「かしま病院への転院許可が下りたから、いよいよ明日は家に近い鹿島に戻れるよ」
母が以前から掛かり付けの病院であり中野先生に看て貰っていたこともあるのでとても喜んだ。かしま病院は自宅から徒歩でも15分ぐらいの位置にあり、同じ鹿島地区だから母にしてみれば家も同然、精神的な抑圧から解放され回復力を少しでも高められるのではないかと繁は期待を抱いた。
転院当日、あらかじめタクシー会社に電話しておいたストレッチャー付きの介護タクシーが到着し、運転手と看護師が母の寝ているベッドの下敷きにしているタオルケットの4隅を持ち上げてストレッチャーへ移動した。
痛いのだろう 「うっ」 と息を詰まらせ、泣きべそをかくような表情をして我慢した。 常磐バイパスを40分掛けてかしま病院に着くと、母が見慣れた看護師が玄関口に立って笑顔で迎えてくれた。
「河村さーん、大変だったねえ。ここで良くなるまで頑張りましょうね」
2人の内の若い方が母に顔を付けるようにして言った。 (続)