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いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

    鹿島の方言 ④

2008-12-31 08:08:30 | Weblog
ダイコ→ 大根                 タアラ→ 俵
タント→ 沢山                 タマゲル→ 驚く
ダンダ→ 誰だ                 タンゲル→ 抱える
ダス→ あげる 進呈             ダンジャ→ 誰だ
タンニェ→ 足りない 不足           ダダコネル→ 無理をいう
タガラ→ 桶屋                 ダボラフク→ 大嘘を言う
タナ→ 商店                  ダマス→ なだめすかす
タンパラ→ 短気                ダラク→ 不精者 横着者
ダッペ(ダッパイ)→ ・・・だね        タテル→ (戸)を閉める
タンガク→抱える

チンコイ(又はチンチャッケイ)→小さい    チョウズバ→ 便所 トイレ
チャッカガム→ 身体をこごめる        チョイラ→ 出し抜けに
チョウロクニ→ 満足に 完全に        チョッコラ→ 少しの間
チャント→ きちんと              チャンコ→女の性器
チイリッサイ→「じゃんけんぽん」のことで主に常磐地区で使われた。
チャンキ→背の低い              チンニギル→抓る(つねる)            

ツッペル→ 落ちる                ツッタス→ 突き刺す
ツカメール→ 捕まえる              ツッパネ→ 泥はね
ツバ→ 唾液                   ツボウチ→ うち
ヅネエ→ 大きい                 ヅノボセル→ 自惚れ
ツンヌケル→ 突きぬける            ツンツルテン→ 短い衣類
ツラッカケ→ 恥ずかしい            ツラツキ→ 顔つき
ツッケンドン→ 無愛想             ツベコベ→ あれやこれや 色々
ツンノメル→ 前に倒れる            ツケイバシリ→ 使い走り

テッペン→ いちばん上 頂上         テップシ→ 手振り
デレスケ→ 締まりのない            テズマ→ 手品 奇術
デド→ 出身地 出所              テノゴイ→ 手ぬぐい
デダス→ 出掛ける 出発            テンシャバ→ 駅 ※停車場の訛り
テアスビ→ 手遊び               デッケイ→ 大きい 巨大
テコズル→ 暇が掛る 骨おれる        テショウ→ 皿
テッキリ→ 当然                 デックアス→ 出会う
デイジ→ 大事                  デッチリ→ 尻が大きい
テメエ→ お前 あんた             テンキアメ→ 俄か雨
テンコモリ→ 山盛り               テンデニ→ 各自に
デエコ→大根                   デンゲエル→転覆。くつかえる  ※デングリカエル
テンポロスル→落とす

トッケエル→ 取り替える            ドコサ→ 何処へ
ドンノクボ→ 首筋                トバクチ→ 入り口
ドウズキ→ 土固め                ドバクチ→ 家の入り口 土間口
トモニツク→ 葬式の供             トロイ→ 鈍い
トッカス→ 相手の物を取る 取り返す     トンバリボウ→ 戸締り用の棒
ドッカラ→ 何処から               ドナル→ 大声を出す
トッカカル→ ものを始める 仕事にかかる   トックニ→ 以前に 早々と
トッコス→ 追い越す               トッツキ→ 突き当たり



         
 


     
 
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    鹿島の方言 ③

2008-12-30 08:30:00 | Weblog
サキダチ→ 発起人                  サガリ→ 前借り
サガリッコ→ 植物の「うぐいすかぐら」のこと    サキッポ→ 先端
サクダ→ 山間の耕作地               サッテバ→ ともすると
サシデノム→ 二人酒                 ザンバレイ→ 残り払い
サラッポ→ 植物の「馬酔木(あしび)」のこと    サッカケ→ 仮小屋
サンタロ→ 馬鹿者                  ササラホサラ→ だらしない
サタスル→ 知らせる                

シバヤ→ 芝居                     シバヤシ→ 役者
シッチャク→ 引き裂く                 ジッチ→ 祖父
シンショ→ 資産、世帯                シャデイ→ 弟
ジナル→ 大声を出す                 シノバ→ 収納場、物置
ショッペイ→ 塩辛い                  ジョウリ→ 草履
ジャンポン→ 葬式、葬儀               ジュクシガキ→ でき過ぎの柿、熟した柿
シンネイ→ 知らない                 シンヌク→ 引き抜く
シコタマ→ 沢山、いっぱい              シッタテル→ 持ち上げる
シメシ→ おむつ                    シッチャル→ 後ずさり
シッパリ→ 縁者、親戚                シッペグ→ 裏返す
シャガル→ 退く、後退                シラセト→ 葬式を知らせる人
シンニギル→ ひねる                 ジャカオコス→ヤケを起す
シッシッシイ→「じゃんけんぽん」のことで主に四倉地区で使われていた。「セッキュウセッキュウ」とも言った。
シンケンヤ→「じゃんけんぽん」のことで主に平地区で使われていた。                 

スッテンペン→ 頂上                 スマッコ→ 隅
スシロ→ 風呂                    スンナメル→ 滑る
スッペ→ 酸っぱい                  ズネエ→ 大きい
ズウクジ→ 怠ける、さぼる             スカ→ 砂浜
スクダマル→ うずくまる               スゴス→ 済ませる
スッコイ→ ずるい、ずる賢い            ステバリ→ 意地悪
スッケエ→ 酸っぱい                 スゲエ→ 凄い

ゼイゴ→ 在郷                    セナ→ 兄
セド→ 裏手、瀬戸、農家の裏の方        センギリ→ 思い切り
セッツク→ 急がせる、忙しい            セデクル→ 連れてくる

ソンジャ→ それでは                 ソネ→ 峰
ソウロクニ→ 満足に                 ソウケイ→ そうですか
ソクッタ→ 失敗した、損ねた            ソレミロ→ 相手の失敗を罵る
ゾンゼイニスル→ 粗末にする           ソロカニ→ 静かに ※ソロット
ソウスット→ そうすれば              
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    鹿島の方言 ②

2008-12-29 08:00:00 | Weblog
カッチャク→ 爪で引っ掻く             カアペ→ 皮
カッセ→ 貸してくれ                カツケル→ 人になすり付ける
カタル→ 話す                   ガキメラ→ 子供たち
カサピタ→ 吹き出物が乾いた状態       カンチ(カンカチ)→ 火傷
ガンガラ→ 空き缶                 カンブクロ→ 紙袋
ガンダメシ→ 半煮えのご飯            ガメツイ→ 欲深
カンマネエ→ 構わない              カットバス→ 殴る
カッポル→ 放る                  カンプライモ→ じゃがいも
カラッケツ→全部無くなる             カミゴト→盆・正月に於ける農家の休日。神事

キカンボ→ 気性ガ荒い              キカネエ→ 気が強い
キリナシ→ 限りない                キンニョ→ 昨日
ギリハリ→ 、親類などの付き合い。義理張り

クッツイテコ→ 付いて来い            クサッポ→ 瘡
グルット→ 四辺全部 一帯            クラツケル→ 殴る
クッペイ→ 来るだろう               クタバル→ 死ぬ
クンチェ→ 下さい                  クベル→ 薪を投入して火を焚く
クサシモノ→ 怠け者                クサス→ 人の陰口
クサモジ→ 酌婦                  グリグリ→ 瘰癧
クンダス→ 吐き出す                クンノム→ 呑み込む
  
ケッコロバス→ 蹴って転がす           ケツッペタ→ お尻
ケッペズル→ 削る                 ゲエ→ 害
ケロ→ 呉れろ 下さい               ケエッペ→ 帰ろう
ゲロ→ 体内の異物                 ケロット→ 平然と
ゲエブンワリイ→ 聞こえが悪い 外聞悪い   ケエモノ→ 買い物
ゲエ→害

コオド→ 田圃                    コオ→ 来い
コエイ→ 容易でない                コワイ→ 疲れる
ゴッチャマゼ 混ぜ合せる            コガ→ 桶
ゴジャラ→ 訳解らず                コスイ→ ずるい
コゴム→ 腰を折る                 コマメ→ よく働く
ゴセヤケル→ 腹が立つ               コッチャ→ こちら
コサ→ 木の陰                   コサガシ→ 探し物
コシャク→ 余計なこと               コジハン→ 中食
コッキリ→ これ限り                コメエ→ 来ないで
ゴロゴロサマ→ 雷                 コネクリ→ 掻き混ぜる 動作が鈍い
コワメシ→ 赤飯                  コモダズ→ 子供のいない人  
コガシ→粉菓子。麦粉菓子。6月に収穫された新しい小麦を用いて炒ってから石臼で挽いて粉にし
     砂糖を混ぜて作ったもの。
コンバハラメエリ→栃木県の小峰神社(農業及び火防の神)の参拝


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      鹿島の方言 ①

2008-12-28 10:32:55 | Weblog
 「鹿島」の方言は広く云えば、いわき地方や東北地方全体にも通用する言葉が沢山あります。
 従って「鹿島の方言」と特定することはできませんが、農産地帯言葉と浜言葉が混じり合いながらも使われてきた言葉を、ここでは「鹿島の方言」として列記してみます。

アンニャ→ 兄、長男、目上の男性      アンネ→ 姉、長女、目上の女性
アネサン→(アネサマ) 兄嫁、長男の嫁   アマ→ 一般の女性に対しての卑称
アガッセ→ お上がりなさい          アッペイ→ あるでしょう
アッパトッパ→ 慌てる             アク→ 灰
アンベイ→ 病気の具合            アキネイ→ 商売
アヤ→ 縁起                   アクテイ→ 悪口
アガル→ 入学する               アガットバ→ 上り口
アッポ→大小便                 アッチ→彼方(かなた)

イイヤンベイ→ 適当、丁度良い        イッシャ→ お前、君
インベ→ 行こう                  イガセ→ 行きなさい
インカラ→ 行くから                イガッペ→ 良い、OK
イカンメイ→ 行けないだろう           イッチマッタ→ 行ってしまった
イジヤケル→ 腹が立つ、落ち着かない    インネ→ 欲しくない、必要ない

ウンヌラ→ 貴様たち、お前たち         ウント→ 沢山
ウナウ→ 耕す                   ウッツァシ→ うるさい、やかましい
ウメイ→ 美味しい、美味い            ウンダ→ そうだ、如何にも
ウマセル→ 成熟させる(果物など)       ウソンコ→ 仮に、本気でない

エエナ→ 判ったね、承知したね         エッケル→ 乗せる
エジコ(イジコ)→幼児を入れておくカゴ風のもの

オニアン→ つぶしあん              オバンデス→ こんばんわ
オバンカタ→ お晩方(夕方の挨拶)       オッカネエ→ 恐ろしい
オンジ→ 叔父                    オンバ→ 叔母
オメエ→ 母屋、本家                 オロヌク→ 引き抜く、間引く
オキ→ 火種                     オグメエリ→ 出羽三山(山ノ神)参拝
オキムクリ→ 起きて直ぐ              オンネ→ 私の家
オオゴト→ 大変なこと                オッキョレル→ 折れる
オッカケシッカケ→ 次々に             オフルメエ→ 行事などで馳走して振舞うこと
オヨバレ→ 招待                   オンマケル→ 水などを流す。放す
オチル→ 降りる                   オッパナス→ 放す
オンダス→ 追い出す。放り出す          オッタマゲタ→ 驚いた
オヤス→ 終る                    オンチャン→ 叔父さん。オジサン
オッコム→押し込む。取り込む           オシャラク→おしゃれ。お洒落 






         
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    四家姓について(三沢地区)

2008-12-27 10:24:17 | Weblog
 常磐三沢町(三沢は鹿島村当時は、12部落の一つにあったが、昭和29年に磐城市成立の直前、三沢・上矢田・松久須根の三大字は湯本町に編入され、常磐市の市政施行とともに常磐市の一部となった。 
 これは常磐炭鉱の松久須根竪坑の存在に影響されたものである。)

 三沢には、四家を以って氏とするものがあって、この四家とは岩城判官政氏(政氏は滝尻城、住吉城を築いて住んだと伝えられている)の長臣近藤・江藤・斎藤・佐藤の四家から出て名付けられたものであるというから、最初から四家という姓があったものではなく、近藤など四氏の家の者に四家という姓を与えたものと解釈できる。

 昭和4年の、諸根樟一・著「石城郡町村史」の文中によると、この他にも内郷の高坂と豊間の四家も、その系統で豊間に来たものは二家あって同村の慶長・明和の「水張帳」に善七、善吉という人はその裔であるといい、善七の後を徳右衛門又は新右衛門と称して代々名主を務めた。  
 善吉の後はまた二家に分れ、八之丞・八左衛門という。
 
 四家系図では三沢村、四家朝光は中山館主、中山太郎隆吉の養子となる。

 三沢に現在、四家姓を名乗る家は3軒あり、他に佐藤を名乗る家(世帯主・佐藤久男氏)が1軒ある。
 佐藤家の旧墓地の墓石のには、寛政9年というから今から201年前(平成20年現在)の7月21日の刻字があり、もう一つの石塔には「ア」と読む梵字と、円の周辺に23字の梵字が彫られている。
 このような二つの塔から察しても、佐藤家は三沢地区での存在の早さや、当時に於ける格式が伺われる。



 いわき市民マラソンが2009(平成21)年度下半期の開催を目指して進んでいるが、日本陸上競技連盟                   公認のフルマラソン大会「いわき市民マラソン大会(仮称)」のコース検討委員会(御代田公男委員長)は、コースにつ                    いて2案を櫛田市長に提言書として提出した。

 その一案として、いわき駅から南へ走る県道小名浜平線(通称・鹿島街道)を南下、江名港周辺と小名浜臨海工業                      団地周辺の二つの折り返し点を経て、ゴールを目指す。と【鹿島街道】が明記してある。

 もう一つは県道、下高久谷川瀬線を東に抜け、塩屋埼灯台や小名浜港近くの海岸沿いのコースを南下、小名浜臨                       海工業団地周辺で折り返してゴールするというもの。
 
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 小井戸の水は、飲み別れの水

2008-12-26 12:33:14 | Weblog
                  《小井戸の水》                   

 鹿島町走熊地区の渡辺家の入り口に小さな井戸があります。

 場所的には鹿島小学校から、かしま幼稚園脇の道を通り、いわき三十三観音霊場の一つである第十七番礼所「高照観音(十一面観音)」への登り口付近になる。
 
 当家の先祖が、の一大行事として毎年、旧暦7月17日に行われる獅子舞奉納と、高寺山へお参りで登山する人達の身体を清め、喉の渇きを癒すために作ったという。
 この井戸水を、土地の人達は「小井戸」とか「観音様の御水垂(おみたらし)」と呼んでいる。

 岩盤の一筋の割れ目から湧き出てくる清水は、年間を通して涸れることがなく、昔から地元の人々からは、美味くて身体にも良いとされて農作業の合間や、通りすがりに寄って口にしていた水である。
 汲んで家に持ち帰る人たちもいたくらいだから聖水としても尊ばれた。

 身体をこわして病で床に伏したり、死期を悟ったりした人たちは、よく「小井戸の水を飲みたい」と家人に頼み、汲んで貰ってきては口にしたそうだ。

 現在では、ミネラルウォーターや清涼飲水などが豊富に出回り、上水道も整備されているから、利用者から忘れ去られたように、「小井戸」は今でも山草に隠れるようにして聖水を湧き出している。


 本日の天候状況 午前中、一時吹っかけ雪が舞う。早朝から強風が吹き荒ぶ。
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追い剥ぎが出た「くうじ山」

2008-12-25 05:11:59 | Weblog

             《右側の坂道を上り切った所が くうじ山》
 
 街道を平方面に向かって行くと、郷ケ丘にあるNTT東日本福島いわき支店を通過するが、その辺りが通称「くうじ山」(=写真)と呼ばれる所です
 昔は、頂上が左に見える山と同じ高さ位の場所にあって、約50メートルの洞門(トンネル)を利用して山越えをする道だったといいいます。  「くうじ山」の由来は戊辰戦争の時に、列藩側が軍事上の作戦拠点としたために軍事山と呼ぶようになったとも云われ、それが「くうじ山」と訛ったのだとする説があります。
 
 しかし旧、上矢田村獺〈おそ〉沢字穂町作(くうじ山の坂下)の長瀬一矢老(享年92歳)は鹿島郷土誌(鹿島郷土誌編纂委員会編)の中で、明治15年前後には未だ「くうじ山」という名はなかったという証言をしています。 こうしてみると、慶応4年(1868)※明治元年に、軍事の場所としたために「くうじ山」と名付けられたというのには疑問が残ります。 また、この山は「軍事山」の他にも、「軍次山」や「軍治山」という文字でも使われています。 明治の中頃には、この「くうじ山」の洞門の中にオイハギが巣食っていて、暗闇が訪れると数人の男たちが洞門の中へ寄り集まり、男根丸出しで焚き火に手あぶりしながら、通行人を脅して金品をまきあげたといいます。 「くうじ山」の洞門にオイハギが出没したという伝聞は多く、難所であるばかりではなく、人里離れた場所だけに、そういう悪さをして人々を苦しめる悪党がいたことは事実のようです。

 
 官選知事、三島通庸(みちやす)が在任した時に、平~小名浜間の道路(現・鹿島街道と呼ばれる旧道の方)が県道に指定されました。 当時のことなので、県道指定による道路改良とはいっても、荷馬車が通行できる程度のものであったはずです。                                   

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お里の橋、里也橋(さとやばし)  昔話

2008-12-24 09:33:19 | Weblog
                 《現在の里也橋》    分類・伝                      

   お里の音頭とりで無事に橋が架かった 
 鹿島町の旧道を横切る蔵持川に、里也橋(地名や橋名は“里屋”になっている)が架かっています。
 場所は判り易くいうと「かしま病院」。正確にいうと「クリニックかしま」の玄関先から見て右側の直ぐ側にあります。
 昔、久保村から欅(けやき)の巨木を採り出して、蔵持川に橋を架けることになりました。 その巨木は、さすがに重くて人夫が押しても引いても簡単に動かすことができすに難儀しました。
 そこで、蔵持に住む「さと」という歌の上手な美少女(寡婦ともいわれる)を呼んできて、音頭(木遣り)をとらせたところ、大木は動き出して目的の所に達し、工事を無事に終わらせることが出来たといいます。
 橋は、その名にちなんで「里也橋」と名付けられたということです。その後、橋は何度も改修工事が行われたものの、里屋橋として現存します。         
 橋の付近には片葉の葦(あし)が生えていることでも知られています。

資料によっては、巨木の伐り出し場所が、蔵持地区の榎(えのき)であったり、橋名も「里屋橋」や「里也橋」になったりしますが、橋に限っては物語の内容から、命名の起因は「里の橋なり」からきているのではないかと、私の独断と偏見によって「里也橋」と記しました。

 
 
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鹿島史年表 ⑥ ※一部、いわき史を含む

2008-12-23 09:56:59 | Weblog
昭和50年(西暦1975年)二代目の七本松が道路拡張のため伐採(走熊)
             現在、鹿島公民館脇に新たに三代目の松として若松七本を
               植樹してある
昭和51年(西暦1976年) ハガキ20円、封書50円に値上げ 電話の度数7円から1
                0円に値上げ

昭和53年(西暦1978年)オソ沢~飯田前に至る矢田川の拡張工事が始まる
   〃  (   〃    )いわき開成病院(飯田) 開業
   〃  (   〃    )矢吹病院(御代) 開業
昭和54年(西暦1979年)鹿島小学校新校舎完成 ※昭和53年より着工
   〃  (   〃    )上矢田地内の山中から多数の貝化石を産出 ※いわきニュー
                タウン造成工事中
昭和55年(西暦1980年)鹿島公民館の新築(走熊字鬼越) 旧、丸山公園跡地
   〃  (   〃    )いわき中部農業協同組合の設立
                ※3/1付、磐城、常磐、渡辺、泉の4農協の合併運営
昭和56年(西暦1981年) ハガキ40円、封書60円に値上げ パートタイマー平均時
                給561円

昭和57年(西暦1982年)特別養護老人ホーム「かしま荘」 開所
昭和60年(西暦1985年) 冷蔵庫179,800円  パーマ料金5,280円

平成 元年(西暦1989年)ネーブルシティーかしま設立 初代会長 佐々木芳弘(丸ほん)  
                ※鹿島地区事業所が中心で平成17年現在、125事業所が
                 加盟
平成 6年(西暦1994年)鹿島地区地域振興協議会 発足 初代会長 小野久太郎
平成 7年(西暦1995年)ダイエーいわき店、エブリア 出店(鹿島町米田日渡5)
平成10年(西暦1998年)鹿島商店事業所会(ネーブルシティーかしま) 二代目会長 庄
              司秀夫(エル・トマ)
平成14年(西暦2002年)鹿島地区地域振興協議会 役員交代 二代目会長 八代吉時
平成15年(西暦2003年)鹿島小学校創立130周年 ※明治6年開校
平成16年(西暦2004年)いわき市議選挙で佐藤和良、初当選 9/5 無所属新 (久保字於振)
   〃  (    〃   )走熊母子殺人事件起きる 3/19   ※2008・10         
               月、犯人の死刑執行
   〃  (    〃   )リサイクルショップ、トレジャーファクトリー開業 6月
                (久保字反町)
平成17年(西暦2005年)女性向けカジュアル衣料チエーン、ハニーズが東証一部上場 
              4/27
   〃  (    〃   )いわき市長選 現職の四家啓助(70)から櫛田一男(68)  
初当選 9/11
   〃  (    〃   )ダイエーいわき鹿島店の撤退発表 9/29  ※11月末
                の撤退が確定
   〃  (    〃   )レストラン メヒコ 民事再生法適用を申請 9/30 
               ※いわき市5店舗他、

 印は全国版。
                
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鹿島史年表 ⑤ ※一部、いわき史を含む

2008-12-22 09:58:11 | Weblog
昭和30年(西暦1955年)鹿島公民館の設置 鹿島小学校内に初めて施設として設けられた
   〃  (    〃   )船戸及び久保の山林火災
   〃  (    〃   )二宮尊徳100年祭碑建立 10/20除幕式(上蔵持) 工費28万円
   〃  (    〃   )勿来市誕生
昭和30年(西暦1955年)札幌市内のラーメン一杯が80円

昭和32年(西暦1957年)鹿島小学校に講堂完成

昭和32年(西暦1957年)臨時雇いの給与は女中が8時間で250円
                  店員が10時間で300~350円

昭和35年(西暦1960年)各消防団は分団となり鹿島は第4分団になる 鹿島消防団
昭和36年(西暦1961年)鹿島小学校 校歌制定 12/14

昭和36年(西暦1961年)サラリーマンの平均月収4万5,000円
                  東京の大工の手間賃が一日平均1,000円
                  
昭和37年(西暦1962年)鹿島小学校 校旗樹立  1/ 1 
昭和38年(西暦1963年)走熊郵便局を新築移転(走熊字渡折4ー2) 局舎郵政互助会所有
昭和39年(西暦1964年)小名浜・江名・鹿島・玉川の4農業協同組合が合併して磐城農業協同組合として発足
   〃  (    〃   )磐城市が郡山地区と共に新産業都市の指定を受ける 3月
   〃  (    〃   )鹿島公民館が小学校の講堂新築と共に独立した施設として建設された
                鹿島南公民館に改称(S41・10・1)
昭和40年(西暦1965年)鹿島小学校 完全給食実施
昭和41年(西暦1966年)14市町村(5市、4町、5村)が合併、いわき市となる 10/1
   〃  (    〃   )いわき市立鹿島小学校に改称 10/1
昭和42年(西暦1967年)鹿島警察官駐在所となる

昭和43年(西暦1968年)日本航空、東京ー大阪間6,800円
                  山手線運賃(大人、一区間)20円                  

昭和44年(西暦1969年)中学校は小名浜一中、平三中に統合(2年、3年生は鹿島分室となる)
   〃  (    〃   )レストラン メヒコが開店(走熊四反田) 9月
   〃  (    〃   )平の老舗家具店 丸ほん 開店(久保梅田) 12月 
昭和45年(西暦1970年)いわき東警察署鹿島駐在所となる 4月
昭和46年(西暦1971年)常磐炭鉱完全閉山となる
昭和47年(西暦1972年)廃坑爆発で被害 常磐炭鉱(株)旧坑業所鹿島立坑 被害は上矢田、松久須根など 12/7
昭和48年(西暦1973年)鹿島小学校創立百年を迎える 
 

 
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鹿島史年表 ④ ※一部、いわき史を含む

2008-12-21 11:37:33 | Weblog
昭和16年(西暦1941年)小名浜臨港鉄道開通 太平洋戦争に突入
  〃   (    〃   )鹿島神社境内が崩壊

昭和17年(西暦1942年)国鉄(現・JR)の運賃一区間10銭、東京ー大阪間(三等車)8円5銭 

昭和20年(西暦1945年)大東亜戦争終結による農地改革が行われた 12/9
昭和22年(西暦1947年)学校教育法に基づいて、4/1より6・3制が実施となり校名も鹿島村立鹿島小学校と改称された
  〃   (    〃   )鹿島小学校PTAが結成される 12/15 初代会長 佐藤善太
  〃   (    〃   )警防団は消防団と改められる 市町村長が消防長となり、団長は互選 新妻一行
昭和23年(西暦1948年)鹿島村農業協同組合の設立 4/9付、県知事認可
  〃   (    〃   )鹿島村立鹿島中学校を新設 ※新制中学校として。4月。校舎使用は昭和26年1月から
  〃   (    〃   )走熊郵便局に電話交換台を設置、交換事務を行う 11月。村内の電話加入数は駐在所を含めて5件
昭和24年(西暦1949年)鹿島駐在所の移転 10月。鹿島農業協同組合事務所の建築による
  〃   (    〃   )鹿島村婦人会が組織される 4月。会長 小泉トキ(飯田)
  〃   (    〃   )平事件が起きる 6/30

昭和24年(西暦1949年)衣料品の配給、丸首シャツ約80円。 タバコ、金鵄(きんし)15円・みのり45円 

昭和25年(西暦1950年)鹿島村立鹿島中学校校舎新築落成 12/25
昭和26年(西暦1951年)小名浜地区警察署の設置に伴い、その管轄となる

昭和26年(西暦1951年)東京の銭湯(浴場)大人12円、中人10円、子供6円

昭和27年(西暦1952年)久保で火災発生
  〃   (    〃   )鹿島村教育委員会発足 11/1
  〃   (    〃   )鹿島森林組合の設立 →S35・磐城森林組合 →S41・いわき市森林組合に変更
昭和28年(西暦1953年)小名浜町立鹿島小、中学校と改称 10/10
  〃   (    〃   )戦後の町村統合に即して小名浜町に総合合併 10/10

昭和28年(西暦1953年)大卒の初任給8千円余。アメリカ製の21インチ白黒テレビ受像機が25万5千円。公衆電話が5円                    から10円に値上げ

昭和29年(西暦1954年)江名・泉・渡辺などの町村と合併、磐城市になる 3/31 ※常磐市、内郷市もできる
    〃 (     〃   )磐城市立鹿島小、中学校と改称 3/31
    〃 (     〃   )連合消防団(小名浜町)として運営される(鹿島消防団)
    〃 (     〃   )上矢田・松久須根・三沢は湯本町に編入 3/29
    〃 (     〃   )警察法の改正により、磐城警察署鹿島巡査駐在所となる
    〃 (     〃   )鹿島北公民館の設置。常磐上矢田町田端53 10/1
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鹿島史年表 ③ ※一部、いわき史を含む

2008-12-20 21:46:08 | Weblog
明治39年(西暦1906年)平に電灯が灯る
明治40年(西暦1907年)鹿島村青年会発足 8月9日
大正 9年(西暦1920年)修業年限2ケ年の鹿島高等小学校を蔵持小学校へ併設する
                村内の全員が同じ学校で学べるようになった
大正10年(西暦1921年)丸山公園に忠魂碑建立完成  3/2、除幕式
大正11年(西暦1922年)有限責任鹿島信用購買組合の設立 5/1付、知事認可
大正13年(西暦1924年)蔵持矢田及び鹿島高等小の3校を廃し、4/1から鹿島尋常小学校を設置
                矢田は分教場として4年生まで2学級を置く
昭和 3年(西暦1928年)鹿島村全域に電灯が灯る 昭和3年度において助成金380円を支出
  〃   (    〃   )鹿島旧街道に乗り合い自動車が走る 鈴木・野崎両社の開業が昭和2年8月頃 
昭和 4年(西暦1929年)走熊郵便取扱所を開設 走熊字坪下2 その後、走熊郵便局と改称
  〃   (    〃   )鹿島村(走熊)の大火 2/25(旧正月の16日)午前11時ころ
昭和 7年(西暦1932年)米田・三沢・走熊を結んでいた三和橋が完成 昭和54年に架け替えられた
昭和 9年(西暦1934年)鹿島村の山林から出火(原因不明) 3/2午後
昭和10年(西暦1935年)現在の地に鹿島村立鹿島小学校、新築落成 5/10
  〃   (    〃   )青年学校令が公布されて鹿島村青年学校が設置された
  〃   (    〃   )鹿島村診療所を開設 常勤保健婦が医師の指示を受けて診療にあたった
  〃   (    〃   )大雨のため、上蔵持の正福院が崩壊 8月
昭和13年(西暦1938年)下蔵持、永井作溜池の改修 工費5,000円で完成
昭和14年(西暦1939年)消防組を警防団と改称 後の鹿島消防団
  〃   (    〃   )平警察署小名浜巡査部長派出所の所属 10月、走熊字中島3番地に新築移転
昭和15年(西暦1940年)石城郡開拓団、満州に入国
昭和16年(西暦1941年)4月1日、国民学校令の施行により鹿島村国民学校と改称する






 
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鹿島史年表 ② ※一部、いわき史を含む

2008-12-19 18:13:14 | Weblog
慶応 4年(西暦1868年)7月13日 平城が陥落
   〃   (     〃     )陸奥国を岩代・磐城・陸前・陸中および陸奥の五国に分ち、菊田磐前磐城の三郡は磐城国に属せ
                 られた明治4年(西暦1871年)廃藩置県が断行され、二本松・若松及び平の三県が置かれ、磐
                 城国菊田郡・磐前・磐城郡は平県に統合された 
明治 4年(西暦1871年)平県を磐前県とと改称された
明治 6年(西暦1873年)小学校創立 久保村金光寺に啓蒙小学校  上矢田神宮寺に成徳小学校
明治 9年(西暦1876年)福島県・若松県・磐前県を合併して福島県となる
明治15年(西暦1882年)頃? 小名浜ー平間の道路(鹿島街道)が県道指定 
                   ※上矢田、長瀬一矢(故人)氏談。鹿島郷土史から
明治22年(西暦1889年)走熊村以下、12ケ村を合併して鹿島村が誕生
  〃   (   〃   ) 鹿島尋常小学校誕生 矢田・蔵持の両校が統合下矢田小を本校、蔵持小を分教場とした
明治27年(西暦1894年)鹿島尋常小学校を廃し、全村を二分して矢田・蔵持の二学区制として、「矢田小」「蔵持小」を置く
  〃   (   〃   ) 勅令消防布達により鹿島組(消防団)が発足
明治28年(西暦1895年)上矢田花木下「神宮寺」に巡査駐在所の仮駐在所が設置された
明治29年(西暦1896年)磐城郡磐前郡菊田郡の三郡を合併して石城郡とした
明治30年(西暦1897年)常磐線開通(上野ー平)
明治33年(西暦1900年)平警察署鹿島巡査駐在所を走熊字中島33に設置

  
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鹿島史年表 ①  ※一部、いわき史を含む  

2008-12-18 18:05:18 | Weblog
弥生時代 蛤刃磨製石斧(はまぐりばませいせきふ)出土 大正10年、飯田
弥生時代 打製有肩石斧(耕作用に使用したもの)昭和23年、下蔵持
和銅 2年(西暦709年)奈良時代 石城郡陸奥国に編入
延長 5年(西暦927年)平安時代 石城の延喜式内七社決まる
承平 1年(西暦931年)平安時代 磐城郡12郷、菊田郡5郷できる
永正15年(西暦1518年)室町時代 磐城三十三観音定む
神護景雲年間(約1220~1222年前)鹿島神社創建
延暦年間(西暦782~805年)坂上田村麻呂が東征の途中、鹿島神社に寄る
慶長 4年(西暦1599年)金峰山円福寺寺院が焼失 上矢田町
元文 3年(西暦1736年)磐城平領内で一揆が起こる
安永 5年(西暦1776年)御代の大仏が安置された 光西寺・市の有形文化財慶応 4年(西暦1868年)戊辰の役で七本松に台場を築き戦う 走熊  
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磐城三十三所観音霊場

2008-12-17 12:22:56 | Weblog
                         《十七番札所 高寺観音》

 「いわき」には三十三ケ所の観音霊場があります。 ※例外として双葉郡広野町の二堂(礼所31・32番)と富岡町の一堂(礼所33番)があります。
 「いわき」というと、他県の方は「いわき市内」を連想してしまいがちですが確かに、かつて「磐城市」がありましたが、それ以前に広い意味での「磐城郡」が存在していました。
 「いわき」は長い歴史の中で石城、磐城、岩城、磐城、石城、磐城、いわき、と何度も呼称の変遷があったので言葉だけでは全て「いわき」で通用しますが、文字にすると時代によって注釈も必要となるので、面倒くさいという難点があります。
 タイトル通り、文中でも「磐城」と記述すべきなのでしょうが私は敢えて「いわき」とさせていただきました。
 そのほうが、現代の人達には馴染みがあると考えたからです。
 
 三十三ケ所の中で、鹿島町には二つの観音霊場があります。

 第16番札所 久保中山観音(十一面観音) 鹿島町久保西之作
          御詠歌(巡礼歌) 中山と きいてのぼりて 朝日さす 
                     森のこかげに たつは白なみ

 第17番札所 高照観音(十一面観音)   鹿島町走熊高照山
          御詠歌(巡礼歌) 世の中は ふもとにありや 東泉寺
                     日は高寺に 水はしりくま

   
 

 
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