分類:PV
場所 : いわき市鹿島町走熊字鬼越
60年も前の話になるが……
写真で見る限り 「波立(はりゅう)商店」 の看板があるから盛業中だった店のように思われるかも知れないが、実際には数十年も前から店は閉まっていたし居住者も居なかった。
昔、この場所は平・小名浜間を繋ぐ道路(旧鹿島街道)の要所で、江名港からくる道と合流するT字路だったが、昭和50年の前半に県道常磐・江名港線の整備が行われて現在では信号付きの十字路に変わった。
《解体中の波立商店》
地元の人にとっては鹿島のシンボルでもあったが、古き良き昔がまた1つ消えていく場面だ=写真
かつて、この店の側に征夷将軍坂上田村麻呂が東北地方へ征途の時、走熊地内を通りかかり道端の一角に植えられたという七本の松があった。(註・2代目の松まであったが道路整備のために伐り倒され、現在では鹿島公民館の敷地内に三代目の松として記念碑と共に植えられている)
60年以上も前の話になるが、この店の主人は京浜方面へ働きに出ていて奥さんだけが1人で店を賄っていた。
村の人たちは屋号を呼ばずにその人の名前で「おクニさん」と言われるほど親しまれていた。
私の母は特に懇意にして貰っていたようで「店の前を通っただけで、おクニさんに呼び止められて頂き物をしちゃった」などと、よく家族の前で恐縮していたのだった。私は子供心にいつの間にかおクニさんを見るたびに ❝ この人は神様みたいな人なんだ ❞ と思うようになっていた。
おクニさんが亡き後、今でもこの家の前を通る時には当時の感謝を込めて自然と目礼をする自分だったのだが、とうとう家の解体が始まってしまった。
《手前から真っ直ぐ伸びているのが旧鹿島街道で、左右の道が常磐⇔江名港線》
左側の白い建物は鹿島公民館。写ってはいないが撮影場所の右側はコンビニの「ファミリーマートかしま病院前店」。
場所 : いわき市鹿島町走熊字鬼越
60年も前の話になるが……
写真で見る限り 「波立(はりゅう)商店」 の看板があるから盛業中だった店のように思われるかも知れないが、実際には数十年も前から店は閉まっていたし居住者も居なかった。
昔、この場所は平・小名浜間を繋ぐ道路(旧鹿島街道)の要所で、江名港からくる道と合流するT字路だったが、昭和50年の前半に県道常磐・江名港線の整備が行われて現在では信号付きの十字路に変わった。
《解体中の波立商店》
地元の人にとっては鹿島のシンボルでもあったが、古き良き昔がまた1つ消えていく場面だ=写真
かつて、この店の側に征夷将軍坂上田村麻呂が東北地方へ征途の時、走熊地内を通りかかり道端の一角に植えられたという七本の松があった。(註・2代目の松まであったが道路整備のために伐り倒され、現在では鹿島公民館の敷地内に三代目の松として記念碑と共に植えられている)
60年以上も前の話になるが、この店の主人は京浜方面へ働きに出ていて奥さんだけが1人で店を賄っていた。
村の人たちは屋号を呼ばずにその人の名前で「おクニさん」と言われるほど親しまれていた。
私の母は特に懇意にして貰っていたようで「店の前を通っただけで、おクニさんに呼び止められて頂き物をしちゃった」などと、よく家族の前で恐縮していたのだった。私は子供心にいつの間にかおクニさんを見るたびに ❝ この人は神様みたいな人なんだ ❞ と思うようになっていた。
おクニさんが亡き後、今でもこの家の前を通る時には当時の感謝を込めて自然と目礼をする自分だったのだが、とうとう家の解体が始まってしまった。
《手前から真っ直ぐ伸びているのが旧鹿島街道で、左右の道が常磐⇔江名港線》
左側の白い建物は鹿島公民館。写ってはいないが撮影場所の右側はコンビニの「ファミリーマートかしま病院前店」。