分類・PV
友人から電話があって 「ヤトが死んだ」 と一言いうと、あとは無言のまま啜り泣きだけが耳元の受話器の中から聞こえてくるだけだった。
彼女にとって長年、実の子供のように可愛がってきた猫だったから、いくら覚悟はできていたとはいってもその落胆の心情は計り知れないものがある。
私は絶句して返す言葉が見つからなかった。
《童話小説「 マっとこ・サっとこ・ヤっとこ 」は、こんな感じのイメージで作った》
ヤト とは猫の名前で、この2,3週間ほど具合が悪く動物病院に連れて行ったりもしたようだが、15年近く飼い主に愛されながら天寿を全うした。
今日(28日)、ヤトは母親ともいうべき彼女と最後のお別れをして荼毘に付される。
だいぶ前の話になるがお宅に伺った時にヤトが丁度家から出てきて、これから自分のテリトリー(縄張り)を一回りして来ようと思ったのか何処かへ出掛けるところだった。
私の顔を見ると無視したように路地に入って姿を消した。 ……かに見えたのだが、立ち話をしていると何となく視線を感じたのでその方向へ目をやると、隣家の隅から私をジッと見ていた。
パンダのように白と黒の斑紋を体につけ鼻筋がまっ黒。動きが俊敏そうな容姿だが、まん丸い目をした愛らしい猫で 『死んだ』 と聞いた時には即座に当時の印象が甦った。
生前、野性的な行動をとる反面、友人とその家族には甘えん坊だったというヤトの冥福を祈らずにはいられない。
いつの頃だったか、その友人から ヤト を飼うようになった経緯や、性格、人間嫌いなどの逸話を聞いている内に、それをヒントに童話小説が書けるのではないかという気になって マっとこ・サっとこ・ヤっとこ という作品が出来たが、当ブログ上にも掲載してあるので読んで頂けると嬉しいです。
作品は過去 2012・12・30~2013・1・12 までの間に連載形式で載っています。
2月28日(金) 四緑 大安 旧暦 1/29 逍遥忌
【今日という日の過去】
初の脳死移植 平成11(1999)年、高知赤十字病院で40代の患者が臓器移植法施工後初めて脳死と判定され、提供された臓器が大阪大(心臓)、信州大(肝臓)、東北大病院(腎臓)などに運ばれ移植された。
友人から電話があって 「ヤトが死んだ」 と一言いうと、あとは無言のまま啜り泣きだけが耳元の受話器の中から聞こえてくるだけだった。
彼女にとって長年、実の子供のように可愛がってきた猫だったから、いくら覚悟はできていたとはいってもその落胆の心情は計り知れないものがある。
私は絶句して返す言葉が見つからなかった。
《童話小説「 マっとこ・サっとこ・ヤっとこ 」は、こんな感じのイメージで作った》
ヤト とは猫の名前で、この2,3週間ほど具合が悪く動物病院に連れて行ったりもしたようだが、15年近く飼い主に愛されながら天寿を全うした。
今日(28日)、ヤトは母親ともいうべき彼女と最後のお別れをして荼毘に付される。
だいぶ前の話になるがお宅に伺った時にヤトが丁度家から出てきて、これから自分のテリトリー(縄張り)を一回りして来ようと思ったのか何処かへ出掛けるところだった。
私の顔を見ると無視したように路地に入って姿を消した。 ……かに見えたのだが、立ち話をしていると何となく視線を感じたのでその方向へ目をやると、隣家の隅から私をジッと見ていた。
パンダのように白と黒の斑紋を体につけ鼻筋がまっ黒。動きが俊敏そうな容姿だが、まん丸い目をした愛らしい猫で 『死んだ』 と聞いた時には即座に当時の印象が甦った。
生前、野性的な行動をとる反面、友人とその家族には甘えん坊だったというヤトの冥福を祈らずにはいられない。
いつの頃だったか、その友人から ヤト を飼うようになった経緯や、性格、人間嫌いなどの逸話を聞いている内に、それをヒントに童話小説が書けるのではないかという気になって マっとこ・サっとこ・ヤっとこ という作品が出来たが、当ブログ上にも掲載してあるので読んで頂けると嬉しいです。
作品は過去 2012・12・30~2013・1・12 までの間に連載形式で載っています。
2月28日(金) 四緑 大安 旧暦 1/29 逍遥忌
【今日という日の過去】
初の脳死移植 平成11(1999)年、高知赤十字病院で40代の患者が臓器移植法施工後初めて脳死と判定され、提供された臓器が大阪大(心臓)、信州大(肝臓)、東北大病院(腎臓)などに運ばれ移植された。