いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

平小鉄道の候補地だった

2017-04-29 08:26:36 | Weblog
                               分類:地
   幻となった鹿島の平小鉄道
 その昔(明治42年)、石城地方に平小鉄道(へいしょうてつどう)の敷設計画が立案され、実際にその候補地として ①湯本経由 ②鹿島経由 ③片浜経由の測量が行われていた。
 特に鹿島経由の9マイル(14,5キロ)は直線で平と小名浜を結ぶ最短距離なので有望視された。
 これは第19代内閣総理大臣の原敬の、鉄道網を全国津々浦々に拡大することによって地域発展を図ろうという積極策の表れであった。


 《実現していれば今頃、鹿島経由の列車 (電車) が走っていたかも》 -イメージ-

 ますます現実味を帯びてきたのは大正11年(1922)に「改正鉄道敷設法」が公布されて、今後整備する鉄道路線として全国145区間を発表された中に平小鉄道の名が挙がっている。
 磐越東線(愛称・ゆうゆうあぶくまライン)は郡山駅から平駅(現・いわき駅)を結ぶ鉄道路線だが、これを平駅から小名浜港まで繋ごうというものだったから上記3路線計画の地元民が活発な動きを見せ始めた。その前に小名浜町議会が経路は明示せずに鉄道院へ陳情した。

 大正12年に帝国議会に於いて、平~小名浜間鉄道速成に関する建議案が採択されるものの、立憲政友会の支持に対して地方線建設に消極的な護権三派内閣の成立で中止になってしまう。
 しかし、同14年に憲政会など護権三派が鉄道敷設の政策を一部転換して、平~小名浜の路線が復活した。
 昭和21年に帝国議会で鉄道敷設が可決されて、鹿島経由の8マイル7分(13,92キロ)も計画の中に浮上してくる。鹿島村(鈴木一男村長)では鉄道敷設陳情書を議決しているが、他の町村も黙認している筈がなかった。
 江名町議会で鉄道敷設速成を陳情、湯本町議会で路線変更の陳情を議決、高久村議会が鹿島経由から片浜廻りに変更を主張した。

 鹿島経由の平小鉄道敷設計画は明治時代以来優位を保ってきたが湯本・片浜の関係町村の勢いと、山々を切り拓いての鉄道敷設の困難、沿線の人口の少なさが加味されて計画から外れていくようになってしまう。
 結果的に、時代・政治・景気などの諸事情によって 『平小鉄道』 はどこの地域も 実現不可となって終焉を迎えたのだった。
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鹿島街道よもやま話

2017-04-24 13:31:52 | Weblog
                                            分類:地

 当初 『平小線弾丸道路』 として工事着工
 鹿島街道は商業の拠点と、国際港を抱える小名浜を直結する大動脈として発展してきたが、開通までの苦労は並大抵の事ではなかった。
 都市計画上の事業名は平・磐城線で、正式名称は県道小名浜・平線というが、開通当初から一般市民の間で鹿島街道という愛称で呼ばれ定着した。


                 《昭和30年頃の谷川瀬山(くうじ山付近)》

 昭和28年4月から、平と小名浜を繋ぐ弾丸道路(2級国道)の建設が進められ、失対事業として総工費2億円の5か年計画で着工した。
 いわゆる平小線弾丸道路だが、工事の進捗状況は過半年月が経過しても3分の1にも満たない有様で、「このさき何ヵ年を必要とするのか」という、一般失対事業による工事への批判が高まった時代もあった。
 
 平小線は平~小名浜間を直線コースとする15kmで、同線の完成は湯本廻りの小名浜線、江名廻りの小名浜線を短縮するものとして石城郡綜合開発の縦断道路としてその完成が渇望されていた。
 昭和28年4月着工と共に平地区、小名浜地区とも1日平均70名の失対労働者が就労したが、小名浜地区では地の利を得たのか一応道路改修工事でもあり工事は順調に進み、磐城の御代坂辺りの4km位まできたが、一方の平地区は平駅から30m道路から直結する幅員12m道路が新川橋から作られたが、谷川瀬山にぶつかって以来2年間で25,280名が山掘りに掛かり漸(ようや)く山半分を崩したまま遅々として進まなかった。


              《いまや平~小名浜間には必要不可欠の鹿島街道・下矢田付近》

 標高80mの谷川瀬山の土砂切り崩しは約40,000㎥といわれたから、2年間で20,000㎥が切り崩された訳で、労務者1人当りの作業量にすると1日0,5㎥という一般公共事業からみれば実に10分の1という僅かな稼働率で、臨時石城失対事務所ではあと5ヵ年は掛かるだろうと見ていた。
 
 このため平小線の完成を待つ地元側では 「こんなに暇の掛かる一般失対なら特別失対または公共事業にしたほうがよい」 との苦情も出はじめた。
 これに対する失対事務所の話として 「31年度には水石山道路工事の失対労務所の配置転換で就労人員を拡充し、出来るだけ早く仕上げたい」 とのコメントがあった。

 いま、平~小名浜間を車で順調に走行できる時は、35分前後と掛からない便利な鹿島街道として生きている。前人の苦労に感謝しつつ、県内で最も日照時間の長い風土に恵まれ、いわきを象徴するような青空広がる鹿島街道になっています。
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自然と、季節の声

2017-04-18 12:05:52 | Weblog
                                           分類:PV
  ひと雨がウグイス蛙の春盛り
 夜明けが早くなって4時半頃になると、もう白々とした朝がやってくる。
 平と小名浜を直結している鹿島街道から少し外れた場所には昔ながらの原風景が残っていますが、写真は小山に囲まれた自宅前の田圃です。
 昨夜から今朝にかけての降雨で水が溜まり、それを待ち望んでいたかのように愈々、蛙のコーラスライブの開演となりました。
 あと10日前後で田植えの時期を迎えるのを知らせるセレモニーでもあります。


                 《昨夜からの雨で水を張ったような自宅前の田圃》

 ホーホケケキョ
 前の山では、そぼ降る雨の中でウグイスが、馴れない声を出して囀(さえず)っています。それは発生の練習でもしているのでしょうか、何回も何回も繰り返しているのを耳にしながら、私は寝床から清々しい感動と、微笑ましい気分に浸ることができました。

                  《ボケの花も水を得て元気に春を誇っている》

 上の写真は私が住んでいる隠居のような家で、見てくれは普通のように見えますが、リニューアル工事を施してあるからそう見えるだけのことであって、実は昭和4年に鹿島の大火があった直後に建てられた家なので築88年が経っている代物です。
 しかし、子供の頃から育ってきた家なので愛着がありとても好きなのです。
 周囲の自然が春夏秋冬をハッキリさせてくれ、対人関係でも1歩さがった位置に住んでいるので、余計な神経を擦り減らさないで済むという恩恵に授かりながらの生活が続いています。
 いつになっても目の前の自然が変わらないというのは、人の心もいつになっても童心のままでいられるような気がして安らぎさえ覚えます。
 ウグイスとカエルを身近にして共生できる幸せ感を、今朝は改めて知ったような思いがしました。
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矢田川の夜桜

2017-04-13 21:32:47 | Weblog
                                          分類:地
                           場所 : いわき市鹿島町
                                米田・走熊・久保・飯田地区の矢田川沿い一帯
満開の夜桜を提灯でライトアップ
 鹿島街道と並行して流れる矢田川の土手沿いに植えられた矢田川千本桜のさくら祭りは9日に行われましたが、30日までは午後5時から同10時まで毎日、提灯でライトアップされています。

              《落ち着いた雰囲気でじっくりと夜桜見物ができる矢田川》

 鹿島町の恒例行事になっているかしま ふれ愛 さくら祭り は鹿島地区地域振興協議会が、いわきのシンボル的行事の一環として位置づけて積極的に始めたものですが、早くも今年で第8回目を迎えました。

 《鹿島街道と江名・湯本線が交差する小神山信号付近の桜。赤い建物はビッグエコー(カラオケ店)》
 
        《鹿島ショッピングセンター北側駐車場から見た夜景(左側が矢田川土手)》
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甥っ子のお蔭で金沢行

2017-04-11 11:16:40 | Weblog
                                          分類:PV
  bridals in Kanazawa
 8~10日までの間は甥っ子の結婚式出席を兼ねて石川県の金沢へ小旅行をしてきた。
 2015年3月に北陸新幹線が開通以来、金沢は観光地として町の変貌と、観光客の増加が更に著しくなったと聞いていたので、その内 (こういう言い方は実行力に乏しい)に私も行ってみたいとは思っていたが否応なしに、その機会が舞い込んできた。


                  《日航ホテルから見たJR金沢駅前の全景》
 写真右上のガラスとアルミ合金からなる巨大な天井ドームが、通称 「もてなしドーム」 と言われ、雨や雪の多い金沢で駅を降りた人にそっと傘を広げて差し出すという粋な心意気を表現しているのだそうです。
 妹夫婦との3人旅になったが、まだ誰も北陸新幹線には乗っていないという事で、大して意味もないのに乗ったという実感を味わうためにも利用した。
 いま、日本の観光地は外国人の観光客が多いと言われるが、名所地を散策すると行き交う人たちの半数以上は外国人と言っても過言ではないくらい。たまに日本人だけになったと思いきや単なる錯覚で、会話によって中国、韓国、台湾系の人たちであるのに気付かされる。、


                      《夜桜見物で賑わう兼六園》
 8日は昨年より4日遅いそうだが、金沢市でソメイヨシノが満開になって兼六園や金沢城公園ではライトアップが始まり、夜桜見物で人が溢れて露店も嬉しい悲鳴を上げていた(写真上)

         《伝統芸能に使われる鼓をイメージした「鼓門」の前で》
 金沢駅正面に構える鼓門で記念に写真に収めようとしてシャッターを切ってもらおうとしたら、ちょうど男女4人組のアメリカ人が通りかかったのでお願いした。
一瞬、こっちが外国に行っているような気分にさせられた。


                 《五十間長屋から金沢城跡の広大な敷地を見渡す》
 北陸地方は天候が不安定で、雨に見舞われるのではないかと心配しながらの出発だったが、幸運にも天候に恵まれて8日は金沢で5月下旬並みの22,8度を観測したと翌朝のテレビや新聞で報じていた。

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公民館に交流施設が完成

2017-04-07 09:11:58 | Weblog
                                           分類:地
  地域コミュニティー活動の場を確保         
                                    場所 ; 鹿島公民館 敷地内
                                    いわき市鹿島町走熊字鬼越83-1
                                    ☎&FAX 0246-29-2250

         《公民館の隣にある面積250㎡の交流館施設(右側が公民館の出入り口)》
鹿島公民館は、新常磐交通バスの 『鹿島小学校前』 を下車して徒歩で約5分の場所にあり、地域まちづくりやサークル活動が盛んに行われている施設です。
 しかし、これまでに大きなイベント(例:各サークルが合同で行う公民館まつり)を開催する時にはスペースが限られていたために、近くの鹿島小学校体育館を借用して行うような不便さがありました。
 この欠点を解消すべく今回出来上がったものが鹿島公民館交流施設です=写真。



          《講堂面積は187㎡あり、内部の採光は効果的照明が工夫されている》
 建設工事は昨年(平成28年)9月から始まり、本年3月に完成しました。
 同館の設備内容は、手動式壁面収納ステ-ジでマイクの使用や音楽(CDなど)を流すのが可能になっている他に、約20㎡の倉庫と男女別トイレも付いています。



     《近くにビックリドンキーや、かしま病院などもあり、知名度の高い鹿島公民館の外観》

 幅広い生涯学習の場が施設面で拡大されたことは、利用者に益々活動意欲を湧かせる刺激剤になったのは確かです。
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