いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

朝モヤの中で投票

2014-10-26 11:26:04 | Weblog
                                          分類:PV
  福島県知事選挙と県議会議員補欠選挙

                         投票所 鹿島小学校体育館
                               いわき市鹿島町走熊字中島1

 この頃の気温は前日に太陽の光が地表面いっぱい当たると、その夜に曇天でない限り放射冷却現象を起こして朝の冷え込みが厳しくなる。今朝もそうだった。
 澄み切った青空に、7時の時報と共に県知事と県会議員補欠選挙の投票を促す花火が打ち上がった。

 いつでも投票に行けると思っていると、その間にどんな野暮用が発生するか分からないので、行ける時に行っておこうと自転車に跨った。
 投票所までは自宅から歩いても10分と掛からないのだが、つい横着癖が出て徒歩はやめた。


                    《小名浜第11投票区投票所》

 第20回知事選は震災、原発事故後初となり6名が立候補して今夜未明にはその審判が下される。悲惨な原発事故が起きてから3年8か月が経つが、決定的な復興策も見つからないままのリーダーを選ぶ重要な選挙になっている。
 あまり盛り上がりのない選挙戦だったが、各候補とも原発を 「継承」 か 「刷新」 なのかで舌戦が繰り広げられたが、有権者の思いは 「要するにどこまでが本気なのか?」 の一語に尽きると思う。

                  
                      《当地区の投票所入口の看板》

 原発炉に対する不安解消、避難地域内の早急整備、原発事故を巡る健康管理の充実、等々、 復興の加速化へ向けての難問が山積している訳だから、誰が知事になっても県民の長として 「死んだ気になって」 県政丸の船出をして欲しいと考えながら投票を済ませてきた。
             
               《今朝の光はFUKUSHIMA復興への吉兆になるか》

 投票所へ行く時には未だ陽は差していなかったが帰り道の途中、山陰から太陽が顔を出し始めて清々しい気分にさせてくれた。
 朝モヤに溶け込んだ陽射しから、虹が現れるのではないかと思った。

       
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簡素で美しい陶展

2014-10-12 16:52:47 | Weblog
                              分類:催

  田鶴濱守人 陶展 vol.Ⅲ
                               
                   創芸工房
                   場所 : いわき市鹿島町走熊小神山60-1
                        0246-29-3826

 創芸工房で、今回で3回目の展示になる「田鶴濱守人 陶展」が、いま開催している。
  
                   《展示会場入口に掲げられている看板
 平成23(2011)年2月に同工房で第2回目の個展を開いたが、丁度あの時は東日本大震災が起こる1ヵ月前だったのでよく覚えている。
 あれから3年7か月が経過したが、田鶴浜氏の持論である「初心に帰って掌と土の睦あいの中から素朴でわかりやすい器作りを目指したい」という意気込みを持って、いわきでの陶展を開催した。

  
         《シンプルで魅力的な陶器が100点以上並んでいる

 田鶴浜氏は、多摩美術大学大学院油彩学科卒業後、陶芸の世界に惹かれて常滑で独自の創作活動に入り、平成18(2006)年には愛知県半田市に移転窯築した。
 
        《一見、鉄製ではないのかと思わせる器も並んでいる

  10月19日まで(会期中無休) 10:30AM~6:30PM

                               
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戊辰戦争と近代医学

2014-10-01 09:50:27 | Weblog
                                            分類:歴

   いわき近代医学の事始め展
                                 いわき市暮らしの伝承郷
                                  
                                 いわき市鹿島町下矢田字散野14-16
                                 電話 0246-29-2230

 いわき市暮らしの伝承郷では9月6日から始まった 「いわき近代医学の事始め展」 を10月27日(月)まで開いていて、江戸時代に西洋医学がどのように 「いわき」 に伝えられたかを、主に同館の収蔵品によって詳しく展示紹介している。

                     《フロア奥にある企画展入口》

 今回の企画展は、幕末の戊辰戦争により、いわき(磐城)に設置された 『奥羽出張病院』 について取り上げ当時、新政府軍と奥羽越列藩同盟に加わっていた藩の間で熾烈な戦闘が繰り広げられ、両陣営に多数の戦死者・負傷者が出た後に開設された救護所の資料の展示と、医学書18種類(うち、医者の教育のために取り寄せたとされる墨書と印入りの1冊を含む)を公開している。
 また、戊辰戦争の資料や同戦争に使用された砲弾なども展示されている。



           《いわきに設置された「奥羽出張病院」についての詳細が学べる》 

 慶応3(1867)年12月9日、王政復古令とその後の討幕派の政策は旧幕府側の反抗を誘発し、鳥羽伏見の戦いを始めとして慶応4(1868)年、朝廷は奥羽地方征伐のため、鎮撫軍は陸路の混乱を避けて海路東征を図り平潟港(茨城県)に上った。
 磐城三藩も海岸線の無防備を懸念して、仙台藩に援兵を頼み300名ほどの兵が送り込まれ、その内の80名ほどを平潟へ配置したが次々と上陸する西軍の兵力に圧倒され、銃口も開けずに関田村(茨城県)へ退却してしまう。
 そのような状況の中で6月17日、磐城における戊辰戦争の幕開けとなった。
 当、鹿島地域内でも平城の進撃を防ぐために七本松(走熊)、鹿島神社(上矢田)、軍次山(くうじやま)に砲台を据えて応戦に備えるが、薩摩藩の巧妙な作戦によって仙台、平藩の兵たちは戦死・負傷・敗走の憂き目に遭い、この地でも多数の犠牲者を出した。
 鹿島に於ける 「戊辰戦争」 の関連性を要約してみたが、開催中の 「いわき近代医学の事始め展」 は、そういう意味から言っても鹿島に居住している小生にとっては大いに関心があった。
 


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