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いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

連休の無い田植えスタート

2009-04-30 06:54:10 | Weblog
                 《好天気に恵まれた鹿島の田植え風景》

 子供の頃に「米という字は八十八と書くように、お百姓さんが何ン十通りもの手間隙を掛けた挙句に出来るものだから、決して粗末にしてはいけない」と云われて茶碗に残ったご飯粒一つでも食べさせられた記憶があります。

 昔は千歯ごきで種モミをこいで、実入りのよいものだけを採取して稲俵に入れ、家の天井梁にあげておきました。 そして春の彼岸頃に梁から降し、唐箕(とうみ)にかけてタナエと呼ぶ池や、溜池に浸します。

 田圃の掘り起こし、堆肥運び、代掻き、苗代作り、種蒔き、クロ塗り、苗引き、田植え、田の草取りなど、確かに米作りというのは大変な作業であったことが良く判ります。

 現在ではJAから苗は直接購入できるし、耕作から田植え、稲刈りまで機械化の恩恵を受けるようになって作業工程は短縮されたとはいえ、その分、会社や工場へ勤めるという兼業農家が増えたわけですが、とかくこの時期、世間では高速料金が千円で乗り放題だとかいう話題の中で、農家の人たちは休日返上で黙々と、作業に専念している姿を見ると頭の下がる思いがします。
 
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鹿島神社の戊辰戦砲台跡

2009-04-29 06:14:52 | Weblog
                   《戊辰戦争の砲台跡地》

 常磐上矢田(かみやだ)町にある鹿島神社の階段を上る途中右側に、幅1メートルほどの細い道があります。
 入り口に華木公園と刻まれた白い御影石が建っています。

 その先は、見るからに公園があるような雰囲気ではなく枝葉を除けながら奥へ進むと、何の変哲もない長方形の僅かな空間に出会います。
 真下には旧、鹿島街道が公園(空間)と並行して伸びているのですが、脇の新道を通る車両に圧倒されて全く目立たない状況です。

 実は、この華木公園は戊辰戦争(慶応4年・西暦1868年)の時に砲台を据えて、官軍を迎え撃った場所で「戊辰戦役鉋台古跡」の石碑が建っています。
 昭和2年10月の建立です。
 
 七本松、上矢田(写真の地)、そして平城に最も近く要塞ともいうべき拠点、軍次山(※軍事山の記載もあり)もしかり、要所に砲台を据えて官軍の侵攻を防ごうと戦いましたが、敗北しているのです。

 戦略的には平藩、仙台藩などの同盟軍(東軍)が、地の利からいっても有利かと思われますが官軍の攻略術と勢いが、いかに優っていたかが窺われます。

      
 本日の催し  4/29(水)祝日
       ◆体験学習 節句のかぶと作り(折り紙) 10:00~12:00
          指導者 高橋政雄さん(常磐)
          事前申込みの必要はありません。9時50分まで集合 材料費100円
                        於・いわき市暮らしの伝承郷 休憩コーナー


       ◆田中ゆきあき写真展  会期4月29日(水)~5月6日(水) 
                       時間10:30~18:30  最終日17:00
                       於・ギャラリー創芸工房(鹿島町走熊) 0246-29-3826  
 


   

 
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磨崖仏だった六地蔵

2009-04-27 07:18:56 | Weblog
                  《新道に建てられた六地蔵の石塔》

 六地蔵の石塔は、常磐松久須根町大夫内にあります。
 地理的には鹿島街道の常磐上矢田町(鹿島神社前の信号)から五安の溜池へ向かう途中で、常磐バイパス高架下付近の道端にあります。
 
 石塔の周りに5,6個の硬質岩石が置かれていますが、これは昭和46年に道路の拡張工事が行われて六地蔵の磨崖仏が取り壊されてしまった名残りのものです。
 六地蔵は像高約60センチで、松久須根駒込め地内の山がせり出した場所の硬質岩に彫られていたのですが惜しくも造形を失いました。

 しかし、村内の人々の拠出金によって同年6月吉日に現在の地に、六地蔵の石塔を建てました。
 残念ながら地蔵そのものは一体も見ることはできませんが、石塔の台石に使用した丸型の巨石は、工事中に同地から出たものを活かしています。

 また往時、八幡太郎義家公が東征の折、駒込め地内を通った際に石面に付いたと云われる愛馬の爪痕が三個あり、そういう伝説から「駒込め」の地名になって今に伝えられています。
 これも残念なことに、昭和46年の道路工事の時に壊されてしまったのですが爪痕の見られる部分は、破片状にはなりましたが残存しています。
 

 
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五安の溜池。散策も楽しい

2009-04-26 07:08:16 | Weblog
                  《貯水量3万トンを擁する五安の溜池》

 鹿島街道の鹿島神社前の信号を右(平方面から来た場合)に折れて道なりに進んでいくと松久須根(まつぐすね)地区に入っていきます。
 人家が尽きた先に「五安(ごあん)の溜池」は存在していますが五安は地名です。
 地元では単に「堤(つつみ)」と呼んでいますが、それはこの五安の溜池を指し農業用の貯水池として活用しているものです。

 旧鹿島村当時は大字松久須根でしたが、昭和28年の小名浜町と湯本町への分散合併等により現在では、常磐松久須根町になっています。
 当時の資料によると、鹿島の12地区には合計32の溜池があり、五安の溜池が村内第一の大きさを誇っていました。(※これは現在でも同じ)

 元は五安の溜池の貯水量は1万トンでしたが、他地区までの流水が困難だった為に昭和39年、国・県・市の補助を受けて改良し、貯水量を3万トンまで引き上げることに成功しました。

 しかも溜池の周囲は遊歩道で囲まれ、観光地としても隠れたスポットになりましたが近年、その人気は高まり人出も多くなってきました。
 駐車場があり、遊歩道は一周約1、5kmほどで途中に五箇所の四阿があって散策にはお薦めのコースです。

 一枚の写真だけでは殺風景と思われるでしょうが、タイトルに合わせてアングルを湖沼に向けたもので、実際には堤から見下ろすの眺めや、季節によって味わえる草花(ミズバショウ・アヤメ・ヤブカンゾウ・リュウキンカ・ヤブカンゾウ・桜など)を見ながら遊歩道を歩くのは家族連れにも最適といえるでしょう。

 五安の溜池まで車で上ってきた道を更に進んでいくと、途中の一部が砂利道にはなりますが常磐水野谷に出ます。


   本日の催し
 
 第一回企画展「捕鯨絵巻に描かれる町と村」開催中  5/17(日)まで
          企画展示説明会 解説・小野佳秀さん(伝承郷館長) 13:30~15:00
                         参加費無料(観覧料は必要です)

 「そば打ち」 おいしいそば打ちに挑戦! 指導者:大浦そば打ち同好会(四倉)
                         ※事前申込み制で締め切り済み。

               於・いわき市暮らしの伝承郷  0246-29-2230


 
 



 
 

     
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鹿島神社境内の大杉

2009-04-25 08:43:10 | Weblog
                《天に向かって聳(そび)え立つ大杉》

 いわき市常磐上矢田町にある鹿島神社は、延喜式に記載されている市内の神社(磐城郡七座・並小)の一つに数えられ、祭神は武甕槌命(たけみかずちのみこと)です。
 延喜式内社で、旧郷社でもあり創建は神護景雲二年(西暦768年)とあります。
 
 昭和40年頃までは鹿島神社の階段上り口のところを、主要地方道いわき・古道線(旧、鹿島街道)が横切っていたのですが新道が出来てからは若干、道路は逸れました。
 旧道の名残はありますが現在では生活上の利用はしていないようです。

 この鹿島神社の境内には「いわき市の保存樹木等指定」になっている一本の杉の大木があります。
 杉の脇に説明板がありますが、それを記してみます。

                樹種名  スギ
      「直ぐの木」からきたといわれるように真直に伸びるスギはおよ
     そ1万年前の氷期に若狭湾や伊豆地方で寒さをさけ、後氷期、しな
     やかな枝で紐状の葉のウラ系スギは積雪地帯の日本海沿いに、開い
     た葉のオモテ系スギは太平洋岸沿いに全国に広がった日本固有の樹
     木です。この木はウラ系に属し下枝の欠落は明治以前の子等の木登
     り跡でしょうか。

     樹高 31,6m  幹囲 3,5m

     指  定 昭和58年12月14日
     指定番号 86

    ※樹高や幹囲の計測は、昭和58年当時のものでしょうから実際には
     更に伸びていると思います。


本日の催し   4月25日(土)~5月17日(日)まで
   第一回企画展 「捕鯨絵巻に描かれる町と村」
市指定有形文化財「紙本著色磐城七浜捕鯨絵巻」をはじめとする絵画や絵図、歴史資料                合わせて約五十点が紹介されます。

          於・いわき市暮らしの伝承郷   お問い合わせは 0246-29-2230
          


    

 
 
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丸ごと消えた鬼越の丸山

2009-04-24 08:57:30 | Weblog
                《鹿島街道と江名・常磐線が交差する地点》

丸山は、かつて鹿島町走熊鬼越(はしりくまおにこし)にあった小さな山で、高さが30メートル位で鹿島小学校の目の前にありました。
 通称、丸山公園と呼ばれていましたが何の施設も無く、頂上は平地で忠魂碑が一基あるだけの小さな広場でした。 ただ手頃な高さなので誰でも登ることができ上からの眺めは良くて、遠く飯田や、久保、米田、下矢田、走熊の地域が一望できた場所ではありました。

 この山沿いを旧、鹿島街道が通っていて上り口の側に、名跡の「七本松」があり、唯一の交通手段であったバス路線の七本松停留所もありました。
 昔は豊間、江名方面から鹿島に向かって来ると丸山に突き当たり、そこが鹿島街道ということになりましたからT字路だった訳です。
 昭和50年に二代目だった七本の松が、道路拡張工事のために伐採されましたが、それと前後して丸山が切り裂かれて、江名・常磐線が完成しました。

 写真の上部は、昭和54年のもので丸山が中央から削り取られて露出しているのが判ります。
 その後、山全体が削られて更地となり現在の写真(下部)のように状況は一変しました。
 右角がレストランの「びっくりドンキー」で奥のビルが「ハニーズ」本社です。
 左側の茶色い建物が「ステーキ屋さん」で、その先の端の白い建物が「鹿島公民館」です。

 鹿島の変遷ぶりを、この一例が如実に物語っています。

 

 
 
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伝承郷が誘惑する

2009-04-23 08:21:44 | Weblog
                      《いわき市暮らしの伝承郷》

 私がジョギングするコースは決まっていて、中央台南小から走熊公園に出て、いわき市暮らしの伝承郷の前を通り鹿島街道へ下り、鹿島小へ向かう約1時間の道程ですが、途中で道草を食うものですから時間は未知数です。

 それは、公園でバードゴルフをしていれば暫し停まって眺め、暮らしの伝承郷の前に来ると素通りすることができず、自然に足が館の方に向いてしまうからです。

 民家ゾーンは生垣沿いから見えるので、稀に入る程度ですが休憩コーナーに行くことが目的なのです。
 机上に各種案内パンフレッドが置いてありますし、書棚には民俗、伝統、暮らしなどの専門書籍が並んでいるので嵌まってしまいます。
 常に、何か目新しいものはないかと興味津々なのです。
 奥の企画展示室では月に半分ぐらいの日数で企画展や催しが行なわれているので、それも立ち寄る起因になっています。

 仮定の話になりますが、よく記念館や美術館などを作るとなると「ハコ物」だとか「税金の無駄遣い」だとか非難されますが、建設に際しての不正や運営上に関しての問題が発生するからで、これは当事者の責任を厳しくすればよいのです。
 施設そのものが悪いわけではない訳ですから・・・

 税金を市民に有効に還元するという観点で考えると、文化向上の面に於いて寄与することができ、市民も上手に活用することによってクリアできます。
 伝承郷の職員、スタッフ、ボランティアの方々は創意工夫で、一人でも客足を伸ばそうと頑張っていることが館内に入ると窺い知れます。
 だからこそ、私のような者でも付近を通ると魅力を感じて、寄らざるを得なくなるのでしょう。

          いわき市暮らしの伝承郷  鹿島町下矢田字散野14-16
                              0246-29-2230


   今日の催し
   鹿島フォークダンス  午前9:00~    於・鹿島公民館


   
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珍味、タラボの天ぷら

2009-04-22 08:04:29 | Weblog
             前の山から採ったタラボの芽

 区費を徴収に来たT・Hさん。
 雑談しながらお茶を一杯飲んで休んでいきましたが、話の途中で「前の山には随分タラボの木があるんだない。一寸見ただけでも七本はある」と言うのです。

 T・Hさんは八十歳に近いというのに目の良さに驚く反面、毎日山を目の前にして生活している自分が気が付かないでいたことが、何だか恥ずかしいような気がしました。
 「灯台下暗し」とは正に、このことを云うのだなとつくづく感じました。

 タラボの芽は都会のスーパーなどで高価で売られますが、知る人ぞ知る珍品で直ぐに品切れとなってしまうほどの人気商品です。
 つまり、大量に採って出荷できることが出来ない品薄商品といえるのでしょう。
 
 山の急斜面で、木にはトゲがあって、芽はその先端にあるので採るのには中々厄介な代物でした。
 4月の初旬に気が付けば、もっと価値があり、もっと美味しく食べることができたのにと思うと残念ですが、それは贅沢というもの。

 夕方には早速、天ぷらにして晩御飯でいただきました。
 味の説明をせよと云われれば只、「とても美味しい」としか言い表しようがありません。
 タラボ独特の香りと食感は、口にした者だけに与えられる特権なのかも知れません。


      本日の催し
         鹿島着付けサークル   午後1:00~   於・鹿島公民館



    
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病院で「芋洗い」?

2009-04-21 07:48:59 | Weblog
                   《病院内では時々面白い会話と出合う》

 母から病院の診察券を預かると、私が一足先に病院の受付口へ向かい少しでも若い受診番号を貰っておくことが、最近やるべき仕事の一つに加わりました。
 母は約1時間後に介護の人の車に乗せてもらって玄関先までやって来ます。

 あとは車椅子に乗り換えて受診と、処方箋を受け取って薬局で薬をもらうまでの間、私は母と終始付き合う時間となるのです。
 以前までは受付番号が40番前後で、大袈裟に言うと家に戻るまでは一日仕事だったのですが、朝の早い内に診察券を受付に提出することによって大概は午前中で済むようになりました。

 私は文庫本を持ち込んで時間を潰すのですが、どの患者さんも何度か来院している内に馴染みの人ができるらしく、待ち時間の話し相手欲しさに人が動く度にキョロキョロしている仕種を見るのは、いつもの光景。

 そして誰かを見つけようものなら手招きして側に呼び寄せます。
 相手は一瞬びっくりしたような顔をしますが、患者仲間と判ると俄かに相手も顔を綻ばせて喜びます。
 お互いに病状の経過報告と世間話で話は弾んでいきます。
 私は本を閉じ目を瞑って、高齢の女性二人の会話に暫し傾注することにしました。それは読書よりも興味を惹く話題が豊富に聞けるような気がしたからです。

 患者さんは高齢の方が大半を占め、普段「話すこと」に飢えているような印象を強く感じました。だから、このような場で発散していくのでしょう。
 一人の方が「今日は先生に芋洗いをして貰うんだ」と言ったら、それを聞いた方も「へー、それは大変だ」と大きく頷きました。

 芋洗いを頼まれた医師も、よく承知したものだと私も大変だと思った瞬間、次の言葉で私のパニックは収まりました。
「ベッドみたいなところさ寝そべって写真撮ると、身体が輪切りのようになって写る機械だっぺ」と聞いていた方が言いました。
 MRI(Magnetic Resonance Imaging System )=磁気共鳴画像装置のことを話していたのです。
  
 相手の方も「芋洗い」で通じたのです。 
◎昔、NHKのことを「エムエッチケ」と云っていた人を思い出しました。


 
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かつての鹿島村役場の道

2009-04-20 08:12:40 | Weblog
                     《鹿島村役場の跡地》

 明治維新後、22年後にして相、隣り合う12の村落(御代・船戸・飯田・久保・上蔵持・下蔵持・米田・走熊・下矢田・三沢・上矢田・松久須根)が一団して鹿島村を誕生させました。

 以来、昭和28年に小名浜町(一部、湯本町)との合併をはじめとして翌、昭和29年に磐城市(一部、常磐市)、昭和41年にいわき市という市名の変遷はあったものの、「鹿島」は鹿島町という地名で現存している訳です。

 かつて、12のを統合させて農業、政治、文化、経済、交通などを執務してきた「鹿島村」庁舎が、いま思うと余りにも小規模だったことが判ります。

 写真は旧、鹿島街道から100メートルほど緩やかな坂道を上って突き当たりの小高い場所が、鹿島村役場の跡地になります。
 跡地の左側が墓地で、右側の道へ入っていくと走熊の村落となります。
 
 近くに寄ってよく見ると、高台までいく途中の石段が土や雑草に埋もれ掛かって僅かに露出していますが、それが往時の鹿島村役場の名残を現しています。


   本日の催し
     鹿島ダンス愛好会  PM7:00~     於・鹿島公民館   
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南国情緒を誘うシュロの木

2009-04-19 07:58:54 | Weblog
                      《御代(みよ)坂のシュロ》

 道は交通機能(人や物の移動)という大きな目的の他に、生活を支え、歴史や文化を支え、環境や防災の機能も果たしています。

 また、いわき市内を走行していると観光的な側面からの活用も可能であることが窺えます。
 映画「フラガール」で全国区になった《いわき市》でもありますが、市内の道路沿いには、いたるところにシュロ(棕櫚)の木が植栽されています。
 これなどは道が観光目的にも利用できるという典型的な例だと云えます。

 道路沿いのシュロは映画以前に植えられてきたものですが、もとはスパリゾートハワイアンズの前身、ハワイアンセンターの頃に施設の周辺で見られる程度でした。

 いわき市は東北地方の最南部に位置することもあって、気温は中通りや会津地方と比較すると温暖なところといえます。
 統計によると、気温の平年値は最低3,2度、最高23,8度ということですから、これは表日本型の気候に属して海洋の影響を受けて気温の年格差が少ないことが起因しているのでしょう。

 道路沿いにシュロを植えたことは、観光団体をはじめ市や建設事務所などのアイデアと実行が功を奏して、県外からの観光客からの評判は上々のようです。
 いわきを訪ねてくる人たちに、いわきの気候風土とイメージをシュロの木は、淡い南国ムードを引き立たせている役目をしているようです。
 

 


 

 
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仕事上手は片付け上手

2009-04-18 07:31:52 | Weblog
                   《目を見張るような伐採の作業跡》

隣の家では裏山の雑木を「木挽き(こびき)」に頼んで伐採してもらった。
 立ち木や木材を大鋸で挽くのを業とする人を「木挽き」とか「樵夫(きこり)」と云いますが、現在の職名ではどのような呼称なのでしょうか?
 隣のお婆さんが、そう呼んでいたので私も深いことは考えません。

 各自がチエンソーを持ち、時にはロープや梯子を使って手際よく伐り倒していく。
 遠野の山奥から来て、数名の手により2日間掛けて杉や朴木(ホオノキ)の大木を伐採していったが、さすがに大鋸を持っている人はいなかった。

 昔は杉や松の木は、山師か製材所に声を掛ければ売れたものだが今では山の厄介者扱いで、持ち主でさえ薪にしようとも思わない。
 伐採処理に掛かる費用だけが、大きな負担となって跳ね返ってくると嘆く。

 我が家の裏山でも伐採の作業が行われ、鬱蒼としていた杉木立が消滅した。 
 ただ単に立ち木を伐り倒すだけではなく根元から1メートルくらいを残して止め木にし、そこへ測ったような長さに切られた大木や枝木を横積みにして作業は終了した。

 仕事は何でも、やればいいというのではなくて終わった後を、誰に見られても納得と爽快感を与えるようでなくてはならないと思う。
 「桶屋は桶屋」というが、それにしても整理整頓の現場を見せてもらってスッキリした気分になった。


  本日の催し 4月18日~26日まで
    陶三人展  村上東市さん、新谷辰夫さん、新谷文代さんの作品を展示。
            入場無料 於・ギャラリー創芸工房(鹿島町走熊)
                     お問い合わせ先 0246-29-3826


  
 
 

  
 
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ダイユーエイト鹿島に進出

2009-04-17 07:56:14 | Weblog
                   《ダイユーエイトいわき鹿島店》

 昨日(4/16),鹿島街道の久保にホームセンター「ダイユーエイトいわき鹿島店」がオープンしました。
 元、ホームセンター「アンゼン」があった場所で当日はオープン初日でもあり、また天候にも恵まれて大勢のお客で賑わいました。

 私も新聞の折込広告に誘われて、花のバイキングへ駆り出されました。
 金魚草、ペチュニア、マリーゴールド、ガザニアなど自分の好きな草花を24ポット選ぶことが出来て1,000円は買い得です。
 何しろ普段の倍以上のポットが手に入るとあって、開店時から大人気でした。

 ダイユーエイトは本社を福島市に置き、東証第一部に上場されている大型店で、ホームセンター「ダイユーエイト」が48店舗、その他に関連店舗10店舗を構えています。(2008・7月現在)

 ダイユーエイトの取扱商品は「品質が良くて安い」が売りで、幅広い客層から厚い信頼を受けていることは以前に、福島飯坂や相馬に行って利用した時のイメージとして残っています。

 いわき内郷店も同日オープンしたようですが、店舗が浜通りの南端まで伸びた機会に益々、地域社会を重視し、その土地に浸透して存在感をアピールしながら、客へは満足感を与えてくれるような店舗であって欲しいと思っています。


   本日の催し

     フラサークルかしま  10:30~   於・鹿島公民館


     
 
 
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戊辰戦争=無名戦士

2009-04-16 08:12:16 | Weblog
                無名戦士が眠る蔵福寺

慶応4年1月(1868)、鳥羽・伏見の戦いから端を発した戊辰戦争は、西軍(新政府)の勢い止まるところを知らず、次第に江戸から東北地方へ向けて進攻してくるようになります。

 同年6月16日(火)には木梨精一郎(長州藩士)、渡辺清左衛門(大村藩士)の両参謀が薩摩・佐土原・大村の三藩の兵を率いて茨城県平潟港に到着、上陸を開始しました。
 この時点で、磐城戊辰戦争の幕は切って落とされたと言ってもよいと思います。

 その後の平城陥落に至るまでを簡単に日付で追ってみることにします。

 6月17日(水) 関田(勿来)近辺で戦闘。
   18日(木) 新田山(渡辺町)で戦闘。
   29日(月) 湯長谷藩が陥落。
    〃  〃  小名浜・二ツ橋で戦闘。   
 7月10日(金) 七本松(鹿島町)で戦闘。
   13日(月) 平城ついに落城。 ※11日~13日まで戦闘状態が続きました。
 
 ★鹿島七本松地点にも砲台を設けて熾烈な戦いが行われたが、西軍は矢田川の中を密かに進んで台場の直前に出るという奇襲作戦を取り、有利な戦績を残す事になります。
 不意打ちを食らった平、仙台藩の兵は戦況不利の憂き目に遭い、仙台兵は江名港へ敗走、舟で逃亡したということになります。
 しかし、この戦いにより絶命した兵士が5名おり、粗末な墓碑には名を刻まれる事もなく蔵福寺(走熊)の一角に、身を潜めるように存在しています。

 場所は旧鹿島村役場跡入り口の左側細道を上りきった高台で、明治15年に建立された「仙台藩士五名戦死」の碑がそうです。


 本日の催し
  ダイユーエイトいわき鹿島店 オープン  9:30



   
 
 
 

 

 
 
 
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地域に密着、かしま病院

2009-04-15 07:44:59 | Weblog
                《旧鹿島街道から、かしま病院の一部を見る》
 
 いま、鹿島を語る時に「かしま病院」の存在を外す訳にはいかない。
 それだけ医療、福祉を通じて地域社会への貢献を果たしているからである。
 社団医療法人の理念でもある「地域医療と全人的医療の実践」と開業時から頑なに守り通してきている医師たちのキャッチフレーズ「やさしさと安心の医療」が、地域住民は勿論のこと、近郷近在の厚い信頼を得ているのだと思う。

 かしま病院は、社団医療法人「養生会」のもとに運営、維持されている一端で、他に「クリニックかしま」「特別養護老人ホームかしま荘」等々医療内容は多岐に亘っているが一般に、かしま病院というと全ての施設をも包括したイメージを抱いているらしい。

 それだけ「かしま病院」のネームバリューが浸透していることを意味している。
 
 タクシーの運転手さんが、鹿島方面のお客さんを乗せて行き先を訊ねると、まず「かしま病院」を基準にして、そこから真っ直ぐとか左とかを指示する、というのを聞いたことがあるが、いかに地域に根を張った医療機関になったかを如実に物語っている。

 今後も、医療ニーズが高まる高齢者福祉の発展の為に、更には鹿島地域全体が活力ある町になるための牽引車になって欲しいという期待は大きい。

         《社団医療法人 養生会》
     関連施設  かしま病院 
             クリニックかしま
             特別養護老人ホームかしま荘
             かしま訪問看護ステーション
             かしまヘルパーステーション
             郷ケ丘訪問看護ステーション


 
 
 
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