いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

藤沢周平を語り合う

2014-08-31 17:39:06 | Weblog
                                          分類:文
  『 たそがれ清兵衛 』 の作品について
                                
                                  場所 : 鹿島公民館
                                        いわき市鹿島町走熊字鬼越83-1

  藤沢周平の作品を楽しむ会 (代表:庄司一幸) は、郡山市を起点に設立5周年を迎えて、県内各地で精力的に講演が行われている。
 6月14日には、いわき市平の「生涯学習プラザ」で代表の庄司さんが、小説「蝉しぐれ」を通して藤沢周平の人生観についてを読み解く講演があった。
 鹿島公民館で開催されるのは6月21日に続いて2回目となる。
 1回目の演題は 「一茶」で人生を語る。だったが今回は「たそがれ清兵衛」を語り合う。で13時30分から15時まで熱弁を振るわれ、出席者と藤沢周平の人間性や作風に関して自由な意見交換も行われた。
          
                      《館内での講演風景》

 時刻は4ツ半(午後11時)を過ぎているのに、城の北の濠ばたにある小海町の家老屋敷、杉山家の奥にはまだ灯りがともっていた。……から、藤沢周平の小説 「たそがれ清兵衛」 は始まる。
 たそがれ清兵衛(井口清兵衛)は、勘定組に勤めていて禄は50石である。
 下級武士だが自分の身の丈に合った暮らしをしていて決して欲を出さない。子供はいないが家には病に伏せた妻がいるので、介護から炊事洗濯までの一切を清兵衛が行っていた。
 下城の太鼓が鳴ると一刻も早く帰宅して家事に専念しなければならなかった。夕方になると活気が出てくる事から 「たそがれ清兵衛」 と陰口を叩かれていた。
 ところが清兵衛は、無形流の名手でもあったことから、その腕をかわれて堀将監の悪政を断つために、杉山頼母から堀の上意討ちを頼まれ、その条件に加増すると言うが断る。
 妻の奈美に対する清兵衛の愛情の深さを読み取り、杉山は妻の奈美に名医を紹介することと鶴ノ木湯で湯治もさせてやるという条件が持ち出され、清兵衛は止む無く承諾したのだった。
 藤沢作品の下級武士を描く独特のストーリーで、無欲と夫婦愛を絡めて、人間の身の丈に合った暮らしをする大切さを示唆している。

 藤沢周平の小説は、物語の内容もさることながら読んでいて、文章の中に文学的な表現が宝石を散りばめたように出てくるから感心させられ、納得させられ、次の作品も読んでみようという気にさせられるので不思議な魅力がある。

     
  
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地名で判る地域の特徴

2014-08-26 13:31:46 | Weblog
                             分類:外
   消えた地名には崇りがある!?
 多くの死者・行方不明者を出した広島市の土砂災害は、平地が少ない日本の地形がもたらすリスクを改めて浮き彫りにした。
 土石流などの危険箇所を抱える自治体は少なくないと思うが、現象や結果からばかり学ぶのではなく、古くからその地に残っている伝説や、土地名の由来も改めて研究し対策をとる必要があると考えられる。
 今回、被害者が最も多い安佐南区の八木地区は、昔の地名が 「蛇落地悪谷」 だったそうだが、これは水の流れる通り道で谷の蛇さえ落ちてしまうという意味なのだそうだ。
 地名変更でスマートな 「八木」 に改名されたが、残念なことにその地の過去が判らなくなってしまった。古人たちは生活体験上から後々に住む人々に、注意を喚起するのに適合した名前と思って付たのだろう。
 同じく、光広(みつひろ)神社には「激流の絵」の額が掛けられていて、龍を討伐した武将と激しく流れる水が描かれているという。
 いずれも無意味ではなく、現代の人たちに予期せぬ惨劇に遭わぬよう、重大な警鐘を鳴らしていたような気がするのだが如何だろうか。

 時代と共に地名が変わってしまったり、長い間に文字が書き換えられたりしてしまう地名は全国に幾らでもある。一例を挙げてみる。

  黒門町=現在の東上野(東京都台東区) ※都庁の区画整理に伴い、新名への変更  
  粕壁= 〃 春日部(埼玉県) ※イメージ的なものから
  御鷹= 〃 三鷹(東京都三鷹市) ※かつて、この地は天皇の鷹狩りの場所だった  
  加須市(かすし)=加須市(かぞし) ※イメージ的なものから

  5年前まで市内の 「いわき地名調査研究会」 というサークルに所属していたが、会長が亡くなってからは尻切れトンボになって、いつの間にか自然消滅してしまった。
 名のある人たちも参加して積極的な活動が行われ、学ぶべきところが多かった。
 「地名の由来」という研究課題があり、その中で先人たちが経験した事件や事故を後世に残すために、意識的に付けた地名と思われる名前が幾つも見受けられた。
 「さんずい」の付く地名は、水害が起きる危険性があるというのもその一つだった。
 「沢」「津」「港」「流」「滝」「洋」「洗」「浜」等々がそれに該当する。

 ●ここ、いわき市では平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災で、地震と
  津波による甚大な被害を受けた。
         
           《何もなかったような江名の青い海と被害家屋
 いわきの海岸沿いの地名を辿っていくと、改めて「さんずい」の付く地名が多いのに驚かされる。
 ちょっと列記してみると、小浜、渚、小湊、小名浜,江ノ津、江名、薄磯、浜街,沼ノ内、久ノ浜、中浜、金ケ沢、深谷、長沢などがある。
 久之浜町金ヶ沢地区では、全壊家屋が総戸数の88%を占めたというのはまだ耳に新しい。
         

           久之浜の旧浜街道(水戸街道)辺りの惨状

註釈 : 写真は何れも、平成23年に被害に遭って数日経った時の写真です。

 
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クモ網に×印を付けるクモ

2014-08-07 14:48:20 | Weblog

                             分類:他
   コガタコガネグモ
   クモ網 クモ目  クモ亜目 コガネグモ科

 我が家の周囲はU字型になった山に囲まれているので人為的な騒音は聞こえず、今の季節はセミが夏の盛りを知らせ、鳥たちは深緑の中を自由奔放にさえずり回っている。
 地面に目をやると小さなアリたちが、この暑さの中で行列を作って秋から冬にかけての食料の備蓄に専念していた。


             《定規で測って作ったような×(バツ)の印》


 ふと、物置のトタン波板を見ると庭では滅多に見られないクモが網を張って動かないでいた。
 普通のクモ網だったら気にも掛けなかっただろうが、その網に更にクモ糸で×の模様を作ってあるから私(人間)には逆に目だつが、確実にエサ待ちをしているのだった=写真。
 この×の部分を 「隠れ帯」 というのだそうだが、クモ自体が8本の足を2本ずつ広げて×印の中央部に脚を合わせ、エサになる虫たちに気付かれないようにカムフラージュしてジッとしている。


 
         
        《人形が万歳をしているような恰好のコガタコガネグモ》


    このクモは本州、四国、九州、沖縄に分布しているが北海道にはいない。
    腹部に赤い紋があるコガネグモの仲間。
    日中の暑い最中に、暫し暑さを忘れてコガタコガネムシに見惚(と)れた。

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