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義務を果たしてこそ自由はある おととい(一昨日)テレビを観ていたらニュース番組で、ある高等学校が学校側と生徒間で制服の着用についての話し合いが続いているという場面がありました。 つまり、生徒たちから制服を排除したらどうか? という意見が出ていて結果が中々出ないで紛糾しているのでした。
※以下の写真は、いずれもイメージ的に使用したもので文中とは直接関係はありません。
《やはり制服姿は、学生は学生らしく見える》
生徒側は「学校内では勉強をするのが目的なので制服には余り関係ないと思う」「私服の方がリラックスでき、却って勉強がしやすい」などの意見が出てくるのだが、それに対して学校側では「色・デザイン・ブランド商品、と服装が個々に違いが出てきて次第に規制ができなくなり、やがて学校崩壊に繋がっていく」「貧富の差によって、毎日のように服装を変えてくる生徒もいれば、同じ服装で登校してくる生徒も出てくる。こっちの方が差別となってきて、いじめの問題も深刻になってくるのではないか」という主張のやり取りが交わされているのでした。 何でも自由を求めて解放されたい気持ちは誰でも同じだが、どんな立場にあってもそこには義務が存在していることを忘れてはならないと思います。 学生であれば学生である『らしさ』が必要です。
例えば、緊急の要件が発生して交番に駆け付けた際に、警察官が制帽を被らずボサボサ頭でカーディガンを着て、サンダル履きでいられたら単なる民間人であるかのようで、その瞬間に意気消沈してしまいます。やはり、警察官は警察官らしく身なりを整えていて欲しい訳です。
極端な話。他人の葬儀に参席する時、喪服(この場合は制服に準ずる)ではなくアロハシャツで行ったら参列者から間違いなく顰蹙をかいます。=いや、気が狂っていると思われます。
《搭乗者に安心感を与えるのも添乗員の制服》
自由とは、どんな事をしてもいいというのが「自由」ではなく、そこには暗黙の内に規律や規制、そして為すべき義務があるのを忘れてはいけないと、テレビを見ていながら改めて考えさせられました。
《災害地では制服姿に感動し、感謝心が出る》
制服こそ学生の象徴であり、また職業人としての立派な証であり、自分を律し誇りとすべきと思ったのでした。