分類・文
小説 ひとつの選択
いわきの総合文藝誌風舎7号掲載 箱 崎 昭
(5)
繁と母が2人で暮らすようになってからも、花枝は仕事帰りといわず家の近くを通ると普段でもよく寄っていく。
花枝が来るのは1人であったり時には孝男と一緒だったりしたが、繁との雑談の合間でも絶えず母への気配りを欠かさないのには感心した。ところが日を増すごとに家に立ち寄る回数が激減していった。
一体これは何故なのか不可解だったので聞いてみた。
「ごめん、その理由は簡単なの。孝男さんと相談して兄さんが家に来たから安心したので、あとは何かが起きたような時は別として普段は余り来ないようにしようと考えたのよ」と笑顔で答えた。
母と繁の生活の中に花枝たちが執拗に介在しない方が良いのではないかと夫婦で決めたようだ。繁を自由に行動させるための気兼ねと、出来る限りはお任せという依存度が高まったからでもあるようだった。
繁は母が病院へ行く日には診察券を預かって少しでも若い番号を貰っておくために家を出て、母が診察を終えるまでは待合室で静かに文庫本を読み耽った。
帰り掛けに医師から渡された処方箋を薬局へ持って行き投薬を待つ役目もあった。
要介護2の認定を受けている母は病院系列のヘルパーステーションから往復の送迎となるが、医師の検診を受け自宅に戻ると不思議にその日は痛いという言葉は出ない。
『病は気から』ともいうが1か月分の薬をテーブルの上に置いて日に3回分ずつに選り分けている傍で、繁が薄笑いをしているのを横目に「やっぱり、あの先生は評判が良いだけに看て貰うとうーんと違うな」
満足そうに言う。いつもそうだ。
大阪に住んでいる咲江も時折電話を掛けてよこすが、そんな時に母は「この頃は前に比べて身体の調子が大分良くなってきたし、そばに繁が居てくれるから随分と助かるよ」などという会話を耳にすると繁自身も悪い気がしない。矢張り微力ではあっても、母に何らかの役には立っているのだなと思えるその嬉しさに変わるからだ。
母が1人で住んでいる時には毎夜寝ることが出来ないので睡眠薬を常用しているとか、夢を見ると必ず父が出てきて家の周りを巡回してくれているから安心だとかを花枝に話していたというから最近では精神的な面から安定してきたのだろう。
繁は母に寝込まれないだけ幸せだと思っていたし、少しでも元気な内は自分の身の回りは自分で処理してもらうことが本人の健康維持のためにも良いと考え、大概のことは放っておくようにしていた。
野山が深い緑に覆われ、暑い陽差しが木洩れ日となって根元の下草にまで養分を与えているかのように見えた夏の終りに思わぬ事故が発生した。
繁が玄関のゴミを掃きだしていた時に近くで物音がしたので、外に顔を向けたが別に異常がない。それは古紙を束ねて地面に放り投げたような鈍い音に似ていた。
母が何かを落としたなと思いながら手箒を持ち直した時に、うめくようなか細い声が聞こえてきた。
「繁~……」
弱々しい声だ。咄嗟に表へ出て庭を見回したが姿がない。
2度目の声を聞くより早く母は道路側にいるなと直感した。案の定、段差のついた庭から道路上に仰向けになって倒れていた。 (続)
小説 ひとつの選択
いわきの総合文藝誌風舎7号掲載 箱 崎 昭
(5)
繁と母が2人で暮らすようになってからも、花枝は仕事帰りといわず家の近くを通ると普段でもよく寄っていく。
花枝が来るのは1人であったり時には孝男と一緒だったりしたが、繁との雑談の合間でも絶えず母への気配りを欠かさないのには感心した。ところが日を増すごとに家に立ち寄る回数が激減していった。
一体これは何故なのか不可解だったので聞いてみた。
「ごめん、その理由は簡単なの。孝男さんと相談して兄さんが家に来たから安心したので、あとは何かが起きたような時は別として普段は余り来ないようにしようと考えたのよ」と笑顔で答えた。
母と繁の生活の中に花枝たちが執拗に介在しない方が良いのではないかと夫婦で決めたようだ。繁を自由に行動させるための気兼ねと、出来る限りはお任せという依存度が高まったからでもあるようだった。
繁は母が病院へ行く日には診察券を預かって少しでも若い番号を貰っておくために家を出て、母が診察を終えるまでは待合室で静かに文庫本を読み耽った。
帰り掛けに医師から渡された処方箋を薬局へ持って行き投薬を待つ役目もあった。
要介護2の認定を受けている母は病院系列のヘルパーステーションから往復の送迎となるが、医師の検診を受け自宅に戻ると不思議にその日は痛いという言葉は出ない。
『病は気から』ともいうが1か月分の薬をテーブルの上に置いて日に3回分ずつに選り分けている傍で、繁が薄笑いをしているのを横目に「やっぱり、あの先生は評判が良いだけに看て貰うとうーんと違うな」
満足そうに言う。いつもそうだ。
大阪に住んでいる咲江も時折電話を掛けてよこすが、そんな時に母は「この頃は前に比べて身体の調子が大分良くなってきたし、そばに繁が居てくれるから随分と助かるよ」などという会話を耳にすると繁自身も悪い気がしない。矢張り微力ではあっても、母に何らかの役には立っているのだなと思えるその嬉しさに変わるからだ。
母が1人で住んでいる時には毎夜寝ることが出来ないので睡眠薬を常用しているとか、夢を見ると必ず父が出てきて家の周りを巡回してくれているから安心だとかを花枝に話していたというから最近では精神的な面から安定してきたのだろう。
繁は母に寝込まれないだけ幸せだと思っていたし、少しでも元気な内は自分の身の回りは自分で処理してもらうことが本人の健康維持のためにも良いと考え、大概のことは放っておくようにしていた。
野山が深い緑に覆われ、暑い陽差しが木洩れ日となって根元の下草にまで養分を与えているかのように見えた夏の終りに思わぬ事故が発生した。
繁が玄関のゴミを掃きだしていた時に近くで物音がしたので、外に顔を向けたが別に異常がない。それは古紙を束ねて地面に放り投げたような鈍い音に似ていた。
母が何かを落としたなと思いながら手箒を持ち直した時に、うめくようなか細い声が聞こえてきた。
「繁~……」
弱々しい声だ。咄嗟に表へ出て庭を見回したが姿がない。
2度目の声を聞くより早く母は道路側にいるなと直感した。案の定、段差のついた庭から道路上に仰向けになって倒れていた。 (続)