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藤沢周平の作品を楽しむ会いわき例会 設立記念 場所:鹿島公民館
長塚節没後100年記念講演会を催す いわき市鹿島町走熊字鬼越83-1
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本日(14日)、藤沢周平の作品を楽しむ会いわき例会(代表・沼田詩子さん)では、昨年1月に会を発足し例会を続けてきたが、今回はその設立を記念して、長塚節研究会(茨城県)の事務局長をしている 河合宏 氏を招いて 『長塚節といわき』 という演題で講演してもらった。
長塚節〈ながつか・たかし〉は、茨城県結城郡岡田村国生の生まれで数多くの短歌を発表したが、32歳(明治43年)の時に小説「土」を執筆して朝日新聞に連載されたのでも名が知られている。
余談だが、河合宏氏は常総市の博物館学芸員でもあり、稀ではあるが訪ねて来られる方に「長塚節(ながつかぶし)ってなんですか?」と問われる時があるそうだ。現代の人には長塚節(ながつかたかし)という人物は忘れかけられていると苦笑しておられた。
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《熱弁を振るった長塚節研究会の河合宏氏》
旅を好んだ長塚節は、いわきにも所縁(ゆかり)があって明治39年(1906)に常陸國の平潟港から磐城平の赤井嶽(宿坊に1泊)と、関田(勿来)に立ち寄って、歌を詠んでいる。
〈赤井嶽〉 ・赤井嶽とざせる雲の深谷に 相呼ぶらしき山鳥の聲
〈勿来の浜を過ぎて〉 ・こませ曳く船が帆掛けて浮く浦の いくりに立つは何を釣る人
・汐干潟(しおひがた)磯のいくりに釣る人は 波打ち来れば足揚(あげ)て避けつつ
▽赤井嶽薬師と勿来の関に歌碑がありますのでお出かけの際は是非、ご覧ください。
長塚節は喉頭結核を患い、九州医科大学(福岡)に入院していたが、大正4年2月9日に没す。享年37歳だった。