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いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

カケス婆っぱ ⑭

2009-01-31 07:16:22 | Weblog
 他人の口に戸は立てられないというが、の女たちが雑談に出てくる話題の中でカケス婆っぱが泥棒を働いたという陰口が流布されて、すっかり噂の種になってしまった。
 関根夫婦はキクに対する親切が却って仇になってしまったと世間話に困惑した。
 この噂話を聞いてからは会う人ごとに経緯と真相を説いたが、聞いたものは関根がカケス婆っぱを庇ってやっているのだと、噂の方が勝ってしまう始末だった。
 関根裕一はあの日、畑まで一緒に同行して自分が直接採って渡してやればこんな事にならずに済んだのにと思うと後悔し、キクに申し訳ないことをしたと、しきりに反省した。
 噂の憎むべきところは、いつでも発信元の当事者が有耶無耶になってしまうことで、今回のキクの一件も結局だれが最初に言い触らしたかは判らず終いのまま終止符が打たれた。
 キクの噂が廃れるまでには、さほどの日数を要しなかった。それは村内に不幸が起きてしまったからだ。
 よりによって遠藤重孝が亡くなったということで、キクの所にも戸触れがきた。
 妻の直子が、いつもの時間になっても起きてこない重孝を不審に思い、寝床に行ってみると頭を枕の上に置き、仰向けの姿勢で静かに息を引き取っていたということで、その姿はまるで眠っているようだったと知らせの者が伝えた。
 死因は脳内出血で後頭部から首筋にかけて内出血により皮膚は紫色に染まっていたということだった。
 キクは重孝の訃報を聞いて、暫らく呆然として立っていた。
 昨年の暮から幾らかの足しにでもなるならと柴売りを任せてくれたし、普段でも何かと気を掛けてくれた人を失ってしまった衝撃は強かった。
 柴売りの初日にリヤカーの荷台を空にして帰った時に、喜んでくれた顔は忘れることが出来ないと思った。

      *
 キクは少しでも手間賃が稼げることなら何でもした。
 小名浜港に大量のイワシが揚がると浜では塩漬けで竹串に刺して洗浄し、広い敷地いっぱいに干し台の上で天日干しにする。
 乾燥の頃合を見計らって方刺し作業へと進むのだが、この時に必要なのが方刺しに使う藁刺しである。
 すかさず口利きに頼んで、その藁刺しを作る仕事にも没頭した。
 藁刺しは一本の藁を真ん中で折り曲げて二、三度捩じって十五センチ位のところで結び、その先を切ったものだが農家の夜なべ作業としては人気があった。
 希望する者には見本品が一本ずつ渡され、その通りに作ればよい。
 農家では普段、縄綯いをして慣れているのでこういう仕事は能率が上がったがキクにとっては容易なことではない。
 おそらく一本作るのを比較したら、農家の子供たちの方が明らかに早いだろう。
 和起が寝たあとも静かな部屋の中で、囲炉裏を前にして一人黙々と藁刺し作りに専念した。
 和起が既に中学生になって自分の小遣いは自分で稼ぐと言って新聞配達をしてくれている現実を考えると、歳月の周期の速さに驚かされるがそういう成長をしていく過程で嬉しいと思う反面、寂しさが込み上げてくるものがあった。
 それは和起が中学を卒業後は、他県に就職して離れ離れの生活になることが目に見えていたからだ。
 近隣に職を求めることは困難で、中卒者は金の卵だと持て囃し求人してくる企業が多い都会への就職に頼らざるを得ない状況にあった。
 唯一、和起と一緒に居られる方法はあった。
 それは常磐炭砿に就職して修技生になることだった。炭砿現場の技術を習得しながら高卒程度の教育が受けられ、給料が支給されるという好条件のものだった。
 就職担当教師からの打診があったが、キクには炭砿そのものに強い拒絶反応を起こした。 《続く》



 
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カケス婆っぱ ⑬

2009-01-30 07:11:38 | Weblog
 七十歳は過ぎていると思われるが、見るからに上品な人で腰を伸ばしながらじっとキクと子供を見ていたが意を決したように柴の値段を聞いた。
「一把二十円でお願いしているんです。実は一生懸命に売り歩いているんですけど、どうしてもこれだけ売れ残ってしまって」
 与えられた仕事を完遂できなかった悔しさと、自分の無力さを珍しくキクの言葉に表れた。
「残り全部を置いていきなさい。そこの空いている場所に積み重ねてくれればいいですから」と女は言った。
 一瞬、信じ難い言葉に耳を疑った。
「有難うございます」
 キクは地面に土下座して礼を述べても良いくらいの感動と嬉しさが込み上げてきた。しかも、これからも売れ残りが出た時にはいつでもいいからウチに置いていけばよいとまで言ってくれたのだ。
 キクは何度も礼を言いながらリヤカーに三人の子供を乗せると、雑貨食料品叶田商店と書かれた店の看板を何度も振り返っては見上げながら立ち去って行った。

      *
 弥生三月とはいっても、それは暦の上だけで鹿島村にはまだ暖かさは訪れてこない。
 日中の最高気温で十二度前後、最低気温で四度前後という寒暖にはまだまだ落差のある時節だった。
 それでも寺の日当たりの良い場所では、雑草の中から可憐な水仙の花が春を告げようとして背伸びをしている。
 キクは久し振りにの地域内を散策してみようと思い、寺を下りて行った。
 農協や郵便局へ出る道とは逆の方向へ歩いていくと、農道の細い道が一筆書きの線のようになって散在している農家を上手に結んでいる。
 途切れた農家の先は山奥へ続く道となるので、途中の兵藤橋から迂回して寺へ戻っていくと丁度よい距離になる。
 関根宅の前で広子に会い立ち話をしているところへ、夫の裕一がそれを見て
「そんな所で喋ってねえで家へ寄ってお茶の一杯でも飲んでいきな」と誘った。
 関根夫婦は温厚で人当たりもよく、他人の噂話や悪口などを言うのを嫌うから誰にも好感を持たれている。キクとの会話でも相変わらず満面に笑みを浮かべて、寺でのキクの生活ぶりに感銘と感謝の心を表して夫婦で褒めた。
 関根夫婦はキクの帰り掛けに、八坂神社の下の畑からネギと大根を好きなだけ採っていくようにと言ってくれた。
 総福寺へ帰る手前に八坂神社はあって、その道路下に関根の畑があり確かにネギも大根も畝を並べて大きく育っていた。
 キクは下へ降りて大根一本と数本のネギを引き抜きながら、今夜は大根の煮物でも作ろうと考えていた。
 丁度その時に、役場の野沢民子が帰宅の途中でキクの姿を見た。
 民子は声を掛けて挨拶をしようと思ったのだが、他人の畑に入って野菜を引き抜いている行動を変に勘繰ってしまいキクが背を向けて気が付いていないのを幸いにと、その場を逃げるようにして去っていってしまった。
 この事が翌日からキクにとっては最悪の状態に陥る原因になってしまうのだ。《続く》

 
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カケス婆っぱ ⑫

2009-01-29 08:50:45 | Weblog
      *
 年の瀬も押し迫って、キクと和起は早朝五時半にリヤカーを引いて下石屋の遠藤重孝の家を出た。
 二人の他に遠藤の家から和起と同級生の剛と弟の郁夫も加わった。
 外はまだ薄暗く寒気が手足や頬を針のように刺した。
 柴をリヤカーに山積して、小名浜の町まで行って売り捌いてくる仕事だった。柴の積み込みは前日の内に重孝が準備してくれていたから、いつでも出発できる状態にはなっていた。
 キクが前になって引き、子供三人は後から押すことになって動き出した。
 重孝が玄関先でキクに気をつけて行ってくるように激励しながら見送った。
 リヤカーの柴は高く積まれていて、凸凹道になると神輿のように左右に揺れた。
 積荷のバランスはリヤカーを平行にして、そっと手を離すと取っ手がゆっくりと上がっていく状態が引いていても荷の重さを感じさせないようになる。
 そのあたりは重孝が万全の調整をしてくれてあった。
 正月を控えて、どこの家も柴売りに出るから途中で何台かのリヤカーに出会ったが皆、先を急いでいた。
 柴売りの秘訣として本当は、こういう人達と会うようではいけないのだ。
 他人より少しでも早く町中に入って売り歩かないと、何処を回っても既に柴を購入した家が多くなり、それだけ浪費時間が嵩んでしまうからだ。
 複数の常連客を抱えていれば、多少遅い時間に行っても容易に売り切ることもできるが初日のキクには、そのコツが判らなかった。
 小名浜の町に出ると、潮の香りと魚の干物のような匂いが交錯して鼻の奥まで染み入るような感じがした。
 町中の人たちは朝食の支度で、どこの家も道端に七輪を出して火を焚く姿が目立つような時間帯だったので、キクはそういう人たちの側に近づく度にリヤカーを止め「柴を買ってくんねけえ」と声を掛けた。
「ウチでは要んねえ」とか「もう買ってしまったかんなあ」とか中には馴染みの柴売り以外の人からは買わないと、はっきり断る者もいて物売りの難しさを痛感させられた。
 時間ばかりが経過して、どうしても売れない柴が十二把ほど残ってしまった。
 もう金銭のことはどうでもよい、重孝には申し訳ないことだが持ち帰ろうと思い帰路を別の道に変えて歩きはじめた。
「売らないで残ったまんま帰んのけ」 
 和起が聞くと重孝の子供も心配そうにしてキクの顔を見た。
「売らないんではなくて売れないんだ」
 キクは疲労の色を濃くして、そう言うと苦笑した。
 途中で雑貨屋の前に差し掛かると、割烹着を身に付けた年配の女将さんらしい人が塵取りと手箒を持って店先を掃除しているところに出会い、通りすがりに何の気なしに双方の目が合った。
「お早うございます。奥さん柴は要らねけえ」
 無意識の内にキクの口がそう言わせた。
 唐突ではあったが、残りの柴を売り捌く最後の賭けか執念なのか自分自身でも判らないまま、不躾にもキクは嘆願にも似た口調であった。 《続く》

 
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カケス婆っぱ ⑪

2009-01-28 07:34:02 | Weblog
      *
 いつの頃からかは、はっきりしないのだがキクのことを世間ではカケス婆っぱと呼ぶようになっていた。
 勿論、キクに面と向かって言うことはないのだが、会話の中でキクのことに触れる時には名前ではなくカケス婆っぱの呼称が用いられる。
 別に悪意のある渾名でないことは、話す者同士の会話から自然に出てくることからでも判る。
 しかし単純に面白可笑しく付けられたにしても、愛称であっても直接にキク自身が耳にする言葉ではなかった。
 なにかと閉鎖的な寒村の中へ、何処の馬の骨かも知れぬ者が飛び込んでくれば余所者として白い目で見られ軽蔑され、心の中で拒絶反応を起こされる一面があっても不思議ではない。
 カケスとは鳥の一種で、キジバト位の大きさがありジエーッと煩いほどのダミ声を発して鳴き、林の奥の茂みの中に飛び込む習性があることからキクにとっては格好の渾名にされてしまったようだ。
 この呼び名を最初に聞いたのは和起で、教室でのことだ。
 授業中に鳥の話題になって先生が、この鹿島地区に生息している鳥の名前を一人ずつ挙げるように言った。
 順番に起立してホオジロ、セキレイ、メジロ、キジなどと次々に鳥名が出てきたが、一人の生徒がホロスケと言ったら教室内は爆笑に包まれた。
 先生もつい貰い笑いをして「この辺ではホロスケで通用するけども正式名はフクロウというんだからな」と言って援護した。
 浜通り地方の方言でホロスケというと、馬鹿者という意味でも解釈されるから一層笑いを誘ったのだ。
 言った生徒も承知の上で、皆に受けるためにホロスケの名を挙げたようだった。
 次に立った生徒がカケスの名を挙げたら別の誰かが茶化すような言葉で「カケスー?」と、さも意味あり気に言い返した。
 その途端に、殆んどの生徒が和起の顔を窺うようにして笑った。
「何が可笑しいんだ」
 先生は一瞬、カケスに関して生徒たちが何故受けるのか理解できなかったが、不可解に思いながらもそれ以上の言及はすることもなく時間がきて授業は終わった。
 和起もカケスと言った生徒に反応して笑った者たちの意味が判らず隣席の武夫に問い質した。
「和起の婆っぱさんが、カケス婆っぱと呼ばれていることを知んねえのか?」
 武夫は和起が知らないという意外性に気付き、言いにくそうに話すと和起の表情を見ながら含み笑いをしてみせた。
 和起は婆ちゃんが、そのような陰口を叩かれていることに強い衝撃を覚えた。
 その晩、思い切ってキクに今日の出来事を話した。
「あのなあ、婆ちゃんに渾名が付いているの知ってっけ?」
 そう言われてキクは厭な予感がしたが冷静を装った。
「どせ婆ちゃんに付く渾名だもの碌な名前ではないんだっぺよ。一体なんて付いているんだい」
 内心では興味を抱いたから急くようにして和起の返答を待った。
「カケス婆っぱ」
 和起は言葉をなぞるようにして、ゆっくりと一言だけ言った。
「なるほどな、いくら渾名だとは云えうまいこと付けたもんだなあ」
 キクは感心したように頷いてみせた。
「婆ちゃんは腹が立たねえのけ」
「いや、腹が立つどころか婆ちゃんはな、豚とかカバとかいうのかと思っていたら鳥の名前だものびっくりした。きっと婆ちゃんは掠れ声でギャーギャー大声を出すから、村の人らはカケスと付けたんだっぺな。最も婆ちゃんみてえな美人を捉まえて豚とかカバなんて言われたら、それこそ怒るけどな」
 キクは平然として言って退けた。
 和起は婆ちゃんが腹の中ではどう思っているのか図りかねたが、その太っ腹な態度を見ていると何故か自分も心の許容範囲が広がったような気がした。 《続く》
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カケス婆っぱ ⑩

2009-01-27 07:08:33 | Weblog
 妻の克子が人の気配を感じて奥の座敷から居間に出てくると、キクを見るなり何度も会っている友人のように快く迎えた。
「婆っぱさん、この人誰だか判っけ?」克子が義母に聞いた。
「判るわい、今度からお寺に来てもらう人だっぺ」
 老婆はキクと和起をゆっくりと見比べるようにして、柔和な表情を見せながら皺の数を更に増やした。
「そうだよ、昨日から入って貰ったから。これでの人たちもお寺のことに関しては安心していられるようになったね」
 克子は嬉しそうな表情をしながら熱い鉄瓶の湯を急須に注いだ。
「旦那さんとのご縁で私ら二人がこの土地に置かせてもらえるようになって、本当に感謝しています」
 キクは久吉に向かって改めて心からの礼を述べて深く頭を下げた。
「キクさんが、これまで苦労してきたことは充分に承知しているけども、このに来たからといって必ずしも楽になるとは限らねえかんない。むしろ大変だと思っている。見知らぬ土地へ来た訳だから慣れる間はある程度の気苦労も覚悟しておかんとな」
 久吉は優しい目をして言った。
「はい、それは大丈夫です」
 キクの短い言葉だが、聞いている者には芯の強さが伝わった。
「それさえ承知していれば私は何の心配もない」
 久吉が吹っ切れたように言うと傍らにいた克子も老婆も、キクの顔を見ながら安堵の色を濃くして肩の力を緩めた。

      *
 裏山から舞い落ちてくる枯葉が境内一面に散乱している中で、キクは黙々と庭掃除に専念していた。
 この時季、日に何度も枯葉掃除をするのは余儀ないことである。
 階段下の通りから子供たちの弾んだ声が聞こえてきたんで石段を見下ろすと、和起を先頭にして数人の子供が一緒に上がってくるのが見えたので箒の手を止めた。
「婆ちゃん、学校の友達を連れてきた。お寺で遊んでもいいべ」
 和起はキクの姿を見つけると他の子供よりも真っ先に駆け寄ってきた。今日は水曜日で下校時間が早いのだ。
 寺で静かに勉強でもしていってくれれば良いのだが、そういう類の面々でないことはキクには一目見て判った。
 早い時間に家に帰ると、親に野良仕事を手伝わされるものだから道草を喰っていこうという魂胆の輩だとみてとれた。
 どの子供も走熊からは一も二部落も離れていて、家まで帰るには半時(一時間)ほど掛かる距離の連中だ。
 キクは一瞬困惑したが、もう既に和起が連れて来てしまったから仕方なく遊ばせることにした。只、物を壊したり怪我をしたりしないように注意をするとキクは部屋に引き上げた。
 その方が子供たちが遊び易いと思ったからだ。
 喜んだ子供たちは風呂敷に包んだ教科書を腰から外して、境内を駆け回って遊び始めた。
 かくれんぼでもしているのだろうか時折、部屋の脇を走り去っていくゴム製の短靴の足音がした。その内に本堂の方からも物音がしたり、畳の上を走る音が部屋にまで聞こえるようになったので堪り兼ねて、キクは戸を開けて怒鳴った。
「こらあ和起ー。本堂の中で遊んでは駄目だと言ったのが判んねえのかあ」
 キクの地声に輪をかけた大きな声が寺一帯に広がった。
 暫らくして子供たちの騒ぎも鳴りを潜めたので境内に出てみると、子供たちは縞の風呂敷包みを腰に充がい帰る支度をしていた。
 キクが近寄ってきたのを知ると腰の結びを早めた。
「じゃーな」
 振り返って和起に片手を上げ石段を降りていくところだった。
「これこれ待たんかい。あとで和起にも言っておくけどな皆がお寺で遊ぶのは構わねえ、だけども本堂の中にまで入ってはだめだよう。判ったかい」
 キクは穏やかに言い聞かせた積りだったが持ち前の甲高い地声が禍して、子供たちはびっくりして、まるで蜘蛛の子を散らすように駆け降りて行ってしまった。
 ガキ大将の集まりのような子供たちが逃げていく後姿を目にしながら、キクはあの格好が面白いといって豪快に笑った。 《続く》 
 
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カケス婆っぱ ⑨

2009-01-26 07:11:56 | Weblog
 もう十一年前のことになるが、和義が加代子と知り合ったのは磯原駅前界隈にあった飲み屋街のバーだった。
 和義が二十一歳で既に稼ぎを得ていたから、よく坑内仲間と飲み歩いていた時期がある。加代子はホステスとして働いていて二人は客と従業員の間柄から交際が始まり、やがて結婚をした。
 加代子が十八歳になって間もないことで、その翌年に和起は生まれている。
 加代子は和義が亡くなった後、逼迫した生活状況を考えると毎日キクと家の中にいる訳にもいかず、先ずは収入を得るためにとキクを説得して働きに出るようになった。
 かつて経験したことのある仕事の方が手っ取り早くて収入も良いということから店こそ変ったが、再び夜の磯原でホステスとして働くようになった。
 加代子が健気に働く姿に客の評判もよく、人気者になって店の売り上げも増進させたものだから店のママも喜んでいた。
 商売柄、帰宅時間は不規則でタクシーで戻ったり客の車で送って貰ったりして帰宅すると、即座に和起の寝顔を見てその日の疲れが癒されたように笑みを浮かべていた加代子である。
 ところがある日突然キクと和起にとって思いもよらぬ、最悪の結末を招く出来事が起こってしまう。
 加代子が店に出るようになってから四ケ月後に失踪してしまったのだ。
 世間では今の生活に嫌気がさしたからだとか、好きな男ができたからだとか無責任な憶測が流れたが、キクはただ必死になって店の者や複数の客から何か思い当たる節はないかと聞いて歩いたが徒労に終わった。
 警察署に失踪届けを出して捜索を依頼したが朗報は届くことはなかった。
 キクはもう運命に怒るどころか愕然として、涙は涸れ果て泣くことさえ忘れていた。
 加代子にも精神的、金銭的な苦痛はあったにせよ可愛い子供を置き去りにしていくという感覚がキクには到底理解できなかったのだ。
 炭砿会社も最初のうちは、キクたちが社宅に継続して居住していても黙認しているようだったが従業員の居ない家族を、いつまでも置いておく筈がなく成るべく早いうちに明け渡すように迫ってきた。
 全く先が見えないで苦悶していたキクの前に現れたのが富田久吉だった。
 キクは地獄に仏とはこういう事を云うのだなと痛感して、その時は久吉から正に後光が差しているような錯覚を起こしたくらいだ。
 このような深い事情もあって、キクが何はともあれ真っ先に久吉の家へ挨拶に伺うことは至極当然のことであった。
 久吉は鹿島村の消防団長と農業委員会の役職を兼務していて、村民にも人望が厚かった。
 広い庭から玄関先へ向かう途中で、久吉が野良着のままで物置から出てきたところに出会った。キクと挨拶を交わしたが久吉は中(家)に入るよう勧めた。
 土間の脇が居間で座敷に大きな囲炉裏が据えられている。
 囲炉裏に焼べられた薪が黄橙色の炎と紫煙を吐き出しながら、自在鈎に吊るされた鉄瓶の底を這っていく。
 囲炉裏に手を翳して座っている白髪の老婆は久吉の母親で、背を丸くして煙を避けながらキクと和起を覗き込むようにして見た。 《続く》 
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カケス婆っぱ ⑧

2009-01-25 07:21:22 | Weblog
 鹿島村役場は十二のを掌管している割には然程大きな建物とは思えない木造二階建ての庁舎で、余裕のない土地いっぱいに建っている。
 二階が会議室と書類保管室になっているので、一階全体が村長から一般職までが間仕切りのない床板に机を狭苦しそうに並べて、それぞれの職域を確保している。
 キクと和起が中に入ると職員と村人の間を遮るカウンターがあって、小柄なキクには顎を上げるくらいの高さがあった。
 正面に朴訥な雰囲気をもった年配の男が手持ち無沙汰そうにしていたが、二人を見ると眼鏡の中から人懐っこい目をして笑顔を作った。
 鷹揚に構えて用件を聞くと
「それならね、奥から二番目のところへ行ってください」と言って指差しながらキクの後姿を目で追った。
「あら、中村さん。昨日は如何でしたか、大変だったでしょうに。それで今日はもう早速、届けにきてくれたのけ」
 標準語と方言の入り混じった話し方に違和感を覚えたが相手は昨日、寺で皆と歓迎してくれた同じの野沢民子という後家で、年齢は三十七、八歳ぐらいになるだろうか。
 キクは野沢から、昨日は如何だったかという曖昧な問い掛けに村に対する第一印象なのか、疲れたかの問いなのか、はたまた寝心地のことだったのかを考えたら一瞬、頭の中が錯乱した。
「はあ、お陰さまでなんとか・・・これからもどうぞ宜しくお願いします」
 キクにも矢張りいい加減な言葉しか出てこなかった。
「こちらこそ宜しく」
 味気のない事務的な応えが返ってきた。キクが提出した書類に目を通している動きの端々に心の冷たい、底意地の悪そうな表情が見え隠れした。
 いま冷静さを装っているが転入届に記載された情報を独占したことによって、腹の中では鼓踊りして喜んでいるのではないかとキクは察知した。
 こういう寒村の役場では、いくら役所とはいっても個人に対しての守秘義務など有って無いようなものだろうから、おそらく昼食時には私らの家族関係の詳細を、この野沢は弁当仲間に得意になって話し、盛り上がるのだろうなとキクは推察しながら役場を出た。
 すでに、見慣れない来訪者に職員たちが立ち去る二人を興味ありげに見ていることがキクの背中に熱く感じていた。
 役場の下の道を挟んだ低地に富田久吉の家はある。
 久吉の家は、その道から降りると簡単に行けたが挨拶に行くには気が引けたので郵便局や床屋のある通りへ一旦出て、正面玄関のある広い庭先へ回った。
 久吉は、キクを寺の墓守としてこのの人達に説得し世話をしてくれた命の恩人であった。それがなかったら今頃は路頭に迷い死を選ぶ窮地に陥っていたかも知れないのである。
 久吉は親戚が茨城の華川という所にいる関係で、何度か往来している内に重内炭砿に住んでいるキク達の話を聞いて哀れんだ。
 キクは夫の源造と、息子の和義親子の五人で長いこと炭砿長屋での暮らしを送ってきたが、採炭夫だった源造は退職したあと肺を患って入退院を繰り返し五年前に亡くなった。
 幸い、息子の和義も坑内に入って働いたから炭住を出ることもなく、贅沢さえしなければ生活の維持できたし家庭内では笑いが出る環境の中にあった。
 しかし、幸福というものは長くは続かない。
 息子は酒好きが祟って体調を壊し、気が付いた時には腹が鏡餅のように膨らんでいた。アルコールの過剰摂取が原因で肝硬変を起こして、今年の二月に父親を追うように妻と子を残して三十二歳の若さで他界してしまったのである。
 キクは、一体何という世の中なのだろうか、自分は何も悪いことはしていないというのに大切なものを次々と剥奪されていく現象にやりようのない怒りを覚えた。
 嫁の加代子も、これから先のことを考えると呆然として途方に暮れていた。 《続く》
 
 
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カケス婆っぱ ⑦

2009-01-24 07:17:11 | Weblog
「オレが持っていくから」
 和起がバケツに手をやり薄白く濁った水を見て首を傾げた。
「随分汚ねえ水だけど大丈夫なのかな?」
「の人がな、寺に集まった時にはこの水でお茶を飲むっていうんだから心配は要らねえ。それに溜まり水ではなくって湧き水だから安心だ」
 和起が前になりキクが後になって階段を上っていく。
 境内にある銀杏の大木がすっかり枯葉を落として、黄色い絨毯のようになって根本を円形状に敷き詰めていた。
 朝食は一時間ほど経ってからになったが囲炉裏端に卓袱台を置いて食べた。
 キクが釜の飯を盛りながら言った。
「今日は忙しいかんな。先ず役場さ行って転入届を出して富田さんち(家)へ挨拶に寄り、そのあと学校へ行って和起の転校届けを済まさなくてはなんねえもんな」
 キク自身が確認するかのようにして和起に言った。

        *
 走熊は明治元年以前の旧幕時代には、平藩の支配下にあって走熊として独立していたが明治二十二年に隣接する御代、船戸、飯田、久保、下蔵持、上蔵持、米田、三沢、下矢田、上矢田、松久須根の十一村と合併して鹿島村となった。
 鹿島村の由来は、上矢田に鎮座する延喜式内社鹿島神社の名から命名された。
 走熊は鹿島村としてはほぼ中央に位置して役場や学校をはじめ郵便局や農協、床屋、雑貨屋などが一本の道に集中している。
 キクたちがいる寺から右斜め下に、その殆んどを見下ろすことができた。
 キクと和起は境内の端に立って周囲を見回していた。小春日和の淡い陽射しの中に時折、冷気が二人の頬を撫でていくが心地よく感じた。
「さあ、そろそろ出掛けることにすっか」
 キクが声を掛けて下の役場へ向かうことにした。
 墓地の前を通り抜けて裏道を行くと和起の背丈ほどもある熊笹が前を遮るように覆い茂っている。
 キクが先頭に立って笹を掻き分けながら進んでいくのだが、それは細い道で枯葉が足元に絡みつく獣道にも似ていた。
「これじゃ山の中を歩いているのとちっとも変んねえよ。何か出てきそうで嫌だなあ」
 和起はキクの後ろから吸い寄せられそうになって付いていく。
「熊笹があって、このは走熊っていう土地の名前が付いているくらいだから、ひょっとすると本物の熊が出てくるかも知んねえぞ」
 キクは振り返ると、おどけて笑った。
「なんだよう、いくら昼間だからといっても驚かすのはやめてくれよなあ」
 和起も冗談とは判ってはいたが確かに熊がいるといえば、そう思ってもおかしくはない雰囲気のする細道だった。
 ガサガサと音をたてて細道を降りきると、次に役場へ上がる入口が出たきた。
 寺から下へ降りるときには役場に限らずこの道を利用すれば、寺の階段から来るよりも早く生活道へ抜け出られるが、それにはキク自身が熊笹を鎌で切り拓くより他はないと思った。
 早速、手始めにやるべき仕事が出てきたとキクは実感した。 《続く》
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カケス婆っぱ ⑥

2009-01-23 07:14:26 | Weblog
 和起は、それ以上のことは言わずに囲炉裏の火に手を伸ばした。
 生活必需品は取り敢えず鍋、釜、茶碗から蒲団まで備品として揃っていたから生活上の心配はない。
 キクは囲炉裏を挟んで奥の壁側に和起の蒲団を敷き、出入り口のほうに自分の蒲団を敷いた。
 和起は蒲団の中に潜り込むと同時に「暖ったけえ」と喚声をあげて腹這いになり読み残しの雑誌を広げた。                          和起にとって今日一番の幸せという表情を窺うことができた。
 キクも蒲団の中に入ると仰向けになって、煤けた天井を見ながら一日の出来事を振り返ってみた。
 慌しい一日ではあったが今朝、住み慣れた重内の炭砿街を去る時には何十年来の付き合いの人達が名残を惜しんでキクの手を握り泣く人、肩を叩いて励ます人、そしてバスに同乗して磯原駅まで来て見送ってくれた人など惜別の情を感受したことを思い出すと改めて胸に熱いものを覚えた。
 キク自身、ヤマの人たちと別れの際はもう逢うことのない今生の別れになるのではないかとさえ思ったからだ。
 いま、こうして高台の寺の片隅で隔離されたような生活が始まったことが、その予感を一層現実的にさせた。
 もう決して後退りは許されないし、この場所以外に行く先がないのだから生きられる限り、ひたすら和起の成長に日々夢を託していくことが自分に与えられた唯一の生き甲斐であり、責務ではないのだろうかと自問自答した。
 それにしても朝から晩まで多忙を極める一日だったが、和起が気張って一緒に行動を共にしてくれたことがキクには何よりもの救いだったし嬉しいことだった。
 明日から先のことは全く判らない暗中模索の中で、とにかく和起と二人で懸命に生きなければならないという意気込みだけは熱い炎となり、体中が火照るほど強く感じた。

          *
 和起が起き易いように囲炉裏に火を付けて朝飯の支度に取り掛かった。
 昨夜、皆が食べ残して置いていったお新香や煮物があったので作るものは飯と味噌汁だけで充分だった。
 台所の甕に入った水は寺に上る階段の途中にある小井戸から汲み上げてこなければならない。
 空バケツを持って境内に出ると、寺の面に朝陽が一面に差して清清しく見晴らしの良い朝が待っていてくれた。
 階段の中段まで下りて小井戸の中を覗いて見ると、岩石の隙間から白乳色にちかい不透明な水が浸み出ていた。
 こういう水なら雨水の方が余程ましだと思ったが、集会などではこの水を使用していると聞いているので飲み水としては何の害もないだろうと思いながら汲み上げた。
「婆ちゃん「「婆ちゃん」
 上の方から和起の呼ぶ声が聞こえてきた。
「おーい、こっちに居るよう。和起ー」
 キクの甲高い声が朝の澄んだ空気の中に響き渡った。
 和起はキクの姿を見つけると階段を二段ずつ大っ飛びして降りてきた。
「なんだあ、こんな所に居たのかあ。目を覚ましたら居ねえからびっくりしたよ」
 慌てていた様子だったがキクの側へ寄ってきたら安堵感に変っていた。
「悪かったな、気持ち良さそうに寝ていっから婆ちゃんだけ起きて飯の支度をすっかと思っていたんだ」
 そう言って井戸に備え付けの荒縄の付いたバケツで水を汲み上げると、持ってきた別のバケツに移し変えた。《 続く》 
 
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カケス婆っぱ ⑤

2009-01-22 07:28:22 | Weblog
「それと明日にでも見ると判っけども、階段側の墓のいちばん隅っこに猫の額ほどの空き地があるんです。もともと墓地として使うつもりで空けてあるんだけっども新しい檀家が出来ねえ限り畑として好きなように使っていいからない。これはもうの人らの了解済みになってっから。うん」
 自分で言って自分で首を縦に振り納得してみせた。             「まだ仏様は入っていねえから安心して耕せっから」
 もう一人の若いほうが悪戯っぽい目をして笑うと、赤ら顔の男とキクもつられて笑った。
 キクは、この若い男の一言に緊張の糸が一気に解れたよう気がした。
 隣に座っている和起の側にも女連中が交互に寄ってきては何か聞いたり冗談を言っては笑っていた。
 どのくらい時間が経過したのであろうか、区長が頃合を見計らって興の中に言葉を差し入れた。
「それでは時間も大分経っていることだしキクさんも疲れていると思いますので、この辺でお開きにしたいと思いますがどうですかね」              盛り上がっている座から空かさず反論の声が上がった。           「なんだっぺ、まだ酒は残っているんだけっとも」
 早くも出来上がった男が茶々を入れたものだから哄笑の渦に包まれた。
 拍手が起こったが、それは区長の閉めの挨拶に対しての応えだったから皆が立ち上がり片付けに取り掛かった。
 男女が手分けして行われ、座卓の積み重ねや戸締りは男で、座布団を部屋の隅に運んだり食器類をキクの住まいとなる部屋の台所まで持って行き洗うのは女の仕事になっている。
 に何かある度に行われる暗黙の作業手順のようで手際が良かった。
 寺から一人去り二人去りして結局、最後に残ったのはキクと和起だけだった。
 集会の賑やかさから一転して、その反動が今までに経験したことのないような静寂さだけを残された。
 キクと和起が居住する場所は本堂裏側の一角にある八畳一間で、本堂とは壁で遮られているので出入り口の階段は別になっていた。
 部屋の横に台所と押入れがあって八畳間の中央に畳半分ほどの囲炉裏が据えられている。
 笠のない電球のコードが無造作に釘止めされて天井からぶら下がり、部屋に僅かな温もりを与えてくれているような錯覚を起こすが、二人の身体を陰影にして畳に擦り付けたりもした。
「和起、大変だったな。今日からこのお寺が我が家だぞ。それにしても住む部屋は小さくても、でっかい家を持ったもんだな」
 キクは虚勢とも自棄っぱちとも思われる言葉を放つと、言っている自分が可笑しくなって高笑いをした。
「婆ちゃん、ここで二人っきりになると何だかおっ怖ないような気がすんなあ」  和起が臆病風を吹かせた。                        「なにが怖いもんか男のくせして。世の中に怖いものなんか何にもねえ」
 キクは即座に否定して和起の顔を見ながら思い付いたように
「あるとすれば、こわめし(赤飯)かな。あれはこわい(固い)もんな。それと生きている人間も恐いな、悪いことを平気でするし他人様を泣かせたりすっからな。あとは世の中で恐いものなんか何にもねえ」
 キクは、お化けや幽霊の類と比べたら人間の方が現実的でもっと恐いのだと言いたかったのだが、そこまで口にすることはしなかった。和起に得体の知れないものを想像させて更に恐怖感を与えてしまうと思ったからだ。 《続く》
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カケス婆っぱ ④

2009-01-21 07:28:16 | Weblog
 キクと和起が境内に顔を見せたのと同時に、本堂正面にいた何人かの内の一人が叫んだ。
「中村さんが来たぞー」
 周りにいた人達が二人を見ると、一斉に小忙しい動きをして座卓の前に正座する様子が真正面から見えた。
 最初に二人を見つけた散切り頭で削ぎれた頬に無精髭を生やした男が、高床を飛び降りるようにして草履を引っ掛けると足早に寄ってきた。
 以前、キクが下見に訊ねた時に会っている区長の田中だった。
「皆が首を長くして待っていましたよ。遠いところを本当にご苦労様でした。ささ、どうぞ上がって下っせ」
 田中は腰を低くして、ヤクザが仁義を切るような格好で片手を本堂の方へ向けて言った。
「この子が和起君けえ、頭の良さそうな子だない」
 キクに月並みの世辞を言うと、和起には
「こんな辺鄙なとこさ来てたまげたっぺ。早くこの村に慣れて婆ちゃん孝行してやんだぞ」と言ってイガグリ頭を撫でた。
 本堂の中仕切り襖を外して、長い座卓をコの字形に並べ男女二十数人が興味あり気に座っていた。
 キクたちが縁側から本堂の畳に足を踏み入れると、皆の視線が集中して同時に歓迎の拍手が湧き起こった。
 キクと和起は案内された場所に座るとキクが村人たちを前にして深々と頭を下げた。和起は周囲の状況に圧倒されてキクの脇で、鼻を付けるとカビの臭気が漂いそうな畳の目を黙って見ていた。
 区長の散切り頭が立ち上がり徐に横を向いて咳払いを一つすると、それが合図のように一瞬にして雑談がとまり本堂が静まり返った。
「えー、それでは只今から、この総福寺の留守番と墓守をお願いすることになった中村さんを紹介します。既にご存知の通り、中村さんはお孫さんと二人の生活となります。慣れない所で苦労されるとは思いますが、そこは皆さんの力強よい後押しをお願いするところです」
 区長の後に続いてキクが挨拶を迫られた。
「磯原の重内から来た中村キクと孫の和起です。ご縁があってこうしてお世話になるようになりましたが、生活や環境が変れば自分では良かれと思ってしたことが結果的に皆さんに迷惑を掛けてしまうような時があるかも知れません。そんな時にはどうぞ注意やご指導をお願いします。どうぞ、これから宜しくお願いします」
 キクは挨拶を述べている間に無意識に何度も頭を下げていた。
 再び拍手が湧く中で歓迎会は進行していった。
 長机には酒やジュース、それに各自が持ち寄った手作りの漬物と煮物類が並べられた。
 キクと和起は上座に座らせられて歓待を受けたが、このように皆に喜んで貰えることに重責を感じたがキクも嬉しかった。
 キクは座を立ち、一人一人にに丁寧に挨拶をして回り男たちには酒を注ぎながら一通り席を回った。
 気が付けば、もう外はすっかり暗くなって本堂内の裸電球だけがいやに明るく感じた。
 寺世話人だという男が二人、膝を引きずるようにしてキクの側に寄ってきた。
「キクさん、私らは順回りで今年度いっぱいは寺世話人という事になっています。お寺の行事や、それに関する諸々の仕事をする訳だけっどもキクさんがここに住んでみて不平不満が生じたら、何でも構わなねえから先ず俺らに言ってくんちぇない。出来る限りの要望には答えるようにすっから」
 二人のうちでは年上らしい赤ら顔の男が言った。素顔なのか酒にやけた赭顔なのかキクには判断しかねた。
 更に、赤ら顔の男が続ける。 《続く》
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カケス婆っぱ ③

2009-01-20 07:31:11 | Weblog
 傾斜がきつくなり、坂を上り切ったところに三沢随道がある。
 採炭場の坑道にも似た随道は双方の地域を繋ぐ重要な役割を果たしているが、随道内は照明がなく荒く削られた天井からは穴の空いた薬缶のように水が滴り落ちている。
 ポタポタと止め処なく落ちてくる雫によって水溜りができ、泥濘の道は搗きたての餅のように足にへばり付いて歩行を困難にした。
 出口から差し込んでくる唯一の淡い明かりを頼りに、覚束ない足元を気にしながらゆっくりと進んだ。
 随道を通り抜けると左側にバラック建ての華奢な家が四、五軒ほど寄り添うようにして建っている。
 山の斜面に危なっかしく張り付いているような家は、おそらく流浪の炭砿夫が勝手に建てて居座っている場所なのだろうと思われる。
 このバラック小屋を最後に暫らくの間は人家が無くなり道幅も極端に狭くなって山と山が二人を圧迫するかのように身近に迫ってきていた。
 土砂道の両端にリヤカーのタイヤ痕があり、その凹みが人家のある方へ案内しているように思えた。
 薄暮の陽射しは弱々しそうに山の中腹を照らしているが、どこからか山鳩が日暮れの早いことを知らせて啼いている。
「随分遠いんだな、おらあ足が痛くなってきたよ」
 和起が眉間に皺を寄せて訴えた。
 キクは和起の顔を見ながらウン、ウンという仕種をして頷いた。
「だから婆ちゃんが駅に着いた時に、最初に頑張って歩くべなと言ったっぺ。頑張れえ」と元気付けて笑ってみせた。
 和起は本当に足が痛くなっていたしキクもそれは充分に承知していた。
「もう少し歩くと農家がポツンポツンと見えてくっから、そうしたら着いたも同然だ。暗くなんねえ内に行けるようにすっぺな」
 米田まで来ると確かに農家が散在し、田圃も一段と広がりを見せてきた。目的の走熊に近いことを知らせているようなものだ。
 和起は道端にしゃがみ込んでしまいたい心境だったがキクが「もう少しだ」というので我慢して歩いていた。
「和起、見えてきたぞ。あそこが婆ちゃんたちが住む所だ」
 キクが大きな声を張り上げて前方に見えてきた小高い山の上を指差して言った。
 二人は山峡の道を辿り歩いてやっと総福寺を目前にした。
 寺は全体が雑木林に覆われて裏山からは見えなかったが、落葉樹の隙間から僅かに数基の墓石を確認することができた。
 三和橋を渡って右方向に曲がって、半周するように進むと中腹に鹿島村役場があり、その下の道を百メートルほど先へ行ったところに寺へ上る階段があった。
 切り通しに出来た階段は粒子の粗い大谷石で、どの石も湿気を含んで隅々には青苔を蓄えていた。
 両側の法面が熊笹で隙間なく覆われている。
 境内に上るまでに幾つも泥土の踊り場があって、踊り場ごとに出来て間もない複数の足跡が境内に向かって付いている。
 既にの人たちが集まり二人を待ってくれているのが推察できた。
 高い石段を上り切ると境内に入るが、その入り口には松福院総福寺と刻まれた白御影の石柱が彫りを深くして、二人を見つめているようだった。《続く》
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カケス婆っぱ ②

2009-01-19 07:21:19 | Weblog
 老婆は年齢に似合わず大きな荷物を背負って、両手に風呂敷包みを下げている。
 まるで終戦直後の買出し姿のような格好をして精悍な面魂をしていた。
 子供は色褪せたリュックサックを背に、片手には一冊の真新しい少年雑誌を持っていた。
 「婆ちゃん、ここからバスは出ていねえのけ?」
 子供は駅前のバス発着場を見回しながら聞いた。
「いや、出ていね。今からゆっくり歩いて行っても夕方までには楽に着くから頑張って歩いて行くべな。村の人たちも待っていてくれることだし、婆ちゃんも頑張っから」
 老婆はキク、少年は和起という名の二人連れだった。
 これから行く先のバスが出ていないというのが、如何にも辺鄙な場所であるかを暗示していた。
 キクは一緒に付いてくる和起と顔を見合わせると、にっこりと笑顔を作り、さあ行くぞという無言の気合を入れて見せた。
 駅前を始発とする各方面行きのバスは乗客を乗せると、二人から逃げるようにして慌しく側から去っていく。
 キクと和起は駅前広場の角を曲がり、細い路地を抜けて石畑踏切の方へ歩いていったが人通りが疎らになったところでキクが思いついたように和起に声を掛けた。
「和起はもう四年生なんだから、これから向こうさ行って暮らすようになっても寂しいだとか、また重内さ帰りてえとか決して弱音を吐いては駄目だかんなあ。それこそむらの人らの笑い者になってしまうんだから。婆ちゃんと二人で一生懸命にやっていけば必ず良い時がくるから。判るな」
「判っているって。だからこうやって婆ちゃんと一緒に来て婆ちゃんと一緒に歩いているんだっぺよ」
 和起は自分が置かれている今の立場を、子供ながらに理解してくれているのだなと思うとキクは和起が不憫であり、又それとは逆に喜びと心強さの相矛盾するものを感じた。
 石畑踏切を渡ると直ぐに陸前浜街道に出て、その道は炭砿夫が水野谷砿から来る人、向かう人で賑わっていた。
 ぞろぞろと歩いてくる砿夫たちはキクと和起と擦れ違っても別に関心を示す訳でもなく時折、後を振り返り見る者が何人かいるくらいだった。
 二人は歩きながら話すと疲労が増すように思えたので必要以外の会話は避けて寡黙になって歩いた。
 和起は手持ちの雑誌が気になるらしく、立ち止まっては頁を捲りキクとの間隔が開くと、また慌てて追いかけた。
 磯原で汽車に乗る前に強請って、駅前の本屋で買ってもらった「少年クラブ」だった。
 いつもは友達が購入したものを仲間内で順番を決めて読み回す月刊雑誌なのだが
今日は特別にキクが買ってやったのだ。
 誰の物でもない正真正銘、和起自身の所有物だから嬉しくて仕方がなかった。
 関船の十字路を左に折れると矢鱈と平屋建ての家屋が目立つようになってきた。
 相変らず炭砿夫の往来は激しいが、その中に主婦や子供たちも混じってきたことは炭砿長屋の生活圏に踏み入れたことを知らせている。
なだらかな坂道を進んでいくと、砿業所が現れて周辺に石炭積込み場や貨車の引っ込み線があり、ズリ山が几帳面に円錐形を作りあげ天を突いている。
 駅前から、この辺りまで来ると湯本町と鹿島村の境が目と鼻の先になって、目的地までは、そこを一山越えることになる。
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カケス婆っぱ ①

2009-01-18 07:11:23 | Weblog
 実は小生、昨年運よく受賞できた小説作品があります。
 折角、書いたものですからできれば一人でも多くの方々に目を通して戴けたらと本頁に
恥も外聞もなく、投稿することを思い付きました。
 拙作を読んで頂くには、相当の勇気と忍耐が求められますが最後まで飽きずに、ご笑読
願えれば幸甚の至りです。


    第31回吉野せい賞応募作品 奨励賞受賞

       小説 かけす婆っぱ

 磐城の地形は、遠く阿武隈山脈を背にして太平洋側に細く長く伸びた山々によって形成されている。
 常磐線は上野駅を始発に水戸を経由して仙台方面へ走り抜ける幹線だが、その山間と海岸沿いをまるで縫うようにしながら途中、常磐炭田地帯を通過して行く。
 常磐炭田から産出する石炭を、京浜方面へ輸送する最大の交通機関としての役割も担っている重要な路線でもある。
 湯本駅界隈は常磐炭砿としては唯一、お湯が湧出している地域ということもあって駅前から北西に向かって温泉宿が林立している。
 この駅に列車が滑り込んでくると、乗客の殆んどが停車中に車窓を開け放ち、物珍し気にホームに視線を傾注させる。
 ホームには湯ノ嶽で捕獲された親子イノシシの剥製が置かれ、黒いダイヤといわれる上質石炭が展示され、更にこの土地の自然と郷愁を瞬時でも乗客に味わってもらおうと地下からお湯を吹き上げさせているからである。
 広大な構内側線には、採炭されて間もない石炭が無蓋貨車に満載され途切れなく並んで、牽引していく機関車を待っている。
 貨車に積まれた石炭には普通炭と上質炭の区別が成されてあり、上質炭には最上部に石灰が満遍なく撒かれ一目見て確認できるようになっている。
 また、これは目的地に到着する迄の間に途中で荷抜きをされるのを防止する意味も兼ねている。
 側線が途切れた端にはドブ川が流れている。
 単にドブ川というよりも、炭砿の坑内から湧き出てくる温水が汚物と混じり合い赤銅色となって排出されてくる川と云ったほうが正しい表現かも知れない。
 その川と並行して陸前浜街道があって、道路の両端をヘルメットを被り顔中が石炭の粉塵で真っ黒になった炭砿夫が、蟻の行列のように気忙しく往来している。
 目だけが異様なほど光って見える。
 そこを湯気の上がった石炭を積載したダンプカーが狭い道を更に狭くしながら、荷台の煽り板から汚水を垂れ流していくので道路は土砂降り雨のように跳ね返る。
 近くにある立坑の送風機が山鳴りのように唸っている。
 一帯が山に包囲されている湯本駅周辺は、炭砿と観光の両面を兼ね備えた独特の活気に満ちているが,狭い土地ゆえに街全体が凝縮されていて通称、陸前浜街道と呼ばれている国道6号線さえ窮屈そうに街中を抜けている。
 11月の中旬ともなると、朝晩など寒さが一段と増してくる頃でもあるが日中はまだまだ暖かさを感じる時期でもあった。
 全てのものを吸い込みそうな紺碧の空が広がり、山々の稜線はすっかり紅葉に染まって温泉客にとっては絶好の季節を迎えていた。
 そんな日の昼下がりに、下りの鈍行列車から降りてくる人だかりの中に、どう見ても観光を目的にこの地にやってきたのではないと思える、60歳前後の小柄で浅黒い顔をした老婆が10歳位の男の子を連れて改札口から出たきた。 《続く》
 

 
 
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鹿島地域の牽引車は?

2009-01-15 07:12:18 | Weblog
 鹿島の商業を発展させていくための礎になっている「ネーブルシティかしま」という団体があります。

 これは、かしま商店事業所会の別称でもあり、各事業主同士のコミュニティーと鹿島地域活性化を図るために誕生した名称です。

 鹿島は、小名浜、湯本、内郷、平、江名などから見てほぼ中心に位置する地域であり、人に例えると丁度、ヘソ(臍)の辺りになるということから付けられた名前だと云われています。

 かしま商店事業所会の設立は、平成元年(1989)ということですから今年で21年目を迎えたことになります。
 鹿島地域発展のために、どれほど貢献しているかということが伺われます。
 「ネーブルシティかしま」は毎年、地域住民との触れ合いを深める一環として、鹿島ショッピングセンター・エブリアの駐車場を利用し「リバーサイド・フェスタinかしま」を催して、真夏の祭典と銘打って盛り上げています。

 小生、単なる地域の住民の一員として「ネーブルシティかしま」には今後、益々頑張ってもらい、名実共に【いわきのヘソ】になって欲しいと思っているところです。


本日の催し

【いわき市暮らしの伝承郷】
 第3回 新世紀福島支部小品展  15日(木)~19日(月)まで
 
 
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