いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

ちぐはぐ政治と国民意識

2021-01-14 09:36:38 | Weblog
                                          分類:外

   正直者は馬鹿を見る、ではいられない
 新型コロナウイルスの感染者数は毎日のように記録を更新しています。実にイヤな更新だが、そこへ変質コロナも蔓延(はびこ)ってきているので事態は一層深刻です。
 各府県知事が国に緊急事態宣言を発出するよう要請していたが、ようやく1都3県の他に昨日(13日)は新たに栃木・岐阜・愛知・京都・大阪・兵庫・福岡にも出されて、これで11都府県が緊急事態宣言の対象に入りました。

       《2府5県の緊急事態宣言発表をする菅首相=写真はNHK総合テレビより》

 重い腰は上げてくれたが如何せん強制力がないので『不要不急の外出は自粛して欲しい』『飲食業の営業は午後8時までにお願いする』などと他力本願ばかり。
 町中のテレビインタビューでは「店は午後6時から開けるので8時閉店ではやっていけない(居酒屋)」、「8時までなら飲んでも良いということにもなるので、それまでに飲んで帰宅する(サラリーマン)」と、稀ではあるがこのような返答をする人たちもいました。
 そういう状況から考えられるのは、居酒屋が午後8時過ぎに営業していても注意やお願いはされるでしょうが罰則はないので、それ以上立ち入ることができません。こういう場合、政府は営業自粛を守らない店は公表する方向へ進めているようですが、これさえ逆目に出て客を「あそこの店ならやっているので、あの店に行こう」と誘引させてしまう危惧を抱くのですが、それは単なる妄想でしょうか。

            《グラフは感染者数に歯止めが止まらないのを示している》

 『1回目の緊急宣言時に神奈川の感染者は50人前後だった。今や1000人にも達しようとしている状況の中で、前よりも緩い処置でよい訳がない。徹底した外出自粛をもっと強調する必要がある』と、苦言を呈している有識者の声が決して無にならないように願うばかりです。
 
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双方、独走に変わりない

2021-01-03 19:06:37 | Weblog

                               分類:催

    第97回 箱根駅伝から見えた風景
 令和2年から令和3年へ新しい年にバトンタッチされても、コロナ禍の中で感染者の数は一向に減らない状態が続いています。
 この3日間、私は不要不急の外出は極力控えて家に籠っていたし、また自宅に訪ねて来る人も少なくて済みました。こういう時だからこそ時間的に余裕ができたというのを利用して、埃の被った古書を引っ張り出して読書に専念するよう努めました。

 折しも今日(3日)はTVで箱根駅伝復路の実況を放映している最中だったが、偶然にも秋山ちえ子(1917~2016)の 『八十二歳のひとりごと』(岩波書店・1999年刊)を読んでいてマラソンに関するエッセイに出会ったのでした。

  《8区(21,4キロ地区)を1位で走り抜けるランナー》 △NHK総合TVから

 あっぱれボストンマラソンの大西ドクターというタイトルで内容は 「この時の日本のニュースは3年ぶりに出場した有森裕子さんが3着になったことで紙面を賑わせた。ところが、その日の現地の新聞『ボストン・ヘラルド』を数日後に手にして少々驚いた。というより大いに深く反省させられた」 と言うのです。
 大西ドクターは64歳から走ることを始め、毎朝、診療前に走りホノルル、ニューヨーク、つくば、荒川などのマラソンに参加して〝マラソン中毒〟というニックネームが付いたほどの人でした。
 この〝マラソン中毒〟の大西さんが、ボストンでは74歳で6時間ギリギリでゴールに入った最後の完走者であったという訳。

  《21チームの最後のランナーがゴールして第97回箱根駅伝は幕を閉じた》

 そこで前述の秋山ちえ子が、深く反省させられたというのは「もしも、私がボストンマラソンの取材に行ったら有森さん中心のレポートになりはしまいかということと、マスコミの記事を100%信じてはいけないということへの反省でもある」と言い切っています。
 日本からの取材者がたくさん行っていただろうに、74歳の大西ドクターが最後の完走者となった姿を見た人はいなかったのだ。

 その後で秋山ちえ子は追記で、こう記している。
 大西ドクターのことを日本の取材者は見なかった、書かなかったと言った。が、『東京新聞』のスポーツライター、増島みどりさんが「有森復活の陰に勝者がいた」という見出しで書いているのを見つけた。
 増島さんは帰りの機中で隣席のアメリカ人に握手を求められ、「あの日本人には、とても感動した。すごいね」と。 てっきり有森裕子のことと、にっこりした。が、それが日本人の74歳の大西ドクターであることを教えられた。
 増島さんは自らの取材不足を恥じるしかない、と書いて締めてあった。

 今日の箱根駅伝でも、華々しく1位でゴールのテープを切ったランナーの陰に、最後尾で独走する勇者が見られました。
 でも、写真(下)では見ての通り。その瞬間を見る人はなく歩道は去る人、大会関係者は既に片付けに気を取られて誰1人として見てはいないのです。せめて最後の拍手と声援で讃えてあげて欲しかった。〈TV前の私は恥ずかしくて、悲しいワンシーンを観てしまったのでした〉

 

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