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いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

鹿島の石仏について講演

2021-10-12 20:44:26 | Weblog

                             分類:催

                                                           

                 《鹿島公民館》                                                                       いわき市鹿島町走熊字鬼越83-1  ☎ 0246-29-2250

 今に残る多彩な石仏に魅(ひ)かれる                                                               だまだ楽観はできませんが、昨日(11日)の県内でのコロナ感染者数は0でした。                                      10月1日を以て「蔓延防止対策」や「緊急事態宣言」が解かれて各公共施設が利用可能になり、どのサークルも活動し始めました。                                                 今日(12日)、鹿島公民館では「地域再発見・地域活動家に聞く」というテーマの一環として午後2時より、講師の小松隆先生を迎えて『地区の文化遺産・鹿島の石仏(神)を散策する』という演目で約1時間30分の講演がありました=写真下。                                     

           《熱心に聞き入る聴講者たち》

 いわき市鹿島町は明治22年以前まで戸長制で近隣12のが各々、村(邑)として成り立っていましたが明治22年4月1日付で町村制が実施され12の村落は一団して「鹿島村」を誕生させました。「鹿島」という村名の由来は本村に鎮座する延喜式内鹿島神社の社号によって新村名としたものです。

この鹿島町12地区(註・うち3地区は現在、常磐地区)には今もなお地区に宿る精神の一端である民間信仰の「講」の存在と、精神が形とされた十九夜塔や庚申塔の石像文化が多数残されています。小松先生はその信仰伝統と歴史を丁寧に、そして分かり易く解き明かしてくれました。       

     《走熊地区の蔵福寺境内にある如意輪観音石像》

十九夜講の主本尊として親しまれ、鹿島全体で11基あります。

  

         《米田地区にある湯殿山の文字塔》

大日如来の浄土である湯殿山に詣で、即身成仏の本懐を遂げるということで信仰心が強かった。                           このような文字塔は鹿島全体で6基が確認されています。

その他にも石仏の種類は、馬頭観世音・十九夜塔・庚申塔・念仏供養塔・別雷皇太神・子安観音・三十三観音巡拝塔・地蔵菩薩・六地蔵・摩崖仏・光明真言塔、が存在します。

小松先生は、これらの研究成果を「鹿島民族見聞会」の会長当時の平成30年度に100部製本し、公民館(一部限定)や図書館へ寄贈しました。 

 

                                                               

 

 

 

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秋の八坂神社、例大祭

2021-10-03 15:09:43 | Weblog

                             分類:催      

八坂神社 いわき市鹿島町走熊字宮下53                                               祭神 素戔嗚尊(須佐之男命)=すさのおのみこと                                          氏子 48戸

 村を挙げての祭り~形式的な行事になってしまった                                                 秋晴れの好天に恵まれた今日(3日)は、走熊地区で八坂神社の祭典がありました。場所は八坂神社の境内で午後1時より、神社総代・寺世話人・区長・副区長が集まり立鉾鹿島神社(平中神谷)の宮司さんを迎えて行われました。

    《本殿前でお祓いを受ける走熊の地区長、各役員たち》

八坂神社は全国に約3,000社あるらしいですが、実質的には天智天皇6年(667)に京都市東山の麓に社殿を建立したのが始まりで、以後ここから各地で勧請したものです。

走熊にある現在の八坂神社は、昭和4年(1929)2月25日の走熊大火の折に社屋が灰燼に帰したため、同4年7月21日に同境内に再建しました。

    

      《式典が始まる前に供物が奉納された社殿前》

かつて秋の例大祭には村の老若男女が境内に集まり青年団が奉納する獅子舞を見たものですが、現在では関係者だけの立ち合いという殺風景な式典へと変わってきてしまいました。

   《拙宅で受けた本幣4体、祓(はらい)1体、紙垂(しめ)

写真<上>の幣束は昨日の2日に区長宅へ行って受けてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

             

                           祭神                                                                                                         

 

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