分類:PV
場所 : 湯本自動車学校
いわき市常磐水野谷町千代鶴1-2
☎ 0246-43-7781
安全運転 を肝に銘ずる
自動車運転免許証の更新時期が迫ってきたが、その前に福島県公安委員会から 「高齢者講習通知書」 が届いていた。
70歳以上になると、この講習を受けて 「高齢者講習終了証明書」 を貰い、運転免許証と、更新連絡書(公安委員会から届いたハガキ)を持参して運転免許センターか、指定された警察署へ行かなければ更新はできないので受講してきた。
※75歳以上になると講習予備検査 〈認知機能検査〉 も受験の必要あり。
《DVDによる映像授業》
私の年齢からいって今回の受講は2回目になるが、指導基準が前回に比べて厳しくなってきたのを実感した。
前回では教官が 「みなさん高齢者講習と聞くと、もしかして自分は免許証を取られてしまうのではないかという不安と緊張があるかと思いますが心配ありません。認知症が極端に進んでいて誰が見ても、この人は運転は無理だと思う方以外は引っ掛かりませんので安心して受講して下さい……」 というようなことを説明していたので受講者も心に多少の余裕があった.
しかし、少子化社会が進むにつれて年々高齢者が急増している現状では、高齢運転者の制度改正を適時行わなければならない必要性に迫られているようだ。
昨今、テレビや新聞で報道される高齢者による高速道路の車線逆走行や、アクセルとブレーキの踏み違いによる大事故が多発しているところから見ても納得できる。
《シミュレーション(simulation)による運転技能の判断= 受講教本から》
これまでとの相違点は、高齢者講習と認知機能検査を受けた後に 「認知機能検査結果通知書」 が渡されるが、総合点によって3分類化され、次回から講習内容・時間・授業料も分かれるようになる。
第1分類 48点以下 医師の診断が必要 ⇒ 更新。 講習時間 2時間 ¥4,650円
☝ 認知症の診断結果が出た場合には更新不可。
第2分類 75~49点以下 講習時間 3時間 ¥7,550円
第3分類 75点以上 同上
△いずれも、免許有効期間中に交通違反があった場合は、臨時適性検査を受けることになる。
△70歳以上の高齢運転者は普通自動車の前後の定められた位置に高齢者マークを付けるように
なっているが強制ではない。
ただ高齢で運転するという自意識を高めることと、並行車や対向車に注意を促す意味では効果がある。
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省略言葉が蔓延している番組名
テレビは事故・突発的な災害・社会情勢の変化・暮らしの情報などを知る上で聴覚だけでなく、同時に視覚によって確かな判断ができるので文明の利器そのものだ。
日本で初めてテレビ放送が開始されたのは昭和28年(1953)だから 「何を今更言っているのか」 と冷笑されそうだが、時代の変遷によって番組の内容も大きく変わっていることを知らされる。
その辺りをちょっと書いてみたくなった。
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《例えばひるブラ…?理解できるが、それで正しいのかとなると不安になってくる》
「昼時に全国各地を、アナウンサーとゲストが一緒にブラッと訪ね歩く」 という意味だと解釈できるが、果たしてそれが正解なのかとなると確証を得られない。
「物事を深く考えないで番組を楽しんでください」と言われればそれまでだが、歳は重ねても幼児のように「なんで?」、「どうして?」という探求心が強いから、本当の意味を知らないでいると気持ちが治まらなくなるのは私の悪い癖 (性格) なのだろうか?
民放テレビで 「ひるおび」 という番組があるが、あれも最初に見た時には 「昼の時間に人気を帯びる番組にしたい」 という局側の願望から付けられたものとばかり思っていたら、単に 「お昼の時間帯の帯番組」 だからだそうだ。
民放テレビは兎も角として、NHKは正しい言語を伝えなければいけない使命も担っている。
現にニュースのインタビューでマイクを向けられた人が仮に 「食べれない」 と答えてもテロップでは 「食べられない」 と表記するのだから、自局の番組も安直に命名しない方が良いと思う。
因みに、NHKの省略番組名は意外に多い。幾つか挙げてみると「シブ5時」「ごごママ」「うたコン」「スタパ」「シブラジ(ラジオ)」などのオンパレードだ。
よく政治家の一言が物議をかもして大騒ぎになると、本人は「言葉足らずだった」とか「解釈の相違だ」とか言って逃げの態勢に入るが、真意を伝えようとすればするほど言葉や文字は正確でなければならないと思う。
民放テレビのように視聴率を上げるためだけの番組名に、NHKが誘引されて過剰反応を示さずにデンと腰を据えて真のNHK道を貫いて欲しい。
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所在地 : いわき市鹿島町下矢田字前原51番の隣地
修験宗の廃止などで一時、廃寺になった専明院
修験者(山伏)の霊場だった羽黒山は、寂光寺と言って神と仏の修合の寺院でしたが、その教えを広く布教するために多くの霞下の寺院を出先機関として建立しました。
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《平成13年に再々建されたという堂宇》
出先機関としての寺院は、磐城では楢葉郡内に久之浜の常光院、磐城郡では狐塚に善行院、磐前郡内には下矢田の専明院(写真)と野田に柳沢寺があり、各々数ヶ寺の末寺を有していました。
専明院は如来山・行覚寺といい、本尊は大日如来です。延宝8年(1680)の「行屋改之覚」によると、その開山者、創建時は不詳ですが天文14年(1545)湯殿山よりの法流を受けた覚仙祐海聖人によって中興開山されました。
配下の寺は延喜式七社に指定された鹿島神社の別当である上矢田の神宮寺、水祝儀の歳事を行う沼之内の地蔵寺など17ケ寺が属していました。
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明治元年(1868)の神仏分離令や、同5年の修験宗の廃止に伴い廃寺となりましたが、建造物は残り湯殿信仰の祭場として用いられていました。
昭和2年、新たに再建されたが、平成13年に再び堂宇が再建されました。
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所在地 : いわき市鹿島町船戸字八合
しゅみごん様 に寄り添う桜
須弥権現(しゅみごんげん)の所在を知らせるかのように巨大な桜の木があるが、地元の人たちはこれを 「しゅみごん桜」 と呼んでいます。
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《二代目ともいわれている巨木の桜》
しゅみごん桜は、鹿島街道沿にある久保の磨崖仏と 「ガリバーいわき鹿島店」 の間にある道を入っていった左の山側にあります。
目通り周囲2m30cm、枝張り東西23m、南北16m、樹高約20mに達する山桜です。
その桜の根元の岩壁に二体の磨崖仏に似た石像があり 「しゅみごん様」 と呼んで祀(まつ)ってあります。磨崖仏とは自然の山などの岩壁に彫られた仏像ですが「しゅみごん様」も、そのような岩壁に彫られているものです。
長い間、風雨に晒されてきた凝灰岩の仏像は辛うじて仏像の面影を残しているが、今でも正月には「〆環(しめわ)」をつけた榊を捧げ、秋の氏神まつりにはツトッコ氏神(新藁で作った神供え)を捧げています。
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《桜の根元にある二体の磨崖仏》
「しゅみごん様」とは仏典などによると、もともとは須弥権現(しゅみごんげん)と呼ばれていたものが、いつの時代からか「げん」の言葉が外れて「しゅみごん」になったようです。
仏典で須弥とは、そびえ立つ崇高な高山の意味があり、わが国では神として現れた姿を差すようなので、須弥権現は即(すなわ)ち仏ではなく神なのです。
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所在地:いわき市鹿島町走熊高照山(頂上)
磐城三十三観音の十七番札所 本尊・十一面観音
〈ご詠歌〉 世の中は ふもとにありや 東泉寺 日は高寺に 水はしりくま
鹿島町にある観音霊場、二つ目の第十七番札所 『高照(たかでら)観音』 です。
高照観音を祀る高寺山は海抜126メートルで、鹿島町地内では最も高い山です。観音堂は殆んど頂上に近い場所にあり、そこまで辿るには細い山道を約20分上ります。磐城三十三観音中で最もキツい試練の道のりです。 ご詠歌にある「東泉寺」というのは観音堂の一段下(※杉や雑木に覆われているが平坦になっているので何となく分かります)の地にあったが火難に遭い現在では存在しません。
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《昭和45年に建立された現在の観音堂》
走熊観音堂再建勧進趣意書によると「石城三十三番札所の一なる当十七番走熊高照山十一面観音菩薩は今を遡ること実に一千四百七十三年、一世の大徳徳一大師の御祈願に係るものにて云々」と、こと細かに記されていますから、年号は文明年間に遡ることになります。
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《何度も火難に遭った挙句に盗難で失くなってしまった観音さま》
なんとも災難の多い観音堂で、永禄年間と元文年間に焼失して再建されたのですが、大正元年11月にも火難に遭い、京都から勧奨したと伝えられた等身大の木像十一面観音がお堂と共に焼失してしまいました。
そのため、お堂は大正2年7月に再建され京都より唐銅(からかね)製のご本尊を再勧奨をしたのですが昭和4年2月に鹿島村内の家屋40戸が焼失したという走熊大火の延び火を受け、又々お堂と尊像を灰燼と帰してしまいました。
火難に奪われたお堂の歴史には筆述に絶するものがありますが、地元の人たちは大同2年徳一大師開祖の伝えを誇りに、厚く観音を慶信して止まないのです。
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所在地 : いわき市鹿島町久保西之作
金光寺境内裏の右方にあります
磐城三十三観音の十六番札所 本尊・十一面観音
〈ご詠歌〉 中山と きいてのぼりて 朝日さす 森のこかげに たつは白なみ
磐城三十三所観音霊場は、第一番目の札所が平・北目町にある北目観音(如意輪観音)からスタートしますが、鹿島町には二つの観音堂があるので、今回は第十六番の久保中山観音からを案内することにします。
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《久保中山観音堂》
久保地域に中山という地名はありませんが、昔、観音堂は久保と神白との境に当たる山林の栗木平という所に祀られていて、ここは今も巨石や背高い赤松が見られ、太平洋も遠望することもできます。
ご詠歌の「中山」は、栗木平の前後に山があったために、お堂のあった所を「中山」に見立てて名付けたもののようです。栗木平は今も観音平と呼ばれ寺領地にもなっています。
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《白木造りの十一面観音坐像》
現在、観音堂が祀られている場所は、前述のように金光寺境内の一角にあります。
ご本尊の十一面観音像は、白木の寄せ木造り坐像で、その高さ1丈(尺貫法でいうと約3㍍)といわれ、頭上に化仏と阿弥陀立像をいただき、左手に蕾(つぼみ)を付けた蓮華を持っています。
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史跡七本松 所在地 : いわき市鹿島町走熊字鬼越83-1
鹿島公民館敷地内
鹿島街道の小神山信号は、江名・豊間方面から湯本へ向かう県道48号線と交差する場所だが、その付近に鹿島公民館があります。
公民館入口の直ぐ側に旧道の十字路(信号付き)があって、2代目までの七本松はそこに植栽されていました。 ※ファミリーマートの駐車場辺りがそうです。
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《3代目になる若木の松は公民館の敷地内に植えられた》
代々継いでいる七本松は地元民の古い歴史の伝承なのです。
その昔、坂上田村麻呂が奥州へ征途の時に走熊地内を通りかかった折、東に向かえば江名の浜にも抜けられる三叉路(さんさろ)で休息し、戦勝を祈念しながら七本の松を道端の一角に手植えをしました。
時を経て、慶応4(1868)年1月、鳥羽、伏見の戦で始まった戊辰戦争は、7月10日には鹿島七本松に於いて、薩摩藩(西軍)と平・仙台藩の攻防戦になって次第に東軍の敗色は濃厚となり7月13日、ついに平城総攻撃を迎えることになりました。
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《史跡七本松の石碑》
こうして2代目までの巨松は場所を異にして、昭和の初期まで天を突くように生え立っていたのですが、名木も寄る年波には勝てず、昭和10年までに5本が強風に倒れ、同11年に1本倒れ、翌12年には最後の1本も大風で倒れてしまいました。
時の村長、志賀直哉は「一圓融合」の村是を以って村政に当たっただけに、村のシンボルである史跡七本松の名を後世にとどめたいと、村人に呼び掛け世継ぎの松(2代目)を同じ場所に植えたのでした。
鹿島神社(現在の常磐上矢田町)の本堂内には当時の松を輪切りにして『一圓融合』と記された板が存在します=写真下。
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できることなら商品化したい
日常使用している物で不便に感じたり、疑問に思ったりすることは沢山あります。
でも、それ以上は深く考えないでその場限りで素通りしてしまうものですが、よく考えてみると日用品の中にはもっと改良できる(すべき)アイデアが潜んでいることに気付きます。
洗濯物が干してある途中で風が出てきて、まだ半乾き状態なのに地面に落ちてしまい、もう一度洗い直すという体験から 『これはハンガーのフックが竿の直径よりも幅が広いからだ』 とは分かってはいましたが、何度か同じ思いをすると黙ってはいられなくなりました。、
そこで今回、私が初めて特許(実用新案)なるものを申請して登録されたアイデア商品があるので紹介してみたいと思います。
考案の名称 物干し用Wフックハンガー
実用新案登録 第3209678号
登録日 平成29年3月15日
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《竿に掛ける前のフック部分》 《竿に掛けた時のフック部分》
ハンガーのフック本体に補助フックを重ね合わせて、支点となる箇所に自在に動くようにした止め具を取り付けたWフックです。
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《試作品ではなく描いたので、見てくれは悪いがこんな感じのハンガー》
従来のハンガーで洗濯物を竿に掛けて干した場合は、風が吹くと竿から外れて落ちたり飛んでしまったりするという難点がありました。
本考案は、洗濯物を野外の竿に掛けても風で落ちたり飛んだりしないような機能を提供することを目的として考案されたものです。
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《竿に掛けた時の状態で、フックは竿の直径よりも狭まるのが特徴》
せっかく考案したものなので、私的には全国に普及して主婦の方々に重宝がられるのを期待しているのですが、その術を知り得ないのが残念でいます。
ハンガーの販売を専門に扱っている企業、それに関する製造会社、何かにチャレンジしてみようと思っている町工場の社長さんなどが運よくこのブログを覗いてくれて、アポイントメントが取れるようになったらいいなと期待を抱いているのですが、さて結果はいかに!?