いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

イノシシの子を捕獲

2019-09-10 14:27:02 | Weblog
                                           分類 : 他

                                     場所 : いわき市鹿島町地区    
   人間との共存共栄は難しいのだろうか

 拙宅は鹿島ショッピングセンターエブリアまで自転車で7分、いわきニュータウンまでは5分という、地理的に恵まれたところにありますが所詮、昔ながらの民家なので山間に入り込んだ場所にあります。
 夜ともなると静寂に包まれ季節によって異なるが、虫・カエル・セミ・蛇・鳥・タヌキなどの動物も棲息していて目の当りに見られるので、自分では自然植物園の中で生活しているような気分で、贅沢な日々を送っています。
 これからの季節になると、夜は軒下のコオロの鳴声と共に秋の夜長を満喫することができます。
 ところが、忘れかけていた事件(?)が発生してしまいました。ウリ坊が罠の仕掛けに嵌(はま)ったのでした=写真下。


               『罠(わな)にかかったウリ坊(イノシシの子供)』

 昨夜の午後9時半過ぎに、家から100mも離れていない杉林の奥で、異様な悲鳴が聞こえてきました。 「ギャー、ギャー」 と泣き叫ぶ声で瞬間的に 「あっ、またやられたのか」 と思いました。
 これまでに私が居住している近場で、10頭ほどのイノシシが捕獲されましたがこの数カ月間は捕獲0(ゼロ)を保ってきました。
 今朝(10日)になって隣人が早速、四倉に住むワナの仕掛人へ電話して引き取ってもらいました。 

          『杉林の中に数か所の罠が仕掛けてある(前の白っぽい物は米ぬか)』

 福島県内では市街地等を除き、イノシシの繁殖定着は、ほぼ全域に広がっており農作物被害が増え始めているようです。
 イノシシは原発事故による避難指示が出た地域などで繁殖し生息域を拡大していったものと思われ、農地を荒らされたり水稲や果樹の食害にあっているのが現状です。
 捕獲されたイノシシは射殺され、市の行政担当課へ尻尾(シッポ)を持って行くと親で2万円、子供で1万円が貰えるという事らしいが、イノシシは悪さを承知でやっている訳でもなく、ただ生きるために必死になって餌を求め歩いているのを考えると、そこには人間のエゴと、さもしい考えが如実に表れているような気がしてきました。
 特に、捕まった 『ウリ坊』 を見ていたら、その表情が私に助けを求めているかのような目をしていたのがとても印象的でした。人が勝手に起こした原因で、人が勝手に避難して、誰も居なくなった土地に残され繁殖していったイノシシが今度は邪魔者扱いにされているというのは、イノシシの目線で見ると何とも不可解なことです。
 
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権現様への儀式

2019-09-02 12:25:31 | Weblog
                                           分類:催 
                                 場所 : いわき市鹿島町米田字殿作地内    
   平穏無事を山に求めて
 『 権現さま 』 は、仏菩薩が権(かり)に神祇(じんぎ)となって現れる日本の神号の1つで、明治維新後の廃仏毀釈によって廃止されたが現在では復活しており、この米田地区でも毎年、8月の下旬頃に行われているが、今年は月明けの9月1日になった。
            小高い新興団地の一角に存在する湯殿山の石碑(文字塔)》
 
 湯殿山は山形県(出羽国)にある月山・羽黒山・湯殿山の三つの山の一つで、湯殿山神社は大山祇命(おほやまつみのみこと)、大己貴命(おほなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)の三神を祀っているが、これらを総じて「湯殿山権現」という。
 江戸時代には民間の山岳信仰が盛んで、村の人たちが講を組んで伊勢、富士、成田などへお参りしている。中でも出羽三山の湯殿山神社へのお参りは多かったようで、鹿島町(旧鹿島12部落)には「湯殿山」の石碑だけでも6基あります。


                   《新鮮な野菜・御神酒が供えられる》 

 月山の本地は阿弥陀如来(未来世の化主)、羽黒山の本地は観世音菩薩(現世の導師)であり、これらを乗り越え大日如来の浄土である湯殿山に詣で、即身成仏の本懐を遂げられる願いを込めて、厚い信仰が続けられてきたのでした。
 石塔の前面に湯殿山 村中安全。裏面に明治四年(※西暦1872)の記銘と注連縄が施されている。 

         《金光寺(久保)の箱﨑住職による地域平和と安全祈念が執り行われた》
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十九夜講が今に残る

2019-08-29 09:53:53 | Weblog
                                           分類:民

   ナンマイダンボを唱和して「安産」「延命」を祈願
 鹿島町走熊にある天徳院福正院蔵福寺で25日、走熊区の婦人たちが集まり十九夜講を行った。
 かつて、いわき地方では部落ごとに行われていたが、現在では稀に見られる民俗行事になってしまった。毎月19日の夜に輪番制で決まった家に女性たちが集まり、安産と子育て、そして延命などを祈願する。これを人々は親しみを込めて「十九夜さま」と呼んでいる。


                《ナンマイダンボと唱和しながら数珠を回していく》

 祭壇に観音様が子供を抱いた姿の掛軸をかけ、団子やお菓子、果物などを供え線香をあげると、全員が車座になって直径約1,8mに1,000個の数珠玉が通された綱を右回りにたぐり寄せ「ナンマイダンボ」「ナンマイダンボ」と念仏を唱えながら自分の手元に大きな数珠が回ってくると、深く頭を下げる数珠繰りが行われる。
 数珠の大玉に「南無阿弥陀仏」と書かれていることから「ナンマイダンボ」の唱和は、「ナムアミダブツ」が進化(簡略)されて唱えやすくなったというのが容易に窺い知れる。

              《2年に1度、クレヨンで彩色される如意輪観音像》

 本来、安産・子育てを願う事から如意輪観音を守り本尊とするので、如意輪観音像とか十九夜塔は、そのどちらか、あるいは両方が各地域(旧・部落)に存在する。
 走熊地区では、この貴重な伝統的行事を継承しているが、現実問題として集まる回数が少なくなったり、場所を寺に限定したりして、継続の難しさが対話の中で垣間見られた。

                
    《数珠を背に受けて厄払い》 《大数珠玉に南無阿弥陀仏とある》 《数珠が1回まわる毎に置かれる5円銭》
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久保の磨崖仏が崩壊

2019-08-26 05:05:24 | Weblog
                                         分類:地    
    貴重な文化財を失くした 
 24日(土)の午後11時前後に久保地区にある通称、岩薬師の山が崩壊しました。
 この山は鹿島街道(県道小名浜・平線)沿いにあり、いわき市指定有形文化財 『久保の磨崖仏』 が4体あったが何れも崖崩れによって消滅してしまったのです。

          磨崖仏があった場所は、一瞬にして跡形もなくなってしまった

 約1,5kmが全面通行止めになりバスの運行にも支障が出て、船戸(柿境)~走熊(小神山)間は迂回道路を通行するようようになったために 「久保入口」 「船戸」 「船戸団地」 の3停留所は利用不可の事態となりました。

             通行止めになった鹿島街道(手前)で、左側が平方面》


            1番目の写真と比較すると無残な姿になった事がよく判る

 磨崖仏は、久保の金光寺(箱﨑亮弘住職)の所有で、平成21年(2009)4月に、市指定有形文化財に指定されたもので4箇所に彫られており、薬師・阿弥陀・弥勒・釈迦像が東西南北に位置していました。
 地元の人たちからは、この磨崖仏を 「岩薬師さま」 と呼ばれて親しまれていました。

        
            かつて鹿島街道を走行中に見えた磨崖仏の数々

 2次災害を防止するための対応として崩れた箇所へ大型土のうを積んで、その後は4車線の内、2車線を緊急確保に務め規制解除する予定とのことです。

 ◎小さい写真は画像の上にポインターを乗せてワンクリックして見て下さい。





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高照山の祭典を見学

2019-08-18 06:18:46 | Weblog
                                            分類:催

    磐城三十三観音十七番目の霊場
 昨日(17日)は高照山観音堂(本尊:十一面観世音菩薩)の祭典日でした。 
 午前9時に高照山の上り口に遍照院(小名浜住吉)の住職を迎えて区長・区長代理・寺世話人・神社総代が『獅子頭、太鼓』を持ち、観音堂まで上がりました。
    
                    高照観音堂での祭典準備

 鹿島民俗見聞会(小松隆会長)では、この貴重な祭典法要を執り行う式典を記録に残そうとして同行してきました。
 走熊(はしりくま)観音堂再建勧進趣意書によると「石城三十三番札所の一なる當十七番走熊高照山十一面観世音菩薩は、いまを距てる実に1514年、1世の大徳徳一大師の祈願に係るものにて云々」とこと細かに記されているので、年号は文明年間に遡ることになります。
 旧菊田、磐前、磐城、楢葉の四郡に祀られる霊験あらたかな磐城三十三ケ所霊場の一つです。

            
         《過去に三度全焼し、昭和45年に建立された現在の高照山観音堂

 この観音堂へは海抜126メートルある高照山に登ることになり、片道20分前後掛かります。 磐城三十三観世音がある中で一番険しい道程とされています、
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お盆がやってきた

2019-08-13 16:44:06 | Weblog
                                          分類:地

    ただいまと 子らが集まる 盆帰省
 いわき地方のお盆は8月15日(旧盆)を中心に行われます。
 今日(13日)は盆の入り。 家の前に 「迎え火」 を炊いて先祖の霊を招き入れ、16日に 「送り火」 を炊いて送り出すという儀式の1つになります。
 先祖の霊を供養する仏教行事で、この間に地方に実家や縁戚がある人たちの大移動があり、家を出ている家族が一同に会したり、この機会に婚約者同士のお披露目の場を兼ねたりもします。

                《我が家の菩提寺でもある蔵福寺(鹿島町走熊)

 今年は10日の土曜日から連休に入ったので帰省ラッシュも緩和されて、街中の渋滞にもさほど気にならずに済みました。現代の帰省客は進歩的、合理的、簡略的というか、お盆を割り切った休暇として捉え、普段おろそかになりがちな家族のコミュニケーションをドライブの車中で果たそうとしたり、主たる目的をレジャーに重きを置いてやってくるようです。

                  《お盆の風物詩、じゃんがら念佛踊り

 いわきの地に生まれた大須賀筠軒〈おおすがいんけん〉(1841~1912)の 『磐城誌料歳時民俗記』 を読むと、その中でお盆について 『期間中、村里より「じゃんがら念佛」の一行が鉦や太鼓を携えて磐城平城下に大勢やって来る。一組の人数は14、15人ほどである。じゃんがら念仏踊りの一行は城下の神社・仏閣を回り、また商家や新盆の家の前でも踊る……』 などと詳細に書き記しています。
 昭和30年代まで 「平の七夕まつり」 では、近くの村々から青年団が平市内に繰り出して 「じゃんがら念佛踊り」 を競っていたところを見ると、その名残だったのかも知れません。
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いわきおどり小名浜大会

2019-08-02 22:30:16 | Weblog
                                           分類:催
    
    暑さを吹き飛ばすドンワッセの掛け声
 夏になると、いわきおどりは市内の各地で行われる恒例の市民イベントですが、今年で38回目を迎えたいわきおどりの小名浜大会は今日(2日)開催されました。

               《18時に特設ステージで開会式が行われた

、定西交差点からいわき市役所小名浜支所までの区間を参加団体59団体、約2300名が暑さにめげず爆舞しました。
 いわきおどりは、昭和56年に〝市民の誰もが気軽に歌い、踊れる〟ように発案されました。身体を左右に移動させながら 「ドンワッセ」 と大きな声を出しながら前へ進んでいく簡単なもので、年々参加者は増えています。


      開会前のアトラクションとして県立いわき海星高校の、じゃんがらも披露された
 
 参加チームが59団体もあるので全部は列記できないが、ほんの1部を挙げたみますと明治安田生命・社会福祉法人五彩会・アネラ保育園・大東銀行・常光サービス・いわきコンピュータカレッジ・NPO法人みんぷく・長瀬印刷・船戸幼稚園・ひまわり信用金庫・日立金属・三菱ケミカルグループ・NISSAN・小名浜港湾事務所・あすか製薬・ガクセンキャンパス・小名浜二小オーシャンス、等々でした。
                    《社会福祉法人、五彩会のメンバー

 本おどりは18:45~20:50までの約2時間、絶え間なく踊り続けられ、愈々、夏本番を迎えたことを目の当りに肌で感じました。
 明日(3日)は、第66回いわき花火大会で、音楽と花火のシンクロの世界が楽しめます。

                  《睦バレエのしなやかな踊りも見せ場をつくった》
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鹿島街道にケーズデンキ

2019-07-25 17:47:33 | Weblog
                                           分類:商

                              ケーズデンキいわき鹿島店
                              いわき市鹿島町船戸字京塚3-1
                              ☎ 0246-38-5331

   
   家電・パソコンの大型専門店オープン
                   《ケーズデンキいわき鹿島店の全景》 

 今日(25日)は、鹿島街道の新常交バス 「船戸停留所」 側 に新たな家電量販店が開業した。元、開放倉庫ドッポ があった場所で、正面から向かって右が 「ラーメン山岡家いわき店」 で、同左側に 「タイヤ館」 がある所。
 ケーズデンキいわき鹿島店で、朝10時の開店と共に大勢の客で賑わった。


                 《開店間際に順番待ちをしている買い物客》       

 オープン記念として来場者2000名にオリジナルのクレラップが配られ、3時からはオリジナルBOXティッシュ 50円(税込み)のタイムセールがあった。
 このサービスは28日(日)までの4日間続けられ、他にもゴム風船のプレゼントやキッズスタンプラリーがあり、いわき郷土戦士 「ジャンガラー」 の握手会や撮影会も行われる。

 また、同4日間限定で 「いわき本店」 と 「勿来錦店」 でも3時からオリジナルBOXティッシュのタイムセールはある。

   
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駄菓子屋さんが出現

2019-07-12 22:26:33 | Weblog
                                          分類:催
                      
           場所:鹿島ショッピングセンターエブリア 1階エブリア広場
               いわき市鹿島町米田字日渡5


   エブリア広場に縁日 7月12日(金)~7月22日(月)まで
 鹿島ショッピングセンターエブリアでは今日(12日)から、1階中央広場で期間限定の 『駄菓子屋思い出横丁』 のコーナーが始まった。
 
 昔ながらの駄菓子や小物玩具などが、昔風に再現された店頭に置かれているのを見ると、西岸良平の漫画 『三丁目の夕陽』 の年代に育ってきた人たちには何とも懐かしく、その場に立っているだけで昭和ロマンが周囲に充満してくる感覚に浸れる。
 現代っ子には、これまた珍しい菓子や商品に興味が湧いて、触ったり欲しくなったりするのは当然。

               《駄菓子屋こそ、子供が成長する通過点だった》

 鹿島の駄菓子屋といえば唯一 『おまるさん』 という店があった。昭和40年代前半頃まであったろうか、看板も何もなく隠居の一角を店にしたようなところで、マルという老婆がやっていたので、誰言うとなくおまるさんの愛称が付いた。
 生徒は現代のようにグループで登下校していた訳ではなかったので、学校が終われば家に帰るのは自由だった。だから下校時には駄菓子屋の前で道草を食うには格好の場所になった。
 いま思うと、駄菓子屋には子供の射幸心を煽る品が多くあった。例えばキャンディーでもプロマイドでも開けると当たりはずれが出てきて、当たるともう1本(1枚)という売り方もあったから、つい後を引いて金があれば使い果たしてしまうような仕組みになっていた。
 点数を集めると菓子メーカーから好きな漫画本が送られてくる方法もあった。純真な子供がそういう過程を経て大人のズルさ、賢さ、上手な世渡り術を身に付けていったのかも知れない。体裁のいい言い方をすると 「社会学」 を学んでいった場所だったのだろう。
  


        開催時間:10:00~20:00 ※最終日は15:00まで。
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さよなら鹿島農協

2019-06-10 06:32:01 | Weblog
                                           分類:記

                          JA福島さくら農業協同組合 鹿島支店
                           いわき市鹿島町走熊字坪下3

     農業振興に寄与した 「鹿島農協」
 JA福島さくら農業協同組合 鹿島支店が、本日(10日)を以って小名浜支店に統合された。
 昭和23年4月9日付で 「鹿島村農業協同組合」 が発足して以来、通称 「鹿島農協」 として親しまれ、旧・12部落の農事作業に欠かせない存在だったが、さすがに時代の趨勢には勝てず、店舗は姿を消すことになった。
               《鹿島支店の前景、前を横切る道路は旧・鹿島街道》

 当時の鹿島村には、大正11年5月1日付で知事認可の有限責任鹿島信用購買組合が設立されたが現在の農協とは程遠いものがあった。昭和の年代に入り時代の進展に伴い内容も充実し、全農家が加入出資の組合に成長し農業経済を支えるまでに発展した。
 昭和22年11月公布の農業協同組合法により、昭和23年4月9日付知事認可の「鹿島村農業協同組合」が設立された。

         《農協の店舗事態が、名残り惜しそうな表情をしているように見えた》 

 終戦間もない開業以降、政府米の集荷や肥料はじめ農業生産資材の確保に寄与した農協の役割は大きく、地域農家経済を支えて発展してきた。
 社会経済の変化と地域の発展に対応して、昭和39年には鹿島・小名浜・江名・玉川の4農協が合併して「磐城農業協同組合」を設立した。
 昭和55年に、磐城・常磐・渡辺・泉の4農協が合併して 「いわき中部農業協同組合」になった。平成28年には 『JA福島さくら農業協同組合 』 に名称変更され鹿島支店として営業してきたが、ついに力尽きてしまった。残念。 
 △市内では鹿島支店の他に、内郷・玉川・渡辺の各支店も10日で『JA福島さくら小名浜支店』に統合されることになる。
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『教育勅語』 が出てきた

2019-06-06 12:54:42 | Weblog
                                          分類:歴
    桐箱入り、表解付きで見つかる
 
 昨日(5日)は 「鹿島小学校の沿革」 を紹介したが、その中で旧校舎の写真説明で 「左端に奉安殿が見える」 と書いた。
 偶然とはあるもので、その後で家の中に分散している諸々の写真を寄せ集めて整理していたら煤けた桐箱が出てきた=写真下。
 箱の表書きは煤けていて解読不明(おそらく「教育勅語」と記してあるのだろう)なので蓋を開けてみると、教育勅語(きょういくちょくご)そのものが入っていた=写真上。以前に見た記憶はあるが、すっかり忘れていたのだった。
 小学校・奉安殿・教育勅語。 特別の関連性があるので書いてみた。

               《明治22年10月30日の日付がある教育勅語》

 教育勅語の用紙はA3の大きさで、黄色く変色して色褪せたこの紙を、昭和10年代初期生まれの人たちまでは両手で握って真っ直ぐに手を伸ばし学校で読まされていたに違いない。
 私のように終戦間際生まれの者には無縁だったが、この紙をジッと見ていたら当時の世相が何となく思い浮かんできた。
 教育勅語に添えてあるA4タイプの紙には 教育勅語煥発四十周年記念教育勅語表解石城郡小学校長協議会発行 とあり、福島県石城郡鹿島尋常高等小学校の押印がある。
 裏面は文字通り、表解で「朕(※天皇陛下が)惟(おも)フニ我が皇祖皇宗(わが御先祖が)…… 」というように、全文を事細かに解説している。
 文面は当然のことながら旧漢字が使用されていて、例えば、國・濟・亦・實・儉・發などが出てくるが、当時の小学生はこれら355文字の教育勅語全文を暗記させられたとも言うのだから只々、感心するばかりだ。、

                  《教育勅語が入っていた桐箱と表解》

 奉安殿と教育勅語の関連
 奉安殿は、第二次大戦前・戦中に建てられたもので、学校に下賜された『御真影』や『教育勅語』など、勅語類を安置するため、特別に設けられた。
 管理の不行き届きは学校長などの重大な責任問題とされていて、学校が火事に遭い『御真影』を守って焼死する校長などが全国的に相次いだ時もあった。
 生徒は朝登校してきて校門に入った際に、先ず奉安殿に向かって拝礼することが決まりになっていたが、「これを怠ると近くで監視していた教師に厳しく叱責され、あるいはビンタを食らった」と、私より5,6歳先輩の人から聞いたことがある。

  
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鹿島小学校の沿革

2019-06-05 06:02:12 | Weblog
                                            分類:学

                             校  名 : いわき市立鹿島小学校
                              所在地 : いわき市鹿島町走熊字中島1

                                     ☎ 0246 29 2052

    明治6年、金光寺(久保)の啓蒙小学校が始まり

 明治時代の『鹿島小学校』は12村に3つあり、校名も場所も目まぐるしいほど変わっていた。
 明治6年6月、鹿島町久保(当時は久保村)の金光寺を借り受けて久保、飯田、上・下蔵持の生徒男14名、女2名の総計16名を抱え、啓蒙小学校を開校した。
 その後、久保小学校、下蔵持小学校、蔵持小学校、と改称されたが、明治13年に火災によって焼失してしまった。成徳小学校(後の矢田小学校)は、明治6年に上矢田村神宮寺に開校し明治7年、下矢田村の真浄院に移転し矢田小学校に改称され、ここに米田、走熊など全部で6ケ村の児童が通うようになった。
 御代、船戸の両村は住吉村(現・小名浜住吉)の鉄心小学(旧・住吉小)へ通学した。

                 《昭和56年に完成した現在の鹿島小学校》

 明治14年、矢田小は下矢田村字細作の新校舎に移転し、明治16年、蔵持小は以前の校地に校舎を新築、移転している。同年、行政区の改正に伴い学区も改正され、、走熊・御代・船戸村は共に蔵持小の学区になったが、矢田小や住吉小に通う生徒もいた。
 明治20年4月~同22年4月の間は授業料を徴収されない簡易小学校になったが、その後、下矢田、蔵持の両簡易小学校を共に尋常小学校と改めた。
  
              《昭和20年頃の鹿島小学校・左端に奉安殿が見える》

 昭和10年5月10日、走熊字中島(※現在、鹿島小学校がある場所)に木造平屋建て瓦葺きの小学校が完成した。耕地面積が11,500平方メートル、予算1万1,900円で、校舎面積860平方メートル(260坪)だった。
しかし、経費節約のために矢田、蔵持両校の解体材料が多く使用されたという記録がある。
 現在の鹿島小学校は、鉄筋コンクリート3階建てだが完成したのは昭和54年。


                 
①《小学校発祥の地碑(久保)》   ②《小学校発祥の地碑(上矢田)》  ③《上に蔵持小学校があった坂道》


  ①久保の金光寺境内にあり、説明版が付いている。
  ② 上矢田の鹿島神社上り口の鳥居脇にある。
  ③ 江名⇔湯本線(県道48号線)の七本松信号(角がファミリーマート)の近くにある。

 ▲ 小さい写真を拡大して見るには、ポインターを写真の上に置きクリックして下さい。

 ◎ 昭和23年に、校庭内に新制中学の『鹿島中学校』が併設されたが、昭和44年4月には小名浜1
   中、平3中に統合されたために、21年の歴史を以って閉校になった。従って、鹿島町には中学校
   は存在しない。
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庭にニッコウキスゲが咲く

2019-05-31 06:21:12 | Weblog
                                           分類:PV
    湿原地を散策している気分にさせる
 
 いま、我が家の庭にはあちこちでニッコウキスゲの花が咲いている。30数年前に小名浜の畳屋さんが仕事で来た時に、1個のニッコウキスゲの球根を持ってきてくれたのが始まり。
 1個の球根が秋になると3~5個ぐらいになるので、毎年それを株分けして植えている内に増えていったもの。
                《庭に余り目立たないで咲くが、それがまた良い》
  

                   《玄関先に咲いたニッコウキスゲ》

 ニッコウキスゲは主に湿地帯に群生するもので、霧ヶ峰湿原や雄国沼湿原、尾瀬(大江湿原)などがよく知られている。
 正式な植物名は、ゼンテイカ(禅庭花)だが、一般的にニッコウキスゲ(日光黄菅)と呼んでいる。
 天然記念物指定地域に多く群生しているので誤解されやすいが、ニッコウキスゲ自体は保護されているものではないのだそうだ。
 それにしても毎年、家の庭に少しずつでも増えていってくれるのは、楽しみでもあり嬉しいものだ。

              《黄色い幸せのハンカチならぬ、ニッコウキスゲ》
    



  
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中間貯蔵施設を見学

2019-05-25 19:57:25 | Weblog
                                             分類:催
                           中間貯蔵工事情報センター
                         場所:福島県双葉郡大熊町大字小入野字向畑256
                         ☎0240-25-8377


    中間貯蔵施設の用地に仰天
 昨日(24日)は大熊町にある「中間貯蔵施設見学会」に参加した。
 国道6号線の道路沿いにある中間貯蔵工事情報センターに集合し、13時から担当職員が同センター展示室内で、中間貯蔵施設の主な施設や地元の風景をドローン映像による状況案内があった。
 次いで中間貯蔵施設が立地する大熊町と双葉町の歴史や文化と、復興に向けた取り組みなどの紹介があって、マイクロバス2台に分乗して直接現場に入った。
   
  《フレコンバッグから除去土壌が飛散したり、雨水が入らないよう遮水シートが掛けられている》
  
 原発事故が発生したのは平成23年(2011)3月11日。つまり東日本大震災が起きた直後だが、それ以降、除染・保管・除去土壌などの受け入れ、分別施設への輸送・安全な貯蔵の工程を経て、あとは中間貯蔵開始後に福島県外(30年以内)で最終処分を完了する計画が進められている。
 見学は帰還困難区域に入域する関係上、マイクロバスに乗車中は窓は開けられないし、外にも出られないのだが実際に工事現場を一巡すると原発事故による影響が如何に甚大であるか、あるいは解決に近付けるまでの途方もない道程の長さに私は主催者側と意に反するショックを受けた。
 
         《1日に大型トラック1500台~1700台の搬入があるフレコンバック》
 
 かつては〝原子力発電は安全、安心〟〝火力発電所と比較して家庭の電気料金が安くなる〟〝地域の人たちが出稼ぎに行かなくても済むようになる〟などと至れり尽くせりの神話めいた話が流布されたが、その反動は大きい。
 いま、原発事故の処理に途轍もない税金を使って「再生」「復興」とか言っているが、やはり問題なのは原発依存の前に、原発はどんな事が起きても絶対に安全なのだという確信のもとに手を出してもらいたい。それに人為的なミスが加わったのでは堪ったものでない。
 百聞は一見に如かず。中間貯蔵工事センターで展示室内を見るだけなら平日10時から16時まで、無料で自由に見ることができます。
 中間貯蔵施設の工事現場を見学するには予約が必要です。予め電話で開催日の確認をとっておくと良いと思います。

              
    《展示室内》    《案内板とスクリーン》 《現地行きのマイクロバス》 《建設中の分別施設》
 
 中間貯蔵工事情報センターへ車で行く場合には、常磐自動車道 常磐冨岡ICから約12分、国道6号線を仙台方面へ進み、三角屋交差点付近です。

 ◎小さい写真は、カーソルを写真の上に置いてクリックすると拡大して見ることができます。           
  
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春うらら鹿島小の運動会

2019-05-18 14:11:42 | Weblog
                                             分類:催

                                 いわき市立鹿島小学校
                                  いわき市鹿島町走熊字中島1
                                   
     精いっぱい戦った紅白の競技
 今朝(18日)は天を仰いで、間違いなく「今日はあるな」 と思っていたら案の定、6時の時報と共に開催合図の花火が響き渡った。 ~~鹿島小学校の運動会の話だ。

                《清々しいロケーションで行われていた運動会》
 昔のように開催中はボリュームいっぱいに捻って、ひっきりなしに音楽やアナウンスを流すということはなくなったが、必要最小限度にマイクを使っての案内や誘導の声を聞いていると、どんな事情があっても運動会はいいものだと感じた。
 子どもは勉強ばかりでなく、精神的に身体の発散も大事であることが、その子供たちの真面目で一途な活躍ぶりを見ながら改めて教えられるものがあった。


            《生き生きとした子供たちから漲るパワーが伝わってくる》

       《農家は田植えが済み、会社は土曜日とあって見物客が校庭を取り巻いた》
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