いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

鹿島地域の再発見を探る

2021-12-21 19:02:29 | Weblog

                          分類:地

                                                                                                                                              鹿島公民館  いわき市鹿島町走熊字鬼越83-1                                                              ☎ 0246-29-2250 

  まちづくりと「わたしづくり」                      鹿島公民館では10月から来年2月迄の第2火曜日に4回に亘って、『地域再発見・地域活動家に聞く』という講演が行われています。                              毎回講師が変わり、地域での活動の実践者から活動の動機や手応え、それに工夫などを学んでいます。 今日(21日)は小名浜在住の小松理虔(りけん)さんを招いての講演があったので聴講してきました。                      プロジェクターを駆使して「まちづくり」について熱弁をふるう小松講師

 午後2時から同3時30分を休憩なしで、いわき平と小名浜間を最短距離で結ぶ鹿島街道を上手く活用すれば発展の余地はまだまだあるのだと、その魅力を語り、それによる地元の人たちのリーダー役とサポート役の心が合致すれば知名度・誘客・地域振興の効果は倍増するというヒントをさり気なく伝えた。                                      その一例として、鹿島地域にはホテルがないから規模が大きくなくてもいいので、ゲストハウスのようなものが1つ出来ただけでも町は様変わりするのではないか言っていました。                 小名浜のカツオ漁をSNS上に載せて、全国に発信している画像のひとつ

 小松講師はメディア制作・企業の広告やPR・プロジェクトの運営の肩書を持っていますが、前述の仕事上から感じた課題や問題についての考察も本にして発表しています。                                    文筆家としても活躍していて「常磐線中心主義」「新復興論」「ローカルメディアの仕事術」「ただ、そこにいる人たち」「地方を生きる」「新復興論・増補版」を出している……。のですが、本人の弁によれば創作、フィクションではない。ただ、ノンフィクションでもない。どれも自分の話しか書いていない、と謙遜しているのでした。                               講演内容に戻って、レジュメの中に書かれていた重要な一文が記されているところに目が止まりました。

   地域づくりとは、自分づくり。                               その地域で、だれかとともに、暮らしを楽しもうとすること。                     そこから公共性が漏れ出していく。                                                                             

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真尾悦子を,もっと知ろう

2021-12-06 08:45:04 | Weblog

                             分類:催

                    真尾倍弘・悦子の会                                                                                                                       事務局 ☎080-5222-8671

                                                       真尾悦子(ましおえつこ)と、いわき平の縁                              真尾悦子は、昭和23年に夫の倍弘(ますひろ)と1歳の娘と共に東京から茨城県へ引っ越しますが、翌年(昭和24年)に平市(現・いわき市平)へ移転しました。                                    手動式の印刷機を購入して夫婦で「氾濫社」を立ち上げますが、倍弘には持病の喘息があって、悦子はその為の薬代や出版物の代金支払いなどで四苦八苦します。悦子自身も4歳の時に小児麻痺を患って以来、右足が思うようにいかなくなったが持ち前の気丈さと明るさで内職の仕立物をしながら生活の維持に努めたのでした。                                                                                                       手動式の印刷機で作業中の二人

いわき平には13年間暮らしましたが、その間に週刊文芸誌「文化ウイークリー」、郷土雑誌「石城文化」、「氾濫」、「月刊いわき」を出版しながら、悦子自身「たった二人の工場から」「旧城跡三十二番地」などの作品を発表していきました。                              「たった二人の工場から」は昭和39年にNHKラジオ第1(平放送局)の浜通りの時間で、朗読放送されました。             《三野混沌夫婦が開墾したトマト畑で記念写真を撮る真尾家族

                                                                         その頃、詩人の三野混沌(吉野義也)がよく悦子の家に訪ねてきて知り合うようになり、妻の「せい」とも何度か会っています。「せい」とは、後に小説『洟(はな)をたらした神』で大宅壮一賞や田村俊子賞を受賞した、吉野せいです。                              昭和34年に好間の菊竹山にある三野混沌夫婦の家を家族全員で訪ねた時の様子を、悦子は「たった二人の工場から」の中で、こう記しています。 

 いま、私は1枚の古い写真を眺めている。                                                 手拭いをかぶった割烹着姿のせいさんと、だぶだぶズボンのご主人、三野混沌氏。ひょろ長いくびをかしげた私は、夫婦のあいだに割り込んで立ち、もやしのような息子が彼女に背を支えられ、左端にはおかっぱ頭の娘がいる。

 悦子は、いわき平に対する愛着がいかに強かったかが作品の其処此処で表現しています。 「気ままの虫」で〝 終戦後、私はいわきに疎開して13年間住んだが、そのあいだに7回引っ越ししている。そして、最後に借りた藁屋根の家が取り壊しと決まり、東京へ戻ってから30年もちかい歳月が過ぎた。しかし、そこはいまも何だかだと訪ねる機会の多い、生まれ住所にも似た身近な町なのである。                                      「また、いわきの話ですか」                                            と言われながら、私は炭坑も漁村も療育施設もというふうに、いわきを舞台にした作品を書いてきた。

「真尾倍弘・悦子の会」では、悦子のエピソードを話り合ったり、資料を集めたりして真尾悦子時代の平近辺や炭鉱・漁村の在りし日を、真尾悦子の生活・作品・行動を通して学び楽しんでいる会です。例会日は3・6・9・12月の第1土曜日で、場所はいわき市立総合図書館「閲覧室」です。                                         毎回13時より行っていますので、ご関心のある方は気軽に覗いてみて仲間になって下さい。会費は年間500円です。

                               

 

 

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