いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

小学生と 七本松 を語る

2024-01-25 22:24:54 | Weblog
                           分類:学

       史跡 七本松 いわき市鹿島町走熊字鬼越83-1(鹿島公民館敷地内)
               ☎ 0246-29-22502250

    七本松ってナニ? 植えられた理由は?
 今日(25日)は鹿島公民館で〝歴史をつなぐ「七本松」をもっと知ろう〟というタイトルで講話をしてきました。
 鹿島小学校3年生の35名を対象に、なるべく分かり易いように約2時間ほど話したのですが、誰も欠伸(あくび)をした児童がいなかったのを見て興味があるのを感じました。

              《二代目の七本松》 昭和30年代の頃

  【おさらい
 ♪ 清らかな御代の大仏 なかよしな 七本松……  △鹿島小学校の校歌から

 ♪ 軍次山(くうじやま)から熊が出て 矢田らに走る走熊 名所七本松を後にして 久保見て通れば金光寺 船も着かぬのに船戸と言う それより御代大仏拝みつつ……  
             △作者は鹿島小学校の教師を46年間務めた吉田正義(三沢)

 松が植えられた年号 初代<一代目> 延暦23年(804)1月
           二代目     昭和12年(1937)6月1日
           三代目     昭和50年(1975)3月 

 七本松が鹿島町走熊に史跡としてどうして残っているの?
 いまから遡(さかのぼ)ること1138年前(令和6年の時点)の正月に、坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)という将軍が大勢の兵を引き連れて蝦夷(えみし)征伐へ向かう途中に鹿島の走熊部落で休憩をとり、その時に戦勝を祈念して七本の松を植えていったのが始まり。

 蝦夷(えみし)と蝦夷(えぞ)と、読み方の違い
 蝦夷(えみし)➡日本の政治にそむいて言うことを聞かない東北の一部の人々。
 蝦夷(えぞ) ➡北海道に住んでいるアイヌ民族。
     
             《勇壮果敢な坂上田村麻呂将軍の絵

 初代の松は一本も残っていないの?
 松は松くい虫にやられたり強風のために倒れてしまった記録がありますが、その最後に残った1本を見て当時の鹿島村村長、志賀直哉、第16~17代(昭和9~17年)は、由緒あるこの松をなんとか後世に残す方法はないかと考えた末に、その頃、尊徳(・少年時代は二宮金次郎)精神の一圓融合(いちえんゆうごう)を村是(そんぜ)としていたので、松を輪切りにして『一圓融合』と書いて鹿島神社に奉納しました。
 ▲「村是」とは、村の方針や主張をハッキリと示すこと。
     
      《戊辰戦争で西軍が平潟港から平城へ侵攻してきた進路と日時

 戊辰(ぼしん)戦争とは、なんのことですか?
 戊辰戦争とは、明治新政府軍(西軍)と徳川幕府(東軍)との戦いで、鹿島にも大きな影響がありました。七本松があるすぐ傍(そば)の山に砲台を築いて磐城平城の侵攻を防ごうとしましたが、西軍は地理・地形の裏をかいて(・道路を通らずに矢田川の土手下を隠れるようにして進んできた)襲撃してきたので、平藩・仙台藩の兵士たちは不意を衝(つ)かれて退却しました。
 この戦争を地元、鹿島の人たちは七本松の戦いとも呼んでいます。
 仙台藩の兵士が七本松で戦死した供養碑は、走熊の福生院蔵福寺の墓地にあります。

 ◎現在、鹿島公民館の敷地内に植えられている三代目の七本松は、これからも新しい歴史を刻
  んでいく中で、もしかすると何らかの事情で大きな試練に遭う場面もあるかも知れませんが
  いつまでも地域の安全と発展を見つめ続けて欲しいですね!


 
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4年振り『酉小屋』復活

2024-01-08 07:38:14 | Weblog
                            分類:催

         (とり)小屋 
         場所:いわき市鹿島町下蔵持八合(かしま病院職員駐車場脇の休田地)
         実施団体:鹿島地区地域振興協議会 歴史と文化委員会 地元有志

               
  悪疫を吹っ飛ばし、新年へのスタート
 
 昨夜(7日)は初雪が降って辺り一帯が白く覆われた。 

 コロナ禍で途絶えていた「酉小屋」が、今年からまた始まりました。
 前年の12月下旬に人家から離れた田圃の中に篠竹や藁などを運び込んで小屋を立て、大晦日から新年まで子供たちがこの場に集まり、囲炉裏を囲んで鍋物や餅を焼いて楽しく過ごした場所でした。
        
              《個人の田圃を借用して酉小屋が立てられた

 昔は、いわき地方では地域(部落)ごとに行われていた正月行事の1つでしたが時代と共に「酉小屋」の数は減っていき、鹿島町地区でも行われているのは上記の場所だけになってしまいました。
 しかも、この鹿島町でさえも「酉小屋」は一時期、姿を消した時がありましたが、鹿島地区地域振興協議会・歴史と文化委員会、それに地元有志の人たちによって平成23年(2011)に第1回目の「酉小屋」として再生させたのでした。
  
       《12m以上はある長い竹の先に飾られた梵天
 
 夜が明けやらぬ今朝(8日)は地域の人たちが酉小屋にお正月飾りやお札を持参してきて、消防車が待機する中で点火式が始まり、酉小屋と一緒に燃やされ今年1年の家内安全・身体堅固・五穀豊穣などを祈念していました。

        《まだ薄暗い6時に酉小屋を燃して松送りが行われた

 ◎ 長い竹に餅を刺して焼いて食べると1年中、風邪をひかないとの言い伝えがあります。
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