分類:催
祭神は 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
鹿島町に八坂神社は「御代」と「走熊」の二社があります。
ともに今日が祭礼日に当たるが時間的にズレがあるので、双方の神社を訪ねてきました。
祭神は素戔嗚尊で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の御子であり、天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟になります。
《急な階段を上り詰めたところに神社がある》
鹿島町御代字赤坂にある八坂神社は地元の伝えによると、当社は大字の人々が石城郡内郷村御台境に鎮座する一ノ矢天王(八坂神社)を深く尊崇していたため、その願望に応えるために、明治11年(1878)、この地へ小祠を建て御分霊御遷宮したことに始まるとの事です。
《熊野神社(小名浜)の神官が祝詞(のりと)をあげる》
鹿島町走熊字宮下に鎮座する八坂神社は、古来神号を除疫神の牛頭天王(ごずてんのう)と称していましたが、明治3年に八坂神社と改称し、同6年小社に列格されました。
昭和4年2月に走熊の大火があり、社屋が灰燼に帰したため同4年7月に同境内に再建されました。
《拝殿前にあげられた供え物》
《立鉾鹿島神社(平・中神谷)の神官による祝詞》
昭和50年代の初め頃までは、例祭は旧暦の6月15日と決まっていて、その日には青年団伝統の獅子舞が奉納されていましたが、今日では例祭日が変わり、イベントも何ひとつなくなりました。
祭神は 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
鹿島町に八坂神社は「御代」と「走熊」の二社があります。
ともに今日が祭礼日に当たるが時間的にズレがあるので、双方の神社を訪ねてきました。
祭神は素戔嗚尊で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の御子であり、天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟になります。
《急な階段を上り詰めたところに神社がある》
鹿島町御代字赤坂にある八坂神社は地元の伝えによると、当社は大字の人々が石城郡内郷村御台境に鎮座する一ノ矢天王(八坂神社)を深く尊崇していたため、その願望に応えるために、明治11年(1878)、この地へ小祠を建て御分霊御遷宮したことに始まるとの事です。
《熊野神社(小名浜)の神官が祝詞(のりと)をあげる》
鹿島町走熊字宮下に鎮座する八坂神社は、古来神号を除疫神の牛頭天王(ごずてんのう)と称していましたが、明治3年に八坂神社と改称し、同6年小社に列格されました。
昭和4年2月に走熊の大火があり、社屋が灰燼に帰したため同4年7月に同境内に再建されました。
《拝殿前にあげられた供え物》
《立鉾鹿島神社(平・中神谷)の神官による祝詞》
昭和50年代の初め頃までは、例祭は旧暦の6月15日と決まっていて、その日には青年団伝統の獅子舞が奉納されていましたが、今日では例祭日が変わり、イベントも何ひとつなくなりました。