いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

いわきの 「方言」 を拾った

2018-11-29 07:16:46 | Weblog

                                           分類:PV                                                 会話中にポロッと出るのは特筆もの                                  現代では都市部も地方も、住んでいて差異は感じなくなってきている。                            例えば鉄道の駅舎はどこも画一的な建物になってしまったし、他の町に行って商店街を歩いても特徴がないので買う物だけに気がいって、周囲にアレッと思わせる程の興味心を湧かせるワンポイントさえ見つからない。                                                                                                                  《方言のボキャブラリーが豊富だった頃の時代》

 言葉のやり取りを聞いていても大きく変わった。                                      高度経済成長が進んだ後の昭和40年以降の交通安全標語に 「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」 というのがあったが、言葉も地域的な差が狭まり、人と人との往来が頻繁になり、そしてテレビから流れてくる標準語などによって地方格差を失くした。                                       昔は、東北の人と九州の人で会話させるには通訳が必要だ、などという冗句があった。

  東北の雪深い土地の人たちは、道で会った時に 「どさ?」 「ゆさ」 の会話だけで話しが成立するという一例も、方言を語るには恰好のネタだ。 つまり 「どこへ行くの?」 「お湯に入ってくる」 という挨拶だ。                                                  これは寒さの関係で、口を開けるのも億劫だから口数を最小限に抑えて話す生活の知恵からきた。

  いわき地方でも方言は豊富だったが、この頃はトンと聞かなくなっていた。ところが地元の人の根底には残っていて、気の許せる話し相手だと無意識の内に出てきてしまうようだ。   「うっちゃばっておけ」 を耳にした時には、一気に子供時代に還った。                                                   「放っておきなさい」 という意味だがこれは珍しい。当時は日常的に使われていた筈だが、自分が書き記してある方言綴りからは漏れていた。

 なぜか、その日は得をしたような気持ちになった。                                 

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丸山から俯瞰した写真

2018-11-27 06:48:24 | Weblog

                                          分類:地                                   鹿島の原風景が蘇る1枚の写真                                                                    《昭和40年前後の鹿島町走熊から久保へ向かう旧道》

 上の写真は今から50年以上前のもので、田園の中を緩いカーブを描いて伸びている線は旧・鹿島街道でカーブの辺りが伝説で知られる 「里也橋」 がある所になります。△里也橋についての記事は拙ブログの 2018/06/04 付を参照。                                                      写真では見えませんが、右下の角辺りが2代目の七本松があった場所になります。現在は旧鹿島街道と江名港⇔常磐線(県道48号線)が交差して、ファミリーマートがあります。

 道路を曲がり切った中央の左側が、今は 「鹿島病院」 になっています。右上の角に僅かながらに白い線が見えますが、あれが現在、小名浜⇔平を突き抜けている鹿島街道を作道中の現場です。                                                               地元では本来、鹿島街道という呼称は使われておらず県道26号線(小名浜・平線)の新道が完成されてから、その道路をいつの間にか『鹿島街道』と言うようになったために、それに付随して従来の道路を『旧・鹿島街道』として分けて呼ぶようになったのです。

 写真を撮った場所は丸山公園の頂上からですが、この山は昭和53年から江名港⇔常磐線の開通工事が行われるとともに削り取られてしまい平地になってしまいました。現在、鹿島公民館があるところがその跡地です。

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身不知柿と友情の架け橋

2018-11-24 09:24:37 | Weblog

                                                            分類:PV 
  柿が新たな友情を運んできてくれた                           秋の味覚の1つに柿があります。                                                                                       文芸仲間の親友が、会津に住んでいる友人から 「柿を頂いたのでお裾分けする」 と言ってわざわざ自宅まで届けてくれた。会津身不知(みしらず)柿だったが、特別美味しく感じながら食べた。           2人の住まいは 、いわきと 会津美里と距離があり、所属する文学サークルも異なるが、2人とも県文学賞に応募して受賞したのを機会に懇意な間柄になった。


                                              《毎年、目算で400個前後は生(な)る鹿島某家の柿》 


 結果的に彼女たちの繋がりは 「文芸サークル」 そのものへ連結し、今年の春にはサークル同士が直接会って交流会が開けるまでに発展した。 「浜」 と 「会津」 の隔たりはあっても同じ福島で、同じく文学に対する情熱は変わらないという考えが合致して実現したのです。双方の文芸サークル名は、いわきの 「文藝風舎」 と 「会津文芸クラブ」 です。 


  「文藝風舎」 の目的=いわき地域の文学愛好者が集い、文藝講座・会員作品の合評会・プロ作家の作品を通しての勉強会、機会ある毎にあらゆる文学賞に応募し、いわきの文学に対する意識向上と理解を得るために活動し、サークル独自の文芸誌を発行して、地元いわきに定着した文学文化を展開していく。                                                        「会津文芸クラブ」 の目的=会津美里町に居住する文学愛好者で構成し、相互の親睦と研鑽を図りながら、会津美里町が掲げている 「歴史と文化の町づくり」 における文化の向上に寄与することを目的とする。


 文芸誌 「風舎」 は、来年3月発行の13号に向けて奮闘中だが、文芸誌 「会津文芸」 2号は既に9月に発行されている。 △ 「会津文芸クラブ」 は、昭和43年に 「高田ペンクラブ」 として発足して、平成23年に 「美里ペンクラ」 に変更、平成29年に 「会津文芸クラブ」 に改称されたもので、実績があり実力のある会員によって構成されています。


 〝柿食えば 思いを馳せる 美里かな〟                                         戴いた柿を食しながら、ふと過ぎし日の会津美里町で行われた交流会のことが浮かび上がりました。


                                      

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連日、イノシシを捕獲

2018-11-19 08:14:15 | Weblog

                             分類:PV

                    場所 : いわき市鹿島町走熊地内 

   複数頭のうち🐗 ウリ坊2頭が罠にかかる                                          自宅前が隣家の田圃になっていて、その近辺地域にイノシシが出没するようになってきて1年近くになる。  初めの頃は3頭いるのを見かけたが今月の12日現在で7頭に増えたのが確認できた。
  隣人が 「15~16日ごろにイノシシの罠を仕掛けるので掛かると鳴き声がうるさくて迷惑をかけるかも……」  と一言云ってきたのだが、早々と昨日(18日)、今日と1匹ずつのうり坊(イノシシの子供)が捕えられた。
  狩猟ハンターや、市の行政機関に相談したら11月15日の狩猟解禁になるまでは手が出せないでいるということだった.


                                      《この時期エサ不足で、播かれた米ぬかに誘われて捕獲されたうり坊》


 イノシシによる食料の直接的な被害はないが、田圃を掘り荒らしたり生活上の危険性を心配しての止むを得ない処置となったようだ。                                                    目前で朝晩、出没するイノシシを見られる私にとっては野生動物圓にいるような感覚で楽しみにしていたところがあるから、死骸を見た時は大きなショックを受けた。罠にかかって泣き叫んでいた声が耳に残って忘れられないでいる。                                                        しかし、現場の20m先には中学生が通う道があるので感傷的にもなってはいられない。おとなしいイノシシだが警戒心の強い動物なので、いつ誰かがフイに襲われてしまうか分からない危険性を含んではいる。                                                        人間のエゴにより、人間とは共生できないイノシシの運命(さだめ)を目の当りにした。                                                                   《第1番目に犠牲者(猪)になったうり坊


 いま、全国には89万頭のイノシシがいて、農業被害が相次いでいるのだという。それによる昨年度の被害額は48億円に達したのだそうだ。
 そうなると、どう考えたらよいのか私の頭の中は益々こんがらかってくる。


                                       


   


   

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鹿島公民館まつり開催

2018-11-11 12:56:20 | Weblog

                            分類:催                                                                 場所:鹿島公民館                                                                                              いわき市鹿島町走熊字鬼越83-1


   新講堂2回目の開催で盛り上がる


  第34回 ふれあい鹿島公民館まつりが今日(12日)行われました。         「ふれあい鹿島公民館まつり実行委員会」と「鹿島公民館」の主催。〈協力団体〉鹿島町区長会・鹿島ふれあい会・防犯協会・交通安全協会などによるもので、講堂内や敷地では芸能、バザー、展示、各種コーナーを設けて賑やかな開催となりました。                                   《講堂内を覗いた時にはフラ教室をしていた》


 一昨年までは、近隣の鹿島小学校体育館を借用して開催されていたが、昨年からは公民館独自の施設を利用して地域住民との交流が出来るようになったことに大きな意義があると思います。                               会場には多くの参観者が集まり、模擬店やバザー、新鮮野菜軽トラ市などで買い物をし、各ブースの展示物を見たり、ステージ上のダンスやカラオケなどを観て1日を楽しんでいました。


                                             《敷地内の案内所=バザーや新鮮野菜軽トラ市などが開かれた》


 大講堂は、鹿島地区住民の生涯学習施設の拡充と、鹿島に避難して仮設住宅や災害公営住宅に住んでいる方たちとの交流促進などを目的として建設されたものです。


                                                    

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子ども3人と児童館

2018-11-08 09:04:05 | Weblog

                                         分類:PV                                      自己責任も付き纏うのでは?                                             他人を批判するものではないので敢えて名前は伏せるが、「子供3人を児童館に連れていって、大人1人につき子供2人だけ」 と言われて、入館できなかったという問題が新聞やテレビで報道されていた。                                                                やり玉に挙がったのは今年10月にオープンした墨田区の児童館だったが、これを観て(読んで)いて先ず、ごく普通に児童館側の対応のどこが悪いのだろうかと思った。なぜなら物事には決まりや規制というのが必要で、野放しにしてしまうと収拾がつかなくなるからだ。                    《児童館内での子どもの遊び=写真は記事と直接的な関係はありません》

  報道によると本人はここだけに限らず、他の児童館へも10館ぐらい行っているが何処もみんな断られたと話していた。そこで疑問を抱いたのは、それならなぜ事前に受け入れ情報を調べたり、直接問い合わせをしないで行くのか? ということだった。                                              しかも児童館へ行けば当然、入口に案内板があって明記してある訳だから、その時点で納得してもらわなければいけない。                                                       規則は規則であって、担当者がこれを無視して受け入れたとして、仮に遊んでいる最中にその子供本人、もしくは相手の子供が怪我でも発生してしまった場合には、いったい誰が責任を負う立場になるのだろうか。間違いなく児童館側への責任転嫁へと発展していく筈だ。                                    本来2人のところを、3人を容認した施設側の弁解の余地は全くなくなってしまうではないか。

 少子化社会が進んでいる現代で3人の子供を育てているということには感服しているし、無条件で応援してあげたい。  しかし、それだから 「何でも通用する」 というのは世間一般的に通用しないと思う。今回、例外的に受け入れてしまったら、「あそこは3人でも大丈夫」 というような噂が流れ、2人という規則は破られてしまう。                                                         次に起こりそうな問題は、同じ3人でも姉(妹)の子供が1人加わっていたらどうなるのか、3人なら良くて4人はなぜ駄目なのか? という新たな事態が起こってくるのも明々白々。

 「余りにも杓子定規すぎる」、「子供が多い家族を排除している」、「子どもが楽しみにしていたのに、と言うなら親は事前に確認しておくべき」、「安全のため最低限のルール」、など意見はさまざまのようだ。                                                         いまの時点でハッキリしていることは、短絡的な思いをぶつけ合っているだけではなく、どの意見も一理あるのだから例えば、地域住民や有志たちが立ちあがって委員会・懇談会・考える会などを作り、真剣に論ずるべきかと思う。                                                            そういう意味では、この〝児童館に子ども3人はダメ〟問題は大きな一石を投じている。                                                                         

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