いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

市の集団健康審査を受診

2014-06-27 18:53:52 | Weblog
                                           分類:PV

                                   

              
                    《受診会場になった小名浜市民会館》

 いわき市総合保健福祉センターが毎年実施している集団健康診査が市内各地で行われている。
 私は昨年受けそこなったので、今年は予約指定日になっている今日、保険証と受診券を握りしめて会場の小名浜市民会館へ行ってきた。
 


              
             《朝早くから並んで順番待ちをする人たちが意外に多かった》

 別にここがおかしいとか、この部分に異常を感じるとかの症状は全くないが、叶わぬ時の医者(神)頼みになる前に、自分自身も普段から健康についての意識を高めようとの思いで申し込んだ。
 検診科目は「胃がん検診」と「前立腺がん検診」の2つを希望した。どちらも男性が高齢化と共に発症しやすい病気だと感じたから。
 前立腺がんを調べるには注射による採血で済んだものの、胃がん検査は苦手のバリウムをコップ一杯飲んだ後にX線透写で仰向け、左右横向き、うつ伏せなどの体位で8回撮った。
 検査終了後、更に2錠の下剤を飲んでOKを貰うのだが、健康診査の他には薬や注射に縁がない私には苦痛を感じた。


              
                《受付時間が近付くと俄かに人の数が増えてきた》

 国民の2人に1人ががんにかかり、3人に1人ががんで亡くなるという。がんは国民病の1つになったと言われている。
 しかし、多くの研究成果により生活習慣、生活環境を見直すことで、がんは予防できることも分かったきた。早期発見、早期治療を徹底すれば、約半数は完治する時代を迎えているのだそうだ。
 ……という事は、年に1度の検診を「苦痛」などと言っている場合ではないことに気付かされる。来年も行こうっと。(決意!


   6月27日(金)   五黄 先負  旧暦 6/1
【今日という日の過去】
 松本サリン事件 平成6(1994)年 長野県松本市の住宅街で、猛毒のサリンが撒かれ、住民8人が死亡、100人以上が重軽傷を負った。オウム真理教(アレフと改称)の化学テロ。警察は第1通報者の河野義行さん宅を捜索し、批判された。
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超特急!参勤交代の舞台

2014-06-20 17:25:39 | Weblog
                              分類・歴

            湯長谷城 跡地 いわき市常磐下湯長谷(現・岩崎中学校)
            城主 遠山政亮・内藤政民


 明日の21日(土)は、映画「超特急!参勤交代」が全国ロードショーとなる。
 映画は、いわきに実在した湯長谷藩(ゆながやはん)を舞台にしたもので、幕府に「5日以内に来い」という無理難題を突き付けられた弱小貧乏藩が逃げることなく、参勤交代のため江戸へ向かうコメディ時代劇になっている。
 映画で地名の湯長谷が全国区になって=(イコール)湯本温泉、アクアマリンふくしま、へと連鎖反応が起こり、観光客誘致の引き金になるのを期待している。
 カネがない。時間がない。人がいない。の「3ない」の他に、身内にも油断のならない者たちが揃っていると思うと殿様にしてみては不安の種が尽きない……。 が、そこはさすがに時代小説(土橋章宏・著)で、そのような苦境の中で知恵と勇気と度胸で湯長谷こぞって江戸を目指すというストーリーが映画化されたもの。
 ●歴史的な時代背景はあるが、この物語は時代小説であっって歴史小説ではない。

         
                《湯長谷藩館址の碑

 そこで実際に湯長谷藩とはどのようなものだったのかを、以前に小野佳秀氏(元・いわき市暮らしの伝承郷館長、鹿島歴史の会講師)より戴いた資料と手持ちの書物を引っ張り出して、超特急!で纏めてみた。

 湯長谷城は江戸を通して湯長谷藩を治めた内藤家の館である。
 元和8年(1622)に上総国から内藤正長が磐城平藩7万石の藩主として入部し、政長の後を継いだ内藤忠興(2代藩主)が寛文6年(1666)二男の政亮を湯長谷藩に分家させた。
 石高の変遷 1万石→1万2000石→1万5000石→1万4000石
 藩主は14代を数えたが、幕末の藩主は13代の政養(まさやす)である。
 戊辰戦争当時、若干12歳だったが陣頭に立って采配を振るったという。

【歴代藩主】 1代 遠山政亮(まさすけ) 磐城平城内藤家2代藩主、内藤忠興の二男 
       2代 遠山政徳(まさのり)
       3代 内藤政貞(まささだ)
       4代 内藤政醇(まさあつ)
       5代 内藤政業(まさのぶ)
       6代 内藤貞幹(さだよし)
       7代 内藤政広(まさひろ)
       8代 内藤政偏(まさゆき)
       9代 内藤政環(まさあきら)
      10代 内藤政民(まさたみ) 天保14年(1843)藩校「致道館」を郭内広
                     小路に設立
      11代 内藤政恒(まさつね)
      12代 内藤政敏(まさとし)
      13代 内藤政養(まさやす) 幕末の藩主
      14代 内藤政憲(まさのり)

  因みに、幕藩時代の行政区画(明治維新前)を見ると、鹿島12村(部落)のうち久保・
   上蔵持・下蔵持の3部落は湯長谷藩領でした。

 
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車の高齢者講習を受けた

2014-06-18 10:39:49 | Weblog
                            分類 : PV

  県警の交通部運転免許課から、ハガキで 「高齢者講習受講通知書」 が届いたのは誕生日の2ヵ月前ほど前。
 運転免許証の有効期間満了日に年齢が70歳以上になる人は、免許証の更新手続き前に「高齢者講習」を受講しなければならないという知らせだった。
 その講習を自分で選んだ自動車教習所で受けて「高齢者講習終了証明書」を警察署へ提出しないと免許証の交付は受けられない仕組みになっている。
 早速、県内の実施自動車教習所へ予約を入れておいて、指定日の午後から受講した。
 主な内容は ●教本やビデオ等による座学講習 ●シュミレーター講習による診断と指導 ●実車による診断と指導……。 など3時間が行われる。
 

             
        《70歳以上の人が免許更新時に必要になる高齢者講習終了証明書

 受講料は75歳未満の人は5,800円 75歳以上の人は6,000円だが,200円の差があるのは75歳以上は講習予備検査(認知機能検査)があるからだ。
 予備検査の1例を挙げると、白紙に時計を連想して1から12までの数字を書き、3時20分の時に2本の針はどの位置にあるかを書かされるのだそうだ。この時に注意しなければならないのは針が3時20分になっていても「針」が 同じ長さでは×とのこと。やはり長針と短針をハッキリさせるのが重要となる。
 教官が3年先の免許更新に備えて、早くも予備検査を受ける際のコツを伝授した。
 しかし、県内に42ケ所ある実施自動車学校で 「この人はどうしても車を運転させるのは無理だ」 と判断されるのは1~2名だそうだ。(それとも免許証を取り上げられる人がいると認識した方がよいのかな?)
  更新満了期間が満了する日に於ける年齢が70歳以上という事だが、私の場合は今まで使用していた免許証の有効期限が5年の今年だったので72歳になって初めて受けることになった。
 特典もある。これまで更新手続き後に警察署が行う講習時間が免除され、更新手数料の2,500円と交通安全協会の会費(任意)を支払うと、あとは免許証の交付日を待つだけとなる。

  6月18日(水)   六白 先勝  旧暦 5/21

【今日という日の過去】  
初の女性越冬隊員 平成9(1997)年 国連はこの年を国際婦人年と定め、女性の地位向上を目指す第1回世界女性会議をメキシコ市で開いた。世界女性会議の継続開催を決め、差別撤廃運動の基礎を築く。 



 
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