いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

師走に 「ハト」 の訪問者

2018-12-25 12:51:37 | Weblog

                                           分類:PV                                                   玄関に 鳩も舞い込む 師走かな                      12月も下旬に入り 、障子紙のの張替えや大掃除、正月用品の準備など、愈々やるべき仕事が増えてきたと思っていたところへ玄関の方で 「ガツン」 という音がした。                                                          玄関先に出てみると足下に野鳩の幼鳥が倒れていたので直ぐにピンときた。透明ガラスに正面衝突して気絶したか、 最悪の場合、死んでしまったかのどっちかだ。                                                                                                            《我が家で暫し療養中の身となった野バトの子》

 もしや、と思って心配したが、しばらくしてから痙攣 (けいれん) するような動き方をしたので安心した、生きていた。 恐らくぶつかった衝撃で脳震盪を起こしたのだろう…… 私はしゃがんで様子を見ていたが、今度は羽をばたつかせて飛ぶ仕種をするのだが全く飛べない。左側の羽の動きが悪い。                            このまま放置しておいたのでは猫やカラスの餌食になってしまうと思って、急遽思い付いたのが物置にしまってあるウサギのケージだった。そこに入れておけば安全、安心。                                      廃材を使って、少し高めの場所にケージを置ける台を作り野バトを休ませることにした=写真下。                                                                    《兎のケージを鳩小屋に変身させて、これで療養所? の出来上がり》                         

   最初は餌(コメ粒)や水をやるためにケージに手を入れるとバタついたが、いまは首を傾げるような仕種をして黙って見ているところが可愛いい。 愛情が湧いてくる自分に気付くが、野鳥ゆえに旅立ちの日がくれば放してあげなければならない日が必ず来る。

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蘇った三代目の七本松

2018-12-16 06:33:54 | Weblog

                                         分類:催                                                                                                                                                                                                                             《鹿島公民館》                                                        いわき市鹿島町走熊字鬼越83-1   0246-29-2250                               鹿島町のシンボルを護る 『力』 が実現させた                               日 (15日) は、「史蹟七本松を蘇らせる事業」のお披露目式が 10時から行われた。                                                            鹿島公民館の敷地内にある三代目の若松の1本が昨年枯れてしまい、更にもう1本が弱ってきていた。これを見かねた鹿島地区地域振興協議会と、その中の部会 (歴史と文化委員会) 、そして鹿島公民館、の積極的な活動によって元の姿に復活したもの。                                                 《午前10時から公民館の敷地前で七本松のお披露目式が行われた》

 史蹟・七本松の歴史は古く、今から遡ること1214年前 (平成30年現在) の正月に、坂上田村麻呂将軍が東夷征伐に行く途中でこの地(走熊)で休息をとった際に、戦勝を祈念して7本の松を植えていったというのが始まり。                                                     初代の松は延暦23年(804)に植栽されてから二代目に引き継ぐまで、1131年間の寿命を保ったが昭和11年には最後まで残っていた1本までが枯れてしまった。当時の鹿島村の村長だった志賀直哉は、この松を後世にに残すための方法を考えた。  

 丁度その頃(昭和11年)は、全国的に経済不況の只中で、鹿島村も例外なく村民は苦しんでいた時だった。志賀村長は最後になった松を輪切りにして、 『一圓融合』 と記し、これを村是にして鹿島神社に奉納した。                                                            鹿島12部落が一致団結をして、この極難を乗り越えようとする強い決意からだった。                                           《輪切りの松板には 一圓融合 奉納 鹿島村振興委員会 とある》                  

 ●この銘板は鹿島神社に現存し、外から本堂の中を覗くと、ハッキリ見ることができる。                                                                             

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「なごん坂」 物語

2018-12-04 05:31:07 | Weblog

                           分類:歴                                                                   所在地 鹿島町走熊字上ノ内・小和口地内                     

    切ない思いの名残坂(なごんざか)

        父よ子よ  しばしの別れ 名残り坂                                                    変わる時世を祈りながらえ                                                           

 名残惜しい坂、悲しけれども泣かない坂、残していく者が安らげるよう祈る坂。 そういう意味が深く籠められている坂が昔から 「なごん坂」 と呼ばれている。 山の左側が平地になっていて畑だったが、もっと昔に遡ると馬場だったそうだ。                                   《切通しになっているところが、なごん坂》

   この地域一帯の地名には、山の神・上ノ内・小和口・屋敷などがあり、古代より有力な氏が居住していて嘉吉の内訌、二十三夜の乱、佐竹氏による村替え等で住人が何度か変わっているようだ。 位置的には鹿島街道旧道の、GINZA(モーテル)と伊勢木(現在は建物だけ)が付近にあり、切通しの先は前述の地名がある場所へ抜けていける。                                                           《東側から見た道路で真っ直ぐに伸びているのが、なごん坂》 

 昔は、雑木と竹に覆われて山全体が鬱蒼としていて昼間でも薄気味悪い道だったが、それでも土地の人たちは鹿島の旧道へ出て、平方面へ行くための近道だったので利用されていた。                            いまでは、この「なごん坂」を通り抜ける人は誰もいなくなった。

 振り返り振り返り去っていく。                                                     その後ろ姿を見送ってこの坂に立ちつくし、惜別の思いを熱くした人たちの歴史だけが今なおひっそりと残っている。

                                                                               

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