いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
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小説 ひとつの選択(7)

2013-01-19 06:24:00 | Weblog
                                             分類・文
    小説 ひとつの選択
          いわきの総合文藝誌風舎7号掲載          箱 崎  昭

「それは真剣に考えたよ。エゴかもしれないが長いあいだ家を放りっぱなしにしておいた挙句に、今度は特老施設へ入れるというのはとてもできないんだ。よく病気で入院中の患者さんや養護老人ホームに入居している人が最期を遂げるときに、決まって言うセリフは“自分の家で死にたい……”だそうだ。他人は至れり尽くせりの場所に居られるのだからあんな幸せなことはないと思うらしいが、本人にしてみるとどんな生活でもボロ家でも喜怒哀楽を肌身で体験してきた我が家に万感の思いを寄せているようだ」
 太郎が主張する老人ホーム行きは繁の否定で敢えなく萎(しぼ)んでしまった。
 部屋は重苦しい空気に包まれて暫らくのあいだ沈黙が続き、いつの間にか1つの灰皿に折れ曲がったタバコの吸殻が盛り上がっていた。

     (4)
 繁1人が帰郷するようになったが、家族の崩壊が母の扱い方に起因しているとはどんな事があっても母には言えないしいう必要もないと思っている。
 そんな事までしてして息子に傍に居てもらい喜ぶ母ではないし、単なるお仕着せになってしまう危険性も生じてしまう。
 母が生命ある限り家族との結末については口外しないで暮そうと心の決めている。 
 樫ノ木ニュータウンの花枝夫婦には、繁が帰る日とおおよその到着時間を知らせてあったが、夜中になるのは間違いないので実家に来てくれなくてもよいと連絡して、母にもその旨を伝えておいてくれるように頼んでおいた。
 母は難聴でややもすれば電話の呼び出し音が聴こえない時があり、受話器を持ったところでさっぱり要領を得ないという難点があるので、花枝に直接伝えておいた方が早いし正確だからだ。
 川崎から、いわきまでの距離を約230キロとして平均速度を50キロで走ると5時間ぐらいで着くが、それに1時間をプラスすれば午後8時に出発しても深夜の2時頃には間違いなく着く計算になる。
 中古車というよりもクラシックカーの部類に属するのではないかと、息子たちに冷やかされたこともある乗用車のハンドルを手にして夜の水戸街道をひたすら走る繁の姿があった。
 会社時代から乗り慣れした車で愛着があり、今でも使用しているが総キロ数はとうに10万キロを越え、最近ではエンジン音も耳障りがするようになってきた。 水戸、日立を過ぎると周囲の明かりも次第に疎らになり対向車が時折、運転席いっぱいにスポットを当てたように照らして擦れ違っていく。
 相手の運転手は、覇気がなく青白い顔をした繁を一瞬見ていくだろう。  
 単調な時間の流れが過去の全てを車の後部から投げ捨てているような錯覚を起こさせる。
 繁の選択は家族と母親の比重を二者択一の天秤にかけて、その結果が母親のほうに傾いたというのは誰が見ても予想外で無謀だと思うに違いない。
 やはり紀子の言う特別養護老人ホームへ母を入れた方が良かったのか、あるいは健二が言うように半強制的ではあっても川崎で同居させるべきであったかは、繁自身も表面上では否定していても随分と迷ったところだった。
 結果として、いま繁1人が母の許へ向って深夜の道を突っ走っている。もう繁には紀子との間に後悔することもなければ、新たな対応策を練るという考えも消えうせていた。
 いまは、ただ母の最期を見届けてやるまで傍で暮そうという思いだけだった。(続) 
コメント
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