いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

矢田川に草刈り機の爽音

2019-09-29 08:17:21 | Weblog
                                             分類:催

                                  いわき市鹿島町の矢田川土手


   矢田川の草刈り・清掃。美化活動
 今朝(29日)、鹿島地区河川愛護会(石井英男会長)、環境美化委員会(大滝忠幸委員長)による 「矢田川の草刈りと清掃作業」 が行われ参加者20数名が、それぞれ草刈機や鎌、トングなどを持参して3時間近くを矢田川の美化活動に汗を流しました。
              《午前7時近くになると参加者たちが集まってきた》 

 矢田川は、鹿島街道と鹿島ショッピングセンターエブリア辺りをメインに流れる川で、毎年春には 「鹿島千本桜」 のさくら祭りで賑わう場所で、川を下っていくと藤原川と合流し小名浜の海へ流れていきます。生え繁った雑草を刈る機械音は綺麗になっていく土手を見ていると、騒音には聞こえずに爽音になって深い秋空に吸い込まれていきました。

                 《分散して土手の法面を刈り込んでいった》
 
 作業場所は矢田川の左岸と右岸の二手に別かれて行われ、左岸は鹿島橋前を起点にドコモ~ニトリ~久保橋まで。右岸は米田橋から飯田樋門までの区間でした。
                      
          《鹿島ショッピングセンター》    《さくら祭の頃の矢田川土手沿い》 

 矢田川の草刈り、清掃作業は、同会の第2期鹿島地区まちづくり構想の基本目標になっており、鹿島の河川維持と美化運動には欠かせない地元組織になっています。
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その後の磨崖仏 跡地

2019-09-22 12:59:35 | Weblog
                              分類:地

                        場所 : いわき市鹿島町久保

   
   現場付近は未だに片道1車線通行
 県道小名浜・平線(通称:鹿島街道)に沿って存在し、市指定文化財だった 「久保の磨崖仏」 は岩山の崩落に巻き込まれ姿を消してから間もなく1ケ月になります。
 崩壊したのは8月24日の午後11時頃の出来事でした。


      《崩れた周辺は未だに大きな土嚢(どのう)が積み重ねられている》
 
 現場は鹿島街道が走り本来ならば片側2車線なのですが、崩落以降いまだに片側1車線の規制が行われているために朝夕などはラッシュが続いている状況です。県によると4車線での全面復旧のメドは立っていないとの事でした。

      《経年劣化による影響とみられる崖崩れは鹿島街道を妨げている》

 もともと、この岩山は昭和30年(1955)頃までは石切り場として使用されていて、山の中は4~6mくらいの空洞があって危険なので周囲にフェンスを張って「危険」の看板を立ててあった場所でした。
 山の崩壊の起因は、一般的に長引く降雨(あるいは一時的な豪雨)や地下水によるものと解釈されますが、現場では雨や地下水はなかったというのが専門家の意見でしたから、そうなると原因は只ひとつ、「空洞になっていた岩盤表面が風化してきて、山の重圧に耐えられなくなった」 と、結論づけてよいものなのでしょうかね?


    《かつて、複数の磨崖仏があった時の写真だが、残念ながら全滅してしまった》

 昔から 「鹿島街道」 は、商都平と国際港を抱える小名浜を直結する大動脈であり、地域経済のホットラインとして活用されてきました。
 一刻も早く上下4車線が復活してくれるのを誰もが待ち望んでいます。
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イノシシの子を捕獲

2019-09-10 14:27:02 | Weblog
                             分類 : 他

                      場所 : いわき市鹿島町地区    
   人間との共存共栄は難しいのだろうか

 拙宅は鹿島ショッピングセンターエブリアまで自転車で7分、いわきニュータウンまでは5分という、地理的に恵まれたところにありますが所詮、昔ながらの民家なので山間に入り込んだ場所にあります。
 夜ともなると静寂に包まれ季節によって異なるが、虫・カエル・セミ・蛇・鳥・タヌキなどの動物も棲息していて目の当りに見られるので、自分では自然植物園の中で生活しているような気分で、贅沢な日々を送っています。
 これからの季節は、夜は軒下のコオロギの鳴声と共に秋の夜長を満喫することができます。
 ところが、忘れかけていた事件(?)が発生してしまいました。ウリ坊が罠の仕掛けに嵌(はま)ったのでした=写真下。


         『罠(わな)にかかったウリ坊(イノシシの子供)』

 昨夜の午後9時半過ぎに、家から100mも離れていない杉林の奥で、異様な悲鳴が聞こえてきました。 「ギャー、ギャー」 と泣き叫ぶ声で瞬間的に 「あっ、またやられたのか」 と思いました。
 これまでに私が居住している近場で、10頭ほどのイノシシが捕獲されましたがこの数カ月間は捕獲0(ゼロ)を保ってきました。
 今朝(10日)になって隣人が早速、四倉に住むワナの仕掛人へ電話して引き取ってもらいました。 

     『杉林の中に数か所の罠が仕掛けてある(前の白っぽい物は米ぬか)』

 福島県内では市街地等を除き、イノシシの繁殖定着は、ほぼ全域に広がっており農作物被害が増え始めているようです。
 イノシシは原発事故による避難指示が出た地域などで繁殖し生息域を拡大していったものと思われ、農地を荒らされたり水稲や果樹の食害にあっているのが現状です。
 捕獲されたイノシシは射殺され、市の行政担当課へ尻尾(シッポ)を持って行くと親で2万円、子供で1万円が貰えるという事らしいが、イノシシは悪さを承知でやっている訳でもなく、ただ生きるために必死になって餌を求め歩いているのを考えると、そこには人間のエゴと、さもしい考えが如実に表れているような気がしてきました。
 特に、捕まった 『ウリ坊』 を見ていたら、その表情が私に助けを求めているかのような目をしていたのがとても印象的でした。人が勝手に起こした原因で、人が勝手に避難して、誰も居なくなった土地に残され繁殖していったイノシシが今度は邪魔者扱いにされているというのは、イノシシの目線で見ると何とも不可解なことです。
 
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権現様への儀式

2019-09-02 12:25:31 | Weblog
                              分類:催 
                 場所 : いわき市鹿島町米田字殿作地内    
   平穏無事を山に求めて
 『 権現さま 』 は、仏菩薩が権(かり)に神祇(じんぎ)となって現れる日本の神号の1つで、明治維新後の廃仏毀釈によって廃止されたが現在では復活しており、この米田地区でも毎年、8月の下旬頃に行われているが、今年は月明けの9月1日になった。
       小高い新興団地の一角に存在する湯殿山の石碑(文字塔)》
 
 湯殿山は山形県(出羽国)にある月山・羽黒山・湯殿山の三つの山の一つで、湯殿山神社は大山祇命(おほやまつみのみこと)、大己貴命(おほなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)の三神を祀っているが、これらを総じて「湯殿山権現」という。
 江戸時代には民間の山岳信仰が盛んで、村の人たちが講を組んで伊勢、富士、成田などへお参りしている。中でも出羽三山の湯殿山神社へのお参りは多かったようで、鹿島町(旧鹿島12部落)には「湯殿山」の石碑だけでも6基あります。


             《新鮮な野菜・御神酒が供えられる》 

 月山の本地は阿弥陀如来(未来世の化主)、羽黒山の本地は観世音菩薩(現世の導師)であり、これらを乗り越え大日如来の浄土である湯殿山に詣で、即身成仏の本懐を遂げられる願いを込めて、厚い信仰が続けられてきたのでした。
 石塔の前面に湯殿山 村中安全。裏面に明治四年(※西暦1872)の記銘と注連縄が施されている。 

     《金光寺(久保)の箱﨑住職による地域平和と安全祈念が執り行われた》
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